深紅のスイートピー   作:駄文書きの道化

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第4章 昇天の夢
ACT.01


 ――夢を、見ていた。

 もしも。このまま平和に時を過ごせたら幸せなんじゃないかと、祈る程に。

 けれど時は変化を生み続ける。望む、望まざるともその時はやってくる。

 これは臥竜の夢。いつか天へと駆け上がるその時を待ちながら、まどろみの夢を見る。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「あ、桜……」

 

 私はふと目に映った桜を見て感慨深い思いに包まれていた。

 この桜はあれから……そう、教会の関係者と停戦協定を結んでから2年が経過した証だからだ。こんな桜が舞う中で私はあの子と出会ったんだなぁ、と感慨深く思っていると、私を呼ぶ声がする。

 

「リーア!」

「あら、イッセー。どうしたの?」

 

 声をかけてきたのはイッセーこと、兵藤 一誠だ。明るい茶髪を揺らして全力で走ってくる。類を漏れず子供らしい彼に思わず笑みが浮かんでしまう。

 

「あっちにアリがいて、おいかけてみたら、アリの巣があったんだ!」

「へぇ、そうなの。でも、アリさんを虐めちゃダメよ?」

「いじめないよ!」

 

 年中から私も年長になった訳だけども、私の幼稚園での生活はこれといって変わらない。喧嘩しそうな子供がいれば仲裁して、虐めがないように立ち回って、1人になっている子供を遊びに誘ったり、癇癪を起こした子を宥めたりと。

 もう3年も経てば慣れてしまうものだ。同年代の子でも私を頼りにしてくれている面が見られるのは、少し嬉しくもある。まぁ、時には生意気だと言われてしまう事もあるけど。そういう時は周りの子が庇ってくれるので、それはそれで困り者なのだけど。

 そうした時は先生に事情を説明して、しっかり相手に謝ってもらう。じゃないと悪い事をしたら謝る、って教えが身につかないからね。勿論、私が原因だったら私だって謝らないといけない。

 ただ、どうして生意気に感じたのか、そういった事は聞き取るようにしてる。子供って感情的だから、理屈とかそんなにないんだけどね。だからこそ、ちゃんと受け止めてやらないとって思う。

 最初は過干渉かと悩みもしたけど、同年代の子として一緒に育ったのだ。出来れば清く正しく育って欲しいと思う。悪魔が願うような事じゃないかもしれないんだけど、こればっかりは私の我が侭だから。

 

「リーアはなにをみてたんだ?」

「桜よ。ほら、もう花びらが散ってる」

「桜か! リーアと会ってもう2年だな!」

「あら、覚えてくれたの?」

「うん!」

 

 にっこりと笑って、真っ直ぐに言ってくれる一誠に私も笑みが零れる。一誠は捻くれてもいないし、真っ直ぐで元気で、そして優しい男の子だ。本当に親の教育がしっかりしていると思う。

 ちなみに私は一誠の家には何度か遊びに行っているし、お泊まりもした事がある。なので一誠のご両親とも面識がある。とても良い方達で、本当に一誠は幸せな家庭に生まれたのだと感慨深く思った程だった。

 しかし、実の所、私は一誠の家にお邪魔する程に関係を深めるつもりはなかった。当時の私は“原作”を知る故に、一誠との距離の置き方を悩んでいたんだけども……。

 

「あー! イッセーくんにリーアちゃん! なにしてんの?」

「うっ……!」

 

 思わず、私は反射的に呻いてしまった。そう、そもそも一誠とも仲良くなる切っ掛けとなってしまったのがこの子だった。私は、愛想笑いを浮かべて声をかけてきた子供へと目を向ける。

 オレンジ色にも見える栗毛の髪を揺らせた、一見男の子のようにも見える“彼女”――紫藤イリナが満面の笑みを浮かべてこちらに駆け寄ってきたのが見えた。

 紫藤イリナ。彼女は私が停戦を結んだ教会関係者の1人、紫藤トウジの娘さんだ。そして私が特に苦手としている子の1人であり、そんな思いを抱きつつ一番深い付き合いをしている子でもある。

 

