「…………」
「か、簪………ちゃん?」
夕刻前の定期健診。
夏の陽気をはらみ始めた生温い風が通り過ぎる病室のドアを開いた婦長が目にした光景。それはこの病室の主が、限りなく可能性が低いと言われていた少女が身体を起こしている姿であった。
「あら………簪ちゃん」
感極まって涙を溜めながら少女に近寄る婦長。彼女にしても幼いころよりずっと見守ってきた親戚の少女が奇跡的に目を覚ましてくれたことを心より歓喜し、職務の事も忘れて簪に近づく。
対して目を覚ましたはずの少女は相変わらずのやせ細った身体でありながら、身動ぎ一つ瞬き一つせず虚空をずっと見つめ続ける。
「ここがどこかわかる? あ、先に先生を呼ばないと」
「……………」
「どこか身体が痛いところはない? 何年も眠ってたんですもの、まだ頭がボーッとしても仕方ないけど」
「……………」
ひたすらどこか一点を………いや、どこも見ずにただ呆然とし続ける簪を不審に思った婦長が、彼女に近づきその頬に触れようとする。
「大丈夫かい? 簪ちゃ………」
そして彼女の頬に触れようした刹那―――
―――先ほどまで植物状態だったとは思えないほどの力強さで握り締めてくる簪の手―――
「痛ッ! か、簪ちゃん!?」
普通の状態であったとしても、とても少女が出すような力ではない強さで握ってくる簪の握力に婦長の悲鳴が上がりかける中、彼女は目撃する。
―――簪の胸に光る紫の輝き―――
そして虚空を見つめていたはずの視線が婦長に向けられると―――
―――大きく割れた口で、簪とは似て異なる邪悪な笑みを浮かべる少女の笑みを―――
☆
それから数十分後、全員ISを展開させて現場に到着した陽太達を夕日を浴びた白い建物が出迎える。
「…………どういうことだよ?」
疑問の言葉を述べながら陽太が注意深く周囲を警戒する。
オーガコアが出現したという通報を受けてISを展開して最高速で現場に駆けつけてきたが、時間的な差し引きを踏まえてもあまりに静か過ぎるのだ。夕方の時間帯とはいえ人っ子一人病院にいないなど有り得るわけがない。そして仮に何かしらの功が制して避難がなされていたとしても、周囲の建物を見回しても何一つ破壊された痕跡がない。オーガコアが出現して暴れた痕跡はおろか人が存在している気配すらない。
ハイパーセンサーで他の隊員たちも詳しく調べ続けるが、陽太と同様の結論に至り、この異常事態に危機感を募らせる。
「………オーガコアに病院の人たち全員が?」
「まさか!?」
考えたくもない事態を口にした鈴にセシリアが悲鳴に近い声量で叫ぶが、陽太はその考えを否定する。
「それはあり得ない。仮に生物だけ都合よく殺す毒ガスなり生物兵器か何かを使って一瞬で近隣一体の生き物を即死させたとしても、死体も残ってない、着ていた衣類もない、何も破壊された痕跡もないなんぞ不自然極まる」
「じゃあ一体何があったっていうのよ!?」
「黙ってろ! 俺だって聞きたいぐらいなんだからなっ!?」
苛立った鈴の言葉に陽太も苛立って怒鳴り返す中、シャルとラウラはある異変に気がつく。
「ヨウタッ!? 生体(バイオ)センサーの感度上げて!」
「?」
言われたとおりすぐさまハイパーセンサーを調整すると、センサーの表示が一定感覚で反応と消失(ロスト)を繰り返す奇妙な動作を見せたのだった。
「二人のも同じ動作してるのか?」
「ああ。一定間隔で反応と消失を繰り返してる」
消失と反応を交互に繰り返すセンサーの様子はまるで鼓動のようにも感じられ、異様な反応の仕方に三人は表情を曇らせる。しかし、この場に留まっていてもこれ以上の情報が得られそうにない。何よりも………。
「………一夏」
「わかってる!!」
爪が食い込むほど拳を握り締め、歯を食いしばって懸命に冷静であろうとしている一夏と箒の姿を見ていられない。
誰よりも大事な人間を助けに行きたいという思いを無理やり押さえつけてでも皆の為に落ち着こうとしている二人の気持ちをこれ以上焦らせるべきではないと考えた陽太が決断する。
「………班を三つに分けるぞ」
「!?」
「!!」
