俺の青春ラブコメはこの世界で変わりはじめる。   作:clp

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前回までのあらすじ。

 飼い猫のカマクラを引き取りがてら妹と東京わんにゃんショーにやって来た八幡は、思いがけず雪ノ下・由比ヶ浜と相次いで遭遇する。この急展開に対してどこか現実離れした感覚を覚える八幡だったが、それは彼の前に現れた2人にも言える事だった。落ち着かない気分のまま勢いだけで、由比ヶ浜は事前に立てた計画を何とか実行しようと図るのであった。



17.いじらしくも彼女は彼を思った行動に出る。

 この日、由比ヶ浜結衣もまた飼い犬のサブレを引き取る為に東京わんにゃんショーに来ていた。連れて歩くのは重いからと後回しにしたどこかの兄妹とは違って、一刻も早くサブレに会いたいと思った由比ヶ浜は他の動物に目を向けることなく指定の場所に直行して、再会と呼ぶには奇妙な出会いを果たしていたのである。

 

 由比ヶ浜が受け取ったサブレは現実の設定を可能な限り盛り込んで外見もそっくりではあるものの、やはり元のサブレと同じではない。だが現実と通じる部分が多々あるだけに、厳密には違うという思いを心のどこかで抱えつつも、彼女は目の前のミニチュアダックスこそがサブレであると思い込もうとしていた。

 

 由比ヶ浜にとってサブレとは家族の一員であり、そして交通事故という辛い思い出を通してではあるが、比企谷八幡と自分とを巡り逢わせてくれた存在である。彼女がことさらにサブレを特別視して、時に現実のサブレに向けていた以上の感情をこの世界のサブレに向けてしまうのも仕方のないことなのだろう。

 

 ずいぶん慣れたとはいえ、この世界に巻き込まれたことで受けた心理的な影響は完全に払拭できるわけもなく、それもまた彼女がペットに向ける気持ちを過剰なものにする要因になっている。そうした経緯から、由比ヶ浜は受け取ったばかりのサブレに構い通しになっていたのであった。

 

 

「あ、ヒッキーと小町ちゃんも着いたんだ」

 

 メッセージが届いて、彼には内緒だがこの後に合流する予定の2人の動向を確認して、由比ヶ浜は緊張の度合いを高める。比企谷家に飼い猫がいることを知っていた彼女は、計画を円満に進める為という言い訳を誰にともなく呟きながら、昨夜のうちに比企谷小町と連絡を取っていた。

 

 目当ての2人は会場を出た後でお茶をする予定とのことで、由比ヶ浜はそこで加わる手筈になっている。早口言葉で勝負をして兄に奢らせる気が満々の小町は、意外にも勤勉に発声の練習をしているらしい。兄妹の仲の良さを感じて苦笑しながら、しかしそのお陰で気分がほぐれた由比ヶ浜は昨夜ぐっすり休むことができたのであった。

 

「今からトリミングして貰って、終わったらちょうどいい時間だよね。予定通りだし……大丈夫だよね、サブレ?」

 

 問い掛けられても首を傾げるしかできないサブレだが、飼い主も別に返事を期待しているわけではないのだろう。不安を紛らわせる為に話し掛けているだけなのだろうし、そもそも人間様が悩んでいる事などサブレには全く解らない。正直そろそろ過干渉が煩わしくなって来たサブレであった。

 

 

 まずは毛並みを整えて貰って、ご満悦な様子のサブレを傍らで休ませながらNPCからしつけのコツを伝授されていた由比ヶ浜だったが、ふと気付けば飼い犬の姿が見えない。首輪にリードを付けておくのを怠っていたのだ。現実世界での嫌な記憶を思い出して、瞬時に他のことを何も考えられない状態に陥った由比ヶ浜は、NPCへのお礼もそこそこに慌ただしく会場を走り回る。

 

 そして、彼女は彼と久しぶりの再会を果たした。

 

 

***

 

 

