実況パワフルプロ野球-Once Again,Chase The Dream You Gave Up- 作:kyon99
拭っても拭っても汗が滴り落ちてくる。
七月も終盤に差し掛かった炎天下の中、まるで水から引き上げられたゴムボールの様に顔中汗だらけで街を歩いていた。
「こんな熱い中、ご苦労なこった。サラリーマンにはなりくはねェと本気で思うよ。マジで」
通り過ぎる人達を横目に見て、やれやれと力なく微笑んだのは、一度も櫛を入れた事のないようなボサボサに伸びた髪、茶色に染まっているのが、とても特徴的なイレブン工科大学に通う目良浩輔だった。
一年生ながらもレギュラーを獲得し、更には四番を任されていて、大学リーグの中では断トツの存在感を示している。
「おッ!! 彰正!! 目の前の女子グループ見てみろよ! 今にもスカートが捲れてパンツが見えそうだ!」
だが、相変わらずだらしのない性格は未だ健在だ。
「止めとけ、浩輔。千波に見つかったら半殺しじゃ済まないぞ?」
「それは、心配ねェ。なんせ昨日、千波が着替えをしてる所を覗いたら拳で顔面二発やられたぜッ!」
ニヤリ。と笑う目良。
それに何故か、やってやったぜ感が満載なドヤ顔を浮かべている。
その言葉を聞き。
「はぁー」
と、魂も一緒に抜けていきそうな溜息を一つ吐いたのは、目良とは小学時代からの腐れ縁であり、また同じイレブン工科大学に通う館野彰正だ。
目良同様、一年生ながらも正捕手を任されていて、冷静沈着な頭脳派でもある。
その二人の脚が向かった先は、現在、恋恋高校と二人の母校であるきらめき高校が試合を行なっている頑張地方球場だった。
球場が見えてくると、二人の顔つきは穏やかな表情から悔恨の色が浮かんでいた。
去年の夏、ベスト四まで進んだ目良率いるきらめき高校は、当時二年の山の宮高校のエースである太郎丸達に無念の敗北を喫して、二人の最後の高校野球の夏が終わりを告げた。
「・・・・・・あれから一年か、随分と懐かしい感じがするな」
「ああ、一年と言うモノは早いもんだな」
ポツリと呟いた目良の言葉に、館野も思わず頷いた。
「でも、浩輔。悔いはないよな」
「ああ・・・・・・勿論だ」
言葉を短く。
少し間を開けて、再び口を開いた。
「去年のリベンジがしてェ・・・・・・とは言いてェ所だけど、とっくに俺たちの時代はもう終わった。後は、春海達に任せてあるから心配はしてねェよ」
「そうだな」
負けて引退した先輩が後輩へと託した想い。
それを叶えてみせようと頑張っている後輩の姿を応援する為に、二人はやってきたのだ。
「そう言えば、浩輔。千波は来ないのか?」
館野が問う。
「千波なヤツなら既に球場にいるぜ。どうしても春海の試合を最初から見守りてェンだとよ。弟想いの良い姉さんだろ?」
やや早口で喋る目良。
どこか不貞腐れているようにも見える。
それを見て、ニヤリと館野は笑った。
「もしかして、浩輔。お前・・・・・・」
「あン?」
「妬いてるのか?」
「はァ? 焼いてる? 何を? 俺が? 焼いてるって? パンをか? 馬鹿かお前は・・・・・・そっか、彰正。とうとう暑さで頭の思考回路が焼き消されたか?」
「バカはな、浩輔。お前の方だ。嫉妬してるのかって事だよ。千波に構ってもらえなくて、春海に妬いてるのかって言ってるんだよ」
「んなァ事はねェよ! ああ見えて千波は、メチャクチャ春海に甘ェんだ! いいか!! 耳の穴かっぽじってよく聞けよッ彰正!! 俺はな!! 構ってくれなくてもアイツが居てくれるだけで、それで良いんだよ!」
それはまるで怒号のようだった。
館野を目掛け、今にも鋭い牙をぶら下げた虎の様に、噛み付いてくるような勢いで目良が声を上げる。
辺りは静まりハッと、我に帰る。
目良は耳まで真っ赤に染めり、館野はニヤリと意地悪そうな笑みを浮かべて「惚気話、ご馳走さん」と付け足した。
きらめき高校と恋恋高校の試合は、既に六回の裏、きらめき高校の攻撃が終わり、試合は七回表まで進んでいた。
スコアは九対九の同点だ。
恋恋高校の先発である早田は、初回緊張からフォアボールを連発し一安打で三失点。
回を跨ぐごとに緊張は緩和されたものの、コントロールミス、甘い球の狙い撃ちで九失点と散々な内容だった。
対するきらめき高校は、エースの具志堅将也が立ちはだかったが、短期決戦の連投の支障が出たのか、初回から球に勢いが無い絶不調の立ち上がりとなり、恋恋高校打線に狙い球を絞られて、試合は乱打戦になっていた。
『恋恋高校の攻撃、一番 センター矢部くん』
そう言えばさっきから早川の姿が見えないなと、ふと考えていたら、ウグイス嬢の声が矢部くんを呼んだ。
おっと、今は試合中。集中、集中。
この試合、塁に出たら全てホームに帰って来ている。盗塁、走塁共に絶好調だ。
ここで塁に出てくれれば、試合の流れは確実に変わる。——頼んだぞ、矢部くん。
——キィィィィン!!
