動島振武の朝は早い。
それは学校が唯一休日と設定している日曜日であっても変わらない。
朝5時、爽やかな朝を迎えている裏庭で、振武は1人で戦う。
想定する相手は――脳無。自分が負けた存在と空想の中で戦う。
こう語ると、どこかの漫画のように空想を実体化させるまで妄想し想像してのリアルシャドーを思い浮かべる人間も中にはいるかもしれないが、そこまでの想像力は振武にはない。
だから、頭の中で想定出来るのは直接戦った相手だけだ。
振武の体の動きは、前よりもずっと無駄がなくなっていた。
より速く、より機能的に。
一つ一つの動作そのものを精度を落とさず簡略化していく。そうする事で結果が出る速度も単純に速くなる。
相手に攻撃をさせずに倒す領域にまで踏み込まなければいけない。
そうしなければ、自分が目指しているものには到達出来ないから。
誰も殺さない。殺させない。死なせない。
その誓いも、全てをたすけるという決意も、叶える為にまず必要なのは自分も他人も傷つかないように出来るような強さ。
人を殺すよりなお力量を求められる。
それを目指す為に、振武も鍛錬を怠らない。
「――っ」
想像の脳無が腕を振るう。
人間を文字通り粉々に出来るほどのパワーを備えている拳を、影響を受けない、だが体勢を崩さないギリギリのところで回避する。
回避の勢いをそのまま使って相手の脇腹に蹴りを入れる。
効果なし。
それで良い。相手は衝撃吸収、打撃は効果がない。
だから、これは布石。ちょっとでも気にしていてくれればそれで良い。
「震振撃――透閃」
虚空に掌打を放つ。
これで終い、内臓にダメージを与えつつ、死なないレベル。
だが、あの脳無相手だと回復されて終わり。
次の手を考えなければいけない。回復能力を持っている敵は多いだろうし、そういう相手への対策も考えなければいけない。
もっと言えば
「遅い……な」
まだ遅い。
もっと速くなければ完封出来ない。
理想としては相手が攻撃をしてくる前に倒してしまうのが理想なのだが、まだまだ程遠い。
まだまだ鍛錬は必要なんだなと改めて感じさせられる。
小さく息を整えながら、もう一度構えようと、
「――若!!」
しようとして、止まる。
自分を「若」などと呼ぶ人間を、振武は1人しか知らない。
「……流鏑馬さん。朝早いんですから、もう少し静かにしてくれません?
あと、若ってのは恥ずかしいのでやめてください」
振り返ると、そこには一人の青年が立っていた。
青々とした柳色の髪の毛を1つに束ね、大河ドラマの若武者役で登場しそうな顔つきをしている青年。もっとも、パツパツの「武 一筋!!」なんて書いてある面白Tシャツが全てを台無しにしている。
それに、……本物の若武者ならば、下半身が馬な訳がない。
比喩でもなんでもなく、下半身が馬なのだ。ちょうど馬の首が生えている場所から、人間の胴体が出ている。
個性《ケンタウロス》を持っている彼は、動島流弓術の師範代を務めるほどの腕前を持ち、さらにもう資料でしか残っていない動島流馬術を発掘し再現してしまった、天才。おまけにプロヒーローだ。
師範代の中では1番若く、それ故に振武とは交流が深い。
どうにも体育会系で、動島宗家の跡取りと知ると、「若」と呼び始めたのだ。
良い人ではあるのだが……この暑苦しさはどうにもならない。
「失礼しました! でも自分は思うんです! 自分が教えを受けている家の跡取りさんなんすから、やっぱり若って呼びたいって!!