「一夏とラウラは四階の窓から千冬さんの元に。あの人の生存能力を信じれば万が一もない。そして一番この状況に関しての情報を持ってそうだ」
「わかった!」
「了解!!」
陽太の指示を受け俄然表情が明るくなる一夏とラウラを見て満足した陽太が、次に箒とシャルを指名した。
「屋上からは箒とシャルが頼む。『出来るなら』身動きが取れない患者を優先して救出してくれ」
とりあえず目下一番箒が気にしてやまない簪を救出して来い、と遠回しに言った陽太の言葉を聴いて表情が明るくなった箒と、『やればできるじゃん』とシャルが機嫌をよくする。
「更識『大』会長様も気になるところだがこれ以上は人数避けん。自力でどうにかしてると信じて………俺と鈴とセシリアで正面玄関からいくぞ」
ちょっとだけ嫌味ったらしい言い回しになったが、一応楯無のことも気にしてるよ~というアピールをシャルの方にして、僅かな時間不信そうな表情になりながらも時間がないから今は良いと仕方なく首を縦に振って貰い陽太は残り二人の方を見る。
「何が出るかわからんがとりあえず俺達がメイン兼囮役だ。嫌なら俺一人でも良いが?」
「冗談」
「矢でも鉄砲でもゾンビでもこのセシリア・オルコットの敵ではありませんわ!」
二人の了承も得て隊全員はすぐさま動き出し、ラウラが追加の指示を出す。
「狭い病院内部だ。全身展開ではなく部分展開で各自対応を。あとコアネットワークには常にアクセスして通信をオンラインで!! 敵に出くわしても無理に応戦しようとするな。防戦に徹しつつ仲間の到着を待つ。くれぐれも人命第一優先で!」
「「「「「了解ッ!!」」」」」
「りょ~~~かい」
皆が動き出す中、一人だけ陽太は病院全体を厳しい視線を送る………この時、一人気の抜けた返事をしていながら、無意識に今までに感じたことのないタイプの『危険』を感じ取っており、それが何なのか具体的な説明ができず、結局は行動を開始してしまう。
だが、彼が抱いた危険信号………それは掛け値無しに今まで味わったことないものだったことを、陽太達はすぐに思い知るのだった。
☆
―――正面の自動ドアが開き、辺りを注意しながら中に入る三人―――
「………………」
「………………」
「………………」
広い病院のロビー内の空間に、三人の歩く僅かな音だけが響き渡り、その不気味さを一層の事引き立たせる。
病院に慎重に近寄りながら、オーガコアの奇襲を想定していた三人は内部に入ると同時に腕部の部分だけを残してISを解除し、それぞれ獲物であるヴォルケーノ、スターダスト、双天牙月を手に持ち、慎重に歩を進ませた。
「………音が無い病院って、ホント薄気味悪いわね」
「あら、ホラーは苦手ですか鈴さん?」
何も起きない状況と静か過ぎる空間にたまりかねた鈴の言葉にセシリアがツッコミを返す。怖気ついたのかと思われたと思ったのだろうか、鈴が心外そうに言葉を続ける。
「ぜんぜ~ん。アンタのほうこそ内心ビクビクしてんじゃないでしょうね!?」
「わたくし、幽霊のような非科学的な存在は一切認めておりませんゆえ、大丈夫ですわよ!」
「そういう強がり言ってて、いざ幽霊にあったら我を忘れて一人で逃げ出すタイプでしょ? アンタ、ホラー映画じゃ真っ先に死ぬタイプだわ」
「んまっ!?」
なんという侮辱か! とセシリアが怒鳴ろうとしたとき、先頭を歩いていた陽太が突然立ち止まり、片手を上げて二人を静止する。
「静かにしろ。人の気配がする」
ISのハイパーセンサーよりも速く気配を察知する陽太の様子にビックリする二人だが、陽太の動きに淀みはなく廊下の突き当りの個室のドアに手をやると二人の方にようやく振り向き、短く確認を取る。
「油断はするな」
真剣な表情でうなづく二人を確認し、陽太は勢い良く扉を開いた。
「!?」
「!?」
「!?」
陽太とセシリアが銃口を向け、鈴は前後左右どこにでも瞬時に飛び掛かれる体勢で中に侵入すると、そこに眼鏡をかけた一人の中年男性医師がブラインド越しに窓をジッと眺めていたのだった。
