IS インフィニット・ストラトス 〜太陽の翼〜   作:フゥ太

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新型コロナの影響か、最近休みが不定形で執筆の時間がとりづらいのだ


来訪を鳴らす鈴の音は、たんぽぽの花と共に揺れる③

 

 

 

 

 

 自分の部屋に急いで戻ってきた鈴は乱暴に扉を閉めると、自分のベッドに飛び込んで顔を伏せてしまう。

 

「(………こんな気持ち、あの時以来だ)」

 

 これほど心乱されたのはきっと以前スパイまがいの行動をしていたことが露見して強制送還されかかった日以来だろう。惨めさと申し訳なさと後ろめたさが一気に噴き出し、枕により深く鈴は顔を埋めていく。

 あの日、セシリアに当たり散らして、オーガコアが出現し、撃墜されて一夏に救出された。色々なことが立て続けに起こって細かく考える暇がなかったおかげで、気持ちが再び浮き上がれたが、今回はそうはいきそうもない。

 自分だけの気持ちを父に、たんぽぽにぶつけて、今はこうやって引き盛ろうとしている。

 肝心な時にいつも逃げるのは父ではなく自分のほうではないのか?

 

「(もう、嫌になる)」

 

 明日も訓練がある。現場には一夏がいたことを思い出し、どんな顔で会おうかとまた気が重くなってきた。チームのこととは関係ないプライベートのこととはいえ、きっと一夏は詰問してくるだろう? いや、ひょっとすると今も自分の後を追いかけてきているかもしれない。

 

 そう考えた矢先、部屋のチャイムが鳴り、来訪者を告げるのであった。

 

「!?」

 

 一度チャイムが鳴り、しばし中の様子を窺うように沈黙が流れる。シーツに包まってこのままやり過ごしてしまおうとする鈴であったが、そんな彼女を許さないと言わんばかりに怒涛のチャイムとノックが鳴り響く。

 

 ピーーーンポーーーン、ピポンピポンピポンピポンピポッピポッピポッピポッピポッピポッピポッピポッピポッピポッピポッピポッピポッピポッピポッピポーンッ!

 ドンッ! ドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドドドドドドドドドドドドドッ!

 

「うるさいにも程があるわっ!!」

 

 一夏の馬鹿野郎っ!と開口一番に叫びたくて思いっきりドアを開いた鈴が目にした人物。彼女の中では織斑一夏以外の誰でもなかったはずの人物を見たとき、思わず言葉を失くしてしまう。

 

「……………」

 

 ―――ポチの背中に乗りながらチャイムを押す、たんぽぽの姿―――

 

 爪先立ちされ、背中に激痛が走るのを必死に我慢するポチの涙ぐましい姿は鈴の目に映らない。ただ彼女の目には、明らかに起こった表情をした幼い少女しか映っていなかった。

 

「なっ、あ、あんた…」

「………いた」

 

 睨みつけながらポチから降りると、たんぽぽはそのまま鈴のほうに近寄り、彼女の手を握って一言告げる。

 

「さあ、おじさんのところ、いくの」

 

 短く告げて自分の手を引っ張るたんぽぽを呆然と見ていた鈴であったが、今しがた出た単語に反応し、思わずその手を振り払い、目の前の少女を睨みつける。

 

「アンタ、ホント、人の話聞いてないの?」

 

 自分はもう会わない。会って話などする必要もない。そう判断したがゆえに食堂で背を向けたし、彼女にも怒鳴りつけたはずなのに、この少女は一向に人の話を聞いていないのか?

 だが、そんな鈴の想いなど、知ったことかと言わんばかりにたんぽぽが今度は鈴を怒鳴りつける。

 

「そんなのしらないっ!」

「!?」

「おじさんは鈴お姉ちゃんとおはなしするためにきたのっ! だから鈴お姉ちゃんはおじさんとおはなししないといけないの!!」

 

 たんぽぽの視線がまっすぐに鈴を射抜き、鈴は気圧されたのを隠すように話題を唐突に打ち切り、部屋の扉を閉めようとする。

 

「アンタと話してる気分じゃないの。やっぱりガキの面倒なんてみるもんじゃないわ」

「ダメッ!」

 

 鈴が扉を閉めてたんぽぽを追い出そうとする中、察知したたんぽぽは無理やり彼女の部屋の中に押入ると、彼女の手を取り部屋から引きずり出そうとする。対して鈴もこれ以上は付き合えないと無理やりその手を引きはがそうと、自分の手を掴むたんぽぽの指をほどこうと手を伸ばした。

 

「離しなさいよっ!」

 

 目の前の少女の面倒を見始めてから碌な目にあっていない。ほかのメンバーはどうだか知らないが、自分にとって疫病神もいいところだと内心で吐き捨て、手に触れた瞬間、たんぽぽは今まで見せたこともない行動に打って出る。

 

「ガブッ!」

「痛ッ!?」

 

 なんと鈴の手に噛みついたのだ。しかも甘噛みとかそんなレベルではなく、全力で噛みつきくっきりとした歯型と血が滲むほどで鈴に鋭い痛みが走り、思わず彼女は乱暴に腕を振るって彼女を振り払ってしまった。

 

 ―――吹っ飛びながら一回転し、顔面から落ちるたんぽぽ―――

 

「あ゛ぁ゛っ!?」

 

 モロに顔面から落ちるのを目撃し、鈴は流石にまずいと駆け寄る。噛みつきを怒鳴ってやりたいが、預かっている子であることも間違いなく、ケガさせるわけにはいかないと声をかける。

 

「た、たんぽぽ?」

「……………」

 

 返事がない。まさか今ので大怪我を負って意識を失くしてしまったのでは? 最悪の事態が過ぎり、青ざめる鈴が彼女を抱き起そうとする。

 

 ―――無言で顔を上げるたんぽぽ―――

 

「ひぃっ!?」

 

 先ほどから予想がまるで通じない動きで鈴を驚かし続けるたんぽぽであったが、さすがに今回は彼女も無傷というわけにはいかなかったようで、何事もなく立ち上がろうとする中で、鼻から赤い血が流れだしてしまう。

 

「鼻血……アンタ、ちょっと待ちなさい」

「………」

 

 ティッシュか何か、拭くものをと探そうと鈴が周りを見回すが、そんな彼女の心配など他所にたんぽぽは自分の服の裾で鼻血を拭う(シャルロットママ絶叫の行為)と、突然雄たけびを上げるのであった。

 

「ああああああああああああああああああああああっっ!!」

「今度は何!?」

 

 さっきから何一つ理解ができない事ばかりの鈴であったが、たんぽぽはそんな鈴に向かって猛烈な勢いで突っ込むと、全身全霊の『頭突き』を鈴にかましてしまう。

 

