plus ultraを胸に抱き   作:鎌太郎EX

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※連続投稿です。この前の話から読んでください。
そうでないと、話が変な風に飛んでいます。


episode8 下 ORIGIN of the ORIGIN

 

 

 

 

 ……人間の断睡眠最長記録がどれほどか知っているだろうか。

 西暦1959年。トリップというDJが小児麻痺救済の募金集めの為に、一切の睡眠をとらずにニューヨークのタイムズスクエアから200時間もの生放送を続けた事がある。さらに1965年にはカリフォルニアの17歳の高校生が,264時間12分の断眠の新記録を樹立した。

 ――両者は4日目ころから集中力の低下や幻覚や猜疑心など精神的な変調があったというその他の研究などに照らし合わせてみれば、人間は2晩以上完全な徹夜を続けると、精神的にはかなり危険な状態に陥るという事だ。

 知識として、前世の時はそんなもんなのか、と思った事はある。

 その程度の認識だった。自分が体験するまでは。

 

 

 

 

 

 

 シュッ――ゴスッ

 

 殴る。

 感覚は眠気が裏返っているせいか研ぎ澄まされ、目は冴えている。

 拳は初日以上に早く、鋭い。無駄のない、シンプルなものだが、だからこそ強力。

 しかし震撃にはまだ届いていなかった。中には鉄板、表面は通常の土壁だ。しかし何度も何度も殴っていれば拳はどんどん傷ついていく。

 数日で腫れ上がった拳は皮膚が裂け血が出ているせいか、腫れが引いている。だがその代わり大量の血と、目には見えずとも確実に肉が削れていくのが感覚で解る。

 痛みは、もう感じない。感覚が麻痺しているのか、何日間かの徹夜の所為で脳内麻薬が効いているのか、それとも痛みに慣れたのか。痛みというものを痛みとして実感出来なくなっていた。

 そしてそれ以上に、

 

 

 

【……なぁ、今の俺(おまえ)さぁ、そこまでして何がしたいんだよ。

 もうヒーローも、何もかも――諦めちまおうぜ】

 

 

 

 ソイツは未だに、土蔵の隅で囁いていた。声はそれほど大きいわけではないのに、嫌でも耳に入ってくる。

 それは間違いなく、祖父の言っていた影だった。

 

 

 

 それは間違いなく、前世の自分(おれ)の姿だった。

 

 

 

【なぁ、もう止めろよ、そんな無駄な事。

 これ以上続けて何になる? シンゲキを習得出来る確証があるのか?】

 

 シュッ――ゴスッ

 

【もうボロボロじゃねぇか。そこまでしてやりたい事だったか?

 いや、こんな質問おかしいよな。そんなやりたい事があったのか?】

 

 シュッ――ゴスッ

 

お前(オレ)はそこそこ程度の人生で良かったはずだろ?

 苦難? 壁? 乗り越えた時の達成感? そんなもんオレにもお前にも無縁のものだったろうが。必要ないと捨てたはずだろう?】

 

 

 シュッ――ゴスッ

 

【――もう諦めちまえよ、得意だろ、そういうのは(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 ――ガンッ!!

 

「っ……ちくしょう、痛いな」

 

 一瞬だけぶれてしまった拳が中途半端にぶつかったからか、拳に衝撃が走った。

 怪我というほどではない。本当は痛みもない。

 だが耳に届く幻聴をかき消すために、あええてどうでも良いセリフを吐く。

 だが、幻聴にはそれが通用しない。

 

【痛そうだなぁ、見ろよ拳がボロボロだ。ここら辺が引き際だと思うぞ】

 

 暗闇から一歩も出てこないカレは、全く動揺する事なく振武に話しかけ続ける。

 ――正確な時間は分からない。もう時間感覚もあやふやだ。振武の幻覚と幻聴が始まってどれほどの時間が経ったのか。

 最初は無視していた。無視出来ていた。ひたすら自己の中に意識を埋没させ、無心に、何も感じていないように拳を振るい、休み、食事をしていた。

 だが体力ももう限界なのだろうか。意識は混濁し、集中力は続かない。無視し続ける意識すら、意識出来なくなっている。

 ……もしかしたら心を読む敵に操られているのではないだろうか。最初はそうも考えたが、今の振武には暗闇にいるモノがそういう類のものではないというのが何となく分かっていた。

