俺の青春ラブコメはこの世界で変わりはじめる。   作:clp

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本話ではゲームの話が重要な位置を占めているので、このゲームに興味を惹かれない方々には煩わしい内容になっているかもしれません。もし分かりにくい点がありましたら、感想などでお気軽にお尋ね頂けると助かります。

以下、前回までのあらすじ。

 葉山の案をボツにして、雪ノ下の案も却下する流れを作った上で、八幡は自案を紹介して何とか無事に了承を得た。イベントの準備は他の面々に任せる形にして、背中を押してくれた教師の忠告を胸に、八幡と雪ノ下はいったん総武高校に戻った。



15.まぎれもなく彼女は自らの手で進む道を選び取る。

 雪ノ下雪乃が特別棟の廊下に繋がるドアを開けると、そこには同じ学年の生徒が一人立っていた。誰もいないと思い込んでいた上に意外な顔に出くわしたことで、さすがの雪ノ下もビックリした様子だ。相手もまた比企谷八幡だけが来ると思い込んでいたらしく、雪ノ下の後ろから現れた八幡に恨みがましい視線を送って来る。

 

 実は八幡はもう一つのメッセージのことをすっかり忘れていたのだが、それをおくびにも出さず同級生を奉仕部の部室に招き入れて、三人でしばし相談を行った。すぐに動いてもらうべく、その生徒を先に送り出してから、二人は当初の予定通りに移動を始めた。

 

「こんなことを隠しているとは思ってもみなかったのだけれど」

 

「第一段階がどうなるか、まだ分からんからな。まずは今からの準備次第だし、気持ちを入れ替えて頑張らないとな」

 

「ごまかしかたが下手なのか、ごまかす気がないのか……」

 

 艶やかな黒髪をかき分けて額に手を当てながら、呆れた口調で雪ノ下が呟く。そのまま視線をじろりと向けて「他に隠している事があればすぐに吐け」と伝えるものの、傍らの男の子は平然とした素振りで別の話を口にした。

 

「そういや由比ヶ浜も面白いことを思い付くよな。確かに口だけよりも、あれがあると違うもんな」

 

「はあ……。今頃は頑張って作っている頃でしょうね。後を任せたことといい、由比ヶ浜さんの思い付きや配慮を無駄にしないためにも、私たちが上手く展開を進める必要があるわね」

 

「お前にも、あいつらを説得するのに協力してもらったしな。つーか、研修室の時よりも更にやる気になってねーか?」

 

「そうね。昨日と比べて理由が二つ増えたせいだと思うわ」

 

「二つって、一つは留美本人と会ったことだろうけど、もう一つって何だ?」

 

「あの三浦さんがなりふり構わず、この問題の解決のために積極的に発言していたのを、貴方も聞いていたでしょう?」

 

 由比ヶ浜結衣のために。葉山隼人のために。鶴見留美のために。そして三浦優美子のために。複数人の思いをしっかりと受け止めて、雪ノ下はふと思う。この横にいる男の子のことも、数に加えるべきではないかと。奉仕部の一員として自分と由比ヶ浜のために留美を助けたいと考えながらも、強引に口を開かせない限りは自らの意図を口にしない、この不器用な男子生徒のためにも。

 

「なるほどな。三浦の理想は葉山の手でって形だったと思うが、解決できないと意味がないからな。つっても、大口を叩いて結果が出ませんでした、とかだと話にならねーけど……」

 

「不安になるのは理解できるのだけれど、貴方の案が他より優れていたのは確かなのだから。あとはどこまで予定通りに実現できるかを考えたほうが良いと思うわ」

 

「さいですか。んじゃ、あいつらは部室で待ってるみたいだし、さっさと行きますかね」

 

 会話によってお互いに良い影響を与え合いながら、雪ノ下と八幡は並んで廊下を歩いて行く。そうして二人は特別棟の二階へと移動した。

 

 

***

 

 

 午後四時半。班ごとに分かれて体育館の床に座る小学生たちに向かって、ステージの上から遊戯部の秦野と相模が声を張り上げていた。

 

「小学生のみんなには、今から色んなゲームを体験してもらいます!」

 

「どんなゲームをするか、班ごとにくじを引いてもらうんだけど……実は一つだけ、みなさんには難しいかもしれないゲームがあります」

 