あと、言ったじゃないっすか、敬語は要らないって! 自分の事は、家来くらいに思ってくれれば良いんですって!!」
「ボリュームを下げる気もない感じですね……それに、何時代の話をしてるんですか。今の時代で、こんな若造が流鏑馬さんにそんな口利いたら、ダメでしょ、流石に」
どこもかしこも(と言うか、服装以外は)時代がかっている彼の好きなものは、時代劇だ。
「それより、何か用事があって話しかけたんじゃないんですか?」
「あ、忘れてました! 壊殿がちょう……朝餉の支度が出来たと言っていたでござる」
妙に侍っぽい喋り方をする流鏑馬に、振武は小さく苦笑を浮かべる。
「分かりました。今日は門下生の方々も一緒に?」
「はい!……って言っても、自分こんな形をしてますから、門下の皆と別室で頂きます!
家族団欒の邪魔はしないです!」
たまに食事を食べる門下生たちだが、振武達の生活スペースには基本的に入らないようにしている。別にそういう決まりがあるわけでもなく、暗黙の了解というやつだ。
宗家だって、プライベートというのは大事なのだ。
たまに一緒に食事を取る時はあるものの、基本的には別室でといった所だ。
「了解です。シャワー浴びてから行きますと、父に伝えておいてください」
解りましたと彼がいうと、軽快な足音をたてながら戻っていく。
「さて、今日も一日の始まりだ」
そう言いながら、振武も屋内に戻っていった。
「振武!!」
壊がバッと手を広げる。
まるで舞台役者がやる大仰なフリのように。
「……何してんの?」
「え? おはようのハグだよ」
「しないから。さも当然のように言ってるけど、しないから」
「流されない男……カッコいいよ振武!!」
「そういうの要らないから……頂きます」
いい加減このやり取りも日常化してきてしまった。
そう思いながら、振武は適当にあしらいつつ、席に着く。
生活リズムや日々の生活が多少変わっても、朝食を出来るだけ一緒に取るのは、ある意味動島家の基本になりつつある。
「はい、召し上がれ……振武、今日僕お仕事なんだ。夕方には戻るから、お昼は皆と一緒に食べてね。家政婦さんにはもう頼んであるし」
席に着きながら、壊は少し申し訳なさそうに言う。
――ヒーローとしての仕事に正式に復帰してから、壊はなかなかに忙しい日々を送っている。彼の場合、罪を贖う奉仕活動という事もあるが、エンデヴァーが積極的に壊を使っているのだ。
戦闘能力が高い上に経験豊富、ダーティーな事への知識が豊富な父だ。使い勝手も良いのだろう。
「了解。今日は弓術と活殺術、あと居合術の修行があったよね?」
道場や裏庭を使って鍛錬する門下生達。12の武術がある動島家には常に誰かしらが出入りしている。当然、数も人数も多いので、自然といつといつはどの術派がという取り決めが出来ているのだ。
それを確認するように聞くと、黙って漬物を食していた(いるなら壊の奇行を止めてほしいものだ)振一郎が頷く。
「ああ、弓術には裏庭を使ってもらい、活殺術は道場。居合は裏山でやってもらう。
……居合術は、中でやらせると、また道場を直す羽目になるしな」
数年前。
居合術の師範代が真剣を振るい、門下生達に実践してしまったのがそもそもいけない。
音速の域にまで早められている師範代の刀は一瞬で振り抜かれ、
道場を真っ二つにした。
幸い怪我人なしで終わったが、道場は一から立て直しだ。それ以来、壊れるものがない裏山や裏庭で鍛錬を行ってもらっているのだ。
「ちょうど良いから、振武。お前は活殺術の鍛錬に付き合ってあげなさい」
振一郎の言葉に、振武は動かしていた箸を止める。
珍しい。
動島宗家の子供は、基本的に同じく動島宗家が育てる。それはちゃんと決まりがある。だから振武は殆ど他の門下生や何かと触れ合う機会はない。
勿論同じ場所にいるし、常に振一郎が付き合っていられるわけではないので、全く無いわけではないが、「教えてもらってきなさい」という事はあっても「付き合ってあげなさい」と言う言葉はなかなかない。
「えっと、俺は別に良いけど……何かあるの?」
「うむ……そうだな、そろそろ良いか」
一度逡巡するようにしてから、振一郎は箸を置いて振武を見る。
「振武。お前は一応習得者。既に教えられる側ではなく実践者となった。