 何せ10年間この世界で〝動島振武〟として生きていた所為で磨耗していたはずの前世の記憶は、この幻覚が現れてから鮮明になったからだ。

 そういえばあんな服持っていたな、とか。こんな笑い方してたっけな、などと。考えたくないのにそんな言葉が頭の隅に、気泡のように溢れてくる。

 強いて挙げるなら、

 

【……俺がお前にも遠慮してどうするんだ? 俺はお前だ。同一人物相手に畏まった話し方するようなタイプの人間か、俺は】

 

「……っ」

 

『自分はこんなフランクな喋り方をしていただろうか』。脳内でしか発していなかったその言葉に、暗闇にいる前世の俺(オレ)が答える。

 ……確かにな、なんて冷静な自分が納得する。

 イカレている。

 幻覚の自分とお喋りなどと、イカレている以外に表現しようがなかった。

 

「……黙ってろ、クソ野郎」

 

【自分に対してひどい言葉だな】

 

「違う、俺はお前と同じなんかじゃないっ」

 

 ぶり返してきた痛みも忘れて必死で手を振り払い、暗闇を睨みつける。

 動島振武は変わったのだ。母親から、父親から、祖父から、ワープワーヴから、焦凍から、魔女子から、今まで関わってきた多くの人から、沢山の大事な事を教えて貰った。

 格闘技も、気持ちも、前向きさも、信念も。

 昔とは違う、前に進めている。

 全てが新しく、力強いものだ。

 だから

 

【ハッ、おいおい、本気で言ってるのか?】

 

 振武の大事なモノを、鼻で笑い飛ばした。

 

【そんなもんお前にとっては、無理矢理付けられたもんでしかないだろう? いくら羽根を付けたって人は空を飛べない。それと同じさ。

 お前は下を見ていただろう。上を向いてる奴が羨ましくって、それを愚かの一言で片付けて、ダラダラ生きてきたじゃないか】

 

 暗闇と同化した顔で、ソイツは笑う。

 

【変わらないよ、人間はそう簡単に変わらない。動島覚から、動島壊から、動島振一郎から、転々寺位助から、轟焦凍から、塚井魔女子から、その他大勢から貰ったもんは、綺麗なもんだったろうさ。

 

 

 だが思わなかったか? 一度も後悔しなかったか? 『自分には重すぎる』って感じなかったか?】

 

 

 何か言い返そうとして口を開きかけて……ただの息が漏れた。

 全て図星で、事実だったからだ。

 何度思った事だろう。母の期待も、父の優しさも、振一郎の鼓舞も、轟焦凍との約束も、塚井魔女子の信頼も、多くの人達の言葉も。

 重いと、辛いと思ったのは。

 何度諦めようと心の中の自分が叫んだだろう。過去の自分が過去の経験が、これ以上は耐えられないと悲鳴を上げ続けたのを、自分は何度無視しただろう。

 そんな自分はいらないと蓋をした。

 だから振武は無視する事に決めたのだ。弱気な過去の自分をいらないと判断し、捨てる事に決めたのだ。

 ……結果を言ってしまえば、それは成功だったのかもしれない。それが出来たから振武はここまで走ってこれた。周りに流されず、諦めず、ここまでやって来れた。

 今はもう、前世の自分の名前すら曖昧。幻覚が名乗ったが、自分には意味の分からない言葉の羅列にしか聞こえなかった。

 ……振武は変わったのだ。

 ■■ではない、動島振武に。

 

【ここまで来た? 笑わせるなよ。どこまで来たっていうんだ。お前は結局成長してなかったじゃないか。学校の事件でそれを再確認したところじゃないか。

 ちょっとでも考えただろう、成長していない自分がやってきた事は無駄だったのかもしれない、って】

 

 自分(かこ)自分(いま)を苛む。

 

【……なぁ、おい。自分を抑圧し続けてなんの意味があるんだ。そんな風にして得た物にどんな価値がある。無理して無茶して無謀やらかして、自分で自分に命令してる。『俺はヒーローにならなきゃいけないんだ』って。

