――母さんが男を気絶させてからは、あとはあっという間だった。
すぐに警察と転々寺さん率いるサイドキックの面々が集まった。女の子はすぐにサイドキックの人たちに保護されて、名前と彼女が覚えていた住所を頼りに親御さんに会わせるのと、落ち着かせる為に別の場所に移された。
犯人は警察が来るまでサイドキック達が捕縛、監視し、警察が来た時点ですぐに彼らに委ねられるように準備している状態だ。幸い昼間の工場地帯であるという状況が幸いしたのか、人員整理にはそれほど人数を割いていないようだった。
そして俺は、まだ現場にいた。
犯人がちゃんと警察に連行される姿を見たかったというのも無きにしも非ずだが、ここで待っているのは母さんの指示があったからだ。
『振武、ここで待っていなさい。
……100%お説教だ。
治癒系の個性を持っているサイドキックの人に治療してもらった腕には包帯を巻いてもらって、俺は邪魔にならないようにと自己嫌悪により、隅で小さくなりながら母さんがやってくるのを待つ。
今回は、完全に俺が悪い。
説教されても、怒りで手を挙げられても仕方がない。危険なことをしたのは間違いないのだ。
だから、その事に対して不安も何も持っていない。
ただただ、情けなくて、悔しかった。
何かをしようと思って、結局問題を悪化させた俺自身が情けなくて。
何かをしようと思って、結局何も出来なかった状況が悔しかった。
「……振武」
聞こえてきた母さんの静かな声に、体が震えた。
正直さっきの戦闘を見てからお説教は怖いが、必死で耐える。
「……隣、座るわね?」
「うん……」
母さんの言葉に小さく頷きながら返事をすると、母さんはマスクを外しながら俺の隣に座った。
……沈黙が支配する。誰か空間を無音にする個性を使っている人がいるんだろうかと思うくらい静かだ。いや、そんな個性があるのか知らないけど。
「……母さん、ごめんなさい。
俺が余計な事しなければ、無駄に母さんの手間をかけさせただけで……」
「……そうね。否定出来ないわ。
追いかける気持ちは分かる。けど、振武はヒーローじゃない。ただの一般人よ。そんな人間が犯人を尾行して、居場所を特定するなんて、普通ならしないわ」
「うん……」
母さんの言葉が正論なだけに、何も言い返せずさらに気持ちが落ち込む。
やっぱり、ちょっと調子に乗り過ぎていた。前世ではなかった個性という能力を得て、他の5歳とは違って前世の経験がある分、状況判断が出来ていなかった。
(……こんなんでヒーローになろうなんて、笑わせる)
もっと現実的に物事を見て希望的観測を排除するような思考が出来なければ、とてもヒーローなんて、
「……でも、あなたの行動は、ある意味では間違いじゃなかったのよ?」
頭に、優しい暖かさが広がる。
驚いて顔を上げると、そこには母さんの優しい笑顔があった。
たまにしか見れないその笑顔は、俺が大好きなものであると同時に、母さんの本当の姿なんだと思う。表面上は冷静で、冷たく見えるかもしれないけど、心の中は優しさで満ちているような人だから。
「振武のおかげで、あの女の子が悲しんだり、怖い思いをし過ぎなくて済んだ。
振武が相手を動揺させてくれたからこそ、私が突入した時に犯人が冷静にいられずに、あれだけ簡単に捕まえる事が出来た。
その事は、誇って良いのよ? 確かに短慮だった点は多いけど、貴方はよく頑張った」
優しく、優しく。1回撫でるごとに感じる慈愛に、誇らしさと気恥ずかしさを感じて思わず目を細めてしまう。
あぁ、本当に参る。さっきまで罪悪感でいっぱいだったのに、こんな事で慰められてしまうなんて。案外精神が身体に引っ張られているのかもしれない。
「……まぁ、勿論。結局危ない事をした事は確かだし。
家に帰ったら、私より多分壊くんが怒るわよ、泣きながら」
「ぐっ……」
ありそうだ。
あの人に泣きながら説教されたら、罪悪感と情けなさで3日は何もする気になれないだろうなぁ、流石にそれは困る。まぁ、俺がやった行動のツケなんだし、しょうがないって言い方はちょっとアレだけど……しょうがないな。
