土曜日と言ってたのに、日付を間違えてたよw
心拍数モニターの小さな電子音と人工心肺装置の微かな呼気が、静寂の中で規則正しく響いている。
分厚い扉には鍵は掛かっておらず、電子パネルには埃が積もっていた。回線の壊れて動かない隔壁と監視カメラや、電流の流れていない鉄条網。外見だけは隔離施設のような作りをしているが使われなくなって随分な時間が経過しているようだ。
見覚えのある施設の作りにはなっているが、秋水が過ごした施設とはまた違う道の作りに、設計者とは似たような研究をすれば、外観まで似たような作りになるのかと侮蔑と懐かしさを滲ませるような軽薄な笑みを浮かべて一人苦笑する。
厳重なロックを施されていたかつての隔壁を何度も通り抜けて奥へと向かい、辿り着いた小さな部屋は、秋水の過去とよく似た景色が広がっていた。
病室のような個室は検査で使われるような密閉型のベッドが置かれ、その周囲を見慣れた機器が取り巻いている。役目を終えて壊れているかと思っていたが機器はまだ電気が生きており、秋水は記憶してある手順に従って見よう見まねの手付きで使用した経歴を遡った。
暗い室内を表示パネルの微かな緑光が照らし、画面に表示された最終履歴を確認。最後に起動して作業を終わらせたのは、秋水がカンピオーネに入国した当日。つまりは出会った彼女は本当に生まれたばかりなのだという事が理解できる。
彼女を製造した製作者はこの地下から動く事が出来ず、端末として彼女を産み出して外に向かわせたらしい。
淀んだ空気と薬液の香りが混ざり合い、そして通路は更に奥へと続いている。秋水は奥へと進み、使われている部屋へと入っていく。
唯一『使用中』と表示されていた部屋は医療用カプセルが中央に鎮座し、幾重にも繋がれたケーブルが床一面に張り巡らされるように壁へと伸びている。カプセルの中には出会った少女と同い年位の少女が透明な液体の中で浮かんでいた。
肩口から覗く背中に繋がれた大量のケーブルが初めに目についた。ケーブルに繋がれた身体を計測する機械の類いが彼女の呼吸と脈拍を計測しているが、弱々しい反応は彼女の身体が既に限界なのだろう。肌の見える箇所は至るところが傷だらけで、それが戦闘ではなく強制的な成長と無理な複製による細胞への負担で出来た、内側からの劣化で出来た損傷だという事は履歴で確認している。
秋水は機械類を触らないように少女のもとへ歩み寄るとカプセルの中へ手を伸ばし、液体で濡れる事も構わず少女の頬に触れた。
「あったかい……」
瞼を閉じて身動きを取らなかった少女が見上げるように秋水を見つめ、触れられた事を拒むことなく震えた掌で秋水の手へ触れた。秋水は傷だらけの掌を両手で包むように握り、少女の視線に合わせて膝を曲げる。薬品に浸る彼女の手は冷たくなっていたが、それでも生きている事を訴えるように掌に熱を感じた。
「そう、あなたはここまで来たのね」
呼吸が落ち着いてきた少女が小さく呟き、身体を此方へ向けた。ケーブルが彼女の動きを制限しているようで、酷く重たげに身を起こす。
「ここでの実験は私達の複製」
秋水は静かに頷き、知っていると答えた。
出会った少女も目の前の彼女も、恐らくは襲ってきたISもベースは同じ人間なのだろう。
そして、その複製元となった試験管ベビーの情報はリリィやトーラ達と同じ亡国機業が出自元だ。
スイスか、カンピオーネか、そのどちらかは不明だが、この国の誰かは亡国機業からデータを買い取り、自らの技術で不完全なコピーを複製し続けた。そしてオーガコアに手を出し……乗っ取られた。
だが、この街がこの実験を始めた理由とオーガコアの暴走するタイミングがどうしても秋水の中でずれる。仮に落日の日にオーガコアを此方に引き寄せたとすれば、この実験は何の為に繰り返されていたのか。どれだけ繰り返せば、あれだけのコピーを使い潰せたのか。
「オーガコアを呼び寄せたのは大人じゃない」
