実況パワフルプロ野球-Once Again,Chase The Dream You Gave Up- 作:kyon99
『夏の大会予選は波乱の幕開け!! 初出場の恋恋高校のエースは可憐な女の子!?」
と、朝の朝刊の一面を飾り、大々的に書かれた文字が印象的だった。
その文字の下にはカラー写真で、早川がアンダースロー投法で身体を沈めているところが貼り付けてあった。
昨日の試合、俺たちはときめき青春高校に見事、勝利を収めて一夜が明けた。
そして、学校に登校すると、恋恋高校の生徒達が興味津々した表情をし、口を揃えて野球部の話をしていた。
中には「いやー。この野球部は一味違うと思ってた!」や「前から気にはなっていた」などの声がちらほら聞こえたりもした。
実際、同好会を発足した時と野球部が正式に認められた時には、随分と薄い反応をしていた事を、そのままそっくり見せてやりたいと、やや皮肉に満ちた感情が湧き出たものの、言うのを止め、そのまま教室へと向かって行った。
その途中、早川がいるクラスには、頑張地区の朝刊の一面を飾った本人を一目見ようと、沢山の野次馬が、写真を撮ろうとしたり、サインを求めたりと、予想以上を行く人だかりが出来ていて、寄り集まっていた。
その様子を遠くから眺めてみると、慣れない光景に戸惑い、オドオドした普段では見ることのない早川を拝むことが出来たことに対して、少し口元がニヤけてしまった。
早川には、やや可哀想だが「応援してくれる人には、キチンと対応してあげろよ」と、心の中で呟きながら、自分の教室のドアを開けた。
すると、先ほど見た早川に沢山の人が群がる光景とは裏腹に、いつもと変わらない自分達の教室が目に映る。
そして、いつもの席に座り、俺に気づいた矢部くんが声を掛けて来た。これも、いつも通りだ。
「あっ、小波くん。おはようでやんす」
「ああ、おはよう」
「見たでやんすか? あおいちゃんのあの凄い人だかり・・・・・・一晩開けたら、こんなに人気が出るんでやんすね」
「なんせ、女子が高校野球の大会に出て、その初出場校が一回戦を突破したんだからね。少なくとも注目は浴びるよね」
「凄いでやんすよ・・・・・・。新聞を見た時、オイラ、正直、目を疑ったでやんす。他の強豪チームよりオイラたちのチームがピックアップされるなんて・・・・・・。こ、これでオイラの『モテモテライフ』が叶うのも時間が掛からないかもしれないでやんすね!」
「そ、そうだね」
鼻を伸ばし、だらしの無い顔を浮かべながら矢部君が言う。モテモテライフを諦めない矢部くんにはやや苦笑いが漏れてしまうが、そんな日は訪れる予感が未だに無いと俺自身、いや他の人もそう思っているという事は黙っていて置くことにした。
次の流星高校に勝てば、三回戦目には春海達のいるきらめき高校チームと戦える。それだけでも消えることの無い闘志は、俄然と湧き上がってくるが、二回戦目の対策を講じなくてはならないのが現状である。次の試合は明後日の第一試合、それまでに早川の苦手と公言したクイックの練習に、走力を活かしてくる流星高校の盗塁への対応、主に盗塁を仮定した捕手を務める星の二塁への送球など、できる範囲で慣れさせなければならない。短時間でどれだけ詰め込めるかが問題だ。
顎に手を当てながら、教室の窓の外をぼっとしながら眺めていた。昨日の野球日和とは一転、黒い雲に覆われた嫌な天気だった。
「身体が避けてるぞッ! 身体で止めろッ! いいか、死んでも止めろッ! そんな甘っちょろいモンじゃねェんだよ! 高校野球はよォ!!!」
「押忍! すいませんッス、もう一本ッ! もう一本、ノックお願いします!」
星の怒鳴り声が、グラウンドに響き渡ると共に、ショートを守る赤坂が、顔の高さよりも上へグローブを挙げてみせた。星は、ノックバットを振るった。鋭い打球が三遊間の間を破る当たりを横っ飛びで食らい付くが、タイミングが外れて取ることが出来なかった。
「オラァ! 赤坂! 反応が鈍いぞ! そんな甘っちょろいモンじゃねえんだぞ! 高校野球はよォ!!!」
「ウッス!」
立ち上がり、土埃を払いながら赤坂は諦めずにもう一本のノックを受ける。もうこれで何度目だろうか、赤坂の練習着は土で汚れ、練習着の右胸の部分に印刷されてある恋恋高校の頭文字である「R」という文字は完全に隠れてしまっていた。
