俺の青春ラブコメはこの世界で変わりはじめる。   作:clp

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今回のお話で本章は完結です。

以下、前回までのあらすじ。

 留美の問題がひとまず山場を越えたことで、中高生たちは各々の問題と向き合っていた。この合宿を通して、少しずつ彼らの関係にも変化が生まれ始めていた。



18.とにもかくにも彼らは無事に合宿を終える。

 翌朝、小学生たちは体育館に集まって、壇上からの説明に耳を傾けていた。本来なら荷造りや大掃除、使用した寝具などを片付ける時間帯だったのだが、予定は大幅に変更になっていた。

 

「なんか大がかりな話になってますね」

 

「……誰のせいだと思っているのかね?」

 

 体育館の隅のほうでは、適度に散らばって中高生たちも控えていた。その中にいた比企谷八幡がぼそっと感想を述べると、横に立っていた平塚静が呆れた口調で応じる。昨夜から彼には色々と言いたいことが山積みだったので、近くにいるようにと厳命していたのだった。

 

「最初はあの班だけに話をすれば良いやって思ってたんですけどね」

 

「こっそりと呼び出すわけにもいくまい。それに全体にとっても大事な話になるはずだよ」

 

「まあ、焚き付けた自覚はあるので文句は言いませんけど。昨日の今日で、よくここまで話がまとまりましたね」

 

「打ち合わせを重ねて形式を整えて、引率の先生がたが頑張ってくれたおかげだよ」

 

 軽い口調で教師は言うが、八幡はどこか納得しがたい気持ちがあった。それは表情に出さずとも平塚先生にはお見通しで、わざとらしく息を吐き出してから彼女は言葉を続ける。

 

「君はおそらく『今頃になって動いても』と考えているのだろう?」

 

「まあ、そうですね。あれだけ見て見ぬ振りをしておいて、今さら偉そうな顔で動かれてもなぁ、とは正直思います」

 

「そうだな。ただ、大人とて万能にはほど遠いのだよ。できないことも多いし、無力感を感じる頻度は君たちと変わらない。むしろ君たち以上かもしれないな」

 

「それを聞くと、大人になりたくないですね」

 

「時の流れは平等だから、嫌でもなるしかないんだがな。……話を戻そうか。君たちが問題の中心に切り込んで、全体の雰囲気を変貌させたからこそ介入の糸口が生まれた、とは考えられないかね?」

 

「そう言われるとずるいというか、そんな程度では乗せられねーぞって身構えたくなりますけど」

 

 八幡の捻くれた受け取り方に苦笑しながら、教師は言葉を続ける。

 

「いずれにせよ、動ける時というのは限られているのだよ。我々に可能なのは、その時を見逃さないように待つことしかない。介入すべきだと分かっているのに手が出せない時ほど虚しいものはないと、昨夜誰かが呟いていたよ」

 

「それって、責任逃れってわけでもなさそうですね」

 

「私も正直、昨日の昼にはそれを疑いかけていたのだがね。昨夜の動きようを見ると、慎重に我慢を重ねていたのだなと受け取れたよ。ダメな時に動いても、逆効果にしかならないからな」

 

 教師にそう言われて、八幡は反射的に古い記憶を思い出した。いや、古いと言ってもせいぜい一ヶ月と少し前のことだ。由比ヶ浜結衣と決別していた時期に戸塚彩加と一緒にムー大に行って、たしか同じような話をしたはずだと八幡は考える。

 

 かつての雪ノ下雪乃が「敬して遠ざけられる」状態だったと葉山隼人から聞いて(二人は今もそれが去年の話だと思っている)、戸塚は八幡に尋ねたことがあった。もしもまた同じような状況に陥ったら、どう助ければ良いのかと。その時に八幡が口にした答えが、今の平塚先生の発言と重なったのだ。

 

 過去の自分の発言を八幡は思い出す。たしか「ダメな時はどう動いてもダメ」だと、「動くべき時が来たら容赦なく全力で動くべき」だと、偉そうにそんなことを言ったはずだ。あの時も今も戸塚の優しい性格は変わらないなと思いながら、八幡は教師の言葉を再び自分の中で噛みしめる。

 

 自分がしたことも、引率の教師たちがしたことも、動くべき時に容赦なく動いた点では変わらない。それでも何だか上手いタイミングで手柄を掠われたような気がするし、そもそも教師という存在を信用したくないという気持ちも根強い。だがその例外が、信頼しても良いと思える教師が言うのだから、ここは大人しく受け入れておくべきなのだろうと八幡は思った。

 

 

「しかし、堂々としたものだな」

 

「大勢の前で喋ることに慣れてきたんじゃないですかね」

 

 二人の視線の先では、川崎沙希が塾の説明を行っていた。彼女の弟や八幡の妹が通っている塾で英語教師のバイトをしている川崎は、新たに小学生向けの英語のクラスを開設したこと、その勧誘に来たことを説明していた。

 

 

***

 

 

 雪ノ下と一緒にいったん総武高校に帰った時に、八幡は部室の前で待たせていた川崎と三人で打ち合わせを行った。八幡の当初の案では留美だけに、あるいは問題の班の子供たちだけに川崎が話しかけて塾へと誘ってもらう形だったが、それでは唐突すぎるし相手も要領を得ないだろうと反対された。

 

「じゃあいっそのこと、塾として公式に小学生向けの授業を開いたらいいんじゃね?」

 

「比企谷くん、そんなに簡単に実行できることではないと思うのだけれど」

 

