作者自身書いてて凹みました!
覚悟だけはしてください!
では本編どうぞ!
――歴史が深い家とは、嫌なものですよ。
特に個性が優先される現代社会では顕著です。まだ古い風潮を残し続けているその家では、何世代か前では当たり前だった「個性婚」というものを重要視する節があります。
より強く、より優秀な個性を残す。
ゴリッゴリの選民思想ですから、個性も項目の1つであるだけで、他にも求められる部分は多々ありますけどね。家柄とか、学歴功績とか。
そういう意味では、母は1番縁遠い人だったと思います。
無個性で、高校中退ですから最終学歴は中卒でしたし、おまけに「家柄? なにそれ美味しいの?」と爽やかな笑みで本当に言い切ってしまうような人でした。
でも、良い人だったんです。
物腰は柔らかで、酷い事を言う人達にさえ優しく接する事が出来て、とても出来た人でした。
だから私は、自分の周りにいる人達――当然家族を除いて――が嫌いでした。
母を悪く言う人達が嫌いでした。家族を馬鹿にする人達が嫌いでした。
自分にとっては
だから幼少期は、そういう人達を懲らしめると称してのイタズラを随分やって、それで母に怒られました。
『良いですか、魔女子。貴方の個性も、貴方も、誰かを傷つける為にいるのではないんですよ?
あの人達はね、弱いの。自分たちの考えが及ばない人間を警戒しているだけ、とりあえず攻撃して様子を見る……まぁ、ペットと同じです、その辺』
母も、まぁ物腰は柔らかですが素直な人ですから、割と酷い事を言いましたけど。
『魔女子。貴女には、ううん、貴女だからこそ、優しい――シンデレラを救けた魔女のような女の子になってほしいわ。誰かを傷つけるのではなく、誰かの笑顔を創れるような。
でも、その為には、世界を識って、世界を理解して、それで魔女子が本当に救けたいと思う相手を見つけないとね』
母の精神は、誰にでも降り注ぐ陽光のように暖かく、不可侵のものでした。
――当時の私は、それを愚かとしか思えませんでしたけど。
だって私の家族以外に、救うべき人なんて1人もいないんですから。少なくとも、当時はそう思っていましたし。
ですが、母は優し過ぎて――頑固過ぎる人でしたから。
自分が倒れるその時まで、昏睡状態になるその時まで、自分を曲げる事はしませんでした。
……心の中でずっと、母に言われた言葉が揺蕩うのを感じていました。
でも生まれながらのこの性格です、人と交流する事が下手くそだった私です。
誰かの笑顔を作る為に切れるカードなんて、それこそ、自分しかなかった。
だから私はこの生き方に迷ってはいません。
ただ、ようやく母の言葉を――「救けたいと思う相手を見つけた」だけです。
◇
ゆっくりと目を開ける。
すでに魔女子がいる場所は舞台の上だ。流石、セメントス。これほど短時間で舞台が直せるとは、魔女子も思っていなかった。
真っ直ぐ、正面にいる――焦凍を見る。
「……なんて酷い顔をしているんですか、轟くん」
まるで悲しみと憎悪を無理やり煮詰めて固めたような顔だ。
それがヒーローの顔なんだとしたら、自分だったらどんな事をしてもこの人に救けられたくないと思ってしまうほど、酷い顔だった。
――そこまで追い詰めてしまった要因が、自分にもあったとしても。
「轟くん。貴方は間違っています」
「……うるさい」
焦凍の口から告げられた言葉は、とても閉鎖的で無情なものだ。
だがそれでも、魔女子はやめない。
「いいえ、轟くん。
貴方がそんな顔をしてしまう理由は私や動島くんですが……原因は別でしょう?」
魔女子の言葉に、焦凍はピクリと体を反応させる。
「私には話して頂けませんでしたが……それでも、貴方がとても辛い思いをしてきて、辛い思いをしているのは、見ていて解ります」
「……お前には、俺の気持ちは解らない」
「確かに、本当の意味で理解する事は出来ません。
でも、それでも――私は貴方を、救いたいんです」
『2回戦第2試合! 両者とも抜け目なく、おまけにチート臭い個性の持ち主!! 本当にA組はどうなってんだって感じだよな!?
