深紅のスイートピー   作:駄文書きの道化

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ACT.06

 ――夢を、見ていた。

 赤い、赤い、赤い、赤くて、大きな、大きな影を。

 とても煩わしかった。とても落ち着いた。

 ぐるり、ぐるぐる、巡る。巡って、堕ちていく。

 このまま眠っていたい。このまま、目が覚めなければ良いのに。

 けれど泡が浮くように意識が浮上していく。あぁ、目覚めはこんなに、重たかったっけ。

 すると、赤い影が指を差す。それは私の胸を指さしているようで。

 どくん、と体が跳ねるように大きく心臓が鼓動する。“変わり果てた”鼓動の音を立てて。

 あぁ、巡る。巡っていく。体が満たされ、侵され、歪められ、混ざり、循環する。

 

『――抱け』

 

 何を? 何を抱けという。

 

『――夢を』

 

 夢……。

 

 

 

『――思い出せ。でなければ、お前は“悪夢”となるぞ』

 

 

 

 悪夢? 悪夢だって?

 悪夢なんて、ずっと見てるよ。私が“私”になった時から。

 覚めない、覚めることのない、幸せで、尊くて。

 ―――とても、残酷な悪夢を私は見ているんだから。

 

 

 * * *

 

 

「……ぁ」

 

 目を開く。重たい、体がとても重たい。ただ体がだるくて起き上がる気にならない。

 またか、と思う。起きてもまだ朦朧とする意識を繋ぎ止めながら私は嘆息する。

 クレーリア様に会ってから、私は著しく体調を崩した。幼稚園も体調不良という事で休んでいる程だ。

 体を起こすのが億劫だ。体が思う通りに動かない。なんとか半身を起こして傍に置いてあった水に手を伸ばす。

 

「あ……」

 

 ごとん、と音を立てて水を入れたペットボトルが床に転がる。蓋を開けていなくて良かった。水をぶちまける所だった。

 ずっとこの調子だった。クレーリア様と会ってから、体と心が一致しない。うまく意識と体の動きが合わず、何をしてもうまくいかない。

 ぐるぐるする。頭が痛い。気持ち悪い。吐いてしまいたい。吐いてしまうものなんて、もう胃液しかないのに。

 知っていたはずだった。覚悟していた筈だった。なのに目にして、出会ってしまって、私は怖くなった。

 クレーリア様は近い内に死ぬかもしれない。エクソシストの男性と出会い、恋に落ちて、そのまま死んでしまう。

 そこには悪魔の思惑も絡んでいて、悲恋として終わる物語。救えぬ物語。私は知っている。知っているけど、だからなんだと言うのだ。

 私に何が出来る。貴方は将来死にますから、人間と恋なんてしないで下さいなどと言うつもり? 馬鹿馬鹿しい。そんな事、誰も信じない。

 仮に、仮に彼女を助けられたとして、もし、それで他の誰かが死ぬ事になったら? 世界がどうしようもなく酷い事になるかもしれない。こんな事、何度も、何度も思って、考えて、受け止めようとしてきたのに。

 怖い、生きているのが怖い。動くのが怖い。何かを為して変わってしまう事が怖い。もう自分が変わってしまっているから今更だと思っていたのに、実際に“死ぬかもしれない”相手と出会ってしまってから気が狂いそうだった。

 知っていて、何も出来ない。何かするのが怖い。未来が怖い。起きてしまう未来がどうしようもなく怖い。私がいるせいで“私が知る未来”以上に酷い事になるのが怖い。何も出来ないのに、何も出来ないままなのに。時間の針は確かに進んでしまっている。確実に、未来へと。

 それが、ただ溜まらなく怖い。体が震えて、思わず抱きしめる。どれだけ震えていただろうか。時間をかけて自分を落ち着かせた所に扉が開く音がした。そこにはアジュカ様と……もう一人。

 

「お兄様……?」

 

 自分とよく似た紅い髪を揺らせたお兄様がそこに立っていた。柔らかな微笑を浮かべて、お兄様は私を抱きしめてくれた。そしておでこにキスを1つして、目を合わせる。

 

「やぁ、リーア。迎えに来たよ」

「迎え……?」

「体調を崩したんだろ? まずは病院に行って、検査をしてから家で療養しよう。慣れない人間界の生活で疲れが溜まっていたんだろ?」

「それは……」

 