秋水の疑問に答えてくれたのは少女だった。
「オーガコアが私達を複製し続けて、新しい力の為にもう一つのオーガコアを取り込んだの」
さっぱり話についていけずに、秋水は目をしばたかせた。オーガコアとは本能の塊。破壊衝動と使用者の欲求に従って理性なく暴走する化物の筈だ。仮に制御できたとしても、亡国機業のように独自の制御方法が必要になる筈。それを可能とする開発者がカンピオーネに潜伏しているというのか。
秋水の疑問に対して、少女はゆっくりと首を横に振る。傷だらけの顔を秋水の方に寄せ、身体を支えていた秋水に寄り掛かるように身体を預けた。
小さな右手には小さな子供用の玩具のような指輪が握られ、それを秋水に震えた手で握らせる。そうして、秋水がその指輪をしっかりと受け止めると、安心したように息を吐いた。
震えた唇は秋水の疑問に答えるように呟き、その眼には悔しさを滲ませた涙が溢れ落ちる。
「オーガコアは……私達に寄生を繰り返したの……最初は産み出された一体に取り付いて内蔵付近に食い込み、試験管ベビーと一緒に成長していった。でも、途中で製造に追い付かなくて自壊すると、別の個体に自分のコアごと引き継がせた……新しい身体が産み出される度に寄生を繰り返して、試験管ベビーがオーガコアの規制に耐性を付けるまでそれは続けられた。
当時の科学者がどこの研究者なのかは私には解らない。でも、彼らは単体で寄生を繰り返して成長を続けるオーガコアに喜び、その成長を妨げる事はしなかったと研究資料に残ってる……」
少女は苦痛を堪えるように唇を噛み、涙を溢して続けた。
「他の子達は皆殺された。……私達は製造ラインから放棄され、別のデータに改良された試験管ベビーが増やされた。自己成長を繰り返したアイツの言いなりになっているとも気付かずに……」
秋水は近くにあった機器を操作して履歴を遡る。破棄されたデータの虫食いから少女が口にした履歴を探り、小さな圧縮データから少女の記憶していたIDコードを打ち込み、情報を閲覧した。
英雄作成。その為の幾人もの素体を実験に使った人体実験データと、始まりとも呼べる英雄を信じた人々が迎えた一つの末路。
秋水は事件の始まりとも呼べる各国の暴走を知り、読み進める。
カンピオーネには過去に一度だけ、アレキサンドラ・リキュールが立ち寄った経歴があった。
偶然か必然か、どういう理由にせよ彼女は陸戦部隊の一部を連れてカンピオーネに滞在し、それを過去の住人は喜んで迎え入れた。
そして何事もなく彼女は街を離れ、協力を申し出た街の有権者達へ一つだけ言い残したという。
──「決して自分達から、私に協力したとは伝えないでくださいね?」
英雄からの一つだけの願いに彼らは頷き、そのまま時は流れていく。
そして十年前。「それ」は起きた。
街への爆撃。それは過去にアレキサンドラ・リキュールが立ち寄ったというだけで引き起こされた襲撃だった。
英雄が立ち寄った。
彼女の信奉者が残っているかもしれない。
彼女亡き今、報復があるかもしれない。
英雄の意思を継いで何かをするかもしれない。
ありもしない恐怖が騙し討ちをした各国の恐怖を煽り、凶行へと走らせた。
巨大な爆弾が地上へ落下して炎と衝撃を撒き散らし、爆炎と爆風が容赦なく建物を薙ぎ倒、街路を妬き尽くす。
寝静まっていた平穏な街は一瞬で炎に包まれ、人々の悲鳴と絶叫の渦巻く地獄へと変わった。
街が無惨に焼け崩れ、紅蓮の炎に包まれながらも生き残った一握りの住人。彼らの願いは虚しく、英雄に関わったという訳のわからない名目で裁かれ、誰も救われる事が無かった。
爆撃の事実も強襲すらも航空機の墜落という嘘で塗り固められ、まるで不幸な事故とでもいうように襲ってきた悪魔が笑みを浮かべて生き残った住人を嗤う。
生き残ってくれて良かった。
街の再建を協力しよう。
亡くなってしまった人達の分まで生きて欲しい。