この異常な事態の中で、ただ静かに外をじっと見つめる姿に若干の不信感と不気味さを感じながらもセシリアが一歩前へ出て医師に話しかける。
「私達はIS学園対オーガコア部隊の者です。こちらで不審なISコアの反応が有り、急行してまいりました。出来れば責任者の方に直ちにお話をお伺いをしたいのですが?」
「……………」
「それと、病院内に人が全然いないんです。すでに他の人たちは対比されたんですか?」
「……………」
セシリアと鈴の質問に答えることなく、ずっと外を見続け答えることなく沈黙し続ける。
まるで先ほどまでと同様に二人の話し声だけが病院内部に広がり、不気味さを更に助長させ、不安を煽られる中、陽太も一歩前に出る。
同時に………。
「……………」
部分展開を解除し、二人の横に立つと………。
「正直に答えろ、近くに『本体』はいるのか?」
―――まるで獣の爪を振り下ろすかのように医師が突然振り返り腕を振るう―――
「きゃあぁっ!」
「なぁっ!?」
―――生身の指を叩き付けられ砕けるコンクリート製の床―――
質問に答えることなく、突然仕掛けてきた攻撃に反応できなかった二人の腰に手を回し後方に飛び退いた陽太は、前方を鋭く睨み付けた。
「やっぱりオーガコアに取り憑れて………!?」
獣のような動きをしてきた相手の何処かにオーガコアが取り憑いたのか? その確認をしようとした陽太だったが、獲物を逃がしてたまるかと医師は再び陽太達に襲い掛かってくる。
「陽太さん!?」
「ちょ、アンタ、放しなさいよ」
三人バラバラになって迎撃しようとしたセシリアと鈴だったが、不意を突かれた状態で二人を無理に突き放して危険にさらさせるわけにはいかないと、陽太は二人を放すことなく、しかし焦ることも恐れることもせずに落ち着いて相手を迎撃するのだった。
「キシャァッ!!」
人間とは思えない奇声を発する医師が常人離れした瞬発力で迫るが………。
「あの女(爆乳)と鶏ガラ(ジーク)と比べれば、800万倍ほど遅ェ」
―――少女二人を抱えながら医師の真上を飛ぶ陽太―――
陽太の速度はそんな医師を遥かに上回り、狭い廊下の天井ギリギリまで跳躍すると、ほぼ真上から医師の首、頸椎に対して強烈な踏み付けを行い、中年の医師は糸の切れた人形のように廊下に崩れ落ちる。
「アンタ、まさか殺しちゃったんじゃないでしょうね!?」
「バカ言え。殺るなら首根っこ捩じ切るぐらいにぶち込んどるわ」
一般人相手に中々容赦のない一撃を加えた陽太に鈴が彼の腕の中で卒倒してしまうが、そんな鈴の様子を特に気にすることなくサラっと物騒な事を言いながらも受け流し、二人を降ろすとすぐさま待機状態のISを起動させハイパーセンサーのサーチモードを使い、男の身体の異変を調査し始めた。
「………おかしいな」
「ん? 何がよ?」
口から洩れた疑問に思っていることが何なのかわからない鈴が聞き返し、陽太は振り返りながら答える。
「ISの前提条件を忘れたのか?」
「……………!?」
陽太のその言葉に一瞬だけ何の事かわからないで首を傾げたセシリアだったが、すぐさま重大な事実に気が付き、表情を強張らせる。
「『ISは基本、女性にしか起動させれない』………」
「!?」
「俺と一夏という特例もいることはいるが、そうひょいひょい特例が出てくるとも思えない。そんでこのオッサンはどう見ても普通の中年だ。いきなりISを起動させてオーガコアに取り憑かれたとも考えにくい」
「ですが、先ほどの動きは、以前のラウラさんを思い出します」
「ああ」
陽太とセシリアの脳裏に数ヶ月前にオーガコアに取り憑かれたラウラの様子が思い出される。
確かにあの獣のような雄たけび、常人の運動能力を超えた動き、どれをとってもあの時の彼女を彷彿とさせ、だからこそ陽太達の疑念を深まらせた。
「やはりオーガコアが取り憑いている痕跡はねぇーな」
ハイパーセンサーによる探査と触診による調査によって、この男は取り憑かれている可能性は限りなくゼロである、と結論付けたものの、では先ほどの動きは何だったのか? そもそもほかに取りつかれた人間がいて、なぜ表に出てこないのか?
