plus ultraを胸に抱き   作:鎌太郎EX

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※連続投稿です、ここから読んでください。


修行パートです。
強くなります。
ウジウジは……ちょっとだけします。


ここが多分、振武君の気持ちを大きく変化させるターニングポイントです。
自分では感情移入し過ぎてしまっていて、客観的に見れなくなっているので、もしかしたら拙い部分は多いかもしれません。
言い訳がましいですが、楽しんで読んで頂ければ幸いです。あとがきは次の話で書きます。

それでは、どうぞ。


episode8 上 暗闇の鍛錬

 

 

 

 

 

 学校占拠事件が終わった次の日。

 案の定学校は休みになり、被害にあった生徒や教師の心のケア、そして戦闘で損傷してしまった学校の補修が行われることになった。

 その理由の半分を担っている振武としては申し訳ないが、あの状況で学校を傷つけないように、などと考えている余裕はなかった。なかったが、とりあえず心の中で学校側と工事する人達に謝罪した。

 フッと現れた休みであっても、日々の生活に大きな変化はない。

 むしろこのような時間を有効活用して、前日の反省や、自分の欠点をどう改善していくかという事に集中出来る分、振武としてはありがたい。

 今日はその事を振一郎に相談しよう。

 そう思っていたのだが、

 

『振武。食べ終わったら山の周りを少し走ってきなさい。

 その後、庭で今後の方針を伝える』

 

 そう言ってさっさと食事を終えた祖父は、何も言わずに居間を出て行った。

 なんだろう、と少し疑問に思って壊に聞いたところで、どこか曖昧な笑みを浮かべるだけで何も答えてはくれなかった。

 もしかすれば父も知らないのかも……と一瞬思ったが、あの笑顔は事情を知っていて誤魔化したように感じる。軽く山の周りをと言ってもそう小さい山でもない。軽くと言われたからにはランニング程度のスピードだが、それだと少なく見積もっても1時間はかかるだろう。

 1時間で何が準備されているのか。

 

「精神修養でもやらされるのかな……」

 

 自制心と考えが足りない自分に必要なものを補うと考えればそんなものだが、それは今までの祖父の方針とはどこか違うようにも感じる。

 

『精神と肉体は密接に繋がっている。体調が悪ければ人は気が弱くなるし、落ち込んでいれば体はどんどん重みを増していく。

 つまり肉体修練というのは、同時に精神修練にもなるのだ』

 

 それが動島振一郎の、というより、動島流武術全般の考え方だった。

 感情が普段の力を何倍にも底上げする事はあるし、体を動かせば気分が多少なりとも良くなるという事もあるのだ。脳筋の考えだと思う人も多いだろうが、振武にはその理論が間違っているとは思えない。

 だから、精神修養〝だけ〟をやらせるというのは、イメージに合わない。

 しかしだとすれば何をやるのか。

 ここにきて新しい武術を教える……という事にはならないだろう。

 動島流はそれこそ数多くの武術を内包している大きな流派だが、自分に適正があるもの、自分の戦闘スタイルに合わせたものと考えると、選択肢はそう広くはない。極めるという条件付きならさらに、だ。

 振武も学んだものは4つほど存在するが、結局集中して取り組んでいるのは活殺術で、他はあくまで取れる選択肢を増やすという名目で選んだ補助的な側面が強い。これ以上増やしても器用貧乏になっていくだけ。

 残っている事と言えば、

 

「奥義くらいだよなぁ」

 

 それが1番ありえなかった。

 自分が未熟だと言うのは、先日痛いほど感じた事だった。奥義とはその武術の集大成そのものだ。それに手をつけるにはまだまだ先だというのは、振武にも分かっている。

 〝震撃〟。

 名前と存在だけ知っている動島流活殺術奥義。

 それがどのようなものなのかも、一度も見た事はない振武にとって憧れではある。

 あるのだが……。

 

「このタイミングで教えるなんてありえないよなぁ。

 それこそ、祖父ちゃんボケちゃったとしか思えないし」

 

 あはは、と自分で冗談を言いながら、振武はランニングを続けた。

 

 

 

 

 

「今日はお前に、震撃を会得する為の修練に入ってもらおうと思う」

 

「――――――――」

 

「? どうした、そんな間の抜けた顔をして」

 

「いや、別に……」

 