「さくらをみてたんだよ!」

「さくら? わぁ、きれいだねぇ! そうだ! こんどおはなみしましょ!」

「おはなみ! いいな!」

「ね! リーアちゃんもいっしょにね! 私のパパもママも、イッセーくんのパパとママも皆で!」

「え、えー……どうしようかなぁ……」

「……だめ?」

 

 イリナが私の腕を掴んで、上目遣いで見つめてきた。その瞳には僅かに涙まで滲ませてくるなんて、うぅ、罪悪感に心が痛む……! ここで断っても後が怖いし……。

 

「……だ、大丈夫よ」

「本当!? うそだったらダメだよ! 神様がみてるんだからね!」

「えぇ、嘘は吐かないわ」

 

 やったー! と私に抱きついてくるイリナの頭を撫でながら苦笑する。突き放せば良いかとも思ったけど、ここまで絆されてしまった以上、付き合うしかないだろう、と。

 そもそもイリナとの関係が始まったのも、イリナが私が悪魔である事を知ったからだ。最初は私に近づいてはいけない、何かあったら相談するんだよ、と親であるトウジさんに言われていたらしい。

 しかし好奇心が強かったイリナだった。悪魔なのにどうして退治されないの? など、質問を重ねたらしい。その結果、私への好奇心を抑えきれなくて、私との接触を図ってきたのだ。

 それもかなりドストレートな方法でだ。どうして悪魔なのに悪いことしないの? と問われた時は鳩が豆鉄砲を喰らったような顔を見せてしまった。そのまま動揺をしている所を捲し立てられて、それがイリナとの関係の切っ掛けだった。

 悪魔でも神様にお許しになって貰おう。良い子に振る舞っているんだから神様にだって認めて貰おう! と、本人は善意しかないまま私に祈りの仕方を教えたり、子供向け聖書を一緒に見たり、十字架を渡されたりと散々な目にあった記憶が脳裏に蘇る。

 

『はい! リーアちゃんにプレゼント!』

『あ、ありがとう……』

 

 悪魔の身が受ける苦痛というのは本気で辛いものだった。正直、涙目にならなかった事がない。聖書の朗読なんて聞かされ、自分も朗読するように言われた時には死を覚悟したものだ。グレートレッド曰く、これでもグレートレッドの影響で並以下の苦痛らしいんだけど、それを聞いた私は怯え、震えたものだ。神様怖い、十字架怖い、聖書怖い、イリナ怖い、と当時は震えが抑えられなかった。

 ただ、それでも私はイリナを裏切れなかった。私とイリナの関係にはトウジさんも頭を悩ませていたみたいなんだけど、いっそ開き直る事にした。そもそも名目上は私は人間界に学びに来たのだ。なら、いっそ毒を喰らうならば皿までと。

 なのでトウジさんを説き伏せて、娘さんの好きにさせてあげて欲しい、と。これにはトウジさんも渋っていた。ただ、私がイリナを裏切りたくないという思いを伝えた所、その場では認めてくれなかったが、後日渋々折れてくれた。まぁ、聖書を涙目になりながら朗読しようとしている悪魔なんてものを見たら、譲歩してくれたのかな、とは思う。

 本当に、悩んだ。腕を絡めてくるイリナを見て思う。神は既に不在であり、神への祈りの奇跡は辛うじて維持されているに過ぎない。その奇跡の幅は狭まり、イリナの私への行いは背信に値するんじゃないか、と。

 もし、そうだとしたら。イリナは神への祈りを、神の奇跡を失ってしまうんじゃないか、と。どうしようか悩んで、悩んで、そんな時に一誠とも関係が始まる出来事が起きたんだったっけ。

 あれは、私がイリナをなんとか避けようとして、涙目になっていた時だったろうか。確かミサに参加しないか、と強請られて、なんとか断ろうと説得していた。だけどイリナも折れなくて、私が心底困っていた時だった。

 そんな私達の間に入った一誠が、イリナを突き飛ばしたのだ。私もイリナも吃驚した。

 

『なにすんの!!』

『リアスが嫌がってるだろ! やめろよ!』

 