「ぐっ!?」

 

 運悪く、膝をついてたために逃げることができず、しかも動揺していたためかモロに顔に直撃し、鈴とたんぽぽがもつれながら廊下に倒れこむ。

 流石にこの頃になると、只ならぬ二人の様子に築いた寮内の女子生徒達が外に出だす中、鈴とたんぽぽが互いに顔と頭を抱えて悶どりながらも起き上がり、涙目で睨みあいながら怒鳴りあう。

 

「アンタ、さっきからいったい何なのよ!?」

「おじさんとおはなしするって、たんぽぽにいいなさいっ!!」

 

 ほぼ同時に出た言葉に両者一瞬の躊躇をしてしまうが、いち早く復帰したのはたんぽぽのほうであった。

 

「いいなさいっ!!」

 

 両腕をぶんぶん振り回しながら突っ込んでくるたんぽぽの顔をそのまま掴んだ鈴が、リーチの差を生かしてそのままいなしながら立ち上がると、もう許してやらないと怒り心頭で叫ぶ。

 

「尻出せっ! シャルに代わって100叩きにしてやるわ!」

 

 右手で顔を持ちながら左手で腰を持って、たんぽぽを持ち上げながら反転させ、鈴は前言通り彼女の尻を強めに叩き始める。

 

「いたあいっ!」

「当たり前でしょうが!! いきなり人の手を噛んだ罰よっ!! 血が滲むまで本気で噛みついて!?」

 

 その時、顔を真っ赤にして怒る鈴に尻を叩かれて痛みで悲鳴をあげるたんぽぽを心配し、女生徒たちがなんとか鈴を宥めようと近寄ってくる。

 

「凰さん、いくらなんでも…」

「コイツにはこれくらいしないとわからないのよっ!! 引っ込んでてっ!」

 

 あまりの剣幕に気圧された女生徒が口を塞いでしまうが、一瞬、鈴が気を他所に逸らした隙にたんぽぽは彼女の腕から脱出し、その場から走り出して他の部屋へと駆け込んでいく。

 

「待ちなさいっ!」

 

 そうは簡単に逃がすものかと鈴も後を追いかけた。

 角を曲がり、手前の部屋………『シャルとラウラ』の部屋に駆け込んでいくたんぽぽを追いかけ、彼女に続いて部屋の中に踏み込んだ瞬間………。

 

「!?」

 

 ―――飛来する目覚まし時計―――

 

「ちっ!」

 

 間一髪で回避する鈴が、何事かと振り向くと、両手にものを持ったたんぽぽが怒りの表情を浮かべ彼女を睨みつけていた。

 

「アンタねっ!?」

「さあ、おじさんとおはなしするって、いいなさいっ!」

「………い、言わない」

「いいなさいっ!!!」

 

 両手に持ったものをポイポイ投げつけてくる。カラのペットボトルや空き缶などはまだ可愛いものだが、鍋や御玉のような調理器具や、しまいにラウラが隠し持っていた拳銃まで投げつけようとしてくるのを見て、慌てた鈴がダッシュで飛び込み、たんぽぽと絡み合って部屋のものをひっくり返しながら壮大に転がりまわるのであった。

 そして二人は同時に起き上がると、お互いに向かって怒声をぶつけ合う。

 

「このガキッ、本気でぶん殴るわよ!?」

「ガキじゃないもん! たんぽぽだもん!!」

 

 むしろ怒るところはそこなのかとたんぽぽに誰かがツッコミを入れそうになるが、幼女は勢いつけて走り出すと壁を蹴って三角飛びの要領で鈴の顔に足でしがみ付き、両の拳を開きビンタで鈴の顔を殴り始める。

 

「痛っっ! アンタ、ちょっ、やめっ」

「ぅっっっっっっっっっ!!!!」

 

 怒り心頭のあまり言葉すら無く、唸りながら全力ビンタをかましてくる幼女に対し、鈴は両手を受け止めたんぽぽの身体を自分から無理やり引き剥がすと、そのまま彼女をベッドに向かって放り投げ、たんぽぽがベッドの上で跳ねながらゴロゴロと転がってベッドサイドに身体をぶつけたのを見ながら、彼女はついに年長の余裕も大人げも放り出すことを決意した。

 

「そっちがその気なら、やってやるわよ、クソガキッ!?」

「クソガキじゃないもん! たんぽぽだもん!!」

 

 怒声をぶつけ合う二人。両者が同時に動くと、鈴はまっすぐに突撃を。そしてたんぽぽはベッドから素早く降りてベッドの下に隠れるのであった。

 

「逃げんじゃ…いっ!」

 

 当然鈴はたんぽぽを取り押さえようとベッドの下を覗き込むが、次の瞬間に顔面を幼女の足の裏が強打してくる。鈴の顔を蹴り飛ばし、もう一つのほうのベッドの下に潜り込むたんぽぽであったが、怒りのボルテージを更に上げた鈴はベッドを持ち上げて床に倒すと、彼女が隠れる場所を奪い去ってしまう。

 

「本気で蹴りやがったわねっ!」

「っ!?」

 

 狭い場所に隠れれば自分が有利になるとわかっていただけに、逃げ場所を奪われて動揺した幼子は、再び反対側のベッドの下に潜り込もうとするが、鈴に襟首を掴まれ、宙づりで持ち上げられてしまう。

 

「はなしてぇっ!」

「じゃないわっ!!」

 

 そして鈴はお仕置きの意味を込めてたんぽぽの頭を二度ほど殴ぐり、少女が戦闘意欲を失うことを目論む。これが普通の幼女なら痛みのあまり泣き叫んで誰かに助けを呼ぶ場面で、そうすれば自分も多少の悪声と共にこの騒ぎから解放される場面なのだが、たんぽぽは一味違うようであった。

 痛む頭を抱えながら鈴の腕に噛みつこうと飛びかかったのだ。

 

「ああああああああっ!!」

「!?」

 

 ここまで来ると、鈴のほうも本気でグーパンチのひとつでもかましてしまおうかと考え始めながらも、何とか済んでの所でたんぽぽを掴み押さえつけようとし、さらに部屋の中で転がりまわる羽目になったが、ここにきてようやく騒ぎを聞きつけた陽太とセシリアが部屋に到着し、惨状を前に愕然とする。

 

「………なんじゃこりゃ?」

「た、たんぽぽさん?」

 

 どちらかというと怒る鈴というのは幾度も見たことあるが、怒るたんぽぽというものは二人も初めて見た。いつもシャルに出された食べ物をおいしそうに頬張りながらニコニコ笑っているイメージしかなかったために、この怒り狂った小さな生物が本当にたんぽぽなのかと、一瞬疑ってしまうほどである。

