plus ultraを胸に抱き   作:鎌太郎EX

12 / 140
新章突入、原作1話目と同じ時間軸からスタートです!
つまりまだ雄英には入っていません!
……もうちょっとだけ付き合ってくださいすいません。


雄英前夜編
episode1 その始まりは


 朝の空気は清浄なものだった。

 小さいながらも山と森に囲まれたここは綺麗な空気と、まだ梅雨どころか桜が満開の季節だ、多少の冷気も感じられる。普通ならば朝の散歩にでも出かける人は多いだろう。

 しかし、この場には真逆の空気を作り出していた。

 まるで湿気を含んでいるような張り付くような空気と熱。

 その空気はまさしく――戦場の空気だった。

 

「「……………………」」

 

 ――動島本家内の道場。20人が鍛錬しても支障が起きないくらい大きな道場に、今は2人の人間しかいなかった。

 1人は老人。60代であるはずの彼は、胴着の上からでも垣間見える体つきは見る人が見れば40代にすら見えそうなほど健康的だ。しっかりと目の前にいる少年を、闘志の籠った眼で見据えている。

 もう1人は――少年だった。肩に少し触れる程度の長さの艶やかな髪と、鋭い鳶色の眼。身長は180cmにも届くのではないかという高身長ながら、その顔にはまだ子供っぽさを感じる。

 だが、その眼には、目の前の老人と同種の闘気を感じる、力強い目つきだった。

 

「――ハッ!!」

 

 対峙している状態から次の状況に移るまで、10秒もかからなかった。

 老人は手の持った木刀を振るいあげる。その動作そのものは、多少剣道を学んでいる人間であれば、単純で慣れた行為だろう、上段からの振り下ろし。だが慣れた行為だからこそ分かるだろう。

 切っ先は、霞んでしまうほどの速さで、その全容が一瞬ぶれて見えないほど。

 動作はまるで、ただそれだけを突き詰めて生み出された機械のような正確さだ。

 一般人ならば、下手をすれば死んでしまうレベルの一撃だ。

 

「っ!」

 

 ――だがそれは、一般人だったならばだ。

 少年は、その木刀を最小限の動きで横に避ける。

 

「――セイッ!!」

 

 そのまま、体を回転させて、老人の脇腹を狙った肘鉄。移動と回転の勢いをそのまま利用した一撃はまるで杭を打つ鉄槌のような攻撃。

 だが、老人も反応できないほど愚鈍ではなかった。

 

「シッ!」

 

 返した木刀の、丁度持ち手の根元、本物の刀であるならば鍔に当たる部分で、その衝撃を逃がしながら、

 

 ドンッ!!

 

 その柄頭で、逆に少年の脇腹に強かな打撃を加えた。

 

「……ぐはっ」

 

 一瞬だけ衝撃を受け止め耐えようとした少年だったが、吐き出された空気がその強さを証明していた。

 物理的な痛み。呼吸する度に脇腹に鋭い痛みが走るのを感じる。自分が相手を倒す為に増幅させた勢いと、老人の扱う木刀の勢いが合わさってのそれは、立っているだけで気持ちと体力を奪われていくように感じる。

 

「――まぁ、朝練だ。ここまでで良いだろう」

 

 しばらく攻撃をした体勢のまま固まっていた老人は、息も切らさず姿勢を正す。

 と、同時に、

 

 ……ドサッ

 

 少年は痛みに耐えかねて、そのまま倒れこんだ。

 気絶はしていない。いくら強い攻撃だったとしても、この程度で気絶していられるほど柔な鍛え方はしていない。

 

「――ハッ、ハッ、ハッ」

 

 それでも、50mの走り込みを何回も行ったように心臓が暴れまわり、呼吸は荒くなっていた。勿論それはあくまで一般人基準で語ればという話だ、実際にその程度の走り込みであれば、少年ならばこれほど息も上がらない。

 それほど難しくもない、一瞬の攻防に見えるだろう。だがそうであるが故に緊張感と集中力、一瞬で繰り出される技の調整と瞬発的な筋肉の動き。

 全ての要素が少年の体力を奪うには充分だった。

 

「だいぶ強くなったな。10年で私の攻撃を避け、反撃しようと動けるだけでも、破格の15歳と思うぞ。短い時だったが、技と動きだけ言えば現役のヒーローにも通じるだろう」

 

「冗談、言うなよ。結局、当てられなかったんじゃ、意味、ないじゃんっ」

 

