plus ultraを胸に抱き   作:鎌太郎EX

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雄英体育祭編
episode1 人の心は斯くして揺らぎ


 

 

 

 

 あの事件から、すでに2日経っている。

 学校が翌日を臨時休校にし、その次の日……つまり今日には再開したそうだ。

 何故「だそうだ」などと他人行儀に説明しているかといえば、振武は今日学校を休んでいるからだ。

 両足に筋断裂と内出血。

 肋骨2本を骨折。

 内臓の一部損傷。

 右腕の粉砕骨折。

 リカバリーガールの出張治療も受け、病院からの手厚い治療も受けているため元気なのだが、流石に学校側から「もう1日休みなさい」と止められた。それだけではなく、病院の医者からももう少し検査をと言われてしまった。

 

「……動島さん、」

 

 そうなってくると今度は時間が空く。

 普段1日の殆どを学校で過ごし、家に帰れば師匠である祖父との手合わせなどをしていると、1日何もせずにじっとするなんて事は滅多にない。

 確かに修行で怪我をし病気になる事も一度や二度ではない。そういう時にこそという考えは振武も理解している。

 しかし暇だ。

 手慰み程度に出来る事をしているのだが、それでもやはり緩く感じてしまうのは普段の修行がハードだからだろう。

 

「……動島振武さんっ!」

 

「え。あ、はい!」

 

 考え事に集中していたせいか、自分のすぐ側に担当の医者がいたのに気づかなかった。

 振武は今やっている事を継続しながら返事をすると、年齢の割に頭の寂しい医師は呆れと困惑が混じった複雑な表情を浮かべる。

 

「何をしていらっしゃるんですか?」

 

「えっと、暇潰しをちょっと。

 ほら、病院ってやる事ないし暇じゃないですか?」

 

「……お気持ちは分かります。

 ですが、動島さんは何をしにここにいらっしゃっているか、忘れている訳ではないでしょう?」

 

「? そりゃあ、まだ検査が残っているからとかですよね?」

 

「確かにそうですが、それだけではありません。

 良いですか動島さん、貴方は説明した通り、割と重傷だったんですよ? 普通の人であれば、もしかしたらそのまま治らなかった可能性だってある。

 貴方はヒーロー志望の方ですし無茶をする可能性があるから、今日一日だけでもノンビリ過ごせるようにと期間を延ばしたんです」

 

「はぁ……」

 

 医者の言葉に、振武は気もそぞろな返事をする。

 

「それを貴方は……自分が何をしているのか、分かっているんですか?」

 

「アハハ、嫌だなぁ先生、分かってますよそんな事、

 

 

 

 懸垂です」

 

 

 

 振武がそう言っている間も、振武の腕が止まる事はない。

 病室のカーテンレーン。前の世界であれば人が1人ぶら下がりでもしたらアッサリ外れてしまうだろうが、昨今はどんな個性を持った患者がいるか分からない。下手をすればカーテンレーンだけではなくあらゆる物が壊される可能性だってある。

 だからこそ、病室の至る所が前の世界以上の強度を持っている。

 カーテンレーンであれば、振武1人位ならばぶら下がって懸垂する位はそう現実離れした話ではない。

 ……勿論、病室で懸垂しているという事実が現実離れしているのは確かだが。

 

「分かってます!? 貴方昨日まで腕折れてたんですよ!!?」

 

「いや分かってますって先生。だからこうやってちゃんと動くか確認してるんじゃないですか」

 

「そういうのはちゃんと専門医の前でリハビリとしてやるものです!

 しかも、普通いきなり懸垂なんてしないんですよ!?」

 

「いや、もう骨折れるくらいだったら慣れていますし、ほら、1日サボっちゃうと取り戻すのに3日は必要なんですよ、筋肉とか」

 

「だからそういう問題じゃないでしょう!?」

 

 もう嫌!この患者!! と叫んでいる医者の目は涙目だ。

 振武にとってはそこまで言われる程ではないと思っているからか、(ストレスで抜けなきゃ良いけど)という感情程度しか湧いてこない。

 良くも悪くも、振武のこういう価値観は誰よりも常人離れしているのだ。

 

「見舞いに来てみれば……ちょっとでもじっとしてられないのか? 動島」

 

 不意に入口から、呆れ混じりの声が聞こえてくる。

 懸垂をし続けながら見てみれば、そこには小さなお菓子の紙箱を持って立っている相澤がいた。

 負傷した腕はまだしっかりと包帯と釣り布で固定されているものの、それ以外は顔色も良く元気そうな姿だ。

 