 まさか1番ありえないと思っていたものが正解だったとは思っていなかった。

 振武がランニングを終えて庭にやってくれば、2つの案山子と共に待っている振一郎の姿があった

 

(いや、もはやあれは案山子とは言えないよな)

 

 人の形を模しているという意味では、案山子とそう変わらない。明確に表現するならば、その案山子は鎧甲冑を着ている案山子だった。

 日本の武者鎧とは違う。分厚い鋼鉄で作られている無骨な西洋風の鎧。斬る事も殴って破壊する事も難しい。だからこそ西洋の武具は『鉄の武器で相手を殴り殺す』とか『鎧の隙間に刃を差し込む』という事に特化した武器が多いのだ。

 振武や振一郎の場合個性を使えば破壊することは出来る。だが振武との修練の中には、個性の使用を禁止する事も多い。もし禁止されれば、破壊する事は出来ないだろう。

 どこまで鍛えた所で、人の拳はそこまでの硬度と威力を持たない。故に籠手などの防具を付けて戦うのが1番望ましい。

 だがそれも用意されている様子はない。

 

「……もしかして、素手であの鎧着た案山子をぶっ倒せ、とか言わないよね?」

 

 一応という気持ちで確認してみれば、振一郎はキョトンとした顔をしてすぐに破顔する。

 

「アハハ、今のお前にそれは求めていないさ」

 

「だ、だよな〜アハハハハ」

 

 じんわりと感じた安心感で、振武も笑う。

 

 

 

「そうだよ、やるのは私だ」

 

 

 

 ……カウンターのように放たれた言葉のパンチに思わず思考停止する。

 

「……祖父ちゃんが、素手で? 個性抜きで?」

 

「そうだ。私はお前のように拳を振動させる事が出来る訳じゃないから、刀を使わなければ必然的にそうなる」

 

「防具……籠手とかは?」

 

「着けたら実演にならないだろう?」

 

 言っている事が無茶苦茶だった。

 呆然とする振武に、振一郎は小さく溜息を吐き苦笑する。

 確かに祖父は強いし、動島流活殺術を会得していた母は確かに強かった。鋼鉄の扉を吹っ飛ばしているのを自分自身見ているのだから、出来ないことではないのだろう。

 だが、

 どんな原理を用いれば、人が素手で鉄板にも等しい鎧を突破して攻撃できると思える?

 

「驚くのも無理はないが、これについては震撃の説明と実演で納得してもらうしかないんだ。

 振武。震撃を、どんなもののように考えている?」

 

「考えているって……奥義だろ? 動島流活殺術の。

 その理念に順ずるなら、相手の力を利用した打撃技って考えるのが普通だけど……」

 

 動島流活殺術は『最低限の労力で最高の威力を』という理念の元作られた武術だ。

 家にあった手記から考えると、戦場で大勢の敵と戦うために自分の体力を残しつつ、最短で多くの敵を倒すために開発されたものと推察出来る。

 そう考えていくと、合気道などと同じ発想だと考えられるだろう。

 しかしその言葉に、振一郎は首を振る。

 

「理念そのものは間違っていない。でも、そういう意味じゃない。

 良いか振武、動島流活殺術の真髄は、力のコントロールにあると考えなさい」

 

「力の、コントロール、」

 

「流れ、と言っても良い。

 自分にも相手にも、言ってしまえばその場にも力の流れというものがある。それをどう利用し、自分の攻撃力に繋げる。中国にもある考え方だね。

 コントロールし、最大効果を発揮させ、意味を与える。それが動島流活殺術……否、動島流そのものの考えというものだ」

 