「それに関してはあまり悲観せずとも良いだろう。そこら辺のヴィランであるならば、あの一撃で意識を奪えていただろう。個性を使えばもっと強かったはずだしな」

 

「……俺の祖父ちゃん規格外すぎる」

 

「他の者が弱いだけだ。昨今のヒーローは戦闘を行う者ばかりではないのは理解しているが、にしてもお前より動けない者もいるんだぞ、まったく情けない。

 昔であるならば、私の攻撃を鼻歌混じりに避け、お前が一撃入れていたあの間に5回は攻撃してきた者もいたのだぞ?」

 

「だからそれどんな人外の話してるんだ、よっと!」

 

 話している間に呼吸が整ったのか、少年は上半身を起こす勢いを使って立ち上がる。

 両者は先ほど向かい合っていた場所に立ち、居住まいを正してお互いと、丁度道場の上座に飾られている神棚に礼をする。

 礼に始まり礼に終わる。動島流が現代でも脈々と受け継がれる実戦的流派だったとしても、そこは他の格闘技と変わらなかった。

 

「それでは、食事をする前に汗を流してきなさい。そのままでは気持ちが悪いだろう」

 

「うん、流石にこんな汗ビチョのまま制服着んのもなんか嫌だし……じゃ、俺着替え取りに行くから、先に行ってて」

 

 汗で湿ってしまった胴着を脱ぎながら道場を出ようとすると、

 

 

「――振武。謙遜は美徳だが、自分を卑下するのは良くない。

 強くなっているよ、お前は」

 

 

 その言葉に、少年――動島振武は振り返って答える。

 

 

 

「ありがとう、祖父ちゃん。

 でもまぁ、まだまだだよ。目指してる地点が高過ぎるからさ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 動島振武。中学3年生になった春。

 その始まりは、この10年間続けてきた日常から始まった。

 

 

 

 

 

 

「し〜んぶ!! 今日はお父さんが朝御飯作ったんだよ! 家政婦の人じゃなくてお父さんが!」

 

「……昨日仕事忙しくて徹夜だったんだろ? 大丈夫なのかよ」

 

「大丈夫! むしろ目が冴えてめちゃくちゃテンション上がってる!!」

 

「いや、それダメでしょ。明らかに眠気が振り切れてるだけじゃん」

 

「良いんだよ! 子供の食事を作るのは親の務めだしぃ!?」

 

「そこじゃないし、あと何で最後ちょっと疑問系になったんだよ」

 

「お父さん偉い? 偉いでしょ!?」

 

「……あぁ、はいはい。エライエライ」

 

「じゃあ頭撫でて!!」

 

「それは無理ですごめんなさい」

 

「敬語で即答! クールだよ振武!!」

 

 今日の父……動島壊は、いつも以上にテンションが高かった。

 元々息子にベッタリな人だったが、それでも10年前母が亡くなってしまってから、その愛とスキンシップ、あとはウザさが増した。

 

(母さんの分も、俺に向けてくれているのは、嬉しいんだけどね……)

 

 あの時の事は、振武と壊を変えた。それは全て悪い変化ではないかもしれないが、やはり細かい所であまり良い意味でもない変化は多々あった。

 動島本家で祖父である動島振一郎と同居するようになったのも、それが理由だ。

 あの家は、どうしても母の、妻の思い出が強すぎたから。

 だからこそ、振武も別に父親の事を嫌いにはならなかった。むしろ、その雑な態度以上に、動島壊という人を親として、1人の大人として尊敬しているし、好いている。

 ……もっとも、どんな反応をしても喜ぶ壊を見て、振武の態度も年々雑になっていったわけだが。

 

「……壊くん、頼むから静かにしてくれないかね。食事を済ませないと、振武も学校に遅刻してしまうかもしれんだろう」

 

「あぁ、すいませんお父さん! じゃあ、いっぱい食べてね、振武!」

 

「あぁ、うん、まぁ鍛錬した後だし腹減ったから食うけど」

 

 

「「「――頂きます」」」

 

 

 同時に食事の挨拶をしてから、思い思いの食べ物に箸をつけ始めた。

 

 

 

 

 

