真っ白な部屋。ベッドと小さな戸棚、そして椅子以外に家具はないその部屋に、2人の人間がいた。
1人は黒いストレートヘアに黒くどこかキリッとした印象を受ける美人。今はベッドにいる女性を、どこか悲しそうに見つめている。
動島覚だ。
もう1人は、ピンクの髪の毛に穏やかそうな女性。今はどこか子供っぽい笑顔を浮かべながら、少々草臥れた人形で遊んでいる。
――久虜川蒔良だ。
「ねぇ、お名前はなんて言うのかな?」
覚がそう聞くと、蒔良は人形で遊びながら答える。
「くろかわ、まくらっ。おねえちゃん、おなまえは?」
「――動島、覚」
「ほんとう!? すごい!!
わたしのお友達にも『どうじまさとり』って子がいるんだよ! つよくてかっこいい、わたしの『しんゆう』なんだ!!」
「そう、なの、それは偶然ね。
ねぇ、まくらちゃん、今お幾つかな?」
悲しみの色を濃くしながらも、泣かないように必死で笑顔を作りながら聞く
同じ答えが帰ってくるのは分かっていた。
だが、それでも何か変わるのではないか。
そう思って毎日聞きに来ても、
「3さい! でもね! あしたになれば、まくら、4さいになるんだよ!!」
――現実に起こってしまって悲劇は、何も変わらない。
結論から言おう。
久虜川蒔良は生きている。命だけは救かった。
だが、救けられたのは、命だけだった。
――あの個性、仮称『記憶喰い』という個性は、対象になった相手の体にまず種を埋め込む所から始まる。それだけならばなんて言う事もない。体に変調はないし、大きな手術も必要がない。
ただ使った人間が設定した条件をクリアすれば、その種は一瞬で芽吹く。
芽吹いて――対象になった人間の『記憶』を食べて一瞬で成長する。
どこまで記憶を失い、どこまで成長するのか。それは対象者によってそれぞれだそうだ。
だそうだ、なんて曖昧な言い方だが、精神や記憶に関わる個性の原理は未だに謎な部分も多い。今回も似たような個性を持っている人間に意見をもらって漸く推測出来ているに過ぎず、本当にそうなのかも分からない。
少なくとも久虜川蒔良――いや、彼女だけではなくウィスパーや薬の搬入に関わっていた組織の全ての人間が、それ相応に記憶を失っている。
そして久虜川蒔良の場合――「4歳の誕生日前日」まで記憶を喰われた。しかも、それ以降彼女の記憶が蓄積される事はない。
木を取り除いてもその後遺症として、記憶を留めておく事は出来ないのだ。
命は救えたが、命以外のものは全て奪われた。
もう彼女を救う事は出来ない。永遠に微笑みを浮かべ、次の日の来るはずもない誕生日を待ち続ける。まだ現実を押し付けられず、ヒーローという夢に憧れを抱き続ける。
絶望する事も、
そこから立ち直る事も、最早出来ない。
希望というぬるま湯の中で永遠に生き続ける。例え体が歳を重ね、老人になってもそれは変わらないだろう。
彼女が死ぬまで。
「――覚ちゃん」
病院の長く清潔な廊下のベンチに座っている覚に、壊が話しかける。
「事務所がさっき引き渡された……お疲れ。これで君はフリーのヒーローになったという訳だ。
逆戻りというかなんというか……まぁ、本当にお疲れ様」
そう言いながら、壊は覚の隣に座った。
センシティは、流石に何かもお咎めなしとはいかなかった。自分が責任を持っている事務所から敵を出してしまったのだ、政府から事務所の解散と1年の減給、そして半年の観察期間という罰を与えられた。