 確かに、疲れは溜まっていたかもしれない。魔力の訓練や幼稚園、蓄積していた疲労がクレーリア様と出会うというショックでここまで悪化したのかもしれない。確かに、良くない思考に陥ってたかもしれない。

 ぼんやりしているとお兄様に抱きかかえられる。ぽんぽん、と頭を撫でてくる手の感触が優しくて、とても落ち着く。力を抜いて身を預ける。

 

「今はお休み、リーア。すぐに良くなるから」

 

 優しげに声をかけられながら、私の意識はすぐに眠りへと誘われる。とても、とても眠たかった。お兄様の腕に抱かれながら私は瞳を閉じる。

 ……何でだろう。少し、胸がチクリとした。脳裏には、クレーリア様の顔が浮かんだ気がした。

 

 

 * * *

 

 

「あ、サーゼクスちゃんにアジュカちゃん。待ってたよー」

「やぁ、セラフォルー。今日は頼みを聞いて貰ってすまないね」

「いいよ、リアスちゃんの為だしね」

 

 セラフォルーは軽く手を振ってサーゼクスとアジュカの2人を迎え入れる。彼等は長く続く廊下を3人で並びながら歩みつつ、3人は言葉を交わす。

 

「リアスちゃんが体調を崩したって聞いたけど、本当に酷そうだったね」

「あぁ。まるで死人みたいな顔になっていてな……」

「切っ掛けは、アジュカの隠れ家の付近を管轄しているベリアル家の者と出会ってからと聞いたが」

「あぁ。その時、リアスが妙な事を言っていたからな。それも気になってな……」

「確か、これから死ぬかもしれない相手とどう話したら良いか、だったか?」

 

 アジュカに確認を取るサーゼクスの瞳は鋭い。アジュカはサーゼクスの視線を受け止めながら重々しく頷く。普段は明快で陽気さを振りまいているセラフォルーの表情も引き締められている。

 

「……可能性の段階だけど、ね」

「――リーアは未来を垣間見てる可能性がある、か」

「なんにしても、見えて良いものではない」

 

 リアスが体調を崩したのは明らかにクレーリア・ベリアルと邂逅してからだ。その時、彼女が告げた一言がどうにも気になっていたアジュカはリアスの様子を観察していた。

 リアスが体調不良となり、起きているのも辛そうにしているのを見て、これは手を打たねばならないとサーゼクスに連絡を取り、連絡を受けたサーゼクスがセラフォルーに了解を取って、今回のリアスの検診となった訳だ。

 アジュカはリアスの体調悪化の原因を、魔力という刺激を受けてリアスの中にある『α』が変化を見せた結果、リアスに変化が起き始めたのではないかと考えたのだ。

 死ぬかもしれない相手、とクレーリアの事を指し示していた事からアジュカが立てた仮説は未来視。未来にクレーリアが死ぬかもしれないという可能性をリアスは何かしらの方法で垣間見たかもしれない、と。

 誰かが死ぬかもしれない。そんな未来を知ってしまったらどうなるか。リアスは優しい子だ、とサーゼクスは思う。きっと助けたいと思うだろう。けど、悲しいほどに彼女は無力だ。

 そしてリアスは抱え込む悪癖もある。誰にも信じて貰えないから、と自分だけで抱えて、誰にも言わずに耐えようとしていたのかもしれない。

 

 

「本来であればもう少し時間をかけたかったが、やむを得ん。強引にでも調べた方が良い。手遅れになる前に、な」

「……それが、リーアに何も影響を及ぼさなければ良いのだが」

「動き出した時計は止められなくても、自分たちで進める事は出来るよ。そしてその為に四大魔王の内、3人が動くんだから本当、リアスちゃんは果報者だよ」

「すまない。私情なのは承知だが……それでも私は」

 

 サーゼクスは不意に足を止めて、2人に頭を下げる。そう、今回の事は“超越者候補”であるリアスの暴走も鑑みてサーゼクスが2人に頼み込んだ事だった。

 セラフォルーは医療設備、そして何かが起きた際の結界を。アジュカはその知恵を。全ては愛おしい妹の為に。

 

「リアスは俺の教え子でもある。気にするな、あいつの可能性を探る事は俺の願いでもある」

「同じ妹を持つ者として当然の事だよ。水くさいよ、サーゼクスちゃん」

「……すまない。ありがとう、2人とも」

「お礼はファルビーにも言うんだよ? 今日は珍しく私達の仕事を一部請け負ってくれてるんだから」

「ははは……相当なお返しを要求されそうだな」

 