 そう、目の前で鈴に対して果敢に噛みつこうとしている幼女の姿はといえば………。

 

 ―――ラ………ラーテル―――

 

 小柄な体躯でありながら、狩りに来たライオンすらも時に食い殺し返す、世界で最も気性の荒い動物を彷彿とさせる暴れように、しばし呆然となってしまうが、鈴の必至な形相と視線がかち合い、陽太とセシリアがなんとか引き剥がしにかかる。

 

「たんぽぽちゃん、ストップストップストップッ!」

「鈴さんも落ち着いて、離れて!」

 

 陽太に確保されるたんぽぽであったが、両手足をバタつかせながら戦闘意欲が未だに衰えていない辺り、本当にラーテルを彷彿とさせるなと内心で漏らしながらも、そういえば幼い頃のシャルロットも大変気が強く、自分をいじめている場面を見つけたら、そのいじめっ子の顔面に飛び蹴りかましてからケンカをしていたことを思い出す。

 

「(シャルのようになってほしくなかったんだが………もう手遅れかもしれない)」

 

 美人で心の優しい子に育つように願ってはいたが、気が強くて喧嘩っ早いのは一番いかん感じやろと、一筋の涙が零れそうになるのを堪えつつ、二人に現状を問いただす。

 

「んで、なんでマジケンカになんて発展してんだ?」

「そうですわ鈴さん。子供相手にいくらなんでも………」

 

 大人げないだろう。と注意しようとしたセシリアであったが、鈴の剣幕が凄まじく、言葉を詰まらせて黙り込んでしまう。

 押さえつけられながら睨み合う両者が唯一身動き自由な言葉でケンカを再開する。

 

「鈴お姉ちゃんがおじさんとおはなししないのがわるい!」

「アンタ、そればっかりね!? だからなんであんな奴と話なんてしないといけないの? てか、すでに話なんて済んでんのよ! 私に何も言えないぐらいに、クッソ情けない奴なのよ、アイツは!!」

「そんなことないもん!!」

 

 自分の手から離れ今すぐ飛びかかろうと暴れだすたんぽぽを必死に抑えながら、陽太は出来る限り二人を落ち着かせようと話しかける。

 

「とりあえず、落ち着け二人とも。ここは見てるだけで心が落ち着くイケメンスマイルの俺の顔を立てて………」

「「黙(だま)って!!」」

 

 頭に血が上っている二人に軽い冗談が通じるわけない。『空気の読めよ』と周囲の女子達が無言のプレッシャーを陽太に視線と共に突き刺し、陽太がプルプルと震えながら『この身を投じて場を和ませようとしただけなのに』と言い訳にもならない愚痴を心中で吐きながら沈黙に徹しますと約束する中、しばしにらみ合う両者の均衡を崩したのは、幼いたんぽぽのほうであった。

 

「………おじさん」

「?」

「鈴おねえちゃんに『ごめんなさい』したいって、いってたもん」

 

「……………えっ?」

 

 一瞬で鈴の頭が真っ白になる。

 先ほどまで視界が真っ赤に染まるような怒りを持っていた心が温度を無くし、澄んだ空気のような幼い声が芯にまで響いてくる。

 

「『さびしい』させちゃったんじゃないのかって! 『ひとりぼっち』にしちゃったんじゃないのかって!!」

「え?………え?……どう………して」

「おじさん、いっぱいいっぱい『ごめんなさい』したかったんだもん!! 鈴お姉ちゃんがないちゃったのはおじさんのせいだって!!」

「………うそ……よ」

 

 なんとか紡ぎだした言葉を、涙を流しながらたんぽぽは首を横に振って否定した。

 

「ウソじゃないもん!! おじさん、ほんとうは鈴お姉ちゃんにあえてうれしかったんだもん!! とってもうれしかったんだもん!!! だから、だから………おじさん、ごめんなさいして鈴お姉ちゃんにもにっこりになってほしかっただけなのに………だけのに」

「…………そんなの」

 

 いくら謝られても、それだけで笑顔になれるわけないだろう。そう反論しようとした鈴だったが、たんぽぽの真摯な言葉が更に彼女の本音をえぐり、表に無理やり引きずりだしてくる。

 

「鈴お姉ちゃんはいいの!? おじさんのこと、ユルサナイでいいの!?」

「!!」

「おじさん、鈴お姉ちゃんのパパなんだよ!? 鈴お姉ちゃんはパパきらいなの? パパ、さいしょからきらいだったの!?」

「………あっ」

 

 ―――今だって残っている、幼い自分の頭を撫で、抱っこし、優しく抱きしめてくれた大きな腕の暖かさ―――

 

「おじさんのこと、ずっとユルサナイなの? そんなの………そんなの……」

 

 

 

 

 ―――限界まで溜めた涙を言葉と共に零す―――

 

 

 

 

「そんなの………おじさんも、鈴お姉ちゃんも、かわいそうだもん!」

 

 

 

 

 真っ白になった脳裏に電撃のような衝撃が走り、唐突に鈴と周囲の人間ははたんぽぽの怒りの真意を知る。

 

 怒っていたのだ。

 

 たんぽぽだけが、怒っていたのだ。

 

 鈴と楽員。二人のことを想って、鈴にたんぽぽだけが怒ってくれていたのだ。

 

 それはいけないことだと。決して離れてはならないのだと。

 

 必死に、小さな手と体と心で、繋がった親子の絆が断たれないように、懸命に。

 

 

「そんなの………たんぽぽ、イヤだもんっ!!」

 

 

 目の前で、陽太の胸に顔をうずめながらわんわんと泣き続けるたんぽぽの姿を見て、幼い日、自分もこうやって父の腕に抱かれながらわんわんと泣いたことがあるのを思い出し、堪らない想いが溢れ出し、俯いて黙り込んでしまう。

 

 両者の間に流れる空気が落ち着いたのを見計らい、陽太とセシリアは無言で頷き合い、周囲の人々も状況を察し、二人を別々の部屋へと移動させるのであった。

 

 

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 

「………ふむ」

 

 鈴との大喧嘩から数十分後、報告を陽太から受けた千冬は、未だに泣き止まずに陽太パパの胸の中で顔を埋めるたんぽぽを見ながら、内心で冷や汗を流す。

 

「(『殴り合いの喧嘩でもしたらすっきりする』とは言ってみたが、まさか本当にしてくるとは思わなんだ)」

「なんであんたが『しくじった』って表情になってんの?」

 

 年端もいかない幼子が、いくらなんでも年長者相手に正面切ってケンカしてくるとは思っていなかった千冬と、遠回しにパパが大好きだとたんぽぽに言われた気がして妙に嬉しそうに彼女の頭を撫でていた陽太であったが、ようやく泣くのにも飽きたのか、顔を上げたたんぽぽが二人に問いかけてきた。