 10年間。幼少期の殆どを使用したその時間は、振武にとって実りの多く、同時に大変な10年間だったように思えた。

 動島流の修行は、厳しいという言葉が優しく感じる程苛烈なものだった。

 子供だからと言って、孫だからと言って、祖父は絶対に妥協したり甘やかしたりはしなかった。

 ある日は一日中、休みなく型をやらされ、

 ある日は動島の土地である裏山でゲリラ戦の訓練のような鍛錬をさせられ、

 ある日は振一郎に何度も何度も地面に倒され、すぐに立ち上がらされた。

 内臓が傷ついて血便が出た日もあったし、生傷が絶えた日はない。基本的な筋トレやトレーニングから、先ほど言ったような実戦形式の鍛錬まで。様々な事をしてきた。

 これがもし行政にバレていたら、家庭内暴力と判断されていたかも知れないほど、拷問に近い鍛錬。

 それでも、振武は泣き言を言わなかった。言えないほど毎日ヘトヘトになったという意味でもあるが、それだけではない。

 少しでも早く目標に近づく。少しでも早く目標を超える。

 その為には、どんな苦難でも笑って乗り越える精神力がなければどうしようもない事は、この10年間嫌でも振武の中に刻み込まれてきた。

 そして、母からの『Plus ultra』という言葉。

 その言葉があったからこそ、この10年間休みなく修行を行うことが出来た。最初は何の反応も出来なかった祖父の攻撃を、お互い個性を使用しないという条件だったものの躱し、反撃出来るようになった。

 進歩はしている。

 だが、まだ足りない。

 

(活殺術だけじゃない、他の技も教えてもらったけど……まだ教えてもらっていない技がある。これじゃあ、完全に習得したとは言い切れない)

 

 黙々と食事を続けながらも、振武の頭の中は思考を続けていた。

 10年間の間に学んだのは活殺術だけではない。振武の個性である〝超振動〟は武器を持っても使用出来る個性だ。この利点を殺してしまう必要性はない。

 柔術と棒術、その他幾つかも一定の水準にまで上げ。動島流活殺術に至っては使えない技は無いように鍛えた。15歳でここまで来れたのは、振一郎が贔屓せずに厳しく鍛えてくれた賜物だと言っても過言では無い。

 だが、最後の1つ。――動島流活殺術奥義。

 〝震撃〟。

 これはまだ教えてもらうどころか、見たことも、その概要そのものも教えてもらっていない。

 

(筋力だけで戦おうって流派じゃないし、何となく予想は出来るけど)

 

 活殺術。

 現代柔道などと違い、当て身(打撃)を基本にした徒手空拳術だ。素人から見ればどちらかと言えば柔より剛の印象を受けるものだが、実際柔術とそれほど大きな考えの違いは無い。投げるか、拳を当てるか。ダメージを与える手段が違うだけ。

 体捌き、足の動き、体全体の向き。相手の勢いすら利用して、ダメージを増幅させる。

 拳や蹴りの衝撃をどのように相手に伝えるか。どうやって効率良く力を相手に放つか。

 攻めも強いが、まず第一は自分の命を守ることが前提にされている。これが動島流活殺術の基本理念だ。

 当然、奥義である震撃もその理念からは外れていないはずだ。だが、予想し頭の中で考え続けていても、武術は習得できるわけでは無いのは、この10年間でよく解っている。

 だからこそ、振武は何度も祖父に頼んでいるのだが……。

『お前にはまだ早い』

 その一点張りだ。自分に実力が足りないのは分かっているが。

 

(早く、強くなりたい……そう思う事の、何が悪いんだろう)

 

 ……一線級のヒーローは大抵、学生時代から逸話を残している。本当のヒーローというのは学生の時であっても実力を持っているという事だ。

 トップヒーローを目指すなら。

 母であるセンシティを超えるなら。

 まだ本格的にヒーローになるための勉強をする高校生になってから頑張ればいい、なんて事にはならない。

 

「――ご馳走様」

 

 そんな事を考えている間にも、振武は食事を終えていた。食べる時に食べれないという状況を体が無意識の内に理解しているのか、考え事をしながらでも食事を終える癖がついていた。

 毎日同じ食卓を囲む父や祖父には注意された事がないので、恐らくバレてはいないんだろう。

 

「じゃあ、父さん、行ってくるよ。帰りはいつも通りになるから」

 

「あぁ、そんなに急ぐの? 早くない? 折角一緒に食べてたのに……それとも、今日は気分悪くない? 学校サボらない?」

 

「そんな自然に子供に学校をサボらせようとする親がどこにいるんだよ。

 今日は日直だし、歩きだから早く行きたいんだよ」

 

 現在振武が通っているのは、ここら一帯でもそこそこ有名な私立中学だった。振一郎(そふ)の知人が運営している学校だったというのもあるが、武術の修行ばかりしていて頭は良くないのでは? と思われるのも嫌だった。