 アジュカが不敵に笑い、セラフォルーが唇を尖らせながら言う。2人の言葉を受けてサーゼクスは笑みを浮かべて感謝を伝える。

 やがて1つの扉の前に立ち止まり、セラフォルーが扉の傍の認証機械を操作する。重々しい音を立てて開いていく扉の先はやや広めのホールで、様々な計器が並べられている。

 そこにはグレイフィアやマグレガーといったサーゼクスの眷属達が忙しなく動いている。その中央に置かれたベッドの上ではリアスが座っていて、ぼんやりと虚空に視線を彷徨わせていた。

 

「……催眠による潜在意識への接触、か」

「何事も無ければ良いのだが……」

「……サーゼクスちゃん、アジュカちゃん。配置も結界もOK。いつでも始められるよ」

「あぁ、頼む。セラフォルー」

 

 笑みを浮かべてセラフォルーが頷く。本来であれば医者が行うべきではあるが、今回は事が事だけに公にも出来ず、セラフォルーがリアスへの催眠誘導を行う事になった。

 既に結界によってこの場は隔離されており、何が起きても何十にも敷かれた結界が外への被害を許さない想定だ。

 セラフォルーも通信で信を置く医者の立ち会いの下、リアスへの潜在意識への接触が始まる。

 

「リアスちゃん、聞こえますかー? まずは力を抜いて、落ち着いて聞いてね」

 

 セラフォルーがリアスに目を合わせながら話しかける。催眠によって意志の欠片が薄い眠たげな瞳がセラフォルーへと向けられる。

 

「お姉さんの声が聞こえる? 私の質問に答えてくれるかな?」

「……はい」

「リアスちゃんは、何が見えてるのかな? お姉さんに教えてくれる」

「……セラフォルー様が見えます」

「はい、セラフォルーだよ。じゃあ、クレーリア・ベリアルちゃんって覚えてるかな?」

「……クレーリア・ベリアル……」

「うん、彼女と会った時、リアスちゃんは何を見たのかな?」

「……何も」

「そう。じゃあ、クレーリアちゃんはどうして死んでしまうとリアスちゃんは思ったの?」

「……」

「リアスちゃん……?」

「……クレーリア、ベリアル、死ぬ、私は知って、なんで、だって、それは、あぁ、だって、だって、あの人は、とっくに、私は、もう―――」

「リアスちゃん、大丈夫? 良いよ、落ち着いて―――」

 

 セラフォルーがリアスの調子を伺いつつ、質問を重ねようとした時だった。

 

 

 

「―――セラフォルー、離れろッ!!」

 

 

 

 ―――アジュカが叫ぶ。

 咄嗟だった。セラフォルーが氷の障壁を展開し、―――リアスの拳が、障壁に叩き付けられた。

 

 

 

 * * *

 

 

 わたしは、しってる。

 わたし、そのひと、しってる。

 しんじゃうの。いなくなっちゃうの。

 やめて。しらないで、しらないで。

 こたえたくない、しられたくない。

 おねがい、おねがいですから。

 わたしを、みないで。

 わたしを、しらないで。

 わたしが、うそになっちゃう。

 わたしが、“わたし”をけしてしまったの。

 わたしは、うそで、にせもので。ほんとは、うそになんて、したくないのに。

 ほんものになれない、にせもののわたしを、みないで。

 あぁ、やめて、ふれないで、あばかないで!

 わたしを、わたしでいさせて! わたしを、にせものにしないで!

 わたしを、しらないで! おねがい、いやだ、しられたくない、だれにも!

 わたしをみないで! わたしにふれないで! わたしは、わたしは、わたしは―――ッ!!