それでもまだ軽い方。本人が直接的に犯罪に加担し黙認していたわけではなく、単純に騙されたという部分を良いように取ってくれたからだ。
どちらにしろ相棒を全て失ってしまった事務所を維持し続ける事も出来なかったし。
「そう、ありがとう……ごめんね、貴方には関係ないのに、余計な事頼んじゃって」
「関係なくはないし、それにこれくらいは気にしないさ。
……で? これからどうするつもりだい? 君が親友を心配しているのは分かっているが、毎日ここに通い詰める事は無理だろう?」
ここ一週間ほど、毎日覚は病院に通っていた。
自分と話す事によって、何か蒔良の記憶が蘇るのではないかと。
だが、無理だという事はもう分かっている。何せ相手は自分の事を親友の覚だとは認識してくれないのだから。
彼女は自身を3歳だと思っている。そして彼女の中の覚は同い年なのだ。
それが目の前の大人の女性が覚だと認識する事が出来る筈もない。親友と同じ名前の知らないお姉さんとしか認識して貰えない。
これは、不毛だ。
「分かってる――私は、あの子にあんな事をした人間を探さなければいけない。」
『あぁ、先生――流石です』
あの記憶喰いの個性が発動する瞬間、蒔良はそう言った。今まで多くの時間を一緒にした中で、彼女が先生と呼ぶ人間は多くいた。
しかしあの蒔良が先生と尊敬の念を込めて言うような恩師に出会ったと言う話は一度も聞かされていない。あのタイミングで呼びたいと思うほどの人間は。
それならば答えは簡単、――恐らく、蒔良を裏社会に誘い込んだ人間の事なんだと思う。
「調査はもう進んでいるんでしょう?」
「……まぁ、進んでいると言うか、進んでいないというか」
エヴォリミットの元締めだったはずの組織の中に、薬を作れるような施設を持つアジトも無ければ研究者すらいなかった。
センシティ事務所から、月に何度も架空口座やダミー会社への入金。
黒い部分はいくらでも出てくる。だが、その先が追えない。
まるで五里霧中というか、まるで「ここから先は見る資格がない」と誰かに言われているように唐突に繋がりが見えなくなってくる。
「その先生とやらは僕や久虜川を超える頭脳派だなぁ。普通は違和感を繋げていけば必然的に金の流れや繋がりが見つかってくるんだけど、ちょっと調べると何も分からなくなる。
道的には間違っていないはずだったのに、道が途中で途切れるんだ。追いようがない」
「……見つけるのは、無理って話?」
覚の言葉に、壊は不敵な笑みを浮かべる。
「ハッ、僕を誰だと思っているんだい?
直ぐに見つけるさ。ちょっとした大仕事にはなるだろうけどね」
先生という男の正体。エヴォリミットの発生源。
どちらにしろ一度関わった仕事ならば最後まで全うするのが仕事だ。
「なら、何か分かったら教えて。私も明日から復帰するから。
何が何でも犯人を「覚ちゃん」……なに? というか今気付いたんだけど、私アンタにそんな親しく呼ばれる程仲良くなかったはずだけど?」
立ち上がりかけて掴まれた腕を覚は振り払う。
「それくらいは許してくれ、つい出ちゃうんだ。
……なぁ、君、いつまで我慢しているつもりだ?」
「……………………」
その言葉に、覚は何も返せない。
「いつまで自分を責めて弱音を吐かないつもりだ。泣く資格がないとでも思っているのか?
