俺の青春ラブコメはこの世界で変わりはじめる。   作:clp

81 / 170
本話は途中からシリアスな内容になります。文字数も多いのでご注意下さい。

以下、前回までのあらすじ。

 個室に荷物を取りに戻った八幡は少し散歩をすることにした。一方、頭を冷やすために外に出た雪ノ下は木々に囲まれた環境で静かに力強く歌う。その歌声に引き寄せられた八幡は雪ノ下と二人きりで、ゆったりと話に興じるのだった。



08.がっつりと彼らは本音で語り合う。

 比企谷八幡はだらだらと道に沿って歩いていた。行きには気付かなかったが、どうやら彼はずいぶん遠回りをしていたらしい。

 

 雪ノ下雪乃が指し示した方角に向かうとすぐに道に出て、そこは彼らが男女別で泊まっているログハウスからさほど離れていなかった。行きには三角形の二辺を費やした行程が、帰りは一辺で済んだ形だ。

 

 不思議なことに、先程は聞こえなかった川のせせらぎや虫の声が、うるさいぐらいに八幡の耳に入ってくる。こんな状態では、さっきの場所で雪ノ下が歌声を張り上げたところで誰にも気付かれないだろう。

 

「あ、ヒッキー!」

 

 八幡がそんなことを考えていると、付近の雑多な音を切り裂くような元気な声で呼びかけられた。こちらに向けて手を大きく振り回しながら、由比ヶ浜結衣が道の向こうに立っていた。

 

「こんなとこで、どうしたんだ?」

 

「えーと……。ちょっとゆきのんがね、お散歩に行っちゃって。帰りが遅いから探しに行った方がいいのかなって」

 

「この世界なら危険もないし大丈夫じゃね。そのうち帰ってくるだろ」

 

「それはそうなんだけどさ。でも……。あれっ、ゆきのんの匂い?」

 

 雪ノ下と三浦優美子が衝突したことは口に出さず、由比ヶ浜は適当な言い訳を八幡に告げた。雪ノ下の帰りが遅いので心配しているのも事実だが、大勢が居る場ではできない話をしたいというのが主要な理由だ。

 

 八幡は先程まで雪ノ下と一緒に過ごしていただけに、彼女の安全を保証しようと思えばできるのだが、何となく二人で逢っていたことを口にしないほうが良いような気がして一般論で返した。しかし由比ヶ浜が妙なことを言い始めたので、慌てて口を開く。

 

「カレーの匂いの間違いだろ。つか何かあったのか?」

 

「あ、うーん。明日になったら分かるかもだけど、今はちょっと」

 

「そか。じゃあ俺はこれで」

 

「ちょ、ヒッキー待つし。ゆきのんが帰って来るまででいいから、ここで一緒に待ってくれると、その、助かるんだけど……」

 

 おどおどと提案してくる由比ヶ浜を見ていると、八幡も邪険には扱いづらい。秘密を抱えている後ろめたさもある。一緒に探しに行くとなると色んな意味で面倒だが、ただ待つだけなら労力も隠蔽工作もほぼ必要ない。

 

 わざとらしく一つ大きく息をついて、八幡は目についた巨大な石の上に腰を下ろした。

 

 

 由比ヶ浜が自分のすぐ横におそるおそる座ってくるのを見て、必死に呼吸を落ち着けながら八幡は口を開く。直前に匂いの話が持ち上がったせいで、由比ヶ浜の匂いをつい意識してしまう。

 

「ここからだと、女子だけじゃなくて俺らのログハウスも見えるんだな」

 

「うん。これ以上離れちゃうとどっちも見えなくなっちゃうし、行き違いになるのも嫌だしね」

 

「メッセージは?」

 

「あ、そっか。って、平塚先生から何か来てるんだけど」

 

「げ。こっちにも来てるけど、長いな。要約すると『一定時間以上、夜に外を出歩いたら引率者に連絡が入る』ってことと、『小学生と違って具体的な位置は判らない』って状態みたいだな。疚しいことがないなら返事をしろってさ」

 

「や、疚しいことって……」

 

 恥ずかしさが急激に閾値を超えたのか、はたまた何を想像してしまったのか、由比ヶ浜が即座に顔を赤らめて口ごもる。すぐそばに座る女の子のそうした反応に、八幡もまた慌てて口を開く。

 

「あー、その、あれだ。同じ部活なんだし、さっきの話し合いのこともあるからな。別に俺らが外で喋ってても、疚しくも何ともないだろ。たぶん」

 

「そ、そうだよね。あたしも別に……。あ、じゃあ真面目な話し合いをしなくちゃだね?」

 

「まあ別に雑談を挟むぐらい良いだろ。平塚先生がその辺りから監視してるわけでもないだろうし」

 

 自分で言っておきながらあの先生ならやりかねない気もして、思わず念入りに付近を見渡す八幡だった。返事をする件については二人の頭からすっかり抜け落ちている。

 

 せっかくなのでと必死に話題を探して、由比ヶ浜が口を開いた。

 

「雑談……。ヒッキーって、外で喋るのは疚しかったり嫌だったりしないよね?」

 

「夏休みになんか奉仕部で集まるって話か?」

 