「星くん。また、不機嫌なの? この前は、ナンパに失敗して矢部くんに「ホームランを見送る練習」をさせてたけど今回は、赤坂くんに八つ当たりって感じだね」
星と赤坂のノックを見ている俺の横に、呆れ果てた早川が声を掛けてきた。
「ああ、それに同じ言葉を二回言ってるけどな」
「それで? 今度は一体、何に怒ってるわけなの?」
「ん? ああ、朝刊の記事を見た星がさ、待望の得点を決めたツーランホームランを打った自分の事じゃなかった事と、野球部員である星にクラスメイトの奴が誰も声を掛けられなかったことが原因らしい」
「そ・・・・・・そうなんだ」
「オマケに痺れを切らした星くんが野球部員をアピールしたみたいでやんすが、それほど大きなリアクションは無かったみたいでやんす」
「それは・・・・・・、それで可哀想だね」
「それより、大丈夫だったか? 今朝の人集りは」
「うう・・・・・・それが、大丈夫じゃあ無かったよ。写真撮ったりとかサインしたりとか色々せがまれるなんて、産まれて初めてだもん。何もかもテンパっちゃって、大変だったよ」
「それは、ご苦労様でした」
「どうも・・・・・・って、ちょっと、小波くん? キミ、もしかして朝のあの状況を見てたの?」
「あ・・・・・・ヤベ」
「あ〜! その反応! 見てたんだね! 見てたのに、ボクの事をスルーしたの?」
「あ、いや、その・・・・・・違くて!」
「スルーしたんだね?」
鋭い目つきに思わず怯む。
「ったく、仕方ねえだろ? かなりの人集りが出来てたし、声をかける暇も無かったんだからさ」
「むぅ〜〜」
顰め面を浮かべて俺を見る。来るか鉄拳制裁と覚悟を決めていたが、そのままニコッと笑みに変え、早川はクルッと踵を返し「もうひとっ走りしてくるね」と言葉を残したまま、グラウンドの外へと走って行った。
「どうしたでやんすかね?」
「知らないよ。全く、変な奴だ」
残された俺と矢部くんは、もう既に姿が見えなくなった早川が出て行った所を暫く見ていたのだった。
十九時。
ある程度の全体練習を終え、とりあえず今日のところは解散にし、俺は一人だけ残ってグラウンドに居た。誰もいないグラウンドの左右に立ち聳えるポールライトの灯りに照らされ、ブルペンには、野球ボールをいっぱいに積まれたカゴが足元に置いた。そして、周りを見渡して誰も居ない事を確認し、使いこなされた一球を手にとって、クルリと指先で弾いてピッチャーグローブでキャッチした。
「さてと、今日は七割の力で投げてみるとするかな」
俺は一人、ピッチングの練習をしようとしていたのだ。ほぼ毎日と言っていいほど、聖を相手に数球程、投げ込んでいる。本来なら星が座ってる場所に、ボールネットをセットし、ピッチャープレートをスパイクで均す。小さくて短い息を吐い、リラックスして肩の力を抜く、指先にボールを集中させて、右の腕を振り抜いてみせた。
――バサッ。
ボールがネットに収まった。速球は、およそ百四十後半辺りだろう。綺麗に腕を振り抜けた感じがした。
「まあ、七割でも違和感がない。若干力は抑えているから、威力こそないけど、コントロールには問題はなさそうだ。そうだ、久ぶりにアレでも投げてみるか」
もう一球と、カゴからボールを拾いあげる。肩をゆっくりと回し、振りかぶった時だった。
「一人でなにしてるのかな?」
「――!?」
声が聞こえ、驚き、慌ててしまった。投げたボールはネットから大きくそれた大暴投になってしまう。俺は声の聞こえ方に顔を向けると、そこには帰った筈の早川が制服姿でブルペンの中に入ってきた。
「早川・・・・・・? どうしたんだ?」
「どうしたんだって言われても、だって帰るとき、小波くんの姿が見当たらなかった無かったし、それにグラウンドの灯りが点いていたからね。しかして・・・・・・って思ったんだけど、やっぱりここに居たんだね」
「ま、まあな」
「見たところ、ピッチングの練習をしていたみたいだけど、肘の方は大丈夫なの?」
「ああ。こう見えて毎日ピッチングは欠かさずやってるんだ。って言っても、これでもまだ七割の力で投げてるんだけどな」
「そうなんだ。でも、無理は禁物だよ?」
「分かってるって。それより、明後日の流星高校戦は頼んだぜ。お前が頼りなんだから」
