実況パワフルプロ野球‎⁦‪-Once Again,Chase The Dream You Gave Up-   作:kyon99

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第68話 恋恋高校のエースとキャプテン

『あかつき大附属高校の選手の交代をお知らせします。キャッチャー双菊くんに代わりまして、猪狩進くん』

 ザワザワ。

 ザワザワ。

 場内に響くウグイス嬢のアナウンスに、球場内は様々な声や響きが遠く近くで交差する。

 飛び交う声など一切気にも止めずにあかつき大附属の背番号「2」を付けた茶髪の好青年はゆっくりと定位置に立ち腰を下ろした。

 中性的な顔立ち。

 左頬には絆創膏。

 猪狩守の一個下の弟である二年生にして唯一のレギュラーを獲得した猪狩進がキャッチャーマスクを被る。

 それに伴い。猪狩進の登場で今の今まで出場していなかった理由を知っているあかつき大附属の応援席には今までに無いくらいの盛り上がりを見せていた。

「……。おいおい。まさかこんな場面で登場とは驚かせてくれるぜ。さては、進。無理して病院から飛び出して来たんだろ。随分と無茶なことをするじゃねえか」

 コール前。

 小波球太はバッターボックスの手前で二、三度スイングをした所で声を掛けた。

「まあ。この試合の流れ的に自分自身の中で感じる所が多々ありましたので。それに、言葉を返す様ですけど無理しているのはお互い様ですよ、小波さん。貴方はあの夜、僕を事故から庇ってくれた際に右肩を強打していますよね?」

「……、」

「そして、その際に右肩の骨付近に重度の怪我を負った筈です。今まさに病院に居なければならないのは僕よりも小波さんの方ですよ」

「……、」

 猪狩進の言葉に無言を貫く小波球太。

 

 やっぱり、そうか。

 車との衝突から助けた時には既に猪狩進は気を失っていたから気付いていないものだと思っていたが、あの日の夜の出来事を猪狩進は気付いていたらしい。

 小波は昨日の夜、珍しく猪狩守から突然の電話が掛かって来たと思ったのがとても不思議な事だった。

 そして。分かった。

 猪狩守と話した時だ。

 

『小波、君の怪我の調子はどうなんだい?』

『ああ、お陰様で『肘』の調子なら絶好調だぜ』

『いいや、僕が聞いているのは『右肩』の方だが?』

 

 わざわざその件に触れて来たのは、それは猪狩守が小波球太に鎌をかけて来たものだと小波球太は思っていたが、決してそう言う理由で電話を掛けて来たのでは無かったようだ。

「心配してくれた所でもうとっくに手遅れだ。俺の右肩はもう既に壊れちまってるよ」

「——えッ!?」

 ピクリと、身体が止まった。

「……心配なんかすんなよ。俺は俺で覚悟を決めてグラウンドに立ってるんだ。人生全てを掛けて腹括ったんだ。同情なんて今更要らねえからな」

 と、小波球太は『超集中』を研ぎ澄ます。

「……はい、分かりました。覚悟を決めているのも此方だって同じ事です。僕も兄さんも全力で貴方達に勝ちに行き、甲子園の土を踏むのは僕たちあかつき大附属です!!」

 と、猪狩進はキャッチャーマスクを更に深く被り直した。

 

 

 

 ピリッッッ!!!?

 

 

 ——、その瞬間。

 

 

 いつもの優しそうな顔つきは一点し、まるで猪狩守の様に一気に険しい顔付きへと変わった。

「……」

 そして、小波は直感で理解した。

 周りに纏っていた空気が一気に変わった。

 今までにない緊張感がチクチクと肌を突き刺す。

 今ここで、ようやく猪狩進がキャッチャーマスクを被ると言う事はだ。

 それは、すなわち。

 猪狩守はこれまで以上の力で投げて来ると言う事でもある。

 猪狩進は、猪狩守の本領を全て引き出せる唯一のキャッチャーなのだ。

 

 

 

 五回の表。

 猪狩守対小波球太。

 三度目の対決であり、打者一巡してこのイニング二度目の対決。

 その初球。

 

 

 ギュルルルルルルルルルルン!!

 

 

 まるで射撃場にでもいるかのようなエグい音が、

 

 

 ズバァァァァァァァァァァン!!

 

 

 猪狩守の左腕から放たれた百四十九キロの『ライジング・ショット』が胸元インコースに構える猪狩進のキャッチャーミットへ、コースギリギリのストライクゾーンへと投げ込まれた。

 その第一印象は、猪狩守がこの試合で初めて見せる球威にキレとノビのある『ライジング・ショット』だった。

 前のバッターである星雄大に投げ放ち、ホームランに打ち返された渾身の『ライジング・ショット』を更に上回る最高の球を投じたのだ。

「……ッ」

 小波球太がいくら疲弊しているとは言えど集中力を極限に高めた『超集中』は未だギリギリで平静のラインを保ってている。だが、『超集中』を持ち合わせたとしても今の球に対してだけは小波は手も足も出せない程の良い球だった。

 

 先手を打たなければこのままだと不味いな。

 小波球太は、磨りガラス越しのようにほのかに見え始めてきた猪狩を見ては声に出さずに呟く。

 『超集中』のデメリットは、集中力を高めている分、体力を消耗してしまう事。

 そして、対する猪狩進は『キャッチャー◎』と言う『特殊能力』を持っている事だ。

 『キャッチャー◎』、の効果は。

 ピッチャーのコントロールが良くなる事と、スタミナ消費も半分以上に減少させられる能力である。

 それに加えて、捕球体制や捕球動作などを工夫して際どいボール球をストライクへと球審に判定させるフレーミング技術も持ち合わせているのだ。

 このままだと、小波の方が不利になってしまう。

 

 

 こうしている今も小波球太の底が尽きかけているスタミナが削られて行っているのだ。

 

 

 

 間髪入れずに、二球目。

 それはまるで銃口から撃ち放たれる弾丸の様に、空気を断ち切るかの様に、僅かにホップして来る『ライジング・ショット』に向かってバットを当てに振り抜くが、バットには当たらずに心地の良い捕球音だけが鳴り響いた。

 

 ズバァァァァァァァン!!!!

