俺の青春ラブコメはこの世界で変わりはじめる。   作:clp

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前回までのあらすじ。

 夕食後の女子会で雪ノ下と葉山の関係が話題に上がり、雪ノ下は最低限の説明を行った。大半の納得を得られたものの、彼女の説明では不十分だと受け取った海老名は、いつか二人だけでじっくり話し合うべき時が来るかもしれないと思う。仲の良い二人のためにも、そして雪ノ下自身のためにも。

 留美の意思を確認する方法を打ち合わせて話に区切りがついた後で、三浦が雪ノ下に問いを発した。「葉山の意思そのものまで否定するのはまちがっている」と考える三浦は対話を重ねるごとに感情を昂ぶらせ、ついには明確に葉山の味方をすると宣言した。



07.きまぐれな散歩が彼を彼女の元にいざなう。

 葉山隼人が好きな女の子のイニシャルという爆弾を残して二階へと去った後、残された三人は何ともいえない表情でお互いの顔を見合っていた。だが詮索をしても埒があかないと諦めて、まずは戸部翔が葉山の様子を窺いに行った。

 

「隼人くん、怒ってるかもって思ってたけど大丈夫みたいだべ」

 

「八幡は個室に帰っちゃうの?」

 

 戸部が二階に上がると、葉山のほうから苦笑まじりに謝られたらしい。報告に戻って来てくれた戸部を含め三人はひとまず安堵の息をついた。

 

 とはいえ不安が完全に去ったわけではなく、今後のことを思うと感情的に落ち着かない。そして葉山が好きな女の子の情報を知ってしまった者同士、連帯の気持ちが生まれるのも当然だろう。

 

 戸塚彩加は事情を知る者がこの場から一人減ることを怖れるように、そっと比企谷八幡に問いかけた。戸部も内心では同じような心情だったみたいで、珍しく息を呑んで八幡の反応を待っている。

 

「まあ、そうだな……。荷物を取ってきて、今日はこっちで寝るか」

 

 降って湧いたようなぎくしゃくした雰囲気に戸塚が怯える気持ちは八幡にも理解できた。

 

 戸部にしても自業自得という部分はあるものの、おそらく葉山なら流してくれるだろうと思って訊ねたのだろう。まさか葉山が素直に答えるとは八幡も予想外だったので、戸部を責める気持ちもさほど沸いては来なかった。

 

 もしも責めるのであれば、その対象はログハウスでの男だけの話し合いに自主的に参加を決めた、自分の判断だろうと八幡は思う。やはり面倒なことに首を突っ込まなければ良かったかと少し反省するものの、八幡はすぐにそれを否定する。

 

 好むと好まざるとにかかわらず、この千葉村にいる連中とは、既に浅からぬ関係を積み上げてきた。ぼっちを愛しリア充を敵視する八幡ではあるが、それは彼にとって楽だから、彼とは相容れぬ部分があるからだ。

 

 だが今ここにいる面々は、彼にリア充としての価値観を押し付けてこない。イベントに彼を強引に巻き込もうとすることはあっても、彼の意思を全く無視することはない()()だ。ならばその程度の扱いの悪さなど、彼が問題にするまでもない。

 

 彼の優しさが誰かの甘えを助長していることに、八幡はまだ気付いていなかった。

 

 

「じゃあ、八幡が帰ってくるまで起きて待ってるね」

 

 お父さんの帰りを待つ幼児のような可愛らしいことを口にして、戸塚が微笑みかけてくれる。思わず視線を逸らしながら、八幡は冗談で応えた。

 

「お肌が荒れたら大変だから、戸塚はもう寝なさい。つか、今日一日ずっと動いてて疲れただろ。戸部もさっさと寝ててくれて良いからな」

 

「ヒキタニくんマジかっけーっしょ。隼人くんが教室で話しかけてるのって、クラスで孤立しないようにって意味だと思ってたんだけど、マジ頼れる感じで納得だわー。海老名さんやっぱスゲーっしょ!」

 

「おい、その結論はやめろ」

 

 反射的に素で応えてしまったものの、重苦しかった場の雰囲気はいつの間にか霧消していた。それに気付いた八幡は苦笑して、ゆっくりと腰を上げた。

 

