俺の青春ラブコメはこの世界で変わりはじめる。   作:clp

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前回までのあらすじ。

 基本は家に引き籠もって妹と過ごしつつ、八幡は夏休みにも由比ヶ浜・海老名・一色・平塚・城廻・戸塚・材木座らと旧交を温めていた。にもかかわらず、本人は今なおカースト底辺のぼっちを自称している。

 由比ヶ浜と二人きりで花火大会に出かけた八幡は、会場で相模や陽乃と遭遇する。前者からは予想外の、後者からは表面的には予想通りの友好的な応対を受けて、八幡は二学期に向けて考えることが増えてしまった。由比ヶ浜は心配を胸に秘めつつも、第三者から見た八幡の現状を彼に伝え、慣れるしかないと告げる。今までは疎遠だった面々との、そして既に親密になった面々とも、関係の再構築が求められつつあった。



幕間:限りなくリア充に近いぼっち。

 家からほとんど外に出ないまま暑い毎日を過ごしていると日付の感覚がなくなるもので、気付けば翌週の土曜日になっていた。自転車で出かけるのがすっかり億劫になった比企谷八幡は、この日も自宅からショートカットで個室に移動して、そのまま高校内へと足を進めた。

 

 今日は朝から雪ノ下主催による勉強会の予定だ。開催場所である奉仕部の部室へと、八幡は軽快に歩を進める。ほぼ一ヶ月ぶりだというのに、足が道筋を覚えているという感覚がある。実は、己が上機嫌であることも軽い足取りの要因なのだが、八幡はそれを自覚していなかった。

 

「ういっす……ってお前ら早いな。まだ五分前にもなってないぞ?」

 

 集合時刻の五分前には到着するよう余裕を持って出て来たはずなのに、既に部室では八幡以外の全員が顔をそろえていた。五月の終わりに、あの時の依頼に関与した高校生たちが一斉に八幡に視線を送る。

 

「比企谷くん、お久しぶりね。遅刻をしたら新しいあだ名をつけてあげようと思っていたのだけれど」

「ヒッキー、やっはろー!」

「八幡、この間は楽しかったね。元気だった?」

「あんたもとりあえず座りなよ。大志があんたのことばっか話すから、久しぶりって気がしないね」

 

 四者四様の語りかけにどう反応したものやらと思いつつ、八幡はひとまず苦笑いと頷きだけで済ませると、勧めに応じて座り慣れた自席に腰を下ろした。

 

 長机は普段よりも黒板に近い位置にあった。天井からはスクリーンが下ろされていて、黒板の左半分を覆い隠している。

 

 長机の長辺、その黒板側は、いつもなら依頼人が座るのだが、この日は雪ノ下雪乃が席を占めていた。普段の彼女の指定席には川崎沙希が、その横にはいつも通りに由比ヶ浜結衣が、そして八幡の隣には戸塚彩加が腰を落ち着けている。

 

「あのな。ぼっちに一気に話しかけるとか、お前ら鬼か。動揺して返事を噛んでいたたまれなくなって自宅に逃げ帰って小町の手料理で慰めてもらうまであるぞ?」

 

「最近のあんたの妹を見てると、叩き出されそうだけどね」

 

「小町ちゃん、最近ちょっと変わったよね。あたしもヒッキーが追い出される気がする」

 

「小町さんにも思う所があるのでしょうね。そもそも、今の比企谷くんなら逃げる必要はないと思うのだけれど」

 

「うん。みんな八幡と仲良しなんだし、そんなに気にしないでいいのに」

 

「いや、戸塚の気持ちは嬉しいんだが……なかなか慣れなくてな。ま、とっとと始めようぜ」

 

 天使からの宣告に歓喜して思わず弱音が漏れそうになった八幡は、照れ隠しの意図もあって勉強会の開始を要請した。そんな彼に優しい目で苦笑いを送るその他四人。だが八幡がまた挙動不審に陥る気配を感じて、雪ノ下が気持ちを切り替えて発言する。

 

