plus ultraを胸に抱き   作:鎌太郎EX

8 / 140
結局長くなりすぎて三分割+1話になってしまいましたが、一気に一章完結まで参ります。
いよいよ、彼の原点がようやく定まりました。
楽しんで見ていただけると幸いです。


episode7 上

 

 

「〜♪」

 

 鼻歌を歌いながら道を歩く。そんな風に明るく道を歩けるというのは、前世から数えたってそう多くはなかったように思える。

 そもそも、鼻歌なんて浮かれた物が出るくらいだ、今の俺の気分はかなり良い。

 きっと、いろいろ決断したのが良かったんだろう。

 そう思いながら、俺は街を歩く。

 子供の物にしてはかなり大きなエコバックと、お使いメモと共に。

 ……いや、別に今の状況に浮かれているわけじゃないからね? なんかフリかツンデレみたいに聞こえるかもしれないけど、本当にそうだから。

 精神年齢25歳の男が、〝はじめてのおつかい〟でテンション上がるわけないじゃん!

 

 

 

 

 

 今日。奇しくも俺がこの世界で記憶を取り戻して、1ヶ月が経過した。

 俺的には盛大にお祝いしても良いくらいなんだけど、親の目があるしそもそも転生したって事は一度死んでいるから、祝うのもどうなんだろうな? と思ったり思わなかったりしている。

 昨日、約束をした友達――とどろき、しょうと君には、今日は会っていない。というか、あの約束のインパクトがお互いあまりにも強く、名前以外のパーソナル情報を交換していないというのも大きい。別に約束もしてなかったし。

 このまま会えなくなるんだろうか……それは嫌だけど、でも会わなかった所で、俺達はもうすでに約束をした。

 将来、憶えているかどうかは分からないけど。

 それでも、きっと、大人になってから再会出来る日を楽しみに待っているというのも、それはそれで楽しみだった。

 そんな訳で、今日の俺は予定もなく、借りてきた本をただ粛々と読み進めることが、暇潰しから今日の予定に格上げされていたのだが、

 

『振武。振武も来年になったら小学生だ。お父さんそろそろ、君に厳しくいこうと思う』

 

 そんな俺に居住まいを正させ、父さんは今までにないシリアスな顔でそう言った。

 父さんは(というか母も含めうちの家族は)基本的に相当親バカだと思う。俺の一挙手一投足に気を配ってくれているし、ちょっとでも門限を破ろうものなら叱る前にまず泣くくらいだし。

 叱ると言っても感情的に怒る事はなく、俺にどうして悪いのかを理解させようと心を尽くしてくれる。母さんは早く帰ってくればお土産を買ってきてくれるし、父さんは手作りオヤツを作ってくれる。

 ……なんか、通常の父母の役割がコロッと入れ替わってるように見えるけど、まぁそれで上手くやってるんだし。

 甘やかされているつもりはない。自分のやらなければいけない事はやらせるし、ズルを許したりする事はない。でも恵まれているとは思う。

 生活も貧乏どころか、中流を超えている経済環境だし、父さんと母さんは先に言った通り凄く優しい。親バカレベルだ。

 だからだろう。そんなシリアスな顔で話すのだ、相当な内容だと思い俺も姿勢を正した。

 

『振武、今からお前に、――おつかいにいってもらう』

 

 ……姿勢を正した俺が馬鹿でしたよ、えぇもう。

 子供の初めてのおつかいの平均年齢なんか調べたことがないし、子育て経験もないから5歳でおつかいというのが早いのか遅いのかあまり分からない。

 分からない、けどさぁ。

 子供のおつかいは普通に育児の過程として通らなければいけないものな訳で、それを〝厳しく〟と表現するのは如何なものかと思う、シリアスな顔で。

 

『……良いけど、ついてこないでね?』

 

『え〜なんで〜』

 

 ベタベタと纏わりついてくる父親を払いのける。そりゃあ、そんな在り来たりな事されても困るし、俺の後ろからこっそり付いて来るなんて怪しすぎる。ヒーローが多いと同時にヴィランも多いこの世界でも、警察は優秀なんだから。

 そして結果、俺は街の中心部にあるスーパーに向かっている最中だった。

 

 

 

 

 

「にしても、買い物内容がベタだよなぁ、ある意味」

 

 買い物メモを見てみると、そこにはよく知っている食材の名前が並んでいる。

 じゃがいも。

 にんじん。

 たまねぎ。

 おにく(ぶたにくがいいな!)

