plus ultraを胸に抱き   作:鎌太郎EX

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episode7 中

 

 ドンッ!!

 

「ぐっ!」

 

 地面に放り投げられた衝撃で、一瞬息が止まりそうなほど強かに背中を打ち付けたが、悲鳴をあげる事だけはなんとか耐えられた。

 ……ちくしょう。

 失敗した。

 なんでこんなヘマを、

 

「……そこでじっとしてろよ、クソガキ。手間かけさせんじゃねぇぞ」

 

 俺を捕まえた男――さっきの誘拐犯だ――は面倒臭そうな顔でそう俺に言い、正面にあるパイプ椅子に座り込んだ。

 さっき電話している最中に捕まった俺は、結局女の子と同じように縄で縛り上げられ、同じ場所に転がされる、なんて結果になってしまった。

 ……あぁ、本当に。なにが〝なってしまった〟だ!!

 なんで俺はこんなに馬鹿なんだろう。

 ここに入っていくところで、追跡を終わらせて事務所に連絡していれば。

 もっと言えば、工場地帯に入った所で母さん達に任せれば。

 人質を2人に増やす必要性はどこにもなかった。

 ヘマというよりは、判断ミス。

 自分だったら上手く出来ると過信しすぎた。

 

「ふんっ――」

 

 試しに腕に力を入れてみるが、ビクともしない。固く結ばれている事もそうだが、業務用なのかなんなのか、縄が妙にガッシリしているように感じる。

 個性を使えば解けない事もない……けど、ダメだ。すぐ近くで男が監視しているし、近くの女の子を危険に晒す訳にはいかない。女の子の方を見てみると、不安そうな顔をしている。

 ――後悔先に立たずなんていう言葉が、こんなに身近に感じられる事なんて今までなかった。

 

「……大丈夫? 縄、きつくない?」

 

 男に聞こえないように静かに、でも出来るだけ元気に優しく聞こえるように声をかけると、女の子は不安そうな表情が残っているものの、小さく頷く。

 それだけでも十分、こっちとしては嬉しかった。

 

「ちくしょう、なんで誤算ばかり起きる。俺はただ幸せを取り戻したいだけなんだ、ただ救けられたいだけなのに、なんで、なんでこんなに上手くいかない、なんで、なんで――」

 

 男は俺たちの方を向いてはいるが、俺たちの方を見ちゃいなかった。虚空を見つめながら、何かをブツブツ呟いている。完全に病んでいるように見える。

 

「……ごめんね、何もできなくて」

 

 思わず出てしまった言葉は、謝罪の言葉だった。

 自分が情けなかった。俺がこんな風に間違った選択をしなければ、差し迫った状況にはならなかったかもしれない。

 俺は、何も出来ていない。むしろ無駄に問題を増やしただけ。

 個性があるから、内面は25歳だから。

 それだけで、他の子供とは違う、出来る事があると自惚れていたのかもしれない。

 でも、実際失敗している。

 

「――だい、じょうぶ、ですわっ」

 

 歯を震わせながら、しかし笑顔を無理矢理つくって、俺に笑いかけてくれる。

 

 

 

「わたし、ヒーローになるんですもの、こんなの、へっちゃらですわ」

 

 

 

 ……ちくしょう。

 子供で、しかも女の子にこんなに気張らせて、俺が落ち込んでばっかりじゃいられないよな。這い寄って、後ろ手で女の子の手を取る。相手の震えを抑えるように強めに握る。

 

「君は、強いね……もうすぐで、ヒーローが助けに来てくれる。

 世界で最強のヒーローだよ」

 

「さいきょうって……オールマイト?」

 

 涙目で答えてくれたけど……まぁ、そうだよね。今最強って言われたらオールマイトになっちゃうよね。

 

「オールマイトじゃないけど……僕の母さんで、めちゃくちゃ強いんだ。きっと助けてくれる」

 

「おかあさん? すごいですわね、ヒーローなんて」

 

「うん、だから大丈夫、きっと大丈夫だよ」

 

 俺の最後の言葉で、ようやく小さな笑みを浮かべる。

 やっと笑ってくれた安心感で、俺も思わず笑顔を向けてしまう。

 ――それがいけなかったか。

 

「――っ、何ヘラヘラしてんだてめぇら!!」

 

 ガタッ、ガコンッ!