生き残った人々は願う末路の果てに壊れ、その日より地獄は再編される。
街の再建で使われた資金がISに関わり、立ち止まりそうな時には見ず知らずの誰かが資金援助や技術提供を申し出てくれた。
試験管ベビーの遺伝子情報やスイスから提供されたISコアも彼女からの援助だという。
彼らに協力する名も知らぬ誰かを疑う事もあったが、それを疑う事も許さぬ程に潤沢な援助を差し出され、二年前にはオーガコアすら用意された。
技術提供と技術者支援によって続けられた研究は街の生き残りすら置いて瞬く間に続けられ、最後には街の住人や研究者ごと巻き込んで皆殺しにしたらしい。
そうして、完成した悪鬼はただ一つ。それが今のカンピオーネを支配し、何万もの死者を敷いた屍者の国を作り上げたのだ。
オーガコアが暴走をするのではなく、オーガコアが死を繰り返して自我を手にし、遂には街の人間すら呑み込んで女王となる。
荒唐無稽とも取れるような事態に秋水は世界がぐらりと歪んだ気がして、思わず頭を押さえた。
頭痛は止まらず、何かを訴えるように秋水の記憶を遡らせる。
傷だらけの少女も、壊れた機械も、積み重なった死体も、秋水が既に『経験』し思い起こせぬ『記憶』として彼岸の先に置いてしまった壊れた景色だ。どれだけ思い起こそうとも秋水の意識は『過去の自分』を思い出せず、額縁に飾られた出来の悪い絵画でも眺めるように遠くから眺める今年か出来やしない。
それでも、その景色を思い出せと『記憶』が訴えてくる。
自分を産み出した父を殺した瞬間を。
助けられなかった同じ境遇の仲間と呼べたかもしれない犠牲者を。
自分を残して居なくなってしまった同類を、家族と呼べたかもしれない人々を。
自分から■そうと目覚め(覚醒し)た始まりの記憶が、秋水の意思とは無関係に『機能』を呼び起こそうとする。
「たぶん、私も……もう、もたない……最後の力で作ったのが、あの子だから」
秋水の耳元にこだまする少女の声が力無く響いた。思わず抱き起こし、頭痛も無視して彼女を抱き止める。
小さくなった身体は酷く軽く、抱き上げても重さを感じなかった。
「何人も見てきた……使えなくなる子達も、侵食されて作り替えられる子達も……色々と失敗して、身体が保てなくて……」
言葉を切り、絞り出す。悔しさを……
「頑張ったの……頑張ったのよ…………いつかは、外に、出られるように………………頑張ったの…………造られていく、妹が……ひとりでも助かるように…………っ!!」
「…………………………………………頑張ったの」
「…………………………………………頑張ったのよ?」
「…………………………………………お願い……私は、もうダメだけど…………助けて、あげて……………………」
「…………………………………………殺して、終わらせて……」
ふっと、彼女の手から力が抜けた。秋水はその手を握り返す。でも、もう握り返される事は無かった。小さな腕を握り締めると、不意に不愉快な高い笑い声が響く。
生きていた事を嗤う様な笑い声だ。心から可笑しそうに、少女をそいつは嗤っていた。
「困るのよね。勝手に助けてーなんて。元々産み出された後は使い潰されるだけの命ですし? ほら、あなた方も家畜とか可愛いからっていつまでも育てたりしないでしょう? それと一緒 」
着飾った白いドレスのISに乗る少女。それがオーガコアの宿主ではなく、オーガコアそのものだという事は理解している。
「元々自分から産み出せる『能力』まで付与できたのは少なかったんですが……まぁ、寿命なら仕方無いわ。それに、引き継ぎ出来るのは私だけですし、端末はまた造ればいいですから……アハッ、持っていかれます? 街の特産品みたいなものですし。死んだだけならまだ使えますよ? ふふ、何なら外のもお好きなだけ」
「そういえば、お前ってオーガコアなんだよな。ベースは何?」