 カレールー。

 これらの食材の名前を見て別の料理を思い浮かべる人間はちょっと頭を冷やして考えてみなさい、ありえないでしょう。

 まだ非力な5歳の子供に対してのおつかいと考えれば随分量が多いように感じるだろう。まぁ実際そうだけど、3人分なだけまだマシだよね、1袋で済みそうだし。

 これも修行だと思えば、苦ではない。

 

「……修行、か」

 

 ――昨日、珍しく早く帰ってきた母さんに頼んでみた。『お祖父ちゃんの元で、修行させて欲しい』と。

 母さんはしばらく何も言わずに真っ直ぐに俺の目を見て『厳しいわよ? 良いの?』とだけ聞いてきた。当然、キツい事を最初から覚悟している俺は小さく頷くと、母さんは『……分かった、お祖父ちゃんに聞いてみるわね』と言ってくれた。

 祖父がどう思うか、受け入れてくれるかくれないかもあるからどうなるか分からないけど、母に言えただけでも良かった。

 もしかしたらそれを聞いて、お父さんは初めて俺におつかいを頼んだのかもしれないけど……だめだ、考えてもしょうがない

 

「どちらにしろ、今はおつかいに集中しよう」

 

 おつかいも出来ない人間が格闘技の鍛錬をまともにこなせるとは思えない。

 だからこそ、今はまずこのおつかいをクリアする。

 目の前の事からコツコツと、だ。

 

「えぇっと、地図に描いてある通りなら、ここら辺にスーパーが、……ん?」

 

 買い物メモの裏に描かれている地図に従いながら歩いていると、ふととある人が目に止まった。

 1組の家族……なんだろうか?

 片方、親に見える男の人は、どこか疲れたような感じにも見える中年だ。来ている服も着古されている感じがするし、無精髭を生やしているその顔には心と身体の疲れが滲み出ている。正直言えば、近くにいたらあんまり関わり合いたくない雰囲気。

 黒髪黒眼であんまり目立つようなタイプではない。

 もう片方、子供の方は、一目見ても良いところのお嬢さんのような印象を受ける。来ているワンピースも、確かこの前テレビでCMを見た有名なブランドの服だったように思うし、艶やかな黒髪を可愛らしい髪留めでポニーテールのようにし、黒い眼は気の強さを表している。

 だが、その表情はどこか困っているような、少し恐怖を抱いているように見える。

 ――間違いなく、というか。

 十中八九、あれは誘拐なんだと思う。

 平日に子供を連れて街で遊ぶという事がないわけではないが、それにしてはあまりにも大人と子供に格差がありすぎる。子供の服に比重を置く親も多いと思うけど、それにしては格差がつき過ぎている。親子にしては不自然だ。

 だが、人が多いと人間の視線は分散してしまう。平日にしては多すぎる人並みに誤魔化されているからそれを指摘する人間がいないだけで、良く見てみればその違和感に感じる人がいるだろう。

 

「――警察、」

 

 すぐに通報しようと考えるが、そこで躊躇いが生まれた。

 今警察に連絡する? 子供がどこに連れて行かれたか分からなければ、捜査は難航するだろう。

 そういう捜索に便利な個性を持ったヒーローの出現を待つ? 都合よく現れるとは思えない。

 他の人が気付いてくれるのを待つ? いるにはいるだろうが、それを待っている間にどこかに行ってしまう。

 このまま見逃す? ……そんなのは考えるまでもなく論外だ。

 あの犯人がどんな目的であの子を連れているのか分からない。もしかしたらすぐに危険な状況になるのかもしれない。そんな状況で待ちに徹するのはあんまり良くない。

 だとするならば、

 

「あの子がどこに連れて行かれるか、確認してから連絡、が正解、かな」

 

 ……いや、本当は正解でもなんでもないんだろうな。

 頭の中が25歳でも、そんなの関係ない。結局俺はここでは5歳の子供だし、そんなのがここで首をつっこむ必要性はない。

 俺の勘違いかもしれない。もしかしたら何か事情が向こうにもあって、誘拐でもなんでもないのかもしれない。

 しれないけど、

 