 

「…………グスンッ………おじさんは?」

 

 幼女の問いかけに、千冬は周囲を見回しながら首を傾げる。

 

「そういえば………食堂で一休みされてから姿を見ていないが」

 

 鈴との言い争いの後、とんと姿が見えない楽員に一抹の不安を覚えた千冬は、たまたま近くを通りかかった真耶に問いかけると、首を傾げながら彼女は答えた。

 

「凰さんの父兄さんですよね? 先ほど『用事は済みました』って丁寧に挨拶されて帰られましたが………」

「えっ?」

 

 全く話を聞いていない千冬が唖然とする中、陽太の胸から飛び降り、真耶の足に今度はしがみ付いくたんぽぽは、彼女に激しく詰め寄る。

 

「どうしてかえっちゃったの!? 鈴お姉ちゃんとおはなししてないのに!!」

「あ、いや、凰さんのお父さんもお仕事があってね」

「そんなのメッ!!」

 

 地団駄を踏むたんぽぽの姿を見て、陽太が何とかできないものかと頭をひねってみた。

 

「電話して呼び戻してみるとかは?」

「いや、電話番号を知っているのはおそらく凰だけだ」

「他に知ってそうなのは? ホラ、アンタの中国の知り合いとか」

「烈(リー)の奴なら!?」

 

 急ぎ電話をしてみるが一向に出る気配もなく、LINEをでメッセージを送ってみるが返事が返ってくる気配もない。仕事をしているのか、それともいつも通り職場で酔いつぶれているのか、肝心な時に役に立たんと内心で吐き捨てながら、諦めの表情を浮かべる。

 

「………万策尽きたな」

「鈴に聞くのも………あれじゃあな」

 

 たんぽぽの言葉によってだいぶん頭に昇った血も落ち着いたと思うが、それでも素直に答えるとも思えない。今回のところは面会は諦めて貰うしかないなと思いつつ、次回はもう少し気を回すように心がけようと思う千冬達であったが、納得のいっていないたんぽぽは尚も真耶の脚にしがみ付きながら必死で叫び続ける。

 

「メッ! メッ! メッ!! おじさん、いかせちゃメッ!!」

「た、たんぽぽちゃん、落ち着いて!?」

「落ち着けたんぽぽ。真耶ちゃんにこれ以上無理言ってもダメなものは」

「イィィィヤァァァァァァーーーッ!」

 

 今、鈴と楽員がちゃんと話をしないときっと大きな後悔になる。そんな予感を感じたかのようなたんぽぽの行動を静かに見守っていた千冬は、ゆっくりと彼女に近寄ると、しゃがみ込んでたんぽぽと同じ目線となって話しかける。

 

「たんぽぽ」

「………ちー先生?」

 

 落ち着いた問いかけにたんぽぽも叫ぶのを止め、彼女の方へと向き直る。

 

「お前はどうしてそんなにも二人に話をしてほしいんだ?」

「………ふたり? 鈴お姉ちゃんとおじさん?」

「そう。その二人だ」

 

 幼児にもわかるように一つ一つをかみ砕いて丁寧に言葉にする千冬に、たんぽぽもだんだんと落ち着きを取り戻す。

 

「鈴お姉ちゃんとおじさん、かぞく。かぞくはいつもいっしょ。かぞくはなかよし」

「でも、二人は今は別々のところで暮らしている。いつも一緒に入れるとは限らない。そして喧嘩をしてしまえば、あんな風に仲良くもなれなくなる」

「でもでもでも………たんぽぽはなかよくしてほしいもん」

「たんぽぽが仲良くしてほしいのか?」

「うん! たんぽぽがしてほしいの」

 

 笑顔でそう言い放つたんぽぽを見ていた陽太と真耶が呆れ顔になって『清々しい笑顔でしてほしいって言った』と内心でツッコミを入れるが、千冬は違うことを考えていた。

 

「たんぽぽ、それは『我儘』というやつだ」

「わがまま? たんぽぽが、なかよしになってほしいのはわがままなの?」

「そうなるな」

「そうか………わがままかぁー」

 

 我儘の意味すらよくわかっていない様子であったが、千冬はむしろそんなたんぽぽへの好感が更に上がったのか、柔らかい笑顔でこう付け足してくれる。

 

「でもな………誰かを想う我儘のことを、人は「思いやり」と言うんだ」

「おもいやり?」

「そうだ。だからたんぽぽの『思いやり』、私は二人に届けるべきだと思うんだ」

 

 そう言ってたんぽぽへと差し出された手と言葉を前に、たんぽぽも笑顔でそれに答える。

 

「うんっ!」

「よし!………山田君、車を貸してくれないか?」

 

 千冬に言われ、慌てて自分のポケットから車のキーを出そうとする真耶を横目に見ながら、陽太も問いかけた。

 

「………上手くいくのか?」

「ああ。お前や一夏よりも、よっぽどたんぽぽの方が上手くいくさ」

 

 確信している千冬の言葉に、陽太は両手で降参のポーズをとりながら言い返すこともできずにため息をつくのみであった。

 

 

 

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 

 

 日が傾き空が真っ赤に染まった夕焼けの時、軽自動車の後部座席に乗せられた鈴が外の景色を見続ける中、黙って千冬が運転する車が高速のインターチェンジへと差し掛かる。

 隣では、初めての外出に興奮しているたんぽぽが、『おそと、おそと、おでかけ!おでかけ!』と口ずさむ中、鈴は視線を外に向けたまま千冬へと問いかけた。

 

「………今から行っても、もう飛行機出てますよ、千冬さん?」

「時間的にまだ余裕はあるはずだ」

 

 『安心しろ。法定速度内で安全運転しながら最大限の速度で行ってやる』と宣言する千冬相手にそれ以上の言葉が出せない鈴は、突然部屋に押しかけてきて、考えのまとまっていない自分を『命令』の一言で無理やり連れだしてきた千冬の真意が推し量れず、視線を泳がせることしかできないでいた。

 そんな鈴に、千冬は簡潔に、かつ、鈴がこれから話し合わないといけない重大な内容の核心部分に触れるのであった。

 

「鈴音、これから話すことは、本来は楽員さんご自身で話されるはずのことだが、私の一方的なお節介を焼かせてもらう。親父さんにはあとで私が謝ろう」

「なっ、ちょっと………それって」

 

 千冬の声のトーンが若干下がったのを感じた鈴は、これから話されることは紛れもない真実であると直感する。

 

 

 

 

「親父さんは胃と肝臓のほうに悪性腫瘍が発見されたそうだ………つまりは胃癌と肝臓癌の併発ということになるな」

「………………っ!?」

 

 

 

 そして、緊張した面持ちと声で発せられた言葉は、鈴の脳裏を真っ白にするには十分すぎるほどのものであった。

 

「カールが確認を取ったところ、中国本土の医師の診断はスキルス胃癌らしい。進行性が早く、病巣が通常の癌とは異なるために発見が遅れてしまったことのことだ」

「………えっ? ちょっと……待って」

 

 言葉は入ってくる。単語の意味も分かる。

 でも頭が理解できない。今、自分は何を話されていて、自分は今何を考えないといけないのか、それがまるでわからない。

 千冬は自分に何を言いたいというのか?