だが、その願いも虚しく。
セカンド、春海の正面に弱々しいゴロが転がってワンナウトとなった。
「チッ! どうしても、もう一点が欲しいのに早打ちしやがって! 少しは粘りやがれッ! 早田の野郎の事を少しは考えやがれ!! そろそろスタミナ切れだぞ?」
星が舌打ちを鳴らす。
相当イライラが溜まってる様だ。
まあ、矢部くんと打って変わって今日の星がは五打席連続三振で不調気味である。
「落ち着けよ。星」
「落ち着けだァ? 落ち着いていられるかッ! 早田もいよいよヤバイんだぞ? 何とか凌いでるものの、球数も相当投げてる! 打つ手でもあんのか?」
「・・・・・・」
星の言葉に俺は何も返答出来なかった。
ああ、分かってる。
早田が限界なのは分かってる。
しかし、残りピッチャーは他には居ない。
早川は体調不良で試合には出れない。
なら、俺が投げればいい話だ。
「・・・・・・」
だが、何故かそこに躊躇している自分がいた。
昨日、肘に不安を抱いたからか?
肘に痛みはもう無い。大丈夫なはずだ。
こういう時の為に、もしもの為に、備えて来た筈なのに、脚が踏み出せないのは何故だ?
——キィィィィン!!
金属音が鳴って、我に帰った。
二番赤坂の打球は高く打ち上がってピッチャーフライに討ち取られてツーアウトになった。
「チッ! 俺の打順かよ! 小波ィ! この回が終わるまで、どうするか決めておけよッ!!」
ヘルメットを着用して、バッターボックスへと走って行った星の背中を見ていると・・・。
「小波先輩ッ!!」
名前を呼ばれ、振り返ると、そこに早田が今にも泣きそうな顔で立って居た。
「ごめんなさい! 自分のピッチングが不甲斐ないばかりに・・・・・・」
謝罪の言葉に、胸がズキっと痛んだ。
「早田。謝るなよ。まだ試合は終わってねえんだ」
「でも——」
「でも、じゃないよ。早田くん!」
早田が何か言おうとした瞬間、その言葉は遮られた。遮ったのは早川だった。
走って来たのかと思うほど、額から頬に掛けて、たらりと滴る汗は数滴。
少し息は上がっていた。
そして、俺は目を疑った。早川の左手にはグローブがはめてあったのだ。
「早川・・・・・・お前、今までどこに行ってたんだ?」
「どこって? ブルペンに決まってるじょ!!」
「まさか、お前・・・・・・」
「ボクが投げるよ」
「——ッ!!」
その言葉に誰もが驚いた。
「早川さん。アナタ、熱が出てるのよ? 監督として、保健医としてもそれは、絶対に認められないわ!」
加藤先生が突っかかる様な鋭い声をあげた。
「加藤先生。ボクは大丈夫です」
早川は譲らない。
「あおい。無理しちゃダメ!」
七瀬は、キュッと早川の袖を掴み、心配で心配で堪らない表情で言った。
「はるか。ボクは、大丈夫だって。早田くんがここまで頑張ってくれたんだから、先輩としてこのまま黙って見てられないでしょ?」
「いやいや・・・・・・『でしょ?』って言われても、あおいちゃんは病人でやんす!」
「大丈夫なもんは大丈夫なの!」
「ひぃぃぃ〜! なんでいつもオイラだけに当たりが強いでやんすか!」
今の早川には誰が何を言ったとしても、まともに聞いてくれそうに無い様だった。
矢中との戦いを経たからか、随分と逞しくなったと素直に感じた。
それと同時に、こんな状態でも投げようとする早川から俺は『何か』を貰った気がした。
「早川、すまない。頼めるか?」
「うん! もちろんだよ!」
「無理だけはするなよな」
「うん、それも分かってるって」
星が本日、六個目の三振に斬って取られてスリーアウトチェンジになると共に、加藤先生が球審に選手交代を告げに向かった。
