尾張で過ごすこと数日、豊臣様と遊んだり、織田様に料理の指導をしたり、家臣の方々から豊臣様と仲が良いということで嫉妬され、なかなか濃い日常を過ごすこととなった。
持っていたチョコレートのことを思い出して豊臣様に渡した際にはとても幸せそうに食べていて、織田様も機嫌が良さそうに食べていた。ただ、酒をどうにかして混ぜられんか。と言われたので嗜好品としてのチョコレートを作ってみるのも悪くないかもしれない。
ただ、日本酒はどうにも合わない気がするので大友様に話を通して洋酒を用意してもらったの方が良いのだろうか。そうなると大友様にも完成したチョコレートを渡すことになるのか。一体どれだけの量を要求されるのかわかったものではない。ただ、立花様がいるのだからきっと大丈夫のはず。
そんな取りとめもないことを考えながら駿河への道を歩いていたが、急ぐ任務でもないのでゆっくりと移動していた。すると顔見知りの行商や旅人のみならず、任務に出ている里の忍と会い、カシン様を探してるであろう紫苑を遠目で見ることとなった。
里の忍からは里の近況報告や俺からの情報の提供。師匠からの言付けと師匠への言付け。暗号化した榛名について書いた書状の受け渡し。その他いくらか。
そうしたことをしてから別れた忍には一度里に戻るように。と言われてしまった。師匠が戻ってきてほしいと言っていたとのことだ。戻らざるをえない。
そんなことがあったのが先日のことで、現在はすでに駿河領に入り、今川様の屋敷がある町が間近に迫っていた。
だがそんなことはどうでも良いのだ。問題はその近くにある大きめの木の下で眠っている徳川様がいることだった。何故こんなところで寝ているのだろうか。
そんな疑問を覚えながら徳川様を見るが、当然のように戦装束ではなく、普段着とでも言うのだろうか。俺にとっては見慣れない格好で、すやすやと眠っていた。
むしろ徳川様がすやすやと言いながら眠っていた。これは起きていると考えるべきだろうか。いや、だが徳川様なら本当に眠っている可能性の方が高い。とりあえずは観察でもしてみようか。
と思ったのだが、薄着で木に凭れ掛かるように眠っているせいか少し肌蹴そうになっていた。流石にそれを放置は出来ないので普段着ている上着を掛けておく。
なんというべきか、あられもない姿を見ていました。などと今川様が知ったら相当お怒りになるだろう。今川様は徳川様に対しては過保護であり、愛情が過剰であるからして当然のことなのだろうけれど。
ふと思えば、暖かな陽気で陽射しも優しい。これは確かに眠くなっても仕方ない。それが普段から眠そうにしている徳川様であれば尚のことだろう。
こんな日は、ヨシテル様と義昭様の二人を琥白号と共に遠乗りなどでどこか落ち着けるような場所に行くというのが良いのかもしれない。そう考えると、今駿河にいるのが悔やまれる。
「んん~……ゆーきー……?」
名前を呼ばれた。起きたのだろうか。
「榛名を……」
榛名。あの勾玉をどうしろと言うのだろう。見つけろとでも言うのか。
「食べてはいけませんよ……」
「誰がそんなもの食べますか誰が!」
ついつい反応して大きな声を上げてしまったが仕方ないだろう。何故俺が榛名を食べなければならないのだ。食材ならば確かに食べることは可能かもしれないが、あれは無機物だ。誰も食べない。
だいたい、どうしたらそんな意味のわからない夢を見ているのだろう。
「ん……んー……?
ゆーき……?」
「あ、起きましたか。おはようございます、徳川様」
「おはようございます……榛名は食べ物じゃありませんよ……ぐぅ……」
「寝ないでください。そして食べ物じゃないことくらい知ってます。
ほら、こんなところで寝てると風邪引きますよ。起きてください」
起きたはずなのに、また意味のわからない忠告をしてから眠り始めた徳川様を再度起こそうとするがなかなか手強い。というか起きる気配がない。どうなっているんだこの人は。
声をかけても起きない。軽く肩を叩いてみても起きない。肩に手を置いて揺すってみても起きない。
どうしたものだろうかと思いながら、とりあえず頬をぺしぺしと叩いてみる。
「うー……」
唸っているがそれでも起きない。徳川様はこんなに起きない方だっただろうか。以前今川様が声をかけた際には普通に起きているのを見たのだが。
もしかしたら特定の人間に声をかけられたなら起きる、ということなのかもしれない。ならやることは決まっている。
「イエヤスさん!こんなところで眠っていては風邪を引いてしまいますわ。起きてくださいな!」
声帯模写で今川様の声を真似てみた。必要とあれば変化するのだ。これくらいは普通に出来る。
「うみゅ……おねーさま……?