「……そうだね。前に言ってた映画とか、あと花火大会とかもあるみたいだし」

 

 自分が「二人きりで」という部分を曖昧にしたのが原因なのだし仕方がないと、由比ヶ浜はすぐに気持ちを入れ替えて話を続ける。たとえ三人で行く形になっても、行けないよりはマシだと思いながら。

 

「まあ、そのうち……じゃねーな。行けそうなら行くから、連絡くれ」

 

 いつまでも彼女らに気を遣わせるわけにはいかないと、八幡は少しだけ前向きな返事をした。意外そうに見つめてくる由比ヶ浜に照れ臭さを感じながらも、八幡は言葉を続ける。先程もう一人の女の子と話していた時と同じ自然な口調で、そっぽを向きながら。

 

「お前らと遊びに行くのは、嫌じゃねーよ」

 

 いつか複数形が取れる日が来ればと思いながらも、由比ヶ浜は八幡の言葉に喜びをこらえることができない。自分だけではなく、八幡があの少女にも親しい気持ちを持っていると確認できたことがこんなにも嬉しいとは。もしかしたら最大のライバルになるかもしれないのに。

 

「うん。じゃあ連絡するね!」

 

 一瞬で元気を取り戻して、由比ヶ浜はいくつかのイベント計画を頭の中で立ち上げる。機嫌良く足をぶらぶらさせて、今にも鼻歌を始めそうなほど上機嫌な彼女を、八幡は苦笑しながら眺めていた。沈黙が苦にならない八幡はそのまま由比ヶ浜を見守る。

 

 

 不意に、背後から足音が聞こえた。音の主は静かに二人に話しかける。

 

「こんなところで何をしているのかしら。由比ヶ浜さん、逢い引きがやくん?」

 

 そう口にした雪ノ下の目尻には、優しい笑みが浮かんでいた。

 

 

***

 

 

 引率者用のログハウスに招き入れられた四人は、中の様子を見てしばし立ち止まってしまった。

 

 四人が居る入り口の方角に向けて長机が伸びていた。こちら側とむこう側と、長机の両端には椅子が二つずつ近い距離で置かれている。机の真ん中辺り、いわゆる依頼人席にも一つ椅子が用意されていて、そこに座った平塚静が来訪者を楽しそうに眺めていた。

 

「部室みたいで盛り上がっちゃうね。ゆきのん、行こっ!」

 

「じゃあ、小町とお兄ちゃんはこっちの椅子ですね」

 

 雪ノ下と由比ヶ浜がいつもの席に向かうのを見て、以前に依頼の付き添いで部室を訪れたことのある比企谷小町も淀みなく動いた。八幡もまた普段通りの席につく。全員が腰を落ち着けるのを待って教師が口を開いた。

 

「個別に呼び出そうかとも思っていたが、やはり君たちは縁が深いのかもしれないな。各々、どうして外に出ようと思ったのかね?」

 

「軽い散歩の予定が、星の光が綺麗でつい長居をしてしまいました」

 

「ゆきのんの帰りが遅いから、探しに行った方がいいのかなって」

 

「結衣さんが居なくなって、いろはさんはお風呂から帰って来ないし布教が始まっちゃうしで逃げてきました……」

 

 奉仕部三人が集まって平塚先生にどう返事をしようかと悩んでいたときに、小町がもの凄い勢いで飛び出してきた。その時は事情が判らなかったが、長風呂にも布教にも付き合いきれなかったということなのだろう。小町にいつもの元気が無いのも納得だと、深く頷いてしまった面々だった。

 

 少しだけ雪ノ下を見やって、八幡が最後に口を開いた。

 

「月を見てたら、すぐに寝るのが勿体ない気がしたんですよ。適当に歩いてたら由比ヶ浜がいて、そこに雪ノ下が来たんだっけか?」

 

「最後に小町さんが加わって、平塚先生に連絡を入れたらここに招待して頂いたという流れですね」

 

 八幡に頷きながら話を引き取って、雪ノ下が説明を終えた。

 

 先ほど何となくで由比ヶ浜に隠した時とは違って、今の八幡は意識的に情報を隠した。この場の面々にすら話せない秘密ができたことに八幡は内心でびくびくしていた。雪ノ下が堂々として見えるだけに、これは性格の違いなのか男女の違いなのかと考え込んでしまう八幡だった。

 

 

***

 

 

「では奉仕部の臨時集会を始めようか。部外者というと葉山たちには気の毒だが、ここには身内しかいないと考えて、思ったままを喋ってくれたまえ。言い過ぎを気にせず、逆に他者が言い過ぎた時にはためらわず指摘できるような、そんな話し合いが理想だな」

 

「ある種の無礼講ですね。思った事はそのまま口にしろと。とはいえ、議題を教えて頂かないことには……」

 

「雪ノ下の指摘も尤もだな。では最初に比企谷との合流についての話をしよう。詳細を教えてくれるかね?」

 

 平塚先生の進行で話し合いが始まった。小町や八幡は意外な議題を耳にして不思議がっているが、雪ノ下には思うところもあり、顧問への報告に慣れていることもあって、簡潔に経緯を説明する。

 