「あたしのアニマルセラピーを試しちゃうからね!」

 

 この時の由比ヶ浜の頭の中は、事前の計画を何とか遂行しようという思いでほぼ埋め尽くされていた。この計画が何を目的としたものなのか。そもそも計画を立てるに至った要因は何だったのか。目の前の男の子に対する気まずい気持ちだけは何となく覚えていたものの、それすらもこの場の勢いで誤魔化して、由比ヶ浜は八幡に挑む。

 

 この作戦は彼女が憧れる雪ノ下雪乃が立案して、執拗に猫を推す意見だけは何とか退けたが他は彼女のお墨付きを得ている。きっと上手く行くだろう。事前の打ち合わせには無かったが、なぜか今その雪ノ下もこの場に居合わせてくれている。他のことは彼女と一緒に、この作戦を終えてから考えれば良いのである。

 

 由比ヶ浜は唖然とした表情で自分を見つめる3人から意識を逸らさぬように気を付けながら、付近に放置されていた段ボール箱に近付いて行く。この状況に対応しきれず思わず掴んだ手を緩めてしまった八幡から解放され、一旦は飼い主の元に戻るかと悠然と歩いてきたサブレを、彼女はおもむろに箱の中に入れた。秘策・アニマルセラピーの完成である。

 

「どう、ヒッキー?」

 

 もはやこの形に至れば勝利は揺るがないと見て、由比ヶ浜は得意げに八幡に問いかける。犬を避けて彼の背後に回っていた雪ノ下も、予定外の遭遇からこの形に繋げた由比ヶ浜の手腕には驚いていた。強いて言えば、段ボールの中に居るのが猫であれば完璧だったのだが。

 

「いや、あの……俺にどうしろと?」

 

 犬の飼い主が由比ヶ浜だと気付いた時には、どう対応したものかと気まずい思いを抱いた八幡だったが、予想外の奇天烈な展開ゆえにそれどころではない。飼い犬を入れた段ボールを八幡へと差し出すような姿勢で、事は終わったとでも言いたげな様子で得意げに胸を張る由比ヶ浜を眺めながら、途方に暮れるしかない八幡であった。

 

 

「あれ?……ヒッキー、もしかしてサキサキみたいに動物アレルギーとか?」

 

「いえ……。先程は犬を掴んでいたのだし、アレルギーなどは持っていないように思えるのだけれど」

 

 八幡の反応が予想と大きく違う事に2人は首を傾げる。捻くれた言動で勘違いされやすいが、彼はいざという時には他人の為に我が身すら投げ出せるほどの優しさを備えている。それを誰よりもよく知っている2人は計画が思うような方向に進まないことを訝しく思う。彼ならばすぐさま段ボールから動物を拾い上げて、そして改心へと進む流れになるのは明白なはずなのに。

 

 昭和の不良を想定したような2人の杜撰な計画はさておき、飼い主が何をしたいのか全くもって理解できないサブレは、付き合いきれないとばかりに由比ヶ浜に尻を向けて八幡の胸元めがけてジャンプした。先程はいきなり首根っこを掴まれたので一旦距離を置いたが、サブレとしては誰よりも彼にこそ構って貰いたいし、彼とじゃれ合うことで別世界での恩を示したいのが正直なところである。

 

 運営に伝えられた情報の中でも、八幡との関わりは微に入り細を穿つほどの内容だったので、この世界のサブレは彼に対する好感度が振り切れた状態にある。慌ててはいても片手でしっかり抱き留めてくれた八幡に親しげな目を向けながら、全力で尻尾を振って好感度を表に出すサブレであった。

 

 

 予想外の展開に戸惑っていたのは、今も兄と手を繋いだままの小町も同様だった。時間の経過によって少しずつ冷静さを取り戻した彼女は、兄にじゃれついているこの犬こそが、あの事故の発端だったのだとようやく気が付いた。

 