…………?今、お姉様が居たような……?」
「居ませんよ。気のせいでしょう。
それよりもこんなところで寝てないで、屋敷に戻るべきかと。今川様も心配していると思いますよ」
「お姉様が……わかりました、戻りましょう」
そう言って立ち上がった徳川様だが、ふらふらとした足取りで見ていて危なっかしい。寝起きであるから仕方ないのかもしれないが、この方は普段からこんな感じなのだろうか。
どこでも寝て、寝起きはふらふらとしている。もしそれが常であるのなら、今川様が徳川様に対して過保護になるのも納得してしまう。
「ちゃんと歩きましょうね、徳川様。そんなふらふらしていると転んでしまいますよ」
「私はふらふらなんてしてません……地面がぐらぐらしているのです……」
「あー、完全に寝惚けてますね……ほら、ちゃんと目を覚まさないと危ないですって」
「むぅー……ならこうします」
徳川様はそんなことを言いながら俺の服の裾を掴んだ。子供が親の服を掴む、あれと同じか。
「これなら真っ直ぐ歩けます」
心なしか得意気に言った徳川様はなんというか、アホの子状態の今川様と相通ずる何かを感じてしまった。アホの子は感染するのだろうか。
もしそうなら厄介なことこの上ない。もしそれが他の戦国乙女の方にも広がってしまった場合、というかヨシテル様に感染してしまった場合は俺の胃にダメージがあるに違いない。
ポンコツな上にアホの子とはもはや手に負えない。勘弁してほしい。
「さぁ、結城。屋敷に帰りましょう」
ある意味最悪な想像をしていると徳川様がそんなことを言いながら歩き始めた。しかし先ほどよりマシではあるがふらふらしているし、むしろ屋敷から遠ざかろうとしていた。
そして先ほど掴んだ服の裾から手を離している。あの得意気な顔はなんだったのだろうか、やはりアホの子で寝惚けているのだろうか。
「徳川様、違います。こっちですよ」
仕方が無いので徳川様の手を取って軽く引いて歩けば大人しくついて来てくれた。未だに眠そうに目をこすっている徳川様は町中で見た親に手を引かれて歩く子供のようで、微笑ましい。
いや、待て。それだと俺は親の立ち位置になるのか。義昭様の兄、豊臣様の兄、という立ち位置であればまだ納得もできる。だが親というのは無理があるだろう。徳川様ほどの年齢の子供がいるほど生きてなどいない。
「それはわかっています。ちゃんとそっちに歩いてますからね」
「歩いてなかったじゃないですか。あぁ、まだふらふらしてますよ、気をつけてください」
そんなやりとりをしながら歩き町の中へと入ると、町人は徳川様のことを知っているようで皆会釈をしている。そしてその徳川様の手を引いて歩いている俺に対して怪訝そうな顔をしていた。幾人かは殺意というか敵意を持っているようで険しい表情で俺を見ていたのだが。
尾張でも同じようなことがあったが、どうやらこれは徳川様のファンというか親衛隊と言うか。非公式ではあるがそういうものがあるらしく、それらが俺に対して殺意や敵意を抱いているらしい。
俺のような忍が豊臣様や徳川様のような戦国乙女の方に対して抱く感情など敬意が大半で、ファンだの親衛隊だのが抱く好意などはほぼない。好ましい方々だとは思っているが。
「……徳川様は随分と多くの方に慕われているようですね」
漏れそうになるため息を堪えてそう言えば、徳川様は何のことかわからないと言うように首を傾げていた。それを見て町人の幾人かが歓声を上げていた。こう言ってはなんだが、聊か気持ち悪い。
「私よりもお姉様の方が慕われていると思いますよ。なんと言ってもお姉様ですから」
「あー……確かに今川様は大変慕われていますね。確か今川様が町を歩けば色んな方に声をかけられ売り物の食べ物を貰ったり子供が遊んでと寄って来たりするとか」
「そうなんです。領民の方に凄く慕われている素敵なお姉様なんですよ」
普段と変わらないように見えるが、その表情は微かに嬉しそうな物に変わっており今川様のことを語るのが楽しくて仕方ないように思えた。事実、眠そうだったはずなのに今ははっきりと起きており、身振り手振りを交えながら色々と話をしてくれた。
歩きながら、ではあるが段々と話しに熱が入ってきたようで身振り手振りも大きくなって来た。周りの町人はそれを微笑ましい物を見るように笑んでいるが、徳川様はそれに気づいた様子がない。気づいたらきっと恥ずかしがるか照れるかしそうだが、まぁ本人が気づいていないならそれで良いか。