「うん・・・・・・」
「どうした?」
「ボクって通用するのかな? ときめき高校との試合、あんなに打たれちゃったから少し不安なんだよ」
ギュッとスカートの裾を握りしめながら、早川は俯き加減で話した。
「通用するか、しないかじゃあなくて、通用するってポジティブな気持ちを持った方が大事だと思うぜ? 不安なのは俺もそうだ。ピンチの場面でエラーしないかとかチャンスの場面でチャンスを潰してしまうかもしれない、とか」
「小波くんでも不安になるの?」
「当たり前だろ! 誰だって不安なんだよ。でも、俺たちはチームなんだから誰かがミスをしたら俺たちで取り返す。助け合いってのが大事だろ? だから気楽に行くんだ。俺は一人じゃないってさ」
「・・・・・・そうだよね。ボクは一人じゃないんだもんね」
「そう言うこと」
「小波くん、やっぱりキミは優しいね」
「なんだ? どうかしたか?」
「ううん。なんでもないよ。ふふ、ありがとう小波くん!」
「いや、別に感謝される程じゃ・・・・・・。あ、そういえば早川。七瀬との自主練は上手くいってんのか?」
「えっ!? どうしてそれを知ってるの?」
「帰り道とか寄り道した時に、河川敷の上からお前らが居るの何度か見えてたからな。なにをコソコソしてるのか、聞こうと思ったけど、自主練だし、別に良いかなってさ」
「ふーん、そうなんだ」
すると早川は、鞄を地面に置き、その鞄の中から緑色のグローブを取り出してみせた。
「ねえ、小波くん」
「ん?」
「どうせなら見てみる? ボクとはるかとの練習。どんな練習か。その成果を特別に見せてあげるよ」
「え? 良いのか?」
「うん。上手く行くか分からないけどね。とりあえず、小波くん。キャッチャーお願い出来るかな?」
「お、おう」
俺は、言われた通りにキャッチャーの定位置へ向かい、早川がピッチャーマウンドの方へと移動したところで、俺は腰を降ろし、拳で叩いて合図してみせた。
「よし、来い!」
「行くよ!」
早川は、右手にボールをシンカーの握りのまま上に上げて、合図を返してきた。そして、アンダースローから放たれた、今まで見た早川のシンカーでは無かった。鋭いキレ、落ちていくシンカーは、俺のグラブの先端を軽く掠っただけで、後逸してしまったのだ。俺は、唖然とボールの行方を目で追っていた。
「い、今のは・・・・・・高速シンカーだよな?」
何度か星の後ろで、早川のピッチングは見せて貰っていた。今までのシンカーよりやや変化量や沈みは少なくなった分、球速や変化するスピードが増していて相手を凡打に討ち取りやすくなっていた。三振を築き上げるタイプじゃなく、打たせて取るタイプの早川の投球術に、最適な変化球だ。
「えへへ! どう? これでも、相当な苦労したんだけど?」
「正直、恐れ入ったよ」
「ふふ、ありがとう! でも、これでもまだ完成とは言えないんだ。もっともっと消化させなきゃダメなんだ」
「そっか・・・・・・。頑張れよ」
「うん!」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
暫くの沈黙が続いた。今思えば、こうして早川と二人きりで話をした事は少ない方だったので、出会って一年経過した今でも、という訳では無いが、俺自身、こう言う雰囲気は少し苦手だったりする。
「・・・・・・そろそろ、帰るか?」
「そうだね」
俺と早川は、ボールとネットを片付ける。最後に早川が、ボールの入った箱を部室にしまう所を見ていると、さっきの高速シンカーの事を思い出していた。
ここ数試合、極亜久高校の悪道浩平のドライブ・ドロップに、ときめき青春高校の青葉春人の真魔球とオリジナル変化球を投げてきた相手を見て感化されたのだろう。そして、並相当の努力と時間生んだ結晶なんだろう、と。相当頑張ったんだ。早川は、間違いなく進化している。早川だけじゃなく、星も矢部くんも皆も少しずつだけど変わって行っている。俺も、少しは変われているのだろうか・・・・・・。
そして、俺たちは二回戦の相手である対流星高校との試合を迎える。先攻は、俺たち恋恋高校だ。
ぐるりと辺りを見渡すと、観客席に座る人の数が一回戦とはまるで違った。恐らく一昨日の朝刊の記事を見て、早川を一目見ようと集まってきたのだろう。中には黄色い歓声を上げる者が混じっている。