轟
後ろで実況の声が鳴り響くが、無視する。
ここで必要なのは、魔女子自身と轟焦凍。
それ以外は今だけは、邪魔だ。
「轟くん――貴方の笑顔を創ります」
私が、この手で。
『START!!!!』
◆
「試合、始まってたか」
「おぉ!? 動島待ってたぜ!! ちょっとこれ説明してくれ!!」
保健室から観客席に戻ってきた振武に、鋭児郎は慌てて自分の隣の席を勧める。
――会場には、1回戦の時と同じように氷山が生まれていた。
冷気で周囲の空気も冷たくなっており、5月だというのに少し体が震えるくらい寒い。
相変わらずの一撃必殺。
あれを防御するのは難しい――だが、それは塚井に効果を発揮していなかった。
今も塚井は、いつも生み出している狼の背中に乗り、縦横無尽に舞台の上を駆け回っている。
「説明くれ、じゃなきゃ説明のしようがない」
「あ、あぁ、瀬呂にやった時と同じように、すげぇでかい氷を生み出したんだけど、外した……つうか、なんか、いつの間にか塚井が横にスライドして避けた、のかな?」
激しい身振り手振りで説明しているが、鋭児郎にも分かっていないようだ。
実際、やった事は単純でも効果は絶大。事情を知らない人間が見れば解りづらいものだろう。
「なるほど……そりゃあれだ、普通に避けただけだな」
「避けただけって、そんなん、」
「無理、と普通は思うよな。あんな大火力を回避しようって発想にはならないし、初見なら無理。
でも、今の状況なら出来るよ」
轟焦凍のあの攻撃は、一点に爆発的な冷気を生み出して発動する技だ。出来るだけ少ないモーションで一点集中一撃必殺。後ろの方に氷山が出来るからマップ兵器だと思うかもしれないが、氷が少しだけ放射状に見えることが証拠だ。
勿論、振武はあのレベルの攻撃を焦凍から受けた事はないのでわからないが、少なくとも1回戦の氷山はそう見えた。
どちらにしても、普通は回避しようとは思わない。
だが、ほんの少しだけ斜め前に進んでしまえば、実はそれほど多少の冷気の影響はあったとしても、あの氷山の一部になる事は避けられるだろう。
「……あの状況で、前に出る勇気さえあれば、ってか?」
振武の説明を一通り聞いた鋭児郎は、信じられないという顔をする。
「ああ。轟は小技も出来るくらい氷に関しては微調整が利くが、大きな範囲を凍らそうとすれば必然的に制御は大雑把になる。あれぐらい高威力になると、正答なんて『撃たせない、避ける』以外に選択肢なんてないもんだし
たった一歩分でも回避出来れば、あの瞬殺は防げる。そもそも1回戦で見せちまったのが、轟にとっての痛手だな」
「でも、あいつはフィジカル強くないだろう? 一歩って言ってもそう大きくないぜ?」
「狼を使えばそれほど難しくはない。瞬発力は高いし、小さな塚井を背負ってもそれほどの重さじゃないだろうしな。
それに、」
出来ない事をいくら証明しようとしても、出来ているんだからしょうがない。
今目の前にある現実は現実だ。
「……この後、お前どうなると思う?」
「……正直分からない」
魔女子は振武と同じく、引き出しが多いタイプだ。
振武は動島流と個性の掛け合わせで、その引き出しを無理やり増やしているタイプだが、魔女子は生き物の知識を増やせば増やすほど出来る事が多くなる。
何が生み出せるのか。
何匹生み出せるのか。
実際に見てみないと分からない、魔女子の恐ろしさだ。何より魔女子は、クラスでそういう意味での知恵であれば1番と言って良い。
「……何か策があるんだろう? 塚井」
舞台で今も戦っている魔女子に、振武がそう呟いた瞬間、
舞台は、鮮やかな水色で溢れたような光景になった。
◇
「――っ!?」
自分にとって最大の攻撃を回避されて動揺した焦凍は、素早い動きで舞台の上を走り回る魔女子を捕まえられないでいた。
最大の、というのは語弊があるが、それでも自分の許容量半分以上を初撃に注ぎ込んだのだ、自分が戦っていられる時間はそう多くはない。
だからこそ、最低限の氷結で対応しようとするが、狼のスピードは予想以上に速い。魔女子を背負っているはずなのに、疾風とでも追いかけっこしているかのような速さ。
「――轟くん。貴方のあの大火力はあまりこの大会で意味はありません」
狼の背にしがみ付きながら、魔女子が口を開く。
「相手や誰かに大火力を見せつけるならば確かに良いでしょうが、勝利という点では弱い。
私の動きを直接封じるならば、一点集中ではなく全面を凍りつかせれば良かったんですから」
USJでも見せた高速の拘束。
あれを見せれば、魔女子も例外なく動けなくなっていただろう。個性は操れるだろうが、それでもジリ貧な状況が続くだろう。
だがそうはならなかった。
「……何を焦っているのですか、貴方らしくありません」
「――良い加減にしろ、お前!!!」
轟焦凍が叫ぶ。
「何がしたいんだ!! 俺を苦しめて何が楽しい!?
