実況パワフルプロ野球‎⁦‪-Once Again,Chase The Dream You Gave Up-   作:kyon99

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第63話 右肩の爆弾

 チリチリと肌を焦がす日差しはやや強め。

 溢れる人集りで賑わいを見せる地方球場で行われている決勝戦。

 スコアは、〇対〇。

 両チーム共、三者凡退で一回を終え二回表の恋恋高校の攻撃が始まる。

『四番、ピッチャー 小波くん』

 ギュッとグリップを強く握り締め、キッと目付きを鋭くし、周りの音が一瞬にして遮断される。『超集中』で集中力を高めた小波球太は右のバッターボックスに立って猪狩守を見据えた。

 猪狩守は、目の前でバットを握り此方を見る小波に対して自然と口角が上がっていた。

ㅤ公式戦での戦いは、リトルリーグ以来。

 待ち望んでいた戦いに思わず楽しみと懐かしさが込み上げて来る。

 それに、先程のチャンスから一転しダブルプレーで阻まれた見事なファインプレーを目の前で見せつけられてしまっては更に負けては居られない、と胸の奥でメラメラと燃え上がってくる闘士が黙っては居られなかった。

(小波。君は変わっていないな。どんな時も全力で、どんな相手でも怯まずに挑み続けようとするその姿はリトルリーグの時から何一つ変わってない)

 そんな相手だからこそ、

 そんな好敵手だからこそ自分の持てる全力をぶつけて捻じ伏せたい。

 猪狩守はスッと左手を前へと伸ばし、ストレートの握りを小波に見せつけた。

「——ッ!!」

 これが意味するのは、この打席に投げる球は全てストレート——、猪狩守の最も自信のある球、『ライジング・ショット』だ。

 

 

「おお!? これは見ものだな。どうやら猪狩は小波に対してストレート一本で勝負を挑む気だぜ」

 楽しみだと言わんばかりにニヤリと笑みを浮かべた青年は、前のめりになりグラウンドを一点に見つめながら言う。

 グラウンドの正面、バックネットの後方の二階席の座席で横一列に並び試合観戦している『高校生四人組』が居た。

「猪狩くんの『ライジング・ショット』は高速横回転で放つ浮き上がるストレート。いくら『超集中』モードの小波くんが相手と言えど、そう簡単には彼の球の攻略をするのは難しいだろうね」

 そう話す彼は、高校生の制服を身に纏っては居るものの中学生の様な童顔であり、また身長は周りと比べるとかなり低く少年の名前は、球八高校のエースであり早川あおいや高木幸子の幼馴染でもあり、また恋恋高校のマネージャーを務める七瀬はるかの彼氏でもある矢中智紀だった。

「って言ってもな、智紀。猪狩は『ライジング・ショット』一本で投げるって堂々と宣言してるだぜ? どう考えても小波はただ来る球を打てば良いってだけじゃね?」

ㅤ前のめりになりがら試合を見ていた塚口遊助が当たり前のように言う。

「お前は何バカな事を言ってやがるんだよ。『浮き上がる球』を打つのはそう簡単じゃねえだろ? 大体、遊助は智紀の『フォール・バイ・アップ』どころかアンダースローからの普通のストレートさえ真面に打てなかったじゃねえかよ」

 と、ニヤリと意地悪く笑うのは、同じく球八高校の中野渡恒夫だった。

「ぐっ……。うるせえぞ、ツネ。お、俺と智紀のアンダースローとじゃ、ただ相性が悪いんだけだ。それは仕方ねえ事なんだよ!!」

ㅤ我ながら見苦しい言い訳だ、と塚口遊助は悲観してガクリと項垂れる。

ㅤその横で、一人の女子生徒が聞き耳を立てずにジッと険しい顔つきでノートに何かメモ的な文字をシャープペンシルで書いていた手を急にピタリと止めると静かにグラウンドを眺めていた。