 良いじゃないか、ヒーローになれなくたって。震撃を会得出来なくたって。どんな仕事でだって人を守る事になる、今の力だったらほら、警察とかなら良い仕事出来るじゃないか?】

 

 妥協への誘惑の言葉が振武の心に纏わりつく。

 

動島覚(母さん)だって言ってただろう? 『なりたい自分になりなさい』って。今からそれがヒーローから別の物になっても、誰も何も言わないさ】

 

「……俺は、」

 

【適当に生きたって文句は言われない、自分の人生だからな

 さぁ――鳴らせよ】

 

 ソイツが少し横に動くと、そこから先のものが見える。

 それは小さな鐘だった。ドラというほど大きくはない、小さな鐘。鳴らせばここから出られる。

 もう嫌な自分を見なくて済むようになる。

 位置的に光が当たる事はないはずなのに、振武の目にはそれが光っているようにも見えた。

 

【鳴らせばこの苦しい時間も終わりだ。気づいてないだろうが今日で5日目、折り返しだろ?

 ここで引いとけ、もう諦めよう】

 

 耳にこびり付く。

 

【手を伸ばせ】

 

 右手が自然と上がった。

 過去の自分に操られている……のではない。そうではない。過去にいた■■と現在の振武は同じ存在だ。ここで頑張ったとしても、また同じような葛藤に飲まれるだろう。

 そんな自分に、

 そんな弱い自分に、

 ヒーローを目指す資格など――。

 

「俺、は、」

 

 自然と歯を食い縛る。拳に力が入る。

 視界には、幻覚と、小鐘と、自分の拳、

 その拳の、星のように存在する傷が、

 

 

 

 小さく脈動したように見えた。

 だから振武はその拳で、

 

 

 

「――うがあぁあぁぁあああぁあぁぁあぁ!!」

 

 自分の顔面を力いっぱい殴った。

 

 

 

 

 

 

【……はぁ?】

 

 幻覚の間の抜けた声が聞こえる。

 妙にリアルというか、妙な所で前世の振武らしくて少し可笑しい。

 

「いったぁ〜。自分で自分を全力で殴ったのなんて初めてだ、めちゃくちゃ痛っ!」

 

 自分で殴った頬をさすりながら叫ぶ。

 幸い歯にも頬骨にも影響はないようだが、それでもその痛みと衝撃は振武の目を覚まさせるのには十分だった。

 ――危うく傾きかけた。幻覚に惑わされそうになった。

 それは、当然なのかもしれない。幻覚は、自分で生み出すもの。相手もまた自分なのだから、ツボを心得ていてもおかしくはない。

 だが、だからと言ってその言葉に従えば良いなんて話にもならない。

 

「うっし……気合い入ったわ」

 

【……何がしたいんだ、お前】

 

「強いて言うなら、震撃会得だな。だからこそ、お前の話聞いてる暇はないんだよ」

 

 そう言いながら、壁に向かって再び構える。

 その重厚感は、前とまるで変わらない。未だに力のコントロールの感覚は掴めていない。構えただけで、この拳もこの壁を崩せないだろうと分かる。。

 だが不思議とそれでも、さっきよりは『超えられる』ような気がしていた。

 

【……まだ、続けるのか】

 

 シュッ――ゴスッ

 

「あぁ、続ける。自分で始めたんだから、最後までやりきらないと」

 

 シュッ――ゴスッ

 

【さっきの話は、聞いていなかったのか?】

 

 シュッ――ゴスッ

 

「聞いてたし、図星だよ。俺は自分を抑え込んじまう部分がある。まぁ、ヒーローなんてそもそもそういう重圧に耐えなきゃいけない部分あるしな」

 

 シュッ――ゴスッ

 

【――じゃあ、何で続けんだ。

 辛いんだろう? 辞めたいんだろう?】

 

 幻覚の言葉に、振武の拳は止まる。

 あぁ辛いね。と心の中だけでつぶやいた。

 10年間。遊びなんてほとんどしなかった。友達が知っているようなゲームも漫画も知らない。カラオケ行っても何が流行りなのかさっぱり分からない。昨日のドラマの感想聞かれても答えられない。娯楽といえば、振一郎から薦められる小説を読むくらい。