 一誠は、どうやら私が虐められていると勘違いして間に入ってきたようなのだ。常日頃、私がそうしてきたように、泣いてる子を護らないとって。

 それから一誠とイリナの大喧嘩が始まって、私が喧嘩の原因となったので止めるのも一苦労。無理矢理間に割って入って、2人を座らせて説教なんてしてしまったものだ。あの時は私も感情的になってて、思った事は色々と言った気もする。必死になりすぎてあんまり覚えてないんだけどね。

 それから私と一誠、イリナの仲良し三人組が出来た。一緒に遊んで、一緒に喧嘩の仲裁をしたりとか。まるで正義の味方だな、なんて言う一誠に同調するイリナとか。やっぱり面倒見役とブレーキ役は私だった。

 そうして家族も含めた付き合いが始まって、2年が過ぎた。本当に激動の2年だったと思う。何が一番大変だったかと言われればイリナからの爆走・猛進コミュニケーションだったけど、教会関係者との折り合いをつけるのも大変だった。

 神を知ろうとしたり、神に祈りを捧げようとする悪魔なんて奇異以外の何者でもない。関係者からは目立って悪さはしていないが、何を企んでいるかわからない、と疑いをかけられているようで。

 私に隠してる腹なんてないけど、そう思われるのも仕方ないと思ってる。何を言っても信じて貰えないのは当たり前だと思ってるし。ただ、それが奇異に映って、私への恐怖が加速しているから無闇に事を起こそうとしないでくれ、とトウジさんに叱られたりもした。正直納得がいかないけど、仕方ないと割り切るしかない。

 なので私は腫れ物扱い。目に入っても無いものとして扱われる。敵意や害意を向けられるだけなら良い、と私は思ってる。それが実害に変わらなければ私の目的は最低限、果たされている訳で。

 そうして慌ただしい日々を過ごしている内に2年。実に、実に早い時間だった。いつの間にか私が卒園する日も近づいているのだから、本当にあっという間。

 

「そういえば、今日はお泊まりの日よね?」

「えぇ、そうよ」

 

 この関係がそこそこ仲良くなってから、私は定期的に紫藤家にお泊まりをしている。それはイリナに強請られたから、というのもあるが、その理由は別にある。その理由も複数あるんだけど……。

 

「えへへ! 今日は聖書をみんなでよみましょう!」

「えーっ! やだよ、ふつうにあそぼうぜー……」

「もう! イッセーくんは神様へのお祈りがたりないわ!」

「オレ、仏教だもん!」

「こらこら、喧嘩しないの」

 

 掴み合いを始めそうな一誠とイリナの手を取って、諫める為に何をして遊ぼうかと私は考えつつ、笑みを浮かべた。あぁ、本当に。こんな日々がいつまでも続けば良いのに、と思う程に。私は、この瞬間を楽しんでいると実感しながら。

 

 

 * * *

 

 

 兵藤一誠にとって、リアス・グレモリーは特別な人だ。

 最初に出会った時から、その紅の髪に目を奪われてしまった。ストロベリーブロンドよりも紅の髪、桜が舞う出逢いの季節に出会った彼女は鮮烈で、優しくて、凛々しくて。とにかく格好良いや、綺麗や、可愛いや、当て嵌まる事がある素敵な人だった。

 幼稚園という新しい世界で手を引いてくれた美しい人。今ではない将来、もしも初恋というのがあるならきっとリアスだったのかもと振り返る程に一誠はリアス・グレモリーに見惚れていた。その容姿に、その振る舞いに。

 リアスは非常に人気者である。皆と仲良くて、1人で寂しい時、玩具を巡って喧嘩した時、常に彼女はそこにいる。喧嘩を止めて、話を聞いてくれて、優しく話しかけてくれる。

 一誠はテレビで見る正義のヒーローをリアスに重ねていた。優しくて、強くて、皆に好かれて。理想がそこにあった。だからこそ、一誠はいつも目でリアスを追っていた。

 そんな彼女が泣きそうになっている所を見た時、言いようのない怒りを感じてた。その時は男だと思っていた、今ではリアスに女の子だと教えられた親友、紫藤イリナと派手な喧嘩をしたものだと思い返す。

 

『――止めなさいッ!!』

 