 

「ヒッ」

 

「……っ」

 

 俺達の顔を見た男が、いきなり足元にあった一斗缶を蹴り上げ、その一斗缶がけたたましい音をたてて転がる。その音に反応して小さな悲鳴をあげた女の子を背中に庇いながら、俺は必死で男を睨みつけた。

 気持ちだけは負けられない。ここで俺が折れて取り乱したら、この子を余計不安がらせるだけだ。

 

「てめぇ……そんな目で俺を見んな! 見下すんじゃねぇ!!

  違う違う違う違う! 俺はお前より下じゃねぇ、俺はお前より上だ、上なんだよ、そうだよ、何にも負けれない、俺は負けてない、これからだ、これからなんだよ!!」

 

 男は支離滅裂なことを叫びながら、必死で自分の頭を掻き毟る。目は充血しているし、あまりにも力を込めて掻き毟っているからか、爪の間には血が付いている

 異常。

 傍目からは、はっきりとそう見える。

 

「――なんで、」

 

「……あ゛ぁ゛?」

 

 思わず言葉が溢れる。

 本当だったら、犯人を刺激するのは良くない事だってよく解っている。何も言わず、黙って言いたいようにしておけば気持ちが落ち着くかもしれない。

 でも、どうしても訊きたくなって、つい言葉が口から零れ出す。

 

「なんで、こんな事を、」

 

 はっきりと精神的病気だってことは良く解る。

 でもそれでも、彼のやりたい事が知りたい。

 もしかしたら、何かできるかもしれないから。

 でも、

 

「――ふざけんなっ!!」

 

 ガンッ!!

 

 それはどうやら、彼の琴線に触れてしまったようだった。彼は自分の座っていたパイプ椅子を蹴り上げると、俺ににじり寄ってきた。

 

「お前らに何がわかる! 俺はお前らに全部奪われたんだ!!

 お前らみたいな幸せな、金持ちで、なんの不自由も背負ってないような奴らが、俺の幸せを踏みにじったんだ! お前らのせいで……お前らのせいで!!」

 

 バチンッ!!

 

「っ!! ……」

 

 頬を叩かれた。あぁ、子供が大人に頬を叩かれるって、相当痛いんだな。そんな事を呆然と考えるしかないほどの、衝撃と痛み。意識を逸らしていないと意識を持って行かれそうになる、どこか矛盾した感覚に困惑する。

 

「綺麗な服着てるなぁ、だが俺も、俺の家族も、着古した服で精一杯だ。

 美味いもん食ってきたんだろうなぁ。だが俺も、俺の家族も、今日食うのでやっとだ。

 幸せそうだなぁ、だが俺も、女房も、息子も! お前ら幸せな奴らに、全て奪われた!!」

 

 血走り、激情に染まりきった目が、俺の目を睨み続ける。

 この世の幸せな人間を全て憎悪しているような目。

 こんな目は、前世でも、この世界で記憶を取り戻してからも、1度も会った事がない。

 本当に、自分以外の他人を嫌悪している目だった。

 

「――だから奪い返す、奪い返さなきゃいけない! 取られたもんは取り返さなきゃいけないんだ!! そしたらまた家族みんなで幸せに、しあわせに、なれる!!」

 

 まるで自分の理論が正当なものだと思っているのか、大仰な身振り手振りで説明し続ける。

 ……細かい事情は結局分からないでも、何かを奪われた事による悲壮感と、怒りは伝わってきた。経験した事がないはずなのに、経験してきた事のように感じるほど、生々しく、熱のある言が、物理的に存在するように体の中で重みを増していく。

 ここまで来るのに、来てしまうのに、どれだけ辛い事があったんだろう。

 そう思うと、胸に痛みがこみ上げてくる。

 でも、

 

「……違う、それは間違っている」

 

「――あ゛ぁ゛? なんて言った、クソガキぃ」

 

 男の眼光から目をそらしそうになるが、それでも必死で目を見続ける。

 

 

 

「違う。貴方がどんな人生を送ってきたのか分からないけど、それは絶対に違う」

 

 

 