 

 

 ここでもし本当に誘拐だったら、俺は一生後悔しそうだ。

 

 

 

「っ――」

 

 覚悟が決まった瞬間、俺の足は素早く動き始める。

 考えている間にも2人とは距離が開いてしまった。走らないと追いつけない。

 出来るだけ距離が開きすぎないように、でも狭め過ぎないように歩くのは難しいけど、なんとか付いてく。

 

 

 

 

 

 

 結局着いた場所は、とある工場だった。

 この街は地方都市の割に大きくて、その内容も様々だ繁華街から住宅街、工場地帯がひしめき合っている。もっと広く土地を有効活用出来るはずだが、周りの田園地帯を買い取れなかった者も多いから、自然とこじんまりするようになった。

 その工場の1つに、男は女の子を連れ込んだ。

 工場は酷く古めかしく、何年か整備されていないのか、所々トタンの塗装が剥げていて錆びているし、看板は部分部分取れていて、元々何を作っていた工場なのかは分からなかった。

 

「――いたっ」

 

 窓ガラスが割れている窓を覗き込んでみると、機材の影に縛り付けられている女の子がいる。その正面で、男が携帯電話で何か話している。

 内容までは少し距離があって分からないけど、物凄くイライラしているみたいだ。落ち着きなくウロウロしながら声を荒げている。

 この状況で電話って言えば……多分脅迫、だろうな。

 それ以外には思い浮かばないし。

 

「……今はとりあえず、連絡しないと」

 

 携帯端末を取り出しながら、電話帳からある電話番号を呼び出す。

 電話番号は、母さんのヒーロー事務所。

 母さんの携帯端末に直接電話しようとも思ったが、しかし今の時間帯ならもしかしたら携帯に出ないかもしれない。

 

 プルルルルッ…プルルルルッ…ガチャッ

 

『はい、こちらセンシティ・ヒーロー事務所です、出動要請ですか?』

 

 スピーカーから聞こえてきた声は、よく聞いたことがある声だ。

 転々寺さんだ。

 

「転々寺さん、俺です、振武ですっ」

 

 出来るだけ聞こえないように小声で、しかし相手に聞きやすいように話す。

 

『えっ、振武くん!? どうして、……何かあったの!?』

 

「転々寺さん、実は、」

 

『あっ、ちょ、センシティさ――振武? 事務所に電話してきたのは初めてね。どうしたの?』

 

 転々寺さんが俺の言葉を聞こうとして、すぐに何か物音がして、母さんの声が聞こえてきた。

 その声を聞いただけで、さっきまで不安に思っていた心が嘘のように安心する。

 

「お母さん、よく聞いて、」

 

 

 

  ◆

 

 

 

「………………」

 

「…………あの、センシティさん? いったいどうしたっていうんですか?」

 

 振武が事務所に電話をした時より、少し巻き戻って、ここはセンシティ・ヒーロー事務所だ。

 繁華街の中に入っているそれはかなり大きなビルを1棟借り切っている場所で、ここには移動用の車やサイドキックやセンシティが事務を行うオフィス部分、訓練出来るスペースも確保されている。ここら辺ではかなり大きな事務所と言っても過言ではないだろう。

 そんな事務所のオフィススペースで、彼女――センシティは猛烈に、だらけていた。デスクの上に手を投げ出し、そこにうつ伏せに寝転がっているようにだらけている。まるで海に打ち上げられたクラゲのようだ、と見た人は言うだろう。

 げんにワープワーヴはそう言いたくなった。訓練という名のしばきに耐えられる自信がないため言わなかったが。

 事務を担当する職員も他の数少ない同僚であるサイドキック達も全員遠巻きだ。当然だろう、こんな状況のセンシティに余計な一言でも言ったら……と考えて勇気が出ないものは多い。ワープワーヴはそこら辺の感覚がもう長くサイドキックを務めているせいか鈍いのだ。

 それに、ここまでセンシティがだらけている原因があるとすれば、ワープワーヴは1つしか思い浮かばなかった。

 

「……息子が成長するって、嬉しいと同時に寂しいのよ」

 

「……はい?」

 