「あんたは何か良い案でもあるのかい?」

 

 あの時の会話を八幡は思い出す。我ながら風呂敷を広げたものだと呆れながら。

 

「いじめの話の延長みたいなもんだけどな。小学生は今年度で卒業だから、俺らと違って来年三月にはリアルに戻れるはずだろ。でもあっちに帰っても、この世界に捕らわれたって肩書きはついて回ると思うんだわ」

 

「……たしかに、新たないじめの要因になる可能性は大いにあるわね」

 

「そんな時に、この世界に関係した連中で集まれる場が他にもあったら、なんてか心理的に助かるんじゃね、って思ってな」

 

「つまり、リアルでも継続することを前提に新しいクラスを開設するってことかい?」

 

「継続もだし、もっと色んな塾とかを自由に行き来できる形にしたら、いじめとかが起きそうになってもすぐに環境を変えられるだろ?」

 

「少し話を整理したほうが良いわ。比企谷くんの今の話は、この世界に捕らわれた子供たちの内部でいじめが起きた場合ね。さっきの話は、外部から差別を受けた場合だったわね。その二つの効果を狙っていると考えて良いのかしら?」

 

「あと、塾としてもこの世界に巻き込まれたことで収入もがた落ちだろうし、経営とか大変だろうからな。小学生のうちからこの世界で囲い込んでおくと、何かと都合が良いんじゃね?」

 

「経営陣に相談してみないと、バイトの身では何とも言えないけどさ。今みたいに言って説得したら、新しいクラスを開くのも難しくない気がするね」

 

「とはいえ比企谷くんの考えだと、小学生を特定の塾に独占させるつもりはないのでしょう?」

 

「それは追々って感じだな。普段の顔ぶれと付き合うしかない状態と、一つでも他に違う関係性がある状態とでは、それだけで気持ちが全然違うだろうしな」

 

 八幡の提案は、もしもリアル世界であれば生徒の取り合いに繋がって話が簡単には進まなかったかもしれない。しかしこの世界では教師の数が圧倒的に不足していた。生徒は初日に揃ってログインしたが、教師は授業がない限り、そしてこの世界への関心が強くない限りはログインしなかった者も多かったのだ。

 

 たとえ生徒が数人でも数十人でも、教科別に最低限揃えるべき教師の数に変化はない。ゆえにどの塾でも一人の教師が多数の教科をかけもちしたりと、自転車操業で何とかやり繰りしていた。

 

 それでも他の塾との協力に踏み切れなかったのは、ひとえに経営の問題だった。生徒を分け合うことで現場の負担は減っても、月謝が減ることで経営が成り立たなくなってしまえばどうにもならない。

 

 川崎が持ち帰った提案を聞いて、更には平塚先生たちと話を重ねる中で、塾の経営陣は高校生たちが思い付かなかった一面、すなわち評判という点に注目した。川崎はいじめの具体的な話を出さなかったが、一般論として「生徒たちの閉塞しがちな関係性を広げる効果」は伝えた。経営陣はそれを宣伝に活かそうと考えたのだった。

 

 業務に追われ時間の余裕がないとはいえ、バイトの川崎を説明に来させた辺りに、新しく開設する授業への塾の本音が垣間見える。経営陣としては「この世界で経営よりも生徒を重視した取り組みを初めて行った」という評判を得て、あわよくば寄付などの収入を得るのが主目的で、授業内容は程々で良いと考えていた。とはいえそれは相手側の要請も受け入れての結論で、好きこのんで手抜きをしようとしたわけではない。

 

 小学生を引率する教師たちとしては、同様の評判を得られる上に、授業が程々なら生徒を川崎の塾に奪われる心配も少なくて済む。実利的な面で相手と思惑が一致したこと・共存のめどが立ったことに加えて、教師らは目の前でいじめが行われていても何もできなかった無力感を抱えていただけに、変化をためらわなかったことも大きかった。

 

 かくして、川崎の塾と、小学生を引率する教師たちと、いじめの再発を心配する平塚先生や八幡たちと、いずれの三者にとっても満足がいく形で話がまとまって、この説明会が行われることになったのだった。

 

 

***

 

 

 川崎の話が一通り終わって、今は質問を受け付ける時間になっていた。質疑に移る際に、今後は塾に限らず習い事なども積極的に紹介していくと教師が口にしたために、体育館は全体的にざわついた雰囲気になっていた。そんな中で、英語に興味のある小学生たちが熱心に質問を投げかけている。

 

 鶴見留美は壁に近い位置で同じ班の子供たちと輪になって座っていた。今日になっても必要最低限の会話しかできておらず、班の中では閉塞感が漂っていただけに、他の塾で授業を受けるという選択肢は彼女らにとって魅力的に思えた。しかし自分だけならともかく、この中の誰か一人でも一緒に行くのであれば状況は同じだと、諦めたような空気が辺りを支配していた。

 

「こんにちはー。ちょっと良いかな?」

 

 そんな重苦しさをものともせず、比企谷小町が班の中にずかずかと入って来た。雪ノ下には昨夜「上手く機会を見付けて」などと言っていた気がするのだが、正面から堂々と乗り込む小町だった。兄がハラハラしながら観察しているのを肌で感じつつ、小町は小学生の返事を待たずに話を続ける。

 

「昨日のゲームのことを教えて欲しいのに、あの二人って口が堅いっていうか、ぜんぜん喋ってくれなくてさ。どんな感じでゲームが進んだのか、お姉さんに教えて欲しいなーって」

 