将来動島の当主になれば、自然とお前も師範代と一緒に活殺術を教える時が来るだろう」
それは……確かに。
母も、生きている時は時間を作って教えていた時もあったと聞く。そう言う意味では、ヒーローと師範代という役割も兼任出来ないわけじゃない。
どちらにしろ家督は自分が継ぐ以外に無いわけだし、自分だって教えたくない訳ではない。むしろ、自分の技術を誰かに伝えるというのは、それはそれで楽しい事だ。
「つまり、指導している姿を見て、学べと?」
「そうだな。いずれ、お前も弟子を持つのだから、遅かれ早かれ学ばねばならない。
勿論、直ぐにという話でもない。緊張せず、見学程度の気持ちを持って見ているだけで良いさ」
振一郎の言葉に、「分かった」とだけ答えて食事に戻る。
……本当は、聞きたい事があるのを隠して。
「オラッ、全員声出せ!!」
『はい!!』
道場いっぱいに怒声と気合の入った声が響く。
活殺術は他の武器術などに比べて学ぶ者が多い術派だ。1番は柔術だが、こちらにも多くの人がいる。
老若男女、様々な人間が10人程。
職業も様々だ。普通の勤め人もいれば、卵から引退までのヒーロー達、現職の警察官だっている。そんな性別や年齢、立場も違った人間が同じ型を練習しているのだから、知らない人間には不思議な光景に思えるかもしれない。
「ハハッ、坊がいるから皆気合が入っとるわ!! 流石、雄英体育祭1位の看板は伊達じゃないのう!!」
皆の前に立っている自分に笑いかけるのは、二足歩行する2メートルほどの虎だった。確か祖父と同じ世代であるはずの彼は、その容姿のせいか年齢を感じさせない、むしろ子供の頃に会った時よりも雄壮にすら見える。
個性《虎》の異形型である彼は、その虎特有の身体能力を生かして強く、またしなやかに拳を打ち出す。「震撃・虎ノ手」は振一郎さえも避けるしか防衛策がないと聞く程だ。
振武が未だに勝てない人間の1人であると同時に、その快活な性格で振武も含めた門下生から好かれている人物の1人でもある。
「寅さんに言われると恥ずかしいですね……自分はまだまだですよ。もっと上を目指さないと、届かないものが多すぎる」
「豪気じゃのう。いや、この場合剛毅なんかの? よう知らんが……まぁ、武を極めるちゅうんはそういう衝動がどっかに無いと難しいからのう」
数奇で極めてしまう者は稀に存在する。
だが、それは危うい。基礎をしっかりと作らなければ建物が壊れてしまうように、何かしらの目的意識を持っていないと人間は何事も為せない。
為せたとしても、それは非常に脆いものになる。
そういう意味でも「こうしたい」というバイタリティは必要なのだ。
「まぁ、儂はもう後進を育てる側の人間じゃから、目的意識ちゅうてもなぁ。強いて言えば、儂と同じくらい強い人間を育てるくらいしかのうなってしまった。
武人としては、もう賞味期限切れじゃ」
「言いますね……獣神ヒーロー《タイガーフィスト》とは思えない言葉です」
嘗てはオールマイトも一目置いた人気ヒーローだった彼の口からそんな気弱な言葉が出るとは、思わなかった。
振武のその言葉に、獣形は苦笑する。
「老いというモノにはどうにも勝てん。勿論人によってはおるんじゃろうけどなぁ、そんな個性の持ち主が。
だが生憎、儂は歳をとる。速さも力も全盛期ほどではのうなったし……まだ子供じゃと思ってた坊が、いつの間にか指導を学ばねばいけんほど成長しとったんだからな」
その大きな肉球の付いた手で、頭を撫でられる。
昔は力が強すぎて頭がぐらついたが、今はそんな事はない。鍛えられた中に、毛皮と肉球の気持ちよさが混ざり合う。
彼が現役の時はよく頭を撫でてくれというファンがいたらしいが、気持ちは分からないでもない。
「ちょっと自信がありません。俺は、まだプロヒーローにすらなれていないんですから」
「まぁ、そうじゃろうなぁ。儂も若い頃はそう思っとった。師範代なんか御免蒙るとすらな。
だが、お前さんも年齢を重ねれば、変わるものもあるもんさ」
「そういう、もんですか」
「そういうもんじゃ」
獣形はそう言うと、大きく手を鳴らす。
そうすると、型を行っていた門下生は即座にそれをやめて礼の姿勢を取った。
「坊がいるならちょうど良い。お前さんらも型や基礎練は飽きたじゃろう?