「では、さっそく英語から始めましょうか。まずは私が受講した内容から、現時点で履修済みの文法項目を抜き出してみたのだけれど……」

 

 そう言いながら雪ノ下は高校()年生向けの東大英語のテキストをスクリーンに映した。五月に川崎に提案した「大手予備校の東大コースを受講後に復習を兼ねた勉強会を行う」という約束を果たすべく、こうして雪ノ下による講義が始まった。

 

 

***

 

 

「なんか午前中でへとへとなんだが……」

 

「あたしなんて頭がぱんぱんでもう何も入らないよ……」

 

「ぼくも、こんなに濃密な勉強はしたことなかったかも……」

 

「あんたの好意は凄く嬉しいんだけどさ。さすがに詰め込みすぎって気がするよ……」

 

 高三向け東大英語(雪ノ下スペシャルミックス)の学習効果は絶大で、参加者の誰もが英語への手応えを実感した。同時に全員がこの上ない疲労感を自覚していた。

 

「わ、私も受講時には英語の奥深さを実感したので、何とかそれを伝えたいと思ったのだけれど……」

 

「いや、それは本当にありがたいと思うんだが、俺が受けた予備校の授業って何だったのか疑問に思えて来てな。『ポイントを押さえろ』とか『大事なところを見極めて読め』みたいな読解は邪道ってことだろ?」

 

「ええ。構文把握で満足せず、文脈を読み取って綺麗な日本語に訳せてこそ価値があると仰っていたわね。私もそれに同感なのだけれど」

 

「だからって、このスピードで読解してたら日が暮れるぞ。現に午前中に英国をやる予定が、英語しか終わってないからな。ま、俺は数学は必要ないからこれでも良いんだが」

 

「大丈夫よ。時間が足りないことを見越して、要点をプリントにまとめてあるわ」

 

「あんた、そういう問題じゃなくない?」

 

 何とか川崎が口を挟むものの、由比ヶ浜も戸塚も口を開く余裕はなく、反論を行えていた八幡も今の雪ノ下の発言で心理的なダメージを負った様子である。

 

「その、教えて頂いた先生も、テキストを最後まで終わらせられなくて。でも充実した内容のプリントを配って頂いたわ。だから私も……」

 

「なあ。それって授業の計画時点で色々と無理があったってことじゃねーのか?」

 

「……むしろ『教えるべきことを教えていないから早く進むのだろう』と他の先生方を批判しておられたわね」

 

「ここの運営連中といい、頭の良い奴って変なのしかいねーのかよ……」

 

 

 ともあれ嘆いていても仕方がないので、五人は体力と精神力を回復させるために昼食を摂った。食事中だけは勉強の話は止めて欲しいという由比ヶ浜の懇願を受け入れて、雪ノ下が口を開く。

 

「そういえば、比企谷くんは誕生日をどう過ごしたのかしら?」

 

「えっ。ヒッキーって誕生日いつ?」

 

「あー、言ってなかったか。今月の八日だったんだが」

 

「えー。言ってくれたらみんなでお祝いできたのに……」

 

 おそらく小町が気を遣ったのだろうと八幡は推測した。ぼっち気質の兄のためにも千葉村から間を置かずに大勢で集まることは避けて、ならば誕生日の情報自体も伝えないほうが良いと考えたのだろう。その結果、家族で久しぶりに集まることになったのだから、妹の選択は正しかったのだろうと八幡は思った。

 

 見るからに残念そうな様子の由比ヶ浜に苦笑しながら、川崎も戸塚も三人の会話には入ろうとしない。そんな二人を横目でちらりと確認して、苦笑いが移ったまま雪ノ下が会話を続ける。

 

「由比ヶ浜さん。そうしたことを比企谷くんが恥ずかしがって逃げるのは、貴女もよく知っているでしょう?」

 

「それは分かってるけどさ。せっかくの誕生日なんだし……」

 

「一応な、家族で食事とかして来たから。誕生日はぼっちじゃなかったし、心配すんな」

 