 ……正直言ってしまえば前世でも勉強が出来た方だったので、多少ズルだったのは振武も否定は出来ないのだが。

 その学校は普通ならば歩きや走りだと遠いのだが、鍛錬で体を鍛えた今ではそれほど苦でもない。むしろ朝の散歩気分で行けるので丁度いい。

 

 

「じゃあ、振武。気をつけて、行ってらっしゃい」

 

「行っておいで、振武」

 

 

 ……でも2人の家族にこうやって見送って貰えるのは、悪い気分ではない。

 そう思いながら、振武も笑顔を浮かべる。

 

 

「うん、行ってきます!」

 

 

 

 

  ◆

 

 

 

 

「……どうですか、お義父さん、振武の様子は」

 

 振武が学校に出かけてすぐ。

 まだ食事をしていた自分の義父である振一郎に、壊は居住まいを正しながら話しかける。いつも壊は義父に話しかける時に緊張してしまう。お互い嫌いなわけでも何でもなく、むしろ仲は良いのだが、自然と姿勢を正してしまう振一郎の雰囲気と、壊のだらけた性格的な部分で、どうしても苦手意識が生まれてしまうのだ。

 そんな壊の態度を知ってか知らずか、振一郎はそこには触れず小さく溜息をつく。

 

「……どんなものでもそうだが、本気で何かを習得する為には、一定の才能と言うものがどうしても必要になって来る。そういう意味では、振武はあの歳にして恐るべき才能と言ってもいいだろう」

 

 ――朝の鍛錬。何でもないように振武の攻撃を捌き一撃をくらわせる事が出来たが、あの一瞬の攻防はヒヤッとさせられる面もあった。

 避けられるのは当然。反撃が来るのも、想定の範囲内だった。

 しかしその反撃が、振一郎の想像以上に速く、鋭かった。幸いまだまだ反応出来るものだったからあのような結果に落ち着いたが、まだまだ成長しそうな自身の孫を見れば、ひょっとしたらその内捌くのも難しくなるだろうと思う。

 才能の塊。いずれは自分さえも越えていくと予感させるだけの天性の才能を、振武は持っている。少なくとも、振一郎はそう感じている。

 自分の娘――覚に武術を教えていた時もそう思ったが、もし振一郎の予想が正しければ、振武は覚以上だ。武術だけではない。聞けば学校の成績も良いし、同じ年齢の人間と比べても思慮深く頭の回転も速い。

 少々考え過ぎる嫌いがあり、感情で動揺し動きを鈍らせる事もいくらかあるか、それは15歳の少年だ。いずれはもっと落ち着くだろう。

 

「ヒーローになるならば、逸材と言っても良い。これから振武はもっと名を売っていくだろう。

 だが、……」

 

 振一郎は言い淀む。

 今から言う内容は、果たして目の前にいる壊に話して良いものなのだろうか、と。

 だが壊の真っ直ぐな目を見れば、その逡巡はそう長くはなかった。

 

「……焦りが、見える。

 恐らく、母を越えようとする気持ちと、ヒーローという物に近づいている実感が湧かないからだろうが、な」

 

 ……ヒーローになる。

 振一郎の眼の前でそう言ってもう10年。10年だ。

 遊びたい盛りで、望みがそれだけというわけでもないはずの振武は、しかしその10年間の大半を戦闘技術向上に費やしている。その執念と信念は、振一郎でも驚きを隠せない。

 だが悪く言ってしまえば、所詮5歳から15歳の間だ。確かに戦闘技術は向上したが、振武の中で比較対象が自身の祖父や母である時点で、彼が自分の技量を「まだまだ」と評価してしまうのもしょうがない。

 さらに、中学までの学校でヒーロー科を設立している学校はない。

 故にヒーローとして本格的な勉強をするのは高校に入ってからとなる。現在ヒーローになれるのは、どんなに最短の道を選んだとしても18、19がせいぜいだ。

 それも本来なら、かなり早い。早すぎるくらいだ。

 それでも、今の振武は遅いと思ってしまうだろう。

 

「それに……あの子は、死人の影を追い過ぎている。覚がヒーローとして、武闘家として評価を得ていたのは勿論だが、死人は死人だ。どんなに頑張っても超えられるものではない」

 

「……っ」

 

 振一郎の一見冷徹な言葉に、壊は息を飲む。

 死人を目標に持つというのは、かなりリスクが高い。

 思い出は美化され、鮮烈なシーンだけが回想されるものだ。それを目標に据えた所で、そこに辿り着ける事はほぼ無いと言ってもいいだろう。

 仮に覚より強くなったとしても。

 『母さんだったら』という魔法の言葉で、その成果を自分の中で実感出来ないのだ。

 