「まさか………」
そして陽太がある『仮説』に辿り着いた時だった。
「!!」
―――刺すような鋭い殺気の数々―――
「陽太!?」
「これは………」
今度は鈴とセシリアも気が付くレベルだ。彼女達自身も操縦者として、戦士として練度が上がってきている証拠でもある。
ましてや………。
「おい、セシリア」
「………なんでしょう?」
冷や汗を垂らしながら鈴と背中合わせで武器を構えるセシリアに、陽太はジト目でこう問いかける。
「どうしてくれる。お前さんの冗談が本気になったぞ?」
―――周囲を取り囲む先ほどの医師同様に正気を失った人々の輪―――
いつ、何処から現れたというのだろうか? まるで生きている気配を感じさせない、医師、看護師、入院患者などの集団が三人に向かって徐々に詰め寄ってきた。
「まさかこのご時世に、ホントにゾンビ相手にしないといかんとか………笑えんな」
「責任とってエクソシストでも呼んできなさいよセシリア?」
「そ、そんなことを言われましても!」
セシリアが慌てて弁明しようとするが、周囲の正気を失った人々は勿論そんなこと知ったことではない。徐々に輪を縮めて優位な状況にもっていこうとするゾンビ集団に、どう対処するべきか?
打つ手も見出せない窮地に陥った三人に、ゾンビ集団は容赦なく襲い掛かるのだった。
☆
一方、屋上から非常出入り口をISでこじ開けて中に侵入した箒とシャルは、状況確認もほどほどに一目散に簪のいる部屋に向かっていく。
途中で人にすれ違わない状況も、人の気配がまるで感じられないことも気がかりではあるが、今は一刻も早く簪を安全な場所に移動させたい。ただその気持ちだけで歩を進ませる箒とそんな彼女のことを思ってあえて代わりに周囲を注意深く警戒するシャルはVIP専用の病室の前にたどり着くと、不用意に一気に扉を開く。
「簪ッ!?」
「ちょっ!」
流石に箒のそれは不用意にも程があるだろう、と敵が待ち伏せでもしていたらと気が気でないシャルが声を上げようとするが、扉を開くと同時に中に飛び込んだ箒の姿に、それ以上言葉を続けることも出来ずに押し黙ってしまう。
「………簪」
まるで母親に縋り付く幼子のように、ベッドの上で横たわる少女の手を握る箒の姿に、今は注意の言葉など無粋だと思い、静かに彼女に近寄って彼女の肩に手をかけ、声をかける。
「箒………さあ、急ごう?」
彼女の気持ちも十分にわかるが、今はとりあえずの確認が取れたということで、早々に彼女を安全な場所まで移動させようとしたのだが、その時背後で扉が静かに開く。
「!?」
待機状態のISを持ち、いつでも展開できるように身構えたシャルであったが、そこへ入ってきた人物に箒が驚いた声をかけたのだった。
「婦長さん!?」
「えっ?」
中年の恰幅のよい柔和な笑みを浮かべた女性。彼女が箒がよく話していた世話になっているという人なのかと納得したシャルは彼女に歩み寄ると自己紹介と簡単な状況の説明を行う。
「初めまして、私は箒のクラスメートで同じ部隊に所属しているシャルロット・デュノアです。申し訳ありません、現在この病院内で非常に危険な自立型軍用兵器が潜伏している可能性がありまして、直ちに簪さんほかの重症患者の方を………」
「……………」
だが自分の言葉にもまったく反応なく笑顔を浮かべたままピクリとも動かない婦長の姿に、シャルは違和感を感じ、ちょっと引きつり気味の笑顔を浮かべてしまう。
「あ、あの~~~」
何か自分がおかしいことをしてしまったのだろうか? 理由がわからず戸惑うシャルであったが、そのとき、背後から突然の箒の声が聞こえ振り返る。
「カッ!………ハッ」
「!?」
―――突然動いた手に首を掴まれた箒の姿―――
「箒ッ・」
と、同時に振り返ったシャルに素早く近づき、婦長は彼女の両肩を握り動きを封じてしまう。
「は、放してくださいっ!! 箒が……」
「……………」
シャルの声にもまったく反応を示さず、まるで見せ付けるかのように婦長は彼女を拘束し続ける。無理やり力任せに振り払おうとするシャルであったが、彼女の両肩に込められた力は常人とは思えないほど強く、代表候補生であるシャルが全力で反抗しているにも関わらず膝を付かされてしまうほどであった。
「クッ………は、放して!! このままじゃ………」
寝ていたはずの簪の手が一瞬動いたかと思うと、突然自分の首を掴んできた事に箒はまったく反応が出来ず、何が起こったのかすら理解できないでいた。
「かっ………ん………ざ…し……?」
何が起こっているのだろう?