少女の亡骸をそっと寝かせ、興味なさげに秋水は聞き返す。獣や昆虫をベースとして成長していくオーガコアにしては、随分と流暢に喋るせいだろう。
「私のベースは『人間』よ。獣や昆虫なんて有り得ないわ。私は理想の自分を産み続けて、完全な美しさを手に入れるの。元々ベースとなったデータの姉妹も完成品とは程遠いし、外見も私の好みじゃなかったわ。ねぇ、それより聞いて? 観光客も、街の住人も、誰も私が認められる美しさなんて持ってなかった……酷い話よね? 見た目が汚い人間なんて、何人重ねても意味ないのに。どうせならもっと大きい街が良かったわ」
饒舌に語る悪鬼が奪い続けた命を嗤い、使い潰して尚も辱める。彼女にとって街の人間も、巻き込んだ誰かも、その全てが餌でしかなく、自分の材料としか思っていない倫理観の無さは、確かに壊れている。否、最初から人間としては破綻しているのかもしれない。
そうまでして積み重ねた研鑽の果てに何を望むのか。そうまでして、何に成りたいのかと秋水は聞いた。
「完璧な人間に決まっているでしょう? 過去には英雄と呼ばれる人がいたじゃない。私はああなりたい。歳も取らず、姿も変わらず、永遠に美しいままでいたい。そこまでいけた英雄さんは自分から死んでしまった事は情報で理解しているわ。馬鹿よね、永遠に美しいままでいられるのに、自分から手放すなんて。私はそんな事、絶対にしないわ。美しいままいられるなら、その美しさを残すべきよね!」
そうして、悪鬼は愉しげに嗤う。
「こんな小さな街じゃ足りなわ! もっと大きな街で綺麗な人を沢山集めて、私はもっともっと綺麗になるの! 永遠の美しさで永遠に生きるのよ! その為の力は私にはある。生み出して、使い潰して、全ての命が私の為にあるの!!」
──だから貴方の命も私に頂戴?
秋水を『氷血銀装(アナスタシア)』と呼ばれた兵装が貫く。その右腕にはもう一つの宝石が嵌め込まれ、生き物のように煌めいた。
「この兵装を自立させる為にもう一つのコアが必要だったの。私は幾らでも人形を増やせるけど、あくまでも人形を増やすだけ。使い潰しても武器には出来なかった。でもね、この子は違うわ! 最初に破壊衝動と食欲だけをセットで育てて、私のコアに繋いで制御したのよ。元々は私と同じコアだけど、既に上下関係は完成させているの! 私の言うことに従う、とても可愛い子(ペット)なのよ! この子だけは特別。永遠を生きる私の傍に置いてあげているの」
オーガコアを利用した悪鬼兵装(オーガウェポン)とでも呼称すべきか。
恐らく装備として使用されているのがスコール達の探していたオーガコアだろう。その前から動いていた悪鬼がどの段階で街に侵食し、屍を増やしていたのかは秋水にはどうでもよかった。
秋水は子供用の指輪を握り締め、静かに悪鬼達を見下ろした。
「貴方が握り締めているのはただのISコアよね? スイスから運ばれていたのは聞いていたけど、私の言うことも聞かないから捨てていたの。子供用の指輪なのは何故かしら? あ、ねぇねぇ、もしかしてだけど、あの死に損ないが子供達に握らせていたの? やだ、そう思ったら凄く可笑しいわ! 本気で生き残れるって信じたのかしら? 生きていても、どうせ長くないのに! 調整が出来なければすぐに壊れてしまうような不完全品が、私の傍から離れようとしたの? ふふっ、材料のくせにね」
秋水の血液に浸る指輪が淀みなく稼働を続け、精製を繰り返す。亡くなる最後に少女が装着を命じ、自分が死ぬ事を条件に全て権利を秋水へと譲渡した、一機のみ。
世界でただ一つ、少女が手放したたった一つのコアにだけ繋がるISの使用権利。男性でも使える事に科学的根拠はなく、非科学的な理屈。
命を賭して秋水へ託した自由への翼。
貫かれ、投げ捨てられた秋水が死体の山へと吹き飛ばされて水面に叩き付けられる。
異常な再生能力で傷の癒した秋水の身体をISの装甲が纏う。緋色の全身装甲。従来のISとは違い、四肢のパーツは驚く程に小さく、秋水の全身を包むのは彼と変わらない体躯のパワードスーツ装甲。