 もしもこの世界に巻き込まれた直後の心理状態であれば、小町はサブレに鬱屈した感情を抱いていただろう。だが川崎大志の依頼を片付けた帰り道、兄の胸の中で号泣して事故の時の心境をぶちまけたことで、彼女は自分でも意外なほどに静かに落ち着いた気持ちで件の犬を眺めることができていた。

 

 もちろん複雑な気持ちが全くないとは言えない。兄が大怪我をした原因の犬を見ても自分は案外平気だなと、どこか他人事のように考えている時点で普通と違うのは確かである。だが起きてしまったことが覆らない以上、こうした前向きな心理状態に至れたのは彼女にとって喜ばしいことに違いない。

 

 

 サブレに優しげな視線を送る八幡の姿を彼の背中越しに眺めながら、雪ノ下は計画の失敗を悟った。改心するもなにも、彼は最初から優しい性格なのである。確かに彼の言動は捻くれているし融通の利かない性格だが、今回の彼と由比ヶ浜のすれ違いは彼の優しさゆえに生じたことなのだと、今更ながらに雪ノ下は理解したのである。

 

 職場見学を終えた時に、恥ずかしい話だが一番余裕が無かったのは自分だったと雪ノ下は思う。形だけを取り繕って自分がさっさと帰ってしまったことで、由比ヶ浜にはゲームマスターに打ちのめされた八幡と独り向き合わせてしまった。

 

 自信を取り戻した雪ノ下には彼と彼女に対する負い目は無い。由比ヶ浜は彼との再会をずいぶん心配していたが、それは後味の悪い別れ方をしたからである。そのことに対して自分にも責任があるのは確かだし、自分も虚勢を張ったような別れ方をしたのだが、それらに関して彼が何かを言って来るようなら容赦なく叩きのめす用意が彼女にはあった。

 

 要するに雪ノ下は、心配をされたり同情されたくはないのである。それは孤高を貫く状況に至る事が多かった彼女にとっては自然な事であり、そしてある意味では幼さを引き摺った感情なのだが、他者との関係を進める上では悪いとは言い切れないものでもある。いつまでも過去を引き摺っていては関係など深まるはずもない。

 

 どこか自分と似たような不器用さを持ち、しかしその源泉が自分自身を保つ為だった雪ノ下とは違って、どちらかと言えば他者に向けた優しさ故のものであることを理解して、彼女は少しだけ微笑む。孤高を装った彼女もまた八幡とは違った種類の優しさを備えていたのだが、今の雪ノ下にはそこまでは理解が及ばない。

 

 とりあえず、お見合い状態のまま固まっている現状を動かそうと考えて、雪ノ下はゆっくりと口を開くのであった。

 

 

「由比ヶ浜さん。残念だけれど、アニマルセラピーは失敗だったと受け入れましょう。貴女には今から、計画とか余計なことは考えないで、比企谷くんと向き合ってみて欲しいのだけれど……。どうかしら?」

 

「えっと、うん……そうだね。じゃあ余計なことは考えないで、ヒッキーと話してみる」

 

「それが良いと思うわ。私は小町さんと一緒に居るから、話が済んだら連絡を頂けるかしら?」

 

 雪ノ下の提案を受けて、一瞬だけ自信なさげな表情を見せた由比ヶ浜だったが、己が為すべきことを思い出したのだろう。彼女の返事は後半になるほど力強さを増すものだった。

 

 こうして八幡たちの要望は全く聞かれぬままに、4人は一旦2人ずつの別行動に移るのであった。

 

 

***

 

 

 意外な展開にも即座に対応して、雪ノ下の腕を取って何処へともなく去っていた小町を見送ると、2人はとりあえず会場の隅のほうへと移動した。いざ2人きりになってみるとお互いに気まずいことこの上なく、八幡と由比ヶ浜は並んで壁にもたれた姿勢で別々の方角へと目を向けていた。

 

「その、なんだ。……月曜は悪かったな」

 

「ううん。あたしも、逃げるような感じになっちゃって、ごめん」

 