「それでですね!この間お姉様と一緒に町中を歩いているときに小さな女の子がお団子を落としてしまったんです。そして女の子が泣いてしまって、それを見たお姉様はその子に声をかけて近くの茶屋でお団子を買ってあげたんですよ。そうしてお姉様は言ったんです。女の子は泣いているよりも笑っている方が素敵でしてよ。と、それから女の子の頭を撫でてあげると女の子が泣き止んで、笑顔になったんです!」
その時のことを思い出しているようでとても楽しそうに、それでいて幸せそうにしている徳川様の話を聞く限り、今川様の治世は、というか普段の行いは町民たちにとって親しまれるような、慕われるような、そんな治世のようで安心した。
ヨシテル様がそれぞれの戦国乙女に国の統治を任せている現状で、それぞれの国がどんな状態なのか見て回らなければ分からない。そして、見ただけではその詳細を知ることは出来ない。
正確に状態を知りたければ数日は滞在して町人、旅人、行商、兵士、武将。その他話を聞ける人間から情報を集めて、また自分で城内や屋敷に潜入して探らなければならない。
とはいえ、それは戦乱の世であればそうしなければならない。という話であり、現在は信用することの出来る方々が統治しているので、言うほど心配はしていない。
ただ、ヨシテル様から命じられた任務であり必要であればそのくらいのことはする。という覚悟はあるのだが。
「そういえば、結城は何故駿河にいるのですか?
ついお姉様の話に熱が入ってしまって聞きそびれてしまいましたが……」
「ヨシテル様の命により、それぞれの戦国乙女の方の様子を確認している最中です。今回は駿河にて今川様と徳川様の様子を確認しようかと」
「なるほど……それでしたら早速お姉様にお話した方が良さそうですね。
安心してください。私が一緒であれば正門から屋敷に入れますからね」
「それは有り難いです。尾張では運良く豊臣様とお会い出来たのですんなりと入れましたが、駿河ではどうしようかと思いました。
まぁ、忍び込んでから話をつければ良いかとも思っていましたが」
事実としてこうして徳川様と会うことがなければ屋敷に忍び込んでいただろう。忍らしくて良いとは思うが、今川様にどんな反応をされるか……いや、面白いかもしれないけれど。
「お姉様が驚いてしまいますから、あまりお勧めは出来ませんよ。
あぁ、そうだ。折角ですし、お姉様との話が終わったら少し時間をいただけますか?話したいことがありますから」
「話したいこと、ですか。わかりました。
……もしかしてそれは、榛名に関わることでしょうか」
寝言で榛名について言っていたのでもしかしてそうなのだろうか。と思って聞いてみると徳川様は驚いたように目を見開いた。
「どうしてそれを……いえ、それよりも結城は榛名について知っているのですか?」
「ええ。それなりに詳しく知っています。カシン様から教えてもらったことですので本当に正しいかどうか、わかりませんが」
「そうですか……では話が早いです。その榛名について話したいことがあるので、どうかよろしくお願いしますね」
「はい。俺としても気になることがあるのでそれが聞ければ幸いです」
そんな話をして歩くが、そういえばまだ徳川様の手を引いていたことを思い出した。手を繋いだ状態で器用に身振り手振りをしていたので忘れていた。
もう目も覚めているので必要ないだろうと思い徳川様の手を引くのをやめて手を離そうとすると何故か徳川様にその手を掴まれた。
「……徳川様?」
「結城、このまま手を繋いで歩きましょう」
「いえ、徳川様は足取りもしっかりしていますし、必要ない気がするのですが」
「必要です。こうして手を繋いでいるというのに意味があります」
「はぁ……徳川様がそう言うのであれば……」
断言されてしまい、これは断っても意味がないだろう。と思って仕方なしに手を繋いだ状態を維持することになった。どうして徳川様は意味があると言ったのかわからないが、徳川様は天然なので気にするだけ意味がないのかもしれない。
「結城。無理はしてはいけませんからね」
「無理、ですか?ええ、それはわかっていますが……」
「わかっていないから言っているんです」
そう言った徳川様は、私怒っています。という風に見えてますます意味がわからなかった。
ただ、それは俺を心配しているように見えるので何も言えない。とりあえずは徳川様の意向に従うこととして屋敷へ向かうことになった。
ひとまず、今川様と話をしなければ。徳川様との話も待っているのだから。
天然イエヤス様の手を引いて歩きたい。
兄のように、父のように。