 

「ストライクーーッ!!」

 黄色のランプが二つ灯る。

 カウントはツーストライクとなり、小波は簡単に追い込まれてしまった。

 そして、三球目。

 遊び球など無かった。

 投げ込まれたコースはど真ん中。

 球速表示、百五十キロの豪速球が「スバァァァァァァン!!」と音を立てて小波球太は空振りの三球三振に斬り伏せられてしまった。

「ストライクーーッ!! バッターアウト!!」

 結果、スリーアウトとなり、打者一巡に及び七点を奪った恋恋高校の五回表の攻撃がようやく終わりを迎えた。

 

 

 

 

「兄さん、ナイスピッチングです」

 猪狩進は、マスクを取り兄の猪狩守の側へと駆け寄って来る。

「進。どうして此処に来た。お前の体調は未だ万全な状態じゃ無いと言うはずなのに」

 と、猪狩守は怪訝な顔をしているのは当然と言えば当然だった。

 今すぐ病院に戻れ。

 そんな言葉を目の前にいる弟に向かって言い放つのはとても至極簡単な事だった。

 だが、猪狩守は言わなかった。

 いや、言えなかったと言うのが正しいだろう。

 何せ『精神的支柱』と言うチームメイトの基礎能力を上昇させる『能力解放』を持つ小波球太率いる恋恋高校の猛攻により、打たれるはずの無い素人同然である古味刈に一発。

 渾身の『ライジング・ショット』で迎い投げて抑えられるつもりでいたチャンスに滅法強い『勝負師』の『能力解放』を持つ星に一発、計二本の被本塁打を浴びて七失点してしまった左腕にとって、自分自身の本調子をマックスに引き出せるのは紛れもなくただ一人、実の弟の猪狩進しか居ないからだからだ。

 猪狩守にとって今日の試合は猪狩進の為に優勝旗を持って帰ると約束をし挑んだ決勝戦だった。

 しかし、猪狩進を頼らなければ恋恋高校から勝利を奪えないと言う複雑な感情が猪狩守の中で渦巻く様にモヤモヤとしていた。

 それでも——、

「それは簡単な事だよ。兄さん」

 兄の心配を他所に。

 弟の猪狩進はいとも容易く言う。

「兄さんと一緒に甲子園に行きたいからだよ」

 誰よりも一緒に過ごし、誰よりも長くバッテリーを組んだ、誰よりも心強いたった一人しか存在しない相棒を見て、猪狩は笑った。

「進……、お前。ああ、そうだな。一緒に行こう甲子園へ、そして小波を倒して僕たちが全国の頂点に立つ!!」

 

 

 

 

「随分と厄介な……相手が出てきたもんだ」

「あん? 厄介な相手だと? テメェ、それは誰の事を指して言ってんだ?」

 はぁはぁ、と息が上がっている。

 言葉に間を置いて。

 恋恋高校のベンチで、フェイスタオルで流れる汗を拭き取りながら小波球太が力ない声で言う。

「……」

 小波はチラッと、早川あおいを見る。

「おい、小波!! 誰の事を言ってんだって聞いてんだよ!!」

「……進の事だよ。アイツがキャッチャーマスクを被った以上、猪狩は隙を見せないピッチングをして来る筈だ……」

「ああ、あの猪狩守の弟か。二年前のパワフル高校とあかつきの試合観戦した時にチラッと見た事しかなかったが、弟の実力は噂には聞いてるぜ。へっ!! 今から第二ラウンド開始って訳かよ。上等じゃねェかァ!! やってやるぜェ!!」

 掌に拳を当ててニヤリと星がギラっと八重歯を光らせる。

 気合注入、と言ったところか。

 先程のホームランでテンションは上限を超えて上機嫌の様だ。

「つーかよ。さっき猪狩の野郎からホームランを打っただろ? そん時、余りにもテンションが上がりすぎて何処までボールが飛んだのかハッキリと覚えてねェんだけど、誰か知らねェか?」

 と、星はチェストプロテクターやレガースを纏いながら周りに問う。

「それならボク見てたよ。レフトスタンドの中間辺りだったかな? ボク達と同い年位の女の子がグローブでキャッチしたよ。確か制服のデザインからして恐らく『聖ジャス——、」

 ピクッ。

 早川あおいの『同い年位の女の子』と言う言葉を聞いた星は流石に反応せざるを得なかった。

「おいおいおいッ!! それは本当かッ!? おいおいおい、誰だよ!! 俺のホームランボールを取ってくれちゃった愛しのラッキーガールちゃんはよッ!! まさか、これきっかけに俺たちは『運命の出会い(・・・・・・)』とか果たしちゃうんじゃねェだろうな!! 硬式球の赤い糸みたいにギュゥゥゥっと結ばれるかもしれねェな!! いやいや、困っちまうぜェ!!」

