静かであった。物音は最低限で、時折風の音が聞こえてくる程に静かな夜。
ベッドの横に備え付けられた椅子に座りながら、クレーリアはベッドに寝かされているリアスを見つめていた。
クレーリアの顔には表情はなく、その瞳はただリアスを見つめ、何を考えているのかを悟らせない。ただ、クレーリアがリアスを見つめる時間だけが過ぎていく。
「……まだリアスは目を覚まさない?」
ふと、そこに第三者の声が生まれた。扉を開きながら入ってきたのはクレーリアの『女王』。クレーリアはリアスから表情を移して肩を竦める。
「まだ目覚めないわ」
「そう。……それにしても吃驚したわね、クレーリア」
「えぇ、そうね。美麗」
美麗、と呼ばれた女性はクレーリアへと手に持っていたお茶を渡す。手渡されたお茶を口に含みつつ、クレーリアは一息を吐いた。
美麗はクレーリアの様子を見て溜息を1つ。そしてベッドで眠るリアスへと視線を向ける。その瞳は細められていて、しかしどこか困ったように眉が寄る。
「本当、吃驚したわ。前から変な子だとは思ってたんだけどねぇ」
高見沢 美麗はクレーリア・ベリアルの『女王』であり、クレーリアの最初の眷属でもある。元々、彼女は人間であり、偶然にも人間界へとやってきたクレーリアと出逢った。その最中の切っ掛けで悪魔へと転生を果たした身である。
そんな経緯故、元は人間として過ごしていた生活が一変した訳なのだが。そんな色濃い経験の中でも今回の件は一番を面を喰らった、と美麗は口にする。
自分の片腕と言っても過言ではない美麗の言葉にクレーリアは肩を竦める。それは自分も同感だ、と言うようにだ。
「あぁ……やっぱり早まったのかしら」
「今更、後悔してるの?」
「……ここまで事になれば、思わない訳にもいかないでしょ」
手で顔を覆いながらクレーリアはぼやく。彼女がこの地で調停役を任されたのは魔王ルシファー、サーゼクスが交渉を持ちかけてきたからだった。
秘密裏に自分の部下となって動いて欲しい。そうすれば君の知りたかった真実を教えよう、と。それは以前からクレーリアが追っていたある1つの謎についてだった。
“王の駒”。転生悪魔を生み出す“
それは兄のように思っている従兄弟、ディハウザー・ベリアルのゴシップ記事について調べていた時だった。そこで様々な情報を洗い出した彼女は隠蔽された真実の欠片に気付いてしまったのだ。
自他共にクレーリア・ベリアルという女性は好奇心が強いと認めている。自分の興味を持った事は在る程度調べて、そこで更に気になれば深く調べてしまう。長所でもあり、欠点でもあるクレーリアの個性だ。
ちなみに、そんなクレーリアは人間界ではフリーのジャーナリストとして表向き活動をしている。その裏で悪魔家業を行っていた訳だが、そこは割愛する。
「これで魔王ルシファー様との繋がりも出来るなら、とも思ったけど……」
「思ったよりも大変な事になりそうね」
「まさか教会側と停戦して、その調停・調整役なんてやらされるなんて思わなかったよ……ただでさえ胃が痛いって言うのに、その上に今日のリアスだし」
未だに眠っているリアスの顔へと視線を向けて、クレーリアは複雑そうな顔を浮かべる。思わず怨みがましく頬を指で突いてしまう。それでもリアスは目覚める気配はない。
「……クレーリアは今日のリアスのアレ、聞いてどう思った?」
「そう言う美麗こそ、どう思ったか聞かせてよ」
「……そうね」
問いかけに、逆に問いかけられた事で美麗は目を伏せる。言葉を選んでいるのか、やや間を開けてから呟いた美麗の返答は……。
「……魔王の妹だからなのかしらね。なんか、普通の悪魔と多分、物事を見る視線とかが全然違う。それにしたって子供らしくない」
「……そうよね」
「それでも言ってる事の内容は、結構理想論。凄いちぐはぐな子。見た目と中身も、言動が凄くちぐはぐ。大人びているかと思えば、凄い子供じみた事を言うし。大人の知識とか、認識を持った子供? 背伸びとはちょっと違うんだけど……ダメね。自分で言ってて纏められなくなってきたわ」
「一言で言うなら変な子。でも、その変を説明したり、理解しようとしたりするのは一苦労する子よね」
クレーリアは苦笑しながら言う。そっとリアスの前髪を払うように撫でる。