「十二歳以上が対象なんだけど……みんなにできるかなー?」

 

 今に至っても二人は内心「どうしてこんなことに」という疑問を抱いていたが、あの先輩がたに「他に適任がいない」と協力を要請されたのだから仕方がない。そんなわけで二人は慣れない進行役を頑張ってこなしていた。

 

 挑発するような秦野の声に、小学生たちが大声で応じる。それを受けて相模が更に場を盛り上げるべく口を開く。

 

「そしてこのゲームには特別に、高校生のこの人たちにも参加してもらいます!」

 

「雪ノ下です。どの班が私たちと一緒にこのゲームをすることになるのか、楽しみにしているわ」

 

「比企谷だ。少し難しいゲームかもしれないけど、みんなで楽しくやろう」

 

 雪ノ下は今からの展開を思って、八幡は大勢の前で喋ったことで、これらの短い言葉を言い切るだけでどっと疲れた様子だったが、幸いなことに小学生の反応は上々だった。

 

 出来レースのくじ引きを見るとはなしに見ながら、二人は驚いた表情を浮かべている留美に視線を向けないように苦労していた。今の段階で留美に注目が集まることは絶対に避けなければならない。特に同じ班の他四人には絶対に。

 

 二人の心配はどうにか杞憂に終わり、留美の驚きは同じ班の小学生には気付かれずに済んでいる。自分たちの班がくじを引き当てたことで、四人の意識が留美にまで及んでいないのも影響したのだろう。

 

 遊戯部の部室から持ち出したゲームの箱を大きく掲げながら、二人はゆっくりと留美たちの班へと近付いて行った。

 

 

***

 

 

 ディプロマシーという名のゲームがある。古典的なボードゲームでルールは単純だが、販売から半世紀を経て今なお多くの人の心を捉えているのは、運の要素を極力排した点にある。最初に誰がどの国を担当するのか決める時を除けば、あとはプレイヤーの戦略と交渉次第で全てが決まる。

 

 ぼっちで中二病を患っていた頃の八幡がこのゲームに興味を持ったのは、一般的なテレビゲームと比べると知名度で劣ること、つまりレアなものに目を惹かれやすいお年頃だったことも大きいが、何よりもその異名に惹かれたからだった。

 

 曰く、「友情破壊ゲーム」と。

 

 このゲームは二十世紀初頭の欧州列強、すなわちイギリス、ドイツ、ロシア、トルコ、オーストリア・ハンガリー、イタリア、フランスの7ヶ国を各々が担当して覇権を争う。欧州全土で34ある補給地のうち18カ所を支配下に置いた国の勝利となる(なお国名との混乱を避けるため、以下では地図上で分割された52の陸地を【地名】で表記する。例:イギリスは【ロンドン】【リヴァプール】【エディンバラ】という3つの補給地と【ウェールズ】【ヨークシャー】【クライド】の計6つに分割されている)。

 

 その名の通り「外交(ディプロマシー)」によって各国の明暗がくっきり分かれるこのゲームでは、プレイヤー間の交渉のために時間がたっぷり設けられている。いかに口約束を遵守するか、そしてどのタイミングで裏切るかが重要になる。運という言い訳ができないためにそれらの行動は尾を引きやすく、それが前述の異名に繋がっていた。

 

「他のプレイヤーと相談して、協力したり裏切ったりしながら進めるゲームなんだけど、いちおう注意しとくぞ。ゲーム中の交渉内容はぜんぶ記録されていて、脅したり金を使ったりしたらすぐにAIからストップが入るからな。変なことはしないように」

 

「とはいえ話す内容は全て口約束なので、必ずしも守る必要はないのよ。複数の相手と交渉をして、その中から条件の良い相手や協力したい相手を選んでゲームを進めて行く形ね」

 

「ハンデとして、俺ら二人はお互いに交渉をしない。お前らに交渉を持ち掛けることもなしだ。お前らからの交渉はアリだけど、全員が聞いている状態での交渉のみな」

 

「貴女たちが小学生同士で交渉をする場合は、当事者以外の人には聞こえない形にできるので、いくらでも内緒話をして貰って構わないわ。みんなで頭を使って相談して、私たちに挑んで来てくれても良いのよ?」

 