 想像した通りだったが、何を言っているのか理解できず思わず聞き返す。

 ワープワーヴの反応にしばらく答えなかったセンシティが顔を上げる。幸いいつも戦いでつけているマスクは装着していないので素顔は見えるのだが……。

 目が、死んでいる。

 死んだ魚のような目がという言葉が生易しい程、生気を感じない。

 

(振武くんの誕生日を仕事で欠席した時だってこんな顔はしていなかったのに)

 

 もっともあの時は生気がない云々ではなく、こんな時に出現したヴィランへの怒りに染まっていて、正直過剰暴行で訴えられてもしょうがないレベルで犯人をボコボコにしていたようだ。

 ちなみにその犯人はその後刑務所で模範囚として過ごしているらしいが、センシティが着けているようなマスクに似たヘルメットを見た時、大きく取り乱したり、女性恐怖症の症状に近いものが見受けられるらしい。

 それで良いのか、ヒーロー。

 

「それで、なんですかいったい。せめてちゃんと説明してもらえます?」

 

「……振武がね、祖父の修行を受けたいって言い出したのよ。明言はしなかったけど、多分ヒーローになる気、なんだと思うわ」

 

「――へぇ、そりゃあまた」

 

 センシティの言葉に、ワープワーヴは感心したように頷く。

 最近会った時の動島振武は、よく言えば大人しく理性的、悪く言えば引っ込み思案で考えすぎるタイプだった。実際、ワープワーヴと話していた時は、自分がどうしたいのか、どうなって行けば良いのか分からないという顔をしていた。

 一周回ってバカだなぁ、と思ったのはしょうがないと思う。

 振武はワープワーヴから見ればとても大人っぽい子供だ。しかし、子供という前提がある。

 まだ5歳の少年が将来のことを難しく考える必要性はないし、フラットに考えたって誰も怒られる訳じゃない。

 基本的に子供のやろうとする事に茶々を入れる大人は、彼の周りにはいなかったし。

 俺だって何か出来る事は何でもしてあげたい――ワープワーヴはそう思っていた。

 もっとも考えることが悪いことであるはずもない。特にヒーローは、夢見る部分と現実的な部分が折衝し合う複雑な職業だ。

 ヒーローになるのかならないのか、なる為にはどうすれば良いか、ならないなら何をするのか。

 それを考えることは、正しいと言っても良い。

 だがセンシティの父――自分の祖父に武術を学ぼうと答えを出したということは、つまりそういう事なんだろう。

 

(そっか、ヒーローになるって決めたんだね、振武くん……うん、それは嬉しい事かもしれない)

 

 夢を抱かせ過ぎないように5歳の子供に対しては不相応なほど現実的に話したつもりだったが、それでも決意したという事は、彼の中でそれなりに覚悟があるという事だ。

 やはりヒーローを今も夢見ている自分としては、また同じ夢を見る仲間が増えてくれて喜ばしい。

 それに、センシティの父親は、歴史ある古武術の中でもかなり実践的な流派の継承者だと聞く。そう聞けばセンシティの戦闘能力も理解できる。その人間から教えを請うというのは、ヒーローをやっていく上では良い選択肢だと思う。

 武術は幼い頃からやればやるほど、習得率が上がる。

 5歳から始めれば、適性の影響も受けるものの良い結果を生み出すと思う。

 まぁ問題は――彼の母親には、そこが複雑らしい。

 

「そりゃあ、良かったじゃないですか。自分の子供が自分と同じ仕事を目指したいって言ってるんでしょ? もっと誇らしく感じても良いくらいです」

 

「それは、……確かに、そうなのだけどね。

 でもね、転々寺くん。誇らしいと同時に辛いと思うのは、どうしても避けられないのよ」

 

「それは、どうしてですか?」

 

 

「母親だからよ」

 

 

 

「………………」

 

 先ほどと打って変わって、センシティの目にははっきりした意思が映り込む。

 それが親としての情なのか、守りたいという意思なのか、はたまた生き残ってもらう為に強く育てようという覚悟なのか。

 女でもなく、未だ親ですらないワープワーヴには、分からない事だった。

 