「どうかしたのか?ㅤ神島」

「……、」

「おい、無視するなってーの!!」

ㅤ塚口遊助の問いかけに半ば無視する様に無言のまま視線をズラす事なく見続けているのは球八高校のマネージャーを務める神島巫祈。

ㅤ相手選手の『弾道』、『ミート』、『パワー』、『走力』、『肩力』、『守備力』、『エラー回避』などと言った基本的能力に加えて得意・不得意なコースや球種の分析から得られるデータを取集する事に最も秀でている『目』を持つ神島巫祈だけに、先日の試合で『怪童』と言う『超特殊能力』を開花させてノーヒットノーランを達成させた小波球太の今日の試合の投球内容に違和感と疑問を抱いている様子だった。

「どうも可笑しいのよね。本調子とは程遠い絶不調だとしても、小波くんの本来の潜在能力から見てストレートのスピードが『百三十キロ代』なのは、まず有り得ない。それに加えて、初回の羊山くんのあの辺りも本来なら平凡な外野フライに打ち取れた球だったのに長打になるなんて……」

ㅤいや、しかし、まさか、と口元に手を当てながらブツブツと独り言を呟き始めた神島巫祈。

 その様子を矢中、塚口、中野渡の三人はお互いに顔を見合わせて首を傾げる。

「おーい、神島さーん? もしもーし。聞こえておりますでしょうかーーーー!?」

「辞めとけ遊助。こうなっちまったら俺たちの言葉なんて神島の耳にはもう何も入らねえよ」

 何度目だろう。こんな風景を部活内では見飽きた光景だと塚口と中野渡の二人は苦笑いを浮かべる。

ㅤだが、矢中智紀は球場内をぐるりと見渡していた。まるで誰かを探すように。

 数十分前から姿を消したもう一人のチームメイトの行方を気にしていた。

「なんだ、なんだ? さっきから辺りをキョロキョロと落ち着きなく見渡しやがって、小波と猪狩の戦いが始まるぞ。それともなんだ? 可愛い子でも見つけたのか? お前には『七瀬はるか』って言う超美人な彼女が居るって言うのに、お前も隅には置けねえな」

「いや、違うよ。飲み物を買いに出てから随分と経つけど大丈夫かなって少し心配になったんだよ。雄二のヤツ」

 矢中智紀の言葉に、塚口遊助は『はぁぁぁぁぁあ』と大きな溜息を漏らす。

「……あのな。いいか、智紀。雄二だってガキじゃねえんだぞ? 俺たちと同じで立派な高校三年生なんだ。心配しなくてもそのうち戻ってくるだろうが」

「まぁ、それはそうなんだけど……」

 仕方ない。

 遊助の言う通り。雄二のヤツはその内は戻ってくるだろう。

 兎に角、この戦いを観なくてはならない。と、矢中智紀は小波球太と猪狩守の戦いを見る事に専念する事にした。

 

 

 夏の熱い日差しが増す中、いよいよ注目の勝負が始まった。

 初球り

 猪狩守の左腕から放たれた一球目はインコースの低めに投げ込まれた。

 ギャルルルルルルルルルン!!!!

 まるで弾丸の様な鋭い高速横回転の『ライジング・ショット』が双菊のキャッチャーミットにズバンと、乾いた音を鳴らして収まった。

「ボール!!」

 僅かに力んだのか投げ込まれたボールはストライクゾーンから外れていた。

 球速表示は、百四十八キロと申し分の無いノビとキレのあるストレートだ。

 しかし、それは飽く迄、スピードガンで計測された『数値』であり。打席に立つ小波から見ると体感速度は『プラス五キロ』はある様に感じられる。

 小波達は過去に百四十キロのノビのあるストレートを投げるピッチャーとは幾度無く戦って来た。

 極亜久高校の悪道浩平、聖ジャスミン学園の太刀川広巳、パワフル高校の麻生、山の宮高校の太郎丸龍星など、ストレートに自信があるピッチャーばかりだ。

 しかし、猪狩守はこれまでのピッチャーとは一味違う。それも『浮き上がる』と言ったストレートだと言う事。

 だが、『浮き上がるストレート』に対して別に経験が無いとは言えなかった。実際に球八高校のアンダースロー投法の矢中智紀のストレートはある意味で浮き上がる球ではあるが、この『ライジング・ショット』は他のピッチャーとは違う。別な次元のストレートだと小波は初めて身を持って知った。

 やはり猪狩相手に一筋縄では仕留められない。

 グッと目を凝らし、より一層集中力を高める。

 続く二球目。

 左腕から投じられた『ライジング・ショット』を打ち返すべくバットを振り抜く。

 キィィン!!