「やー、えーと、そんな心配はしてなかったんだけどさ。ってそれって、こないだ言ってたやつ?」

 

「おお。ホテル・ロイヤルオークラに行ってきたってやつな」

 

「へえ。あんた、意外に親孝行なんだね」

 

「八幡たちと一緒にバーに行ったの、懐かしいね」

 

「今度は川崎さんも客として、ここにいる全員で行くのも良いと思うのだけれど……」

 

 なにぶん他の生徒達と遊びに行った経験に乏しいだけに、雪ノ下が小声で提案を行う。しかしそれを聞き逃す由比ヶ浜ではなく、この提案は瞬時に約束へと昇格するのだった。

 

 

「あ、そういえばさ。こないだ花火大会でゆきのんのお姉さんに会ったんだけど」

 

「ええ、聞いているわ。比企谷くんや由比ヶ浜さんと一緒に花火を見たと、何だかはしゃいでいたわね」

 

「あ、うん……」

 

 雪ノ下は「二人きりで」と口にしたわけではないのに、何だか隠し事が明るみに出てしまったような心地がして、由比ヶ浜は恥ずかしそうに俯いてしまった。とはいえ奉仕部の仲の良さを体感してきた戸塚や川崎からすれば、由比ヶ浜()()が八幡を誘うことに不思議はない。よもや二人きりとは思いもせず、戸塚と川崎は首を傾げている。

 

「人前に出るのは自分の役目だって陽乃さんが言ってたけど、なんか大変だな」

 

「あれ。ヒッキーって陽乃さんのこと、名前で呼んでたっけ?」

 

 由比ヶ浜が恥ずかしがっていることに加え、自分まで飛び火しないようにという意図もあって話を進めようとした八幡だったが、まさかの背後からの攻撃を受けてしまった。

 

「あー。あの日は名前で呼んだら向こうの思うつぼって感じだったから拒否したけど、どっちも雪ノ下だと判りにくいしな」

 

 

 そうは言ったものの、八幡は発言の矛盾に気付いていた。姉妹で判りにくいから名前で呼ぶのであれば、雪ノ下を名前で呼んでも良いはずだ。もちろん面と向かって直接呼ぶのは論外だとしても、当人が居ない所でならば名前で呼んでも良いはずだ。しかし今の八幡にはそれもできない。また、仮に由比ヶ浜に兄弟姉妹がいたとしても、八幡はやはり名前では呼べないだろう。

 

 雪ノ下陽乃を気楽に名前で呼べるのは、馴染みが薄いからだと八幡は自覚している。考えてみると不思議だが、関係が深まったために二人を名前で呼ぶことができなくなった。この感情の根幹にあるのは何なのか、八幡は知りたくもあり、そして知りたくないとも思っている。

 

 リア充の男子生徒達が由比ヶ浜を名前で呼んでいるが、と八幡は思う。あれもやはり、関係がそれほど深くないからこそなのだろう。もしも自分が二人を名前で呼ぶことがあるなら、それは今よりももっと関係を深められた時だろうと八幡は考える。だが果たして、そんな時が来るのだろうか。

 

 花火大会で偶然会った相模南のことを八幡は思い出す。彼女から友好的な対応を受けて混乱していた八幡に、由比ヶ浜がその理由を教えてくれた。それは筋の通った話だったが、要は自分の力によるものではなく他人の威を借りた結果である。自意識の高い八幡としては、複雑な思いを抱いてしまったのも当然だった。

 

 自分というものを他人以上に信じられないものとして扱ってきた八幡は、自己評価の低さを自覚している。

 

 もちろん、自分が優れていると思う分野もある。同じ中学からはただ一人、この辺りでは一番の進学校である総武高校に合格した。国語が学年三位だったり、中二病の頃に培った知識や経験だったり、それらは奉仕部が受けた依頼を解決するために彼が使った武器であり、それが効果を発揮したことで八幡は更に自信を深めることができた。

 

 だが、苦手を自覚している分野もまた、八幡自身が何らかの手応えを得られない限りは苦手意識が残ったままなのだ。

 