最初会った時は、死にそうな顔で怯えているようで。そんなに怖がらせたのかと落ち込む程だった。その次に会った時には礼儀正しい、子供らしくない賢しい子と印象がついた。
挫けないで進み続ける子。境遇にも、立場にも、何にも負けないようにと歯を食いしばって小さな体で抱え込もうとしている。その抱えている理想の重さに、いつか潰れてしまいそうだとクレーリアは思う。
「……悪魔の未来、か」
「クレーリア?」
「いえ、何でもないわ」
クレーリアは上級悪魔の血筋だ。若輩の身ながら悪魔の現状も把握している。そのように教育を受けてきたから。けど、自分が何か出来ると思っていなかった。それは政治に携わる、もっと立場のある悪魔が担うものだと思っていたから。
言ってしまえば他人事だった。自分に何が出来る、と思う気持ちもあった。けど、リアスの言葉を聞いて嫌でも意識せずにはいられなかった。
「……悪魔がどう在るべき、か」
クレーリアはかつての戦争を知りはしない。その後に生まれた悪魔だからだ。戦争があったのよ、とは教えられてきた。
その戦争を経て、“
それがリアスの語った事。悪魔の抱える問題、悪魔が生み出し続ける悲劇の連鎖。それを止めたいとリアスは言っていた。その事実を受け止めて悪魔としてどう在るべきなのか、と彼女は主張していた。
世界がとても静かだ。まるで世界が大きく変わる前の、嵐が来る前の静けさのようだとクレーリアは思った。
自分はリアスのように理想なんて持ってない、と。自分はどうしたら良いんだろうか、どうしたいんだろうか、と。どうしてもクレーリアは考える事を止められそうにはなかった。
* * *
教会の一室。そこには教会の神父を務めながら、この地で活動する教会の戦士達、エクソシストのまとめ役を勤める壮年の男がいた。
男の名を拝戸 直唯と言う。彼はリアスと相対していた壮年の神父その人である。直唯は椅子に背を預けながら考え事をしているのか、身動きもせずに黙り込んでい。
そんな直唯のいる部屋の扉がノックされる。中に入ってきたのは30代頃の年齢の男性であった。直唯は入室してきた彼を見ると、その巌のような表情を少し緩めた。
「トウジか」
「お疲れですか、直唯さん」
「中々に緊張する一瞬だったからな。下手をすれば悪魔と天使の戦争の切っ掛けとなってもおかしくはない。いや、年は取りたくないものだな」
「まだお若いでしょうに」
くく、と楽しげに喉を鳴らす直唯にトウジは複雑そうな表情を浮かべる。
拝戸 直唯と紫藤 トウジの関係は簡単に言えば先輩と後輩だ。教会の戦士として、人生の先輩としてその背を見てきた。そんな直唯の年を感じさせる言葉に感じ入るものがない訳ではない。
「まぁ、かけろ」
「では、失礼して」
部屋に備え付けられていた来賓用の椅子を指し示し、トウジに座るように直唯は促す。促されるままにトウジは席について、背もたれに背を預ける。
「お前には面倒な役をやらせたな、トウジ」
「それ程に衝撃的でしたよ、あの悪魔の子は」
「若いのは、やっぱり動揺が抑えきれなかったか」
リアスとの邂逅が済んで退室した後、まだ年若い教会の戦士達の反応はそれぞれだった。憤る者、リアスの言葉に何かを感じる者、そして惑う者。
トウジはそんな浮き足立つ彼等を引き締めに回っていたのだ。それがあらかた片付いた所でここに顔を出したという訳である。
「あのような悪魔がいるとは、というのが正直な所でしたね」
「リアス・グレモリー、か」
ふぅ、と息を吐き出して直唯は苦笑を浮かべる。兄妹揃って目立つ紅の髪を揺らす様は嫌でも脳裏に焼き付く、と。
「若い奴には、刺激が強すぎるな。アレは」
「そう、ですね」
「あれは外見は子供だが、中身はとんでもない。悪魔としては格下かもしれないが、あれは触れる者を惑わす。神の信仰を試す悪魔、と言うならあれほど厄介な手合いは居ない」
「信仰の意義を問う悪魔、ですか」
信仰の意義。神の信徒として信仰は欠かせないものだ。その信仰を根幹から揺さぶりかけてくるリアス・グレモリーは若き信徒達には刺激が強すぎる、と。それは直唯とトウジも同じ意見だ。
「とんでもない、あれを殺すのは骨だな」
「殺すのは容易だとしても、その後に残す影響ですか」
「感情で、誠意で、言葉で。悪魔らしかぬよ、それでいて悪魔であると確信出来る。しかし、アレが悪魔であるなら信仰が揺らぎかねない。特に世の中の清濁を飲み合わせられない若い者にはな」