 辛くない、とは言えない。

 振武自身が選んだ道だ。弱音を吐くのは許されない。

 だがもし、弱音を吐いて良いのであれば。

 もっと楽しい事だっていっぱいしたかった。

 

「……お前、一個だけ間違えてる」

 

【――?】

 

 

 

「俺は、ヒーローに〝ならなきゃいけない〟訳じゃない。

 俺は、ヒーローに〝なりたい〟んだよ」

 

 

 

『貴方は、なりたいものに、なって』

 

(あぁ、母さん。俺はなりたいものになる。なって母さんを超えるよ)

 

『――なれるに決まってるじゃないか! お前は俺と覚ちゃんの自慢の息子なんだから。』

 

(うん、父さん。父さんの自慢の息子でい続けたい)

 

『振武。他人を救う前に、自分を守れ』

 

(解ってる。もう迷わないよ、祖父ちゃん)

 

『やくそくするよ! 大きくなったら、いっしょにヒーローとして、たくさんの人を助けよう!』

 

(おう、1つ目の約束も2つ目の約束も、きっちり果たしてやるよ)

 

『まったく、男の子というのはどうしてこう無茶が好きなんでしょう。本当に馬鹿です。』

 

(ごめん、心配かけたな。これからは、そうならないようにする)

 

 

 

 いつも貰ってばっかりだった。信じられないくらいに周りには優しい人たちばかりで、クヨクヨしている振武を励まし、慰め、時には怒ってくれた。

 確かにそれは重荷だが。

 確かに背負うのは辛いが。

 その重荷を背負った事を、振武は後悔していない。

 

 

 

「ありがたいくらいだよ。こんないっぱい背負わせてもらってさ」

 

 

 

【……ヒーローなんて、報われない事ばかりだぞ】

 

 幻覚の声は弱々しく、呟くように振武に言った。

 その言葉に、振武は振り返って、胸を張って答えた。

 

「何言ってんだ、お前。

 こっちは十分報われてんだよ」

 

 誰かを助けられた。誰かの笑顔を守れた。

 それだけで、振武にとっては大収穫だ。

 

 

『助けてくれて、ありがとう!!!』

 

 

 そう、あの笑顔と、あの言葉。

 

 

「誰かの笑顔に手が届くなら、俺はこの拳を振るう価値がある」

 

 

 あれを得られるのであれば。

 どんなに傷付いても、何度でも立ち上がり、何度だって拳を作れる。

 どんな辛い目にだって耐えられる。何だって背負える。

 振武の中には、もうその覚悟が出来ていた。

 

【ふざけるな!】

 

 幻覚が悲鳴のような絶叫を上げ、その場に崩れ落ちる。

 顔は相変わらず見えない。だが振武には、何故だか泣いているように見えた。

 

動島振武(おまえ)■■(オレ)を忘れていた! 俺をなかった事にした!

 ふざけんな、おれは一体何なんだよ! お前にとっちゃ黒歴史かもしれないけどなぁ、それでも、俺だって、お、れ、だって、】

 

 まるで、駄々をこねる子供のようで、反面、何かに絶望した大人のような。

 歪んだ悲しみと激情は、見るも哀れで無残で、見るに堪えない醜態だ。だがそれでも、振武はそれから目を離さない。真っ直ぐに、射抜くように見つめる。

 だってあれは、

 

 

 

【俺だって、お前みたいになりたかった!!】

 

 

 

 間違いなく、自分自身だ。

 

「……俺とお前はもう違う。

 記憶があったって何だって、俺はもう動島振武で、お前じゃない」

 

【ちくしょう、ぢくじょう……】

 

 ゆっくりと、幻覚に歩み寄る。

 近づけない、近づきたくないと思って一度もしなかったが、振武の足は思ったよりすんなり動いた。

 

「どうしてこうなったのか、何で子供に転生して、こんな世界にいるのか。何でお前が死んじまったのかも、分からない。

 でも、もう終わった事は確かなんだよ」

 

【ふざげんなぁ!!】

 

 幻覚の叫び声に動揺もせず、振武は幻覚の前に立つ。

 