 だからこそ。多くの人から評価されるような何かを得たいと八幡は思う。思うようになった。ぼっちでカースト底辺の割には一部のスペックが高い自分に、かつての八幡は満足していた。だが今は、それだけでは満足できない。その先を考えると、自分の中だけで満足して終わりというわけにはいかない。

 

 他人など信じられないと思っていた頃とは違う。信じても良いかもしれないと思う他人を見付けて、八幡はようやく自分を信じたいと思うようになった。だからこそ、他人からも一目置かれるような何かを得たくなった。そうして初めて、他人のことを信じられるようになるのではないかと八幡は考えたのだ。

 

 一つ先に進むと、更に先を求めたくなる。二人との距離を更に縮めるために。彼女らの家の事情を知ったり、彼女らと個人の仲を深める前に。何か他人に誇れるものを得たい。

 

 それはこの年代に特有の潔癖さが反映された思考である。彼が行列に秩序を求めたのと同様に、順序というものを意識してそれに囚われてしまう青さは、しかし順番に課題をクリアして目的へと近付くための原動力にもなる。

 

 かつて奉仕部を離れようとして、だが戸塚や由比ヶ浜との対話を経て「次の依頼で結果を出す」と決意した時と同じように。八幡は心中でこっそりと「次の依頼でも結果を出す」ことを誓った。

 

 

「そういえば、姉さんは文化祭について何か言っていなかったかしら?」

 

「うーんと。特に何も言ってなかったよね、ヒッキー?」

 

「だな。文化祭どころか、高校の話すらなかったと思うが。……平塚先生が文化祭でベースを弾かされたって言ってたけど、その話は違うんだろ?」

 

 今まで一人で考え込んでいたことをおくびにも出さず、八幡が同意を重ねる。二人の返事を聞いて雪ノ下は納得の表情を浮かべていた。

 

「ええ、それは今から二年前と三年前の話ね。姉さんは私達と入れ替わりで卒業だったから。……ということは、なるほど。姉さんはそう考えているのね」

 

「おい。お前ら姉妹で勝手に楽しんで勝手に納得すんな。っつーか、俺らを介してお互いの意図を探り合うとか止めて欲しいんですけど」

 

「なんだか凄い姉妹だね。うちは下の子が小さいからってのもあるけど、直接話せるほうが楽しいけどね」

 

「ぼくも、雪ノ下さんのお姉さんを見た時は圧倒されちゃったからなあ……」

 

 笑うしかない由比ヶ浜と呆れ顔でツッコミを入れる八幡を見て、川崎も戸塚も苦笑している。川崎の呟きを耳にして、家族との連絡手段を得られたお陰で快活な調子を取り戻しつつある彼女に見えないように、四人はこっそりと目配せを送り合う。

 

 続けて戸塚が言葉を発すると、あの駅前での光景を思い出して八幡と由比ヶ浜は頷きを返した。だが雪ノ下は平然としたもので、全員に教え聞かせるように八幡への返事を行う。

 

「正確な情報は、いくらあっても足りないということはないわ。ただそうなると、少し面倒なことになりそうね」

 

「不吉な予言っぽくて怖いんだが。てか、お前らJ組は文化祭で何をするんだ?」

 

「それは二学期になってのお楽しみね。まだ何も決まっていないの」

 

「それって、お前にだけ情報が回ってきてないとか……」

 

「残念ながら、私たちのクラスは去年から同じ顔ぶれだし、意外に仲が良いのよ。とはいえ、最近は仲が良すぎて困るという気配が出て来たのだけれど……」

 

 由比ヶ浜に縋り付かれた時と同じ表情を浮かべている雪ノ下を見て、八幡は心の中で彼女にエールを送った。クラスでも部活でもとなると雪ノ下でも大変だと思うが諦めて頑張ってくれと、八幡は他人事ゆえに静観する。当の由比ヶ浜は話を理解できておらずきょとんとしているが、敢えて教えなくとも問題はないだろう。

 