「んじゃ、散歩がてら行ってくるから、先に寝といてくれな」

 

 そう言い残して、八幡はログハウスを後にした。

 

 

***

 

 

 布団にくるまった三浦優美子の背中を眺めながら、雪ノ下雪乃は一つ深呼吸をして口を開いた。

 

「由比ヶ浜さん、海老名さん。申し訳ないのだけれどお願いね。私は外に出て、少し頭を冷やしてくるわ」

 

「あ、じゃあ小町も……」

 

「わたしはお風呂に行ってきますね〜。小町ちゃんも一緒に行かない?」

 

 三浦のことは気になるものの、自分には何もできないと理解した雪ノ下は後を二人に託した。雪ノ下を一人きりにするのは良くないと思った比企谷小町が同道を申し出ようとしたが、一色いろはがマイペースな口調でそれを遮る。

 

 夜に一人で外に出ても危険が有るわけでもなし、雪ノ下の性格を考えれば一人で行動させたほうが良いだろうと一色は判断した。三浦たちと深い話ができるほどの仲になりたいと企んでいる彼女だが、それも含め彼女の行動原理は「葉山とどんな関係を築くべきか」という課題に直結している。

 

 冷静に考えれば、三浦と雪ノ下の言い争いを暗に煽って参考にすべき情報をより多く仕入れるのが、一色にとっては最も益のある行動のはずだ。少しだけ、なぜか由比ヶ浜結衣に対しては損得を除外して仲良くなりたい気持ちもあるのだが、それ以外の面々と仲良くなる必要はないはずなのに。

 

 同性の友人がいないわけではないが、一色は付き合いを最低限に抑えていた。常に男性を間に介した付き合いにすることで、彼女は女性同士の面倒な関係から免れていた。同じ努力をするのであれば、同性よりも異性と上手く関係を築ける能力を磨くほうが有益に決まっていると、彼女は考えていた。少なくとも今までは。

 

 内心で「なんでわたしが気を回したことを言わないといけないんですかね〜」と不満を漏らしながら、密かに「雪ノ下先輩に一つ貸しですよ〜」などと口を尖らせながら、一色は自分がそれを全く嫌がっていないことに気付いていない。

 

 

 なぜか上機嫌でお風呂の準備を始める一色を怪訝そうに眺めて、その他の面々もまた彼女の発言に沿った形で動き始める。由比ヶ浜と海老名姫菜はこの部屋で三浦とゆっくり話をするために、小町は一色と一緒にお風呂に行くために、それぞれ動き始めた。

 

 そして雪ノ下は一人ログハウスを後にして、木立の中へと歩いて行った。

 

 

***

 

 

 それほど多くはない荷物をさっさと回収して、八幡は再び外に出た。このまま戸塚が待つログハウスに直帰しても良いのだが、月があまりに綺麗なので、すぐに屋内に戻るのがなんだか勿体ない気持ちがする。

 

 八幡は少し迷っただけで、ログハウスとは反対側へと歩みを進めた。木々の間を縫うように、キャンプ場から更にその奥へと八幡をいざなうように道が続いている。

 

 歩きながら左右を見渡すと、夜の暗闇の中でも一面の緑が存在を主張していた。木々はいずれも葉をふんだんに生い茂らせ、風が吹くとざわざわとお互いを擦り合わせる音が響いてくる。

 

 八幡はゆっくりと、ただ道に従って歩いて行った。道を踏みしめる自分の足音が妙に鋭く聞こえてくる。まるで自分と葉っぱと、それ以外の音がこの世から消えてしまったみたいだ。普通なら聞こえるはずの虫の声も、川の水が流れる音すらも。

 

 空を眺めると、大きな月が彼を見下ろしていた。星々もまた都会ではありえないほどの輝きを放っている。自分の周囲を昼間とは全く違った印象にしているのは、月の魔力か。それとも星の光か。いつの間にか立ち止まっていた八幡は、幻想的な世界に知らず入り込んでしまったような心地がした。

 

 

 ふと、かすかな響きが耳に入った。

 

 どれほどの時間、ここで立ち尽くしていたのだろう。八幡は一度は我に返ったものの、音が聞こえてくる方角へと引き寄せられて行く自分の身体をどこか他人のように感じていた。夢心地が続いているようで、八幡は道を外れて危なっかしい足取りで木々の間を歩いて行く。

 

 進むにつれて音は次第に大きくなった。誰かが歌を歌っているようだ。ささやくような、同時に力強いその女声に、八幡は聞き覚えがある。果たして木々の間から、かの黒髪の少女の姿が浮かび上がってきた。

 

 月明かりすら弾き返すほどの白い肌。長い髪は彼女の呼吸につれて静かに複雑に姿を変える。この距離からは表情までは窺えないが、自然体でしっかりと足を踏みしめて、両の拳に力をこめて彼女は歌う。

 

 

“Wenn du versprichst, nicht zu verblassen.”