お前らの目標を作ってやる――脇に寄れ」
その言葉と共に、自然と門下生達は壁際により、皆思い思いの姿勢で座った。
事情が分からないのは、振武ばかりだ。
「えぇっと……寅さん? これはどういう事ですか?」
その言葉に、獣形は笑う。
さっきまでの人懐っこい笑みは何処へやら。
文字通り虎そのもの。
文字通り獣そのもの。
そんな風な笑みを浮かべている。
「お前さんはまず、皆に実力を証明せんといけんからのう。
習得者同士の組手というのはなかなか見せる機会がなくて、難儀しておったんじゃ」
「冗談でしょう――寅さんが俺と戦いたいだけじゃないですか」
「ハハッ、まぁ否定出来んのう――出来を見定めてやる。臆せずかかって来い」
「――望むところだ」
開始の言葉も、主審もいない。
振武は即座に、瞬刹で間合いを詰める。
一撃必倒――、
「震振撃――四王天!」
防具も何もない状態で放つには、あまりにも危険な技を、振武は躊躇なく振るう。
この程度で、目の前のこの男が負けるわけがない。
「――
それを、まるで関節が無いかのように
「貫鬼応用――虎ノ爪!!」
手刀にした手を、まるでドリルのように突き入れてくる。
一瞬で人の肉を抉り切る粉砕の連続技。嵐のように風を纏って襲いかかってくる攻撃を、振武は丁寧に逸らし、回避する。
一撃一撃がこちらを確実に倒す為の技。
……どうやら、獣形は手加減する気がまるで無いらしい。殺さないようにするのと手加減はまるで違う事を振武は知っているから。
「これってデモンストレーションじゃなかったんです、か!!」
獣形の腹に肘を入れて距離を取ると、獣形は笑う。
「ガハハ!! 本気じゃなきゃ手本にならん!!
見せてみろ坊!! 動島流を極めるとこうなるぞと!!」
「俺はまだ道半ばですっての――でもまぁ、下手に勉強になるもんをって考えなくて済むのは、ありがたいですけどね」
ゆっくり構え直して、息を整える。
子供の頃から目標として立っている男を倒す為に。
――正面から突っ込む。
「速いなぁ――だがまだまだ!!
波紋応用――虎ノ手!!!!」
掌打で振るわれるそれは彼の最強技。
相手を圧殺せんと言わんばかりの力の広がり。自分より巨大な敵、硬い敵であっても、まるで爪で切り広げられたような攻撃を放てるその攻撃は、受けたと同時に傷が出来る所為で防御が出来ない。
拳が振るわれる。
振武に正面からぶつか――、
らない。
「っ!?」
まるで残像に攻撃を放つように、何も無い虚空にその必殺の攻撃が振るわれる。
やっている事はとても簡単だ。
最初の一歩は瞬刹で距離を詰めず普通に走った。
相手が拳を振るうだろうという地点で、瞬刹で右斜め前に突っ込み、2回目の瞬刹で背中に回る。
名前をつけるまでも無い。
ただの方向転換。
だが、それは異常に――速い。
「震撃――貫鬼!!」
穿つのではなく、相手を突き押すような勢いで拳を振るう。獣形は反応が出来ない。攻撃を放った反動で動けなくなっている彼の無防備な背中に、ただ放つ。
「グッ――!!」
後ろから押されるようになった衝撃を、獣形は必死に押さえ込み――結果として、5歩ほど離れた場所まで吹き飛ばされるだけで終わった。
個性を使っていない攻撃は、獣形を完全に倒すまでには至らない。
「――ガハハ! 儂に一撃入れられるようになっていたとはな!!