 と、星はキャッチャー防具を付け終えると意気揚々と早くベンチの外を飛び出してレフトスタンドに向かって大きく大きく手を振った。

「おぉぉぉぉい!! 俺ですよ!! 貴女の心に向けてホームランを打ったのは、この漢・星雄大ですッ!!!!」

 打った本人が大声を上げて手を振ると言う事はだ。

 もしかしたら、ホームランボールを取ってくれた『女の子』はリアクションを返してくれる筈。

 淡い期待を胸に、高鳴る胸の鼓動を抑え、有頂天を迎えた星は腕を目一杯振る。

 目一杯振る……。が、その腕は空高く上げたままピタリと瞬時に止まった。

 輝かしい笑顔から一転して、その表情はどん底へ胸に悲しみの感じが満ち満ちていた。

 レフトスタンドでホームランボールをキャッチした『女の子』は星に向かって手を振っている。

 その女の子、は。

 フワッと風が吹き、

 フワリと緩やかなに靡く、ブラウン色の髪。

 何処か見覚えがあった。

 中学の同級生で今もチームメイトのトレードマークでもある『瓶底眼鏡』が日差しに反射してキラッと輝かせていた。

 矢部明雄に瓜二つの女の子。

 聖ジャスミン学園の矢部田亜希子だった。

「おい……。早川。そいつがまさか矢部に似たあの『矢部田亜希子(あのメガネ女)』なんかじゃねェよな。頼むからそうじゃないと言ってくれェェェェェェェェェェェェ!! なんでだよぉぉぉぉぉ!! 嫌だよぉぉぉぉ!! なんでよりによって『アイツ』なんだァァァァァァッ!! 違うと言ってくれェ!!」

「そうだよ」

 と、早川あおいは星にとっては無慈悲のたった四文字の言葉を即答で返した。

「——な、にッ!?!?!?」

「だって別に良いじゃない。試合前に矢部くんが言ったでしょ? 聖ジャスミン学園の矢部田さんって星くんの彼女だ、って」

「テメェ、早川ッ!! ふざけんなよッ!! 断じて違ェよ!! あんな『メガネ女』なんぞ彼女でもなんでもねェッ!! うげェ……、これは予想以上に最悪な出来事だぜ」

 数秒前の有頂天が一転して、落胆へと変わる。

 ガックリと雷に打たれたように項垂れる。

「……ったく、バカな事やってないでさっさと行くぞ星……」

「痛ェ!! 小波、テメェな!!」

 バシィッ!!

 グローブで星の頭を軽く押し当てて小波はささっとマウンドの方へと進み歩いて行く。

 それを後ろから星が「絶対違ェからな!! 勘違いなんかすんなよ!!」などとあーだこーだと弁解と文句を交互に喚き散らしながら小波に付いて行くのを早川あおいはジッと見つめていた。

 ジッと覚束ない足取りの右腕の背中を見つめ、

 ギュッと祈る様に手を重ねて、

「頑張れ、球太くん」

 と、早川あおいはポツリと呟く。

「……」

 しかし。

 その横で、二年生である椎名繋は黙ったまま早川の丁度後ろに立っていた。

 左手にはキャッチャーミットを嵌め。

 身体にはプロテクターを纏い。

 何か言いたげな。

 何処か切ない表情で。

 そして、

「あの……。早川先輩」

 と、椎名繋は口を開いた。

 

 

 

 

 五回の裏。

 二点差を追いかけるあかつき大附属の攻撃は、八番打者の天秤から打席が始まる。

 序盤の五失点以降、あかつき打線相手に安打を許していない小波球太だが——。

 これまでは、集中力を高めた『超集中』を使って右肩の爆弾が爆発した痛みを意識的に逸らして暫く痛みから耐えて来れていたが、今では『超集中』を使用してもその痛みは和らぐ事なくハッキリと身体中に痛みを感じ始めていた。

 それすなわち。

 小波球太の『超集中』の効果も薄れて来たと言う事なのだ。

 スタミナも底に着き、それでも弱音を何一つ吐かずにマウンドに上がっているのは、仲間達が一丸となり繋いで、繋いで、繋ぎ取って逆転してくれたチームメイトに甲子園の土を踏ませてやりたいと言うただその一心だけだった。

 しかし。

 崩壊へのカウントダウンはもう既に始まっていて、限界の時を迎えようとしている。

 

 

 