 そう言いながら、振一郎は案山子のちょうど前に立つ。

 ――動島流の構えは極めて単純だ。戦場で悠長に構えていられるタイミングというのはそう多くはない。だからこそ、単純に、そして即応性を持たせた構えだ。

 正面に対して半身に見えるように、利き手側を前にする。

 重心は少し後ろに、間合いを詰める速度を瞬時に出すため。

 あとは拳を構える。構え方は「使い手本人が拳を出しやすい位置に」と言うだけ。

 正直言えば、これもかなり流動的だ。

 拳を構える時の説明が、実は動島流全般に当てはまる。

 自分のやりやすいようにやる。求めているものは、最低限の労力で最大限の効果。それを発揮するのであればどんな形でも良いというもの。

 こう聞いてしまえば、武術としてどうなのかと思うだろうし、最初は振武もそう思っていた。だが結局それは的外れと言うものでもない。

 他人と自分は明確に違う。

 師と弟子も明確に違う。

 戦い方も、技それぞれの向き不向きも、それを使用した事によりどんな結果を求めているかも違う。それは最早事実ではなく前提だ。

 その前提を最初から前提にしているのが、動島流。

 型に嵌めるのではない。型を生み出せというのが基本思想。幼少の頃の『型稽古』はある意味自身の体を効率よく動かす為の『型探し』であり、毎日行っているそれも毎日変化している自分の体を鑑みた微調整だ。

 

「しかし、どこまで言っても他人の力はあくまで他人の力だ。いつもアテに出来るわけではないし、出来ない。何故なら自分の力ではないのだから。自由に力をコントロールする為には、他人よりもまず己の力をコントロールする所から始まる。

 足を、腰を、肩を、肘を、手首を、拳をどう動かせば最大の効果を発揮させられるか。当てる場所、当て方、引き方をどうすれば早く確実に当てられ、威力を損なわせず相手に放てるか」

 

 喋りながら、振一郎の拳――だけではない。その全身に力がこもっている事が解る。

 全身全て。眼やその気配そのものにも力がこもり、可視化されている様にすら感じる。今まで一度も見た事がない……しかしそれを見て振武は確信出来た。

 これが、動島振一郎の本気なのだと。

 

「震撃とはその集大成。力をコントロールすればどうなるかを研究し続けた結果だ。

 

 

 まずは震撃――〝波紋〟」

 

 

 その言葉と共に放たれた拳は、一瞬拳の周囲が歪むほど速く振るわれ、

 

 ――ガァンッ!!

 

 鎧を着た案山子に触れた瞬間、交通事故のような音がする。

 車と車。金属と金属がぶつかり合う音。その音が振武に身近な音だ。自分が個性を使った時と同じ音。強固な固形物を〝破壊〟した時の音に近かった。

 

 

 

 ――鎧はその技の名前の通り、波紋のような大きな歪みを持って大破していた。

 不思議と案山子には大きな傷はないが……それは案山子で、鎧という別のものを着ていたからだ。これが体を硬化させる個性などを持った敵であったなら体の表面を砕かれ、拳そのもののダメージでもって倒されていただろう。

 

 

 

「力の伝播を自在に操れば、鉄のような硬いものもこのように破壊する事が可能だ。今の時代で言えば、流体の体を持っている敵にも効果がある、散らす事が可能だからな。

 そしてもう1つ」

 

 さも当然と言わんばかりに、ボロボロになった鎧と案山子には目もくれず、もう1つの案山子の前に立つ。

 先ほどと同じような構え、同じような気迫。

 しかしそれには先ほどとは少し違う……そう振武は思えた。

 鋭い。だが細くはない。

 先ほどの技……震撃・波紋はまるで渦のように力を絞り込み、それを解放していたように見えた。しかし今度のそれは限界まで鋭く、弓を引き絞るように力が流れている。

 そう見える――そう〝感じる〟。

 

 

「震撃――〝貫鬼〟」

 

 

 

 ――――――――バコォンッ……

 

 波紋の時のような激しい音ではない。飛び込みの選手が綺麗に着水出来た時のような、どこか呆気ない音。

 しかし音に反して、貫鬼もその効果を十全に発揮した。

 鎧を着ていた案山子の胸部を拳が――〝貫通〟しているのだから。

 

「貫鬼は、相手が身を守った時に防御を突破する事に使われる。力の加減を変えれば相手を吹き飛ばすことも、遮蔽物越しの攻撃も可能になる」

 

 ズボッという音と共に貫いていた拳を抜くと、振一郎はいつも通りに笑う。さっきの事は彼にとってそれほど大仕事という訳ではなく、少し汗ばんでいる程度で疲れている様子もない。

 1つ目の案山子の鎧を破壊し、2つ目は案山子すら無事ではない攻撃を放っているのに。

 それを見た振武の感想は、

 

 

(――――――――――予想、以上だ)

 

 