「なるほど。比企谷と現地で合流してビックリさせようとしたことは、黙認した私に最終責任があるな。だがその口ぶりだと雪ノ下は既に問題点を把握できているのではないかね?」

 

 なるべく判決を押しつけるのは控えて、できれば生徒たちだけで気付いて欲しいと考えながら、教師は話を誘導する。

 

「話の流れで合宿の詳細を説明できなかったという言い訳はありますが、現地での結末を高い確率で予想しながらも、比企谷くんを騙す形で話を進めた私に問題があったと思っています」

 

「え、それってゆきのんだけの責任じゃないじゃん。あたしだって、部室では分かってなかったけど、合宿の詳しい話を聞いてもヒッキーに何も言わなかったんだしさ」

 

「由比ヶ浜さんは何度も『大丈夫かな』と口にしていたでしょう。それを押し通したのは私なのだから」

 

「お前らな。別に俺は気にしてないから、責任とか問題とか考えなくていいぞ。そもそも、普通に誘ったら俺が逃げると思ったから、こんなやり方にしたんだろ?」

 

「お兄ちゃんもこう言ってますし、気にしなくても良いと思いますよー」

 

 気楽な調子で小町が兄の言葉に続く。肉親ゆえに、休日でもなかなか外に出ようとしない八幡に手こずった経験が多々ある小町は、兄の言葉を額面通りに受け取っていた。

 

 だが雪ノ下は、柔らかい表情で諭すように小町に語りかける。

 

「小町さん。先程の三浦さんの忠告を覚えているかしら。適当な扱いはダメだと言っていたと思うのだけれど」

 

「確認した方がいいって話ですよね。でも雪乃さんも言ってませんでしたっけ。確認しなくても分かり切ってるなら問題ないっていうか、逆に相手を疑ってるようで失礼かなって思うんですけど」

 

「私もそう思っていたのだけれど、お互いの気持ちを何度も確認するのも悪い事ではないと思い直したのよ」

 

 木々に囲まれて彼と会話をしたつい先程のことを雪ノ下は思い出す。

 

「うーん。でも三浦さんだって、戸部さんの扱いはかなり適当ですよね。真剣に言ってくれてたのは分かるんですけど、あんまり説得力が無いっていうか、例外が多くありそうだなって」

 

「とべっちは、こっちが確認する前に『大丈夫』って言ってくる感じなんだよね……」

 

「それも鬱陶しいほど頻繁に、だろ?」

 

 苦笑しながら由比ヶ浜が話に加わって、それに八幡が口を添える。男子会を経たためか、言葉の割には彼の口調は穏やかで親しげなものだった。誰かが新たなカップリングを見出す日も近いのかもしれない。

 

「じゃあお兄ちゃんはさ、仕組まれた形で合流したのって、実は嫌だったの?」

 

 何となく兄までが自分に反対の立場に思えて、小町は少しだけふくれた表情を浮かべながら質問を投げた。そうではないと即座に否定して欲しいと思いながら。

 

「あー、仕組まれるのが嫌っつーか、それはもう六月に散々話し合ったことなんだけどな。雪ノ下も由比ヶ浜も覚えてるよな」

 

「……そういえばそうだったわね」

 

 もちろん雪ノ下も覚えているが、彼女が考えていた以上に八幡はあの時のやり取りを大事に思ってくれているのかもしれない。八幡の言い草からそんなことを考えてしまい、少し反応が遅れてしまった。

 

 普段は打てば響くような反応を返す雪ノ下が一拍遅れたことに、八幡は少し怪訝そうな表情を見せる。だが何かを気にしているのであればきちんと否定すべきだと考えて、彼は素直に思うところを述べた。

 

「それよりも、ぶっちゃけ策を弄さないと俺が参加しないって思われてるのが情けないっつーかな」

 

「えっ?」

 

 期せずして女子生徒三人の声が重なる。それに少し怯えながらも、八幡は言葉を続けた。

 

「こんな事でお前らに気を遣わせるのも悪いなって、最近やっと思えて来たんだわ。特に小町には昔から迷惑かけたしな。だからまあ、何かあったらストレートに訊いてくれたらいいし、その代わり頻度とかは考慮してくれ。平均よりも面倒な事を嫌がる率は高いから、その辺を斟酌してだな……」

 

 何やら八幡が色々と予防線を張っているようだが、三人の耳には届いていない。小町は兄の成長を、雪ノ下と由比ヶ浜は彼の変化を喜んでいる。しかし、それでこの話し合いが終わるわけではなかった。

 

 

「比企谷の変化は好ましいが。自分の方が気を遣いすぎていると、そうは思わないかね?」

 

「どういう事ですか?」

 

 教師が問いかけを発して、女子生徒たちは一瞬で口をつぐみ、八幡は意外そうな表情で詳細を求めた。

 

「雪ノ下や由比ヶ浜、小町くんに気を遣わせないようにと、君自身が気を遣いすぎているのではないかという事だよ。だが、まずは話を戻そう。雪ノ下は今回の自分の行動についてどう分析しているのかね?」

 

「職場見学の班分けの時に、比企谷くんが私たちと同じ班になるわけがないと思い込んで大口を叩き、墓穴を掘ったことがありました。あの時は偶然でしたが、比企谷くんの憮然とした表情が何だか可笑しくて、それを意識的に再現しようと思ったのが原因だと思います。結果として、その目的のためには部員を騙したり陥れても罪を感じない心理状態に至っていました」