 細かな部分で工夫をしながら、小町は珍しくお姉さんぶった話しかたをしていた。詳しい話を聞いていないことにして、彼女らが中高生や教師から断罪される不安を少しでも和らげようと図りつつ、小町は少しずつ標的に近付いて行った。

 

「あ、でもゲームだからって、負けた話をするの嫌だよね。たしか、勝ったのは鶴見さんだったっけ。他の人には聞こえないようにするから、ちょこっとだけでも話して欲しいなーって」

 

 元気よく話しかけてくる小町の勢いに圧倒されながら、留美は班の女の子たちを順に眺める。勝手にすればとでも言いたげに目を逸らす者、力なく頷く者、慌てて目を逸らす者たちを確認して、留美は口を開いた。

 

「じゃあ、ちょっと離れた場所に行きましょうか。いちおうほかの人には会話が聞こえない設定にしますね。……これでいいですよ」

 

「うん、ちゃんと設定できてるね。改めましてこんにちは。八幡の妹の小町です!」

 

「えっ。妹って、八ま……ひ、ひき……あの男の人の妹さんですか?」

 

「あー、うん。お兄ちゃんが小学生に名前で呼ばせてるって、事前情報にはなかったけどなー。ま、遠慮しなくても大丈夫だよ。小町も小町で良いからね!」

 

 少し横を向いて呆れた顔になりながらも、小町はにこやかな笑顔に戻して留美に語りかけた。

 

「えっと、小町さんは八幡……さんの妹さんなんですね」

 

「呼び捨てって情報も聞いてないなー。ちなみにフルネームは比企谷八幡だから、覚えておいてね!」

 

 少し濁った目で遠方の兄を一瞥して、気が済んだのか小町は再び笑顔で話しかける。比企谷という姓を教えておけば、それに続けて自分の名前を並べてくれそうだなと思いながら。

 

「比企谷……。その、お兄さんにはお世話になりました。まだ問題は残ってますけど、前と比べたら何とかなるかなって思ってます」

 

「そっか。良かったね」

 

 比企谷という姓をぽつりと呟いて、すぐに我に返った留美は丁寧なお礼を口にする。それに対して小町はさらりと返事を述べた。そのまま小町は話を続ける。

 

「雪乃さんって言って分かるかな。雪乃さんとかお兄ちゃんには話しかけにくいだろうからって、小町が仲介役をお願いされたのね。だから、メッセージとか何でも気軽に送ってね。これがさっき話しかけた目的。正直に言うと、ゲームには別に興味がなかったりして」

 

 可愛らしく舌を出す小町につられるようにして、留美もまた強張らせていた表情を柔らかくする。そのまま二言三言と言葉を交わして、二人は会話を打ち切った。

 

 小学生の輪の中に戻る留美を見送って、小町はそのまま兄のところに行こうとする。だが、小町を呼び止める声があった。

 

 

「その、すみません。もう少しゲームの話をしてもいいですか?」

 

 声を上げた小学生は留美を見ようとはせず、今にも裏切り者と叫び出しそうな子には寂しそうな眼差しでそれを否定して、他の二人にも頷きかけた後で小町に近付いて来た。

 

「うーんと、じゃあこっちで話そっか」

 

 先ほど留美と話していた辺りに戻って、今度は小町が音声の設定をして、小学生に優しく問いかける。

 

「話したいのは、ゲームの話じゃないよね?」

 

「ごめんなさい。る……鶴見さんのことで、でもなんて言ったらいいのか……」

 

「名前で呼ぼうとしたってことは、仲が良かったんだね」

 

 小町は何の気なしに口にしたことだったが、小学生の女の子は途端に顔をうつむけて辛そうにしている。それを見た小町は冷静に話しかけた。

 

「余計なことを言っちゃったね。続けて?」

 

「いえ。その、言いわけをしたいわけじゃないんです。けど、なんであんなひどいことを、る……鶴見さんに言ったのか、自分でも分からなくて、こわくて……」

 

「誰も聞いてないし、留美ちゃんで良いんじゃない?」

 

「いえ。名前で呼ぶような資格なんて、もう無いと思います」

 

 実のところ小町は行きがかり上しかたなく話に応じただけで、長引かせる気はなかった。しかし諦めの色が濃いこの発言を聞いて、ようやく小町はすぐ横の小学生ときちんと向き合った。あえて強い口調で小町は自分の意見を述べる。

 

「友達に資格がいるとか考えるほうが、間違ってるんじゃない?」

 

「でも、あれだけひどいことを言ったのに、自分では分かってなかったなんて……」

 

「どんなことを言ったの?」

 

「えっと、『サボりがバレても鶴見のせいだから、班のみんなを巻き込まないで』とか、今思えば突き放すようなことばかり言っちゃってて……」

 

 論理を展開するのは得意ではないが、勘が鋭い小町は目の前の女の子の気持ちがそのまま理解できた。それをどうまとめたら良いのかと少しうなり声を上げていた小町だったが、不安そうな表情を見て口を開く。

 

「今は違うって分かるけど、その時はそれが正しいって思ってたんだよね。……小町もさ、同じ経験があるよ」

 

「お姉さんも?」

 

「うん。しかも一昨日」

 

 むすっとした表情の小町を、女の子が驚きの目で見ている。なんでこんな話を小学生に聞かせる展開になってるのかなと、半ば自嘲しながら小町はゆっくりと話を続ける。

 

「どう言ったら良いかなー。せっかく良い友達ができたんだしこれぐらい我慢してって言いながら、みんなでいじってた、みたいな?」

 