 雪ノ下はそう言ったものの、小学生たちの態度からして留美を含めた全員が協力する形にはならないだろう。だがそれは高校生二人にとっても予定通りの展開と言える。八幡が明言したように、このゲームの中で高校生同士で交渉するつもりはないが、それは事前に意見を打ち合わせ済みだからする必要がないだけのことだ。

 

 小学生を騙しているようでさすがの八幡でも気が引けるが、彼女らの自業自得でもあるのだし諦めてもらおう。相方が目的に向かって直線的に進む雪ノ下だから良かったものの、もしも葉山が参加していたら話が面倒だっただろうなと八幡は思った。

 

 

 引き続いて高校生たちは盤上の駒の動きを説明する。陸軍と海軍があること。いずれも隣接地にしか移動できないこと。陸軍は海域には移動できず、逆に海軍は海と繋がる陸地のみで内陸部には移動できない。移動先が重なったり既に別の駒がいると戦闘になるが、その場合は単純に数の論理が適用される。同数だと守備側の勝利となるので、攻めるには数を揃える必要がある。

 

「例えば【ミュンヘン】に陸軍がいて、その後ろから同じ国の陸軍に支援されている場合、相手の戦力は2だよな。それに勝つには3つ軍を用意して【ミュンヘン】の周りに配置しないとダメだ。攻める軍が隣り合ってる必要はないけど、【ミュンヘン】と繋がる土地にいないと協力できないってことだな」

 

「この場合だと、【ミュンヘン】は7つの地域に囲まれているから、守る側が周囲の3つの地域に軍を置いて支援したら絶対に陥落しないの。その場合は周囲で支援する軍隊のどれかを先に無力化する必要があるということね」

 

 長々と説明しても小学生が退屈するだろうと考えて、二人は最後にゲームの進め方を説明して話を締め括る。

 

「一年のうち春と秋の二回動けるのな。全員が自分の持ってる軍隊すべてに命令を出して、それが出揃ったら一斉に移動する形なんだが。そこで動きがかち合ったりしたらさっきみたいな戦闘になるってことな」

 

「秋の動きが終わった時点で、支配下にない補給地を軍が占領していたら、春からは新たな領土として認められるの。春にいても秋に他へと移動したら意味がないので気を付けてね。軍の数は、補給地と同じ数まで増設できるのだけれど。もしも逆に補給地を奪われてしまったら、その数に応じて自分の軍隊を減らさないといけないの。これもよく覚えておいてね」

 

 こうして最低限のルールを把握させた上で、担当国を決めるくじ引きが始まった。

 

 

***

 

 

「では、貴女たちから先にくじを引いて国を決めると良いわ。私たちは最後ね」

 

 雪ノ下がそう言って促すと、班のリーダー格の小学生が大人しそうな生徒を煽って最初にくじを引かせた。留美が最初に引かされることはないと二人が睨んでいた通り、その子はオーストリア・ハンガリーを引き当てた。大陸の中央にあって他国に囲まれやすいこの国さえ回避できれば、留美も即座にゲームオーバーとはならないだろう。

 

 続いてリーダー格の子がフランスを、同じぐらいに発言権がありそうな子がトルコを、もう一人の子がイタリアを引いた。小学生の誰からも何も言われなかった留美が、高校生たちが頷く様子に背中を押されてドイツを引いた。雪ノ下がイギリスを引き、自動的に八幡がロシア担当に決まった。

 

 どう進めるべきかと悩む高校生二人に、班のリーダーの子が物怖じせずに話しかける。

 

「あのね。補給地がゼロになったらどうなるの?」

 

「その時点で、その国が滅亡したってことになるんだろうな」

 

「ふーん。ゲームの中のことだし、べつに滅ぼしちゃってもいいんだよね?」

 

 この子が虐めの主犯格だと高校生たちは理解した。同時に、彼女が何を目論んでいるのかも。それが自分の計画と似ていることを自覚して、八幡は少しうんざりした気持ちになった。ゲームという言い訳は使いようによっては酷い使い方もできるのだと。先んじて自分たちに忠告をしてくれた教師にはなかなか頭が上がらないなと思いながら、八幡は気のない口調で答える。

 

「ま、ゲームはゲームだからな」

 