「お前の事を蓋してたのもまぁ確かだよ。それで克服出来たと思ってたあたり、俺もまだまだだったんだ。もう思い出せない事も多い。

 でもな、」

 

 幻覚の前にしゃがみ込む。

 

 

 

「別人だろうと何だろうと、お前の続きは俺なんだ。

 ――何せ、1番初めにヒーローになりたいって思ったのは、お前なんだからさ」

 

 

 

『僕も大きくなったらヒーローになりたい』

 その言葉を父に言ったのは、いくつの時だったんだろう。もう詳細は朧げだ。

 だけど、あの記憶が、あの思いがあったからこそ今の振武がいた。確かにヒーローになれる下地は十分揃っている。自分で見ても、ヒーローになれる要素は多いだろう。

 だがなれるのと、なろうと思うのは、全くの別物で。

 

 

 動島振武の〝原初の原点〟はまさに、そこだった。

 

 

【……お前、なに、言って】

 

 顔は見えなくても、声色で何となく察する。

 驚いてる。

 我が事ながら、本当に間抜けだ。

 

「俺とお前は地続きなんだよ。前世の俺(お前)の頃の記憶が、気持ちがあったから、ヒーローになろうって決める事が出来た。

 俺もすっかり忘れてたわ。お前も大事な俺の原動力だもんな。忘れちゃダメだった」

 

 さっき殴った痛みを必死で堪えながら、笑顔を作る。

 辛い時こそ笑顔を見せなければ、ヒーロー志望が聞いて呆れる。そう思ったから、振武は必死で満面の笑みを浮かべる。

 

「だからここで見てろよ。

 お前の夢を叶える、ここが最初だ」

 

【……10年は、助走か?】

 

「長い助走だな。

 まぁ、俺らだからな。スロースターターなのはしょうがない」

 

 立ち上がり、先ほどまで向かい合っていた壁の前に戻る。

 ゆっくりと構えた。

 正面に対して半身に見えるように、利き手側を前にする。

 重心は少し後ろに、間合いを詰める速度を瞬時に出すため。

 あとは拳を構える。

 ――不思議な感覚だ。

 これまでで1番感覚が鋭くなっているはずなのに、妙に静かに感じる。

 動きを感じる。

 振武自身の目の前で静かに滞留する空気と塵、心臓と血流の音、充満する土と自分の汗の匂い、口に溜まった唾の感覚、筋肉や骨の軋み。

 その中にある微かな、〝流れ〟のようなもの。

 

「これ、か」

 

 丹田から全身に。

 渦のように巡っているその〝流れ〟が、振一郎の言っていた力。

 それを、足、腰、腕、拳の最低限の場所に、だが最高レベルまで流す。

 

「水滴は、波紋の後じゃない。波紋の前に落ちるもんだ」

 

 至極当然の事。だがその当然の事が分からなかった。

 衝撃の事ばかりに目がいって、拳の事を考えていなかった。

 簡単な話だった。

 〝衝撃の前に拳をぶつければ〟良い。あとは勝手に波紋が広がる。

 ――時間にすれば、刹那だった。

 

 

 

「――動島流活殺術、奥義。

 震撃、〝波紋〟!!」

 

 

 

 ――――――――――――バギィィン!!

 

 派手な音が、土蔵全体に響き、震動する。

 土壁はまるで水面のように、その壁を波立たせ、ヒビを入れ、歪みを生じさせる。

 ――だが、〝まだ足りない〟。

 

「――っ」

 

 すぐに腕を引く。

 力を入れる箇所は同じ、だが要領は違う。

 今度は、拳を思いっきり後ろへ。まさしく弓矢を引く感覚。

 筋肉が、弦のように張り詰め、骨が悲鳴をあげる。だがそれにも構わず、力を込める。

 ……貫く矢は、何処で的を貫くのか。決まっている、鏃だ。

 ならば他の部分は、真っ直ぐに飛ばすことを考えればいい。

 力を込め、放つのは――〝拳だけで十分〟だ。あとは、〝拳を壁の向こう側に届かせるように〟振るえば、貫ける。

 

 

 

「――動島流活殺術、奥義。

 震撃、〝貫鬼〟ぃ!!」

 

 

 

 ――バゴォンッ!!!!