 

「ふむ。過度の自省、とまでは行かないか。気付いたきっかけは?」

 

「先ほど話題にした三浦さんの忠告と、それから……。実は今日、口にした後もずっと違和感を抱いていた発言があります。合流直後に比企谷くんに向かって『伏してお詫び申し上げ謹んで訂正させて頂きます』と言ったのですが。こちらとしては冗談のつもりでも、それは三浦さんが言った『虐める側の言い分』でしかないと、やっと理解できました」

 

「おい。俺は別に虐めとか思ってねーぞ」

 

「貴方がそう思うのは自由なのと同じように、私も自分の考えに至らぬ部分があったと認めるのは自由だと思うのよ。貴方が虐めだと思っていないから自分に過ちは無いなどと、そんな厚顔無恥は御免だわ。貴方だって、自分が悪いと思った時には素直に謝っているじゃない」

 

「あー、じゃあ言わせて貰うがな。お前って友達少ないし、対等の立場じゃないのがほとんどだろ。尊重される形が基本でお前もそれに応えようとするから、誰かを弄るとか今まで縁が無かったんじゃね。要は経験がなかったんだから、一度エスカレートするぐらい仕方ねーだろ。その日に気付いたんなら、さっさとクーリングオフして無効だ無効」

 

 八幡が厳しい言葉を並べ立て始めたことで由比ヶ浜と小町が心配そうな表情になったが、当の雪ノ下に変化は見えない。まるで自分を擁護してくれる結論になると分かっていたかのように、彼女は八幡が話し終えるのを待ってすぐに口を開いた。

 

「それが先ほど平塚先生が貴方に言った問題点よ。私を気遣ってのことだと解ってはいるのだけれど、相手に反省の機会を与えないのは単なる傲慢だわ」

 

「えーと、つまりヒッキーが色々と背負い込みすぎってことなのかな。あたしたちが間違った時にも責めないどころか気付かせない、みたいな感じ?」

 

 話の内容が難しすぎてなかなかついて行けないものの、何となく感覚で問題点を察して、由比ヶ浜が口を挟んだ。だが八幡は強引にでも話を逸らそうと、茶化すような口調で返す。

 

「ばっかお前、細かいことをいつまでもうじうじと責め続けるのが俺だぞ。そんな格好いいこと……」

 

「お兄ちゃんって、どうでもいいことだとそんな感じだけど、小町が本気で悩みそうなこととかは先回りして潰そうとするもんね」

 

 だが投げやりな口調で小町が八幡の発言を遮った。一つため息をついて、彼女はそのまま言葉を続ける。

 

「小町にもやっと、三浦さんが言いたかったことが解ったよ。お兄ちゃんには『気兼ねなくイタズラができる』って思ってたけど、それって小町が甘えてただけで。本当は小町が無理強いしちゃいけないことだったんだなって」

 

「小町は別に……」

 

「男子が弄りとかやってるの見て、最低だって思ってたのに。お兄ちゃんが嘘告白とかされて、どんなに辛いか知ってたのに。お兄ちゃんが平気そうにしてても、嫌な事が全く無いわけじゃないって分かってたのにな。なんで小町、『悪意のないイタズラを気兼ねなくやり合える仲間』ができて良かったとか考えてたんだろ。小町がしてることを、他の人を持ち出して言い訳してただけじゃん。自分に悪意が無いからいいんだって、正当化してただけじゃん……」

 

 声を荒げることもなく淡々と、しかし今にも泣き出しそうな声で小町が独白を終えると、教師が静かに口を開いた。

 

「比企谷。君は調理の時に『善意であっても』と言いかけて、小町くんたちに気を遣って途中で止めただろう。漱石の話を出した時だ。悪意が無くても、時には善意であっても重たく感じる時があると、素直に口に出したほうが良いと私は思う。少なくともこの場に居る彼女達なら、君も今さら発言を曲解されるとは思わないだろう?」

 

 八幡が周囲を見回すと、心配そうにおろおろしている由比ヶ浜はともかく、行動と発言を悔いて厳しい表情の雪ノ下と沈んだ表情の小町にはかける言葉が思い浮かばなかった。自分としては一つ足を踏み出したつもりだったのに何故と、八幡は現状の不条理を恨み、そこで踏み止まる。

 

 

 そして八幡は静かに口を開いた。

 

「善意でもしんどい時があるってのは、先生が言った通りです。けど、やっぱり俺は善意と悪意の間で区別を付けるべきだと思いますよ。今回の合流の時に小町や雪ノ下にいらっとしなかったと言えば嘘になりますけど、嫌じゃなかったのも確かなんですよ。その、正解か間違いかで言えば間違いだとは思いますけど。お前らをそこまで落ち込ませるような失敗じゃないって俺は思う」

 

 最後に雪ノ下と小町を順に見やって、八幡は静かに言葉を付け加えた。そして少し間を置いて、教師と目を合わせて再び口を開く。

 