「さて、そろそろ警察と救急車が来るわ。犯人を警察に引き渡したら、そのまま一緒に付き添うから、病院に行きましょう……よく頑張ったわね」
母さんは俺の肩を抱いて立ち上がらせると、俺の傷付いた手を恐る恐るといった感じで撫でてくれる。
「……傷跡、つきそうね
でも、これは貴方があの子を守った証よ」
「守った、証……」
包帯に包まれた右手を見ながら、同じ言葉を呟く。
そう言われれば、〝間抜けな失敗の証明〟だったそれが、母さんの言った通り〝女の子を守った証〟に見えてくる。俺単純すぎるよな、と思う同時に、どこか嬉しさを感じる。
……あの瞬間。一瞬だがちゃんと個性を使えた。いつものように使っていたら、あのガラス片の集合体を弾き返す事は出来なかっただろう。
そのおかげで、手の甲が傷だらけになって、骨もいくつもヒビが入った。熱のせいで、筋繊維そのものに火傷を追うという稀有な状況にもなっていると、治癒をかけたサイドキックの人に言われた。
『あとちょっとでも重症だったら、俺の個性でも治せなかったよ。俺の個性は、深過ぎると最初から治せないしね』
……それだけ聞くと、だいぶ洒落になっていない状況だったみたいだ。かといってこれから個性を使用する際にどうすれば良いんだろう。
「振武を治してくれた子が言っていたけど、貴方の体質は変わってるそうよ。今回は初めて個性を使ったから怪我をしたけど、慣れていけば耐えられるようになっていくそうよ。
勿論ちゃんと鍛錬したらだし、ある程度はデメリットもあるそうだけど」
「そう、なんだ」
それなら、訓練次第でもっと出力を上げる事が出来るかもしれない。きっとあんな事にはならない。母さんが来る前に、もっと多くの事が出来たかもしれない。
「ねぇ、母さん。俺ずっと言えない事があったんだ」
祖父に修行をつけて欲しいと言った時も言わなかった事を、俺は母さんに言おうと真っ直ぐ母さんの目を見た。
「母さん、俺母さんみたいなヒーローになる。
もう後悔したくない。自分の手の届く場所の人達を守りたい」
俺の言葉に、母さんは何も言わない。
ただ真っ直ぐと俺の目を見た。『それで本当に良いの?』とでも言うように。良くないわけない。俺はもう、何も諦めたくはない。
自分の夢も。守る事も。何もかも。
俺の大切な人達も、そこに繋がった世界も。俺が今出来る以上の事をしたいし、守る事が出来る以上のものを守りたい。
行けるところまで、行く。
それが今の俺の、夢だった。
夢は叶えなければ、叶えるようにしなければ、何の意味もない。常に前に進めば、きっと何か見えてくるものがある。
俺は、それが見たかった。
「……そっか。なら頑張らないとね。お母さん、協力するから、一緒に頑張ろう」
「っ――うんっ!!」
優しく差し出された手を、俺は握ろうと――。
ドンッ
鈍い音とともに、目の前が真っ赤に染まった。
「えっ」
「――カハッ」
一瞬何が起きたか理解出来なかったし、頭はいつまでも回らない。
母さんの腹から、大きな棘のように変化したガラス片の集合体と、
血と腹から血を大量に出す母さんと、
「ゲヒ、ゲヒヒヒヒヒヒヒ!!
やってやった、やってやったぞ!!」
狂ったように笑う、犯人の男の顔だった。
「ひひっ、やった! そうだ、そんなヒーロー俺にかかればイチコロなんだよぉ!!」
先ほどまで拘束されていた男は平然と立っていた。
見れば、入り口だった所には監視をしていたサイドキックの人達が倒れていた。拘束を解き、サイドキックを倒し、
母さんを、刺した。
「――か、母さんっ! 母さん!」
頭の中は今も『どうして?』と『母さんが怪我をした』という衝撃でいっぱいで動かない状態なのに、体は勝手に動いた。駆け寄って、傷口を手で押さえる。だがどんどん血が溢れてきて、俺の小さな手では止める事ができない。
赤い。スーツも何もかも、赤く染まっていく。
「俺は絶対にやられない。幸せな奴らになんかやられない!
俺らを助けてくれなかったヒーローが、誰かを助ける事なんかできねぇ!!
ヒーローなんて、所詮誰も助けられねぇ目立ちたがりのクズ共に決まってんだ!!!」
男は母さんを刺したガラス片の集合体を持って、高笑いをし、
「それにぃ!!