 

「痩せていたのは抗ガン剤治療の結果らしいな。お前は聞いていないとのことだが、闘病歴は数年来になるしい」

「なっ!?」

 

 数年前?

 

「おそらく、今日という日をあの人も『覚悟』して来られていたはずだ」

 

 覚悟? 自分に会う『最後』ということなのか?

 

「私は医者ではないから、今後のことまで断言することはできないが、病人が無理をして動くことへのリスクぐらいはわかるつもりだ。もし、あるべき時間をすり減らしてでも、それでも日本に来たとしたのなら………」

 

 離婚のことで母親と言い争っていた時には、既にガンのことを知っていて………。

 

 では、あの時、母が泣いていた本当の理由は?

 

 自分たちを捨てた薄情な男ではなく、自分達を巻き込まないために、父は背を向けたのか?

 

 恨みも、孤独も、全部自分一人で背負って、最後の時を迎えようとしていたのか?

 

「なん………で」

 

 なんで、今、自分はこんなことを教えられているのか? 

 なぜ、現在(いま)ではなく、もっと昔に教えてくれなかったのか?

 なぜ、自分はさっきまで、あれほど父親を嫌悪して、話すら聞けなかったのか?

 なぜ、自分は教えられた今ですら、何をするべきなのか、思いつくことすらできないでいるのか?

 

「!?………チッ」

 

 俯いたまま沈黙してしまった鈴が気になっていた千冬であったが、その彼女の前で前方の車がゆっくりと速度を落としたこと思えば、やがて完全に停車してしまい、舌打ちしながらもそれに倣って自分も車を停車させる。

 

「夕方時とはいえ………湾岸線に出る前に渋滞とは」

 

 どこかで事故でも起こったのか、全く動かなくなった長蛇の渋滞が出来上がってしまい、迂回することすらできずに立ち往生してしまう。時計を見ると、まだ時間はあるがこの渋滞がいつ解消されるかもわからない状態では、飛行機の離陸に間に合うのか見当もつかない。

 

「ちーせんせい!? くるま、うごかなくなった?」

「ああ………これは少々まずいな。鈴音、美虎に連絡を入れて、親父さんの番号を聞き出してくれないか?」

 

 こうなっては電話をしてもらうのが現状一番妥当な手段と思い提案する千冬であったが、後部座席のたんぽぽは一人でシートベルトを外すと、隣の鈴の手を握って、声をかける。

 

「鈴お姉ちゃん」

「………」

 

 目に涙をためて、どうすればいいのか迷う鈴の視線を受けるたんぽぽは、真っすぐに彼女を見ながら問いかける。

 

「たんぽぽは、おじさんと鈴お姉ちゃんにおはなししてほしいの」

「………でも………会えない。酷いことばっかり言ったのに………話なんてできないよ」

 

 か細い声でそう告げる鈴であったが、たんぽぽは彼女の手を引くと、笑顔でこう言ってくれたのだ。

 

「だいじょうぶ! たんぽぽもいっしょにいるから!!」

「!?」

「だから、鈴お姉ちゃんは、どうしたいの?」

 

 真っすぐに、本当に真っすぐに鈴を想ってくれる暖かさが手から伝わる。笑顔から優しさが伝わってくる。

 何よりも、自分の答えを聞いてもいないのに、この子はその答えを信じてくれているのだ。 

 

 

 

「…………………………………逢いたいよ」

 

 

 ふり絞るように出た言葉を得て、少女は大きく頷く。

 

「うんっ! わかった!!」

 

 朗らかな笑顔でそう答えると、少女はいきなり前の運転席で動かぬ渋滞にイラついていた千冬の度肝を抜き去ることを言い出したのだ。

 

「ちーせんせい! たんぽぽと鈴お姉ちゃん、ここからはしっていくね!」

「ああ、わかっ………ちょっと待てぇっ!?」

 

 鈴の手を引きながら車のドアを開き、外に出ようとするたんぽぽを慌てて制止する千冬であったが、車の運転を手放すわけにもいかず、必死に言葉をかけ続ける。

 

「危ないから外に出るな! それに高速道路は歩行者厳禁なんだ!!」

「ほこうしゃ? でも、くるま、ずっとまえまでならんでてうごかないよ?」

「そ、それはそうだが!?」

「だいじょうぶ!」

 

 たんぽぽは満面の笑みで、こう言い放つ。

 

「あかはとまれ。あおはいってよし。きいろはちゅういしなさい! だよね!?」

「根本的にそういうことではない」

 

 思い込みで弾丸と化す幼子の存在に、今更ながらシャルか陽太を同伴させるべきだったと後悔する。これはどうするべきなのか頭を悩ませる千冬だが、その時、意を決した鈴はたんぽぽの手を自ら取る。

 

「千冬さん」

「………鈴?」

「後で、山ほど説教受けて始末書書きますっ!!」

 

 嫌な予感がするのと鈴がたんぽぽを連れて外に飛び出すのが同時であったため、千冬に止める術はなく、ISを展開した鈴がたんぽぽを抱きかかえたまま一瞬で飛び去って行くのを見送ることしかできなかった。

 

「………………ハアァ~」

 

 ここまで来たらため息しか出ないというものである。

 千冬はさっそくスマホを取り出すと真耶に連絡を入れ、学園長に言い訳してもらうように頼み込むのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 

 

 本来は数日滞在するつもりであったため、飛行機のチケットの予約を入れていなかったが、運よくキャンセルされた席があったため待ち時間もほんの一時間程度で済み、僅か数時間という滞在時間で中国本土に帰国しようとしてた楽員は、おそらく自分の人生で最後になるであろう日本の夕日をじっと見つめながら、脳裏の中で実の娘のことを思い浮かべていた。

 

「………鈴」

 

 最後まで分かり合うことができなかった愛娘を思い、胸が痛んで仕方なかった。

 

「………自業自得、というやつか」

 

 背中で教えればわかってくれる。と高を括っていたかつての過ちが最後の最後で自分に跳ね返ってきたのだ。妻にも離婚をするときに泣かれたことであった………『言ってあげなきゃ分かるわけがない』と。

 

「それでも………俺は……」

 