 やがてぽつぽつと会話が始まる。頑張って八幡が口火を切ったのは、妹に事の経緯を説明した時に「しっかり自分から謝るように」と厳命されていたお陰である。変に取り繕おうとせず、捻くれた部分も含めて思ったことをそのまま口に出すようにと小町に命じられたのを思い出しながら、八幡は言葉を継ぐ。

 

「その、お前らがこうやって引き留めてくれるのは正直予想外ってか、俺なんかの為になんでここまでって思ったりもしたんだが……。戸塚に言われてな。俺が卑下するようなことを言ったら、戸塚を悲しませてしまうんだと」

 

「うん。さいちゃん、サキサキにも同じことを言ってたよね」

 

「ん?……戸塚も言ってたけど、たしかあの時はお前が言い出したんじゃなかったか?」

 

「あ……ヒッキー、覚えてくれてたんだ……」

 

 八幡が記憶していた通り、友人に卑下して欲しくないと言い出したのは由比ヶ浜で、それに同調したのが戸塚だった。細かい部分ではあるが、ナチュラルにあざとい八幡であった。サブレを抱きしめる力を強めながら、彼女は隣に立つ男の子の声に集中する。

 

「その、昨日戸塚と約束してな。次の依頼までは部活を辞めずに頑張ってみるって言ったら、俺なら大丈夫だって。依頼をちゃんと解決できるはずだって言ってくれてな」

 

「うん」

 

「だからお前らも、その、心配しないで欲しいってか。……俺のことで、落ち込んだような顔をして欲しくないんだわ」

 

「えっ……ヒッキー、見てたの?」

 

「あー……まあ、同じクラスだしな。見たら悪いかと思ってたんだが、つい目に入る時とかあって……」

 

 

 会話が進み始めたと思ったら、途端に恥ずかしそうな表情になって口ごもる2人であった。周囲も気を遣ってか、初々しい2人の周りからは人影が途絶え始めていた。少しだけ間を置いて、どうやら恥ずかしさよりも心配の気持ちが勝った様子で由比ヶ浜が問いかける。

 

「その、ヒッキーも今週は辛そうな感じだったけど……大丈夫だった?」

 

「あー、そだな。……なんか色々と悩んでたけど、途中からどうでも良くなったってか。……なんで俺、こんな些細なことで落ち込んでんだろ、とか思ったりして」

 

「そっか。ヒッキー()、自分で立ち直れたんだね……」

 

 少しだけ哀しげな声を含ませながら、由比ヶ浜は独り言のように呟く。彼女の悔恨は八幡には伝わることなく、彼は普通に返事を返す。最後のほうは小声になって。

 

「自分で、ってか……。妹とか、まあ色んな人のお陰なんだがな。戸塚とか、その、お前らとか……」

 

「……ヒッキーがそんなこと言うなんて、この後の天気とか大丈夫かな」

 

「ほっとけ。捻くれてても良いから思い付いたことをそのまま言えって、小町に言われてんだよ」

 

 何とか冗談っぽい返しをした由比ヶ浜だが、動悸が凄いことになっている。それを気付かれないようにと必死に取り繕う彼女の努力は報われた模様で、こっそりと顔色を窺ってみると、八幡は憮然とした表情を浮かべてそっぽを向いていた。

 

 

 少しだけ可笑しくなって、そのお陰で鼓動が落ち着いてきた由比ヶ浜は、ゆっくりと息を吐いた後で丁寧に返事を口にする。彼女なりに適切な言葉を選んで、今の気持ちを彼にしっかり伝えるために。

 

「うん。そのまま言ってくれたほうが、嬉しいかも。……できればヒッキーには、もっとあたし()を頼って欲しいんだけどな」

 

「あー……それはあれだ。男としてちょっと情けないってか、心理的に抵抗があるんだわ」

 