「はい、兄さん。どうぞ」

 あかつきベンチにて、猪狩進が猪狩守にフェイスタオルとスポーツドリンクを渡して横に座る。

「ああ、すまない」

 チームのキャプテンでありエースでもある左腕の猪狩守は、この大会で初めて疲れた表情を見せかけたが拭う汗と共にフェイスタオルで拭き取った。

 兄として、エースナンバーを背負う者として、チームのキャプテンとして、自分自身を天才である事を誇示する為に決して見せてはいけない弱音などは一切不要だ。

「あの……、兄さん」

「どうした? 進」

「小波さんの『右肩』は、どうやら壊れてしまったみたいです……」

「そうか」

 と、冷静に返事をした。

 今の猪狩進の言葉を聞いた猪狩守の表情は微動だもしなかった。

 小波の『右肩の件』は、前のイニングの時点で双菊から既に聞いていた。

 先日の猪狩進を事故から救った際に右肩を強打した際の怪我が原因なのか、それとも以前から起きていた怪我が原因なのかは別として。

 序盤の小波らしからぬピッチング、三塁打を打った後の牽制で刺されるなどの集中が欠けたらしからぬプレー、思い返せばこの試合は違和感しか無かった。

 それでも、小波が自身の右肩を壊してまでマウンドに上がり続けていると言うことは、小波はこの試合で全てを終わらせるつもりだ、と言うことを猪狩守は理解した。

「……バカめ。お前の目標はプロ野球選手じゃなかったのか。本当にこんな所で終わるつもりなのか、小波」

 ギュッと固く左手の拳を握りしめる。

 全て理解した上で猪狩守がポツリと溢した言葉は、ライバルにして親友である小波に向けての言葉だった。

 

 

 

「ストライクーーッ!!」

 痛み以外の感覚の無い右腕を振り、一球一球に全てを込めて全力投球で投げる小波球太。

 速球表示、百五十キロの『バックスピン・ジャイロ』で初球はストライクを先行する。

 続く二球目。

 『虹色の光』を身体に纏って振り抜いた『スリーフィンガー・ファストボール』で空振りを奪ってツーストライクへと追い込む。

 三球目。

 落ちる変化球、フォークボールで八番打者の天秤を空振りの三球三振に仕留めてワンナウトとなる。

 続く九番打者、蠍崎が右打席に構える。

 至近距離からトンカチで思いっきり殴られる様な目が眩んでしまう強烈な痛みが現れて視界がぼんやりと霞む。

 ポタリ、ポタリと滴る汗の量も気づけば尋常じゃない程流れていた。

 それでも構わず、小波球太はただ右腕を振るい続ける。

 蠍崎に対するその初球——。

 打ち取る球。

 無回転のストレートで微々たる揺れを発生させる『ノースピン・ファストボール』を投じた。

 

 キィン!!

 

 鈍い金属音が鳴る。蠍崎はバットを振り、無回転故に重さも兼ね備える球にバットを当てる事が出来たが、その打球にスピードは無い。

「毛利ッ!!ㅤ行ったぞォ!!」

 勢いの無い打球はサードを守る毛利の真正面に転がって行く。

 冷静に打球を上手く捌き、ファーストに送球して瞬く前にツーアウトを取った。

 そして、一番打者の羊山が左打席に入る。

 その初球。

 『虹色の光』がゆらりと光る。

 ズドンッ。と、まるでキャノン砲の様な勢いのある小波球太の『四つ目のストレート』の『ツーシーム』を投じた。

 速球表示は、百五十二キロ。

 小波球太の持つ『真・怪童』の『能力解放』によりストレートのノビがここに来てより一段と上昇していたのだ。

「——速いッ!!」

 二球目。

 小波は何かに取り憑かれたかの様に『四つ目のストレート』である『ツーシーム』を一心不乱で投じる。

 際どいインコース。羊山は思わず審判の方を振り返ってしまう程の絶妙なコースだ。

「ストライクーーッ!!」

 これでツーストライク。

 

 

「……」

 息を飲む様に小波球太のピッチングを球場内から遠目で眺めているのは、小波球太の竹馬の親友であるきらめき高校の高柳春海だった。

 しかし、どうも様子が可笑しかった。

 五点差をひっくり返し、七得点を奪って更に勢い付いた小波のピッチングに見えるのは親友の高柳春海にとっては喜ばしい事な筈だ。

 なのに、だ。

 このイニングが始まってツーアウト。今の今まで高柳春海はずっと無言のままでいる。

「春海くん? なんだか怖い顔をしてるよ?」

 と、隣に座るパワフル高校のマネージャーを務めていた栗原舞は思わず口を開いてしまう程、彼の可笑しな様子を心配していた。

 栗原舞が心配した理由は一つ。高柳春海にとって珍しいと言っても良い位に眉間に皺を寄せた強張った険しい表情をしていたからだ。

「……、どうかしたの?」

「え、あ、いや……。少しだけ、球太に関して気になってる事があるんだ」

「気になってる事?」

「うん。なんて言うか。この試合、球太はいつもの球太じゃないって感じがするんだよ」

 と、高柳春海が言う。

 だがしかし、問いかけた栗原舞は一体高柳が何を言っているのか全く分からない様子で首を傾げている。

「えっと……。それはどう言う事? 確かに初回の小波くんのピッチングは調子が悪いのかなって思ったけど、今の小波くんのピッチングを見てても普段通りに投げれているとは思うよ?」

「ううん、違うよ」

ㅤ首を横に振る。

「確かに、今日の調子は決して良くは無いよ。球太達、恋恋高校にとって厳しい試合なのは確かな事だ。でも、どうしてだろう。今日の球太に球太らしさを感じられないんだ」

 険しい表情は依然として、高柳春海は言葉を続ける。

「球太は勝ってても負けてても、どんな時でもどんな相手であっても楽しくプレーしていた。だけど、今日の球太は何処か辛そうで、心の底から楽しんで野球をしていないって思うんだ」