俺は、お前が、俺を、」
受け入れてくれると、思ったのに。
お前は、味方だと思ったのに。
「――はい、私は貴方の味方です。
私は貴方が世界一大事です」
その言葉は、この会場にいる誰もが――いや、薄々気づいていた振武以外は――意外に思っただろう。
実際、焦凍も一瞬何を言われたのか分からないという顔をした。
「だから、貴方を苦しめるありとあらゆる存在を消し去ります。
それが例え、過去のトラウマだったとしても。私は躊躇なくそれを消し去ります。その為だったら私は私が傷ついても一向に構わない。なんだったら死んでも良いとすら思っています。貴方に恨まれても、怨まれても、構わない」
魔女子の顔に、笑顔が浮かんだ。
今まで誰にも見せた事がない満面の笑み。
それはまるで慈愛に満ちた母のようにも見えるし、
愛する人を愛し尽くす、少女の顔でもあった。
「だから――ここで、呪縛を解き放ちます」
そう言って、優しく手を差し出した。
その手に乗っているのは――、
「……ネズミ?」
水色の小さなネズミ。
体毛は個性で生み出されたからか水色と独特の色合いだが、ネズミと言われて想像するそのままなもの。
「知ってますか、轟くん。
このネズミのモデルとなっているハツカネズミの体重は大体20gです。対して私が創り出す象は7t。つまり、35万分の1と言ったところでしょう」
魔女子はそう説明しながら、両手を広げる。
「だから、私が多くのネズミを生み出したって、不思議はないんです。
――話に気を取られ、動かないでいてくれてありがとうございます」
ブワッ。
効果音をつけるなら、それ以外のものはないだろう。まるで手から水が溢れるように、魔女子の両手から大量のネズミが現れる。
「なっ――」
動揺しながらも、焦凍の動きは早かった。右手と右足を駆使し、一気に冷気を自分を中心に広げる。
当然周囲にいたネズミは凍り付く――だがそれをまるで意に介さず、次から次へと溢れ出てくるネズミは、その凍ったネズミを踏み台にして焦凍に近づいていく。
まるで、ゆっくりと迫り来る波。
まるで、自律行動する壁。
水色の群体は、ゆっくりと、だが確実に焦凍を舞台の端へ、端へと追いやっていく。
「制御の関係で1万匹
そうですね、名付けるならば――無限鼠《アンリミテッド・マウス》とでも言っておきましょう。無限には、まだまだ程遠いですが」
余裕の笑みを浮かべて話している魔女子。
だがそれもギリギリの所で作られた仮面でしかなかった。
いくら小さな生き物からの痛みのフィードバックが小さなものだったとしても、一気に何100匹と凍りつかされれば総合的な痛みは大きい。
まるで氷水に付けられたように急激に冷やされ、寒いという感覚を通り越して痛みを発するほどの冷たさ。
そんな幻痛が魔女子の体の芯から襲う。
だが、ここで痛みに染まった顔をする事は出来ない。気絶なんて以ての外だ。
自分は、彼を救けたいのだから。
「一気に凍りつかせても無駄です。そもそも、ネズミを凍らせれば凍らせるだけ貴方の動ける範囲が狭くなり、追い詰められるのは貴方です」
焦凍が溶かさない限り、氷は解けない。
暖かいとは言え5月。自然と溶けるのには時間がかかる。必然的に焦凍の動きは制限され、今もドンドン場外へ追いやられていく。
……本当であれば、一瞬で彼を巻き込んで場外まで叩き落す事も出来る。強い引き潮に流されるように、焦凍は負けるだろう。そうすれば魔女子は勝つ。
……だが、それではダメなのだ。
勝つ為にここにいるわけでは無い。
そんな事の為に多くの人を傷つけたわけでは無い。
その為に、誰かに否定される辛さを噛み締めたわけでは無い。
全ては、焦凍を救う為。
焦凍の笑顔を創る為。
「――左側を使ってください、轟くん。
そうすれば貴方の体力も回復し、そのままネズミ達を屠る事が可能です」
焦凍の力はMPのようなものだ。
氷結を使えば使うだけ自分の体温が奪われ、体が動かなくなり、最悪死んでしまう可能性もある。それが彼の個性の限界。
だが炎熱をすればその限界を解除しつつ戦い続ける事が出来るし、凍り付いて動ける範囲で無くなってしまった場所も開かれ、ネズミを一掃する事さえ出来る。
左側を使いさえすれば。