“Ich werde dich nie gehen lassen.”

“Ich lasse Dich niemals gehen.”

 

 最後に何度か同じフレーズを繰り返して、彼女はゆっくりと歌い終えた。そして月を眺めながらぽつりとつぶやく。

 

「そこに居るのでしょう。比企谷くん、出てらっしゃい」

 

 

***

 

 

 時間をかけて足をしっかりと動かしながら、八幡は雪ノ下が待つ場所まで近付いて行った。歌が終わって風も止まって、自分の足音だけが響いている。やがて彼女と向き合って、辺りは静寂に包まれた。

 

 場違いな役者が舞台に上がってしまったような心地がした八幡だったが、どうやら主演の女優はそうは思っていないらしい。歌い終えて上気した頬を柔らかく整えて、雪ノ下は口を開いた。

 

「どうして、こんなところに?」

 

「なんでだろうな。外に出たら月が綺麗だったから、そのまま適当に歩いてみただけなんだが」

 

 お互いに現実感が失せたような感覚を引きずったまま、二人は会話を始めた。近い距離で見つめ合っているのに恥ずかしさを感じない自分を不思議に思いながら、八幡は素直に答える。

 

「月も綺麗だけれど、星の光も素敵だと思わない?」

 

「だな。月と比べると光は弱いけど、輝きがなんてか違う気がするな。何となく、さっきのお前の歌を連想するっつーか」

 

「私の歌?」

 

「大声で主張してるわけじゃないのに芯の強さを感じるというか。俺は評論家じゃないし上手く説明できないけど、そんな感じの印象を受けたんだわ」

 

 適切な説明ができない自分にもどかしさを感じながらも、八幡は落ち着いてゆっくりと返事を返す。焦らなくとも時間はたっぷりある。この場には他に誰も居ないし、誰にも邪魔されることはない。八幡はなぜかそれらを確信できた。

 

 雪ノ下もまた同じ感覚を共有しているのか、ゆったりと会話の流れを楽しんでいるように八幡には思えた。

 

「そう、それは嬉しいわね。さっきの歌は直訳すると『星の光』というタイトルなのよ」

 

「ほーん。なんか最後のほう、同じフレーズを繰り返してたよな。つか何語なんだ?」

 

「ドイツ語の歌よ。少し古いものの、あちらでは有名な曲なのだけれど。こちらでは一部の洋楽好きにしか分かって貰えなかったわね。聞けば知っているという程度かしら」

 

 少しずつ現実感を取り戻しながら、二人の会話は進む。

 

「最近は中二病でも、洋楽にはまる奴は少なくなってるらしいからな」

 

「貴方が食事の前に言っていたように『趣味が多様化』しているのが理由かしら。共通の話題というものが確実にあれば、もう少し雑談が楽なのだけれど」

 

「お前でも雑談に気を遣ったりするんだな。そういやさっきのフレーズって、どういう意味か聞いてもいいか?」

 

 少しだけ微笑んで、雪ノ下は再び幻想的な雰囲気をまとってゆっくりと口を開いた。お互いに顔を見合わせたまま、歌うように、ささやくように。

 

 

『貴方が、消え失せたりしないと約束してくれるのなら』

『私は決して貴方を離さないわ。絶対に』

 

 

 雪ノ下と見つめ合いながら八幡は思う。曲を知っていたら、返事ができたのにと。彼女が口にしたのは単なる歌詞である以上、そこに必要以上に深い意味を求めるべきではない。だから意味が、会話が成り立つことは重要ではないのだが、曲にまつわる何かを返したいと八幡は思った。ららぽーとでのオビ=ワンとアナキンのように。