「さっき言ったように、俺も少しずつですけど変わりたいと思ってます。同級生の大部分とは仲良くできねーなって今でも思ってますけど、ごく一部とはそうじゃないって。ただ、偉そうに雪ノ下に言っておいてあれですけど、俺は少ないどころか友達関係皆無でしたし、色々と間違えまくるんじゃないかなって」

 

「その時はあたしたちが『違うかも』って言えばいいじゃん。その代わりヒッキーも、あたしたちが何か間違ったことをしたら、ちゃんと教えて欲しいな。ゆきのんも小町ちゃんも、それでいいよね?」

 

 二人が神妙に由比ヶ浜に頷き返すのを見て、教師が口を開いた。

 

「比企谷の変化は間違っていないと私は思う。同時に、過剰な優しさは誰にとっても良くないことだ。それさえ覚えておいてくれたら、今回の君たちの失敗は無駄にはならないと私は思うんだがな。では、改めて乾杯といこうか」

 

 各々が好みの飲物を注ぎ足してグラスを合わせ、しばし無言でお菓子を頬張る。こうしてこの夜の議題が一つ終わった。

 

 

***

 

 

「そういえば、小町くんはだいたい知っているとして。雪ノ下と由比ヶ浜は、比企谷の過去の話を知りたくはないかね?」

 

 思わず飲物を吹き出しそうになる八幡だった。もう俺の話題は勘弁してくれと、じとっとした目で教師を見るものの、残念ながら効果は無さそうだった。

 

「真面目な話を蒸し返すことになるかもしれませんが、過去に同級生からどんな扱いを受けていたのか、私は知りたいと思います。今回の小学生の問題を見て、余計にそう思いました」

 

「あたしも知っておきたいなって思う。ヒッキーは、昔の自分のことがあるからあの女の子を助けたいってわけじゃないんだよね?」

 

「そうだな。なんてか、誰かに自分の過去を勝手に重ねて同情するのは嫌なんだわ。するのもされるのもな」

 

「ヒッキーが言いたいことは何となく解るよ。ゆきのんは?」

 

「同情が嫌という話なら同感ね。助ける理由ということであれば、私は比企谷くんよりも先に由比ヶ浜さんの話を知りたいわね。おそらく貴女も、留美さん……あの小学生の女の子と同じような経験をしたのでしょう?」

 

「留美ちゃんって言うんだ。あたしの過去なんて、正直どこにでもある話だと思うよ。順番が来てみんなから距離を置かれて、ごめんなさいって謝るのを繰り返してただけで。あたしはかなり悩んじゃったほうだけど、これで仲間扱いして貰えるって喜んでた子も多かったし」

 

「考え方は人それぞれだとは思うのだけれど。私としては、由比ヶ浜さんのようにあの子が悩んでいるのであれば、力になりたいと思っただけよ。それに……」

 

「えっ。ゆきのんが留美ちゃんを助けるのって、あたしのためってこと?」

 

「それだけではないのだけれど、あの子を見て貴女の小さな頃を想像したのは確かね。だからあの子にも、貴女のように素直に育って欲しいと思ったのよ。もしかしたらあの子の現状を見て、自分の過去を重ねて悩んでいる人も居るのかもしれないわね」

 

 ずっと直視することを避けていた幼馴染みの顔を自然と連想しながら、雪ノ下はそう付け加えた。自分の厳しい態度を見て、当人も周囲もおそらく勘違いしていることだろう。だが不思議なことに、彼への反発や苛立ちは、あの小学生の女の子を見た時になぜか消え失せてしまった。

 

 それは精神的な余裕の現れなのかもしれない。今が満ち足りたものであれば、過去に拘泥する必要は薄れるものだ。雪ノ下にはそれ以上の解釈は不要だったし、おかげで色んな事に気付けた気がした。

 

 彼があの小学生を通して誰を見ているのか。彼が今なお過去に拘っている理由を雪ノ下は充分に理解している。だからこそ、見込みのない行動を認めるわけにはいかない。こちらから手を差し伸べる気は起きないが、誰よりも彼自身のために、失敗を重ねさせるわけにはいかない。

 

 この夏までの、悪い意味で彼を意識していた彼女であれば、失敗すると知りながらも彼を煽っていたかもしれない。だが今の彼女に彼を意識する理由は無い。そして雪ノ下は、自分とはもはや無関係に近いからといって、昔馴染みを見放せるような性格ではなかった。彼女の優しさがそれを許さなかった。

 

 

「雪乃さんって、あの子に自分を重ねてたわけじゃないんですね。その、雰囲気とか似てるからかなーって思ってたんですけど」

 

「あ、あたしも思った。あの子、ゆきのんと少し似てるよね。だから、ゆきのんが助けたいならあたしもって思ったんだけど」

 

「すげーきっぱりと助けるって言い切ってたから、どんな風の吹き回しかと思ったんだが。由比ヶ浜のためとはな」

 

「比企谷。雪ノ下はとても優しい子だよ。その雪ノ下が由比ヶ浜のためにあの子を助けたいと思い、由比ヶ浜は雪ノ下のためにそれを手伝いたいと思う。昨今の少年漫画でもここまでの関係は珍しいのではないかね?」

 