 そう、小波球太とはいつだってそうだった。

 『ドライブ・ドロップ』を投げる極亜久高校の悪道浩平との戦いでも、

 『フォール・バイ・アップ』を投じる球八高校の矢中智紀との戦いでも、

 リトルリーグ時代からの幼馴染であるきらめき高校の高柳春海との戦いでも、

 『ポィンティド・ショット』を投じるパワフル高校の麻生との戦いでも、

 『アンユージュアル・エクシード・ストレート』を投じる山の宮高校の太郎丸龍聖との戦いでも、どんな相手でもどんなに悪条件に追い込まれていたとしても、どんな時でも野球を楽しむプレイヤーである事を。

 そんな小波球太のプレースタイルをリトルリーグの『かっとびレッズ』時代に、セカンドの定位置から間近で眺めていたキラキラと目を輝いて楽しんでいる様な姿は今日の試合に限って小波には『らしさ』が全く感じられなかった。

 何処か辛そうで、何処か悲しそうで、それでも何かを成し遂げる為に満身創痍でマウンドに立ち続けている竹馬の友の姿は余りにも見るに耐えない程だった。

「うん。そうだね。春海くんの言う通りかもしれない。言われてみれば今日の小波くんは総じて見るとなんだか生き急いでるみたいに見える……」

 ようやく、小波の違和感に栗原舞も気づいた様子だ。

 だが、気付いた所でもうどうにもならない。

 それでも今の二人には、小波球太の右肩が壊れていると言う事も追い求めている『夢』の事も何も知る由がないのだ。

 

 

 

 一番打者の羊山は小波の『四つ目のストレート』の『ツーシーム』によって空振りの三振に抑えられ、あかつき大付属の五回裏の攻撃は瞬く間に三者凡退で終わる。

 試合は六回表へと進む。

「……っ」

 全力投球で投げ抜いた小波は、『超集中』を解除した途端に身体を引き摺る様なにベンチへと引き返し歩いていた。疲れ果てた顔と、まるで抜け殻の様な精気の無い瞳をしている。

「こ、小波さん。お疲れ様です。水分の方もキチンと取ってくださいね」

 ベンチに腰を下ろした瞬間に力なく首を前に垂れて動かなくなった小波に、マネージャーである七瀬はるかは恐る恐る近寄り七瀬特製のスポーツドリンクをコップいっぱい用意するも、

「……」

 小波の反応は無かった。

 聞こえているのか聞こえていないのか、リアクションが全く無い虚な目で何処を見つめているのかも分からない小波を誰もが心配そうにただ見つめているだけだった。

 気休めの一つや二つの簡単な言葉なんて掛けられる様な穏やかな空気では無い。

 もうこのまま病院の方に連れて行った方がマシなのでは無いか、と言うそんな深刻な状態だ。

「……ったく。小波の野郎もこんな様子だって言うのに、こう時に心配して誰よりもいち早く駆け寄って来るであろう早川の姿が何処にも見当たらねェけどよォ。アイツは今一体、何処で何をしてんだ?」

 と、星が早川あおいの姿を探してグルリと辺りを見渡しながら言う。

「その早川さんなら椎名くんと一緒にブルペンに向かったわよ。今頃は肩を作ってる頃でしょうけどね」

 と、言葉を返してきたのは恋恋高校の監督を務める加藤理香からだった。

「えっ、肩を作ってる……? 早川が?」

「ええ、椎名くんが前のイニングの攻守交代の僅かな間で小波くんから頼まれたみたいなの。早川さんに肩を作らせる様に、ってね」

 加藤理香は、コツコツとヒールの音を鳴らして項垂れてピクリとも動かない小波球太の直ぐ横まで脚を進めた。

 保険医である加藤理香の目から見ても今の小波球太は限界を迎えていた。

「とっくに限界を迎えている重症人だと言うのに良くここまで随分と無茶してくれたものよ。立つ事だって間々ならない筈なのに、マウンドに上がって投げているのが不思議なくらいだわ」

「早川が肩の準備してるって言うなら、小波はもう此処で終わりって事かよ!! 加藤先生!!」

 星が思わず叫ぶ。

「いいえ、彼の最後の我が儘でね。次の猪狩くんとの勝負で猪狩くんを抑えるまではマウンドに立たせてくれ、とお願いされたから最後までそうさせるわ」

 どうせ止めた所で言う事なんて聞かないし無駄だろうからと、加藤理香は言葉を付け足し呆れながら言う。

「つー事は、小波の野郎はこのまま順調に行けば七回裏の猪狩との勝負が最後になっちまうのか。二点差付けてるとは言え……、猪狩進も出てきたとなるとこれ以上点を取るのは厳しい状況だな」

「大丈夫でやんす。きっと、あおいちゃんが抑えてくれる筈でやんすよ!!」

「ああ、俺だってそう願いてェ所だけど。早川のピッチングがあかつき打線相手に何処まで通用するか……、正直言っちうとよォ。不安って事しか頭に浮かばねェよ」

 チッ、と舌打ちを鳴らす星。

 早川が何処まで通用するかなんて、最初から分かりきっている事なのかもしれない。

 小波が降板したとして、その後続の早川あおいのピッチングでは抑えられるのは厳しいと。

 小波球太みたいに百五十キロを超える『四つ目のストレート』を持っている訳でもなく、多種多様の変化球を投げられる訳でも無い。

 それに早川あおいのストレートのマックスの速球は凡そ百三十三キロ。それでいて女性であり、ピッチングフォームはアンダースロー、変化球はカーブと高速シンカーを磨き上げて取得したオリジナル変化球の『マリンボール』のみ、小波と早川の二人を比べたらどちらが甲子園常連チームと投げ渡り合えるのかなんて明白な事だった。