 そういえば、と八幡は思う。かつては雪ノ下も孤高を貫いていたはずだ。その時と今と。改めて比べてみても、やはり今のほうが良いと八幡は思った。

 

 おそらくは過去の自分と同じように、他人に掌を返され拒絶された雪ノ下。自分とは違って、高いところに祭り上げられるという形で排斥された雪ノ下。だが、由比ヶ浜が彼女の心の壁を突き崩した。

 

 今の雪ノ下は他人を信じることができるのだろう。それは彼女に、万人に認められるような才知が備わっていたから。そんな自分に自信があったからではないか。だからこそ信じられる他人を得てすぐに、雪ノ下は今の状態へと落ち着けたのだろうと八幡は考える。

 

 雪ノ下の自信が、あるいは誰の自信であっても、それが時に簡単に揺らいでしまうほど曖昧なものであることを。既に忠告を受けていたにもかかわらず、そんな時に雪ノ下がどのような思考経路に陥るのかを、八幡はまだ知らない。

 

 

「じゃあそろそろ、勉強会を再開しようか。せっかく雪ノ下が教えてくれるんだし、あんたらももう少し頑張ろうよ」

 

 塾のバイトで培った経験を活かして、話の切れ目を捉えて川崎が全員に提案を行う。確定でこそないものの、全員が理系よりも文系を考えていることもあって、数学の授業は各自プリントでという話になった。午後は国語をみっちりとこなして、こうして雪ノ下主催の勉強会は終わった。

 

 

***

 

 

 それぞれテニスの練習と塾のバイトに向かう戸塚と川崎を見送って、三人は部室でお茶を楽しんでいた。

 

「放課後ティータイムって感じで、平和だな」

 

「さっきまで詰め込みすぎて頭が痛かったけど、癒やされてる気がするし」

 

「その、由比ヶ浜さん。せっかく覚えたことを忘れられては困るのだけれど」

 

 そんな苦言を呈しつつも、久しぶりに三人揃って部室で時間を過ごしている現状ゆえに、雪ノ下の表情は柔らかい。

 

「お前はそう言うけどな。あれ、予備校の授業だけじゃなくて、平塚先生が言ってたお勉強サプリとか模試で出た問題とか、色んなものをぶち込んでるだろ?」

 

「なにも一度で全てを理解する必要はないし、せっかく学習した成果を詰め込むのは悪いことではないと思うのだけれど?」

 

「確かに繰り返し復習したら力がつきそうだけど、受ける奴のことも考えておけよ。特に由比ヶ浜な」

 

 飼い犬を連想させるような勢いで由比ヶ浜が繰り返し首肯している。それを見た二人は、難しい話はこれで終わりだと無言で頷きあって、別の話に移った。

 

「先程の文化祭の話を蒸し返すことになるのだけれど」

 

「面倒なことになりそうとか言ってたよな。あんま聞きたくない気もするけど、どういう意味だ?」

 

「どのみち困難な事態に陥れば依頼が来るのだから、私達も巻き込まれることを覚悟すべきだと思うのだけれど。とはいえ、あまり不吉な話ばかりだと気が滅入るので、今日は楽しい話をしましょうか」

 

「えっと、もしかして奉仕部の三人で、文化祭で何かやるとか?」

 

 一転して楽しそうな表情を浮かべて、由比ヶ浜が話に食い付いた。八幡は二週間ほど前に妹が口にした「ペットって飼い主に似るのかなぁ」という呟きに「逆じゃね?」と脳内でツッコミを入れつつ、話の推移を見守る。

 

「確定ではないのだけれど、この世界に巻き込まれたことで、有志の出し物が例年ほど揃わないのではないかと思うのよ。だからもしもに備えて、私達にできることを相談しておきたいと思ったのだけれど」

 

「うーん、三人でできることかぁ……。隼人くんたちはバンドをするつもりって言ってたけど、そういえばパート分けもまだなんだよね」

 

