ACT.01
これが胡蝶の夢と言うのなら、私という夢を誰が見ているんだろう。
* * *
目を開く。瞬きを何度かした後に鮮明になるのは見慣れた天井。
「……はぁ」
目覚めて吐息を1つ。憂いを込められた溜息だ。私の外見を考えれば似付かわしくない仕草な事だろう。
さて、と。天井をぼんやりと視界に映しながら私は日課となった思考の反芻を行う。
気付いたら、私は“リアス・グレモリー”として生まれていた。
最初は夢のように朧気だったが、今ははっきりしている。サーゼクスと名乗る兄、鮮やかな紅髪、紫色の空、冥界、ルシファー、グレモリー。そしてリーアという愛称で呼ばれる私こと、リアス・グレモリー。
ここまで来れば嫌でも現実の認識が完了する。私は“リアス・グレモリー”という立ち位置に置かれたのだ。あの“ハイスクールD×D”のメインヒロインであるリアス・グレモリーに。
何でこうなったのか、と疑問に思う気持ちもあるが、不思議と薄い。今でもそうなのだが、私という意識は非常にふわふわとしているのだ。
意識を自覚してからと言うもの、自分の意志の希薄さというべきか、あるいは浮遊性と言うべきなのか。どうにも認識や実感がとても薄くてし辛いのだ。
私は“私じゃないリアス・グレモリー”を知っているし、そのリアス・グレモリーがヒロインである物語のあらすじを知っている。
しかし、どうにもはっきりせず、断片的に名前であったり、何かが起きて、結果何に繋がったと実感の薄く、しかも内容がふんわりしすぎて詳細がわからない。
その中でも強烈なのが、赤龍帝、悪魔、天使、堕天使の和解、禍の団、邪龍、といった所だろうか。どれも命の危険を感じるような危機感を覚えるものだ。
それと同じぐらい、おっぱい、すけべ、スイッチ姫、乳龍帝といった単語が頭をついて離れないのだから、何とも言えない顔になる。特にスイッチ姫は自分で思い浮かべて将来への漠然とした不安を覚える程だ。
そして“リアス・グレモリー”。詳細が朧気だからなのか、私の中でかなりの美化をされているような気がする。お姉様、情愛に溢れた、それでいて女の子らしい面もあり、主人公である一誠の意中の人となり、物語の中心にいた気高き人。
メインヒロインだけあって、彼女がいなければ物語が成り立っていなかった筈の人。そんな人の位置に何故自分がいるのか。自覚した当初は頭が痛くなって不貞寝をした程だ。
「……どうなるんだろう」
リアス・グレモリーの人生は平穏と呼べるものじゃない。ただの同姓同名なだけならまだしも、符号する情報が揃いすぎている。拾える情報に限りがあるが、私というイレギュラー以外にも何かが無ければ原作通りの事件が起きるのだろう。
いや、そもそも私というイレギュラーのせいで原作からは既に乖離を始めているかもしれない。それならばリアスの眷属となっていた原作の主人公達はどうなってしまうのか。物語が始まってから出会うだろう赤龍帝の少年、一誠ならまだしも、それ以前から眷属となっていた者は? 朱乃、子猫、祐斗、ギャスパーといった名前が浮かぶ。
それぞれが重い過去を抱えていた筈だ。それを多少なりともリアスに救われていた筈だった。私が、彼等を救わなければならないのだろうか? もし、出来なかった彼等はどうなってしまうのだろうか?
仮に出会えたとして、リアス・グレモリーのように彼等を救う事が出来るのだろうか。そう思えば目の前が暗くなっていく。どうして、という思いが零れそうになる。
「止めましょう……」
考えたって仕方がない。起きる可能性が高い未来だが、あくまで未来だ。今ではない。
そして私には今、やらなければならない事があるのだ。
「おはようございます、リアス様。今日も一日、頑張りましょうね」
目標は、一人で立って歩けるようになる事だ。
* * *
私は生まれてから3年の時が経過しているらしい。そして、その時間をほぼ寝て過ごしたらしい。
らしい、というのは私自身、夢を見ていたように朧気で実感がないからだ。辛うじて腕や足を動かせたものの、自分の足で歩いて、物を掴んだり、といった事が非常に難しかった。
純粋に体を動かしていなかった事の弊害なので、リハビリをこなせば普通に歩けるようになるとは言うけれど、それが非常に過酷であった。
立ち上がる筋力も足りない、体を動かす体力が足りない。思うようにいかない体に苛立ちさえ覚えてしまう程だった。それでも泣き言を言わずに続けられたのは、この時だけは余計な事を考える必要が無かったからだろうか。
原作云々の前に、自分の体が不自由なまま、トイレも含めたありとあらゆる事が自分で出来ないのは非常にストレスだ。おむつは早く卒業したい。トイレぐらい一人でゆっくりしたい。着替えだっていちいち他人にして貰いたくはない!