 分かり合うことはできなかったが、それでも娘は幸せになってくれるだろうか? いや、必ず幸せになるだろう。

 死期を悟った者の感性なのか、それとも勝手な願望なのか、何故だかその予感だけは感じられただけに、楽員は静かにほかのすべてを諦めることができた。

 だから自分という存在を今度こそ忘れ、鈴が誰かと幸せになれるのなら、最後の瞬間も恐れることなく受け入れられる。この命でもそれぐらいの償いにはなれる。

 

 そんな自分の勝手だと断じた気持ちを今度こそ諦めようとした楽員の耳を、最後まで諦めない幼い声が確かに叩くのであった。

 

 

 

「だからね、鈴お姉ちゃんのおじさんに、たんぽぽと鈴お姉ちゃんはあいたいの!?」

 

 

 

 大勢の人が行きかうロビーで、徐々に大きくなる騒めきに気が付いた楽員が振り返る。

 

「だからねお嬢ちゃん、人を探すのはおじさんたちにお任せしてくれないかな?」

「メッ!? たんぽぽがさがすの!!」

「いえ、お願いします」

「鈴お姉ちゃん!?」

「アンタと私だけでこの空港の人の中から父さんだけ見つけられるわけないでしょう? 何をそんなに嫌がってるの?」

「テレビでやってた!! ひとさがし、たんぽぽもしてみたいの!! マイクでおよびだししたい!!」

「アンタがしたいだけか」

 

 空港の職員を相手取り大声で我儘を言っているたんぽぽを諫めつつ、楽員を呼び出してもらうために名前と特徴を説明し始める鈴。

 そんな二人のやり取りを呆然としながら見つめていた楽員は無意識に立ち上がると、ゆっくりとそちらのほうに歩み始めた。

 

「…………鈴」

「!?」

 

 小さな呟きだったにも関わらず気が付いた鈴が彼に気が付き、遅れてその視線を追ってたんぽぽも楽員に気が付き、嬉しそうに駆け寄っていく。

 

「おじさぁぁぁん!!」

 

 見つけるや否や、猛烈な勢いで楽員の胸に飛びつくたんぽぽは、未だ事態を把握しきれていない彼に簡潔に説明する。

 

「おじさんと鈴お姉ちゃんとおはなししてほしく、たんぽぽと鈴お姉ちゃんでおじさんさがしにきたの!!」

「あ、ああ………」

 

 『あと、ケンカした』と謎のワードを付随させるたんぽぽに何事があったのかと聞こうとしたが、ゆっくりと近寄ってくる娘に気が付き、意識がそこに集中する。

 

「………父さん」

「鈴……」

 

 空港の喧騒だけが辺りに響き、しばし無言になる両者であったが、今度は鈴のほうが口を開く。

 

「飛行機、離陸手続きまでまだ時間ある?」

「あ、ああ………2時間ほど」

「くたびれ損にならないで良かったわ………話する時間、あるわよね?」

 

 

 

 空港ロビー内のコンビニにあるイートインスペースに座った三人は、それぞれアイスコーヒー、ミルクティー、キャラメルミルクとコンビニプリンアラモードを注文し、またしても沈黙してしまう。

 

「んんんぅ~~~♪」

 

 訂正、一人だけプリンをバカ食いしてご満悦のたんぽぽを除き、無言の凰親子はお互いが何かを言おうとしながらも、取っ掛かりがつかめずにまた沈黙してしまう。という悪循環に陥っていた。

 

「プハァッー! ご馳走様!!」

 

 そしてプリンアラモードを一気食いしてご満悦なたんぽぽは、そんな二人の様子を見て不思議そうに首を傾げると、やがて席を立って、二人の間に改めて座り直す。

 

「鈴お姉ちゃん………」

「………たんぽぽ」

 

 小さな手が触れた暖かさが、不思議と緊張する心が解き解されていく。

 この手の優しさに報いたい。そんな思いも加味して、鈴はついに重い口を開くのであった。

 

「父さん………千冬さんから、病気の話、聞いたわ」

「!?」

 

 最も避けたかった話をいきなり切り出され、言葉が出ない楽員であるが、鈴は視線を下に向けて節目がちになって話を続ける。

 

「母さんには話してたの?」

「…………ああ」

「じゃあ、家族で知らなかったのは、私だけ?」

「母さんを責めないでくれ!! 俺が無理に口止めしたんだ」

 

 事情を知らせなかったことを何か勘違いされてしまっては困ると思い、母親には何の罪もないということだけは分かってほしかったのか声を大きくしてしまうが、鈴はそれには特に反応することなく、話してもらえなかったことに寂しさとやるせなさを感じていたのだ。

 

「もう………それぐらいわかる歳よ、私」

「いや、それなら」

「でも………やっぱり子供なんだよね。二人に守ってもらってばっかりで………今も、千冬さんとたんぽぽ(この子)にまで気を使わせちゃった」

 

 鈴に頭を撫でられ嬉しかったのか笑顔になるたんぽぽを見つめながらも、鈴は晴れない様子で父に問いかけた。

 

「聞きそびれちゃってたけど………中国で開いたお店、どうしたの?」

 

 日本での実績を手に入れ、本土でも名を馳せてみせる。常日頃から家族に公言してた言葉通り、資金を貯めて中国で開いたレストランを、彼はどうしたというのか? その答えを楽員は寂しそうな表情のままに首を横に振って答えるのみであった。

 

「離婚した後、すぐに人の手に渡して入院の治療費に当てた」

「!?」

「仕方ない………いつ死ぬかもわからない人間がいつまでも厨房には立てん。それにな………」

 

 誰にも告げていなかったあることを、楽員は静かに口にする。

 

「抗がん剤治療の強い薬の影響でな………味覚が…ほとんどダメなんだ」

「!?」

 

 彼が半生かけて築き上げてきた料理人として致命傷とも言える事実を、こんなにも穏やかに告げてくる姿に、鈴は怒りよりも、戸惑いよりも、悲しみが胸中にあふれ、涙が止まらなく出てくる。

 

「泣くな鈴。これはたぶん天罰なんだ」

「………なに、それ?」

「もう少し見極めてから行くべきだといった母さんや、日本を離れたくないと泣いたお前の気持ちを押し切って中国に行ったら、病気で料理がおぼつかなくなった………家族の気持ちを蔑ろにした罰だ」

 

 二人の家族の気持ちを考えなかった自分に下ったことだと言われれば、むしろ当然の罰だったと思える。それぐらい酷いことをしたんだと主張する楽員に対し、鈴にしてみれば、そんなのあんまりなことなのだ。

 

「罰とか何よ………そんなの………私は………私は………」

 

 震える声と止まらない涙を拭いながら、鈴は楽員に問う。

 

 

 

「父さんにとって………私、ただの重荷?」

 

 

 

 自罰的な気持ちでいた楽員の意識を、横からハンマーで殴られたかのような衝撃が襲い掛かってくる。

 

「ち、違う………鈴……俺は」

 

 何か言わないと。

 何か言わないと、本当にただ鈴を傷つけただけになってしまう。

 

 だが、何を言えばいいというのか? こんな自分が何を伝えれば、本当の気持ちが伝わるというのか?