「あ、相澤先生、こんにちわ」

 

「懸垂しながら挨拶するんじゃない。

 ったく、だからあの流派の人間はめちゃくちゃなんだ。なんで軽傷の俺より元気そうなんだ、お前」

 

「そう言われましても。

 先生だって、あの流派の出身じゃないですか。先生に言われたくありませんよっと!」

 

 懸垂の勢いを利用して飛び上がり、体を一回転させて着地する。高さはそれほどではなかったが、滞空時間長かったし出来るのだ。

 誰がなんと言おうと。

 

「ハァ……一応連絡事項があるし、今日一杯は入院だろうと判断してここに来たが、無駄足のようだな。見舞いっつうより、退院の迎えになっちまった」

 

 小さく溜息をつき、相澤は医師に「今日もう退院で良いですよね? こいつ」と言うと、もう医師も何も言う事が出来ないのか、コクコクと何度も頷くだけだった。

 元気過ぎる患者とは、相当に厄介だ。

 

 

 

 

「ほら、コーラで良かったな」

 

 病院の正面玄関から少し離れた公園。

 丁度お昼時の時間帯だからだろう、休憩中のサラリーマン、昼食を外で済ませようという親子の姿がいる中でも、全身黒づくめの男から飲み物を受け取っている学生らしき少年の姿は、はたから見ればかなり目立つ。

 もっとも、そんな目線を気にする教師でも、気にする生徒でもないのだが。

 

「ありがとうございます、先生」

 

 ペットボトルの口を開けて煽る。

 内臓の損傷はリカバリーガールの治癒一回で治ったものの、病院食や病院で出される飲み物というのは健康的であるが故に、味は二の次三の次だ。少し体に悪いものと言うものがこれほど美味しいのだと、口の中に広がる化学調味料的な甘みが証明している。

 美味しそうにコーラを飲む振武を見て、相澤は目尻を下げながら自分も買ってきた缶コーヒーに口を付ける。

 

「で、先生。俺に何の用だったんですか? わざわざ顔を出すなんて」

 

「さっきも言っただろう、連絡事項があっただけ……って言っても信用はされないだろうな。実際、お前には直接話したかった」

 

 缶を手の中で相澤は苦笑する。

 連絡事項だけならば、仲の良い百や魔女子に任せれば良かった。大きな検査などはもうすでに昨日済ませ、今日の治癒で腕自体も殆ど治っている。病院に来る必要はない。

 だが相澤には、振武と直接話したかった事がある。

 それは、振武が聞きたい事だった。

 

「……先生は、いつ動島流を?」

 

 少しの間だけ流れた沈黙を、振武の方から破った。

 

「……センシティさんに会って少ししてからだ。俺は直接戦闘が苦手だったからな、多少の心得は必要だろうと、振一郎さんに紹介されたんだ。

 もっとも、非合理過ぎて俺には合わなかった。結局基礎だけ教わっただけで、門下生と名乗る事は許されちゃいない。だからお前にもわざわざ言う必要性はないと思っていた」

 

 思い出してみれば、酷い修行時代だった。

 本職もあると言うのに、それが滞るかもしれないと思えるレベルでの修行、修行というだけでは考えられないほど傷を負った。

 役に立たなかったなどと口が裂けても言えないが、あそこまでして鍛錬を行える自信は相澤にはなかった。

 手元に落としていた視線を、振武に向ける。

 つい数ヶ月前まで中学生だったとは思えない、洗練された筋肉のつき方。

 重体と言えるレベルの傷の中でも動き、すぐ治ってしまうタフさ。

 まだまだ未熟だが、戦場での戦いっぷりはプロヒーローにも劣らない。

 

(あの修行を幼少期から受けているのは、伊達ではない、か)

 

 子供であれば、虐待と言っても良い程の苦痛の中で磨かれたそれ。

 あの流派は合理的とは真逆の存在ではあるが、それでも無駄なものではなかったのだろう。

 

「……お前の母親はな、」

 

 何の考えもなく、言葉が口から溢れる。

 

 

 

「……無茶苦茶な人だった」

 

 

 

 わりと容赦無く。

 

「……はい?」

 

 何言ってんだこの人。

 とでも言うような顔をする振武を無視し、相澤の口は止まらない。

 