 この段階に至っても「あたしを」と言い出せない由比ヶ浜もたいがい奥手だが、この話題で男としての矜持を持ち出す八幡も随分なものである。変な拘りを口にする八幡に対して、由比ヶ浜は自分のことを棚に上げて、少し不満げな様子を隠すことなく返事をする。

 

「ヒッキーには色々と助けて貰ったんだから、辛い時ぐらい頼ってくれても良いじゃん。……サブレもそう思うよね?」

 

「うおっ!……さっきも思ったが、その犬って俺に懐きすぎじゃね?」

 

 すぐ横に並んでいる男の子のほうへと顔を向けてあげると、途端にサブレはもの凄い勢いで尻尾を振り始めた。驚いている八幡の様子が妙に可笑しくて、思わず吹き出しながら由比ヶ浜は答える。

 

「そりゃ、命の恩人なんだから当然じゃん。入学式の時のことは、全部このサブレにも教えておいたし……」

 

「はあ……。もう1年以上も前のことだし、あんま蒸し返されると逆に照れ臭いんだが」

 

 褒められたり感謝されることに慣れていないのか、居心地が悪そうに彼方を向く八幡を見ていると、何だかもっと恥ずかしがらせたくなってしまう。少しだけSの気配を見せ始める由比ヶ浜であった。その衝動を何とか追い払って、彼女はゆっくりと本題に入る。

 

 

「じゃあ、今の話をしよっか。……あたし達はヒッキーに奉仕部を辞めて欲しくないし、辞めないって約束して欲しいんだ。たぶんヒッキーは『なんで?』って言うと思うんだけど……。これからも3人で色んな依頼を解決しながら、この世界で過ごしたいってあたしは思う。これって、答えにならないのかな?」

 

 それは由比ヶ浜にとっての正直な気持ちである。もちろん彼と2人でもっと話をしてみたいという気持ちも別にあるのだが、今の3人で過ごしている部活の時間も彼女にとっては既に特別なものになっていた。どちらか1つだけが大事なのではなく、由比ヶ浜にとっては両方ともが大事なのである。

 

「……あの時も言ったと思うが、今の俺が奉仕部に貢献できるとは、あんま思えねぇんだわ。たぶん雪ノ下とお前が居たら、ほとんどの依頼は解決できると思う。お前は友達が多いし、雪ノ下も生徒会とかと繋がりがあるから、人手に困ることも無さそうだしな」

 

「……あの時に言われて、あたしずっと考えてたんだ。でも、ゆきのんみたいな上手な説明はできないけど、ヒッキーが言ってるのは間違ってると思う。……ヒッキーが居なかったら、サキサキの依頼もこんなに綺麗な形で終われなかったし、隼人くんの依頼だって噂の内容の違いとかに気付けなかったし。テニスもヒッキーじゃないと勝てなかったし、たぶんさいちゃんもあんな笑顔にはならなかったよ?」

 

 悪気は無いのだろうが、材木座が関与した記憶がすっぽり抜け落ちている由比ヶ浜であった。噂の質の違いを真っ先に指摘したのは彼である。とはいえ材木座が真価を発揮するのは八幡が側に居てこそだと考えれば、彼女の主張もあながち間違いではないのだろう。彼だけは八幡独自の人脈だと言えるのだから。

 

「あー……まあ、今までが上手く行きすぎてたってか、偶然じゃね?」

 

「偶然だったら、こんなに続かないよ。……あたしだったら、ゆきのんが居てくれても、こんな風に解決はできなかったと思う」

 

 往生際の悪い事を言い始める八幡を真っ向から否定しながら、由比ヶ浜は次第に己の無力を感じ始めていた。彼女はそのまま言葉を続ける。

 

「正直ね、あたしはヒッキーの気持ちがちょっとだけ解るんだ。実際はあたしが一番役に立ってないなって思うし、奉仕部にあたしが居る意味ってあるのかな、って。貢献できないと部に居られないって言うのなら、ヒッキーよりも先にあたしが辞めるべきだと思う」

 