 

 今も、目の前で幼子のように震えて泣いている娘に、かけてやる言葉一つ思いつかない情けない父親にできることはいったい何なのか?

 

 言葉が途切れてしまった楽員もまた、俯いて肩が震えてきてしまう。

 

 

 

 

「おじさん」

 

 

 

 途切れそうになった意識を繋いでくれたのは、青空と同じ色をした瞳と、自分の腕を掴む小さな手の温もりであった。

 

「鈴お姉ちゃんないてる………でも、おじさんは鈴お姉ちゃんのパパ」

 

 笑っているわけでも泣いているわけでもない、ただただ、真摯な眼差しだけがそこにはあり、それは自分をじっと見つめてくる。

 たんぽぽの瞳は彼女の言わんとすることを代弁していた。

 

「………ああ」

 

 『助けるのは自分ではなく、父親である楽員』なのだと。

 

「……………鈴」

 

 今のままではただの自虐と懺悔だけしか伝えられていない。そんなことを告げるために日本に来たわけでない。

 

 自分が本当に伝えたい、本当の想い。

 

 

 

「……………おめでとう。代表候補生になったんだな」

 

 

 

 涙に濡れた鈴が顔を上げ、穏やかに笑う父の顔をじっと見つめる。

 

 

「お前はやっぱり、俺の自慢の娘だ……………賭けてもいい。世界一の孝行娘が誰かと言われたら、俺は間違いなくお前を押すよ」

 

 

「…………父……さん」

 

 

「ああ。お前の父さんなのが、俺の世界一の自慢なんだ」

 

 

 

 正直にそう口にできたこと。いつも不器用で言葉足りないと妻に怒られていた自分が驚くほど素直にありのままの言葉を口にできた。

 そのことに内心で驚きながらも、自分以上に驚いている娘の返事をゆっくりと待つ。

 

「…………馬鹿」

 

 いつもの軽口で罵倒してくる娘の顔に、ようやく笑顔が戻ってきた。

 

「馬鹿………ホント、馬鹿」

 

 ああ、鈴はこうやって親を馬鹿呼ばわりしながらも、いつも自分に笑顔を向けてくれていたのだ。

 

「馬鹿すぎて………恥ずかしいじゃない!」

 

 そう言いながら、自分の胸に額をつけてくる娘の頭をゆっくりと撫でながら、楽員もまた瞳に涙を貯めながら返事をした。

 

「親を馬鹿呼ばわりとは何事だ………まったく。口の悪いとこ俺に似やがって」

「当り前じゃない………世界一の『父さん』の娘……なんでしょう、私?」

 

 耳たぶを赤くしながら言った鈴と、世界一の父親だと言われ、どう言い返したらいいのかわからず耳を真っ赤にして黙り込んでしまう楽員。

 

 そんな二人を嬉しそうに笑って、間にたんぽぽが入ってくる。

 

「わらったぁっ! 鈴お姉ちゃん、やっとわらったの!」

「わぁっ!? たんぽぽ!?」

 

 鈴に抱きしめられ、嬉しそうに笑ってくれる幼い少女に、茫然としていた楽員は感謝の気持ちでいっぱいになりながら、その大きな手で頭を撫でてみた。

 

「おじさん?」

「ありがとうなたんぽぽちゃん………本当にありがとう」

「私も………ありがとうね」

「?????」

 

 なぜこのタイミングで自分が感謝されないといけないのか?

 全く理解できていない様子の幼子と、そんな幼子を大事そうに抱きしめる娘。

 

「………良いな。ずっと見ていたいな」

 

 死を覚悟していたというのに、そんな光景を見せられては、欲が出てきてしまうではないか。

 

「………良いんだよ」

「!?」

「………良いんだよ父さん」

 

 何が言いたいのかを理解した鈴が笑顔で同調してくれる。

 

「だけど、俺が前と同じように生きられる可能性は………」

「可能性なんて、成功させちゃえばただの思い出話よ。少なくとも代表候補生になるときの私は、物怖じなんてしてられなかったわ」

 

 先に成功した娘の言葉は厳しくも、温かいアドバイスであった。そして、娘の声援を背に受け、凰楽員という男がこれ以上二の足を踏んで戸惑ってはいられない。

 

「ああ。そうだ……………そうなんだ」

「………なにがそうなの?」

 

 意味が分からない。と再び首を傾げるたんぽぽを、鈴の手から自分のほうへと抱き上げ、楽員はようやくいつもの笑顔になって言い放つ。

 

「おじさんはもっと長生きしてやるって意味だ! そんで、もう一度自分の店を持って、最初の客に鈴と母さんとたんぽぽちゃんを招待してやる!」

「ほんと!?」

「ああ、本当に絶対だ!」

 

 『わーい! ラーメンやさーん!!』『違う、中華料理店だよ』と二人で言い合う姿が可笑しくなったのか、鈴は吹き出しそうになる。

 

「何が可笑しい、鈴?」

「ちょっと父さん………たんぽぽはウチの子じゃないのよ?」

「あ、ああ………そうか。なんかもう鈴の妹みたいに思えて、自然と家族扱いしちまったわ」

 

 陽太とシャルの娘だというのに、生まれてからずっと一緒にいる妹のような愛情が芽生えていた鈴があえてそう言ったのだが、たんぽぽはというと鈴に対して、こう告げてくる。

 

 

「鈴お姉ちゃんはたんぽぽのお姉ちゃんだよ。ちがうの?」

 

 

 あっさりとそう告げれたのは、きっとたんぽぽには最初からそういう認識があったからだ。

 父の腕に抱かれる幼子にしてみれば、血の繋がりだとか戸籍の繋がりだとか、そういう社会的な認識など意味がない。

 言葉を交わして、想いが通じ合って、一緒に笑いあえることが何よりも大事なことなんだと、この子は経験ではなく直感で理解している。

 

「………フッ……そうね」

 

 そのことに気が付いた鈴は、父の胸にダイブすると、たんぽぽを一緒に抱きしめながら、この新しい妹に大事なことを告げる。

 

「アンタは私の可愛い妹よ………たんぽぽ」

「あいっ!」

 

 元気のいい返事を聞いて、また吹き出しそうになる鈴と、そんな娘達の様子がうれしい楽員と、二人が嬉しいことが嬉しいたんぽぽ。

 

 楽員が乗るはずの飛行機が離陸する寸前まで、三人の抱き合いが続いたのであった。

 