 はっきりと断言できる。その理論は間違っている。

 どんなに情状酌量を得られる事情があろうと、どれだけ彼が、彼の家族が不幸だとしても関係はないし、奪われたのもこの際本当だったとしても、関係ない。

 どんなに誰かに何かを奪われたとしても。

 それを誰かから奪っていい事にはならない。

 ……俺はこの世界に来て、恵まれている。衣食住に困らないし、両親や周りの大人達は、俺の事を大切にしてくれている。好きな事をしていいんだと、背中を押してくれる。

 前世だってそうだった。夢や熱意なんて縁のない人生だったけど、それは何もない人間から見れば充分に幸せな生き方だったんだろう。何もかも保証された世界だった。

 そんな人間が、余計な事を言っているのは解ってる。子供っぽい理想論で、綺麗事を言っていると思う。奪われたから奪うななんて、奪われた事のない人間だから言えるんだということも理解できる。

 できる、けど、

 

「少なくとも、子供を傷つけて良い理由なんてどこにもない。

 自分が傷ついたから関係ない人間も傷つけるなんて、暴論だ。そんなの、俺は絶対嫌だっ」

 

 ――俺は自分に夢や熱意がないからって。

 何かを、諦め続けた人生だったからって。

 他人のそんな幸せを奪おうなんて、1度だって、考えた事もなかった。

 それだけは、胸を張って誇れる。前世で俺がした唯一まともな事だ。

 それを否定するような目の前のこいつは、許せない。

 

「……言いてぇ事は、それだけ、かよ!!」

 

 ギチギチギチギチ!!

 

 男が噛み殺すような怒声を上げた瞬間、工場中に響き渡る謎の音。まるでガラスの破片を力任せに混ぜているようなその音は、人を不快にさせる音だ。

 

「ガ、ガキがどんなことほざいてようがなぁ、お、俺の個性には敵わねえんだよ!!」

 

 ギチギチギチギチギチギチィ

 

 背後から出現したそれは、一瞬砂のように見えた。砂のようなものが独りでに勝手に動いているように。でもそれには妙な光沢があって、動くたびに光に反射して様々な色に変化する。

 ガラスの破片。

 瓶や窓ガラス、その様々なガラスの破片が、まるで砂のように合わさり、男の手によって縦横無尽に操られている。

 

(ガラス片を操る個性……うわぁ、それ結構強いなぁ)

 

 固形ではなく小さな欠片の集合体であるそれを自在に操れるならば、自由度は高いし、防ぎようがない。自分でガラス片を作り出しているわけじゃないみたいだけど……。

 頭の中にいる冷静な俺が、まるで他人事のように断言する。

 これは無理だ、俺にはどうしようもないと。

 

(よく見てみれば、ここはガラスやなんかの再利用する工場なわけか、操作する物には困らないって感じだなぁ)

 

 前世で通っていた中学校の社会科見学で飽きるほど見た工場と、機械の形やなんかが酷似しているように思う。

 ここはまさしく、彼のフィールドだ。

 

「ここで俺の能力を使えば、どんなヒーローにだって勝てる!!

 だがぁ、まずはぁっ」

 

 触手のように動くガラス片の集合体が、俺に向けてその切っ先を向ける。

 

「っ……」

 

 体が強張ってしまう。

 純粋な恐怖、初めての殺意を一身に受ける感覚。

 母さんは、こんな物にいつも晒されているのか。

 

「まずはその生意気な口を閉じさせなきゃ、なぁ!!」

 

 ギチギチギチギチギチギチ!!

 

 ガラスの集合体がまるで鞭のようにしなる。目標は俺だけど……後ろにいる女の子だって巻き添えを食う。

 早く避けていれば良かったけど、両手両足が縛られている状態では無理。

 仮に避けれたとしても俺の後ろにいる女の子に被害が出る、無理。

 だとしたら、

 

「こうするしかない、よね!!」

 

 ヴヴヴヴヴ――キーンッ

 

 個性を発動させる。

 今まで試した中で、1番強く振動させたそれは、最初はいつもと同じく空気を震わせる振動音だったが――すぐにまるで、小さい耳鳴りのような音が聞こえた。

 一気に腕の縄を引きちぎり、向けられたガラス片の鞭の先端に。

 

 バッシャーン!!