 平塚先生が最後に少し冗談を加えたものの、褒め殺しにあった雪ノ下は恥ずかしさにいたたまれず挙動不審に陥っている。それを見た八幡は昼間の光景を思い出して、そのまま口を開いた。

 

「そういやお前、三浦と一色が一緒に遊びたいんじゃねって言った時も照れてたよな」

 

「あれは不覚だったわね。その、三浦さんとはそうした話も出ていたのだけれど、一色さんは意図が解らない部分があったのよ。それに年下との親しい関係は今まで無かったことなので……」

 

「あー、そっちか。確かに何を企んでるのか分からん部分はあるけど、適当に付き合ってやりゃ良いんじゃね?」

 

「他人事だと思って。話を戻すわよ。比企谷くんと小町さんは、あの子をどうして助けたいと?」

 

「小町はお兄ちゃんの状況を重ねてたってのが理由ですね。でもお兄ちゃんが乗り気じゃなかったから、無理に手を出さない方がいいのかもって思ったりして」

 

「乗り気じゃないっていうか、状況が分からんという感じなんだよな。俺の場合は過去の経験とか色々あったし、ぼっちの立場で虐めの光景とか見てきたからな。本人が困ってて、俺にできることがあるならって感じだな」

 

 お世辞にも良い経験だとは言えないが、それも使いようではないかと八幡は考え始めていた。今までは自虐ネタにするぐらいだったが、自分が少し積極的になるだけで新たな使い道が出て来るのではないか。それが困っている誰かを助けることに繋がるのなら、何だか不思議なことだと八幡は思った。

 

 そんな八幡の微妙なニュアンスを読み取って、雪ノ下は端的な質問を発する。

 

 

「貴方は過去に、虐められていたわけではないのね?」

 

「だな。大抵は無視っていうか、居ないものとして扱われてた感じだな。俺が何かをやらかした時には一斉に攻撃されたけど、それも機序がよく分からんっつーか。他の連中と同じような事をした時でも俺だけ変な風に言われるんだよな。ただ、ほとぼりが冷めたら普段は蚊帳の外って感じで。他の虐められてる奴とかは四六時中だから大変だなーとか思ってたわ」

 

「他に虐められている生徒が居た場合でも、貴方が何か目立つことをした時にはすぐさま標的になるという感じかしら?」

 

「だいたいそんな感じだな。あとそういう時って、その虐められてた奴が真っ先に何かを言ってくるんだよな。俺っていう新しい標的に役割をなすり付けてやろうとか、そんな風に必死になるならまだ解るんだが。説明しにくいけど、当人は全く悪い事だと気付いてない感じなんだよな。善意でやってると思い込んでたり。他の連中に厳しい事を言われる前に優しく言い聞かせてやってるんだ、とか意味不明なことを言われたりな」

 

 八幡本人は虐めではなかったと言っている。彼の発言通りであれば、嫌な目に遭う頻度も普通の虐めよりは遙かに少なかったのだろう。だからといって、目の前の男子生徒の過去を虐めではないと言い切ることは、この場に居る女性たちにはできなかった。特に、自分の発想や行動は善意に基づいたものだと思い込んで失敗したばかりの小町には。

 

 確かに彼のケースは悲惨な虐めとは趣が異なる。八幡の過去の体験を虐めという言葉で表現するのは難しいかもしれない。しかしそれでも、彼が一般的な虐めの被害者と比べて苦しまなかったという話にはならないはずだと彼女らは思う。

 

 考え込んでしまった生徒たちに代わって、教師が話を促す。

 

「なるほど。しつけだと思い込んで暴力をふるうという虐待の形に似ている気がするな。続けたまえ」

 

「あ、そういえば虐待された子供が親になったら虐待する率が高いって、何かで読んだ記憶がありますね。そういう関係しか知らないからとか、そんな環境を乗り越えて自分は親になったんだからとか、そんな風に考えるみたいで。それを知った時は、何だかやるせないなって思いましたけど」

 

「虐待の連鎖にも色んな理由があるみたいだが、予防や対策の面から理由付けをしたものは頷けるものも少なくないな。例えば親の自己評価が低いという点に注目して、そこを改善しようと取り組む動きは真っ当なものだと私は思うよ。それと……虐待と関連付けるのであれば、君が受けていたのはネグレクト、日本語で言う育児放棄に近い扱いではないかな」

 

 わずかに言い淀んだものの、教師は思い付いた事を結局は口にした。この程度の指摘など、自慢の生徒たちなら乗り越えてくれるだろうと考えて。

 

「ということは、俺が受けてたのって虐めになるってことですかね?」

 

「私に言えるのは、軽く流して良い話ではなかったということだな。それと、君が素直に育ってくれて良かったと私は思っているよ。これは先ほど雪ノ下が由比ヶ浜に言った言葉だったかな」

 

 ここからは生徒たちに会話を委ねようと、平塚先生は温かい微笑を浮かべながらそう締め括った。言及を受けた二人の女の子はいずれも照れ臭そうにしている。そして意外なことに、真っ先に口を開いたのは最年少の少女だった。

 