 耳に残る金属音が鳴り、打球は高々と上に上がって行った。

 観客席の人達も顔を上げてボールの行方を目で追って行く。

「……ッ」

 小波球太は悔しそうに歯を食いしばり。

「ふん」

 猪狩守は打ち取るのを見越した様に鼻で笑う。

 結果は、ピッチャーフライ。

 高々と打ち上がった打球は猪狩守の右手のグローブにポスンと収まったのだった。

 

「流石の小波でも一打席じゃ猪狩のストレートをヒットにする事は出来る訳がねェか」

 ははは、と笑いながらベンチに引き下がって来た小波を迎え入れる様に星が言う。

「なんでお前は嬉しそうなんだよ」

「投げては『三種のストレート』、打ってはどんなピッチャーからもヒットとホームランを大量生産って投打に抜け目の無い『天才』野郎かと思っていたが、そう甘くはねェモンだよな、野球って言うのはよォ」

「天才……か」

 『天才』と言う言葉に、小波球太はピクリと反応を示して思わず笑っていた。

 何処か懐かしさを滲ませる表情だった。

「あん? どうかしたか?」

「いや……。どっちかというと『天才』は猪狩の方で、俺は『凡人』なんだとさ」

「はァ? テメェが凡人だァ?」

「ああ、俺は猪狩に昔から散々『凡人』って呼ばれててな。ま、あんなに凄い『ライジング・ショット』を投げれるのは『天才』ならではって感じがするだろ?」

 小波の言葉に、星はギリギリと歯を軋ませる。

「小波、テメェな。バカな事を抜かしてるンじゃねェよ。いいか? 俺から言わせれば平然と『三種のストレート』を投げるテメェも俺からしたら天才なんだよ、バカタレが」

「そうでやんす!! 小波くんの『三種のストレート』も猪狩くんの『ライジング・ショット』に匹敵する凄い球だと思うでやんす」

 と、矢部明雄も瓶底メガネをクイっと人差し指で上げて星の隣に腰を下ろした。

「あはは、そうかな?」

 と、小波が笑う。

 ふんわりと緊張感が解けて行く。

 猪狩守との打席で高めていた『超集中』がプツンと切れた——、その瞬間だった。

「——ッ!?」

 衝撃が走ると目の前に広がる景色がぐにゃりと捻じ曲がる。

 グラグラと視界が一気に歪み始めると共に、全身に向けて激痛が高圧電流を流されたかのように身体中を駆け巡った。

 目を閉じても歪む視界。

 内側から数十本のトンカチで力一杯に殴り付けられている様な酷い痛み。

 ポタリと落ちる脂汗、思わぬ吐き気。

 声にならぬ痛みが、右腕から全身にかけて一気に広がって行く。

「小波くん!?」

「お、オイ!! 小波、大丈夫か!?」

 突然の出来事。

 右肩を抑えて蹲る小波に星と矢部の二人は驚きの声を上げる。

「——ッ!!」

 それに気付いた加藤理香と早川あおいも小波の元へと駆けつける。

「小波くん!? ちょっと診せなさい!!」

「球太くん!? 大丈夫!?」

 少し青ざめた表情の小波の姿を見た早川あおいは目に少し涙を浮かべていた。

 まさか、恐れていた事が。

 もしかすると小波が右肩に抱えている爆弾が爆発したのかもしれないと言う懸念が脳裏を過った。

 そう思えたのは保健医でもある加藤理香が神妙な顔つきで小波球太の身体を慎重に診察していたからだ。

 恋恋高校のベンチの誰もが不安を隠し切れずに見つめている中、目を瞑っていた小波がゆっくりと目蓋を開けると、目の前には全員が小波の事に目を向けていた。

 だが、一人だけ。

 小波の身体に触れている加藤理香だけは眉間にシワを寄せて、横に首を振るのだ。

 もうダメだ、と。

 朦朧とする意識の中でもその意味を小波球太本人は理解出来た。

 何故ならば。

 既に、右肩。

 いや、右腕全体の感覚が無い。(・・・・・・・・・・)

