IS インフィニット・ストラトス 〜太陽の翼〜   作:フゥ太

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さて問題となっている千冬さん編のクライマックスです


幕間④後編

 

 

『本日、急用のため臨時休業させていただきます』

 

 という張り紙が張られた五反田食堂の中、無音の時間が流れ三者の息遣いだけが聞こえてくる。

 店のテーブルに訪ねてきた千冬と店の主である五反田厳、そしてその両者に冷たい麦茶を出して心配そうで見つめる蓮であった。

 

「・・・蓮さん、こっちはいいぜ」

「で、ですがお義父さん」

「ご心配なく、蓮さん」

 

 厳と千冬の両者から場を外してほしいと暗に言われた蓮は渋々ながらお盆をもって店の裏に入っていく。そんな彼女に小声で声をかけてきたのはいつの間にか上の居住スペースから降りてきていた弾と蘭であった。

 

「(これはどういうことだよ母さん!?)」

「(私もわからないわ。電話もなしに千冬ちゃんが突然来て)」

「(千冬さんって、この間重傷で手術したって一夏さんが言ってたのに!?)」

 

 重傷によって一時は本当に命の危険にまで陥った千冬がこうやって五体満足で自分達の店に来た上に、思い詰めた表情で厳に言いたいことがあるなんて、いったいこれはどういうことなのか?

 何一つわからない三名を置き去りに、千冬と厳の会話がいよいよ始まるのであった。

 

「厳さん、この間、店に・・・・・・・・・・・・・・アリアが訪ねてきたと思います」

「・・・・・・・ああ」

 

 両手を組んで瞳を閉じた厳が短くそう答えると、千冬は表情歪めて途切れ途切れで言葉を紡いでいく。

 

「・・・では・・・・・・せ、せ・・・・・・先生の、ことも」

 

 千冬が出した言葉に、厳は眉をピクリと動かし、蓮は千冬が何を尋ねに来たのかようやく察するのであった。

 

「ああ。あーちゃんから聞かせてもらった」

「!?」

 

 苦虫をつぶしたかのような厳がいつも以上に低いトーンで話す言葉を受け、息苦しくて溜まらないといった表情となった千冬は俯き、何か言葉を必死に発しようとする。

 だがどれほど時間がたっても目の前の人物に何を言っていいのか、その最初の第一声が出てこないのだった。

 脳裏に彼女(先生)が笑っている姿が過る。自分以上に彼女と付き合ってきた厳が受けた衝撃は計り知れず、そのことを10年も隠し通してきた自分の行いがどれほど愚かだったのか、今更ながらに思い知らされる。

 

「(私は、目の前のこの人にすら真実も伝えずに逃げ続けておいて、束やアリアを止められると本気で思っていたのか)」

 

 暴龍帝(アリア)の言い分が最もだ。自分はすべきことを何一つ果たしていないくせに、恩師の真似事をしていて満足していたのだから。しかしこれ以上逃げ続ける訳にはいかないと決心したからここに来たのだと、意を決して千冬は顔を上げるのであった。

 

「厳さん・・・先生の事情はどの程度までお聞きになっておられましたか?」

「・・・・・・『好き勝手してる自由人』、なんて似合わない言葉でいつも誤魔化されていたが、やっぱり違うのか」

 

 恐らく厳に対しては師はほとんど自分の実情を話していなかったのは、彼の性格上、もし迂闊に話をすれば自分から裏事情に関係してくる事が想像できていたからであろう。そのことを理解した上で千冬は話すことを決断する。

 

「今から先生の事をお話しします。いくつか日常におられる方には信じられないような言葉も出てきますが・・・」

「・・・安心しろ。他の誰のことならともかく、先生に関して俺は疑いはしない。そんで・・・ちーちゃんは嘘をつかない」

 

 『嘘をつかない』という言葉に指先がピクッと反応したのは、ここまで来てなお信頼されていることへの驚愕か感謝なのか・・・彼女は一回だけ大きく深呼吸すると、厳の顔を真っ直ぐ見ながら話を始めるのであった。

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

「千冬姉ッ!!」

 