君は今ここで泣いておくべきだ。久虜川蒔良を救えなかったのは君の所為じゃないだろう?」
「……違うわ」
ポツリと溢す。
「どんなに言葉を取り繕うとも、元凶は私よ。私が蒔良を追い詰めて、私が自分の手から落としてしまったの。
笑っちゃうわよね……皆が零していく物を掬い上げようとしても、指の間から大事なものが溢れていくの」
まるで形のない水だ。
掬っても掬っても、自分の指の間から嘲笑うかのようにこぼれ落ちていく。
守りたいと思っていたものが守れない。救いたいと思っていたものが救えない。
それが自業自得なのだから笑い話にもならない。
「もう私があの子を救ける事が出来なくなったわ。だってあの子はもう救われたいと思えなくなってしまったのだもの。悲しみを受けた記憶も何もかも失ってしまったんだもの」
「……覚ちゃん」
何かを言おうとして、何度か口を開けるが、直ぐに音にならずに閉じる。
何も声をかける事は出来ない。
相手は生きている、だがもう話す事は出来ない。
決別であったならば、また元に戻る可能性はあるだろう。死であれば、まだハッキリと諦めを付ける事が出来るかもしれない。
だが手の届く所にいながらも、その手を取る事が出来ない。
それは、地獄のような状況だろう。
「――あの子に、会いたい」
もう失ってしまった親友に。
苦楽を共にし、喧嘩をしたけれど、それでも救ける事が出来たかもしれない。
世界から見れば、1人の人間の掬いきれなかったたった一粒の雫のような存在。だけど、動島覚にとっては半身にも等しい存在が、音を立てて
「あの子に、会いたいの、ねぇ、」
笑った顔も、
怒っている顔も、
哀しんでいるの顔も、
楽しんでいるの顔も、
過去という大きな微笑みに流され見る事が出来ない。
自分が救いたいと思って、大事だと思っていた久虜川蒔良にはもう会えない。
「ねぇ、会わせてよ――蒔良を返してよ、ねぇ!!」
もう何度目だろう。
哀しみの涙が自分の目から溢れ、頬を流れ落ちるのは。
自分は強い方だと思っていた。心も体も。
でも、耐えられない。
この痛みには耐えられない。
裏切られる方が、嘘を吐かれた方がまだ良かった。
敵として自分の前に立っていてくれた方が良かった。
そう思ってしまう自分が嫌だ。
「蒔良ぁ、なんで、どうして、」
自分の手の届かない所に行った親友を思い泣き続ける。
涙は止まらない。きっと泣き止んでも、心はずっと泣いているかもしれない。心の傷は、そう簡単には治らないのだから。
「覚ちゃん――」
壊は、ゆっくりと彼女を抱きしめる。
包み込むように、自分の胸で彼女の涙を拭うように。
しようと思ってした行動ではなかった。何か狙いがあってそうしているわけではなかった。
だが目の前の、自分より年の離れた子のこんな悲しい涙を、もう壊れてしまいそうな彼女を見て、居ても立っても居られなかった。
久しぶりだった。
「……ここで、終わるかい?
君はもう十分頑張ったと僕は思う。ここで止まっても、誰も怒らないよ」
静かに聞いてみる。
想像通りの答えが返ってくる事は分かっていても、それでも彼女に別の道を指し示す。
期待通りに答えてくれれば――壊は全力でそれを支えるだろう。それだけの事をしてきたし、それだけの事を背負ってきた。
もう足を踏み出す必要性はない。
傷つきに行く必要はない。
――だが彼女は、自分の手で自分の涙を拭うと、顔を上げる。
「――それは、嫌。
私は自分の言葉を嘘にする気は無い。明日も明後日も、この先ずっと――余計なものを守り続ける」
人が人である為に必要な全てを守る。
そうじゃないと、自分が蒔良に言った言葉が虚言になってしまう。
それは何があっても許せない。
他人が怒らなくても、自分が怒る。
「私は――ヒーローになる」
この誓いだけは、何が何でも守り続ける。抱き続けると断言する。
「……そっか。なら、まぁ渡りに船だ。僕も手伝うよ。先ずは先生とやらを何とかしないとね」
「……報酬出ないわよ?」