 ましてや猪狩守は、この先も調子を更に上げて立ちはだかって来る。あかつき大附属の控えの選手層の厚さでさえ恋恋高校を一回り以上も上回っているのは言わずもかなだ。

 そうするとあかつき相手に勝つ為には保険を掛けても二点では足りない。

ㅤそれと同時に、これ以上点を取れる気もしない。

 ギリギリ。

 と、星は歯を食いしばり拳を強く握りしめていた。

 どうした良いのか。

 どうすればするべきなのか。

 自分の無力さを改めて痛感した。

 

「……、連れてってくれんだろ?」

 

 ボソッと呟いた、か細い声。

 その声は、疲れ果てて項垂れている小波球太から聞こえた。

「小波?」

「……。俺がマウンドを降りたとしても、お前達が俺を甲子園に連れてってくれんだろ? だったら心配なんか一つもねえだろ。俺は、お前達を信じてる。だから早川の事だって信じてやろうぜ。アイツは……俺達の……、この恋恋高校の『エース(・・・)』なんだから、よ」

 ニヤリ。痛みを堪えながらバレバレな作り笑いを浮かべた小波球太が言った。

「……任せろよ。……猪狩は絶対に俺が抑えてやる。俺の残り全てを……出し切ってでもあかつきを抑えて……やるさ」

 右肩から全身に向けて痛みが暴れ狂う様に広がっているのにも関わらず、その痛みを顔を顰めなくてはならない程深いのに、小波球太は立ち上がって星の元へとゆっくりと身体を引き摺る。

 一歩、一歩。

 重たい足取りで。

 いつもの様に呑気で余裕のある不敵な笑みを零している小波では無く。

 息が上がって、誰がどう見てもボロボロで、笑う事すら出来ない小波の姿だった。

 見ていられない。見ていたら涙が溢れて来そうな、いつもの小波球太らしくない姿に星は直視する事が出来ずに目を逸らしてしまう。

「こ、小波……。テメェ……」

「……、甲子園はもう目の前なんだぜ。最後の最後まで諦めるなよな。お前と矢部くんは甲子園に行って『モテモテライフ』を過ごすんだろ?」

「お、おおう。そりゃ、そうだ」

 微妙な反応が返ってくる。

 今の星にとって、『モテモテライフ』なんて正直どうでも良いと思っていた。

 今、正に叶えたい夢は。

 このチーム全員で甲子園に行くこと。

 ただそれだけだ。

 その思いは恋恋高校メンバー全員が同じ気持ちだった。

「……此処まで来たんだ。諦めてたまるかよ」

 

 

 シュルルルルルル。

 バシッ。

 

 地方球場の屋内ブルペンにて。

 早川あおいが身体を沈めるアンダースローで右腕を撓る鞭の様に、腕を振り抜く。

 ボールに特殊な摩擦を発生させる事で、まるで水切りの様に滑らかに落ちる高速シンカーをベースに完成させた『マリンボール』が、椎名繋のキャッチャーミットがブルペン内に小さな音を立てて響いた。

 つい先週の雨天の中で行われた球八高校との試合で風邪を引いて一週間のドクターストップが掛かっていた早川あおいのピッチングの調子はお世辞抜きにしても普通に程遠い不調だと、ミット越しから椎名繋は感じ取っていた。

 だが、球を何球かボールを受けていて、早川あおいが投げ込むボールに気迫の篭った熱い「想い」は、ボールを伝って掴む左手にひしひしと流れ込んで来る。

 

 

 椎名繋は最初は戸惑っていた。

 それは五回表の恋恋高校の攻撃が終わり、裏の守備に着こうと準備をしていた時の事だった。

「——猪狩は隙を見せないピッチングをして来る筈だ……」

 と、小波球太と星雄大が会話をしていた。

 パチッと、掌に拳を強く当て八重歯をギラリと光らせて気合を入れる星から身体を遠ざけて、小波が脚を進めて向かった先は椎名の方へだった。

 一体何事かと、椎名は首を傾げて小波の言葉を待つ。

「……。椎名、頼みがある。このイニングから早川の肩を作ってくれ」

「えっ、あ……」

 突然の小波の言葉に、思わず椎名は焦る。

「ちょっと、小波くん。それはどう言う意味なのかしら?」

 二人の会話に耳を側立てていたのだろう。ベンチの奥の隅っこの日陰になっている場所で座っていた加藤理香が口を出した。

「……、見ての通りですよ。身体もスタミナも限界に近づいてます。正直言って『超集中』も効果が無いんです。だから、後のことは早川に全てを託そうと思います」

 でも、と小波は言葉を付け足して。

「……これは俺の最後の我が儘です。次の猪狩との勝負までは投げさせて下さい」

 と、深々と頭を下げた。

 加藤理香も椎名もその場で思わず固まってしまう程だ。

 これだけは譲れないと言う小波から発せられる空気に二人は何も言う事が出来なかった。

 そして。

 二秒ほど。

 間を置いて。

 はぁー、と。加藤理香は遂に観念したのか。

 一つ重たい溜息を漏らした。

「分かったわ。ようやく自分の引き際を理解出来る様になってくれたみたいね。遅すぎるにも程がある位よ」

 加藤理香は、四年前の右肘の故障をダイジョーブ博士の手によって完治して貰った代償として右肩に爆弾を付けられていた事を知り、小波球太のプロ野球選手と言う幼い頃から描いていた『夢』を諦めて、恋恋高校を甲子園に連れて行くと言う新しい『夢』を叶えようとしている事も知っていた。