 この感覚を味合うのは二度目。中学二年の全国大会の時に右肘を壊した痛みと全く同じだった。

 遂に右肩の『爆弾』が爆発してしまった様だ。

「お、オイ。……小波、大丈夫か?」

「いきなり蹲るからビックリしたでやんす」

 ぼやけていた景色がハッキリしてくる。

 目を見開いて驚いている星と矢部の顔が見えて来た。

「ああ、悪い。全然、大丈夫だよ。ただの熱中症かなんかだろ」

「熱中症って……。テメェは今さっきまで右肩を抑えていたじゃねェか」

「急だったから思わず無意識で肩を抑えてたのかもな」

 と、小波は笑いながら誤魔化す。

 

 すると。

 

「ストライクーーッ!! バッターアウト!!」

 球審の甲高い声が響く。

 どうやら既にツーアウトとなっていて、いつの間にか六番打者の海野まで打順が回っていたらしく猪狩守のスライダーを空振りの三振に捻じ伏せられてしまったようだ。

「チッ。この回も三者凡退止まりかよ。やっぱり楽には勝たせてはくれねェよな。決勝戦となるとよォ」

 舌打ちを交えて、星はキャッチャー防具のプロテクターを着けてグラウンドの方へとぞろぞろと進む。その後を他のナイン達も追う様に定位置へと脚を進めて行った。

 小波も嫌な汗をフェイスタオルで拭き取って、左手で帽子を深く被り直してグラウンドへと一歩踏み出した時だ。

「待ちなさい、小波くん」

 そこに加藤理香が止めに入る。

 小波もピタリと足を止めた。

 この恋恋高校の中で小波球太の置かれている状況を一番理解しているのは他ならぬ加藤理香だ。

「小波くん。もしかすると、今の貴方の右腕には感覚が無いんじゃないのかしら?」

 やはり、見抜いていた。

「加藤先生。この位の痛みなら俺はまだ投げられますよ。『超集中』で何とか誤魔化せてるので平気です」

「投げられるって、貴方の右腕の爆弾はもう爆発してしまってるのは貴方自身が一番理解出来ているでしょ!?」

「それでも、俺はまだ投げられます」

 こうなったら言う事は聞かない。前の試合でもそうだったが、決して折れる事のない確固たる意志を持った強い眼をしている小波球太の前では加藤理香はただ諦めるしか無かった。