「その、ちょっと小町の意見を言いますね。多分お兄ちゃんを無視してた人たちって、お兄ちゃんが一人で居ても平気そうにしてるのが、理解できなかったんじゃないかって思うんですよ。だからお兄ちゃんが何かやらかして、あの人たちにも理解できるような攻撃の理由ができたら実行して。普段はどう扱ったらいいのか分からないから距離を取ってたとか、そんな感じかなって」

 

「要は、俺がぼっち気質なのが問題だったってことか?」

 

「うーん、ちょっと違うかな。もしお兄ちゃんがぼっち気質じゃなくて一人で居るのを辛く思ってたら、普通に虐めになってたと思う。だからそれが問題っていうよりは、ぼっちがお兄ちゃんを救ってくれたって言うかさ」

 

 ぼっちが自分を救ってくれた。それは八幡にとって嬉しい指摘だった。とはいえ妹の発言の裏側にある感情を見逃すわけにはいかない。八幡は照れ隠しの気持ちもあって、おどけた口調で小町に問いかける。

 

「ほーん。なんかそれ、しっくり来るな。てか、言ってる内容は的を射てると思うんだが、それ以前に小町ちゃん、まださっきのことを気にしてるでしょ。しつこい人は嫌われちゃうわよ」

 

「うん、謝るからその話し方は止めて。でも小町だってさすがに気にするよ。なんで今日の朝までに気付かなかったんだろって思っちゃうもん」

 

「それは今お前が言った通りだろ。俺が一人で居ても平気なぼっち気質だったから、俺に知り合いができた時にお前もどう受け止めたら良いのか分からなかったんだろ。要は雪ノ下や俺と同じで、お前も未経験のことだったんだから仕方がないって諦めろ」

 

「ヒッキー、謎の説得力だし」

 

「小町さんが落ち込んだままだと、私も反省が足りないのかと思ってしまうのだけれど。だから悔やむ気持ちは胸に秘めて、この先の話をしましょう」

 

 仲の良い兄妹のやり取りに由比ヶ浜が苦笑して、雪ノ下は力強く手を差し伸べる。小町が頷くのを確認して、雪ノ下は再び口を開いた。

 

 

「比企谷くんの過去を応用するのであれば、留美さんが一人でも平気な強さを身に着ければ問題は解決する気がするのだけれど。実現性は正直疑問ね」

 

「お兄ちゃんは例外として、そんな簡単に平然とはできないですよね」

 

「あたしがハブられてたのってホントに短かったけど、それでもかなりしんどかったからね。今まで普通にできてたことができなくなったりするしさ」

 

「俺のを強さと言って良いのか分からんけど、周りに同調していない時点で、あいつもかなり強さを発揮してる気がするけどな」

 

「そうね。少なくとも、『自分の弱さを棚に上げて』弱い者虐めに精を出す人たちよりも、留美さんのほうがはるかに強いと思うのだけれど。残念ながら多勢に無勢なのよね」

 

 先程の二人だけの会話を意識的に織り込みながら、雪ノ下はそう答えた。横目で軽く確認しただけだが、『沈黙』の感想に文句を付けていた彼にも意図は伝わっている様子だ。話し合いの疲れを少し癒やせた気がして、雪ノ下はここからどう話を進めるかを考える。

 

 だがそこで、教師からの指摘が入った。

 

「あまり口を挟みたくはないが……この場合、強さは両刃の剣になる可能性も高い。もう少し慎重に考え直した方が良いのではないかね?」

 

「どういう意味ですか?」

 

「ふむ、比企谷でも解らないか。他もそうみたいだな。弱さこそが大事な場面もあるということなのだが……。さっきも言ったが、調理の時に雪ノ下と比企谷は漱石を話題にしていたな」

 

 平塚先生が意外な話を始めたのだが、名前が挙がった二人はつい先程の三四郎の話題を思い出していた。内心の狼狽を何とか外に出さないようにして、二人は軽く頷く。

 

「君たちなら藤村操の話を知っているだろう?」

 

「華厳滝ですね」

 

「たしか漱石の一高での教え子でしたっけ。自殺直前に叱りつけたのを漱石が苦にしていたとか、そんな感じでしたよね?」

 

「由比ヶ浜や小町くんが知らないのも無理はないので安心したまえ。今から百年以上前に、雪ノ下が言った華厳滝で自殺した高校生の名前だよ。ちょうど比企谷たちと同じ年齢だったはずだ」

 

 残る二人に配慮しながら、教師は少しずつ説明を加えていく。

 

「漱石との関係は比企谷が言った通りだが、特に『草枕』で彼の死に言及している。動機は理解できないと断りつつも、彼の死の壮烈を漱石は受け止めた。漱石の他にも、藤村の友人は『僕は真面目が足りなかったから自殺し得なんだ』と言った。『自殺しないのは、勇気が足りないから』と言った学生もいた。後に岩波書店を創立した男だよ。こうした受け止め方を、君たちはどう考えるかね?」

 

「強さがないと自殺には至らないということですね」

 

 ここまでヒントを出されれば、雪ノ下にとって答えるのは難しくなかった。一方で八幡は、教師のヒント以外の方角からも思考を進めていた。

 

「強さ以外に、自殺のハードルって人によって違う気もするけどな。でもま、言いたいことは解りましたよ」

 

 そう口にした八幡に意味ありげな視線を送って、教師は話を続ける。

 