「は?……いや、お前が居ないと雪ノ下の暴走を誰が止めるんだよ。それにお前のことはゲームマスターも評価してたじゃねぇか。俺がやることは雪ノ下でもできるだろうけど、お前の代わりを俺や雪ノ下が務めるのは無理だぞ?」

 

「そんなこと無い。ヒッキーは……ゆきのんは凄いけど、ヒッキーはゆきのんとは違うってあたしは思うの。今までの依頼だって、もしゆきのんだけだったら、違った形になってたと思う。それって、ゆきのんとヒッキーが違うってことにならないかな?」

 

「あのな。もしそうだとしても、俺と雪ノ下の違いは、お前と雪ノ下の違いほど離れているとは思えねぇんだわ。だから完全に同じ結果にはならなくても、ある程度は肩代わりできるだろ。だって雪ノ下だぞ?」

 

 お互いに相手のことを褒めながら自分を下げるという応酬になってきた2人であった。自分はともかく由比ヶ浜には辞めて欲しくないと思う八幡は頑張って説得を続けるのだが、由比ヶ浜にはなかなか頷いて貰えない。彼女は少し深呼吸をして、いつか口にしたのと同じ台詞を呟く。

 

「なんだか、難しくてよくわかんなくなってきちゃった……。もっと簡単なことだと思ったんだけどな……」

 

 クッキーと一緒にサブレを助けて貰ったお礼を言おうとした時に「そこまでされる程のことではない」と主張する八幡と話が平行線になって、由比ヶ浜はこの台詞とともに一旦は諦めかけたのである。あの時は雪ノ下が助け船を出してくれたが、彼女は今ここには居ない。呟きと一緒に弱音を全て投げ捨てて、由比ヶ浜は決意を秘めた目で八幡に告げる。

 

 

「だから、もっと簡単な話にするね。奉仕部に貢献できないから辞めるってヒッキーが言うなら、あたしも奉仕部を辞める。だから……ヒッキーがあたしを奉仕部に居ても良いって思ってくれてるなら、ヒッキーも奉仕部を辞めないって約束して欲しいの」

 

 それは正しく自爆攻撃であった。由比ヶ浜は自分が特別に思う存在を賭けてでも、八幡から部活を辞めないという言質を得たいと考えたのである。彼女にとって奉仕部が特別なのは、彼と彼女が一緒に居てくれてこそだと思ったから。

 

「いや……落ち着け、由比ヶ浜。お前が辞める必要はこれっぽっちも無いってか、その、俺も別に、どうしても奉仕部を辞めたいってわけじゃないんだが……」

 

 この日初めて「お前」ではなく「由比ヶ浜」と呼び掛けた辺りに八幡の混乱ぶりが窺える。ちょっと言っていることが情けないので後半は小声になってしまったが、別に八幡としては奉仕部を辞める確固たる信念などは無いのである。

 

 確かに職場見学では己の無力を痛感したし、奉仕部の力になりたいのに実力が及ばない自身の未熟さを呪ったものだが、だからといって奉仕部から進んで離れたいとは思っていない。八幡が頑ななほどに奉仕部退部を考えていたのは後ろ向きの強迫観念によるものであり、それは彼の黒歴史の系譜に連なるものであった。

 

 自分が奉仕部に在籍していては2人の為にならない。これ以上は彼女らに迷惑をかけない為にも自ら率先して身を引くべきだと、週の前半の彼は自己犠牲に近い思い込みを抱いていた。決して奉仕部が嫌になったわけでも、彼女らのことが疎ましくなったからでも無い。むしろ八幡にも奉仕部に思い入れができたからこそ、月曜日の別れ際に由比ヶ浜に向けてあのようなことを言い始めてしまったのである。

 

 すっかり慌てた表情でごにょごにょと言い訳じみたことを口にしている八幡を見て、由比ヶ浜は攻勢に出る。勝負を決する時は今をおいて他にはない。

 