 

「――はぁ?」

 

 右の拳を思いっきり振り払うようにした。

 飛び込みに失敗したような水の音と、金属が擦れ合う嫌な音が混ざり合ったような不思議な音。それと同時に、ガラス片の集合体は弾けるように霧散した。

 男の呆然とした顔、後ろで庇っている女の子も、きっと似たような顔をしているんだろう。

 

「っ……いってぇ」

 

 俺も驚き――を感じていたが、それ以上に拳の激痛だ。痛いとかそういうレベルじゃないが、必死で噛み殺す。

 見てみれば、ガラス片が何個も拳に突き刺さっている。握り拳を作っている状態だとめちゃくちゃ痛いが、これを解くという動きだけでも激痛が走りそうなので、動かすことが出来ない。

 それだけじゃない。

 今までに感じたことがない程の熱を帯びていて、内側から火傷を負ったかのような痛み。骨も衝撃の所為で罅が入っているのか、呼吸に呼応してジンジンと痛んだ。

 

(こんなに反動があるなんて……治さないと、腕使い物にならなくなりそう)

 

 もう痛みで泣き叫びたいほどだった。

 

「おいおいおい、なんなんだそれ、個性かなんかか、俺のガラスを吹っ飛ばしやがったちくしょうちくしょう、誤算だ誤算すぎるありえねぇなんだそれ、ガキに、ガキに馬鹿にされたちくしょうちくしょうちくしょう!!」

 

 俺の行動が気に入らないのか、駄々をこねるように地団駄を踏む。

 俺はその隙に、後ろに顔を向けてみる。女の子は必死で怖さを噛み殺しながらも、俺と俺のボロボロになった腕を交互に見比べている。

 怖がらせちゃってる、よね。

 

「――だい、じょうぶ。俺が、守るから」

 

 ぎこちなくなっているのを自分で分かりながら、出来るだけ満面の笑みを浮かべる。

 嘘だ。本当は喋るのだって精一杯。未だに足の縄は解けていないし、俺がさっきのレベルで個性を出せるのはあと1回、左手を犠牲にしてなんとかと言ったところ。

 状況は最悪。

 だけど、

 

 

 

 俺のせいでこうなったんだ。

 俺がここで虚仮威しだろうが頑張らなきゃいけない。

 

 

 

「くそくそくそ! もう知らねぇ!! 身代金せしめてから殺してやろうと思ったが気が変わった!! てめぇら2人とも今ぶっ殺す!! 殺して親どもの前で死体晒して、泣き面拝むそうだそうだ、幸せは、取り返さなきゃいけないんだ!!」

 

 ガラス片の集合体が変化する。さっきまで触手のような形だったそれは、まるでドリルのように鋭利で攻撃的な形になってこちらにその切っ先を向ける。

 ……これは止められそうにない。

 最悪俺のところで、止められれば、

 

 

 ズガァアァアァァアアァァアアァアァン!!!!

 

 

 

 そこで俺の思考とこの場に割り込んできたのは、大きな音と、工場の入り口を塞いでいた大きな鉄扉だった(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 どんな大型重機だって、どんな兵器を使ったってあんな吹っ飛び方はしないだろう。穴を開けるわけでなく、引きちぎるわけでもなく、耐えられなくなった門のような扉そのもの(・・・・)が吹っ飛んだんだ。

 非現実的すぎて、その場にいる誰もが、怒り狂っていた男ですらポカンとしてしまった。

 

「……まったく、随分奥まったところにいるのね。おかげで来るのが大変だったわ。まぁその妙な個性のおかげで位置だけは簡単に特定できたけど。貴方の個性少しうるさいわね。欠点だけど、私以外に欠点になりえないから気にもしていなかったんでしょうけど」

 

 ――その声と姿に、力が抜ける。その所為か腕からくる痛みが増したが、それもなぜか気にならない。

 フルフェイスヘルメットのようなマスク。

 体のラインにフィットしたスーツ。

 無骨な籠手。

 

「……さて、私は本当は決め台詞とかそういうの嫌いなの。先輩方では自分で決めている人も多いし、No.1ヒーローがやってるからあれだけど、私自身は恥ずかし過ぎて無理って思うタイプなの。

 でも、あの人の決め台詞って凄いわよね。被害者は安心して、加害者は畏怖する。一挙両得の決め台詞だと思うわ」

 

 それは俺がこの世界で、1番尊敬するヒーロー。

 あんなに強くて、優しい人を、俺は知らない。

 

 

「だから、今日はあの人を真似ましょう――私が来たわ」

 

 

 俺の母さん――センシティが来た。

 

 

 

 

 

「――武闘ヒーロー、センシティ!! なんでこんな奴が来やがるんだ!! お前には関係ないだろうが!!」

 