 病院から大急ぎで実家に戻ってきた一夏は、最初はリビングに駆け込み、次に台所、トイレや風呂場、様々な部屋を見て回り、最後に彼女の自室に駆け込んでいく。

 

「・・・クソッ!」

 

 当然もぬけの殻となっている千冬の自室であったが、彼の目はある一点に注視された。

 確かにそこにおいてはあったはずの彼女の愛刀・・・この間、着替えを取りに行った時にいつの間にか病院に持ち込んで隠れて訓練を始めていたことに怒った一夏が千冬から無理やり取り上げ、確かにそこに戻していたはずのものが今は置いてなかったのだ。

 玄関には確かに鍵が掛かっていたので物取りの可能性はない。それに勝手に千冬が刀を取りに帰っただけなら退院手続きなどする必要などないはずなのに、なぜそれが置かれていないというのか?

 嫌な予感が止まらなくなってきた一夏が近所を探し回ろうとしたとき、自分のスマフォに弾からの連絡が入るのであった。

 

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

「・・・以上が、起こった事の大体の経緯です」

「・・・・・・」

 

 調理場の換気扇の音だけが聞こえてくる店の中において、できうる限りの説明を尽くした千冬の声が静かに響く。自分達の出会いから厳もよく知る幼少期、そして起こった白騎士事件についてまで・・・最後の『事実』以外の全てを話し終えた千冬を前に、目を閉じて腕を組んだままの厳がここでようやく言葉を発した。

 

「そんな与太話誰が信じられるか?」

「・・・・・・」

「先生が何とかっていうテロ組織を創立して、元々が大戦を勝利させた英雄で、その後も世界を影から守ってきた聖人みたいな人だと?」

 

 厳しい視線が千冬に注がれた。場の緊張感が増し、怒った厳が千冬に対して暴力を振るうのではないのかと蓮達が心配する中、平然と言葉を受ける千冬と組んだ腕の筋肉が段々と増していく厳の二人の間の空気は・・・以外にも平穏なものが流れるのであった。

 

「そうだ。与太話だ・・・相手が先生じゃなかったならな」

「・・・そうですね。私も先生が相手でなければ子供の頃でも信じなかったでしょう」

 

 アレキサンドラ・リキュールという人物の色々な浮世離れした性格と能力、そして存在感をよく知る二人だからこそ、普通なら子供の与太話だと笑い飛ばす事も不思議と受け入れることができるのであった。

 

「先生が長い間フラッといなくなる理由はとりあえずわかった。むしろどっか他所で人助けしてたんだと言われたら納得することもある」

「ありがとうございます」

「だが、最後に一つだけ教えてくれ・・・」

 

 ようやく瞳を開いた厳がまっすぐに千冬を見つめて問いかけた。

 

「・・・白騎士ってのは誰なんだ? ちーちゃんは先生を殺したのが誰か知ってんだろ?」

 

 最も重要な事。白騎士事件の際、だれが彼女に刃を突き立てたのかと問うた厳に対して、千冬は今度こそ動揺することなく言葉よりも先にあるものを彼に差し出す。

 

 ―――布から取り出された日本刀―――

 

「・・・何の真似だい、ちーちゃん」

「今日私がここに来たのは他でもありません。誰が先生を殺めたのか、そしてその殺めた大罪人を処罰してもらうために来たのです」

 

 テーブルの上に自分の愛刀を置いた千冬はそのまま立ち上がると厳の前に移動し、その場で座り込み、頭を下げてまるで首を差し出すかのように土下座する。

 

「・・・先生を殺めた白騎士の名は・・・・・・・織斑千冬」

 

 息を呑んだのはむしろその光景を見つめていた弾達三人の方であった。

 

「故あってのことだなどと言い訳することも出来ません。私はあの人に・・・」

 

 ―――忘れない。自分の名を優しく呼んでくれる声―――

 

「・・・刃を向けただけで飽き足らず、この手で心の臓を貫いたのですから」

 

 ―――孤独の中で差し伸べられた暖かな手―――

 

「先生を殺めたのはこの私です。そしてそのことを10年も隠して貴方を欺き続けてきました」

 