「あ……少しぐらいがまんしたらって思ってたの、同じかもです」

 

「そっか。その時は、あっちが勝手なことを言ってるように思えてね。自分のほうが正しいのにどうして素直に従ってくれないんだろうとかさ」

 

「それも分かるかもです。早くもとに戻って欲しいって思いながら言ってたっていうか。向こうが意地をはってるから、こっちもきびしいことを言わなきゃって……」

 

 揃ってため息をついて、小町は苦笑いを浮かべたまま傍らの小学生に話しかけた。

 

「そんな感じだから、一度間違っただけで資格がどうって、そこまでは思わなくて良いよ。反省はちゃんとするべきだと思うけどね」

 

「そう、でしょうか……。でも、なぐさめてもらいたかったわけじゃないんです。前みたいな関係には戻れなくても、せめて同じようなことはしたくないなって。でもどうしたらいいのかなって」

 

「さっきも言ったけど、小町がしくじったのは一昨日だからね。そんな秘訣とかあるなら小町が知りたいよ」

 

「ですよね……」

 

「あー、もう。じゃあ特別に、秘訣を伝授しちゃおう。えとね、『自分の行動に責任を持って考え続けていれば、間違った思い込みはいつか気付ける』って、偉い人が言ってたよ」

 

「えっと、『行動に責任を持って考え続けること』ですね。むずかしそうだけど、やるしかないかぁ……」

 

「小町の課題でもあるから、簡単にやられるとこっちも困っちゃうけどね。まあ、話を聞いた仲だし、何かあったら連絡してきても良いよ」

 

「……はい。もしもあの子が困ってたら、その時はおねがいします」

 

 こうして二人の話は終わった。班に戻る女の子を見送って、「何だかんだで小町も甘いなー」と内心で呟きながら、小町は肉親の待つ場所へと歩いて行った。

 

 

***

 

 

 小町が留美と、更には同じ班の小学生と相次いで会話をしている様子を窺いながら、八幡は考え事に耽っていた。そんな八幡に、並んで同じ光景を見ていた教師が再び話しかける。

 

「君は先ほど、教師を信頼していないような口ぶりだったが。当事者以外の小学生も信頼には値しないと考えているのかね?」

 

「まあ、そうですね。いじめには参加してないって言っても、黙って見てるだけでも同じだろって正直思いますからね」

 

「ふむ。加害者と被害者の他に傍観者が存在している形だな。それは加害者と同罪だと」

 

「昨日は傍観者の雰囲気をぶち壊して、被害者と加害者の関係を一気に逆転させることができましたけど。でも、あんな風に掌を返されるのは、見ていて楽しいもんじゃないですね」

 

 ゲームが終わった後で留美に親しげに話しかける大勢の小学生を思い出して、八幡は苦々しげに言い放つ。自分がそう仕向けて、彼らを利用する形で問題の解決を図っただけに、嫌悪感をストレートにはぶつけられないもどかしさが八幡を苛立たせる。

 

「あの被害者の女の子は、今後は被害者にも加害者にもならないと私は思うのだが?」

 

「俺もそう思いますけど、どういう意味ですか?」

 

「では彼女は傍観者になるのではないかね?」

 

「あー、いや。あいつなら傍観してないで、行動に出るんじゃないですかね」

 

「なるほど。それを仲裁者と呼ぶのだが、では傍観者と仲裁者の違いはどこにあると思うかね?」

 

「それは……個人の違いじゃないですかね」

 

 八幡の答えに満足そうに頷きながら、教師は話を続ける。

 

「君は一昨日の晩に、『同級生の大部分とは仲良くできないけど、ごく一部とはそうじゃない』と言っていたな。だが一年前には、君はそのごく一部ですらも大部分と同じだと考えていたはずだ。違うかね?」

 

「気付いてないだけで、傍観者の中にも仲裁者がもっと存在してるってことですか?」

 

 痛いところを突かれて、八幡は何とか先回りしようと話を一気に進める。生徒の健気な反抗に苦笑しながら、教師は口を開く。

 

「我々の仕事は、傍観者の中から仲裁者が一人でも多く出やすい環境を作ることだよ。君も知っているように、漱石は普通の人間が『急に悪人に変わるんだから恐ろしい』と書いた。だが、そこで多くが善人に変われるような、そんな場を整えられたら理想だと私は考えているのだがね」

 

「要は状況次第で、普通の人が悪人にもなれば善人にもなると。多分まだ気にしてるだろうし、小町にはその話は言わないで下さいね。なんであのとき悪人に、とか考えそうですし」

 

 自分の中では大したダメージもなく解決した話なのだが、妹はまだ引き摺っているのだろうと考えてこう口にして、八幡はすぐさま後悔した。隣では彼のシスコンぶりを見た教師が笑いをかみ殺している。

 

「失礼。悪いことではないが、君たち兄妹はお互いに過保護なのかもしれないな」

 

 拗ねているのか反応を寄越さない八幡を横目で眺めて、平塚先生はそのまま言葉を続ける。

 

「それと比べると、君がゲームの時に雪ノ下を頼ったこと、ゲームの準備をする際に後を由比ヶ浜に託したこと、今日の説明会を実現させるために川崎を頼ったことは、確かな進歩だと私は思うよ。先日は『君自身が気を遣いすぎているのではないか』と指摘したが、それが役に立ったのなら嬉しいな」

 

「元ぼっちなので頼れる相手が少ないんですよ。それに、あいつらに気を遣うよりも結果を出したかったですし」

 