「あら、犯罪を犯した人間がヒーローに対して言う言葉じゃないわね。貴方が犯罪者で私がヒーローである限り、関係は大有りよ」

 

 取り乱す男に見向きもせず、センシティ――母さんは、俺たちに走り寄る。

 

「後ろにいる子が誘拐された子ね、振武……怪我したのね」

 

 後ろにいる女の子を確認してから俺を見ると、母さんの声が平坦なものになる。俺は恥ずかしくなって、顔を俯かせた。

 

「ごめん、かあ――センシティさん。俺が、勝手な事したからこんな事に、」

 

「お説教はあとよ。動かないでじっとしていなさい、傷に響くわ。

 ――今は、私に任せておいて」

 

 安心させるように俺と女の子の頭を撫でると、母さんはさっと立ち上がって男と対峙する。

 

「……一応言っておく。ここで投降したほうがいいと思うわ。私はあくまで先遣隊みたいなものでね、すぐに私の事務所のサイドキックや、警察だって来る。誘拐は、まぁ、一応拘束時間が短かったから、それほど大きくは受け取られない。

 誘拐の未遂と暴行、個性の違法行使。懲役を貰ってしまうかもしれないけど、それほど長い時間刑務所に入る必要性はないかもしれない」

 

 少し威圧的に指の関節を鳴らしながら言う母さんに、男は憎悪の形相で睨みつける。

 

「投降!? ふざけるなふざけた事を言うんじゃない俺は全部奪うんだ、奪って奪って、俺の家族を幸せにするんだ絶対にやめてやるもんか!!

 警察になんか捕まらない、刑務所にも入らない! 俺たち家族を助けるどころか見向きもしない連中を殺して殺して殺し尽くしてやる!!」

 

 ギチギチギチギチギチギチ!!

 

 男の言葉に共鳴するように、ガラス片が擦り合わされて嫌な音をたてる。俺や女の子だけならば、その姿に恐怖して身を竦めてしまうだろう。鐘乳石が出来るのを早回しで見ているように次から次へとガラス片の触手は増えていく。

 数だけで言えば、圧倒的だ。

 けど、母さんはその光景を見ても全く動揺もせず、小さく溜息を吐いた。

 

「そう、それは何よりね。安心したわ、貴方がここで投降してくれなくて」

 

「なにを、」

 

 ドゴォン!!

 

 男外返そうとするタイミングで、地鳴りと共に大きな衝突音が鳴り響く。

 男はなにもしていない。やったのは母さんだ。

 きっと威圧のためにやったんだろうが……威圧の為だけに、コンクリートで固められているはずの床は、まるで小さな隕石が落ちてきたかのように陥没していた。

 大した動きもしていない、母さんの足でだ。

 

「私ね、本当に怒っているのよ。えぇ、貴方はそういうつもりが全くなかったんでしょうね。最初はちょっと脅かしてやろうって気持ちでやった事なんでしょうね。えぇ、理解出来ているわ。

 でもね、」

 

 ゆっくりと構えを取る。ボクシングのファイティングスタイルにも似たその構えは一切ブレがなく、1本の大樹のような安定感と存在感を感じさせる。

 だけど、大樹にしてはあまりにも怒りの念が強すぎた。守られているはずの俺と女の子が下がってしまうほど、その気配が湯気になって母さんの姿が歪むほど濃厚なそれは、近づいただけでも火傷しそうだった。

 

 

「あの子に怪我をさせた時点で、私の中では十分有罪よ。

 無傷で助かるなんて生易しい考えは捨てる事をお勧めするわ」

 

 

 

「っ――黙れ黙れ黙れ!! 俺の家族を救ってくれなかった、クソヒーローのくせにぃ!!」

 

 荒れ狂うガラス片の集合体が、母さんに向けて殺到した。

 

 戦闘が、始まった。

 

 

 

 

 

 ドゴォン!

 

「ちくしょうちくしょうちくしょう、なんでなんでなんでなんで」

 

 戦闘が始まって、数分も経っていない。

 だが男の声には、必死さと焦りが感じられる。この嵐のような戦闘の音の中で小さく呟いたはずのそれは、いやにはっきりと聞こえてくる。

 

「――シッ!!」

 

 ギチギチギチギチギィ! ――ドゴォン!!