 調理場の水道から漏れた水滴が落ちる音が聞こえ、それを皮切りにするように厳はゆっくりと目の前の刀に手を伸ばし、この衝撃の告白をした人物に………腹の底から響くような低音で話しかける。

 

「・・・俺の半生は先生によってもたらされた様なもんだ」

 

 戦火に焼かれた戦時後の街中で出会った偶然。拾われ助けられ絶望しかなかった自分の人生に確かな光をくれた人。生きる術を授け、場所を授け、やがてそこから自分は新しい家族を得たのだ。

 

「俺にとって大事なものは、全部先生が運んでくれたともんだと思ってる・・・本人に前にそのことを話したら真面目な顔で『今の人生は貴方の努力の結果よ』なんて説教を久々にされちまったがよ」

 

 返したかった恩。返すにはあまりに大きすぎた物を自分に与えて、彼女自身は何一つ代価を受け取ってはくれなかった。そのことが時々寂しくて、悲しいと感じたことが若い頃には何度もあった。時が移ろい、自分に孫が出来る歳になった時分に漸く厳は決心する。

 

「もし先生に大変なことがあったなら、俺が残った人生の全部使ってでも助けたい。ってな・・・」

 

 刀の鯉口を切り、鞘から伸びた刀身に移る自分の顔は今、彼女が知っている五反田厳のものであるのだろうか?

 

「それを・・・お前さんはぁっ!!!」

 

 テーブルと椅子をひっくり返して立ち上がった厳の表情には、人生最高点の憤怒が浮かんでおり・・・咄嗟に奥から飛び出てきた三人が何かを叫ぶ勢いを殺してしまう。自分達に叱責しての怒りの表情は幾度も浮かべたことのある祖父であったが、これは単純に怒っているなどという生ぬるいものではない。抑えられない激情を爆発させた姿に、家族すらも止めに入ることを躊躇させられてしまう恐怖を感じ取る。

 対してそんな厳の激情すらも素直に受け止めた千冬は、一切の動揺もなく彼の前で土下座をして首を差し出し、土壇場の罪人のように静かに刑の執行を待つかのようであった。

 

「ッッ!!」

 

 奥歯が砕ける勢いで歯を食いしばりながら刀を振り上げた厳は、目の前の人物が女性で、孫とは10しか歳が離れておらず、大切な・・・本当に大切な人が大切にした少女だったということをも忘れたかのようにその刃を今にも振り下ろそうとする。

 

「ッ・・・爺ちゃんッ!!」

 

 ようやく弾がそれだけ絞り出して叫ぶが今の厳を止めるには足りない。反応して振り返った彼の眼光を受けて一瞬で恐怖に怯んでしまい動き出せない。狂気という言葉がどんなものなのか初めて触れた弾と同じように恐怖に竦んだ蘭と、スマフォを握り締めながら見つめる蓮の揺れる瞳に、準備中の札が掛かったままの店の戸を開いて店内に滑り込むように駆け込んできた少年の姿が映るのであった。

 

「千冬姉ッ!? 厳さん!!」

 

 スマフォを握りしめた織斑一夏が刀を持った厳の前に立ち塞った。

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 千冬が自分に連絡も入れずに姿を消したことに関して、一夏はある推論を自分なりに立てて彼女の姿を探していた。なぜ自分に連絡を入れずに勝手に病院を抜け出したのか?

 この間までの彼女ならば自分や陽太に何も話さないのは恐らく『自分一人で全てを解決しないといけない』という思いが強すぎたことが原因であろう。生真面目な部分とトラウマが重なって猶更背負い込もうとする部分が強かったからだ。

 しかしその部分は全て解決した、とは言わないがそれでも徐々に自分達を信頼してくれることで改善されつつあったはず。もう織斑千冬に守られているだけの弟ではなく、織斑一夏として信頼し始めてくれていると信じているからだ。

 ならば一夏や陽太やカールにすら何も話さずに出ていた理由は何なのか? 