「出来れば、思い出に向かい続けるのではなく、現実にいる存在に挑む気持ちを持ってもらいたい。

 そうしなければ、振武はいつか折れ、2度とは戻らんだろう」

 

「……そう、ですね」

 

「……それは君も同じだぞ、壊くん」

 

「えっ」

 

 唐突な振一郎の言葉に、壊は顔を上げる。

 振一郎は箸を置き、真っ直ぐな、しかしどこか哀れな目で、壊を見ていた。

 

「娘をそこまで愛してくれたのは嬉しい。だが、君も前に進みなさい。

 勿論、いきなり誰かを愛せだの、再婚しろなどとは言わん。しかし思い出の中の覚を想い続けているのは、覚も辛いと思うぞ」

 

「それは……分かっている、つもりです」

 

 壊は見えない所で拳を握り締める。

 振一郎の言葉に怒っているのでも、異議がある訳でもない。

 ただ10年間の続けてきた癖――悲しみを表面に出さないための動作なだけだ。

 ……動島壊は、妻を心から愛していた。ヒーローとしての彼女も、1人の女性としての彼女も、母親としての彼女も。

 世界で1番愛していたと胸を張って言えるだろう。

 だから彼女が死んだ時……もし庇護対象である振武がいなかったら。あそこまで振武が自分を責める優しい子ではなかったら。

 もしかしたら、動島壊は今までの〝自分〟を保っていることが出来なかったかもしれない。

 振武と、今まで覚と培った思い出。

 それが、何とか今の動島壊を支えていた。

 ――もし、この状況を変える出来事があるのだとすれば。

 ――もし、自分が覚や振武に出会う前のような強さを得るとするならば。

 

 

 

 きっと、振武に関係する何かなのだろうな。

 壊の中には、漠然とそんな予感がした。

 

 

 

  ◇

 

 

 

「ほっ、よっと!」

 

 振武は学校に向けて走っていた。

 本気で行けば学校まで15分と掛からないが、それは走ったらの話だ。普通に歩けばそれこそ30分以上かかる。

 流石にのんびり歩いている訳には行かず、軽く小走りで学校に向かっている最中だ。

 ……もっとも、結局それではつまらないなと考え、本来ならば避けて然るべき植え込みなどの障害物をハードル走のように越えたり、跳ぶ過程で1回転捻りを入れてみたりしてるため、学校の登校風景と言うより、パルクールでもやっているのではと通行人には思われているのだが。

 そこを全く気にしていないのは、この10年間の時間のおかげだろう。昔のような神経質さはどこか失せ、前世に比べれば、熱血さと男らしさが増したと、昔だったら自己採点するのだろう。

 だが、ここ最近は前世の自分というのを意識しなくなってはきていたが、

 

(今の時期って、物語が始まる時期、だよな……どうしようかな)

 

 今日は珍しく、過去の記憶を引っ張り出して悩んでいた。

 中学3年生の春……恐らくこの時期くらいに、『僕のヒーローアカデミア』がスタートするはずだった。振武も1巻しか読んでいないが流石にこれは憶えていた。

 しかし憶えていたからと言って何かするのかと言われると……正直難しい。

 主人公の顔を忘れたわけでは無いが、わざわざ1話で相手に絡みに行くというのも、意味が無いように思えているのだ。

 別にここが自分の前世では漫画だった事は正直言えば気にならなくなってしまった。

 もう10年はここにいるのだ。今更この世界が偽物だ、なんて発想は思い浮かばない。

 

(はっきり言えば、そんなの気にする余裕、ないもんなぁ)

 

 ――自分のなりたいものに夢中で、他の事に構っている余裕がない。

 それが振武が今のところ絡みに行く必要性を感じない、大きな理由なのかもしれない。

 

「おっ、動島おはよ〜、また大道芸みたいな学校登校だなっ」

 

 考え事をしながら障害物をバク転で回避すると、丁度目の前にクラスメイトの蛇頭(へびがしら)がそこにいた。

 頭部がまるで髪の毛の生えた蛇のような姿は、その姿の反してフレンドリーでお調子者という、クラスの中でも中心的人物と言っても過言ではない。そう多くはない振武の友人の1人だ。

 

「おはよう蛇頭……にしても、大道芸みたいとは酷くないか? 一応でも修行代わりのつもりなんだけどな」

 