「じゃあさ。そこの子っていつも『一人でできる』って言ってんだよね。だからせっかくだし、このゲームで小学生だけで勝負してみたいなーって思ったんだけど」

 

「はあ。何が言いたいんだ?」

 

「高校生のお兄さんとお姉さんが、その子を助けるんだったらズルいなーって」

 

 大人の教師を舐めている小学生なら、高校生を舐めないわけはないだろう。そう思ってはいたものの、実際にこんな拙い理屈を持ち出されると、八幡ですら怒りの感情が込み上げてくる。頭を冷やしながらどう答えたものかと考える八幡に代わって、冷静な声で雪ノ下が口を開いた。

 

「なるほど、小学生だけで勝負してみたいと貴女たちは考えているのね。では私たち高校生は()()()()()()()()()()()()()するから、思う存分に勝負してみなさい」

 

「おい、雪ノ下……」

 

 雪ノ下の意図を完全に読み取って、呆れた口調で八幡が口を開きかける。横目で確認した限り、留美は雪ノ下の発言を深刻に受け止めていない。それもあって八幡はのんびりと話しかけたのだが、せっかく得られた同意を打ち消されると考えた小学生が目ざとく口を挟んだ。

 

「ありがとうございます。小学生同士で勝負を楽しみますね!」

 

「一つだけ、これは交渉ではなくて約束して欲しいのだけれど。四人と一人の勝負とはいえ、貴女たち()()()()()()()()ゲームをプレイし続けて欲しいのよ。このゲームを楽しんで欲しいと思うのだけれど、どうかしら?」

 

「ええ、もちろん約束します!」

 

 心底から呆れているという気持ちを全身で主張しながら、八幡は小学生相手に本気で事を運ぶ雪ノ下に何とか苦笑いを送った。当初の予定を更に盤石にできる流れにはなったものの、由比ヶ浜にあれを用意してもらって良かったと改めて思う八幡だった。

 

 

***

 

 

 ゲームは高校生たちが予想した通りに始まった。先ほど【ミュンヘン】を例に攻め方の説明をしたこと、留美がドイツ担当になったことから予測は容易だったとはいえ、一年目の春の時点で【ミュンヘン】は三方から包囲されていた。

 

 小学生たちはトルコ軍の到着を待って留美を叩くつもりだったのだろう。虐める側が脱落者を許さず全員参加という形に拘るのは良くあることだ。だが留美の行動が彼女らの思惑を上回った。

 

 各国は初期状態で等しく3つの補給地を持っている。ロシアのみ4つの補給地を有しているが、北と南で分断されがちなので必ずしも優位とは言えない。そして補給地の数は軍の数に等しい。

 

 留美率いるドイツ軍には3つの部隊があるものの、うち1つは海軍なので内陸部の【ミュンヘン】を維持する戦力は2しかない。どう頑張っても4人を相手に持ち堪えることはできない状況だった。

 

「あれ。鶴見ってば、陸軍を【ミュンヘン】から移動させても大丈夫?」

 

「みんながそろうまで攻撃されないとか思ってないよね。待たなくていいから、攻撃しちゃって?」

 

 リーダー格のフランスと、次いで発言権がありそうなトルコが話を進める。【ミュンヘン】を捨てて【ベルギー】と【オランダ】を確保する留美の作戦は彼女らも見抜いていたものの、強者の余裕でそれを見逃したのが彼女らにとって致命傷になった。

 

 一年目の秋に留美は【ベルギー】と【オランダ】に加えて【デンマーク】も確保した。【ミュンヘン】は落ちたが差し引きで補給地を2つ増やした形だ。【ベルギー】に隣接する2つの地域に軍を進めたフランスは、翌春に留美の【ベルギー】支配がぬか喜びに終わる展開を考えていたのだろうが、軍が増設できることを見落としていた。そして何よりも。

 

「お姉さん、手助けしないって約束したじゃん!」

 

「あら。『その子には関わらないように』という約束だったでしょう。だから私はドイツには手を出していないし、目の前に軍のいない補給地があったから移動してみただけなのだけれど」

 

 フランス海軍が補給地を増やすべく【スペイン】に出かけた隙に、初手で英仏海峡を押さえていた雪ノ下のイギリスはあっさりと対岸の補給地を確保した。その占領が陸軍によって行われたことで、隣接する【パリ】もまた危機に瀕していた。フランスは翌春に慌てて軍を引き戻すしかできず、この時に【スペイン】から【ガスコーニュ】へと海軍を中途半端に動かしたこともまた悪手になった。