 

 対して母さんが発する小さく息を切る音も、こんな騒がしい状況になっているはずなのに妙に鋭くはっきりと聞こえてくる。

 ただ拳を振るっているだけ。少なくとも俺にはそう見える。なんでも無いように振るわれているそれは洗練されていて、無駄な動きが一切無いが、特に力を込めているわけでも、俺が知覚できないレベルのスピードで振るわれているわけでも無い。

 周囲を飛んでいる虫を払っている。

 こんな状況じゃなければそう見えてしまうような、自然な動き。

 それなのに、

 

 ギチギチギチギチギシャア!! ―ドガァン!!

 

「なんで、なんでなんでなんで――なんで当たんねぇんだよ!!!!」

 

 その自然に振るわれている拳だけで、母さんはガラス片の魔獣を圧倒していた。

 俺がさっきやったように弾くんじゃ無い。無数のガラス片で出来ているそれを、まるで1つの物体のように粉砕(・・)し続けている。一発一発が迫撃砲並の威力でもあるのか、それともガラス片の触手は思ったより脆かったのかと思うほど簡単に崩れていく。

 母さんは、最初に構えた位置から1歩も動いていない。体の向きを変え、足を組みかえながらも、そこから1歩も距離を詰めていない。

 男は身振り手振りを加えながら、必死にガラス片を操作する。次々とガラス片の集合体を作り出しているが、1度母さんの所に向かってしまえば作った甲斐もなく一瞬で破壊される。

 形だけ見れば、膠着状態、一進一退。だが他人から見ても、母さんが優位に立っているのは間違いはなかった。

 

「……すごいね、」

 

 俺の後ろにいたはずの女の子はいつの間にか俺の横にいて、ただ呆然とその光景を見ている。俺だって正直信じられない。

 男の個性はかなり強い方だと思う。でも、母さんには一歩及んでいない。

 360度どこからの攻撃にも対応出来るのは母さんの個性のおかげなんだろうけど、あの拳に個性は一切関係無い。

 今まで話だけは聞いてきた。一部映像だって見ている。

 でも信じられなかった。

 あれは、規格外過ぎる。

 

「――そう、なんとなく解ったわ(・・・・・・・・・)

 

 母さんは一言だけそう言うと、構えをゆっくくりと解いてマスク越しにも、背中越しでも分かるほど力強く男を睨みつける。

 

「貴方、ガラス片1つ1つを自在に操れるってほどじゃ無いわね?」

 

「っ――」

 

 その言葉に、男は小さく息を飲んだ。

 図星だ。

 

「多分、ガラスを一塊にしてしか操れないんでしょう、操るためにはバラバラになったのを集めるしかない。ガラスの破片を束ねて作ったそれに効果が無いってわかったら、普通はバラバラになった破片そのものを霧状に使うだけだもの。

 それをしない意味ってのもあんまりないし……まぁ、それが分かって良かったわ」

 

「……な、何が分かったっていうんだ! ここは俺の城なんだ! 山になってるガラス片ならいくらでも、」

 

「いくらでも、は言い過ぎでしょう?

 それだけ大きな集合体を作るとなると相当大きな山でないと難しい。貴方の前に立つ前にパッと見させてもらったけど、あと2、3本作り出せるかどうか程度だもんね」

 

「……だからなんだってんだよ、なぁ! 2、3本だってなんだって、お前を殺してやる、絶対だ!!」

 

「えぇ、そうね、でも、」

 

 その言葉のあと、――

 

「――私の方が、速いし強い」

 

 一瞬で間合いは詰められた。

 

 

 

「歯ぁ、食いしばんなさい。1発で勘弁してあげるわ。

 その代わり、私の怒りと振武の分、両方上乗せだけど、ね!!」

 

 

 

 そのまま、男の腹に拳を振り抜いた。

 

「……かはっ」

 

 ……バタンッ

 

 男の呼吸が勢いよく吐き出され、目はそのまま回転し、白目のまま、その場に崩れ落ちるように倒れこむ。

 呆気ない終わり。文章にしてたった49文字の結果。

 男だって弱くはなかった。むしろ個性はかなり強いと思うし、並のヒーローだったらもっと苦戦していたのかもしれない。

 だけどそれは、母さんにはまるで意味がなかった。

 今の状況は、母さん……武闘ヒーロー《センシティ》があまりにも強いことの証明だった。

 

 

 

 

 

 


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