大型スラスターや飛ぶ為の大型可変翼は無く、小型の翼が背中に繋がるバックパックと、足の裏から展開された装置がシールドを展開し、秋水の足場を空中に形作る。
表情を覆い隠すようなマスクが更に薄緑色のバイザーで表情を隠し、装着が完了した秋水の背中を緋色の光る翼が噴出する。
「なぁに、その紅い色……私のより綺麗な色なんてこの街にはいらないわ」
不愉快そうに告げた悪鬼が左腕を空へと掲げ、彼女の号令に応えるようにカジノの床に面した天蓋が砕け、秋水達のいた水面へと兵士を降下する。
住人を模して造られたまま、待機していた兵器が悪鬼の意思に従い獲物を殺す忠実な兵士として武器を展開。数にして凡そ二千を超える悪鬼の走狗となった亡霊の群れが、王女の命を受けて名も無きISへと矛を向けた。
起動したばかりのISは初期段階から操縦者への適合を開始する為、本来であれば稼働したなかりの秋水は十全に扱う事が出来ない。それが通常の状態であれば。
だが、指輪型の待機状態を握り締めた秋水の血液はISコアへ直接伝わり、秋水の情報は既にISコアが適合を終えている。
装着したISは自らの意思で操縦者となった秋水の情報と獲得すると同時に、秋水の特殊な能力を一時的に獲得する。
『緋々色金』と呼ばれた紅緋血装とは異なる旧世代最悪とも呼ばれた『英雄殺し』を目的とした禊の呪いを──
■
──迫り来る二千を超える亡者の群れを前、朽葉の『秋水』は真の能力を起動させた。
(兵装:『八握剣』拘束開放 最終兵装:『天璽瑞宝』顕現 ■■■■:『十呪神宝』接続 失敗 単独顕現開始)
頭の中に自然と浮かび上がる指令と忌々しい祝詞。
亡者が眼前に迫る中で、秋水は何も見えていないかのように瞼を閉じて祝われる事の無い祝詞を口にした。
「布留部 由良由良止 布留部(ふるべ ゆらゆらと ふるべ)」
敵の刃が秋水の身体に突き刺さる。槍か剣か、数える気にもならない歪な刃の群れに突き上げられ、オーガコアの持つ『絶対破壊』の能力がISのシールドを貫通して装甲ごと秋水に刃を突き立てた。
突き上げられた肉体から零れ落ちる血潮が、自分を兵士(人)として繋ぎ止める最後の枷が外すような感覚。
突き刺した胴体から溢れる血液が誰の目で見ても致命傷と思わせるが、それ以上に目を奪われた光景は秋水の右腕。だらりとぶら下げ脱力していた右腕の掌から鮮血が溢れ、刺された傷口よりも大量の血液が秋水の右腕を中心に循環していく。
敵全てを殺す『血刀』。抜刀すれば目の前の敵を必ず殺す。己の殺意を血刀へ映す『禊』から秋水は『兵士』でなく『道具』へと。
秋水は頑なにこの刃を抜こうとはしなかった。抜いてしまえば誰かの命を奪い、自分の意思に関係なく手を汚す。それが避けられない機能だったから。
循環した血液が薄く引き伸ばされるように広がり、まるで何かが回転するように円を描く。その異物は秋水の右腕を中心に広がり、ISの右腕を包み込んで一つの手甲へと姿を変えていく。
通常のISと同じ人型の五指は爪先の鋭い形状に変化して腕の先までは漆黒に染まり、武士甲冑のような無骨な装甲に包まれる。
右腕の肘から下が身に纏うISとは違う装甲に包まれ、回転を終えた血液が振り払われるように、秋水の右手の甲には剥き出しの刃が装備される。
緋色の刀身で誂えた両刃の刀剣。右手に繋がる部分に柄や鍔は無く、手の甲に装備された円形の部品と刀身だけが接続された状態だ。
「……ハッ なぁに、ソレ? 貴方が人間だなんて、もう人か武器かも疑わしいじゃない……」
嘲笑う悪鬼の声に侮蔑と嘲笑。振り抜かれた刃の醜さを嗤うままに群れへ追撃を命じ、亡者の刃は突き上げられた秋水へと再び攻撃を繰り出す。
──刹那、突き刺した刃先から秋水が消え、亡者の群れの真下に着地する。