 

「星の光って、何年も前のから何億年も前のまであるんだってな。そんなのですら消えねーんだから、人間一人が消え失せるとか心配しなくても良いんじゃね?」

 

 八幡が口に出せたのは屁理屈でしかない。曲を知らない今はこれで精一杯だが、この合宿から帰ったら雪ノ下が教えてくれた歌をきちんと聞こうと八幡は思った。知らなかった過去は取り戻せないが、雪ノ下に教えて貰った歌というスタートは悪いものではない気がした。

 

 そんな八幡の返答を楽しそうな表情で受け取って、雪ノ下は語る。

 

「そうね。とはいえ他人との関係というものは、一瞬で変容することもあるのよ。だから私は約束を求める気持ちも理解できるし、あちらの契約への考え方に頷ける気持ちがあるのだけれど」

 

「そういや、こっちと向こうで契約の考え方が違うって誰か言ってたな。契約書の厚さが全然違うとか、人情が通じないとか」

 

「どちらが良いという話ではないのだけれど、私にとっては曖昧な口約束は対応に困るのが正直なところね」

 

「ああ。そういうのもあってお前、あっちでは楽しく過ごせてたんだな」

 

 雪ノ下が留学先で楽しく過ごしていたと口にしたことを八幡は思い出した。先程の歌もその時に覚えたのだろうし、彼女の中で異国での日々は大切な経験として根付いているのだろう。

 

「別にこちらが楽しくないというわけではないのよ。ただ、根本的なところで私の考え方が伝わらなかったり、逆に他の人の思考や行動が理解できない時があるだけで」

 

「いいんじゃね。俺もそんな時はあるしな。読んだ本の感想とか、全く理解できんやつとか余裕であるぞ。最近だと映画になった『沈黙』とかな。あれを読んで『人間は弱いんだ』とか言って自分の弱さを棚に上げてる奴、絶対に友達になりたくねーなって思うわ」

 

「貴方が言いたいのは、物語の登場人物の行動なり発言なりを勝手に歪めて自己正当化する人たちのことね。そこには同意するのだけれど、私は原作を読んだときに、その『弱さ』に違和感を覚えたわね。それを姉に告げても適当に流されて終わりだったのだけれど」

 

「あれだな。自分の感想が絶対とか思わんし、反論されると腹も立つけど嬉しかったりするよな。流されて相手にされないのが一番、なんというかガックリ来るな」

 

「父の仕事が忙しくない時には、話を聞いて貰えたのだけれど。そんな時ばかりではなかったから」

 

 珍しく自分から家族の話を始めた雪ノ下に、八幡は黙って頷く。雪ノ下も自分と同じように、今この時であれば何を口にしても大丈夫だと、そんな不思議な気持ちでいるのではないかと考えながら。

 

「高校で一人暮らしをする時にも、父には助けてもらったし……。そういえば、貴方は鍋に火をかけている時に漱石を引用していたわね」

 

「ん、そういえばそんなことも言ったな。親父さん、漱石が好きなのか?」

 

「解説を読むために全ての出版社の文庫を購入したり、月報だけを目当てに全集を買い集める程度にはね。貴方なら、三四郎のあれはどう訳すのかしら?」

 

「あれか。”Pity’s akin to love.”だよな。まあ無難に『憐れみは恋に通ず』とかで良いんじゃね。俺に芸術センスを期待しても無駄だぞ」

 

「それも東西で違うのかしら。それとも同じなのか。貴方の意見は?」

 

「わからん。そもそもLOVEとは何ぞや、みたいな段階だぞ俺の場合」

 

 八幡の返事に苦笑しながら、雪ノ下は思い出す。自分に向かって『隼人を暴走なんてさせない』と宣言した彼女の言葉を。あれは果たして憐れみなのか同情なのか。それともあれが愛なのだろうか。それを頭の片隅で考察しながら、軽口を叩く。

 

「でも貴方の場合は、同情や憐れみで寄って来られても拒絶するのでしょう?」

 

「あー、どうだろな。昔は即拒絶してたと思うけど、今はわからんな」

 

 職場見学の後で由比ヶ浜を拒絶して、その後の一週間を経た八幡は、今となってはそれを断言することができなくなった。一口に同情と言っても、行為の主と受け取り手の関係やそれぞれの考え方によって、色々と違ってくるのだと彼は既に知っている。