「そう……。なら、勝手にしなさい」

「もう無理だよ!! もう止めようよ? 球太くん!!」

 と、早川あおいが泣き叫ぶように、怒鳴るように小波に向けて声を上げた。

 今まで聞いた事のない悲痛な叫び。

 早川あおいからこんな声を聞くのは初めてだった。

「早川……? お前、もしかして……」

「うん。ボクは……キミの『右肩の爆弾』の事を知っているよ。選手生命を奪う程の厄介な爆弾だって事も」

「——ッ!?」

「キミが『プロ野球選手を諦めている事』、ボク達を『甲子園に連れて行こうとしている事』、全部知っているんだよ」

「全部、知ってたのか……」

「ゴメンね。昨日の試合中……。その……球太くんと加藤先生が話している所を聞いちゃった」

「そうか。聞いちまってたって訳か」

 隠した所で、手遅れなのは分かっていた。

 加藤理香の言う通り。右腕の感覚は無い。

 でも、その予兆はあった。

 それは昨日の山の宮高校との試合、九回裏のマウンドに上がって最初に放り投げたストレートの際に違和感を感じた。

 その後、フォアボールでランナーを初めて出した時に右腕がカタカタと自然に震えていたのだ。

 震えている事に気が付いた星には緊張していたからと嘘を吐いて誤魔化せた。

 だが、もう既にその時点で右肩にある爆弾を爆発させる程の疲労の蓄積も限界を超えかけていたのかもしれない。

 今日の試合投げ抜けられると言う自信は正直に言えば無いに等しかった。

 それでもこの試合だけはと思い。初回から『超集中』で痛みを堪えて投げてみてもストレートのスピードは百三十キロ程度しか投げられていない。

 もう限界なのは分かってる。

 けど——。

「悪いな。でも、もう行かなきゃ」

 ギュッ。

 と、左側のユニフォームの袖を掴まれた。

「……早川?」

 青い瞳からポタリ、ポタリと大粒の涙が溢れ落としながら、

「もういいよ。球太くん」

 と、目の周りを真っ赤にし少し潤み声で早川あおいが泣き噦っている。

「俺はまだ投げられる。投げさせてくれ……俺はまだ『夢』を叶えていないんだ。頼むよ早川」

「……ダメ、ダメだよ。もう……投げないでよ。じゃないと球太くんは……もう……」

 投げなくても既に手遅れだ。

 右肩の爆弾で腕がボロボロになってしまっている。

 その事は早川だって分かっていた。

 小波も同時に同じ事を思っていて『もう手遅れだ』と言葉を口にしようとしたが、そこはグッと飲み込んで困った顔をしながら優しい口調で囁く。

「本当にごめん……。早川」

 と、小波球太は左腕の袖を掴む早川あおいの細くて白い指をゆっくりと一本ずつ離すと目を向けずにマウンドへと歩いて行った。

 

 

 

『二回裏、あかつき大附属の攻撃は四番・ピッチャー 猪狩くん』

 

 湧き上がる大歓声。

 今年のプロ野球ドラフトの注目度No. 1なだけあって観客達の興味はかなり高い。

 世間では既に『猪狩世代』と猪狩守の名前が冠として呼称される程だ。

 その猪狩守は左打席に入りバットを握りしめていた。

 並ならぬ威圧感を放ち待ち受けている。

 

 

「先生はどうして球太くんの事を止めなかったんですか?」

 か細い指先で目蓋を擦る。

 泣き噦っていたのが落ち着いたのだろう。流れ落ちた涙を拭いながら早川あおいが問いかけた。

「早川さん……」

「先生は前から知っていたんですよね? 球太くんの右肩の事情を……」

「ええ。知っていたわ。でも止めるつもりだった。けれど……私には止められなかった」

 怪我を知ってから、いつでも小波球太をマウンドから降す事は簡単に出来た筈だった。

 しかし、そうしなかったのは加藤理香が小波球太と言う一人の人間としてその先にある成長を見てみたいと『ファン』として興味を抱いてしまったからだ。

 小波球太を止める事さえ出来れば、と右肩の感覚を無くした後で悔いた所でどうする事も出来ない複雑な罪悪感が押し寄せる。

 しかし、加藤理香は静かに言った。

「彼はね。この道を自分で選択したのよ。自分の右肩が壊れると分かっていながら、貴女達を甲子園に連れて行くのを『夢』として」

「……」

「早川さん。小波くんの気持ちを少しでも分かってあげて。此処で彼をマウンドから降したら彼は救われないわ。それに……」

 と、加藤理香は言葉を止めて早川あおいを見つめて微笑んだ。

「約束、したんでしょ? 小波くんと」

「約束……」

 試合前に交わした約束を思い出す早川。

 そうだ、確かに。

 球太くんは言った。

 甲子園に連れて行く、って。

 今のボクが出来ることは、球太くんを信じて上げること、なのかな。

 二人は目の前で行われている小波球太と猪狩守の戦いに身を向けた。

 

 

「……はぁ、はぁ」

 『超集中』である程度のスタミナは消耗したが、まだ充分にスタミナは有り余ってるいる筈なのに力が出ない。

 小波はチラッとベンチを見た。

 心配そうに此方を見つめている早川あおいがそこに居た。

 

 悪いな、早川。

 お前にだけは心配をかけたくは無かった。

 けれど、ここまで来て。

 甲子園を決める目の前まで来て。

 絶対に皆を甲子園に連れて行くと決めているのに目の前で逃げ出すようにマウンドから降りたくは無いと思っていた。

 だから、此処では降りられない。

 降りたくない。

 俺が『野球』の舞台から降りるなら、それはお前を甲子園に連れて行ってからだ。

 だから、負ける訳には行かない。

 夢を叶えるまでにこんな場所で終わってたまるかッ!!