 そのことに推論が行き当たった一夏が実家の近所をとりあえず走り回りながら千冬を探していた時、自分のスマフォに蓮からの着信が入り、スパークした思考が一つの結論に行き当たる。

 

 ―――千冬自身が『自分だけで解決しないといけない』と思っている問題―――

 

 一夏が同じ立場であったなら、きっと同じことを考えたはずだ。

 自分に家族同然に接してくれた人をに結果的に嘘とはいわないが、大事な事実を告げずにずっと過ごしていたのだから。

 真相を告げればきっと傷付けてしまう。

 自分の言葉で誰かが苦しまないといけない。

 でも何も告げないこともまたその傷を大きく広げることになる。そのことの方が千冬にはもっと心が痛むのなら、彼女が取るべき行為は一つしかない。

 反省したところで、贖罪だと行動したところで、千冬の言葉は親友達には届かなかった。なぜなら彼女はその前にするべきことから逃げていたから。

 

 10年逃げ回った末に、彼女はもう逃げ回らないと決意したのだ。

 

 総てを告げて、相応しい人物に罰を下してもらう。

 

 償いきれないと逃げてしまった罪と真正面から向き合うことを選んだことを、千冬が選んだのなら一夏が取る行動もまた一つしかない。

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

「千冬姉ッ!? 厳さん!!」

 

 五反田食堂の戸を開いた一夏の瞳に刀を振り上げて自分を凝視する憤怒の表情を浮かべた厳と、こちらの方を信じられないものを見るかのような表情で見てくる千冬が映る。

 『見たくなかった』と『やっぱりか』という言葉が同時に心に浮かぶがそんなことを気にしている場合でもない。即座に二人に間に割って入ると千冬を守るように彼女の肩に手を置き、まっすぐに厳を見つめながら言い放つ。

 

「千冬姉のことを許してくれ・・・・・・・なんてことまで俺には言えない。厳さん」

「一夏、お前・・・」

「なぜここへ来た!?」

 

 千冬が問いかけるが、彼女の方にあえて振り返ることなく一夏は厳と話を続ける。

 

「千冬姉を斬るっていうなら、俺も一緒に斬ってくれ」

「!?」

「・・・お前さん」

「いきなり過ぎるのはわかってる。それに千冬姉や厳さんにしてみれば俺なんか殆ど部外者だ!」

 

 一夏のいきなりの申し出に困惑する二人を置き去りに言葉をさらに畳みかけるように続けた。

 

「俺は知らないよ。二人の先生のこと・・・アレキサンドラ・リキュールって人がどんな人で、どれだけのことを二人にしてくれたかを。でも・・・でも、これは違う! これだけは絶対に違うと思うんだ!」

「・・・一夏、お前は何にも知らないんだろうが?」

 

 違うと言い切った一夏に言葉が固くなる厳の厳しい視線にも彼は揺るがない。たくさんの難しい言葉が一夏の中に沸いては消えていくが、そのどれもが今の自分の気持ちを伝えるための言葉に適合できない。だからなのか彼の言葉は理屈がメチャメチャなものであった。

 

「知らない! でもわかる・・・俺、わかる! 先生は二人がこんな風に刃を向けて向けられるために二人を助けたんじゃない!?  会ったわけじゃないけど分かる! こんな・・・こんなのは違う!」

 

 彼女の気持ちを語りながらもその実は全部一夏自身の気持ちである。そのことは厳にも千冬にも弾達にも、無論一夏自身にもよくわかっていた。厳や千冬の師を知らない自分に彼女を語ることなんてできるはずがない。会ったことも話したこともない人間の事を、ましてやそれをよく知る人間相手に伝えられることなんて一夏にはない。

 

「だけどっ!!」

 

 たった一つを除いては。

 

「厳さん! 俺、聞いたんだ」

「?」

「俺は、俺達はこの間、初めて聞いたんだ・・・千冬姉と厳さんの『先生』の声を」

 

 そう。あの海での出来事を一夏は決して忘れてはいなかった。

 シャルが言った自分達宛に彼女が送ってくれた言葉。

 『諦めないで』という言葉。

 それは今この場において自分に向けて、千冬と厳の二人に向けても送られていたはずの言葉だから。

 

「先生は確かに最後に言ってたよ。『この世界は良い世界だ』って」

「!?」

 