 

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 

 すっかり日が暮れ、笑顔で別れることができた楽員が乗る飛行機を見送り、すっきりとした表情で鈴は星が煌めく夜空を見上げる。

 

「鈴お姉ちゃん」

 

 同じように夜空を見上げるたんぽぽが、手を差し出し、それに鈴も笑顔で答えた。

 

「…………帰ろっか?」

「うんっ!!」

 

 

 本当の姉妹のようになれた二人が、手をつないで夜道を歩き、途中で色んなことを笑顔で語り合いながら、IS学園にたどり着いたのは、夜の21時を少し回ったぐらいの時間であった。

 

「……ふう、到着」

「………とう…ちゃく…」

 

 電池が切れた人形のように元気が無くなっているたんぽぽを気遣って、鈴は彼女を抱き上げながら寮の門を潜る。

 

「大丈夫? もう寝る? お風呂入れる?」

「………ごはん、まだ……」

「アンタ、飯だけは絶対に三食食べないと気が済まないのね?」

「………ごはん、たべないと、たんぽぽは……ねない」

「なぜそこまで根性見せるのか」

 

 いつもはそろそろ就寝するためにお風呂に入って着替えてベッドの中に入っている時間なだけに、生活リズムが一定のたんぽぽはダウンしかけていたのだが、夕ご飯だけは絶対に食べると主張し続け、鈴の腕の中で睡魔と格闘していた。

 

「………あたしもお腹空いちゃっ……千冬さん」

 

 駆け寄ってくる鈴の表情を見て、千冬は良好な別れができたのだと確信し、フッと笑みが零れる。

 

「その表情だと、ちゃんと親父さんと話ができたみたいだな」

「ご心配をおかけしました。あと、ご迷惑も………」

「ISの使用については、明日のプール掃除で手打ちになっている。お前も一緒に手伝うんだぞ、たんぽぽ」

「…………あい」

 

 首をカックンカックンと上下に揺らしながら、それでも返事をしてくる姿が少し可笑しく見えて、吹き出しそうになる千冬であったが、重要なことを思い出し、表情を青くして二人を見る。

 

「私からは………………以上だ」

「?」

「?」

 

 妙なそぶりを見せる千冬に、少し怪訝な表情となる鈴とたんぽぽであったが、やがてその理由は瞬時に理解することになる。

 

「今日のことについて色々あったのも事実だが、私からこれ以上とやかく言うのは、なんというか………『追い打ち(オーバーキル)』になってしまう」

追い打ち(オーバーキル)? どういう意味なんですか、それ?」

 

 鈴の問いかけに、千冬はそれ以上何かを語ることはなく、ゆっくりと人差し指を向けるのみ。

 二人はその指先の先をゆっくりと目で追いかけ………。

 

 

 

 ―――自室の前で、表情を無くして立ち尽くすシャルロット―――

 

 

 

 二人の姉妹喧嘩の余波で、部屋のものがひっくり返り、ガラスが割れ、化粧水の瓶が倒れ中身が派手に床にまき散らされ、かけてあった服の裾が破け、ベッドが裏返りになっている。

 

 そんな部屋を目の当たりにした部屋の主が、全ての感情が消えうせて立つ姿を見て、失念していた自分の愚かしさを呪った鈴と、事の重大さを本能で察知し、眠気なんかすっ飛んだたんぽぽが怯えながら立ち尽くす。

 

 見れば、表情を青くした陽太達が手を横に振りながら『無理。フォローできない。下手なこと言ったら死にかねないし』と無言のメッセージを送る中、シャルが首だけをゆっくりと、かつぎこちなくホラーチックに動かしながら二人を見つける。

 

「ヒイッ」

「ハギュッ」

 

 恐怖で足が竦んだ鈴と、鈴の腕から落とされ尻餅をつきながらも、恐怖で腰が抜けているたんぽぽが後ずさる中、シャルがゆっくり近づいてくる。

 

「………鈴………たんぽぽ?」

 

 名を呼ばれただけなのに、圧倒的な絶望感が二人を襲い、見ればたんぽぽは腰を抜かした拍子に廊下にすごい勢いで世界地図を作製しつつあった。

 そして壁に追い込まれた鈴と、床で這いながらなんとか逃げおおせようとしていたたんぽぽであったが、ホンギレしたシャルロットママに追いつかれ、抱き上げられたたんぽぽは、涙を零しながら返事をする。

 

「たんぽぽ………ママが名前を呼んだら?」

「………おへんじ……」

「よぉし」

 

 言葉は穏やかなのに、有無を言わさない威圧感が込められている。

 これはもうどういっても最後の運命は確定している流れだ………長年の経験からそう判断した陽太が静かに二人に手を合わせる中、初めての義母の怒りを受け、たんぽぽが必死の言い逃れをし始める。

 

「た、たんぽぽ………ごはんたべて………ねなきゃいけない」

「でもその前に、ママと話しなきゃいけないこと。あるよね?」

 

 威圧感がさらに増大したシャルの姿に、たんぽぽは更なる小便をちびりながら心が折れ、謝罪する。

 

「………ごめんなさいシャルロットママ」

「うん。でも、ごめんなさいだけじゃ、今日は済ませてあげられないんだ」

 

 ヒョイっと、たんぽぽを持ち替えたシャルの体勢から察し、鈴が勇気をもって割って入った。

 

「た、たんぽぽは今日は私のために……」

「喧嘩両成敗だから、ちゃんと順番通り、次は鈴だからね♪」

「「ひぃっ!?」」

 

 晴れて義姉妹になった二人が同時に息をのむ中、勢いよく放たれたシャルの尻叩きの威力を直接受け、たんぽぽは大声で悲鳴と謝罪を繰り返し、その後、鈴も同様の目に合うことになる。

 

 

 

 お尻を真っ赤にしてうつ伏せで動けなくなる中、鈴とたんぽぽは悟るのであった。

 

『喧嘩して仲良くなれるのは良いこと。でも喧嘩した後片付けをきちんとしておかないと、恐ろしい目に合う』と………。

 

 

 

 

 




最後はギャグチックで終わった今回の話、実は太陽の翼で一番やりたかったお話でもあります


人を救うのに、力も知恵も使わない。ただまっすぐに信じる心だけで成し遂げる。たとえそれがご都合主義だといわれても


非常に大きな意味がある話の主軸に立っていたのは、陽太でも一夏でもなく、本当に心を芽生えさせて一月足らずの幼い少女でした

このたんぽぽがもたらした救い。


想いがうまく伝えられない鈴

言葉が足りない楽員

そんな二人の間を「鎹(かすがい)」となって橋渡しをしたたんぽぽの成長。それが今後の話のドラマでさらに見受けられるようになると思います

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