 

「そうしたことから始まる愛もあると、貴方は考えるのね」

 

 意外ではあったがなぜかすぐに納得して、雪ノ下は頷きながら問いかけた。もしかすると自分はとても貴重な瞬間を目の当たりにしたのかもしれないと考えながら。

 

「あるかもしれんとしか言いようがないな。世の中、知らないことやわからないことは鬼のようにあるよな」

 

「知っていることならそれなりに対処はできるのだけれど。知らないことだと、どうしたら良いのか途方に暮れる時があるわ」

 

 彼女には珍しい弱音も、この場であれば口にしても平気な気がしたのだろう。実際に八幡は彼女の言葉を流すことなく、思ったままの返事を口にする。

 

「それが普通だろ。つか、一度経験しただけで次からほぼ完璧に対処できるとか、普通は無理だってお前知ってる?」

 

「あら。二度も三度も同じ失敗を繰り返すのは悔しいじゃない。それに他人の失敗から学ぶことができれば、自分で失敗するのは更に少なくて済むわよ」

 

「だから常人にはそれが難しいんだっての。まあせいぜい俺の失敗を糧に危機を乗り越えてくれ」

 

「貴方の黒歴史全てを体験するのは難しいと思うのだけれど。貴方が真剣に向き合った失敗は、それを見ていた私も乗り越えたいと……乗り越えると()()するわ」

 

 少しだけ八幡をからかった後で、雪ノ下は何を想定したのだろうか。八幡には具体的な内容は分からなかったが、目の前の女の子の決意だけは強く伝わって来た。

 

「良く分からんけど、お前なら大丈夫だろ。つかあれだ。言葉の端々で俺を攻撃してくるの、もう少し手加減してくれませんかね?」

 

 今日どこかで言われたことを朧気に思い出して、しかし明瞭には思い出せない自分にもどかしさを感じつつ雪ノ下は口を開く。言葉を発しながら、ようやく思い出した。三浦が小町に語っていた話だ。

 

「手加減が必要なら……。もしも貴方が不快に思っているのであれば、私も控えようと思うのだけれど?」

 

「いや、不快ってほどじゃないっつーか。なんか妙に優しいけど、お前ホントに雪ノ下か?歌の精霊とかじゃねーよな?」

 

「さすがにその言い方は酷いのではないかしら?」

 

「あー、すまん。今のは俺が言いすぎた」

 

 八幡の素直な謝罪に、雪ノ下は静かに首を横に振って応える。少しだけ、あの時の三浦の意図が解ったような気がした。それを目の前の男の子に悟られないように、雪ノ下はわざと美禰子が三四郎に語りかけるような口調で返事を終える。

 

「手加減が必要だったり不快に思う時があれば、その時は遠慮なく言っていらっしゃい」

 

「……何だよその言い方は。あれだ、そのうち言い負かしてやるから、手加減とかもやっぱ無しな」

 

「ええ。楽しみにしているわ」

 

「全く信じてねーだろ。いつか、お前を、口で負かす」

 

 言っていることは小学生並みで情けないのだが、自分に本気で対抗しようとする姿勢を新鮮に感じて、雪ノ下は思わず八幡の発言を繰り返す。

 

「いつか、私を……。楽しみにしているわね」

 

 

 その後は特段の話をすることもなく、二人で静かに月夜の空を眺めて過ごした。先に帰って欲しいと言われ、八幡は素直にそれに従った。最後に「また明日」と顔を向け合って約束して、八幡は振り返る事なくゆっくり足を進めた。まるで後ろを向いてしまえば全てが台無しになると怖れているかのように。

 

 雪ノ下と別れログハウスへと帰る道すがら。八幡は遅まきながら、彼女が母の話を一切口にしなかったことに気が付いた。

 




著作権を尊重して、作中の楽曲は歌詞に変更を加えた上でドイツ語に翻訳しました。
原曲の歌詞は英語で、知名度は作中で語られている通りです。

次回は月曜か火曜に更新する予定です。
来週末は一度お休みを頂いて、次々回は連休明けの月曜日に更新する予定です。
ご意見、ご感想、ご指摘などをお待ちしています。

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