「良いさ。君より僕稼いでるし」
「なにそれ嫌味?」
「どうして君は素直に僕の言葉を受け取れないのかなぁ。
……じゃあ、これからどうする?」
壊の笑みにフンッと鼻を鳴らしながら、覚は言う。
「そうね――まずは、目の前で私を抱きしめている変態野郎を掃除する」
「――はい?」
一瞬どういう意味なのか思案している時に、
「震撃――貫鬼(弱)!!」
「ガハッ」
腹部に激しい痛みを受ける。
まるでバットで強打されたような衝撃だ。必死にお腹を押さえ、その場に座り込む。
「ひ、酷いよ覚ちゃん、超痛いよぉ」
「何言ってんの、レディに断りもなく抱きしめるとか、アンタ訴えられても文句言えないのよ? それを、か弱い女の子のパンチ1発で済ませたんだから、ありがたいと思いなさい」
「ツッコミ所が多すぎて何も言えない……」
蹲っている壊に侮蔑の目で見ていたが、すぐに覚は笑顔を浮かべる。
「あら、安いものでしょう? 可愛い女の子を抱きしめられたんだから。
ささ、そうと決まればとっとと行動開始よ!!」
足取りは軽くシッカリとしている。
先ほど泣いていた女性はもういない。今はただ、後悔も救えなかった人々も背負って前に進む。
もう彼女が歩みを止める事はないだろう。きっとどうしようもなく彼女らしく、背中をピンッと張って、前に進み続けるはずだ。
その時、触合瀬壊は、
「――ハハッ、可愛くない女」
後ろで背中を眺めていたくはない。
どうせだったら並び立ちたい。
そう思って、笑顔を浮かべた。
◇
「――先ほど確認しました。記憶は無事消去。
治る見込みはありません……彼女達から直接貴方の情報が漏れる事はないでしょう」
薄暗い実験室へ続く廊下で聞いた部下の言葉に、
「あぁ、そうかい――それは重畳」
先生と呼ばれる男――オール・フォー・ワンはアッサリとそう返した。
「使いづらい個性だと思っていたけど、こうやって使ってみると都合が良いね。自分で直接手を下さなくても良いのは楽で良い」
その言葉に、部下は少し恐怖を感じながらも頷いた。
「そうですね。
しかし、本当に良いんですか? 見込みがないとは言え万が一という事もあります。部下を使って殺してしまう方が楽では?」
精神操作系の個性は、未だ原理が分からないものも多く研究は進んでいない。彼女や他にあの個性を使われた人間が治る事はないだろう。
だが確実ではない。
もしかしたらを考えていけばそれこそ、治る可能性だってあるのだ。それならその可能性を簡単に0にしてしまえる殺害の方が楽なように部下は感じた。
それに対して、先生は小さく笑みを浮かべる。
「いやいや、必要ないさ。
折角あそこまで働いてくれたのに命を奪うのは可哀想だ――彼女が守りたかった命
慈悲だとでも思っているのだろうか。
あれでは死よりも酷い所業だというのに。
……勿論、オール・フォー・ワンには別の感情がなかったわけではない。
それは、使えるものをみすみす捨ててしまったという後悔のみである。
あの久虜川蒔良は非常に優秀だった。このまま自分への忠義心を抱いててくれれば、死柄木弔を支える役を担ってくれただろう。策略謀略という点において彼女の才能は魅力的だった。
だが、あそこまで変質してしまってはもう使い物にならない。
かと言ってなんの礼なしには可哀想だ。
だから記憶を消した。
ついでに、自分の邪魔をしてくれた動島振一郎の子供も傷つけて。
「それより、残りのエヴォリミットは処分してくれたかい?」
先生の言葉に、部下は書類を見て頷く。
「はい、
これで我々の実験は、「脳無」一択になりました」
「ああ、あっちの方が確実性があるしね、良くドクターに言っておいてくれ。
それで? 彼女の様子は?」
その言葉に、部下は少し複雑そうにする。
「……個性そのものは非常に強力になりました。正しく一騎当千です。理性も吹き飛んではいません。
ですが……些か戦闘意欲が高すぎて、模擬戦相手が危険と判断。脳無のプロトタイプを導入する事になりましたが……壊されました」