「どんなに発想が良くても、頭の中で止まっている段階では意味を持たないからな。当事者の状況は打破できたし、小学生全員が外部への繋がりを得られた。君はちゃんと結果を出したと私は思うよ」

 

「場の空気を変えるとか、趣味を紹介して世界を広げるとか、他の連中が言ってたことの受け売りですよ。ゲームも雪ノ下がいなかったら酷い展開になってた可能性がありますし」

 

「ふむ。そこは少しお小言を述べようと思っていたのだが、ゲームに関して私が言うことは無さそうだな。それと、思い付いた切っ掛けは何であれ、それをプランの形にして無事に遂行できたのだから、今日ぐらいは胸を張ったらいいさ」

 

 照れているのか自己評価が低いのか、いずれにせよ自分にとっては自慢の生徒の一人なのだから、もっと自覚を持って欲しいと平塚は思う。()ぼっちと自称する辺りに進歩は見られるが、これは二学期の課題だなと、教師は心の中でメモをしたためた。

 

「元ぼっちが二学期にはどこまで友人を増やすのか、今から楽しみだな」

 

「どうですかね。友人とか、大抵は向こうから却下されそうな気がしますけどね」

 

「雪ノ下や由比ヶ浜を始め、今や多くの例外を見てきただろう?」

 

 そう言われて八幡は閉口する。だがたとえ相手が彼女らであっても、出会う場面が違っていればやはり却下されたのではないかと八幡は内心で考えていた。

 

 話が終わったのか、留美たちから離れてこちらに近付いてくる小町を見ながら八幡は思う。もしも留美の年齢の時にあの二人と会っていたら、どうなっていたのかと。

 

 もしも彼女らと同じ小学校だったら。そう考えて八幡は自嘲する。おそらく助けられて終わるだけだろうと。それ以上の関係など生まれなかっただろうと。雪ノ下の強さも由比ヶ浜の優しさも、おそらくは生来のものだ。だが今の自分が武器にしているものは、ぼっちの時代に培ったものがほとんどだった。それらを持たない八幡に、彼女らが興味を示すことは無かっただろうと。

 

 ゆっくりと自分に向かって妹が近付いてくる。ぼっちになる以前から妹が懐いてくれていたことに、彼の魅力はぼっち時代に培ったものだけでは無いことに、八幡はいまだ気付いていない。

 

 

***

 

 

 無事に説明会も終わって、川崎は慌ただしく塾に帰っていった。経営陣に結果を報告して、すぐに取り掛かるべきことがたくさんあると彼女はぼやいていたが、自分が同級生の力になれたことや仕事への充実感などで川崎の表情は明るかった。

 

 小学生たちの退村式を見守って子供たちが乗り込んだバスを見送ってから、中高生たちも撤収の準備に入った。全員を乗せてやろうと誘う教師の申し出をやんわりと断って、葉山は来た時と同じ面々を引き連れてバスと電車で帰路に就いた。

 

 往路のメンバーに八幡を加えて、残った一同もまた帰宅の途に就いた。道中は順調で話も尽きず、彼らは集合場所だった駅前まですんなりと移動した。そこで誰が待ち受けているのかも知らず。

 

 

 駅前のロータリーでワンボックスカーを止めて、一行は車を降りた。そこに送迎リムジンが音もなく近付いてくる。その車に八幡は見覚えがあった。

 

「はーい、雪乃ちゃん」

 

「わざわざこの車を選択するとは、趣味が悪いわね」

 

 運転手にドアを開けさせて後部座席から登場したのは雪ノ下陽乃だった。そんな姉に向けて雪乃がため息混じりに苦言を述べる。それによって陽乃の意図を理解した八幡は、黙って推移を見守ることにした。だが。

 

「……ふぅん。雪乃ちゃん、事故の件は上手く話を付けたんだね」

 

 陽乃の整った外見に驚いている由比ヶ浜を一瞥で済ませ、八幡には楽しそうな顔を見せた上で、陽乃は状況を把握した旨を妹に告げる。一瞬にして主導権を取り戻した陽乃は、そのまま戸塚や小町には目もくれず旧知の仲に話しかけた。

 

「静ちゃん、お疲れー。アップデートの話は聞いてると思うけど、リアル世界とビデオ通話ができるようになって、お母さんが早く雪乃ちゃんを連れて来いってしつこくてさ。もう解散だろうし問題ないよね?」

 

「陽乃、少し落ち着きたまえ。部の合宿で二泊三日をともに過ごしたのだから、名残を惜しむ時間ぐらいは待てないかね?」

 

 リムジンを見せて主導権を握るつもりが失敗に終わって、やはり目の前の教師やここにはいない弟分から得た情報だけでは現実と大きな乖離があると陽乃は判断した。ららぽーとでの遭遇時と同じ結論に至った陽乃は、部活での妹の様子をごく控え目にしか教えてくれない平塚に軽く意趣返しをするつもりで口を開く。

 

「そりゃあ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、名残を惜しむぐらい仲良くなってくれたのは嬉しいけどさ」

 

 一同がこの世界に巻き込まれる直前に、目の前の教師と電話で話した時のことを陽乃は思い出していた。妹と事故の被害者との顔合わせがつつがなく終わったと、報告を受けた時のことを。随分と仲が良くなったものだと楽しそうに二人を見やりながら、陽乃は拗ねた口調を取り繕いつつ爆弾を投下した。

 

「……何を言っているのかしら?」

 