 

 

 【チュニス】をイタリアが、包囲していた【ミュンヘン】をオーストリアが、【ブルガリア】をトルコが占領して、他の小学生たちは揃って補給地を4に伸ばしていた。しかし初手で黒海を押さえ次いで【ルーマニア】を占領した八幡のロシアがトルコの出鼻を挫いていた。

 

 北欧を【スウェーデン】と【ノルウェー】の線で分断して、互いに補給地を1つずつ加えてすぐさま軍を引き返した八幡と雪ノ下は、当面の敵に全力を注げる形になっていた。まずはトルコとフランスを叩く。

 

 小学生の反応を見ながら、雪ノ下は二年目の秋に再び電撃的な動きを見せ【スペイン】を奪取した。八幡も【セルビア】と【ブルガリア】を確保し、留美は【ミュンヘン】を奪回した。この辺りでゲームの趨勢が決まった。

 

 

***

 

 

 ゲーム開始から一時間が経って、進行役の二人がおもむろにマイクを握った。相模が落ち着いて話を進め、秦野がやや挑発気味に詳しい話を紹介する。

 

「ではここで、高校生と一緒にゲームをしている班がどうなっているのか、途中経過をお知らせします!」

 

「うーん。やはり小学生では高校生に勝てないのか。連携禁止というハンデがあっても、雪ノ下先輩と比企谷先輩の支配地は6と8まで伸びています。しかしグループで戦っている小学生たちは4、4、3、2と元気がありません」

 

「でも、一人で頑張っている子もいるみたいですね」

 

「ええ。鶴見さんはなんと、6つの拠点を維持して高校生に対抗しています。誰かに助けてもらっての数字ではありません。全て独力です。鶴見さんにはこのまま頑張って欲しいですね」

 

「では、途中経過をお伝えしましたー」

 

 八幡が彼ら二人に進行役を依頼したのは、この実況をしてもらう目的があった。このゲームに詳しくないと実況はできないし、昨日いなかった二人なので白々しいことでも口にできるという狙いがあった。

 

 実際には遊戯部の二人にも留美の大まかな状況は説明済みで、それを聞いた彼らは義憤に燃えていた。まさか進行役を任されるとは思っておらず、壇上に上がってからもしばらくは戸惑いが強かった二人だが、ゲームの様子をモニターすることで留美が受ける扱いの酷さを目の当たりにしてしまい怒りを再燃させていた。

 

 いじめグループの日頃の行いを知っている小学生なら、この程度の情報でも内実を把握できるだろう。あくまでもゲームの話とはいえ、集団で一人を潰そうとしながらも果たせていない加害者たちの情けない姿を、他の小学生たちはどう見るだろうか。

 

 展開は順調に八幡の思惑通りに進んでいた。

 

 

***

 

 

 三年目は八幡のロシアにとって華々しい年になった。トルコ本国に攻め込んだロシアは補給地を一気に3つ増やし、トルコは【ギリシア】に逃れた陸軍1つを残すのみである。

 

 対する雪ノ下のイギリスはついに地中海にまで海軍の支配を伸ばし、補給地こそ1つ増やしたに止まったが着々と海上帝国を築きつつあった。

 

 留美はこれ以上の勢力拡大を望まず、6つの補給地を維持することに専念していた。せっかく高校生たちが『関わらない』と言ってくれた以上、彼らへの攻撃は控えるべきだろう。頑張れば【ウィーン】ぐらいは取れそうだが、それは他の小学生を攻撃することを意味する。後々のことを考えて、留美は専守防衛を選択した。

 

 

 四年目は、まず小学生たちに動きがあった。孤立無援のまま【パリ】に引き籠もっていたフランス陸軍が南へと、同時に【マルセイユ】の陸軍も東へと移動を始めた。

 

「イタリアって、まだ4つも補給地があるじゃん。このままだと【パリ】も【マルセイユ】も維持できないから、【ヴェネツィア】を譲ってくれない?」

 

「えっ。でもイタリアも【ティロル】が危ないし、フランスが【ヴェネツィア】を占領しても【マルセイユ】は維持できないんじゃない?」

 