「転々寺くんにはまだピンと来ないかもしれないけど、母親ってのは情が深いのよ。

 まぁ家庭内暴力とかネグレクトとかあるから全員とは言わないけど、少なくとも、私はそうなの。振武が大好きだし、壊くんが好き。家族を愛してるわ。だから、私と一緒の仕事を選んでくれたのは嬉しいし誇らしいけど、でも同時に不安で心配よ」

 

 ヒーローは、危ない職業だ。

 身体を鍛え、訓練を積み重ね、あらゆる可能性を加味して準備を行い、覚悟を決めても、まだ足りない。

 救えないものは救えないし、起こってしまうハプニングにいつも命の危機を迎えてしまう事も多い。そんな職業を選び、進んでいく本人は覚悟を持っているから良いだろう。

 しかし周りの人間は?

 家族は? 恋人は? 友人は?

 センシティの言った通り、それは嬉しくも誇らしくも、やはり不安で心配なものだろう。

 

「……で、でも、ここで心配しなくても。振武くんはほら、優秀ですし、きっと、大丈夫、です」

 

 ワープワーヴは必死に言葉を募ろうとするが、どうしてもドモってしまう。自分でも分かっているからだ。大丈夫という言葉ほど、この仕事をやってて軽い言葉はないと。

 

「ふふっ、ここで〝絶対〟って言葉を安易に出さないあたり、貴方も成長したわね、転々寺くん」

 

「え、いや、それは……」

 

 動揺しているワープワーヴに、センシティは微笑みかける。

 

 

 

「そう、〝絶対大丈夫〟なんてこの職業に限ってはあり得ないわ。

 貴方も、私も、何があってもおかしくない……振武にだって、何があっても、」

 

 

 

 

 プルルルルッ! ……プルルルルッ! ……

 

 センシティが最後まで言い終わる前に、オフィスに備え付けてある電話が鳴り響く。

 ヒーロー事務所には、何かあった時に警察などから電話がかかってくる。今回もそうなのだろうか、こんなタイミングに鳴らなくても良いのに、とワープワーヴは少し思ってしまった。

 

(いかんいかん、大事な仕事だ、きっちり対応しないとな)

 

 ガチャッ

 

 

「はい、こちらセンシティ・ヒーロー事務所です、出動要請ですか?」

 

 慌てて声を整えて、受話器を取って出来るだけ冷静な声を出すように努める。

 しかし、電話の向こうの相手は予想していたものとは違っていた。

 

『転々寺さん、俺です、振武ですっ』

 

「えっ、振武くん!? どうして、……何かあったの!?」

 

 驚いて声が大きくなってしまう。

 ワープワーヴの記憶では、センシティの身内で電話してきた人間はいない。一応連絡先として登録してもらっていると聞いているが、壊はセンシティに気を使って仕事中だと思われる時間帯には電話をかけて来ずセンシティの個人携帯にメールしているようだし。

 ましてや振武くんは初めてだ。そもそも事務所の電話番号を知っていた事そのものを今初めて知った。

 

『転々寺さん、実は、』

 

「振武なの? ちょっと貸しなさい、貴方が出てもしょうがないでしょうっ」

 

「あっ、ちょ、センシティさ――」

 

 先ほどの生気の無さは何処へやらといった感じだ。

 一瞬で距離を詰め、受話器を奪い取られた。奪い取られる直前にスピーカーフォンに切り替えることが出来たのは、普段鍛えた脊髄反射の賜物だろう。

 

「――振武? 事務所に電話してきたのは初めてね、どうしたの?」

 

 センシティの声は冷静に聞こえる……少なくとも、ワープワーヴにはそう聞こえた。

 しかし、

 

 

『た、大変なんだ母さんっ。こ、子供が誘拐されたんだっ。場所は、工場地帯のどこかなんだけど……ごめん、さすがに細かい住所まで調べて得る余裕がなくて、』

 

 

 ――従業員達やサイドキック達の会話で多少は騒がしかったオフィスは、まるで水を打ったかのように静かになった。

 ワープワーヴも他の事務処理をしていた人間も、スピーカーから聞こえたその言葉に動きを止め、こちらに不安そうな目線を向ける。

 振武の言葉は、街でちょっと見かけたにしてはあまりにも詳細がはっきりとしている。

 ……まるで、今その現場に立ち会って実況しているような臨場感だ。勘が良い者であればすぐに分かるだろう。

 彼は素人にしては、深く突っ込み過ぎている。

 