秋水の着地から数秒もせずに秋水に向けられた武器の先端が無残に崩れ落ち、刃を失った武器の先端から秋水が右腕の剣を振り抜いた事だけは目の前の光景から理解できた。
目に追えない速度に悪鬼すら驚愕するが、それも彼女は余裕の笑みを浮かべる。そうだ、この化物は何も理解していない。ただ攻撃をするだけでは自分の子供達を傷つけることなど出来はしないのだ。
敷き詰めた血液による無限の再生と増殖。この能力がある限り、あれがどのような武器であろうと自らの優位は変わらない。
速度には驚かされた。──だが、それはなんの驚異にもなりはしない。
悪鬼は追撃を命じ、武器を再生して秋水へと反撃をしようとしたがそれは叶わなかった。
一度斬られれば、ただの傷一つで終わる。
切断面に血刀の破片が付着し、その破片、緋々色金は秋水の殺意に従うままに即座に侵攻を開始する。恐ろしい速度で体内へと。
再生する刃先の再生速度よりも遥かに速い速度で切断面から破裂するように、歪に形状を破壊して武器を持つ腕や接続部へと侵食し、武器だけでなく装備した腕や肩、胴体にも破壊を繰り返していく。
メインユニット、ISコア、操縦者の命、それがどのような『部品』であれ破壊を目標として、それは一気に駆け上がり、相手の命を切り裂き奪う。
緋々色金は人の思念に反応して形状を変える性質を持つ。秋水の相手に対する明確な殺意に呼応したならば、その変化は殺すまで止まらない。
無論、緋々色金と為手の同調律は、通常それが出来る程ではない。
だが唯一、朽葉秋水だけ。朽葉秋水だけは自分自身の一部として緋々色金を内在させ、十余年の実験で生き延びた彼だけが、この呪いを可能とするのだと。
この無形必殺の刃だけが『英雄』アレキサンドラ・リキュールを殺すのだと信じられ、十年前に彼女が亡くなった今でも刃は生かされているのだ。
そうして切り裂かれた亡者は一機たりとも残らず機能を停止させ、斬られた全ての機体が崩れ落ちた。再生する筈の機体が無残にも装甲を膨れさせ、歪な形状のまま殺されている。
「……っ! 殺しなさいっ! あの化物を全員で殺すのよ!!」
(■■■■:『十呪神宝』接続 失敗 領域展開:『静寂暗翳(しじまあんえい)』縮小起動 戦域描画機構最適化開始)
命じられるままに飛び出す亡者が秋水の目の前を覆い尽くし、その群れに対して秋水は右腕を跳ね上げて一番近くにいた敵の首を即座に数体分切り落とす。
止まらない進軍と止むことのない攻撃が数千の群像に映り、秋水の視線には彼らの動く数秒先が薄い幻像のように敵の次の動きを予測させてくれる。
バイザーで隠れた秋水の目元が漆黒に染まり、秋水の認識する視線の先が白と黒の二色に塗り分けられた。
影法師のように分けられた二色の世界の中心に赤い点が一つ。赤い点は瞬時に敵の目の前を駆け巡り、幻像ではない敵の心臓を、首を、急所を正確になぞるように埋め尽くしていく。
まだ赤い線が走り抜ける間にも関わらず、秋水は目の前の赤い線を右腕の剣でなぞり、剣は秋水の意志に応えるように線の上に沿って滑り始め、それに呼応するように秋水の肉体は運動を開始する。
一閃、赤い線を正確になぞった剣筋がその位置に存在した敵の首を正確に切り落とし、それらが毒を全身に巡らせて機能を停止させる。
殺した敵の背を足蹴に不安定な姿勢から宙で一回転。迎え撃つ亡者の反撃に対して武器を切断し、肘から腕を無くした亡者の首の上に映る赤い線を一閃。返す刃で振り抜かれた血刀が更に数体を仕留めた。
勢いを殺すことなくISの運動能力に任せた機動力と血中の緋々色金を活性化させた身体能力で数名の亡者を切り倒し、赤い線をなぞる剣筋は無駄を極限まで削ぎ落としたように流れるような動きで速度を増して命を奪っていく。