 由比ヶ浜の呟きに、雪ノ下が僅かに顔色を変える。リア充グループでバンドを組むという話になれば、由比ヶ浜はそこに名を連ねることになるだろう。そうなれば奉仕部で一緒に何かをするという話はお流れになる可能性が高い。掛け持ちができるほど時間の余裕は無いだろうから。

 

「あっちは全部で……お前を入れると七人になるよな。こっちは人数ギリギリだし、職場見学の時みたいにお前だけこっちにってわけにはいかねーかな?」

 

 雪ノ下の表情から思考までを見抜いて、八幡が一つ提案を行った。リア充グループへの言い訳を用意して、部長様の御心のままに話が進むためのアシストを行う。

 

「あ、うん。それだったら優美子たちも納得してくれると思う。正直、人数が多すぎてパート分けが上手く行かないって感じだったし、そのほうが助かるかも」

 

「んじゃ、それでいいんじゃね。雪ノ下は何をやろうと考えてるんだ?」

 

 八幡のお膳立てを受けて悪戯っぽい笑顔を浮かべて、雪ノ下は口を開く。

 

「実は私も、この三人でバンドを組むのはどうかと考えていたのだけれど、いかがかしら?」

 

「でもあたし、楽器の経験なんて無いんだよね……」

 

「俺も何も弾けないんだが、短期間で何とかなるもんなのか?」

 

「それを今から確認しようと思うのだけれど。とりあえず、部長権限で部室内をスタジオに換装するわね」

 

 いつになくノリノリの部長様だった。

 

 

***

 

 

 八幡と由比ヶ浜に順番にドラムスを叩かせた結果、楽器の振り分けは以下のように決まった。

 

ギター:雪ノ下

ベース:由比ヶ浜

ドラムス:八幡

 

「んで、ヴォーカルはどうするんだ?」

 

「そこが悩ましいところね。私だと一曲を歌いきれば疲弊してしまいそうだし、由比ヶ浜さんか比企谷くんに任せたいところなのだけれど」

 

「ベース弾きながらって、難しくない?」

 

「俺もドラムで精一杯なんだよな。お前が言うように、確かに両手と右足は別々に動かせたけど、左足はダメだったし裏のリズムが入ると途端に叩けなくなる状態だしな」

 

「それでも、いきなり叩いて両手と右足が動かせるのなら上等よ。短期間で形にする必要がある以上、楽器の担当はこれで確定ね」

 

「それって、ヒッキーに才能があるってことなんだよね?」

 

 消去法でベースを任されたと思っている由比ヶ浜が、少し小声になって問いかける。そんな部員の心情を理解して、雪ノ下は優しく反論を行った。

 

「由比ヶ浜さんもクッキーの依頼を覚えているでしょう。あの時に『才能の有る無しは、最低限の努力をして初めて判定できるもの』だと言ったはずよ」

 

「うん。それは覚えてるけどさ……」

 

「バンドを組む時にはドラムスがネックになることが多いから最初にそれを決めたのだけれど、決して消去法で貴女にベースを任せたわけではないのよ。それに比企谷くんに才能があるかというと、『まだ判定できない』が正直なところね」

 

「特に練習とかしたわけじゃねーしな。それにどうせ雪ノ下だと、最初から両手両足が動いたんだろ?」

 

「ええ。裏のリズムも普通に叩けたわね」

 

 特に誇るような素振りも見せず、あっさりと八幡の推測を肯定する雪ノ下だった。

 

「俺はバンドは初心者だから、適当なことを言ってるかもしれんが。由比ヶ浜の性格を考えると、俺と雪ノ下が暴走するのを防ぐって意味でも、ベースって役割が一番合ってると思うんだがな」

 

「私もそう考えているわ。それに才能の話に戻すと、今必要なのは才能の有無よりも、『序盤の成長が早い』ことなのよ。短期間でそれなりの状態に仕上げることが求められているわけだから、才能とはまた違う話ね」

 

 二人の説得を受けて、何か思い当たったことがあったのか由比ヶ浜が口を開いた。

 

「そういえばさ。隼人くんのグループに大岡くんっているじゃん」

 