「ずっとは無理だけど、イギリスが陸軍を3つ集めるまで時間がかかるじゃん。その間にイタリアとオーストリアが協力して、もう一度【ミュンヘン】を……」

 

「ぜったい無理。今は【ギリシア】にいるトルコ陸軍に助けてもらって維持できてるけど、オーストリア軍を動かすとかぜったい無理」

 

「でもさ、このままだとみんな滅亡するだけだしさ。担当してるトルコは今【ギリシア】にいる陸軍だけだし、オーストリアもたぶん【トリエステ】の海軍だけになるだろうし。だからイタリアがフランスに【ヴェネツィア】を譲って、【ティロル】を取られても【ローマ】と【ナポリ】が残れば、みんなで近い場所にいられるじゃん。もうそれぐらいしかできることって無いよ」

 

 情勢を見たトルコ担当の子が取りなして一応は【ヴェネツィア】割譲が決まったものの、この一件は四人の小学生たちの中でわだかまりとして残った。

 

 

 雪ノ下のイギリスが【チュニス】と【パリ】を加え、八幡のロシアは【ブダペスト】と【ウィーン】を加えた。雪ノ下との睨み合いに備えて、八幡は急いで海軍を増設して東地中海からイオニア海までの制海権を確保したが、相手は翌年に悠々と【マルセイユ】を落とし、欧州の地図は彼ら二人によってほぼ二分された。

 

 五年目が終わった時点の勢力図は、八幡のロシアが13、雪ノ下のイギリスが10、留美のドイツが6、イタリアが2、フランスとオーストリアとトルコが1ずつ。小学生たちにできることは二強の決着を待つことしかなかった。

 

 

「やっと五年目が終わりか。このゲーム、かなり時間がかかるんだな」

 

「もう夕食の時間まで15分ほどしかないわね。あと一時間で終わらなければキャンプファイヤーも始まってしまうのだけれど、それまでに決着はつくのかしら?」

 

「さあな。お前が降参したらすぐに終わるんじゃね?」

 

「そのセリフはそっくりそのままお返しするわ」

 

 現状を小学生に知らしめるための発言のはずが、普通に仲良く挑発し合う二人だった。わざとらしく留美を眺めて、八幡は口を開く。

 

「そういや、『四人は最後まで』ゲームをプレイするって約束してたよな。でも、一人でプレイしてたお前は約束に加わってなかったし、先に夕食に行っても良いぞ?」

 

 雪ノ下の約束のおかげで話を出しやすくはなったものの、この後の予定を盾にして小学生を脅す形に変わりはない。留美に向かって敢えて「お前」と呼び掛けたこともあって、八幡は口の中に苦いものを感じていた。だが、ここまで来たら事は予定通りに果たさなければならない。

 

「そうね。10分前には食堂に移動を始める予定だったから、貴女はその時に体育館を出たら良いわ」

 

 八幡も雪ノ下も、留美がこの展開で他の小学生を見捨てる性格ではないと信じていた。更には研修室で話した時に『逆の立場になってもやり過ぎないように』と忠告を伝えている。あの時に自分が言った言葉を覚えてくれていることを八幡は願い、同時に、自身の忠告が平塚先生に言われたそれと似通ったものであることに今更ながら気が付いた。

 

「それって……。ドイツはどうなるの?」

 

 小学生の中には「不公平だ」と怒って文句を言っている子もいるが、ゲームで疲れたのか先程までの勢いは無い。それに他の三人は事情を把握したのか、既に諦めている様子だった。四対一でも留美を屈服させることができず、それに加えて高校生にいじめの現場を押さえられたのだから当然だろう。

 

 交渉によって年長者二人をうまく部外者にできたとフランス担当の子は思っていたのだろうが、最初から高校生にはお見通しだったのだ。彼我の上下関係が確定したことを自覚して、ようやく彼女らも留美に酷いことをしていたと思い至ったのか。誰かがぽつりと呟いた「罰が当たった」という言葉が虚ろに響く。

 

 留美もまた長時間のゲームに疲労の色を隠せていなかった。しかし虚空に消えた呟きを睨み付けるかのように口を結んで、そしてゆっくりと、誰もが予想していなかった質問を口にした。

 