どこがまだまだだ、この謙虚者め!!」
「いや、普通に一撃じゃなくて、完全に終わらせるつもりでやったんですけどね……難しいです。流石寅さん」
「個性使っとらんのに何が「完全に終わらせる」じゃ!! ど阿呆!!」
「いや、個性使った技モロに食らったら怪我じゃ済まないでしょう? 本気の殺し合いになっちゃいますって」
「それもそうじゃのう!! だが坊、成長したなぁ!!
吹けば飛びそうな小僧っ子だったのに、この先はもう勝てんかもしれんわい!!」
呑気に話している獣形と振武だが、見ていた門下生は若干引いていた。
動島流としての凄まじさも当然あるが……大半が「えぇ〜この人達鍛錬で何普通に個性使ってるの? なんでガチバトルしてんの!?」という感覚が強いのだ。
動島流を極めてしまう人間は大体似たような人種が多い。
とどのつまりは、バトルジャンキー。
戦いというものに身を置き続ける、常在戦場という心構えとは少し違う。戦いを求める血というのは見境はなく、ある一定の力量を超えた者同士の戦いでは手加減も遠慮もまるで関係なく、純粋に戦い始めてしまう。
まだその感覚が薄い門下生達は、その事実に戦慄していたのだ。
「おう、坊! もう一勝負! もう一勝負じゃ!!」
「ダメに決まってんでしょ!! 今日は俺の鍛錬じゃないですし、寅さんが欲しいのは鍛錬じゃなくて手合わせだろう?
機会があればやるから。今日はもう終わり!」
……まぁ、振武はそこら辺の欲求が動島の中でも比較的小さい方なので、普通にここで戦おうというつもりはないのだが。
「若っ! なんか道場から戦いの音が聞こえたので、駆けつけてき――って、何やってんすか寅次郎さん!! 若に手を上げるなんて!!」
「チッ、面倒なのが来よったのう……」
道場内に飛び込んで来た流鏑馬に、寅次郎は面倒臭そうに舌を鳴らす。
……この2人は相当相性が悪い。
振武を若と呼んで慕い、ある意味本当に主君のように扱っている流鏑馬。
振武を孫のように思い、ある意味遠慮がない戦い大好きな獣形。
振武に対してポジティブな感情を向けている彼ら2人だが、お互いのやり方がとことん合わないのだ。
「寅次郎さん、あんたいい加減にしてほしいっす! もし若が怪我していたらどうするんですか!?」
「過保護じゃのう、そこら辺は心得とるわ。
そもそも、我らが学んどる動島流は武術じゃぞ、本気出して戦って怪我をすんのはむしろ本望じゃろう」
「そういう問題じゃないっす! 寅次郎さんのそういう考えは自分は理解できないっす!