「仕事にやる気が基本的にない。いやないは言い過ぎだが、異常なほどマイペースだ。敵の前で旦那の相談を始めた。しかも天才故なのか、戦闘面に関しては無茶振りが多かった。『私が出来るんだから貴方も出来るはず』じゃない、誰が素手でコンクリートに穴を開けられるか。しかも情が深すぎる。敵であっても子供や良い奴だと判断すると戦う事を厭い、逮捕を躊躇する瞬間さえあった。あれでトップヒーローなんだから驚きだ。しかも、毎日のように自分が捕まえた敵に連絡を入れ手紙を書き時には面会にまで行く。しかもそれをこっちに断りなくするからまるで行動が読めない仕事が滞る。お前の母親は、そういう非合理的な人だった」

 

 不満は口に出した以上、こんなもの十分の一にも満たないだろう。

 あの時は本当に「何でこんな人の相棒(サイドキック)をやっているんだろう」という自問自答を毎日していた気がする。

 憂鬱だった。

 思い出している今でもちょっと憂鬱だ。

 

「……なんか、すいません」

 

 相澤の表情を見て、振武も思わずといった感じで謝罪する。

 マイペースで変わった人だという記憶はあっても、そこまで自由人だったとは思えない。

 

(転々寺さんも似たような苦労したんだろうなぁ)

 

 道理で、トップヒーローの割に相棒が少なかった訳だ。

 本人の方針もあったのだろうが、あれだ。誰もまともについてこれなかったという要因もあったのだろう。

 

「……だが、良い人だった」

 

 ポツリと、相澤の言葉が漏れた。

 

「面倒な女性の典型例のようで、自由人だったが、あの人は、誰よりも大切なものを護ろうとした。

 無茶苦茶な人だったが、本気で誰かを護ろう、誰かを救けようとするヒーローは、実はそう多くはない」

 

 地位、名声、金銭。

 そういう、ある意味即物的とも言って良いものを求めてヒーローになるものも、現代では珍しくない。それが全くの悪だとも、相澤は思っていない。

 信念の内容は問題ではない、その信念の強さが問題なのだ。

 だがそれでも、センシティのヒーローとしての信念は輝かしいものだった。

 No.1ヒーロー、オールマイトにも通じるほど強いもの。

 だがあれ程硬くはない。むしろ優しさから来るその信念は、まるで母親の愛そのものだったように思える。

 サイドキックを辞めてからだが、振武が生まれてその傾向はさらに強くなったように思える。

 

「……お前の母親は、良いヒーローだった。俺が言わなくても、それは分かっているだろうがな」

 

「いえ、嬉しいです」

 

 間髪入れずに、振武は胸を張って答える。

 ヒーローになろう。何年も何年もその目標の為だけに、文字通り血反吐を吐く程の努力を重ねてきた。だがヒーローとしての母親の凄さを実感したのは、本当にヒーローになる道を歩み始めたここ最近からだ。

 授業は大変で、

 夢を見ているだけでは収まらず、

 敵は強大で絶望的な存在だ。

 それと戦ってきたヒーロー、センシティは本当に強い存在だったのだろうと、改めて思う。

 そして、改めて誇りに思う。

 

「……お前のその無茶な所と、眼は母親譲りだな。いや、無茶苦茶な所は動島家の特徴なんだろうな。

 とにかく、この話はここまでだ。話すと一々あの人に苦労させられた記憶が蘇ってきて、俺も良い気分じゃないしな」

 

 残っているコーヒーを一気に飲んで、近くに置いてあったゴミ箱に放り込む。

 

「本題に入る。もうそろそろ雄英体育祭が始まるからな。お前にも発破をかけに来たんだ」

 

 相澤の言葉に、もうそんな時期かと驚く。

 雄英体育祭。

 かつてスポーツの祭典とされたオリンピックは、規模も人口も縮小してしまった関係で形骸化した。その中でも、日本でオリンピックに代わるのが、現在の雄英体育祭だ。

 生徒達が自分の学んできた事を直接観客に披露し、同級生達としのぎを削り合う。

 そして、このイベントにはもう1つ大きな役割がある。

 

「説明は不要だろうが、これには全国のプロヒーローがスカウト目的で集まる。勿論今回だけで将来が全て決まる訳ではないが、周囲に自分の存在をアピールする、在学中に3回だけの大きなチャンスだ」

 