――俺は絶対捕まらない! 俺は他の奴らと違って、悪じゃないからだ」
ゾブリッ
まるでさも当然かのように、男はあっさりと、自分の首にそれを突き刺した。
「ガフッ――お゛れ゛はぁ、ぜった゛い゛に、悪ぐ、な゛い゛」
男は、そのままその場に倒れこんだ。
「おい、大丈――おい、やばいぞ、ヒーリングハンズ呼んでこい! あいつなら、」
「あいつじゃあのレベルの怪我は治せねぇ! おい、救急車まだかよ!!」
「ワープワーヴさんは!?」
「あの人は女の子の方に付き添って――あぁ、ちくしょう、傷口押さえる布出来るだけかき集めろ!!」
倒れていたサイドキック達が戻ってきて一気に場は慌ただしくなり、傷口を押さえるものを探し始める者、足の速い者が今どこに救急車と警察がいるか探しに行った者、サイドキック達の動きは迅速だった。
俺は、……何も出来なかった。
ただ母さんの傷口を必死で押さえつける事と、
「母さん、母さん!!」
必死で声をかけることしか出来なかった。
「……っ、しんぶ、ごめん、ねぇ、おかあさぁん、ダメみたい。
スーツ、止血してくれてるけど、たぶん、これ、無理、だね」
母さんのスーツはそういう機能があるようで、患部を圧迫するように伸縮しているのだが、それでも血は溢れ続ける。俺の手も真っ赤になるが、手はどんどん新しく溢れ出た血で古い血が塗り潰されていく。
「何言ってるの! もう救急車が来るから、大丈夫だよ!!」
「ふ、ふふ、嘘が、へただねぇ、しんぶ、は、」
息も途切れ途切れで、本当は話すことだって出来ないほどの状況なはずなのに、母さんは俺の方を見ながら、吐いて血だらけになった口を動かし続ける。
母さんも解っている……俺も頭の奥底では解っている。
無理だ、助からない。腹部には俺の両手が入りそうなほど大きな風穴が空いている。今も血は物凄い量が出ている。今すぐに救急隊が来て助けに入ったとしても、どれだけ今の医療が発達していて、個性を活用出来る社会だったとしても。
助からない命は、助からない。
即死しなかったのが。
今意識があるのが。
今喋れているのが。
奇跡なだけだ。母さんの命は、助からない命だと、解ってしまっている。
「っ、違う、嘘じゃない!
きっと大丈夫、大丈夫だから、母さんは強いヒーローだもん、絶対に死なない! 母さんは生きるんだ、俺がヒーローになる為に手伝ってくれるんでしょ!? 母さんは絶対大丈夫だから、大丈夫、大丈夫だから!!」
それでも、俺は頭の奥にある冷静な自分を否定するように声を上げる。
母さんは、死なない!
絶対に、死なない!
すぐ助けがくる!
大丈夫!
……大丈夫なんだ……。
「振、武、お願い、聞いて。
私の、さいしょで、さいごの、しゅくだい……」
「しゅく、だい?」
傷口を押さえ付けながら母さんの顔を見ると、母さんは優しく俺の頬に手を当てる。母さんの手は血みどろだったけど、関係なく俺は自分から頬を摺り寄せる。
暖かい……むしろそれ以上に熱を持ちすぎた手は、まるで炎のようだった。
「そう、しゅくだい。
――振武、私を、超えて」
「母さんを、超える?」
「そう、母さんを、超えるの。
カハッ……私は、守れないものも多すぎた。もし、本当に振武が、ヒーローに、なるなら、絶対に、超えて」
血を吐きながら、
目が霞みながら、
それでも、俺の目を真っ直ぐ見つめて、
「plus ultra……母さんが、通ってたがっこうの、ことばよ、
私も、私の死も超えて――貴方は、なりたいものに、なって……」
――母さんの手は、そのまま力なく、血溜まりになった地面に落ちた。
「母さん…? いやだ、かあさん! いやだ、死なないでよ!! いやだ、いやだ!!!!」
――必死で声をかけても、母さんは何も返してくれない。
――血は溢れ出て、体の熱はまだ残っているのに。
――ここにはもう、母さんは、いなかった。
この世界に転生してちょうど1ヶ月。
俺が夢を抱いたその日は。
――母さんが、死んだ日になった。