 

 

 

『――触れたな。触れてしまった。見たな。聞いたな』

 

 

 

 何かが、嘆息した。

 仕方ない。きっと、いずれ、誰かが触れてしまうだろうとは思っていた。いつか受け止めなければならない時が来る。それが今だと言うのなら。

 殻に篭もりつつあった“この子”は正しく目覚められるだろうか。わからない、唸るように呟きを続ける。

 

『――思い出せ。でなければ“悪夢”は覚めない』

 

 思い出せ、と繰り返すように呟く。

 殻に篭もりつつあった夢は淀む。淀んだ夢は―――“悪夢”となりて、殻を破った。

 

 

 

 * * *

 

 

「―――く、ぅ……!!」

 

 破砕音が響き渡る。セラフォルーの障壁が“ただの拳”の一撃で粉砕された。四大魔王の一人であるセラフォルーの障壁を、だ。その光景をセラフォルーは眉を歪めながら見ていた。

 意志の見えない瞳で拳を振り切ったリアスは、ぎょろり、とセラフォルーを見た。セラフォルーは背筋に走った悪寒に身を任せるままにその場から離れる為に地を蹴った。

 

「ぐ、る、るぅ、ぁ、ぁあ―――ッ!!」

 

 普段の彼女では絶対に出すとは思えない、獣のような唸り声をあげながら胸を押さえるように蹲る。そしてその場にいた誰もが聞いた。

 それは鼓動のような音。ずくん、ずくん、と。空気を震わせるような音だ。同時にリアスの体から“力”が漏れ、溢れていく。

 

「――は、ははっ! はははっ! そういう、そういう事か! だがどういう事だ! なんだそれは!?」

 

 リアスを“視て”いたアジュカが笑う。信じられない、と言うように。ただ驚き、驚きのあまりに引きつった笑いを零しながら。だが、どうしてそうなるのかがわからないと言うように。彼はリアスに秘められていた“未知”の一端に触れたが故に笑う。

 

「アジュカ! 何が起きている!?」

「サーゼクスゥ! 眷属達に命じろ! 結界を更に張れとな!! 今の結界が持ちこたえられる内に!!」

「何っ!?」

「来るぞ、目覚めた、起こしてしまった! 藪を突いたら蛇どころか、こいつはぁ―――ッ!」

 

 アジュカが叫ぶ間にもリアスの変化は進行していく。鼓動の音は大きく脈打つ、蹲っていたリアスが天を見上げた。漏れ出した力が“赤いオーラ”となって彼女の体を包み込んでいく。

 

 

 

「“龍”だ! それも、こいつは! なんでだ! おいおい、なんでだよ、―――なんでそこにいやがる、『“真なる赤龍神帝”(グレートレッド)』!!」

 

 

 

 ――“悪夢”だ。

 これは悪夢だ。どうしようもない現実、突きつけられた事実、己の宿業を彼女は知る。

 無知は罪だと言うが、これは知るが故に背負う罪。逃れ得ぬ彼女の罪科。

 正史を知り、されど異ならせてしまったが故に。持ち得た筈の力も持たずに生まれた。

 世界にただ一人。共有する相手もいなく、その業を背負うはただ一人。

 これは夢だ。何度も思った。幸せな夢だった。それは彼女が夢見たもの。

 同時に奪い取った夢だった。消してしまった夢だった。潰えさせた夢だった。

 何故と問う心は幾たびも傷つき、けれど立ち上がり、夢を見ようと必死に足掻いた。

 しかし、膝を折る。どれだけの光を与えられても、終ぞ逃れる事が叶わなかった闇。

 全てを閉ざしていく。眠りへと、終わりのない夢へ。目覚めるは―――悪しき夢。

 

 

 彼女が彼女である為の『“龍の心臓”(いのちのあかし)』が、目覚める。

 それは夢幻にして、夢現。あり得ざるものにして、あり得る矛盾の君。

 罪などなく、されど罪深く。赦し得る事も無き罪科の化身。

 侵蝕する。魂が、彼女が彼女たらしめるものが“彼女”という殻を壊していく。

 長い胎動の果てに、彼女は“生まれ堕ちる”。

 

 

 深紅の髪から覗くように伸びていく赤い角、爪が鋭利となり、牙が生えていく。瞳は瞳孔が縦に裂けた、七色の光を収めた黄金。

 背に広がる翼もまた赤く、悪魔の翼にもよく似た“龍の翼”が広がっていく。

 “龍の心臓”が鼓動する。長き時間をかけて変質した心臓が、強く、強く。“拒絶”の形を示すように、ただ鋭利に、触れる者を皆、傷つけてしまう程に。

 

 

 

「アァァア”アア”ア”ア”―――ッ!!」

 

 

 ふれないで、だれも。

 しらないで、だれも。

 だれも、だれも、わたしに。

 わたしは、わたしは、わたしを。

 ……だれか。

 わたしを、たすけて。

 わたしの、『“悪夢”(ゆめ)』を終わらせてよ。

 

 

 

 

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