 卒業後、大手事務所にサイドキックとして入る。

 それが現在のヒーロー志望の進路としてはセオリーになっている。卒業後すぐに個人でデビューする異例の存在も中にはいるが、それでも学生時代から注目度を高めておける絶好の機会だ。

 

「お前が将来どうするのか分からんし、まだ決めていないだろうが。

 どちらにしろ、ヒーローとして本当に頑張りたいと思うのであれば、この機会を逃すなよ」

 

 そう言うと、相澤は立ち上がる。

 

「そろそろ授業があるから俺は戻る。

 お前は今日1日休め。いくら傷が治ったからって、体力や精神的消耗は油断出来るもんじゃない」

 

「……はい」

 

 振武も立ち上がって、頭をさげる。

 

「わざわざ話に来てくれて、ありがとうございました」

 

「……その眼が、お前を動島だと思い出させるよ」

 

 振武の顔を数瞬だけ見つめてから、相澤は盛大に溜息を吐く。

 遺伝した眼、という意味ではない。

 動島家が武家だ。

 戦いに生き、戦いに死ぬ。そういう生き方をしていた戦士の家系だ。しかも、強さというものを追い求める傾向が異常に強い。

 そんな人種だからだろう。

 誰かと競い合う。

 強さを比べる。

 それを聞いただけで、振武の眼は、

 

 

 

 戦意の籠った、戦う者の眼になっていた。

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 今日も、雄英高校の食堂である《LUNCH RUSHのメシ処》は大いに賑わっている。

 皆表情は明るい。学校の食堂の料理というのは「美味しいとは断言出来ないが不味くはない」というのが一般的な感想だろうが、この雄英高校の食堂の食事を食べた生徒の中に、そんな感想を抱く人間はいないだろう。

 ランチラッシュの一流料理を、安価で食べられるのだ。

 三大欲求の1つを思う存分満たせるこの場所で暗い顔をしている人間はそう多くない。

 だが、そこで食事をしている百は、その数少ない例外の1人だっただろう。

 

「えぇ〜と、百、大丈夫? なんか悩みでもあるの?」

 

 百の正面に座っている耳郎は、困ったような心配するような顔で百に言う。USJ襲撃の折に仲良くなり、今日も一緒に食事をという流れになったのだが、その姿にはそれ以外にかける言葉が見つからなかった。

 考え込み、動きが止まっていたフォークがピクリと反応する。

 

「あ、すいません、体育祭の事を考えていました」

 

 失礼でしたね、と申し訳なさそうにする百に、耳郎は気にしなくても良いよと首を振る。

 

「ビックイベントだもんね。私も気になってるし、しょうがないよ」

 

 子供の頃から見てきたビックイベント。

 そこに自分が立てるというのは大きな喜びではあるが、同時にプレッシャーだ。耳郎も、自分の個性であるイヤホンを誰かにさせば、通常の鼓動以上に激しい音が響くだろうと思えるほど、高鳴っているのが分かる。

 だが百の表情は、同じ事を考えていないという事が分かる表情だった。

 

「……ねぇ、耳郎さん。私の事、どう思っていらっしゃいますか?」

 

「? いや、友達だけど」

 

「そ、それは嬉しいんですが、そういう事ではありませんっ」

 

 不意打ちで言われた言葉に頬を染めながらも、百は言葉を続ける。

 

「わ、私は、多分冷静に考えれば、このクラスで上位、という程でもないと思っているんです」

 

 最初は自信に満ち溢れていた。

 自分はヒーロー科最難関と言われる雄英高校の推薦入学者だ。個性も、実力も、頭脳も負けてはいないと自負していた。

 ところが、入ってみればそうでもない。

 轟焦凍。

 爆豪勝己。

 塚井魔女子。

 そして、動島振武。

 自分より凄い個性を持ち、実力溢れ、頭脳が優れている人間は、思った以上に多かった。

 

「百の言いたい事は分かるけど、それって当たり前じゃないかな?