 唯一、小波球太を止める事が出来た筈。

 それでも、小波本人を止める事ができなかったのは恐らく自分もダイジョーブ博士と同じスポーツ医学に深く携わっていたからなのだろう。

 正直、興味が湧いてしまったのだ。

 小波球太と言う人間がどれ程の力を秘めているのか。

 結果。それが仇となり、今に至っている。

 加藤理香は自分に対してなのか、小波に対してなのか定かでは無いが困った顔のまま愛想笑いを浮かべていた。

 だが。

 対する椎名の方は、弱々しい面持ちで小波を見つめている。

 椎名は気付いた。

 怪我を負いながらこの試合で右肩の爆弾の事を隠し通して、たった一人で投げ抜いたチームのキャプテンである小波球太がマウンドを降りると言うことは、もう二度と同じグラウンドで野球をする事は出来ないと言う意味でもあることを。

 小波の怪我の具合からして、即入院は間違いないだろう。

 この試合であかつき大附属に勝って甲子園に行けたとしても、ベンチ入りは勿論、甲子園の球場にすら共に行くことも出来ないのだ。

 涙を浮かべた星が小波の胸ぐらを掴んで『否が応でも連れて行く』とぶち撒けるかのような叫び声を上げて、『一緒に甲子園に行こう』と小波球太が言葉を返したのは……、チームメイトにこれ以上余計な心配をかけさせない為なのだと。

「……、椎名。早川の事を、俺たちのエースの事を頼んだぜ」

 と、小波は言葉を残してクルッと踵を返して再びマウンドの方へと歩いて行く。

 

 

 

 

 パシィ。

 

 

 これで何度目の捕球だろうか。

 六回表の攻撃が始まっている中、ブルペンで投球練習を行なっている早川あおいと椎名繋の二人は、言葉を交わすこともなく淡々と肩作りを行っていた。

 一球、一球受けている度に早川あおいから込められる熱量は次第に増していると感じる。

 唐突に小波球太から指示を受け、最初は戸惑っていた椎名だが、今ではそんな気持ちは一切無かった。

「ナイスボールです。早川先輩」

「うん。ありがとう」

 此処でようやく二人は口を開いた。

「ねえ、椎名くん」

 と、早川あおいは右腕を振り抜く。

 パシィ、と言う捕球音の後に、

「なんですか?」

 と、椎名繋が反応する。

「どう? ボクの球。猪狩くん達、あかつき打線に通用すると思うかな?」

 当の本人は不安そうな表情を浮かべていた。

 これから投げるであろう今までにない強敵を相手にエースナンバーを背負った早川あおいには抑える自信の無いと言った様子だ。

「通用——」

 通用しない。

 と、本来なら言っていただろう。

 だが、椎名繋が出した言葉は全く真逆の言葉だった。

「通用すると思います。今日の早川先輩のボールは何処の強敵相手にだって通用する強い想いの篭ったボールだと自分は思います」

「強い「想い」か……。そっか。ありがとね、椎名くん」

 それに対してニコッと笑う。

 果たして早川あおいは知っているのだろうか。椎名が気づいたように、小波がマウンドを降りたらもう二度と念願の甲子園に行けたとしても一緒に野球が出来なくなる事を。

「あのね。椎名くん。ボクね、球太くんの事が好きなんだ」

 唐突に。右手に握るボールを見つめながら今もマウンドで右腕を振るっている黒髪の癖毛頭の小波球太の事を思い出しながら早川あおいが言う。

「ふふ。早川先輩には悪いですけど、そんなの今更ですか? 小波先輩に想いを寄せている事なんて随分前から知ってましたけど」

「あははは、やっぱり? でも、球太くんにはこれまで随分と助けられちゃったなぁ」

 出会って早々。

 野球部同好会に参加してから直ぐに、幼馴染で当時は一年生ながらソフトボール部のキャプテンを務める高木幸子と部の存続を掛けた勝負があった。

 高木幸子との一打席勝負に臨む事になり、声も出せずに唇をわなわなと震わせていた早川を後押ししたのは小波だった。

 それだけじゃ無い。

 忘れもしない。それは去年の夏。

 初めての公式戦で女性選手出場問題によって試合を棄権し、部の人間には誰一人知らせずにたった一人で早川あおいの為に署名活動をしてくれた。

 結果的に、早川あおいは高野連に認められてこうしてユニフォームに袖を通して居られる。

 振り返れば本日に至るまで数えきれないくらい思い出のある出来事があった。

 でも、一番忘れられないのがある。

 早川あおいに根本的に根付いてる言葉が。

 ずっと、ずっと昔。

 少年が少女に言った言葉。

 『あの日のあの試合』、『あの言葉』があったからこそ今日というこの日まで、チームメイトに女性という色眼鏡で見られ続けようとも、挙げ句の果てに親友と仲違いをする事になり野球から目を逸らしてしまい挫折してしまった事もあったけれど、やはり野球が好きだと言う気持ちに嘘は無かった事を自覚して苦難の道を乗り越えて来れたのは早川あおいが胸の奥に大事に閉まっている幼い頃の思い出があったからだ。