 雪ノ下はF組に変な噂が流れた時の被疑者の一人として彼のことを覚えていた。そして八幡は「あの童貞風見鶏っぽい奴だな」という覚え方をしていた。友人の友人に対して、何気に酷い扱いをしている二人だった。

 

「大岡くんって身長が伸びるのが早かったみたいでさ。結局、他の子よりも早くに成長が止まって、身長がどんどん追い抜かれて悲しかったって、冗談っぽく言ってたんだけど。ゆきのんがさっき言ってた『序盤の成長が早い』って、そういう意味だよね?」

 

「ええ、それで合っているわ。そういえば、あの噂の後は、特に変わったことは?」

 

「うん、変なことは何も起きてないし大丈夫だよ。ね、ヒッキー?」

 

「まあ俺はお前ほどクラスのことに詳しくないけど、見てる感じだと大丈夫なんじゃね?」

 

「それなら良いのだけれど、もしもまた問題が起きた時は……」

 

「うん。できるだけあたしたちで何とかするけど、もしどうしてもダメだったら……ごめんだけど助けて欲しいな」

 

「ま、由比ヶ浜の得意分野だし、むしろ俺らができることのほうが少ないだろ。お前に無理な範囲のことは何とかするから、その時は遠慮なく言ってくればいいんじゃね?」

 

「ええ。今度こそ犯人に心からの後悔をさせてあげるわ」

 

「ゆきのんが過激すぎる……。でも、うん。ヒッキーが言う通り、あたしの得意分野なんだよね。だから最後には、あたしが頑張るから」

 

 言葉に意思を込めて、由比ヶ浜が力強くそう言い切った。そんな彼女を二人は頼もしく眺めている。

 

「話が逸れたけど、ヴォーカルの話な。ちょっと思い付いたんだが、雪ノ下が一番を歌って、由比ヶ浜が二番を歌うとかだとダメなのか?」

 

「あ、それなら何とかなる……かな。あたしも練習する前から弱音を吐いたりしないから、ちょっと頑張ってみよっか」

 

「私の体力が無いのが原因の一端なのだし、由比ヶ浜さんも気負い過ぎないようにね」

 

「うん。まだ曲決めとか色々あるだろうけど、三人で演奏できるって何だか楽しみだね。不謹慎かもだけど、有志が集まらないほうが良いかもって思っちゃいそう」

 

「ま、それぐらいの意気で良いんじゃね。とりあえず、詳しいことは二学期になってからだな。それまでは基礎練とかしてれば良いのかね?」

 

「ええ。どうなるか分からない話だけれど……。私も由比ヶ浜さんと同じく、有志が少ないことを望みたくなって来たわね」

 

「んじゃ、性格の悪い願い事なら任せとけ。たぶん叶うから、そん時は三人で頑張るか」

 

 八幡の軽口に二人が頷いて、こうして二学期に向けた準備は整った。

 

 

 お互いがお互いに理想を押し付けず、勝手に理解した気にもならず、今の奉仕部の三人は釣り合いの取れた関係にある。それぞれ知らないことはどうしようもないが、知っていることであれば瞬時に太鼓判を押すことができる。千葉村からの解散時に、八幡が雪ノ下を「大丈夫」と断言したように。

 

 文化祭で、彼らはどのような形で関係を深めることになるのだろうか。

 

 二学期はもう目前に控えている。

 

 

 

 原作六巻につづく。




本話は原作にないお話が主なこと、次巻に繋がる要素が多いことから「幕間」という扱いにしました。
楽しい夏休みが終わって、次々回からは二学期、そして文化祭が待っています。
盛り上がる内容にできるように、引き続き自分に可能な精一杯で書き切ろうと思っていますので、次章も宜しくお願い致します。

次回は相違点・時系列のまとめで、一週間後に更新する予定です。
ご意見、ご感想、ご指摘などをお待ちしています。

追記。
細かな表現を修正しました。大筋に変更はありません。(9/1,9/9,4/2)

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