 皆、自分の中学じゃ1番だって思ってる人達だったし、百が今想像している人達だって、やっぱり百と同じような事を考えていると思うよ?」

 

 手近に置いてあった紙ナプキンで口を拭いながら、耳郎は百と同じく真剣な表情で答える。

 実際、轟焦凍も、爆豪勝己も、塚井魔女子も、動島振武も。

 大なり小なり挫折や自分の才能への疑問などを、この学校に入ってから抱いているはずだ。それは百も理解できている。

 

「確かにそうですわ……でも、足りないんです」

 

 動島振武の背中を守るために。

 彼に信頼されるために。

 自分の実力は足りていない。

 塚井魔女子のように、信頼して任せて貰える様になる為には、まだまだ実力が足りていないのだ。

 塚井魔女子。

 中学校時代から振武と焦凍と共にいる少女。

 自分よりもずっと冷静で頭が良い彼女は、振武や、あの人付き合いが好きではない焦凍も信頼している存在。

 百は彼女が好きだ。

 尊敬している。

 だがだからこそ、あの人のように自分も振武に信頼され、実際に頼って欲しいと。

 勿論、何も信頼されていないという訳ではないのだろうが、それでも魔女子程ではないのかもしれない。

 そう思ったからこそ、百は今回を機に頑張ろうと考えたのだ。

 

「私、振武さんを護りたいんです。塚井さんのように……」

 

「百がそうしたいって言うのは分かるけど……なんだろう、なんか意外だなぁ」

 

 机に肘をつき、珍しそうにこちらを見てくる耳郎に、百は不思議そうな顔をする。

 

「意外? 何がですか?」

 

「あぁ、いや、百ってもっと冷静なんだと思ってたんだけど、意外と熱血だなぁって思ったのと……ねぇ、気付いてる?」

 

 耳郎は少しばかり楽しそうに笑う。

 彼女からすれば、ちょっとし悪戯心のようなものだった。ほんのちょっと、彼女の気持ちがどういうものか確かめてみよう。そんな些細な考えで、実際これを真に受ける人間はいないだろう。

 冷静な時の百であれば、軽く流せたその言葉は、

 

 

 

「なんか百、塚井さんに嫉妬してるみたいだよ?」

 

 

 

 今の百にとっては、大きな衝撃を与えた。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 ――塚井魔女子という少女は、俯瞰的な観察眼を持ち、極めて冷静な分析が出来る少女だ。

 情はあるが流されない。

 恐怖はあるが無視出来る。

 偏見も、固定概念も、怒りや悲しみといった感情も。

 それはそれとして(・・・・・・・・)と、脇に置いておく事が出来る。

 自分に、仲間に、敵に。何が出来て何が出来ないのか。

 客観的な情報でのみ出される答えは時に非情に見える時があり、同時に自分の苦痛すらも勘定に入れず動く無茶な部分もない訳ではない。

 結果を得る。

 それさえ確保出来るならば、自分がいくら苦痛に塗れようが重要ではない。

 だって、出来る(・・・)のだから。

 勿論、非合法であったり仲間に被害が及ぶようなやり方は、言語道断ではあるが。

 ……で、あるならば。

 そうであるならば。

 この場合はどうすれば良いのだろう、と頭の中で冷静に考える、もう1人の自分がいる。

 ……1人の少年がいる。

 過去の事を引きずり、歪んでしまった信念を持つ少年がいる。

 その願いを持ってしまったのは、決して悪い事ではない。むしろ必然で、自分もそんな状況だったら恨まずにはいられず、罪悪感を抱かずにはいられない。

 同情でも、憐憫の気持ちもなく、ただそうだろう、という客観的事実。

 そしてそれを否定する筋合いは、恵まれて育ち、そう長い時を過ごしている訳ではない塚井魔女子にはない。それが例え友人であっても、友人の考えを否定する理由が魔女子にはない。

 つまり、自分が何かをする必要性はまるでなく、ただ見守るだけで十分だ。

 ある友人は大きなお世話はヒーローの本質と言って過度な干渉をしているようだが、それは彼の中でもハッキリとそうしなければいけない理由があるからだ。

 自分に、それほどの理由はない。

 全くない。

 ないのだ……。

 しかしそれでも、

 それでも魔女子は、

 

「塚井……おい、塚井。聞いているのか?」

 

「っ――すいません、ぼーっとしてしまいました。

 4月ですからね。春の陽気で、気もそぞろになるのでしょう」

 

 聞こえてきた声に、素直にそう言う。

 雄英高校で食事をするには3つの方法がある。

 弁当を持参する、食堂に行く、もしくは購買でパンを買う。

 今回は3番目を諸々の事情で選んだ(と言っても魔女子が「購買のパンも食べてみたい」と言ったのに焦凍が付き合っただけだが)2人は、そのパンを持って中庭の隅に座っていた。