「説明しないと解らないのかな。雪乃ちゃんが事故のことを引き摺っていたから、なら当事者どうしで顔を合わせてみたらどうかなって、静ちゃんに提案したのがお姉ちゃんだったのです」

 

「陽乃、その辺りにしておきたまえ。陽乃の提案は事実だが、比企谷を奉仕部に入れるよう取り計らったのは私だよ」

 

 平塚先生はそう言ったものの、意外な事実を突き付けられてさすがの雪乃も驚いたのか声が出ない。八幡も由比ヶ浜も沈黙したままで、戸塚や小町は口を挟むこともできず黙って推移を見守るしかなかった。

 

「じゃあそういうことで、雪乃ちゃんは連れて行くね。……お母さんが待ってるよ」

 

 とどめとばかりに母に言及して、陽乃は固まったままの雪乃をリムジンに乗せると自らもそれに続いた。呆気にとられた一同を尻目に、車は滑らかに動き始め、すぐに視界から消え去った。

 

 

***

 

 

「雪乃ちゃん、ごめんねー。実は仕組まれてたって知って、驚いちゃった?」

 

 車内では陽乃が雪乃に話しかけていたが、雪乃は反応を見せなかった。ちょっと効果が大きすぎたかなと陽乃は少しだけ反省する。こんな所で使ってしまわないで、もっと面白い場面まで温存したほうが良かったかもと。

 

「これもお姉ちゃんの愛情だと思ってさ。実際に比企谷くんと仲良くなれたし、良かったじゃん」

 

 だが陽乃は勘違いをしていた。確かに雪乃は事実を知らされて、更には()()()の話を出されて完全に後手に回ってしまったが、それでも白旗を揚げたつもりはなかった。

 

 反応を示さない雪乃に話しかけるのは飽きたのか、陽乃は何か読み物を始めようとしていた。そんな姉を横目で窺いながら、雪乃はゆっくりと考えを進める。

 

 あの木々に囲まれた空間で、雪乃は八幡と約束したのだ。彼が真剣に向き合った失敗は、それを見ていた自分も乗り越えると。あの時に想定していたのは今の状況ではないのだが、だからといって今を例外として扱えるほど雪乃は大人しい性格ではない。

 

 由比ヶ浜の誕生日にあった出来事を雪乃は思い出す。あの日に彼が語ったこと、仕組まれた状況を目にして彼が考え、悩み、そして得た結論を雪乃はつぶさに思い出すことができる。ならば何も問題は無い。自分もまたこの状況を乗り越えることができると雪乃は思う。

 

 そもそも、と雪乃は考えを続ける。昨夜小町に話した通り、自分と八幡の関係は事故の日にまで遡るのだ。決して姉に橋渡ししてもらって生まれた関係ではない。百歩譲って姉のおかげという部分を認めたとしても、その後の関係を築いてきたのは自分たち三人だ。この程度の貢献で姉に感謝を捧げていては、()()()になど一生逆らえないではないかと雪乃は思う。

 

「姉さん。……些細な貢献を多大に喧伝して、気が済んだかしら?」

 

「……そっか。比企谷くんのことを信頼してるんだねー」

 

 だが雪乃は姉を甘く見ていた。妹が何を背負って、何に頼って優位な気持ちを維持しているのか、陽乃はたちどころに見抜いてしまった。そんな脅しには応じないと、更に気持ちを依存させようとする可愛らしい妹を観察しながら陽乃は考える。奉仕部のことは、自分が直々に把握しておく必要があると。

 

 たとえ平塚に詳細をはぐらかされても、葉山の報告に満足していなくても、今までの陽乃はそうした状況すらも楽しんで受け入れていた。そこには、自分が見ぬ間に妹が成長して驚かせてくれたら良いのにという願望も含まれていた。だが妹自身の手によるのではなく、第三者の手で変化するおそれが出て来た以上は、事前にそれを把握しておくべきだろう。陽乃や母にとって望まぬ成長にならないように。

 

 リムジンの後部座席で睨み合いながら、姉妹はいずれも来る二学期に、彼と会う日のことを考えていた。

 

 

***

 

 

「ヒ、ヒッキー。ゆきのん大丈夫かな?」

 

 雪ノ下姉妹が去ってしまった駅前で、急展開に呆気にとられていた由比ヶ浜はようやく我に返った。事が姉妹のことだけに、どこまで踏み込むべきかも分からないまま由比ヶ浜は八幡に助けを求める。

 

「ん。まあ大丈夫だろ」

 

 だが平塚先生ですらも意外に思うほどあっさりと、八幡はそう答えた。問いかけた由比ヶ浜はもちろん小町も戸塚も驚いている。

 

 だが八幡の断言には根拠があった。彼もまた一昨夜の約束を覚えているのだ。そして自分が六月にどんな状況と向き合ったのかも。由比ヶ浜をしっかりと見据えながら八幡は口を開く。

 

「お前の誕生日に、部室で話しただろ。仕組まれてた状況をどう考えるかって、俺ら三人で。あの時に一度経験してるんだから、雪ノ下なら大丈夫だろ」

 

「あ、そっか。……でも相手はお姉さんだし、ホントに大丈夫かな?」

 

「四月からずっと、雪ノ下の規格外ぶりを一緒に見てきただろ。俺らが心配するだけ無駄だと思うがな」

 

「……うん、そうだね」

 

 八幡の言葉から奉仕部の絆のようなものを感じて、由比ヶ浜は黙って頷いた。これで不安が消えたわけではないが、喜びの気持ちが今は勝っていた。自分たち三人がこの数ヶ月で積み上げてきたものを由比ヶ浜は思う。