「凄い数でやんす」
「ケッ! 俺はむさ苦しいオッさんじゃあなく可愛らしい女の子に応援してもらいてぇぜ」
試合前の何気無い会話。いつも通りの矢部くんと星の会話に苦笑いを浮かべた。
「緊張するよ」
「あおいなら大丈夫!」
「はるか」
後ろの方から、手首のストレッチをする早川と、スコアボードに相手チームのスターティングメンバーの名前を書き写す七瀬のやり取りに耳を傾けながら、自分のスパイクの靴ひもをキツく結んだ。
そして、十三時半が過ぎた頃。プレイボールの合図のサイレンが鳴り響いた。
『恋恋高校の攻撃。一番、センター矢部くん』
ウグイス嬢の声が、マイクを通して球場全体に響き渡ると共に、先頭打者の矢部くんが大きく気合いの入った声を出し、打席へと向かう。
正直、打撃センスはないが、塁に出ることが出来たら、自前の脚の速さで相手をかき乱せるほどの実力がある。ここはどうしても塁に出て欲しい。
対する流星高校のピッチャーは、三年の草元がマウンドに上がる。秋季大会、春季大会とこっそり試合を観客席から偵察し、ある程度のデータを集めてある。マックス百三十五キロの速球を投げ、コントロール、スタミナもDクラスであり、変化量もシュート、フォークと至ってシンプルな投手だ。
「プレイボール!」
球審の掛け声と共に、草元は、利き腕である左腕のサイドスローで一球目を投げる。
「ストライクッ!」
右打席に立つ矢部くんの胸元を抉るかのようなインローにストライクを決めた。絶妙なコースだったのだろう。矢部くんはしっかりと見送った。
続く二球目。様子を見ようと外したボール球を思わず空振りしてしまいツーストライクへと追い込まれてしまう。三球目、大きく外れたシュートを見逃し、カウントがワンボール、ツーストライクとなり、ここで矢部くんはバントの構えをして見せた。
「おいおい! 矢部の野郎。何をバントの構えをしてるんだ? せめて、セーフティバントにしとけよ」
「いや、違う。星、見てみろ」
「あん?」
俺は、星の肩を叩き、指を指した。その先を星が見る。ファーストとサードが、前進守備の体制になっていた。
「なるほどな。矢部がやろうとしてる事は、つまり、前の試合のときめきの三森がした事を真似たって訳か・・・・・・って事は」
「ああ、前進守備を誘ってのヒッティングする強襲作戦だ」
四球目。緩いフォークボールが来たところで矢部くんは、すかさずバットを引き、バットにボールを当て、強い打球が生まれた。
その打球は、思惑通り、前者守備をしていたサードへ意表を突いた。サードのグローブに当ててボールを落球させ、慌てて拾い上げたものの、矢部くんは、悠々と一塁ベースを踏んでいた。これでノーアウト、一塁。ここはすかさず盗塁で揺さぶりを掛けるぞ。
その時だ。顧問を務める加藤先生が立ち上がった。何事かとチーム全員が視線を向ける。そして発せられた言葉は、ただ一言「頑張りなさい」と、だけ残し、そのまま加藤先生はベンチに腰を掛けた。
「・・・・・・」
毎度の事ながら、仕方がなく俺がサインを出すことにした。出したサインは勿論、初球から走って行け、だ。
そのサインに対し、一塁ランナーの矢部くんと、この試合から二番に座る海野が、コクリと頷き、ヘルメットのツバを触る。
海野に対する初球。草元が投球モーションに入った瞬間、矢部くんは全力で駆け出した。流星高校から「走ったぞ!」との声が出る。慌ててボール球を放り投げ、キャッチャーが二塁へ投げようとした時、矢部くんは、既に二塁ベースにヘッドスライディングをしていた。
「ナイスラン!」
見事、盗塁成功だ。恋恋高校のベンチが盛り上がると、ベンチ外の観客席からも矢部くんの走力に握手がパチパチと湧き起こった。ノーアウト二塁、海野が巧いバントを、三塁線に転がし、送りバントを成功させ、三番にはチャンスに強い星がバッターボックスへと向かった。
草元は、いきなり先制点を取られそうなピンチの場面を迎え、焦りからか、中々ストライクが決まらず、スリーボール、ワンストライクからのフォアボールを星に与えてしまう。一死一、三塁の場面で、俺に打順が回った。