 

 壁全体が面白いように簡単に、〝吹き飛んだ〟。暗闇は一気に晴れ、目も眩むような陽光が土蔵全体に降り注ぐ。5日ぶりの太陽は、異常に眩しく、だが暖かく感じた。

 貫きはしなかった。少し手前を殴る感覚で振れば波紋で弱った壁全体を吹き飛ばせるという振武の考えは、間違っていなかった。

 

 

 

「――ぃよっしゃーーーーーー!!」

 

 

 

 一瞬だけ何も考えられなかった振武の頭は、すぐに歓喜によって染め上げられた。

 出来た。

 奥義を、会得できた。

 夢に一歩近づいた。

 学校での出来事以上に、それが実感出来る。

 

「どうだ見たかこの野郎! 俺だってやれば出来――」

 

 るんだぞ、という言葉が、振り返った瞬間に尻すぼみに消えていく。

 ――そこには、暗闇など存在せず、過去の自分の幻覚など存在しなかった。

 あるのは埃っぽいだけの土蔵と吹き飛んだ土壁と鉄板の破片。そして余波にでもやられたのか、壊れた小鐘だけだった。

 逃げ出したいとすら思っていた場所は、何て事のない、ごく普通の土蔵に戻っていた。

 

「……なんだよ、消える前に一言くらい憎まれ口叩いていけば良いのに、」

 

 馬鹿な奴。口の中で小さく漏らした。

 ……所詮、あれは振武が極限状態で見た影に過ぎない。幻覚と幻聴のハイブリッド、ようは自分自身の弱い部分。

 ただそれだけだ。実際に前世の自分が別人格として現れたわけでも、なんでもない。

 全部が全部一人相撲。

 それでも、振武は少し嬉しかった。

 かつての自分を吹っ切るだけではない……かつての自分に見せつけたのだ。

 ――〝どうだ、俺はヒーローになってやる〟と。

 

「……まぁ、まだまだ先は長いんだけどな。

 大丈夫、もう忘れない。過去があるから現在があるんだしな」

 

 壊した壁から外に出る。

 まだ、夏よりも春に近い季節。空気の淀んでいた場所にいたからか、一呼吸だけでも自分の体が浄化されるような気がする。太陽を浴びているだけで、自然と疲れが抜けていく。

 晴れやかな顔で、空を見上げる。

 

 

 

「見届けてくれよ――〝真吾〟」

 

 

 

 転生して、10年目の5月。

 振武が転生して初めて前世の名前を言った瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 動島振一郎は、土蔵からそう離れていない場所にいた。

 地面にゴザを敷いて座禅を組み、ひたすら瞑想しているようで、その眼は固く閉ざされている。服の汚れや雰囲気から察するに、振武と同じように5日間ここに座り込んでいたようだ。

 付き合う必要ないのに、と思ったが、その事実は振武をさらに喜ばせた。

 

「――ただいま、祖父ちゃん」

 

「――おかえり、振武」

 

 振武が声をかけると、振一郎は振武がいる事に最初から気づいていたのか、驚くことなく目を開け、にっこりと微笑み返した。

 

「随分ボロボロになったな」

 

「あんな気狂いじみた事すりゃ、怪我もするし、汚れもするよ。

 祖父ちゃんも母さんも、本当にあんな修行したの? スパルタを通り越して、ただのトラウマ製造訓練みたいだったぜ」

 

「うむ、勿論やったさ。

 と言っても、私は10日目ギリギリ、覚も会得したのは8日目だった。5日というのは、随分早い部類だよ」

 

「そーゆーもんかぁ……まぁ、それなら良かった」

 

 そう言いながら、振一郎の側に寝転がる。

 やはり、人間は陽の下で生きていく事が最も正しい生き方のようだ。先ほどまでの最悪な環境に比べれば、庭の芝生は最高のベットのように感じた。

 

「で? お前はどうやって会得出来た?」

 

「影と何話したとか、どうやって乗り切ったかとか、そういうのは聞かないの?」

 

「決まりでな。影との対話内容は他人に話してはいけない事になっているんだ。

 まぁ自分自身の恥部を晒すようなものだからね。とてもではないが、私だって言いたくない」

 