 それを名残を惜しむほどゲームを楽しんでくれたという意味に受け取って、八幡は返事を返す。

 

「まあ、委任みたいな形になるのかね。俺と雪ノ下の共同統治って形でも良いし、とにかく悪いようにはしねーよ」

 

「もし委任しても、ドイツって私の国だよね。私もちゃんとゲームに参加してるよね?」

 

「ええ。貴女がここまで育てたドイツとの繋がりは、委任で断ち切れることはないのよ」

 

「だな。補給地を6つに増やしたのはお前だし、一人だけ結果を残したんだから、先に解散しても別に良いんじゃね?」

 

 この話の流れであれば、いっそ先に行かせても良いかもしれないと八幡は思った。既に【ヴェネツィア】割譲などで四人の小学生には亀裂が入っている。そもそも彼女らが後から留美に何を言ったところで、負け犬の遠吠えにしかならないだろう。

 

 雪ノ下もまた留美と一緒にゲームをして、彼女の小学生離れした行動力には驚かされただけに、このまま行かせても良いと思い直していた。留美であればここまでのお膳立てがあれば、この先は真っ当に力強く歩いて行けるだろうと。

 

 

 二人の高校生が暖かい眼差しで決断の言葉を求めている。他の小学生を見る時には突き放したような、そして濁ったような目をしていることを考えると、こんなことを言ったら二人を失望させてしまうかもしれない。それでも留美は。

 

「ご飯を食べたら戻って来るから、それまでは()()委任でお願いします。じゃあ、みんな行こっ!」

 

 それでも留美は、四人に手を差し伸べる道を選ぶ。せっかくの好意を無にしてでも、他に優先すべきことがあるのだと考えるがゆえに。

 

 八幡と雪ノ下にとっては、留美のこの発言は完全な不意打ちになった。絶句する高校生二人を尻目に、呆然としている他の小学生に向けて留美は必死に語りかける。

 

「ほら、せっかく委任でも『ゲームに参加してる』って認めてくれたんだから、みんな早く行こっ。『最後までプレイする』ってのが委任だとどうなるか微妙だから、早く食べて戻って来よっ!」

 

「あー、そういうことか」

 

「なるほどね。……貴女のお名前を、この場で教えてもらっても良いかしら?」

 

 留美の意図を十全に理解して、高校生二人は納得の声を上げた。雪ノ下は目の前の小学生に敬意を表する気持ちを隠すことなく、そのまま言葉を続ける。今この場において、留美に名前で呼びかけない選択はないと考えるがゆえに。

 

「……鶴見、留美」

 

「留美さん。このゲームは貴女の勝ちよ。私たちはドイツに降参するわ」

 

「ここまでの駆け引きをやられたら脱帽だわな。つーわけで、委任とか関係なしにゲームは終わりだ。せっかくあれを用意したのにな」

 

「ごめんなさいね、時間を人質にとって脅すようなことをして。もともと5分前になったらこれを出す予定だったのよ」

 

 そう言って雪ノ下は、由比ヶ浜お手製のプラカードを取り出した。そこには大きく「ドッキリ」と書かれている。

 

 八幡のもともとの計画では、一人だけ食事に移動できる留美が一緒に残ることで他の小学生たちの罪悪感を煽るつもりだった。その上で、のちのち問題にならないように「ドッキリ」という形で収拾するはずだったのだが、留美が一枚上手だったらしい。

 

 

 留美もまた、そんな高校生たちの説明を聞いて納得していた。彼ら二人が自分のために何かを計画しているとは思っていたが、ここまで大きな計画だったとは思わなかった。

 

 留美が一人だけ食事に立たなかったのは、八幡に「逆の立場になってもやり過ぎないように」と教えてもらったからだ。もしもそう言われていなければ、他の小学生を見捨てていたかもしれない。

 

 それに、と留美は思う。委任に関するこじつけ話も、八幡に「どんなこじつけでも良いから、連中の無理難題を避け続けていれば」と教えてもらったことが大きい。無理難題を八幡たちが言ってくる形になったのは何だか可笑しいなと、留美は少し顔を綻ばせる。

 

 

 こうして、彼らのゲームは無事に終わった。

 

 

***

 

 