 ある種の現実逃避にも近い、戦慄を抱いていた。

 母も体得した技、センシティの戦闘能力の真髄だろう奥義。生半可なものでは無いというのは、最初から分かっていた。

 分かっていたが、人外とはこういう事を言うのかもしれない。

 歴史の重みと、それに伴った技術の研鑽。

 言ってしまえばそれだけだ。個性というものが当たり前になり、技術の進歩も目覚ましい現代の中ではあまりに地味で、使うと言ってもメインのものとは、一般的には考えられていない。

 一般的には、だ。

 この超人社会でも通用する、超人の技。

 今の時代的に言えば、無個性達が積み重ね続けた異端の技。

 それを自分が――習得、出来るのか? そんな迷いが一瞬だけ頭を過ぎった。

 

「……なぁ祖父ちゃん。一応確認なんだけど、それ会得できた人、いるの?」

 

「世代に換算すると、一世代に何人かはいるぞ? 動島流は一子相伝という訳でもない。門戸は誰にでも開かれているからな。最も8割は鍛錬に耐えきれなくなり、この奥義を会得する試練の中で残りの1割は脱落する。世代としてはまぁ、5人もいればいいだろうね」

 

「――祖父ちゃん、」

 

 無茶苦茶だよ。出かかった言葉を無理矢理飲み込んだ。。

 

(どこの戦闘民族の話をしているんだ。そりゃあ、目の前で実演させられたのだから、可能である。だが可能であるからこそ、より質が悪い)

 

 個性という突発性の異常よりも上をいく、純粋な異常。

 個性のない時代にこれを生み出した先祖達はよっぽどイカレていたのか、尋常ではない執念が有ったのか。どちらにしろ、この技の完成度を見ただけでも、振武の先祖は狂っていたとしか思えなかった。

 

「……体得、出来るの? この俺に」

 

「出来ないとは思っていない。

 器としての肉体は十分条件を満たしている。精神に関して言えば昨日行った通り振武は甘いが、この修行で手に入れられる、と私は考えているよ」

 

「……これを覚えれば、もう一段階上に行けるよな」

 

「ああ、それは間違いない。

 振武の個性と動島流活殺術は相性がいい。自分の個性が純粋に力として上乗せ出来るからね。正直私の震撃より――いや、覚の震撃すら超える可能性を秘めている」

 

 そう言いながら、振一郎は振武の前に立つ。

 その眼は、あの時と同じ。

 動島流活殺術を教えて貰えるように振一郎に頼みに行ったあの時に見た、振武を純粋に見定める眼。その迫力と気配の鋭さは昔とまるで変わっていない。いや、昔よりも強さを増しているようにさえ思う。

 あの頃の振武と今の振武では、立ってる場所が違うからこそ感じる、その気迫の現実感(リアリティ)

 

「どうする、振武。ここで止めてもいい。震撃を会得出来る機会はここだけではない。

 ……体得出来ないとは思えない。だが、今の状態では可能性が低いのは確かだ。万難を排したいと言うのであれば、ここで退くのも手だ」

 

 その言葉とは裏腹に、振一郎は手を差し出す。

 まるで『さぁ、お前なら来るだろう』と言わんばかりだ。振武を馬鹿にしているわけではない、ある意味での信頼感を、振一郎から感じる。

 

(――ハッ、なんだよそれ、ビビってるとか、不安があるとか、欠片も考えてないじゃん)

 

 心の中で毒づく。

 誰かの笑顔を守る。

 自分自身も守る。

 そう昨日決めたばかりだ。再起不能になる可能性があるならば、もっと覚悟と精神を鍛えてから――、

 

 

 

「……やるに決まってんじゃん」

 

 

 

 心の中で渦巻いている言い訳を全部無視して、勝気な笑みを浮かべてそう宣言した。

 これは、壁だ。

 ヒーローになる上で最初の壁。

 これを超えれば……いや超えてこそ……いや、超えて!

 

 

 

 俺は、ヒーローになる!!