「……いい加減、借りを返さないと罰が当たっちゃうよね」

 独り言を呟いて、ボールを強く握り締める。

「だって、ボクはこの恋恋高校のエースの早川あおいなんだもん」

 青い色の瞳は、いつも以上に闘志を燃やし。

 堂々たる背番号「1」をつけた早川あおいの姿がそこにはあった。

「はい。頼りにしてますよ、早川先輩」

 と、心配も焦りも消えた。

 穏やかでクスッと笑みを溢す椎名繋。

(小波先輩。早川先輩は大丈夫です。信じましょう。恋恋高校のエースを)

 

 

 

 

 

「わああああああああああーーっ!!」

 早川あおい達がブルペンで肩を作っていた頃、地方球場は騒めきに包まれていた。

 試合は、六回の表の恋恋高校の攻撃は猪狩兄弟バッテリーによって三者連続三振で無得点に終わり六回の裏のあかつき大附属の攻撃が始まっていた。

 何故、騒めきに包まれていたのかと言うと。

 先頭打者、二番の牛澤との勝負。

 ボールカウントはワンストライク・ツーボール。

 対する三球目。

 『ノースピン・ファストボール』で打ち取りに行った小波と星のバッテリー。

 キィン!!

 それを打ち返した打球は点々と小波の目の前に転がったのだ。

 勢いの殺された打球。

「……任せろ」

 と、小波が周りに呼びかける。

 グローブで丁寧に捕球して、ファーストに送球して、まずはワンナウト。

 と、視線を向けていた誰もが平凡なピッチャーゴロだと思っていた。

 

 

 

 

 ——、だが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 遂にその時が訪れてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 目の前がぐらりと大きく揺れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——ッ!!」

 激しい頭痛と身体中に走る痛烈な感覚が襲う。

 小波は苦悶の表情を浮かべるが、それでも掴んだボールをファーストに投げなければならない。

 目に映る景色が転がると同時に、再び激痛が走る。

 思わず痛みに耐え切れず目を閉じた時に、既に小波の身体は傾斜し、目を開いた時には両の膝がグラウンドに着いていた。

「おい!! 小波ィ!!」

 星がキャッチャーマスクを外し、球審にタイムを告げて小波の元へと駆け寄る。

 星の表情は青ざめていた。

「小波!! 大丈夫か!!」

「小波先輩!!」

 すると、海野、毛利、赤坂、京町も駆け出した。全員が憂色を浮かべている。

「……わ、悪い。身体を滑らせちまった」

 駆け寄ってきた五人に小波は心配をかけまいと平気ぶるが。内心ではとても苦しんでいて、またその苦しみは全て一つとして残らずに耐えようとしている表情に出ていた。

「星先輩!! 小波先輩の身体はもう限界なんじゃないッスか!! もう代えるべきッス!! これ以上苦しんでる小波先輩なんか俺は見なくはねぇッスよ!!」

 と、赤坂紡は星を見て叫ぶ。

 その目には薄ら光るものを浮かべていた。

 赤坂だけではない。毛利だって、海野だって同じだった。星だってもう分かっていた。

 ボロボロに疲弊している小波の成り立ち、今の小波のプレーを見て小波はもう限界なのだと言う事を。

 それでも歯を食いしばって、

「小波、まだ試合は終わってねェぞ!!」

「はぁ……はぁ……」

 星が口を開いた。

「こんな中途半端な所でギブアップするって言うならそれでも構わねェ。別に止めはしねェよ。早川に託すのだって、そりゃテメェの自由だ。でもなァ、小波。テメェはまだ猪狩の野郎を抑えてねェ。まさか全て出し切ると言ってた結果がコレとか言うんじゃねェだろうなァ?」

「……まさか。そんな……訳ないだろ」

「だったらさっさと立ちやがれよ!! テメェが早川を『エース』と呼ぶ様に、お前は俺達にとってたった一人しか居ねェ『キャプテン』なんだからよォ!! そんな俺たちのキャプテンが地べたに倒れてもらっちゃ困るんだよ!!」

 と、スッと星は膝を着く小波の肩に手を掛けてゆっくりと持ち上げる。

「……星。お前……」

「ったく、パッと出の雑魚キャラ相手で倒れてんじゃねェよ。テメェは猪狩を抑えるまで投げるんだろ? だったら最後までやり遂げてからマウンドを降りやがれってんだ。それにテメェは一人なんかじゃねェだろ?」

 と、星は後ろを振り向きながら言う。

「ああ、そうだ。小波、バックには頼り無いかもしれなれないが俺たちがいるぜ」

 と、海野が言う。それに賛同するように京町と赤坂と毛利がコクリと頷いた。

「小波くーん!! オイラ達がどんな打球が来ても死んでも必ず取るでやんす!!」

 と、センターを守る矢部が大声を上げてこちらに向かって手を振る。

「小波さん!!」

「小波!!」

「小波先輩!!」

 と、グラウンドからベンチから恋恋高校のナイン達がそれぞれ小波を支える声を飛ばす。

「まァ、知っての通りバカな連中ばっかりの奴らだけどな」

 ニカっと八重歯を光らせて星は笑った。

「……、ああ、そうだな」

 小波も応えるように笑う。

ㅤならば、その期待に応えなければならない。

 

 

 

 

 恋恋高校のキャプテンとして、

 まだやるべき事が残っている。




次回更新は9月16日の20:00です。
また70話(投稿日未定)を持ちまして小波球太の物語は最終回を迎えます。
残りわずかとなりますがよろしくお願いします。
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