リアスの言っていた事はただの理想論だ。だが、理想論だからといって無視出来るかと言えば出来ないのも現実だ。
信仰とは意識によるもの。神への祈りを捧げ、その教えに従い、支えとして生きていく。その生き方にとって本人が抱く理想というのは欠かせないものだ。
「しかし、悲しいかな。同じ神を信仰してても宗教が別れるように。時代に合わせて、人に合わせて、信仰というのは在り方を簡単に変えてしまう。その点、リアス・グレモリーが吠えた理想は都合の良いものだ」
「どちらの都合にとって、ですか?」
「勿論、我々に決まってる。アレは悪魔の繁栄と言いつつも、悪魔の繁栄には神という敵対者が欠かせないと言うのだ。しかし、その殺し合いに意味を持たせ、理想へと昇華する事で信仰の意義を確立する。一種の仕組みの形成だよ。だが、その仕組みは神と悪魔、両立する要素が無ければ成り立たない」
悪魔が悪を無し、神の使徒がこれを裁く。わかりやすい勧善懲悪の構図だ。悪者を退治する事で、己の正当性を主張する。
だが、勧善懲悪には善と悪が明確に別れ、存在していなければならない。一貫性のものなら何も問題はないだろう。だが、これを仕組みとして続けるのならば、悪魔を滅ぼす訳にもいかなくなる。
「仮に、悪魔がいなくなったらとリアス・グレモリーは語った。そしたら“新しい悪魔”を生み出すつもりか、と。実に耳の痛い話だな」
「……悪魔がいなくなったら、ですか」
「先の神との戦争で悪魔の数は激減したらしい。奴等も必死なのかもしれない」
「それは、我々にとって良い事では?」
「そうだ。けど、それじゃあ良くないのが人間の業とも言えるな。仮に悪魔を含めた外敵がいなくなった後、今度は人間同士で争いを始めたらそれこそ目も当てられん。人が積み上げてきた歴史のようにな」
直唯の言葉にトウジは眉を歪めるも、何も言わなかった。直唯もそんなトウジの様子を見て、何も言う事はなかった。
直唯は深く椅子の背もたれに背を預けるように体から力を抜く。ぼんやりと天井を見上げながら、ぽつりと呟きを零す。
「……長く悪魔祓いなんてやってると、見えてしまうんだよ。信仰の限界を」
「信仰の限界、ですか。認めたくないものですがね」
「信じる者は救われる。救われなかった者は祈りが足りなかった、努力が足りなかった、なんて言えば聞こえは良いんだがな。それは物事の一面でしかない。どうしたって世界には悪人がいるもんだ。悪人がいないと成り立たない社会の皮肉だよ」
神は全てを救うか? と言われれば残念ながら否だ。熱心に祈りを捧げたから必ず幸せになるかと言われればそうではない。世界はそんな簡単にも、優しくも出来ていない。
だから自分たちのような悪魔祓いが求められてしまう。悪魔に荷担してしまう者、悪魔に縋らなければいけない者。中には救いようのない者もいるが、全てが救いようがない者ばかりでもない。悪魔に縋らなければいけない者が出てくるのは後を絶たない、それが現実で。
「質を向上させる事で、無闇な争いを無くしたい。歩み寄れるなら、互いに敵対しながらも相手を認めて、か。本当、魔王の妹だからなのか……得体の知れない子供だよ、リアス・グレモリーは」
「……このまま静観でよろしいんですね?」
「それを魔王も望んでる。……もしかしたら、それこそが狙いなのかもな。リアス・グレモリーの悪魔のような悪魔もいる、と我々に見せ付けたいのかもしれない」
直唯の呟きにトウジは眉を顰め、そのまま腕を組んで唸りだしてしまう。
リアス・グレモリーという存在を神の使徒である自分たちに見せる事で望む変化。それはリアスが語った理想のような形であるならば……滅ぼされ、滅ぼし合うだけの関係を変化させ、新たな価値観を見出したい、と。
そんな悪魔もいる、育ちつつあるのだと。それを伝える一種のメッセージだというのならば尚更に悩まざるを得ない。
「暫く様子見に留めろ。絶対に手を出さないように厳命し、この事は公に出すなよ」
「わかっていますよ。わかっていれば私達も背教者と異端審問にかけられかねないですからね」
「それからトウジ、お前の所でも良識があって実力がある奴を一人上げろ。監視はトウジ、お前ともう一人で、それぞれクレーリア・ベリアルとリアス・グレモリーを監視しろ」