 

 

 

「――良かろう! ではこれより、奥義継承の修行に入る。

 その過程でどんな事があろうと、私も壊くんも、誰もお前を助けてはくれない。

 全てを自分だけで乗り越えろ!」

 

「応っ!!」

 

 自分の中にまだ残っている弱音を振り払うように声を張り上げ、振一郎の手を取った。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 修行は、開祖が編み出した方法を忠実に再現して行われる。

 まず師が弟子に震撃を実演する。そこから練習する時間も与えず、そのたった一度技を見て、舞台は移る。

 庭の隅にある土蔵が修行の場だ。それには普通の手段では届かない場所にある天窓と振武の拳も入らない空気穴しかなく、明かりになる電球も何もない。当然昼間でも暗く、夜になれば視界すら効かなくなる。

 壁も、ただの土壁ではない。土の中には厚さ15㎝の鋼鉄で作られた鉄板が仕込まれている。土壁としての部分も含めれば、50cmも超えるかもしれない。

 この中に、最大10日間篭る。

 食事は1日2回、握り飯2つ。水は食事と同じタイミングで1日に必要な量を最低限。拳を振るう体力を損なうのは本末転倒なため、休憩する事は許されているが、睡眠は許されていない。

 無睡眠、最低限の食事と水分。

 

 

 その状況で城塞にも似ているここを、個性なしの拳のみで脱出する。

 

 

 それ以外の方法で出る場合、中にある小鐘を鳴らす。だがそこで習得失敗となる。

 これを素手で突破する為には震撃を習得するしかない。己が感覚のみ頼りに。

 震撃という技は、詳細に説明されたからと言って会得出来るようなものではない。師の力と弟子の力が違う以上、自身の感覚を他人に教えても意味がない。

 少なくともこの震撃に必要なものは……振武自身の感覚のみ。

 ――伝統であるからこその狂気の沙汰。現代では考えられない、拷問にも近い習得方法。だがその説明を聞いても、振武にやめるという選択肢は存在しなかった。

 

『最後に1つ……お前は自分の影と出会うだろう』

『影?』

『ああ……今はこれ以上の事は言えない。しかし、これは震撃を学ぶ上で重要な己そのものだ。それにどう対応するのか、そこも今回お前に得てもらいたい精神的成長に含まれる。

 ……本来ならば、それでも動揺しない精神性を鍛えてからだが、お前であればあるいは、と思っている』

 

 最後に話した振一郎の言葉を、振武は正しい意味では理解出来ていなかった。

 ――出来なかった事が、問題だったのかもしれない。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 初日はそれほど苦痛を感じなかった。

 暗い土蔵の中は確かに人間の不安感を掻き立てるには十分な暗闇と雰囲気を持っていたが、奥義を学べるという喜びと高揚感がそれを打ち消してくれた。そう時間もかからず目もその闇になれ、震撃の感覚を得る為に必死に拳を振るった。

 震撃〝波紋〟と、震撃〝貫鬼〟。

 たった一回の実演で多くのものを学べたわけではない。だが今まで鍛えてきたからこその観察眼と感覚で、なんとなく理解出来ている部分もある。

 波紋は、ある意味文字通り。まるで揺らぎのない水面に一滴の雫が落ちた時のように、威力は拳を中心に広がっていったように見えた。その衝撃の広がりが鋼鉄の鎧も押し砕いてしまったのだろう。と振武は考察している。

 拳そのものの威力を上げるだけではどうしても再現できない部分は、やはり振一郎の言っていた『力のコントロール』に関連する事であり、それを見つけなければいけない。

 貫鬼は、波紋とは真逆の性質を有しているように見えた。言わば一点に収束した力をまっすぐに放つ。弓矢のような点の攻撃。波紋とは逆に力を無駄なく散らさずに一点にぶつけなければいけないというのも、また至難の技のように思えた。

 だから振武は、取り敢えずひたすら拳を振るう所から始めた。

 コントロールする為にはまずあの領域で拳を速く、強く繰り出せるようにしなけばいけなかったから。

 10日間ある内の半分は、それに費やそうと思っていた。

 ――二日、三日と時間は過ぎていく。

 食事をし、壁に向かって拳を振るい、時折休んだ。

 体力が削られる音がしているのではないかと思えるほど疲弊は増すばかりで、周囲からの音も聞こえない所為か自分はたった1人なのだという自覚が増していく。唯一人との繋がりは食事だけだが、それを誰が運んできているのか分からない。

 ひたすら、拳を振るう。ただ拳を振るうだけでは意味がないため、ひたすら感覚を研ぎ澄ませた。

 一回放つ事で、必ず1つは改善点が見つかる。

 そこを潰し、また拳を振るう。

 その繰り返し。目が慣れているとはいえ、暗闇は暗闇だ。昼間でも光の届かない場所には暗闇と表現するにはあまりにも深すぎる闇が存在し、それに恐怖を感じる。初日にあった余裕は、たった三日でなくなっっている。