 千冬も通信越しに聞いた言葉を忘れたわけではない。むしろその言葉を聞いたからこそ、彼女はここに来れる決心がついたのだ。

 自分の中の罪科をただ『許されない』という気持ちだけで過ごすのではなく、償う気持ちがあるのならば決して許されないことではない。むしろそうやって向き合うことが彼女が本当に望んでいることなのだと思うに至った千冬だったが、厳の表情は変化することはなく、逆に一夏が詰まる質問を投げ返してくる。

 

「じゃあ・・・どうすりゃいい?」

「!?」

 

 いつの間にか、恩師の死を知らされたあの日と同じ表情で涙を溜めた厳が言い放つ。

 

「俺の、一生をかけて返したい恩義は・・・あの人への気持ちは・・・何処に行ったらいい?」

「「!?」」

 

 織斑姉弟の言葉を詰まらせるにはその言葉だけで十分だった。色々と湧き上がってくる気持ちを止めてしまうには厳の表情が十分すぎたのだ。

 どんな荘厳美麗なセリフであろうと心に響かないこともある。たった一言で足りる気持ちを知るのにも幾星霜の時間をかけないといけない時もある。

 

 今の厳の想いを受け止めるには自分の想いと言葉だけではあまりに足りない。気が付いた一夏はそれでも俯きながらも尚千冬を庇うように二人の間から一歩も引かない。

 

「爺ちゃん!」

「お爺ちゃん!」

「お義父さん!!」

 

 ―――愛する孫達や息子の嫁も自分を止めようとしてくれているのはわかっている―――

 ―――そう・・・わかっている。こんなことは馬鹿げていると・・・こんなことはあの人が望んでいることじゃない―――

 ―――あの人が望んでいることは、そう・・・目の前の人間を・・・『あの人を殺した人間を許す』こと―――

 

 

 「(出来るかッ!?)」

 

 

 ―――忘れることなんて出来やしない―――

 ―――自分があの人を忘れることなんてできるはずもない―――

 ―――あの人が全部くれた物をどうやって忘れれるというのだ?―――

 

 ―――簡単に忘れてしまえる程軽い恩義を受けたわけじゃないだろうが、五反田厳ッ!!―――

 

「ッ!」

 

 刀を握りしめる拳に力が宿った。瞳の中の憤怒の炎は最高まで燃え上がり、全身が衝動に駆られる。

 

 ―――先生の仇ッ!!―――

 

 全員が息を呑み、一夏は厳を正面に捉えながら決して逃げず、千冬はそんな彼を突飛ばそうと両手を彼の背中に沿えた時・・・水面に波紋を広げるように全員の意識を注目させる音が食堂に鳴り響いた。

 

 

 ―――供えられていた神棚が崩れ、床の上でバラバラに砕け、中に供えてあった神鏡が厳の足にぶつかる―――

 

「・・・・・」

 

 そして、タイミングを計ったかのように割って入ってきた衝撃に振り返った厳の視線の先にあった一冊の本を見た瞬間、彼の全身を駆け巡っていた力と怒りが急速に抜けていく。

 

「・・・・・ッ」

 

 洩れそうになる嗚咽を必死に噛み潰し歩く厳が拾い上げた一冊の本。五反田食堂を開店したその日、一番最初に訪れた客である恩師が開店祝いに持ってきてくれた、料理のレシピが載せられた手書きの書であった。

 彼女はこの本を別れ際に渡してくれた時、ある言葉を残して颯爽と夏の日差しとともに去っていったのを今でもはっきりと覚えている。

 

 

 

 

『開店おめでとう厳。これで貴方も立派な一国一城の主ね』

 

 

 

 ―――やめてください先生っ! 俺なんかまだまだ・・・―――

 

 

 

『あら? この店は貴方の努力の結晶よ。これからもっともっと繁盛していくんだから』

 

 

 

 ―――だとしたら、それは全部先生のおかげで―――

 

 

 

『・・・・・・厳。約束をしてね』

 

 

 

 ―――・・・・約束?―――

 

 

 

『理不尽に憤るのは人の正しい心の動き。それは間違いなんかじゃない。だからこそ、貴方ならきっとその人が今感じている気持ちを見ることができるわ』

 