 

 

 そんな二人を小町は微笑ましく見守っていた。昨夜雪ノ下に兄のことをお願いした小町だが、相手が由比ヶ浜でも全く異存はない。それに、今語られていた三人の関係性に小町は羨ましさを感じていた。

 

 出発時、兄が仲間を得られたと喜んでいた時のことを小町はあえて思い出す。兄のように自己をきちんと分析できるわけではないが、自分という要素がその喜びに多く反映されていたのが問題だったと小町は考えていた。

 

 ただ単純に兄の状況を喜ぶのではなく。むしろ喜ぶ対象は「仲間に恵まれた兄を持った自分」だったのではないかと小町は疑っていた。だから兄自身の気持ちよりも周囲の理屈を優先して、いじりを受け入れて当然という発想にすら繋がったのではないかと。

 

 そういえばあの時は「自分の教育の影響も大きかった」と小町は確かに考えていた。だから集合時の不満そうな表情を見て、小町は内心で呆れていたのだ。「人の努力も知らないで」などと考えながら、小町は兄にさっさと諦めるよう促したのだった。

 

 兄譲りの面倒な思考の罠に嵌まりかけていた小町だったが、そんな小町だからこそ、兄に言われたこともまた心にしっかり刻み込まれていた。ぼっち気質の兄に仲間ができたことをどう受け止めたら良いのか分からなかった。未経験だから仕方がない。兄は自分にそう言ってくれたのだ。

 

 そして今。この胸に抱いている羨望の気持ちは、自分とは完全に切り離されたものだと小町は思った。正直それを認めるのは少し寂しい。兄が自分から遠ざかって行くような気持ちになる。だが「仲間に恵まれた兄」には少なからず貢献できたと考えている小町でも、この三人の関係性に貢献できたとはとても思えなかった。それほどに、小町の目にはこの三人の関係が特別なものに見えたのだ。

 

 だからこそ、今のこの羨ましさは純粋に兄を想っての気持ちだと言えるのだろう。慣れない面倒な思考を切り捨てて、小町は静かに笑顔を見せた。

 

 

 平塚先生もまた二人を微笑ましく眺めていた。本来は八幡と雪ノ下を引き合わせるだけの予定だったが、そこに居合わせたイレギュラーが全てを変えてくれた。由比ヶ浜が加わったことで、奉仕部は今に至る関係を築くことができたのだ。自分の貢献など些細なことだと教師は思い、元教え子にそう語りかける自分を想像する。既に賽は自分や陽乃の手を離れてしまったのだと、平塚は内心で話を続ける。

 

 

 そして戸塚は、二人を温かく見つめる二人の姿をも視界に収めていた。いつも誰かに守られて自分では行動できないことが多い戸塚は、今回の合宿でもさほど貢献できたわけではない。だが誰よりも優しい眼差しを備えた戸塚は、他人の関係性を把握するのに優れていた。

 

 去り際に見た小学生たちを戸塚は思い出す。一人は混乱で、一人は自責で、もう二人は怯懦で、関係の再構築は難しそうに見えたが、それでもあの少女の覚悟を見てしまえば、問題はいつか解決するのだろうと思わずにはいられなかった。

 

 そして今、戸塚の目の前では、親しい仲の友人たちが強固な関係性を見せてくれている。ここまでぴったりと当て嵌まる組み合わせを戸塚は他に知らない。その眩しいばかりの輝きに、戸塚は三人の関係がこのまま長く続いてくれることを願わずにはいられなかった。

 

 

 今この場に、先行きを不安に思うような要素は微塵もない。この世界で少しずつ積み上げてきた三人の関係があれば、どんな難題でもクリアできると誰もが考えていた。この合宿でもそうだったのだから、この先もそうに違いないと。

 

 彼らの心情を反映するかのように、空には雲一つ見えない。そして彼らの関係性を祝福するかのように、強い日差しが照りつけていた。

 

 

 

 原作四巻、了。

 

 原作五巻につづく。

 




その1.今後について。

 本章には、ぼーなすとらっく!(BT)はありません。原作五巻がBTに近い内容で、かつ作中で日にちの余裕がないからです。リアル事情が落ち着くまで次回更新日を確約できない状況なのが申し訳ないですが、何とか早めに戻って来られるように頑張ります。念のため、作品は一旦「完結」にしておきます。


その2.本章について。

 本章ではいじめ問題を各キャラがどう考えるかという要素を加えました。とはいえ私がいじめ問題について語れることは殆どなく、せいぜい「死ぬのはダメ」という程度です。だから作中で各キャラが語った意見は(これはいじめに限らずどんな話題でも同じですが)私の代弁ではなく「彼らが言いそうなこと」を書いたつもりです。

 留美以外の小学生の名前を出さなかったのは、本作での扱いが原作よりも酷いからです。前章の八幡や本章の葉山のように本人の成長に繋がるなら悪い扱いもありだと思いますが、ただ留美の足を引っ張るだけのキャラに成り下がっている以上、原作キャラとは別のオリキャラとして捉えて頂けると助かります。

 改めてまとめると、章の前半で中高生の関係を修正して、特に奉仕部入部の辺りを再整理して。後半で留美の問題に挑んで中高生の関係にも変化を生じさせて。最後に一巻三話で用意してあった伏線を手に登場した陽乃に反撃することで関係性に更なる変化が、という構成でした。