秋水を中心に展開された『静寂暗翳』は秋水が敵を斬る為に最適な軌道を常に計算し続け、肉体の機能、その骨格、身体バランス、緋々色金の状態、装備の性能、重量、敵の能力、戦闘予測、地形の形状、それら全てを常に情報として血中濃度が上がって処理速度の強化された秋水の脳内に叩き込むように強制的に算出を続け「もっとも効率の良い運動の軌跡」を秋水の視覚情報に与え続ける。
理論上、その情報を使用者本人が処理し続けていられるならば最短時間に最大多数の敵を葬る事の出来るその演算は秋水の能力と合わさる事で、本来の性能を活かしたまま多くの敵を殲滅できるだろう。
(警告:血中緋々色金濃度危険域突破 解:身体損傷無視 対処:強制再生継続 余剰血液体外放棄 兵装展開継続)
その全ての負担を秋水本人が負担するという代償に。
遠距離から銃撃が秋水を穿とうと放たれ悪鬼の特性を付与された弾丸が秋水を襲う。
『静寂暗翳』の映し出す赤い線が即座に銃弾をなぞり、秋水の意志とは別に反応した右腕が刃を創り出した光景と同じく秋水の肉体から緋々色金を噴き出した。
急激な緋々色金の造血によって体内で処理しきれない鮮血が秋水の体外へと吐き出され、彼の身を守るように穿たれた弾丸へと降り掛かる。
噴き出した血潮が瞬間的に凝結と硬化を重ね、薄い何層もの装甲へと変化し、血で作られた霞のような盾は食い破られながらも加速を殺して秋水への致命傷を避けた。
構えた天璽瑞宝の刃が弧を描いて線をなぞる。狙撃者の首へ目掛けて刃がしなり、それを防ぐように狙撃者と秋水の間を遮る亡者が立ち塞がった。
盾役の亡者を死角に仲間ごと貫く反撃をした敵の刃と弾丸が盾の層を貫いて秋水の腹部と肩へ深々と突き刺さる。
身体を貫かれた衝撃を無視した秋水の殺意が噴き出す血液を吐き出した直後、秋水のIS装甲ごと貫通させて敵を刺し貫き、新たな刃が精製される。
傷口から創られた装飾のない両刃で出来た洋装の短刀。刀身だけの投げナイフのような刃が花の種が飛ぶように無造作に射出され、近くの悪鬼を無造作に突き刺していく。
天璽瑞宝は使い手の殺意に忠実に応え、突き刺さる悪鬼の傷口から毒を巡らせ、秋水を狙撃者へと届かせる道を繋ぐ。
視線の先で赤い線が陽炎のように揺れ動き、赤い線をなぞるように秋水の剣筋が『殺意』を届かせる。
味方に貫かれた亡者は回転した秋水に斬撃に首を落とされて機能を停止させ、貫いた短刀の毒が刺し傷を中心に全身を膨れ上げて殺した。
味方を刺した亡者も全身を貫かれ、秋水の殺意を伝播された刃に首を落とされ、攻撃をした姿勢のまま殺された。
狙撃した亡者は即座に離脱するも、仲間の血と残骸を斬り裂いた刀身が逃げる背中に刺され、血の泉に釘付けにされる。機能として反射し、抵抗したのはほんの一瞬。全身に巡る殺意が原型を残さぬ程に崩し、また首を落とす。
秋水自身も体に叩き込まれた損傷が心臓からの指令により再生。血液を噴き出した傷口は即座に損傷した体組織を蘇生させ、全身を巡る緋々色金の金属が失われたISの装甲を修復。
敵を追い求めた刀身が役目を終えて強制的に機能を失うと腕の部品から切除され、亡者に残された刃の残骸が一瞬で錆びて崩れる。
これが朽葉の『秋水』。英雄を殺す為に生まれ、英雄を殺す事を目的とした殺戮兵器『十呪神宝』の性能の一端。
英雄を殺す為だけの呪いとして創られた『十呪神宝』は適合者の肉体を制御下に置き、緋々色金に侵食された者の肉体を、ありとあらゆる肉体的損傷を修復・復元する。
その圧倒的な性能は適合者の生命活動が停止したとしても強制的に蘇生し、心臓として活動する『天津璽瑞宝』が稼働する限り、その肉体を強制的に稼働して戦闘を継続する。
かつての研究で適合者の全てが『天津璽瑞宝』の稼働に耐え切れず、心臓部分から自壊してきたが『秋水』は製造の過程から被験者達とは異なっていた。
長期間の実験と『天津璽瑞宝』を破壊しようとした朽葉博士の実験により、秋水の心臓が通常の実験以上に破壊と再生を繰り返し、その再生回数と修復速度は博士が破壊を試みる度に加速度的に耐性を獲得し、遂には適合者の侵食から『秋水』本体が既に彼らの手にも負えない段階までの再生力を獲得する事となる。