「はぁ……っ……はぁ……っ!」
「もう少し! もう少しですよ、リアス様! 頑張って下さい!」
手すりを掴みながら、震える足で一歩、一歩と慎重に進んでいく。以前の感覚の通りに体が動かないなら一から体に覚えさせるように歩いていく。実際、この体にとっては何もかもが始めてなのだろうから間違ってはいないんだろうけども。
ゴールとなる手すりの終わりには看護師なのであろう女性が両手を広げて待っている。傍には私が倒れた時に支える為に付きそう看護師もいて、頑張れ、と応援してくれている。
その声援に押されてか、漸くゴールまで行き着いて倒れ込むように待っていてくれた看護師の腕に飛び込む。すると我が事のように喜んでくれる看護師達の姿が見えて、思わず嬉しくなった。
「リアス様、かなり距離が伸びましたよ。あとは筋力さえつけば普通に歩き回る事も夢じゃないですよ!」
「あ、ありがとう……」
「えぇ、えぇ。ご家族の方もお喜びになりますとも!」
抱きかかえられながらも、家族の事に思いを馳せる。
父であるジオティクス、母であるヴェネラナ、そして兄であるサーゼクスとその妻、グレイフィア。一人一人顔を思い出して、自分が意識をはっきりさせた時の事を思い出す。
最初に顔を見たのは兄のサーゼクス。夢の微睡みから覚めて最初に見た彼は呆然としていて、ゆっくりと噛みしめるように涙を零しながらきつく抱きしめてくれた。
その後、兄の報せに両親と兄の妻であり義理の姉、グレイフィアと駆けつけて彼等も私を抱きしめてくれた。父も母も号泣し、ただ良かった、良かったと繰り返して。きつく抱きしめられたのもあったが、自分がどれだけ思われているのかを実感して嬉しくもなった。
その後、自分がリアスになっていた、という事に気付いて罪悪感を覚えてしまうが、少なくとも彼等にとっての“リアス・グレモリー”は自分である、と割り切るようになってからは罪悪感を抱く事も無くなった。
一歩引いていたグレイフィアにも優しく抱きしめられたのは実は一番、印章に深い。キツくではなく、労るように、慈しむような包み込む暖かさは母の愛情を感じる抱擁とはまた違った事を覚えている。
私の体がまだ自立出来ない事を知った後は度々時間を見つけてお見舞いに来てくれる。そんな家族の為にも自分も頑張らなければならない、と思いを強く持ち直す。
「あぁ、リアス様。リハビリお疲れ様です。サーゼクス様がお見舞いに来ていますよ」
「お兄様が?」
また来たのか、あのお兄様。正直、両親よりも忙しい筈なのに顔出す回数は一番多いんじゃないかと思う程だ。
体の汗を拭って車椅子に乗せられる。そのまま看護師に運ばれながら病院の景色を眺める。前世でもそこまで頻繁に訪れた訳ではない病院だが、そこまで印象が変わらないのは妙な違和感を覚える。
悪魔が人間の病院を参考にしているのか、医療施設は得てして似たような方向性に進むのか。そんな事をぼんやりと考えながら運ばれていくと見慣れた、自分の紅髪とよく似た色彩の髪を揺らしたお兄様が見えた。
「リーア! やぁ、また来たよ!」
「もう、お兄様……恥ずかしい」
車椅子に座っていた私はひょい、と抱えられて、その場でくるくる回り出す。そのまま頬にキスの雨を降らせてくるものだから気恥ずかしさに思わず手で兄の顔を押しやる。
抗議が伝わったのか、しっかりと抱きかかえ直して笑みを浮かべる兄。私もつられるように笑みを浮かべた。決して兄の事は嫌いじゃない。むしろ好きだ。こんなイケメンが兄だと思うと誇らしい。優しいし、美人なお姉さんだっているんだから。
「リハビリの調子はどうだい?」
「前よりも距離が伸びました」
「そうか……リーアがいつか一人で歩けるようになったら、この兄がエスコートしてあげよう。リーアはどこに行きたい?」
「お兄様と一緒ならどこでも」
「はははは! それは楽しみだな!」
嬉しそうに笑って、またまたくるくる回り出すお兄様。もう、目が回るから嬉しいのはわかるからくるくる回るのは止めて欲しい……恥ずかしいし。
* * *
「……はっきり言って、異常です」
告げられた重い声を受け止めたのはサーゼクスだ。彼の前にはリアスの主治医である医師がいる。
この部屋にいるのはサーゼクス、医師、そしてジオティクス、ヴェネラナ、グレイフィアの面々だ。誰もが一様に表情を引き締め、医師が語る話に耳を傾けていた。