「強さだけを重視していると最悪の事態に繋がる可能性があると、それを頭の片隅に置いて、あとは全員で対応を検討したまえ。今日はもう少しだけ話し合いを続けて終わりにしよう」

 

 

「えっと、他に話す事ってあったっけ?」

 

「小町的には思い込みに気付ける秘訣とか、そういうのがあれば教えて欲しいなーって」

 

「まだ気にしてたのかよ。小町もこうなると強情だからな……」

 

「小町さんの要望はまた後で考えましょう。それよりも今は、先生が案じていることを話し合った方が良いわ。正確には、案じていたことと言うべきね」

 

「察しが良いな。比企谷はともかく、由比ヶ浜と小町くんは分からないかね。乾杯の後に何を話題にしたか、思い出してみたまえ」

 

 優しい表情で真面目な口調で、教師は生徒たちに問いかける。

 

「えーと、たしかヒッキーの過去だっけ?」

 

「でもお兄ちゃんの過去って、逸話はいろいろありますけど、失敗のパターンとか同じような感じですよ?」

 

「はあ……。そんな心配をさせてたんですね。確かに今でもぼっちだったらどうなってたかは分かりませんけど、今さら自殺とかしませんよ」

 

 由比ヶ浜と小町は依然として首を傾げていたが、八幡には教師が言いたいことがようやく理解できた。大きくため息をついて、彼は恩師を呆れたように見据えながら断言した。

 

 八幡の発言を耳にして、由比ヶ浜と小町は同時に同じ過去を思い出していた。彼が入学式で事故に遭った時のことを。それによってようやく二人は、強さが秘める危うさを実感することができた。

 

「事故の後に比企谷と初めて会った時だったか。虐げられた環境にも慣れる強さを持っていると思ったよ。果たして君は、入学直後の二週間を棒に振っても歯牙にも掛けず、ぼっち生活とやらを満喫していたな」

 

 強く八幡を見据えながら、平塚先生は話を続ける。事故の関係者である雪ノ下も由比ヶ浜も口を差し挟むことはない。その話は三人の中では既に解決しているから。

 

「君たちは先程、このたびの合流が仕組まれていたという話をしていたな。だが、最初に仕組んだのは私なのだよ。比企谷を奉仕部に入部させるためにな」

 

「それは俺の……」

 

「比企谷、それは言わなくてもいいことだ。私は教師として、責任を引き受ける覚悟で君を奉仕部に連れて行った。雪ノ下と引き合わせて、偶然にも由比ヶ浜の協力も得られることになった。この世界に巻き込まれた時にはずいぶんと心配したものだが、その後は君たちがよく知っている通りだよ」

 

 この世界に巻き込まれた当日に、彼を心配そうに見つめる教師の姿があったことを八幡は思い出した。理不尽な状況に巻き込まれるのは慣れていると、たしか自分はそう考えていたはずだ。だから心配しなくても大丈夫だと。

 

 だが、そんな思い込みは教師にはお見通しだったのだ。そして自分が気付けない側面から自分の身を案じてくれていた。八幡はようやくそれを理解することができた。

 

「今回の合流の件を黙認したこと。そもそも半ば強制的に比企谷を奉仕部に連れて行ったことからして、私に全ての責任がある。そういう結論で、今回の件は全て流してくれないかな。彼女らの責任を比企谷が流してくれることと、君たちが自責の念を流してくれることを私は希望するよ」

 

 ここまで恰好良いことを言われてしまっては、そのまま認めるしかないではないか。八幡はそう考えるものの、思春期男子としてはここまでの完敗は認めがたい。何とか一矢報いねばと、彼はゆっくり口を開く。

 

「一つだけ条件があります」

 

「聞こう」

 

 即答で返されて怯みながらも、八幡は気を引き締めて言葉を継いだ。

 

「小町がさっき口にした『思い込みに気付ける秘訣』ってのを教えてやって下さい。それで先生の責任も含めて全て流しますよ」

 

「なるほど。確かに今の君なら、自殺の心配をしなくて済みそうだな。秘訣というほどではないが、この『責任』というものを意識しておくべきだと私は思っているよ。自分の行動に責任を持って、あとは考え続ける事だな。そうすれば間違った思い込みはいつか気付けると、私は楽天的に考えているよ」

 

 各々が恩師の言葉を胸に抱いて、この日の臨時集会は解散となった。満足げな表情で教え子たちを送り出す教師の姿とともに、この日の記憶は四人の中に長く残ることになるのだった。




次話でその他のキャラの動向を書いて一日目は終わりです。

本章では作者なりに虐め問題と向き合ってみたいと思い、特に雪ノ下と小町には少し損な役回りをさせた形になりましたが、その責任はもちろん作者にあります。

単に作者の意見を代弁させるのではなく、登場人物たちが虐めに対してどう考えるのか、あるいはどんな過去があったのか、各々のらしさが出るようにと気を付けながら書いたつもりですが、率直な印象を教えて頂けると嬉しいです。

次回は週末ではなく月曜に更新する予定です。
ご意見、ご感想、ご指摘などをお待ちしています。


追記。
細かな表現を修正しました。大筋に変更はありません。(7/7)

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。