「……振武、あなた今どこにいるの? その感じだと、決して安全な場所にいないわね?」

 

『…………ごめんなさい。犯人の後をつけてきて、連れ去られる場所だけでもちゃんと調べないとって思って、それで、』

 

「……分かった、今は怒っている暇もないから、後で話しましょう。

 それより、工場地帯なら私が転々寺くんに転移させて貰ってすぐ行くから、今はそこから離れなさい」

 

 案の定、最悪の答えだった。

 振武がどこにいるか、センシティもワープワーヴも予想しか出来ないが、彼は賢い子だ。そんな彼が犯人がどこに入ったか。そこを通り抜けたという訳ではなく、ちゃんとどこかの建物の中に入ったのを確認したならば、距離が近すぎる。

 賢いがゆえに、状況的にとても危ない地点まで入り込んでいる。

 

(おいおい、賢さが一周回ってバカとは思ったが――本当にヤバいじゃないか!)

 

 ワープワーヴは焦りつつも、頭の奥底で冷静に工場地帯の座標を記憶から引っ張り出す。

 この街の工場地帯はそれなりの大きさを持っているものの、センシティの超感覚で調べあげれば、発見はそう難しい事じゃない。今は早く合流して、

 

 

『うん、わかっ――わぁ!? ちょ、離せ! 離せよっ!!』

 

 

 いきなり振武の叫び声と、人がもみ合っているような音。

 ――最悪の事態が、発生した。

 

「――振武? 振武!?」

 

 

 ガチャッ!! プー……プー……プー……。

 

 ……物音をたてていた人間は、電話を取る訳でもなく切った。いや、それどころか、携帯端末そのものを破壊した可能性が出てくる。

 だがそれ以上に、ワープワーヴは今の状況が強かった。

 ――まるで、この空間そのものが凍りついたかのような覇気が、センシティの背中から溢れている。

 

「――ワープワーヴ。今すぐ警察に連絡、いえ、その前にまず私を工場地帯に転移して。マスクのGPSを追跡して構わないから、そこに貴方達も向かって。まずは私が斥候として行くから、無理に他の者は私とついて来なくていいわ、ワープワーヴも含め、後から合流して」

 

 センシティは冷静な声で淡々と指示を飛ばしながら、近くに置かれていた彼女のマスクの横に付いているスイッチを入れ、被る。完全な臨戦態勢だ。

 他のサイドキック達は出動の準備を始め、ワープワーヴも端末でセンシティのGPSが反応しているのを確認しながら、個性を動かしゲートを開く。座標は丁度工場地帯の入り口付近。すぐに行動できるように安全な場所に転位出来る準備はできている。

 だが、

 

「本当に1人で良いんですか? センシティさんは強いし早いし、何より個性で捜索は有利でしょうが……何人か、サイドキックを同伴させるべきです」

 

 ワープワーヴは努めて声を抑えてセンシティに言う。

 相手が単独犯か複数犯か、武器を所持しているかいないか、どんな個性を持っているのか。何も解らない状況だ。こんな状況でセンシティ1人が突撃というのはあまりにも無謀のように思えた。

 しかし、マスクで顔を隠されたセンシティの声は先ほどと同じく冷静だった。

 

「複数人で行って騒げば、犯人が人質2人と一緒に逃亡を図る可能性もある。第一、私1人なら行動も迅速に行えるわ、貴方達は後から来てサポートをしてくれれば、問題ないと思うけど、どうかしら?」

 

 ……彼女の言い分は、間違っていない。数人で行ったところで、上手くいかない場合もある。

 最速で最強戦力を送り込む。

 そんな意味では、センシティがまず1人で向かうのは、理に適っていると言っても良い。

 問題なのは、

 

「あぁ、でも出来るだけ警察を連れて早く来てくれるかしら?」

 

「それは、なん――」

 

 そのマスクから覗くセンシティの目を見た瞬間、ワープワーヴの背筋に悪寒が走る。

 本当の怒りに染まった人間の眼は、

 

 

 

「早く来てくれないと、止めてくれる人間が誰もいないでしょう?」

 

 

 

 まるで人間の眼なのに、猛獣のような目をしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。