 行くぞ、猪狩!!

 

 右肩を振るう。

 『超集中』で瞬間的に激痛を凌ぐ、長年の投球で研ぎ澄まされた感覚だけを頼りに腕を振り抜いて投げ込んだ——今の気持ちを込めた『渾身』のストレートを投げ込んだ。

 

 

 

 

 

 

 猪狩守と小波球太の戦いは、

 

 

 

 

 

 

 

 呆気なく終わりを告げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 キィィィィィィィィィーーーーン!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 快音が鳴る。

 鳴り響くと同時に球場全体がシン……と静まり返る。

 小波球太は打球の行方を追う。

 だが、振り向くまでも無かった。

 マウンド上から百八十度振り向いた先はバックスクリーンに突き刺さるように打ち込まれ打球は完璧に真芯を捉えたホームランとなった。

 

 

 

『ワァァァァァァァーーーーッ!!!!』

 

 

 決勝戦、まず先制点を挙げたのはあかつき大附属の猪狩守によるソロホームラン。

 文句無しの一発に観客席は熱気を感じる程の盛り上がりを見せた。

 ゆっくりとダイヤモンドを周る猪狩は、マウンドに立つ小波球太を横目で見る。

 気持ちの篭ったストレートなのは確かだったが、ノビもキレも球の重さも力のないボールだったと真芯で捉えたバットから伝わっていた。

(小波。まさか君の右肩は、もう……)

 悠々と周りホームベースを踏むと、スコアボードには「1」と点字が灯る。

「ナイスバッチだ、猪狩」

「小波からホームランとは流石だぜ」

 ベンチに戻る猪狩を迎えるあかつきナイン達がハイタッチを求めるが、猪狩はその横を黙ったまま通り過ぎる。

 嬉しい筈のホームラン。そこに笑顔はなかった。ただ複雑な険しい表情だけがある。

「……」

ㅤチームカラーである青色のヘルメットを脱ぐと艶のある茶髪が露わになり、やや吊り目の青色のキリッとした瞳で再び小波球太を見据えていた。

 

 

「うわぁぁぁぁー!! 今の打球凄いね〜。豪快なホームランだったよ〜」

 湧き上がる球場を手に持つハンディカメラで捉えながら興奮冷めやまぬ明日未来はキラリと八重歯を輝かせながら言う。

「球太……」

 対して六道聖は、打たれてしまった小波球太を心配そうに見つめている。

「ねえねえ、光〜。今の猪狩守さんのホームラン見てた〜?」

「……」

 尋ねられた光は無言のまま小説のページをめくる。野球に興味を持たず、二日連続で無理矢理球場に連れて来られてやや不機嫌な光だった。

 

 

「小波くん……」

「今の一発は打たれた球太には堪らない一撃だったろうな」

 恋恋高校の応援席で高柳春海と栗原舞の二人も試合の様子を息を飲むように眺めていた。

「ねえ、春海くん。今日の試合の小波くんは不調なのかな? 思うようなピッチングが出来ているとは思えないのよね」

「うん。それは俺もまったく同感だよ。今日の球太のストレートにはスピードもキレも無い様に見える。一体、球太のヤツどうしたんだろう」

「なんだか嫌な予感がするわ」

 

 

「スリーアウト。チェンジ」

 右肩の感覚が無くなろうとも、気持ちを込めたストレートだった。

 今の想いを存分に込めた筈だった。

 それなのに、そのストレートは猪狩に意図もたやすくホームランにされてしまった。

 切り札の『三種のストレート』も巧く機能しない。何もかもが中途半端で、何もかもが甘いコースに行ってしまう。

 俺の球は、猪狩どころかあかつき大附属の打線に全く通用しないと強く痛感した。

「……くそ」

 目が霞む。気を許せば痛みに支配されそうな程だ。

 しかし、果たしてこの試合、このまま痛みの中で投げ抜く事が出来るのだろうか。

 と、らしく無い不安が襲いかかる。

 けど、今はそんな事を考えては行けない。

 何故なら。

 二回裏のあかつき大附属の攻撃は終え、スコアボードには「5」と言う数字が点字されているからだ。

 

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