 

 

 ―――・・・・先生?―――

 

 

 

『あの日盗みを働いた貴方のこの手が、今日から誰かのお腹を一杯にするために、誰かの心にも届く「美味しい」を作っていく』

 

 

 

『してきたことは誰にも消せません・・・でも、これから貴方が行っていくこともきっと消えることはありませんよ』

 

『どうか、貴方のこの手が誰かの笑顔のためにあれますように』

 

『そして貴方自身の幸がありますように』

 

『貴方と私の約束よ』

 

 

 

 

「・・・・・・先生、アンタこのタイミングで卑怯ってもんだぜ」

 

 なんてタイミングで思い出したのだろうかと自嘲しつつ、厳は手渡された本についた埃を払いながらそれを大事に抱え、千冬の方に振り返る。

 突然の出来事で呆然としているのだろう、先ほどまで項垂れて自分の裁きを待っていた時とは違う表情となっている。そして彼女を守るように斜め前で陣取る一夏に、自分の豹変ぶりに目を白黒とさせている家族を見つめ、改めて恩師の言葉を思い出し心の中で反芻した。

 

 ―――してきたことは誰にも消せません・・・でも、これから貴方が行っていくこともきっと消えることはありませんよ―――

 

 恩師の死が10年前。そして彼女の手に引かれていた幼さが残っていた少女が脚光を浴びて社会に華々しくデビューしたのも10年前。だがテレビなどでたまに映された千冬には常に張り詰められたものしか映っておらず、たまに聞く一夏の話からは10代の少女とは無縁の激務と、大人達を相手に大人としての付き合いを強要される日々。なにより恩師を手に掛けたことに酷く苛まれ、自分を責め続けて身体を虐め抜き、常に死と隣り合わせのような状態で弟を育て上げていたのだ。決して彼女が安易に師の命を奪い去る決断をしたとは到底思えない。

 やがて二十歳を超えて教師となりIS学園で多くの生徒を相手にし、対オーガコア部隊の指揮を執り、姉として一夏と接してほかの子供達相手にも大人として時に不満すらもぶつけられ、それら全てから逃げずに向き合い続ける。

 

 

 そこにあったのは楽し気な青春を送る日々をかなぐり捨てて、只管に自分以外の『誰かのため』に生きようとする不器用な少女の姿であった。

 

 

「(そうだよな・・・この娘は・・・『ちーちゃん』は、ずっと先生の代わりに先生をやらなきゃならないと思ってたんだな)」

 

 ああ・・・見えていなかったのは自分も一緒だった。見ようとすれば聞こうと思えばいつでも聞くことができたのに、『先生だから大丈夫だ』と安易に思い込んでしまったのは自分なのだから。たった一人、目の前の少女は10年間の間苦しんできたというのに、大人である自分はそれをただ『お前が悪い』と糾弾しようとしたのか。

 地面に転がった鞘を拾い上げて刀をしまった厳はそれをテーブルに置き、両手で千冬の肩に手をかけながらうるんだ瞳のままで彼は傷ついた少女を労わる。

 

 

 

 

 

「すまねぇなちーちゃん・・・・・・・・・・・・・苦しかったよな」

「!?」

 

 

 

 

 瞳に溜まった涙が千冬が見るもの全てを歪ませる。唇だけがパクパクと動きながら必死に今告げるべき言葉を探すが真っ白になった頭から何もひねり出すことができない。そんな千冬を労わる厳は彼女の頭を幼い子供のように撫でながら、自分も涙を貯めた瞳で言葉をさらに続ける。

 

「もういい。ちーちゃんが一番頑張ってたんだ。だからもういい」

「で・・・すが・・・・・・・ですがっ!?」

「・・・一夏か」

 

 何気なく彼の名を呼んだ厳の瞳に、すべてを理解した者の色が映った。

 

「守りたかったんだろ? 大丈夫・・・ちゃんとわかってる」

「・・・厳・・・・・さん」

 