初球の甘い球を見逃さなかった。低めの直球を掬い上げるかのようにバットを振り抜いた快心の当たりは、バックスクリーンに一直線な放物線を描くスリーランホームランとなり、初回から三点を先制する事が出来た。だが、後続が続かずに五、六、七番と凡打に打ち取られてしまい、攻撃を終える。
攻守交代、俺たちが守りの守備に付くと、外野席は解放していないが、ほぼ内野側は満員と言って良いほどの観客からは、ザワザワし始める。早川がマウンドに上がるからだろう。
早川により一層の緊張感を与えなければ良いのだが・・・・・・。
「流星高校の攻撃。一番センター野沢くん」
流星高校、先頭打者である野沢雄二が、バッターボックスに立つと同時に、目線をチラリと星に向けて、ニヤリと笑みを浮かべる。
「やあ、久しぶりだね。雄大」
「ああ、二年ぶりか? 雄二」
野沢雄二。この男は、矢部、星と極亜久高校の悪道浩平と、同じ赤とんぼ中学出身だ。
「こうして、お前達と戦うことが出来て嬉しいよ」
「俺もだぜ。だが、テメェらには負けないぜ」
「勿論、俺もだ」
バットを短く持つ辺り、ミートして確実なヒットを狙っているのだろう。もしかしたら痛烈な当たりが飛ぶかもしれねえ。と星は、野沢の構えを見て思考を巡らせる。
星は、サードを守る毛利、ファーストの小波に、後退するように守備のサインを出した。
早川が、投球モーションに入る頃、野沢は小さく星だけに聞こえるトーンで呟いた。
「なぁ雄大。守備を下げちゃっていいのか?」
「ど、どういうことだ?」
「俺、矢部より脚速いの忘れてないか?」
「――ッ!!」
言葉を言い終えた時、既に野沢はセーフティバントの構えを見せていた。早川の球に合わせるように勢いを殺し、サード線ギリギリに転がして、毛利がすぐさま手で拾う。
「毛利くん! 間に合わないよ!」
「くっ!」
星が指示した、後退守備が裏目に出てしまった。野沢の内野安打で、ノーアウトランナー一塁となってしまう。
「お? ボールを拾ってる。サードの毛利くん、打球拾うの速いね」
余裕の笑みを浮かべながら、一塁ベースを踏みしめ、野沢が呟く。
「俺が毛利に、早川が投げたら前に走るようにあらかじめ伝えていたからな」
小波が振り向きもせずに言う。
「なるほど。でも、残念だけど俺が、塁に出た以上は、必ずホームを踏ませて貰うとするよ」
そして、二番打者であるファーストの大紀伊を迎えた。ドスン、ドスンと体が揺れそうな体格、まるで相撲部員なのでは、と疑ってしまう太った男が右打席に入った。
「さぁ! 来い!」
太くて、大きな声をあげて、バットの先端を早川の方へと突き出した。早川が、一塁ランナーの野沢を見る。視線での牽制をしたが、野沢はその牽制に対してビクともせず、ただただニヤリと、いつでも走れるぞと余裕な表情で早川を挑発していた。
「むっ」
対する二番打者の大紀伊への初球、深く体を沈めたその瞬間、野沢はスタートを切った。
「は、速い!」
その反射能力の高さに、小波は驚きの声を上げた。早川が体を落とす瞬間のほんの僅かの隙を突いて土を蹴り上げ、二塁へと盗塁を狙う。
もちろん星が捕球した時には、野沢は既に塁に到達していた為、投げることも出来ず、ノーアウトランナーは二塁とピンチを迎えてしまった。恋恋高校の誰もが、野沢の俊敏能力の高さは、矢部よりかなり上行くことを知らしめる。さらに、それから追い打ちを掛けるかのように続く二球目、俊足を生かして三盗を決めた。
ノーアウト、ランナーは三塁。そしてカウントはツーボール。三球目は、詰まらせて内野ゴロで仕留めようとインコースに抉りこむように落ちるカーブを要求した。だが、その思いとは裏腹に大紀伊は、巨体な体とは思えないスイングをしてみせ、バットの芯を捉えた打球は、巨体な体には相応な痛烈な辺りを飛ばし、センターとレフトの間を豪快に破っていく。
「チッ! 打たれちまった。しかし、あの身体の大きさなら一塁で止ま・・・・・・」
マスクを取りながら星は舌打ちを鳴らしながら打球の落下地点を遠くから見つめ、チラッと大紀伊に目を映すと、言葉が止まった。何故ならば、巨漢の大紀伊は、既に一塁を野沢と変わらない速さで一塁を蹴り上げており、二塁を狙っていたのだ。
ノーアウト二塁。未だピンチは続く。三番、キャッチャーの飛来松が左打席で構える。やる気満々だ。このピンチをどう切り抜いて行くかどうか星は頭を悩ましていた。