実験として作られた脳無のプロトタイプは未だに弱い。まだ完成には至っていない。
しかし至っていないとは言えその力はそれなりに強力だ。何よりこちらの命令通りに動いてくれるし、恐怖というものを基本的に感じない。そこらへんのヒーローよりもずっと強いだろう。
「意気軒昂という感じだね、良い事だよ。
ちなみに、何体やられた? 5体か? 10体か?」
「――275体です」
そう言った瞬間、ちょうど2人が歩いている目の前の壁が吹き飛ばされた。
文字通りの意味で。
まるでそこだけ爆破されたかのようにぽっかりと穴が空き、壁の残骸とともに脳みそがむき出しになっている怪人……いや、この場合改人が倒れている。
何本もの矢や槍が突き刺さった状態で。
「……訂正します。今276体目の脳無が壊されました」
「そのようだね」
苦虫を噛み潰したような顔の部下に、先生は何でもないと言った風に言う。
「――あぁ、なんだ、先生か。だったら貴方ごと吹き飛ばしても良かったかもなぁ。
久しぶりに私と直接戦ってくれるというのか?」
穴から声が聞こえたと同時に、その姿を現す。
銀髪のショートヘア、格好良さと美しさが同居する中性的な顔立ち。それがTシャツにジャージという極めてラフな格好で現れたのだから、脳無を吹き飛ばした事も相まってどこか現実味がない。
「――知念くん。強さを誇示したいのは分かるがちょっとやり過ぎだよ」
「これは失礼。いまいち出力の調整が上手くいかなくてね。
まぁ、元来私は手加減出来る質じゃないんだけど」
ゆっくりとその場でストレッチをしながら、何でもない事のように言う。
その姿に内心呆れながらも――満足そうな顔で先生は頷いた。
「うむ、薬の効果が覿面と言ったところだね。感情のコントロールも上手い。流石、武術家といったところか」
「揶揄うなよ、こんなものまだまださ。
あの動島振一郎を超えるには足りない。そろそろ私も全部会得しないといけない……今度は、柔術が良いな。良い加減武器を使うのは飽きた」
「あぁ、分かった。捕らえてこよう。
……そう言えば、君のその薬に関わる案件で動島覚という女性を見つけたよ」
先生の言葉に、ピクッと知念の眉が上がる。
「……その名前はどこかで聞いたな。動島振一郎の娘だったかな?」
「そうだよ――どうする? 君が直接出て殺しに行くかい?
どうやら活殺術しか使えないようだけど、中々に強いぞ」
先生が楽しそうな言葉に、知念は白けたように首を振る。
「今はまだだ。まだ当主にもなっていない動島を狩ってもしょうがない。
何より、活殺術はもう
エヴォリミットを使用して高まった戦闘意欲に体が疼くが、彼女にとって動島覚にはそれほど大きな価値などない。
大事なのは――動島振一郎。彼を超える強さを手に入れるところからだ。
「そうかい、そりゃあ残念――いや、そうでもないな。
私が少しちょっかいを掛けるのも、楽しそうだ」
「ハハハ、先生に目を付けられるとは、その覚とやらも付いていない」
知念の言葉に、先生は微笑むだけにとどめた。
盗み聞き、それ以外の様々な個性と人員を割いて調べた結果、動島覚は十分魅力的だ。何より、志村奈々と共に1度は自分の前に立ち塞がり、自分を殺そうとした男の、たった1人の愛娘。それに干渉するのは、少しは面白そうだ。
「ふん、別に私は一向に構わないけどね……今はこちらが先だ。
次の脳無を手配してくれないか、まだまだ出力の調整に時間がかかりそうなんだ」
そう言いながら穴から訓練場に戻る知念の背中を見て、部下が「まだやるんですか?」と言う心底嫌そうな顔をする。
それに、先生は苦笑しながら「頼んだよ」と言いながら歩き始めた。
自分の宿敵を自称する「ワン・フォー・オール」保持者。
その側にいる「動島」一族。
縁とは、切っても切れないものだ。
良いものでも、悪いものでも。
◆
『久虜川蒔良様へ。
もう貴女にこの手紙を読んで貰う事は出来なくなってしまいました……ううん、もう読んでも意味が分からないよね。