自分を掴むこの手はいったい誰のものなのか?
息苦しくて今にも意識を手放しそうになりながらも、箒がぼんやりとそう考えていたとき………彼女はゆっくりと起き上がる。
「……………」
二年間、誰よりも夢見ていた。
親友がまた自分の目の前で微笑んでくれる瞬間を。
あの日、理不尽に奪われた瞬間の続き………。
誰よりも焦がれたその瞬間が、今、自分の目の前で起こっているのだ。
「……………」
やせ細り血色も悪くなっていたはずの身体がすっかりと常人の外見とほぼ変わらないレベルまで元に戻っている………落ち着いて考えれば明らかに異常であるそんな事態にも気が付かないほど、起き上がってくれた事に感極まる箒の前で彼女は確かにゆっくりと微笑んで見せた。
「ああっ!!」
自分の首を絞められていることすら忘れてしまったかのように、感極まる箒とは打って変わって、シャルは目の前で行われている事態の原因が何なのかいち早く気が付き、そして箒に向かって短く叫んでいた。
「箒っ!! 胸ッ!!」
「えっ?」
首を絞められているために振り返ることは出来なかったが、シャルのその言葉に最初は何の事かわからずに視線を簪の胸の辺りに向けた箒は目にする。
―――鼓動のように点滅を繰り返す紫色の光―――
ギリッ
歯を食いしばり、次に湧き上がってきた感情は……………。
「………れだ?」
自分の首を摘む簪の手を………箒は全身に一瞬だけ紅椿を展開することで弾き上げると、息苦しさから開放された反動か、床に崩れ落ちてしまう。
「ゴホッ! カハッ!」
頭がガンガンする。血液が沸騰して行き場を失くす。視界が歪んで頭痛が止まない。
「………誰だ?」
涙が流れて止まらず、床に、自分の手に雫となって零れ落ちてしまう。
「簪………答えてくれ」
絶望的な状況から奇跡の生還を果たしたハズの親友の目覚め………だがそれは更なる絶望の始まりであったというのだろうか?
「答えてくれ!! 簪っ!?」
胸元で妖しく光るオーガコアが点滅を繰り返す中、何も変わらない、柔らかい笑顔を浮かべたままの親友に、箒は眩暈すら覚える激しい怒りを覚えたままで問いかけた。
「お前にオーガコアを寄生させた奴は、何処にいる!?」
☆
鵜飼総合病院屋上―――
「…………どうやら始まったみたいですね」
病院で最も高い建物の屋上において、貯水タンクの上に立つ女性………。
夏場だというのに真っ黒いシスター服を着込み―――
病的なほどに白い肌―――
赤い瞳を隠す黒縁の眼鏡―――
そしてどの角度から見ても美しく思える『作られた笑顔』を浮かべた女性は、右手を首筋に押し付けると虚空を見つめながら、『ある人物』と話を続ける。
『茶番(ファルス)の開演か………さあ楽しい演劇をたっぷりと観せてもらおうか?』
彼女の体内にあるナノマシンによるリアルタイム通信……こうやって手を置くだけで通信相手の声だけではなく表情や周囲の状況が手に取るように判るのだが………今日の通信相手の機嫌がヤケに上機嫌そうで随分と珍しい。
「今日はご気分が大変良いようですね?」
『ん? まあ今日は『誰かさん』というクソのような人形がそばにいてくれないから気分がいいんだが………』
いつも近くにいると怒鳴り散らしておきながら側にいなければまた怒る。理不尽以外の何者でもない彼女の言動であったが、それでも今日の返しは棘が少ないほうなのだ。
『それにな。随分と気の利いた役者の選択をしてくれたものだな………えっ?』
「………と、言いますと?」
『二年前見逃した理由がこういう『遊び』のためだったとはな………お前も随分と意地の悪い性格になったものだ』
「いえ………二年前に『殺さなかった』のは任務の優先順位を尊重したまでの話です。他意はありません」
『効率第一優先のお前らしい返事だな………まあいい』
実際に本当にただ効率を優先して視界にも入れていなかっただけで、『トドメを刺さなかった』のも『邪魔をしに来た少女を軽くあしらった』のも、時間的な余裕がなかっただけなのだが、どうやら謙遜したとでも勝手に思ったのだろうか?