「それなら一人、信頼出来る者がおります」
夜が更けていく中、駒王の地で思惑は深まっていく。悪魔の中でも、教会の戦士達の間にも。
* * *
「……リアスは上手くやっただろうか」
「またそれか。お前、これで何回目かわかるか? サーゼクス」
冥界にて。サーゼクスの零した呟きを耳にしたアジュカが溜息を吐き出す。
サーゼクスとアジュカの前には並ならぬ量の書類の山が積まれていて、それを前にしてサーゼクスとアジュカは今後の方針を話し合っていた所なのだ。
その相談の合間、一息吐く度にサーゼクスが思うのは妹であるリアスへの不安だった。しかし事あるごとにリアスの心配をするサーゼクスに流石のアジュカも辟易してくる程だった。
「そこまで不安になるんだったら、いつまでも鳥かごに閉じこめておけば良かったものを」
「それは一体、誰の幸せだというのだ」
「だったら信じてやれよ。信じるって決めたから大胆に動いたんだろ? 最悪、魔王の座を失ったんだとしても、もうお前は止まらんのだろう?」
リアスがしくじれば、サーゼクスもただでは済まないと覚悟はしている。最悪、リアスを失いかねない事にもなるし、サーゼクスも今の地位を失うかもしれない。そのリスクはいつだって付きまとう、と。
だが、サーゼクスは最早覚悟を決めていた。捨てたい、とは思わないが、必要であるならば魔王の座も、名前も捨てても構わないと。そうするだけの価値がリアスにあると。
「もしリアスがしくじって、私が魔王を辞める事になったらリアスでも担いで新たな組織でも作るか。それこそ種族を問わない、ありとあらゆる者を受け入れ、平和を願う組織でもな」
「テロリストにでもなるつもりか? 元魔王様が? おっかないな」
「君もそうなったら来るだろ? アジュカ」
「はっはっはっ」
明確な返答はないが、アジュカは楽しそうに笑うだけだ。そんな反応にサーゼクスは笑みを浮かべる。遠い地で悩み、苦しみながらも立ち向かっているだろうリアスを思う。
今の地位も惜しくないとは言わない。この地位だからこそ出来る事はある。そして成し遂げたいと思っている。だが、それでもリアスを救えないと言うのであればサーゼクスは必要であれば魔王の地位を捨てる覚悟は出来ている。
「お前は夢だ、リーア。お前に私も夢を見たのだ。だからな、リーア。頑張れ、私はお前を信じているし、助けてやるから。だから夢を見よう、お前の理想を一緒に成し遂げる為に私も頑張るから」
世界を良くする手段なんて1つじゃない。ならば、せめて穏やかな方法で、誰もが傷つかずに。
世界の変化には痛みが伴うものだが、せめてその傷が深い傷にならない事を願いながら、サーゼクスは世界を変える準備を淡々とこなしていく。全ては夢見た理想の先に向かう為に。
* * *
夢を、見ていた。
大きな、大きな赤い影。私の影で、夢。グレートレッド。
『派手にやったな』
「だって、やるって決めたもの」
『なのに、不安で心が死にそうだな。怖いか?』
「怖いよ。いつだって、ずっと、ずっと。私は臆病なんだよ」
グレートレッドから投げかけられる言葉に私は頬を膨らませる。
上下左右もわからない空間の中で膝を抱える。自分の体を抱いていないと震えだしてしまいそうで、怖くて仕方がない。
意識が途切れる前の、自分の言ってしまった言葉の数々を思い出す。本当にあれでよかったんだろうか、と思い悩んでしまう。悩んでも答えが出ない事だとは知っているけど、不安を拭う事は出来ない。
『我が夢。恐れるな、とは言わん。だが、臆するな』
「……うん」
『忘れるな、我が夢。お前は悪魔にして龍、無形の影にして、何にもなれる可能性の夢現。我の夢。夢幻に連なりし力の子』
「うん」
『らしく振る舞え。お前が真に望むなら、力はお前を裏切らない』
「なんでも力尽く、ってしたい訳じゃないんだけどね」
『言葉も力だ。お前の言葉は意志によるもの。お前の意志こそが力なのだから』
「うん、わかってる」
ねぇ、と問う。
なんだ、と返す声が聞こえる。
すぅ、と息を吸って。溜まっていた空気を全部吐き出すように。
「世界を、変えようか。私が思うままに。付き合ってくれる?」
『見せてくれ。魅せてくれよ。なれば共に在り続けよう』
世界が少しずつ、変革していく。
これは躍動を始めた夢。世界が変化を迎える為に、思惑は巡り出す。