「お前はそういうつもりでも、周りが見れば大道芸と大して変わらないんだ、いい加減自覚しろよ」

 

「そういうもんか?」

 

「そういうもんだよ」

 

 釈然としない気持ちで振武が訊くと、蛇頭はシューシューと独特な笑い声をあげながら答える。

 動島家で暮らしていると、そんな点で人と違うというのが嫌でも分かる。別に振武は気にしてはいないのだが、気にしている相手がいるというのを自覚するのも大事だ。まぁ多少気をつけようかな、と期間が極めて短い決意を抱く。

 

「そう言えば、動島は進路希望のプリント書いた?」

 

「書いたよ、今日提出日だろ?」

 

「どうせ動島の事だから、雄英って書いたんだろ?」

 

「当たり前だろ」

 

 雄英高校。

 国立の高等学校で、ヒーロー科を抱える高校の中でトップに君臨する有名校だ。オールマイトなど有名なヒーローを輩出し、毎年多くのヒーローを目指す若者が受験する超難関。

 ――振武の母、動島覚……センシティの母校。

 振武がそこに進学しようと思うのは、ある意味自然な流れだった。

 

「まぁ、動島だったら余裕だろうなぁ。強いし頭も良いから、きっと受かるよ。

 あ、でもさぁ、だったらあの噂は聞いたか?」

 

「? 噂?」

 

 蛇頭の言葉に、振武は首をかしげる。

 10年前とは違い、年齢を重ねれば重ねるだけ、体と心の年齢に齟齬をあまり感じなくなったおかげが、友人はそれなりに出来るようになった。蛇頭もその1人だ。

 だがやりたい事が定まって集中してしまっている分、噂話の類にはとんと縁がなかった。

 

「ありゃ、ヒーロー一直線の動島くんにしては珍しい。

 聞きたい? 聞きたい??」

 

「なんかウザいし、これ以上引き延ばすなら無視してとっとと学校行きたいんだけど」

 

「すいません冗談です聞いてください」

 

 いつも通りのふざけた会話をすると、蛇頭が小さく咳払いをして姿勢を正す。

 

「コホン……うちの学校の奴で、雄英の推薦受ける奴がいるって噂だよっ。

 話の流れ的に最初はお前の事かなと思ったけど、どうやら3組の奴らしいぜ」

 

「それはまた……随分雄英も早いんだな」

 

 まだ3年生になったばかりの時期に内定の噂が経つなんて、相当の実力者なんだろう。

 振武も何度か調べてみたが、雄英の推薦入学者は毎年4人。男女2人ずつが選出されるが、少なくとも普通に調べる限り、その判断基準も通知のタイミングも謎が多い。

 そもそも学校もその学科も特殊なので普通と違うのには振武も納得しているし、自分が推薦を得られなかったのは多少残念だが、入る過程はそこまで興味がなかった。

 入るという結果そのものが重要なのだ。

 

「ありゃ、もっと悔しがると思ってたのに」

 

「そこで悔しがってもしょうがない、まだ確定事項じゃないしな。

 で、その推薦取れそうって奴はどんな奴なんだ? 雄英の推薦貰えるような奴なんて相当の実力者だと思うけど」

 

「よくぞ聞いてくれました!」

 

 ちょうどバンザイするような謎なポーズをとる蛇頭に、振武はとりあえずツッコミを入れない事を決めた。

 話が終わらない。

 

「俺も面識はないから又聞きになっちゃうけど、個性はかなり凄いな。

 複合個性っていうの? 冷気と熱を同時に操る事が出来るっていうっていうんだから、凄い奴がいるもんだよなぁって思ったぜ」

 

 ――推薦をとる人間がいるという事を聞いても止まらなかった足が、止まる。

 

「ん? どうしたんだ動島。鳩が豆鉄砲を食ったような顔して」

 

「……名前」

 

「え、なに?」

 

「そいつ、なんて名前なんだ」

 

 振武の真面目な声色と表情に只ならぬものを感じたのか、少し動揺しつつも続きを話す。

 

 

 

「あ、あぁ、確か名前は……轟焦凍、だったかな」

 

 

 

 

 

 

 ――その日、動島振武の人生にまた1つ、大きな変化が訪れる。

 かつて大事な約束をした相手との対面を経て。

 

 

 

 

 

 

 

 




この章からは、戦闘シーンもあるし三人称になります。
相変わらず下手くそですが、努力していきますのでご容赦ください。
感想や評価などお待ちしております!

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。