「小波先輩、ちょっといいですか?」
スパイクの紐を結んでいたら、椎名の方から声をかけて来た。
椎名は早川と共にブルペンで肩を作っていたから丁度、今、早川の状態を聞こうと思っていた所だった。
「早川の状態はどうだ?」
「正直言ってかなり厳しいかと・・・・・・。なんとかコントロールは安定してるものの球速・球威は好調より程遠いと言ったところです」
「そうか」
「最低でも三十球。スタミナ的に見ても、投げれるのは二イニングまでなら今の早川先輩なら投げ抜けるかと思います」
少し弱々しいトーンの椎名。
もう、俺は大丈夫——大丈夫だ。
「上等。後は任せておけ!」
『恋恋高校の選手の交代をお知らせします。ピッチャー早田くんに替わりまして、早川さん』
場内に響くアナウンスに、観客席からは溜め込んだ感情がまるで火山の噴火の様にワァーッと吹き上げた。
「ふっ。まさかこの回からエース・早川あおいの投入とは、恋恋高校の切り札が遂に切られたって訳か。随分と余裕のある作戦だこと」
スポーツドリンクを喉の奥に流しこみながらやや気に入らないと言わんばかりに眉に皺を寄せて、きらめき高校のエースナンバーを背負う具志堅将也が呟いた。
春海とは、中学時代からの同級生だ。
「でも、どこか疲れが見えるね。やっぱり球八高校との試合が効いてるのかも・・・・・・。兄ちゃん! ここはある意味チャンスなのかも知れないよ」
フォローするかのように、キャッチャーを務め、将也の実弟である具志堅直也が言った。
「どっちにしろ不調同士の投げ合い。早田とか言う一年坊には投げ勝ったが、こっからが正念場か・・・・・・。春海ッ!! 俺はこの試合、絶対にマウンドは降りねェつもりだからな!」
「ああ、任せるよ。将也」
コクっと、春海は小さく頷いた。
しかし両の目は、真っ直ぐ早川あおいへと向かれていた。そして、すぐ様、ファーストを守る小波へと移る。
(残念だが、早川さんは恋恋高校の『切り札』じゃあない。恋恋高校は、まだ『切り札』を切っていない)
(恋恋高校の最後の切り札は・・・・・・球太だ)
(恐らく俺以外には、マウンドに上がった球太の実力を知らないからだ)
(だけど、漸くそこまで来た。早川さんには悪いが・・・・・・必ず球太。お前をマウンドに引きずりだしてやるからな)
『きらめき高校の攻撃 六番 ファースト 百田くん』
七回裏。きらめき高校の攻撃が始まった。
振りかぶってからの初球。弱々しいストレートが星のミットに収まった。
「ボッ!!」
僅かに逸れてボールカウント。
球速表示は百十一キロだ。
続く二球目。高めのボール。
三球目もボール。四球目もボールでバットを一度も振ること無くフォアボールとなり、ノーアウト一塁。
トップバッターを塁に出した苦しい立ち上がりだが、ここは落ち着いて仕留めるしかない。
『七番 キャッチャー 具志堅くん』
初球。
コントロールを意識し過ぎたか、球威が無いカーブを巧くヒッティングされ、ショート・赤坂の間を抜かれて、ランナー一・二塁のピンチを迎えた。
「早川ァ! 大丈夫、大丈夫! 良い球は来てるぞォ! ここからしっかり抑えるからなッ!!!」
星が檄を飛ばす。
早川はコクリと首を縦に振る。息上がっている。心なしか辛そうな表情をしている——が、俺を見るとニコっと笑みを見せた。
まるで「任せて、ボクは大丈夫」と、言っている様だった。
『八番 ライト 国領くん』
それでも続くきらめき高校の攻撃。
今が下位打線だと言うのが唯一の救いだろうか・・・・・・。
国領に対しての初球。
危うく直撃かと思われる程の顔面スレスレの失投。