「……私には、貴方に何があったか分かりません。どうして炎熱を戦いで使わないのか、どうして顔の火傷を見て悲しそうにするのか、どうしてお父さんを憎むのか、どうしてお母さんの話をすると辛そうにするのか、どうして個性婚の話をすると苛立つのか。
なにひとつとして、話してもらっていないので分かりません。予想はできても、それは事実では無い」
辛そうに踠いている姿を見て、辛かった。
事情も話せず悲しそうな姿を見て、話しかけられず悲しかった。
時々笑ってくれている姿を見て、自分にも笑みが溢れた。
ぶっきらぼうでも話してくれて、嬉しくて話しかけ続けた。
彼には、幸せになってもらいたい。
彼には、笑顔でいてほしい。
彼には、辛い顔をして欲しくない。
だって、愛する人には、笑顔でいてもらいたいではないか。
その為なら、どんな事だってしたいではないか。
他人の笑顔を創り出す。
それを胸に秘めてから、生まれて初めて本当の意味で笑顔を創りたい人に巡り会えたのだ。
「ですが、それでも私は貴方に笑顔でいてほしい。私が側にいて、手伝います。
だからどうか――、」
願うように、
請うように、
どうか私の手を取ってください。
そう言いたかった。
「……なんでも、するんだな?」
焦凍の言葉に、魔女子は笑顔を向ける。
「はい、勿論」
今だったら本当になんでも出来そうな気がした。
だからそう答えた。
先ほどまでただ話を聞き、俯いていた焦凍は呟いた。
「――なら、引っ込んでろ」
パキンッと、空気そのものが凍り付く音がする。
一瞬。
一瞬の出来事だった。
壁のように、小さな山のように動いていたネズミ達が、圧倒的な冷気によって、氷の山となった。
限界ギリギリで、全てを氷の世界に作り変えたのだ。
「カッ――ハァッ」
いきなり体にやってきた、刺すような冷たさが、魔女子の胸を貫く。
幻痛であるはずのそれは、まるで本物の氷のナイフのように魔女子の体を傷つける。側にいたロボすらも維持することが出来ない程の痛みに苛まれる。
――魔女子の大きな誤算。
それは〝期待〟。
良くも悪くも愛する人に何かを求めてしまう感情を、魔女子はいつも通りに切り離す事が
初めて本当の意味で求めた、その感情を切り離せず、ここで轟焦凍が自分の差し伸べた手を笑顔で受け取ってもらえる事を〝期待〟した。
いつもの魔女子であれば、ありえない事。
普通の少女であれば、当然抱いてしまう事。
それを抱いてしまった事そのものが、明確な〝敗因〟になる。
「救けたい? 笑顔を創り出す。笑わすなよ、塚井」
氷の柱を自ら生み出して壁を乗り越え、焦凍は倒れている魔女子の前に立つ。
氷。
そう名付けてもいいくらい、彼の顔からは感情が抜けていた。
「お前に誰が頼んだ、そんな事。頼んでいないだろう?
それをダラダラ……ヒーローごっこか? ふざけるな」
「わ、たし、は、」
貴方を、救けたくて、
そんな言葉は、凍えるような寒さと痛みで言葉にはならない。
なったとしても、今の轟焦凍には届かない。
「お前は〝そうしたかった〟だけだ。そんなの全部お前の都合だ。俺の事情になんてまるで興味関心はない。都合よく今まで自分がやってきた後悔と懺悔を、俺を救いたいなんていう言葉で塗りつぶしているだけだ。
俺は――救われたいなんて思ってない。俺はこれが正しいんだ。他人がどう言おうが関係ない。そんなことも気付かず、お前は俺を否定している」
違うんです。
否定なんてしていないんです。
ただ悲しい顔をしてもらいたくなくて、
ただ貴方に笑ってほしいだけなんです。
「――知ってるよ、お前が魔女なんて呼ばれていたのは。でも正直どうでも良かった。友達とも思っていないただの知り合いがどんな風に呼ばれようが興味がない。
お前が魔女でもなんでも、本当にどうでも良かったんだ」
言葉の冷気は強まるばかり。
弱っている魔女子をさらに追い詰めようとする言葉は、実際魔女子の心臓を抉る。
やめて。
それ以上、貴方の口からそれを聞きたくない。
それだけはやめて、
そんな言葉にならない悲鳴を叫ぶが、それでも彼の口は止まらない。
「だが今、お前は俺にとって、邪魔だ――〝魔女〟。
俺の道に、お前は必要ない」
――やめて!!!!