「リアス様は異常です。このような事例は私も初めてで……」
「……あの子は生まれてから3年、ほぼ寝たきりだったと言っても良い。体の衰えは仕様がない。いや、衰えるどころか活かされる事はなかった」
「仰る通りです。ですが、彼女は歩こうとしています。本能と言えば本能ですが、その上達が早すぎます。筋力さえ身につければすぐにでも歩き回れる事でしょう」
「問題は精神、か」
「はい。目覚めた当初は幼子と言っても過言ではありませんでしたが、今に至るまでのリアス様の学習能力は異常としか言いようがありません。早熟と言うにはあまりにも早すぎる。時折、大人を相手にしているように錯覚する時があります」
そう。それこそが“リアス・グレモリー”の異常性。
彼女は子供である。そして寝たきりという環境において、彼女は知識を吸収する機会が極端に少なかった。その筈だ。
だが、“当たり前のように敬語”を話していた。お兄ちゃん、という子供っぽい呼称からお兄様と言った呼称に変わるまでそんなに時間がかからなかった。
覚えの良い様の例えで、水を吸うようと言う事があるが、彼女の学習力はそんな言葉では生ぬるい程だった。どちらかと言えば、そう。
「思い出している、いや、確かめている、と?」
「はい。あくまで私の見解ではありますが。リアス様は覚えているのではなく、思い出しているのではないかという印象を受ける事があります」
「……人間の中には転生により、前世の記憶や精神を引き継ぐ者もいるという。リアスもそれに該当する可能性がある、という事かね?」
「確証は得られませんが、その可能性はあります」
医師の言葉に重々しい空気が更に増したように思える。
「……その事で、一体どのような懸念が考えられるだろうか」
「リアス様の自我は非常に不安定と見受けられます。仮に、仮に前世の記憶がリアス様の中で存在し、それが影響して精神の早熟を果たしているというのならば、下手に自覚させれば今の育ちつつある人格が塗りつぶされるといった可能性があります。そうでなくても、このまま進む事で前世の人格が復元され、確立する可能性だってあります」
「……自分をグレモリーの娘とは思えない、別の誰かとなるという事か」
「……可能性はない、とは言えませぬ」
その返答にヴェネラナは顔を覆い、嘆きを零してしまう。ジオティクスとグレイフィアがすぐさま両側から支えるも、ヴェネラナの嘆きは止まらない。
我が子が、ようやく目覚めた我が子が得体の知れない何かになるかもしれない。自分を母だと認識しなくなるかもしれない。それが如何ほどの衝撃か。姿勢を崩さずにいたサーゼクスも拳に力を込めるのを止められなかった。
「……どうすれば良いのだ、私達は」
「もう少し、もう少し様子見を。……私達でも、どのように刺激して良いのかわからないのです。少なくとも現時点でリアス様はあなた方を家族として認識しています。知識・精神の早熟さはあってもまだ発展途上。例えばそれが前世の知識から零れだしたものなのだとしても、それを否定する事なく、伸ばすように成長を促すべきかと。下手に刺激をすればショックで今の人格が崩壊する可能性すらあります」
「つまり……どのような異常があっても、それを異常と突きつけるのではなく、受け入れた上で矯正すべきだと?」
「はい。言うなれば、彼女は羽化したばかり。世界に飛び出していくには自我の確立を促すべきです。もし、確立される自我が前世の記憶によって塗り替えられるなら、最悪、塗り替えられた後で記憶を抹消するのも1つ、手ではあります」
「……そうか」
記憶を消す。そして、また新たに育て直す。そうなるとあのリアスはどうなるのか。
それは、今の彼女を殺す事と何も変わらないのではないかとサーゼクスは目を伏せる。
(あの子は、私の妹だ。私を兄と呼んでくれたのだ。……リーア、お前は、私の妹でいてくれ。どうか、どうか……)
何度目だろうか。この祈りは。だが、祈る以外にサーゼクスが心の均衡を保つのは難しかった。
最初に、初めて兄と呼んで貰えた感動を、奇跡を。頼むから私から奪わないで欲しいと。強く、強く心の中で願った。
しかし、彼等の苦悩を嘲笑うかのように衝撃の事実は発覚し続ける。
―――リアス・グレモリーから魔力が感知されない。彼女の体に、魔力は宿っていないと測定された。