 八幡と雪ノ下以外の中高生も入れ替わりで参加して、時間いっぱいまで楽しくゲームで遊んでいた他の班の小学生たちが、食堂に移動する支度を考え始めた頃。モニターを見ていた遊戯部の二人は慌ててマイクを掴んで、全員に向かって話しかけた。

 

「ここでゲームの続報が入りました!」

 

「戦力比は高校生の13と10に対して小学生グループは2、1、1、1と壊滅寸前。何とか鶴見さん一人が6を維持していたものの、やはり高校生には勝てないのかと誰もが思ったその時。一人だけ諦めていない子がいたのです!」

 

「それはもしかして……」

 

「ええ、それが鶴見さんです。小学生グループに手を差し伸べて、高校生を相手に堂々と交渉を重ねて、ついに説得してしまいました!」

 

「小学生が高校生に勝ったんですね?」

 

「もちろん戦力比は開いていたので、高校生の二人が譲ってくれたと考えるべきかもしれません。それでも、このゲームの勝者が鶴見さんなのもまた厳然たる事実です!」

 

「なるほど。小学生の皆さん、おめでとうございます!」

 

「勝利の立役者、鶴見さんに大きな拍手を!」

 

 同じ小学生ゆえに、あの班の状況を大人よりも高校生よりも詳しく理解していた子供たちは、この思わぬ展開を受けて大きな喝采を送った。驚きの気持ちと、そして自分たちもまた抑圧から解放されたような気持ちで、体育館にいるほぼ全員が大声を上げていた。

 

 

 その光景を見ながら秦野は思う。ゲームの可能性と、そして自分たちをこの場に呼んでくれた先輩がたへの感謝の気持ちを。

 

 彼は小学生の頃から色んなゲームに夢中になったが、ゲームと言えばテレビゲームで満足していた周囲は彼を奇異の目で眺めるだけだった。それがどうだ。今日は多くの小学生が色んなゲームを楽しんでくれた。そしてあの古典的なボードゲームが、小学生たちの虐めで凝り固まった関係を吹き飛ばしてしまったのだ。ゲームにはこれほど大きな可能性があるのだと、彼は泣きたいくらいに嬉しい気持ちに浸っていた。

 

 そんな秦野を、相模は苦笑いしながら眺めていた。彼もまた先輩に対して感謝の念を抱いていたが、それはこの場に呼ばれた時点で、既に彼の心の中にあったものだった。

 

 昨日解禁されたばかりの千葉村を、秦野と相模が訪れたことはない。そのため、奉仕部の部室を経由して一瞬で行き来ができる先輩たちとは違って、彼ら二人は電車やバスを乗り継いで急いでここまで駆けつけたのだ。

 

 もちろんこの世界では道中の時間が省略できるので、さほど遅れることなく二人は到着できたのだが、相模はその扱いに思わず噴き出してしまった。自分がクイズ勝負で出した内容を、そっくりやり返されていることに気付いたからだ。

 

 相模が出した問題は「友達の家にショートカットできる条件」だったが、移動教室でも原理は同じ。つまり、一度も訪れていない先にはショートカットできないのがルールだ。

 

 明らかにあの時のクイズを念頭に、茶化すような口調で「早く来いよ」などと言ってきた目が残念な先輩。昨日までの相模にとっては「親しい先輩の友人」という距離感だった彼のことを、相模はもはや赤の他人とは思えなかった。ゲームを通して少しずつ不思議な縁が増えていく。今の相模にとっては、あの人もまた直接の「親しい先輩」なのだ。

 

 

 こうして八幡の思惑を大きく上回る形で、多くの人たちに多大な影響を残して、肝試しの代替イベントだったゲーム大会は好評のまま幕を閉じた。




3巻21話で色んなゲームを挙げる中にディプロマシーが含まれていたことから、「友情破壊ゲーム→もしや4巻で」と見抜いた読者様がおられましたら脱帽です。

どこまで需要があるか分かりませんが、膠着状態に至るまでの各国の動きを活動報告「作中遊戯のお話」に挙げておきます。興味のある方は地図を見ながら楽しんで頂けると嬉しいです。

次回は金曜に更新予定です。
ご意見、ご感想、ご指摘などをお待ちしています。

追記。
陸地を【地名】表記にして、留美の発言前後に地の文を書き加えました。(7/26)
細かな表現を修正しました。大筋に変更はありません。(7/26)

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