「じゃあヒッキー、辞めないって約束してくれる、よね?」

 

 優位な立場に立っていることを自覚して余裕のある声で問いかけたものの、由比ヶ浜の心臓はかつてない程の勢いで動いている。たった一言で、こんな程度の約束で、由比ヶ浜は心から安堵し喜びに浸れるのである。その言葉を受け取る時は、もう間近に迫っている。

 

 困ったような表情を浮かべて、ここまで来たら流されても良いのかもしれないと考えながら、八幡はおもむろに口を開く。声を出す間際に、戸塚との会話を思い出しながら。

 

「あのな……。戸塚と約束したんだわ。次の依頼でちゃんと結果を出すって。だから……今の段階で、それは約束できねぇんだわ」

 

「そ……っか」

 

「けどな、あんま口に出して言う事じゃないかもしんねぇけど……。次の依頼で、俺が残っても良いって思えるような仕事をするから……。それまで待ってくんねーかな」

 

 戸塚に対しても内心で決意を新たにするだけで口に出しては約束しなかったことを、八幡は由比ヶ浜に向けてはっきりと告げる。天然にあざとい八幡の発言を受けて、由比ヶ浜は一瞬にして嬉しそうな笑顔へと表情を変えた。

 

「じゃあ、仕方がないから待ってるけど、ちゃんと結果を出してよね」

 

「う……善処します」

 

 もしや早まったかと苦悩し始める八幡を横目に、由比ヶ浜はなぜか肩の荷が下りた気がした。隣に並ぶ男の子の悩ましげな様子を温かく見つめながら、彼女は緊張を解いた声で語り掛ける。

 

「あのね。1つだけ約束して欲しいことがあるんだけど、聞いてくれる?」

 

「ん?ああ、とりあえず聞くだけなら」

 

 すっかり警戒している八幡に苦笑しながら、由比ヶ浜は続きを話す。

 

「サブレに……ヒッキーが助けてくれた現実のサブレに、いつか会って欲しいんだ。もちろんヒッキーが嫌じゃなかったらで良いんだけど……」

 

「あー……。別に嫌じゃないし、それぐらいなら良いぞ。正直、次はどんな難題を出されるんだって思ってたから助かったわ」

 

「もう!……ヒッキーは解ってないみたいだから説明するけど、この世界で突然いなくなったり、現実に戻ったら無関係みたいな感じにはならないでね?」

 

 意外なことに、由比ヶ浜にもまた策士の才能があるのかもしれない。とはいえその策は、彼のことを心配するが故に出て来たものである。彼にとって特に不利益はなく、むしろ彼の安全を保証するかのような形になっているのは、由比ヶ浜の性格が反映されているからだろう。

 

 

 由比ヶ浜が自分に向ける真っ直ぐな感情にどぎまぎしながら、八幡は内心で必死に己の勘違いを戒める。これは男女のラブラブ的なアレではない。同級生として、同じ部活の仲間としての扱いであって、ここで勘違いするようでは中学時代の黒歴史が報われないではないかと八幡は自分に言い聞かせる。

 

 そんな挙動不審の八幡の内心を知ってか知らずか、目標を完全には果たせなかった由比ヶ浜はしかし満面の笑みで、もう1人の大切な部活仲間に向けてメッセージを送るのであった。




次鋒・由比ヶ浜の戦果。
・次の依頼で結果を出すという言質を得た。
・現実のサブレに会うという約束を取り付けて、八幡の逃亡を未然に阻止。

リアル事情により、次回の更新は1カ月後の2/20頃になります。
できれば数話連続で更新して、また1ヶ月お休みを頂く形になると思います。
年度末進行が終わればまたペースを戻せると思いますので、宜しくお願いします。
ご意見、ご感想、ご指摘などをお待ちしています。

追記。
細かな表現を修正しました。大筋に変更はありません。(1/20)
八幡の心境を説明する文章に論理の飛躍を感じたので、少し書き足しました。(1/23)

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