頭の中で絶叫を上げる自分を感じながら、
魔女子は、意識を失った。
◆
会場は、またも静まり返る。
先ほどの出久と振武の戦いのように圧倒されていた訳ではない。
ただただ何も言えなかった。魔女子の戦い方もそうだし、何かしらの事情があるのか分からないものそうだが、
轟焦凍の怒りは、それだけ周囲に影響を与えた。
「……何が、どうなってんだよ」
観客席で見ていた鋭児郎も例外ではなく、文字通り焦凍の態度に引いていた。
男らしくないとか、普段ならそんな軽口を叩けるのに、今はそれが出来ない。何もかもが圧倒された。力も、意志も。
あまりにも悲しく、あまりにも強い。
そんなものを見た事がない切島鋭児郎にとっては衝撃でしかなかった。
「……………………っ」
隣に座っている振武は、俯き、何も言わずに立ち上がった。
「ちょ、どこ行くんだ動じ――、」
鋭児郎は振武の背中に声をかけて――途中で止まった。
振武の怒る姿というのを、鋭児郎は何度か見ている。基本的に冷静で明るい人間だが、それでも怒らないわけではない。爆豪と違い話を聞いてくれる所もある。
だが、今の振武は違う。
顔を見なくても、言葉を発しなくても。
声をかけた瞬間、有無を言わさず沈められるのではないかと思えるほど怒っている。
「……多分、このまま塚井は医務室行きだろう? ちょっと話ししておきたいし、用があってな」
言葉は静かなのに、その中に得体の知れない何かが隠れている事が、本能的に分かるような。
「お、おう、そっか。塚井に、よろしく、な」
そんな言葉に、鋭児郎は戸惑いながらも、それだけ返すと、振武は何も言わずにそのまま通路の中に入っていった。
皆試合を見ているからか、人は誰もいない。
振武にとっては、好都合だった。
唐突に、振武は壁を殴りつける。
個性も技術も何もない、怒りの向けただけの拳は壁を傷つける事なく、ただ振武の拳を痛める。
それでも、振武は黙って壁を殴りつける。
何度も、何度も、何度も。
拳に痛みが走り、皮膚が裂け、血がこぼれても。
そうでもしないと、自分を維持出来ない。
魔女子に笑顔を向けることが出来ない。言葉が掛けられない。
だから殴った。
焦凍に対する怒り――ないわけではない。
魔女子に対する怒り――それも、ない事はない。
だがそんな事は微々たるもので、そんなものは怒りというより、もっと別の感情が相応しいくらいもの。
今振武が怒っているのは――こうなってしまった、状況。
ナニカが違えば、もっと幸せな終わり方が出来ていたはずなのにという、理不尽なモノに対する怒り。だがそのナニカがなんなのか分からないし、理不尽なモノがどんなモノなのかも分からない。
だがら振武はただ、怒りを別の場所に向けるしか方法が思い浮かばなかった。
「――なんで、」
拳から流れる血に一切目を向けずに叫ぶ。
「――なんでなんだ」
確かに間違いはいっぱいあった。焦凍も魔女子も自分も、誰もが間違っている部分はある。
自業自得と言われればそれまでだ。
でも、こんな風になる必要はあったのか?
誰もが悲しむような、
誰もが苦しむような、
「こんな風になる事はなかっただろうが!!!!」
振武の叫びは、暗い通路に虚しく木霊した。
……正直ここまでするのかは迷いましたけど、でも、落とす時はきっちり落としとかないと盛り上がりがいまいちになってしまいます。どうかご容赦を。
次回は、この話の補完……というか、救済ですかね。
どうかお楽しみに。
次回! 振武くんがデコピンするぞ! 元気出して待て!!
感想・評価心よりお待ちしております。