ただ一つ。『英雄』に対する尋常ならざる殺意と破壊衝動を負荷の代償として。
仮にアレキサンドラ・リキュールのように、『英雄』のように人を導き、人を救う事を可能とした人物がいたとするだろう。
そんな人物が『秋水』の目の前に現れたとして、その瞬間から『秋水』は殺意と破壊衝動により『英雄を殺す』為だけに『天津璽瑞宝』を起動し、それに関わる全てを殺し尽くす。
例えそれが『秋水』にとってどのような人物であれ、家族も、親友も、恋人も、隣人も、恩人も、『英雄を殺す』障害となるのであれば、それらの全ての倫理と思考を殺意で塗り潰して彼らを全て鏖殺する。『秋水』は止まらない。
目的を果たす為に『秋水』としての『人』としての全てを取るに足らないモノとして殺意が塗り潰す。『天津璽瑞宝』が求めるのは『英雄』の殺害のみ。その結果として使用者が傷付き、最終的に死んだとしても『秋水』ならば死なない。だが『秋水』の周囲が彼自身の手で奪われた罪過も後悔も『天津璽瑞宝』という機能にとっては瑣末な事象であり、『秋水』とは『英雄を殺す』為だけの最適な部品に過ぎない。
ただ唯一の存在理由として『英雄殺害』を以て存在する兵装。現存する過去の遺物の中で最悪最凶として完成を忌避された呪いの一つ『十呪神宝』。
必ず殺せ、と。
なにを犠牲としても『英雄』を殺せ、と。
英雄など世界の何処にも在りはしない。縋る全てを殺し、『英雄』などという機能など否定しろ。
──殺意で情報が塗り潰される秋水がどこか遠く誰かの願いを聞いたような気がした。
この殺意を秋水は否定しない。ここにいる亡者の全てが誰かの人生の残骸だ。
一人、一人が確かに生きて、彼らにしかない生き方があった。彼らにしか分からない人生があり、大切なものがあり、帰りを待つ人がいて、多分、自分とは違って愛する人がいた。
彼らはその大切な全てを悪鬼に奪われた。
そして、彼らの帰りを待つ人がいる事を知っていながら自分は彼らを殺す。
自分という存在が『人』としてではなく、『兵装』として『英雄』を殺す為に造られた全てを以て刃を振るう。
そうしなければ彼らは還れないのだ。英雄を信じた信者も、大切な人の為に戦った彼らも。
──そして、家族を愛した彼女も、いつまで経っても救われやしない。
彼女がそれを知ってしまえば、きっと自分の全てを掛けて救いに向かうだろう。今だって見ず知らずの連中を従えて、見たことも無い連中の為に一番前にいる。
彼女にはそれを知って欲しくない。多分、いつか泣くと思うから。自分で思うよりも彼女は色々な事を受け止めて、気付かない内に傷を増やしていくと思うから。
だから今だけは自分が殺そう。どれだけ後悔しても、誰も元に戻せない。誰かを殺す事で終わらせてしまうという当たり前の行為を、自分の意思で。
大切なものを壊したままでも、守りたいものを守れるのなら、何度自分が壊れて構わない。自分の中で遠くに置き去りにしてしまった喪失の記憶。失くしたくないものを失う苦しさも、それを嘆く弱さも、秋水は多分知っている。でも、あの日を思い出せても涙の一つも流せない。
英雄なんて機能に巻き込まれて縛り付けられている連中が居るのなら、もののついでに殺してやると。
殺すことに救いなど押し付けるつもりなど秋水には無い、これはただの人殺しだ。
英雄殺し。皮肉と憎悪を込めた救われたい側の泣き言も、悪と責める罵りも、そんなもので『秋水』は止まらない。繋がれた願いがあり、託された想いがあり、救わねばならぬ理想がある。
ならば朽葉秋水は止まらない。たとえこの悪鬼が幾億の亡霊を生み出して阻もうと、秋水はそれら全てを『殺す』と誓ったのだから。
ISが操縦者の意思に応えるようエネルギーを散布し、全身から紅い光を溢れ出す。
その光景に、初めて亡霊を従えた悪鬼は恐怖を覚えた。