もうちょっと若に優しくお願いします!!」
「無理な話をするのう……そもそも、なんじゃ、その口の利き方は。
年長者だなんだというつもりはないが、百歩譲ってお前さんと儂は対等じゃったはずだがなぁ……いや、儂の方が強いから対等とは言えんか」
「――聞き捨てならないっすね。どういう意味ですか?」
「そのまんまの意味じゃ――走って射かけるしか出来ん若造が、儂に何を命ずる」
「――殺す」
「やってみろ」
持っていた弓に矢を番える流鏑馬。
唸り声を上げながら構える獣形。
オロオロする門下生達。
そして、
「「殺す」「やってみろ」じゃねぇんだよ馬鹿2人!! こんな所で本気出そうとしないでくださいお願いだから!!」
それを必死で止める振武。
日常には見えない光景だろうが――これが、振武にとっての日常だった。
「振武、どうだった、何か学べたか?」
正午を過ぎた縁側で寝転んでいる振武に、振一郎は笑顔で尋ねる。
顔を見ると、どうやら振武の答えを分かっているようだ。その事に少し不満を覚える。
「……寅さんと流鏑馬さんの喧嘩を止めたは良いものの、そのあとは修行にならなかった」
どちらも師範代という立場以前に、武人なのだ。彼らの喧嘩のせいで、とてもではないがまた皆で鍛錬しましょうという雰囲気にはならなかった。
その事を告げると、振一郎は声を上げて笑う。
「ハッハッハ、寅と健太郎はどうしても相性が悪いからな。やはり日程を調整して会わせんようにするしかないなぁ」
「……もしかしてそれを再確認する為に俺を行かせた訳じゃないよね?」
「残念ながら、未来予知の個性は持っておらんよ」
隣に座った振一郎に、振武は姿勢を正す。
「だが、1番の目的は、お前が何か考え事をしているようだったのでな。
これを機にそれが晴れてくれればと思ったのだが……もっと根本的な問題だったようだな」
「……バレてた?
ちょっと、祖父ちゃんに聞きたい事があったんだ」
振武は姿勢を正したままの状態で、振一郎の顔を見ずに口を開く。
「動島知念ってのは、俺達の親類縁者?」
――動島の姓を名乗っているだけでは確証はない。
もしかしたら普通に動島流を習った人間が、動島と偽っているかもしれない。だが少なくとも動島流の関係者という事は間違いない。
いずれこの手で倒さなければいけない。
正面衝突しなければいけない時に、そこで迷いが出てはいけない。
だからこそ、今聞こうと思ったのだ。
「――そうだな。そう受け取って良い。
動島知念……私達の調査が正しければ、私の兄の娘――つまり、姪に当たる」
……思った以上に近親者だった。
分家か何かだと思っていたが……つまり、覚の従姉妹。振武にとっては、従姉伯母。
「……そう、分かった。最近忙しかったのは、それもある?」
「ああ、隠していてすまんな。確証がなかったから」
「別に良いよ、気にしていない」
自分はまだヒーローですらない。
この調査を極秘に進めていくのであれば、ある程度の段階になるまで存在は伏せたかったはずだ。
「――でも俺は、誰も殺さない。もし戦ったとしても、ヒーローとして、動島流の人間として、生かして、捕まえて、話聞いて、罪を償わせる。
それでも良いよね?」
動島の規律がどういう物かは理解している。
動島流の技術を悪用するものを処断するのは、明治維新以降、法治国家になった日本では必須だった。身内の不祥事は身内がカタをつける。それだけの話。
だが、振武は誰も殺したくない。
誰も死なせたくはない。
振武の言葉に、振一郎は大きく頷いた。
「それで良い。次世代の動島当主はお前だ。お前がそういう部分を変えていくというのであれば好きにすれば良い、私は口出ししない。
……もとより、私が戦う事はないだろう。お前の方が会う確率が高い」
振一郎はそう言いながら立ち上がる。
「細かい事情は、今度ゆっくりと話をしよう。長い話になるからね。
――今は、もう少し休みなさい。休息も務めだ」
振一郎の言葉に、振武は小さく頷いた。
戦いは、想像した以上にすぐ側まで迫っているかもしれない。
だがそれはもう少し先。
2つの動島の正面衝突は――まだ、先の話だ。
今回のストーリーで出てきたオリキャラさん達は、基本的に本編に関わってくる事がないとここで明言しておきます。
ざっくり言ってしまえば、半分モブみたいなものです。
ちょいちょい顔を出す事はあるかもしれませんけどね。
ちなみに流鏑馬さんは、いつも応援していただいている炬燵猫鍋氏さんにアイディアを頂きました! こういうやつ嫌いじゃない。
次回! 振武くんがウンウン唸るよ! 我慢して待て!!
感想・評価心よりお待ちしております。