 普段暗闇に怯えないのは、光に照らされる時間があってこそだった。一日中暗闇の方が多い生活を送っていると人間は無性に不安になる。

 そこに何かいるのではないか。

 存在しないものを想像してしまうほどの深さの闇を無視して拳を振るい続けた。

 眠気はあるが思考はクリア。それがむしろ不安を助長させるものになっているが、振武はそこには気付けなかった。

 

「――っ!!」

 

 シュッ――ゴスッ

 

 土壁を殴る音が土蔵の中に響く。

 土壁の部分であっても、長年その強度を保ち続ける事が出来るものなので、振武が本気で殴ってもそれほど大きな傷が出来ることはない。しかし時間をかければ削れていってしまうため、振武はその陥没が大きくなる前に、殴る場所を変えた。

 時間をかけて穴を開けましたなんて事にはならないが、しかし修行の趣旨を忘れている訳ではない。頭の中の恐怖を必死で追い出しながら、理論を作っていく。

 拳の音は、まるで風をすり抜けていく鳥のように音を立てずに振るわれるようになっていた。速さと鋭さだけで言えば、振一郎の拳と負けてはいない。

 だが力の感覚は未だに掴めなかった。

 ――何かあるのは解るのに、それを操るという感覚が体に慣れていない。

 こう振るえば強くなる。こう振るえば速くなり、こう振るえば労力以上の威力を発揮できる。

 そこまでは良い。

 だがそれを粘土のように操るには至っていない。

 まだ三日目。だが太陽を見ていない振武には、もっとずっと長い時間ここにいるように感じた。

 

「……ハァッ……ハァッ」

 

 息を切らせて、その場に座り込んだ。

 体力の消費の所為で、それほど長く拳を振るっていられない。1発1発を全力で振るっていれば余計に、休む時間は多くなった。

 

「……足りない、なんかが、足りない」

 

 自分の足りないものが理解できない。

 10年間の修行に意味はあるし、自信だってあった。

 あった、はずなのに、それはまるで自分を奮い立たせてくれない。最初からそんなものなかったかのように、ぽっかりと心には穴が空いているようだ。

 

「――ちくしょう、全然届かねぇ」

 

 自分の拳が、まるで殴っている実感がない。

 まるで進歩している気にならない。それはここ最近感じていた焦りとは違う、『自分はここまでしか来れない、もう前には進めない程度の人間だったんじゃないか』という、根拠もない漠然とした不安。

 だがその不安は、前世から今まで、ずっと感じ続けていたものだった。

 

「――よっし、やる、かぁっ」

 

 足に力を入れ、立ち上がる。

 もう一度。もう一度だ。

 大丈夫、ここまで頑張ったんだ

 ――俺は〝やらなくちゃいけない〟、

 

 

【――もう良いんじゃねの? ここまでする意味あんの?】

 

 

「――っ」

 

 軽薄な声が、唐突に聞こえる。その声に一瞬体の動きが止まり、今度は汗が出始める。体を動かした時の熱い汗ではない、恐怖を表す冷たい汗。

 振武はゆっくりと後ろを振り返った。

 そこには、〝ナニカ〟がいた。

 暗闇に紛れて、姿はとても曖昧だ。Tシャツにジーパンというラフな格好。筋肉が付いている自分とは違う、運動というものに縁がない細い体。顔は、そこだけ闇を据え置いているように暗く見えない。

 

「……な、んだ、お前」

 

 いつから? 何故ここにいる? 敵? 侵入者? 振一郎(祖父ちゃん)(父さん)は? 俺に何か用なのか? 何故話しかけた?

 

 

 

 何故、俺はこいつを知っているように感じるんだ?

 

 

 

【酷いねぇ、転生したらすぐそうやって忘れる。

 俺がいるからお前がいて、お前がいるから俺がいるんだ。当然俺だってここにいる、お前がここにいる限りな】

 

 ヘラヘラとどうでも良さそうに笑うそいつはこう言った。

 

 

 

【久しぶりだなぁ、■■(オレ)前世の俺(オレ)だよ】

 

 

 

 ――振武は、ヒッという、声にならない悲鳴をあげた。

 

 

 

 

 

 

 


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