その3.参考書籍、あるいは読書案内のようなもの。

 いじめ問題に興味をお持ちの方々に向けて、本章を書くために読んだ五冊を私の印象を添えて紹介しておきます。以下敬称略。

・中井久夫「アリアドネからの糸」(みすず書房)
 冒頭20ページ程度を占める「いじめの政治学」の中に、いじめ問題のほぼ全てが書かれているとすら思いました。既に12話で紹介済みですが、八幡が留美に語った内容の多くは本書のおかげです。子供が読めるように平易に書き直した「いじめのある世界に生きる君たちへ」(中公)という作品もありますが、個人的には本書を子供に読み聞かせるか一緒に読むほうが良いと思います。

・なだいなだ「いじめを考える」(岩波ジュニア新書)
 本書も一冊でいじめ問題のほぼ全てをカバーできていると思いました。上記の中井が簡潔かつ深い作品だとすれば、本書は読み易くかつ深い作品と言えそうです。主に平塚先生の言動が本書の影響を受けています。ジュニア向けの新書ながら大人が読むに堪える作品だと思いますし、作中には俺ガイルの一部キャラも(地名としてですが)登場しますので、まず読むなら本書をお勧めします。

・森田洋司「いじめとは何か」(中公新書)
 いじめ問題を一般化・抽象化した形で理解したいのなら本書が一番適切だと思います。ただし硬めの新書を読み慣れていない人には少し読みにくい作品です。被害者と加害者だけではなく、周囲の環境や傍観者に目を向けた記述をする際に大いに参考になりました。

・内藤朝雄「いじめの構造」(講談社現代新書)
 紹介されている事例が豊富でそれらの解釈も興味深いものがありました。ただし事例の選択には不透明な部分があり、過激なもの・都合の良いものを集めているとの批判は出そうです。上記の中井の作品にも言及があり、その引用箇所および解釈に私は少し疑問を覚えました。著者のノリやネーミング(「破壊神と崩れ落ちる生贄」等々)も合わない人は合わないかと。主に八幡の過去を補強するのに役立ちました。

・尾木直樹「いじめ問題をどう克服するか」(岩波新書)
 大津の事件を詳しく知れることと、事前の知識がなくても読み易いという利点はあります。しかし教育制度や海外の事例に言及しても内容はいずれも空疎で、理想論に過ぎる印象でした。いじめというメジャーなテーマにも拘わらず、巻末に挙げられた参考文献の半数が自著なのを見ると、やっつけ仕事と批判されても反論できない気がします。問題をさらっと理解するには良いのかも、という感じでした。


その4.二次創作の考え方。

 最近「文字が多いだけでほぼ原作通り」というコメントを添えて低評価を頂きました。

 この作品では登場人物を少し普通寄りに改変した程度で、概ね原作と地続きのキャラだと思っています。物語の要請上、多少の主人公補正はありますが、特徴的だけど現実にも居そうな高校生という範囲に何とか収まるようにと考えています。なので作中で各人が失敗をしたり、時には三歩進んで二歩下がることも珍しくありません。

 そして同じキャラが同じような場面に遭遇して行動する以上、原作からの大幅な逸脱はありませんし、その中で微妙な変化が積み重なって行く様子を描きたいと思っています。原作の展開を尊重しながらも、少し違った流れから同じセリフが飛び出したり、あるいは特定のセリフが別人によって語られたり。そんな些細な違いを生み出すことに拘るのも、二次創作の一つの形ではないかと私は思います。

 だから私は「ほぼ原作通り」という批判にはお応えできません。視点を変えたり思考を掘り下げたり微妙に解決法を変更したり、「ほぼ原作通り」の展開の中でいかに自分の色を出すかを考えているからです。オリジナル展開を違和感なく書けている作品を評価する気持ちは私も同じです。しかしそうでない作品=低評価というご意見に私は同意しません。

 とはいえ上記コメントの主旨はそこではなく、おそらく「冗長で読んで面白くない」と言いたいのだと思いますし、そこは謙虚に受け止める所存です。読んで面白いと思って頂けるように、分かり易くかつ書き落としがないように、現状に満足せず少しでも良いものをお届けしたいと考えていますので、宜しくお願いします。


その5.謝辞。

 各キャラがいじめをどう考えるのか。もしも八幡が無力化・透明化という話を知っていたら。八幡はディプロマシーというゲームとどう出会いどう活かすのか。そうした仮定で話を進める際には、他の二次作品が参考になりました。事前のお知らせもなく作品名を出すのは失礼かもしれませんので、ソロで可能な趣味に没頭する八幡を描いたとある作品に、こっそり感謝を捧げたいと思います。

 またそれ以外にも、一色が出る回ではあの作品とか、城廻が出る回では、城山が出る回では、陽乃が先生が等々、直接の影響こそないものの、特定の作品を読んでいたおかげで書けたと思えた回は過去に何度もありました。それらの二次作品にもこの場を借りてこっそり感謝を捧げさせて下さい。

 そして何とか原作四巻も完結まで持って行けたのは、もちろん本作を読んで下さる読者様のお陰です。厳しいご意見を頂くと辛い気持ちにはなりますが、反応を頂けるだけでも恵まれているのだと思い直して、少しでも改善できるようにと考えながらここまで書き続けてきました。もはや気持ちをお伝えしようにも語彙が尽きてしまった気がしますが、お気に入りや評価や感想や助言を下さった方々に、更にはこの作品を見守ってくれる大切な友人にも心からの感謝を込めて、四巻の結びとさせて頂きます。


追記。
細かな表現を修正しました。大筋に変更はありません。(7/28)

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