それ以上の追求をせずに、彼女は目の前で行われている陽太達の戦いに視線を向ける。
「ですが………今回のオーガコア、随分と他の物と毛色の違う物みたいですね?」
『ん?………理由が知りたいか?』
知識人が機嫌が良い時は黙ってしまうよりも、こうやって下手に出て相手にその知識を披露させた方が相手が喜ぶ。ある書籍に書いてあった情報だが、どうやら有用であるみたいだ。現に聞きもしていないというのに彼女は嬉々として話し始める。
『人類の有史以来、老いと人間同士の殺し合い以外で人を最も殺したものとは何かわかるか?』
「………難しい質問ですね……核ですか?」
『ブッブゥー………ありきたりだな』
意地の悪そうな顔で答える彼女は、勿体ぶった表情を浮かべながら自論を展開した。
『正解は『ウイルス』だ』
「………ウイルス?」
『有史上、最も多くを殺したのは『マラリア』で6000万人近いと言われてる。『天然痘』や『ペスト』は中世で猛威を振るった。理由は衛生環境の発達の不十分………現代においても未発展途上国なら未だに『エボラ』が脅威だ。あっちは10日もあれば二割ほぼ確実に死んでるからな。おお、怖い怖い』
目に見える大いなる破壊力に人は目を奪われがちになるが、本当に恐ろしいものとは常に目に見えない場所で、人知れず人に忍び寄り、命を奪うもの。
そういう意味では確かに核やISよりも、未だにウイルスのほうが余程人体には有害な兵器であるといえるのだ。
「つまり今回のオーガコアは、ウイルス兵器であると?」
『正確にはナノマシンによる都市制圧型戦略兵器の雛形だ………オーガコアが最初に分布した極少武装(ナノマシン)が人体に入り、人体のタンパク質と血中の鉄分その他栄養素を用いて増殖、再び空気中に放出され空気感染を引き起こす………そして体内に入ったナノマシンはというと、すぐさま人間の脳内、意識を司る『前頭葉』に進入し自我を奪うと、親元であるオーガコアと特定周波で通信を行う。つまりはこの時点でナノマシンに乗っ取られた人間はオーガコアの人形………ゾンビ同然の存在になるのさ』
「なるほど………」
『だが私の作ったナノマシンは『そんなことでは』すみゃしない』
彼女の言葉を合図に、日の暮れかけた都市の風景が徐々に変化し始める。
―――都市部の証明が徐々に落ち始め―――
―――突然の異変に人々の悲鳴や怒号が飛び交う中―――
―――やがて各所で上がり始める火の手―――
『始まったみたいだな。祭りの祝い花火みたいなもんだ』
「………乗っ取る対象は何も人間の頭脳だけではない、と?」
病院とは違う都市各所のカメラが捉えたのは、突然停止したかと思うと急に暴走しだした乗用車やバス、電車という各交通機関や、その交通機関に乗車していた乗客達が今、病院内部にいるゾンビのような変化をした一般人と同じように人々を襲う姿であった。
赤い瞳の女の問いかけに、女性は見たものを毒する悪魔のような笑みを浮かべて嬉々として答える。
『人間の頭脳も電子回路も極論すると電気信号のやりとりで動いているんだ………つまりミクロレベルのナノマシンにしてみればどっちも同じ『モノ』としてしか映らないだろう?』
そう、簡単に言ってのける女性であるが、事は早々単純なものではない。
人間の脳と通信網に使われている電子機器とは構造から何から何まで違うのだ。それを極小のナノマシンに高度なプログラムを施し、かつ高速で増殖する機構とコントロールを強制的に奪う性能。これをオーガコアに僅か一週間足らずで持たせる頭脳。世界に少し違う形で発表すればノーベル賞もほぼ確実に手にできる功績を『手遊び』で行える者など、それこそ篠ノ之束ぐらいしか存在しないだろう。