今の貴女にとっては、これは未来の親友から届いた手紙としか思えない。今の貴女にはきっと価値がないものなのだと思う。
でも、それでも言わなければいけない事がまだまだあったの。
全てを語りたいけど、それだと安っぽいし、一言で済ませられるわ。
ありがとう、蒔良。
貴女はある意味自己中で、納得いかない部分も多かった。
でも、その中のほんの少しでも私を想っていてくれたのは嬉しかったわ。
形はちょっと歪つだったけど……私を大事に、親友だと想ってくれていた。
それだけで、私は十分。私はこれからも前に進める。
……私は救えないものが多すぎた。
これからは、1つだって取り零したくはない。
だから頑張る。
貴女の想像していた、夢見ていたヒーローとは少し違う形になってしまうけれど。
それでも私は、皆を救えるヒーローになる。格好可愛いヒーローになる。そこにあり続ける。そして貴女の分まで最高にハッピーな人生送ってやるわよ。
それが貴女への意趣返し。
……それが、貴女への恩返しだと思って。
記憶をなくしても、心の何処かに残っている私の親友に誓うわ。
貴女の親友 動島覚より』
『――……聞こえるかい、センシティ』
無線に入ってきた声に、覚は即座に手紙を封筒に入れ、懐に仕舞い込む。
そこは港にあるもう使われていない倉庫群の中。迷路のようになっているその一帯を見渡せるガントリークレーンの足場に立っている。
先生と呼ばれる男の正体、居場所、どんな組織に所属しているか。
その手掛かりは相変わらず見つかっていない。
だが繋がっていないわけではない。人間は生きているだけで常に痕跡を残す。どんな形でも。か細いそれを慎重に辿っている。今はそんな状態だ。
「感度は良好……で? 何処か分かった?」
『ああ。元エヴォリミットの倉庫は、今じゃ武器の闇取引所に様変わりだ。位置情報はヘルメットの方に送っておいた。
もしかしたら、先生とやらに関わる情報がある……かもしれない』
「ブレイカーにしては随分曖昧なのね」
『勘弁してくれ、情報操作が凄いんだ。情報の確度は期待しないで』
「ちょっと、シッカリしてよ。
私一応フリーだけど、実質アンタの指揮下なんだから」
ブレイカーは情報収集を主に行い、センシティは強襲などの鉄火場を担当。
本当だったら全部1人でやりたいが、出来ない事を無理にやっても効率は上がらない。これが、今センシティに出来る最高の布陣だった。
『分かってる、全力を尽くすさ――さて、じゃあお仕事よろしく、センシティ。
終わったら、美味しいものでもご馳走するよ』
「了解――この前みたいな高級料理店連れてったらシバくから。ああいう所は、居心地が悪いのよ」
無線をオフにしてから、ゆっくりと深呼吸する。
暗い闇。自分達はそれと戦っている。
殴っても空を切るだけ、決してなくならない。なくなったと見せかけて、物陰に隠れ、誘い込もうと手ぐすねを引いている。人は弱い。ちょっとの変化で、その闇の誘惑を受け入れて、命以上に大事な幸せを取り零してしまう。
自分や、久虜川蒔良のように。
だったら、取り零してしまうものを拾い続けよう。
拾って持ち主に返すまでが、自分の――ヒーローの仕事だと。
今も、これからも胸を張って生きていけるように。
自分は多くの物を背負っているのだから。
「――センシティ、参る」
センシティが夜の街を駆ける。
これが、
いつの日かNo.10の称号を手に入れ、この国でも屈指の武闘派ヒーローとして多くの人間から羨望を集めるヒーローが、本物のヒーローになった事件の顛末だった。
死よりも重い罰はある。
それは忘れる事。そして忘れた事すら忘れてしまう事。
だがそれでも、拳姫は前に進む。
歩みを止めるのは……ずっと後の話だ。
次回でこの章も閉じます。
どうかお楽しみに。
次回! 振武くんが拳を握る。お楽しみに。
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