「あおいーーッ!!」
今にもベンチから身を投げ出しそうにして、七瀬が必死に声を上げた。
「あおいちゃん!! 任せるでやんす!!」
矢部くんが。
「打たせるぞ! 早川!」
星が。
「先輩! 準備は万端ッスよ!」
赤坂が。毛利が。海野が。全員が早川の背中を後押しするように声を上げる。
「よし! ここは抑えるぞ! 早川!」
俺も声を掛けた。
滲む汗を払い。力強く「うん!」と、答える早川。その表情は力が漲った心強くも見えた。
セットポジション。
低いリリースからの二球目の事だった。
ボールは星の構えたミットには届かず、マウンドとホームの真ん中辺りで静止した。
「——ッ!!」
その場に誰もが驚愕した。
早川は投げようとした寸前、倒れこむ様にマウンドで膝を突いていたのだ。
「タ、タイムッ!! 救急隊、担架ッ!!! 担架だッ!!!」慌てて球審が叫ぶと同時に——。
「早川ッ!!!」
小波が真っ先に駆け寄って早川の腕を肩に掛けた。
「球太くん・・・・・・」
「大丈夫か!」
「大丈夫」
震えた声。
頬を真っ赤にした早川の青色の目は涙を含んでいた。
悔しさ、惨めさ、迷惑を掛けたと責任を感じている様々な感情が表情に出ていた。
「ゴメンね。ボクの所為でまた皆んなに迷惑かけちゃって・・・・・・」
「バカ野郎。謝るなよ」
肩に掛けた小さな手がギュッとなった。
「情けないね。さっきまであんなに息巻いてたのに・・・・・・蓋を開けたらこの様だったよ」
「そんな事ねえよ。あん時のお前は、随分とカッコ良く見えたぜ?」
「本当に? それなら良かったよ」
「ああ・・・・・・」
「ねぇ、球太くん?」
「・・・・・・なんだ?」
「ごめんね」
「だから、謝んな。——まだ試合は負けちゃいないし、負けるつもりもねぇ。そうだろ? この試合勝って残り三試合で甲子園だ。今はゆっくり休んでろ。後は俺達に任せとけ!」
「うん。また後でね」
「ああ、また後で」
目から涙が流れて、手の甲に落ちた。
暖かい感触が全身に広がる。
早川は小波に今まで見せた事のない満足らしく笑みを漏らして、救急隊員に担架に乗せられて医務室へと向かって行った。
「マジで大丈夫か? 体調悪いって言うのに格好付けて無茶しやがって、あのバカヤロー」
「・・・・・・」
「そんで? どうするンだよ、小波ッ!!! 早田も居なければピッチャーは一体、誰が——」
「俺がやるよ」
「あン?」
「・・・・・・俺がやる」
「オイオイ、テメェ・・・・・・マジで言ってんのか? だってテメェ、肘壊して碌に投げてないんじゃあねェのかよ?」
「こんな状況だ。もう四の五の言っていられねえだろ!!」
小波はギュッと拳を握り締めて強いトーンで星に口を開いた。
「星・・・・・・。球審に伝えておいてくれ。ピッチャー交代だ!」
「おいおい、大丈夫か? 早川のヤツ」
具志堅将也は担架で早川あおいが運ばれて行くのを眺めながら言う。
「大丈夫では無いんじゃないの? これで恋恋高校はピッチャーが居ないんじゃ・・・・・・。ねぇ? 高柳先輩?」
直也が春海に尋ねる。
しかし、春海はずっとマウンドに居るただ一人を見つめ、静かに口を開いた。
「いや、もう一人だけ居るよ」
「えっ?」
「俺の知ってる数いるピッチャーの中で、唯一手強いピッチャーを俺は一人だけ知っているよ」
「それは誰なんですか?」
「来る」
言葉は短く。
冷や汗が頬を伝っていた。
具志川兄弟はそれが何を意味しているのか不明だったが、次のアナウンスで知る事となる。
『恋恋高校の選手の交代をお知らせします。ピッチャー早川さんに替わりまして、小波くん』