「(ブレイン・モンスター………この辺りは流石と言うべきですか)ですがISの戦闘能力の前に、強化をした一般人程度では物の数ではないのでは?」
『……………デイズ?』
デイズ………そう呼ばれた女を見た女性、『キャスター・メディア』は、心底楽しそうな表情を浮かべ、デイズにこう言い聞かせる。
『アイツ等は私の「無二の親友」、アレキサンドラ・リキュールの孫弟子達だ。なら私にとっても孫も同然の子供達………だったら、たぁっっぷりと可愛がってやらないとな?』
口元を限界まで開き、瞳に宿した果てしない闇を揺れ動かし、今は亡き『無二の親友』のことを思い出す。
メディアはわかっているのだ。IS学園メンバーは絶対に一般人に対して過激な攻撃ができないことを。彼らは普通の市民達を全てを守るために戦っていることを。
それが織斑千冬の教えであり、その教えの源流にいるのが無二の親友の思想であることを。
だからこそ彼らを崩すことなど容易いのだ。暴龍帝(バーサーカー)のような直接的な武力もスコール(ライダー)のような回りくどい策略もいらない。
ただただ優しく丁寧に教えてやればいい。お前達が守ろうとしているものがどれほど性質の悪い存在であるかを………。
『虫けら共を守るために犠牲になるのも一興。キレて殺して世間から後ろ指を刺されるのもまた一興。頑張って自分を殺しにくる奴等を守ってやれよ正義の味方共…………そして背負いきれずに絶望しろ』
―――『英雄(アイツ)』がそうであったように―――
―――私を裏切った『英雄(アイツ)』のように―――
『私の前で派手に踊れ。絶望の中でのた打ち回るんだ。私のために苦しんで苦しんで、そして死ね』
―――それだけが私から『アイツを奪った』お前達が許される道だ―――
止まらない真っ黒い狂気を浮かべながら、ただただ陽太達が絶望する様を楽しみにしているメディアを冷めた表情で見ながら、デイズもまた一人考え込む。
「(対応が随分と眠たいこと………所詮はただの子供達ですか)」
生身の人間相手に自分達も生身か、部分展開したISで防御するという対応を取り、明らかに数に押されて追い詰められいる陽太達の様子を見て、『亡国の死神(ファントム・オブ・ジョーカー)』のアサシン・デイズは、冷たい表情で見下すような言葉を思い浮かべる。
「(まず何よりも先に急所を抉り、死体を楯に動揺を誘い、最大効率で死を与え続ける………そんなこと基本のことすら出来ていないということですか………下らないものですね)」
手ぬるい。まったくもって手ぬるい。陽太達をそう評価した彼女は、目の前の敵よりも瞼に焼き付けた一人の男のことを思い浮かべる。
―――半死半生の状態で自分に牙を突き立てた黒い狼(ケモノ)―――
「(こんな相手に手間取るとは………この数年での失墜振りは目を覆いたくなりますよ、ジーク?)」
かつてのアナタはあんなにも素晴らしかったというのに―――
メディアとは異なりながらも似た歪んだ笑みを浮かべたデイズであったが、その時、彼女のそんな状態に何かが反応したかのように、彼女の足元の『影』が一瞬歪むのだった。
「およしなさい………今日(いま)はとりあえず……ね?」
蠢いた『影』に対して、幼子に言い聞かせるような言葉をデイズが発すると、不気味に動いて影がピタリと動きを止め、夕闇の中に溶けていったのだった。
あとがきはまた活動報告に書かせていただきます