 陽気は心地よく、風は気持ち良い。それが、魔女子の小さな嘘にも真実味を持たせていた。

 

「そうか……まぁ、良いけどな、お前はそういう、ある意味呑気な奴だ」

 

 魔女子の言葉を素直に受け取った焦凍は、緑茶のパックに刺さったストローを咥える。

 ぱっと見子どもっぽい仕草ではあるが、それまでも妙に様になっているのは焦凍がイケメンなせいだ。と、何故か冷静に魔女子は結論付けた。

 

「ひどい言い草です。私のどこが呑気ですか」

 

「……お前、昼休みの残り時間をどう過ごすってさっき言った?」

 

「もう忘れましたか、お昼寝、つまりシエスタです」

 

 こんな良い天気の中、昼寝をしないというのは一種の大罪である。

 と、魔女子は本気で思っている。

 

「午後は実習もあります。のんびりと英気を養うのも、大事な事でしょう」

 

「否定はしないが、それにしたって、やっぱり呑気だろう」

 

 変わった奴だ。

 そう言いながら、焦凍の表情が緩む。

 基本的に仏頂面か顰めっ面しか見れない人達には、きっと意外だと思うだろう。中学も終わりに近づいてきた頃から、魔女子の前で表情を緩める事が多くなった。

 その事が、魔女子には嬉しい。

 少しでも彼が思い悩まない時間を作ってあげられているのだと思える。

 ……それが、友人という範疇の中で許される事なのかは、魔女子にも分かっていない。そもそもこの感情が友人に対しての感情なのか難しい。

 百と接する時とは絶対に違う。

 振武と接する時とも少し違う。

 家族への接し方とも多分違う。

 この感情に名前をつける事は、今はする気はない。

 だってそれは、多分これからする事に邪魔なものだ。それに名前をつけ、その存在を認めてしまえば、魔女子は轟焦凍に何も出来なくなる。

 

(ですけど、あぁ……)

 

 焦凍の横顔を見ながら、心の中の自分は嘆息する。

 

 

 

 この顔が見れなくなるかもしれない。

 そう思うと、――嫌だなぁ。

 

 

 

「――轟くん、体育祭の件ですが。

 私は、貴方に明確に敵対しようと思います」

 

 ……風が嫌なほど耳につく。

 陽気と風で爽やかな気分になっていたその場は、まるで焦凍の個性が使われている時のような冷え切ったものだ。

 焦凍の顔を見る。表情は変わっていないが、目を見れば分かる。

 驚き。

 

「……お前はよく意味のわからない事を言うが、今回は相当だな。

 体育祭は個人同士の順位争いがメインなんだ、そりゃ状況によっちゃ敵対するだろう」

 

 あぁ、違うんですよ、轟くん。

 心の中で、自嘲の言葉が響く。

 そんな意味ではないんですよ、と。

 

「いいえ、そういう意味ではありません。私は私なりの思想を持って、貴方と敵対すると言ったんです。

 形としては、まぁ動島くんと同じですね。内容はまるで違いますが」

 

 魔女子の平坦にも聞こえる言葉に、焦凍が顔をしかめる。

 動島振武。

 轟焦凍が無視したくても、出来ない存在。

 心の中に巣食うようにいる、今の彼にはきっと邪魔な存在。

 それと同じ事を、すると言う魔女子に、焦凍の目に怒りの火が灯る。

 

「――お前まで、俺の考えを否定するのか?」

 

 焦凍の声に、絶望にも似た落胆が混じる。

 お前まで。

 その言葉が、魔女子を心から信頼していた証だろう。

 違うんです。

 貴方の考えを、信念を、願いを、馬鹿にする訳でも貶める訳でも否定する訳でもないんです。そういう意図があって言っているわけではないんですよ。

 そう叫びそうになる自分の衝動を押し込めて、

 

「えぇ、そうです轟焦凍さん。

 

 

 

 私は貴方の考えを、信念を、願いを、完全否定します」

 

 

 

 塚井魔女子は心にもない宣戦布告をした。

 

 

 

 

 

 

 

 




体育祭編スタートです。
今回の章、多分めちゃくちゃ長くなります。
振武の気持ち、百の気持ち、焦凍の気持ち、魔女子の気持ち。
様々な感情が乱れ飛ぶ雄英体育祭編。頑張って書きますので、どうか見守って頂けると嬉しいです。

次回! 壊さんが泣く…あれ? 案外いつも通り? とりあえず待て!!


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