「そりゃありがたい。俺もアレとの話を祖父ちゃんや父さんに話す気にはならないよ」

 

 転生やら何やら、どういう事だと突っ込まれ兼ねないワードを突っ込まれれば、振一郎や壊には聞かせたくない話が溢れでる。出来るだけそれは避けたかったが、それを聞いて少し安心したように息を吐く。

 溜息ではない、深呼吸だ。

 数分前まで空気の悪い所にいたのだ、振武がそうするのもしょうがない。

 

「で、どうやった?」

 

 

 

「――自分ぶん殴ってスッキリしたら、何となく気づいた。

 ようは、気合と勘、かな」

 

 

 

 ――一陣の風が吹いた。

 何も言わない振一郎を訝しんで振武が顔を見れば、随分ユニークな顔をしている振一郎がいる。

 こちらを凝視しながら、驚いたやら、呆れたやら、喜べば良いやら、どの顔を作ればいいか分からず結局一緒くたになってしまったような顔。

 印象派の絵画さながらの個性的(ユニーク)な顔だ。

 それも一瞬だった

 

「――アッハッハッハッハッハッ! そうか! 気合いと勘か! これは良い!!」

 

 今度は振武が驚く番だった。

 動島振一郎という男は、口を開けて大笑いするような人間ではない。いつも微笑みを絶やさないジェントルマンタイプだ。家族の前でさえその表情が崩れる事は殆どない。

 だが、笑っている。

 大爆笑だ。

 

「……そんなにおかしいか? 正直あんな技開発している動島家らしいと思うけど」

 

「ハハハ、ハァ、腹がよじれそうになったがね、確かにその通りだ、だが、お前ならもう少し理屈っぽく習得すると思っていたんだがね。気合いと勘なんて言われたら、意外過ぎてね。

 ――だが、これでお前は一段階上の存在になれた。おめでとう」

 

 必死で息を整え終わると、振一郎は優しい笑みを浮かべ、少し身を乗り出して、振武の頭を撫でてくれる。

 昔ほど乱暴な手つきではなくなったそれは、誰に褒められるよりも嬉しい事だった。

 だが、

 

「……祖父ちゃん、それはまだ早い」

 

 すっと起き上がり、振一郎の前に座る。

 

「むしろようやくスタートラインだ。

 震撃だってまだ〝使える〟だけで、実戦レベルとは程遠い。個性との併用もまだだ。それに使ってみて思ったけど、震撃って結構他の使い道があると思うし……とにかく、雄英に入るまでやらなきゃいけない事が沢山あるんだ、だから、」

 

 姿勢を正し、頭を下げる。

 

 

「これからも修行を付けてください、師匠」

 

 

 頭を下げている振武からは見えないが、振一郎は満足気に頷いた。

 前のような焦りや陰鬱さは全くと言って良いほど晴れている、振武の頼み。それを師匠であり祖父である振一郎が、拒否出来るはずもなかった。

 

「……承知した。動島流師範、及び動島家当主、動島振一郎。謹んでお引き受け致そう。

 では振武、最初は何から始める?」

 

「そんなの決まってんだろ!」

 

 勢い良く顔を上げて答える。

 

 

 

「まずは風呂入って飯食って、寝る!

 こんな体で無理に鍛錬始めたら流石に死ぬわ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 振武の叫びと、振一郎の爆笑で、その場は終わる。

 暗く、ウジウジした道はもう終えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 スタートラインをようやく超えて。

 次の目標(かべ)を超える為に。

 

 

 

 

 

 

 




如何だったでしょうか?
あれ修行早く終わりすぎじゃね?という方はいらっしゃると思います。
この震撃という技はかなり感覚がかなり重要視される系の技なので、気付く奴は会得がかなり早いんですね。振一郎さんは気付くまで少し時間がかかったし、覚さんの場合平均タイムぐらいなので遅い訳ではありません。
振武がたまたま気付くのが早かったんです。そういう気付きを引き寄せられるかどうかというのも、ヒーローの重要な要素だと思っています。


さて、ここから時間はまた少し飛んで、雄英入試スタートです!!
ウジウジグダグダやってた振武くんから脱した振武くんを、どうかお楽しみに。
ではまた次回。


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