 隣にいた一夏が代わりに涙を流し、厳は自分の推測がやはり全面的に正しかったと確信する。家族を天秤に掛けでもしない限り、千冬が人を殺すなんてことができるはずもない。ましてや本当の母親同然の相手に対して刃を向けたのだ。そう思えばむしろ自分の恩師に対して僅かな怒りすら湧いてくる。

 

「(先生・・・アンタはちーちゃんになんて酷な選択させたんだよ)」

 

 きっとこうやって千冬のために怒っている自分を見れば、恩師は・・・・・・笑ってその正しい怒り方を称賛したのだろう。嫌味としてでなく、本心としてそのように言い出すところが彼女の悪いところだというのに。

 

「・・・どうしようもなかったんじゃ仕方ねぇ。俺はちーちゃんを恨むようなことはしねぇよ」

「厳さん!?」

 

 そんな無茶をする必要はない。自分を恨んでくれて構わない。そう言いかけた千冬だったが、またしても厳の柔らかい笑い方に言葉が阻まれてしまう。

 

「俺にとって誰かを恨むことよりも、先生との約束のほうが遥かに重い・・・重いんだ」

 

 正直に話せば、全てを忘れることができない以上、『そういう』暗い感情が全く無くなったわけでもない。だがそれはあくまで向けるとするなら、そんな状況の時に何もできなかった自分自身。そして結局最後まで頼ってくれなかった先生への僅かな怒りだけだ。千冬への怒りなどはもう心のどこを探しても残ってはない。ましてや、まだこれ以上彼女を責めるようなことをすれば、心の中で柔らかく笑ってる『彼女』に叱られてしまう。

 自分の中にある約束への重さを自覚し、重い腰を上げた厳は自分を心配そうに見つめてくる家族へまずは謝罪をする。

 

「心配かけちまったみたいだな。蓮さん、弾、蘭」

「爺ちゃん」

「お爺ちゃん」

「お義父さん」

 

 こうやって自分を心配し信じてくれる家族がいるのだ。やはり自分にはこの刃は似合いそうにない・・・千冬に渡された日本刀を鞘ごと彼女に返すと、彼は肌身は出さず常に使い続けているエプロンを腰に巻き、ゆっくりと厨房へと歩き出す。

 

「さあ遅くなっちまった・・・店を開けるぞ」

 

 いつもと変わらないその声に戸惑いがまだ消えない子供二人はともかく、彼らの母親である蓮は笑顔を取り戻すと静かに返事をする。

 

「はい、お義父さん」

「蓮さん、ちーちゃんと一夏に茶を出してくれ」

 

 織斑姉弟を客として扱い、毎日行っている通り料理を作ろうと厨房へと一歩前へ歩みだす。

 

「なにやってんだ二人とも・・・席に座れ。ちょっと早いが昼飯食ってけ」

 

 自分にできる一番の恩返しが何なのか。改めてその答えを得た厳の笑顔は戸惑っていた千冬と一夏に笑顔を取り戻させるものであった。

 だからなのかもしれない。厳の心の中にいつも笑っていたアレキサンドラ・リキュールが・・・。

 

 

 

 

 ―――ありがとうね。厳―――

 

 

 

 

 そんな風に感謝の言葉を述べた気がしたのは・・・・・・。

 

 

 

 

 

 





先生を除く太陽の翼聖人ランキングで現在トップになっている厳さん(?)
本当の本当は心の中で抱えている闇が全て消えたわけではありません。でも闇を全部消してしまうよりも、その闇とも共存して生きていこう・・・つまり胸の中に抱えた『怒り』『憎しみ』を忘れないからこそ、他人が犯した過ちを彼は許せる人なんだろうね。それも踏まえてもしものことを考えて先生がひと言残していったのかな・・・って、この時点ですでに死に方決めてたみたいで、それはそれですごい未来設計。

さてさて、千冬さんの肩の荷が少しだけ軽くなった今日この頃。次回からいよいよ新しい章が始まります。



そして今後の物語のキーを握る重要な『新ヒロイン』も登場。

ちょっとだけヒントを与えるなら、陽太にとっても重要です。一夏にとっても重要です。ジークや秋水にとっても重要になるかもしれません

それでは、次回の更新をなるべく早くできるように頑張ってみます
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