 けど、そんな喧嘩を止めたのもリアスだった。先程も言った通り、兵藤一誠にとって理想の体現であった彼女が烈火の如く怒る姿に驚き、身を竦ませた事もよく覚えている。

 それからなし崩しに説教される事になったけども、その内容も一誠にとって大切な思い出の1つとなっている。リアスは怒りながらも、喧嘩したら怪我をする、ちゃんと私の話を聞いて、傷つけ合うなんてしないで、と必死になって訴えていた。

 泣いていたのはリアスなのに、喧嘩をしようとして、怪我をしそうになった自分たちを心配してくれていて。

 その時、何か自分は言いたかった。けど、何を言いたかったのかは今でもわからない。今でも伝えたくて考えてみるけど、上手く言葉にならなくてモヤモヤしている。

 喧嘩をしたお陰が、気兼ねせずに付き合えるようになったイリナと一緒にリアスとたくさん遊んだ。その1つ1つが一誠にとって宝物で、必死に両親に向けて伝えようとして微笑ましく見られている事を一誠は自覚していない。

 大人びていて、格好良くて、綺麗で、理想で。涙なんて見せて欲しくない凛々しいお姉さん。一誠の中で、確かにリアス・グレモリーという存在は色づいていた。

 

「もう少しで、リアスが学校に行っちゃうなぁ」

「そうだねぇ」

 

 リアスは年長で、もう少しで小学校に上がってしまう。その事実を思い出した一誠は隣にいたイリナに呟きを零す。

 一誠の呟きを聞き届けたイリナも返答するように呟く。もう少しでリアスと過ごせる日々は少なくなってしまうのだと思うと、2人は寂しくて仕様が無かった。

 イリナはリアスについて思いを馳せる。イリナにとってリアス・グレモリーとは興味の塊で、不思議な“悪魔”だった。

 自分の父がエクソシストで、悪い悪魔を退治する人だと言うのは聞かされていた。そんな父がリアスは悪魔だから近寄ってはいけないよと注意をした時から、リアスへの興味は尽きる事はなかった。

 悪魔なのに退治されない。父も、今は悪い事をしてないから、と言うのみで。幼いながら父に憧れを抱いていたイリナは、なら自分が悪い事をしないように監視しなきゃ、と使命感に駆られたのだ。それが神様の教えに従う事だと信じて。

 しかし。悪い悪魔であるリアスは、実は悪い悪魔ではないんじゃないかと思い始めたのは、幼稚園でのリアスの振る舞いを見てからだった。イリナも一誠と同じようにリアスの姿に理想を見出してしまったのだ。

 一誠と違ったのは、イリナにとってはそれがとても不思議に思えた事だ。悪魔なのに良い子で、絵本や物語で語られる悪い悪魔ではない。なのに悪魔だと言う、不思議な子。

 思い切って話しかけてみたらやっぱり良い子で、こんなに良い子なのに悪魔なんて可哀想、とイリナはリアスを憐れんでしまった。悪魔に生まれて可哀想、神様に悪い子だと言われてしまうリアスが可哀想で、可哀想で。

 だから、自分が救ってあげないと、と幼いながらイリナは奮い立ったのだ。神の信徒として、悪魔だけどリアスは悪い事をしてないから許してあげてください、と祈るようになったのだ。

 そしてリアスにも、神様にお祈りをしてもらおう、と考えて、色んな事をさせた。彼女は大変そうだったけど、聖書とか読んでくれるようになった。それがイリナにとって誇らしい事だった。

 これで、いつかリアスも許して貰える。悪い悪魔じゃないってわかったら、人間にしてもらえるかもしれない。そしたらずっと一緒で、友達でいられるんだ、と。それはなんて素敵な事なんだろう、と。

 イリナは今でもそう信じている。自分の祈りを神様は叶えてくれると信じている。いつかリアスが悪魔じゃなくなって、人間になれたら素敵だ、と父にも語る程に。その話をすると父は良い顔をしない事を知っていても、イリナは友達の為に神様に伝えたいと思っている。

 リアスは本当は良い子なんです。だから、これからも一緒に、喧嘩をしないで、皆が仲良く暮らせますように、と。イリナは心の底から祈っている。イリナにとってリアスとは1つ年上のお姉さんで、大事なお友達だった。例えリアスが悪魔なんだとしても。

 

「でも、お泊まり会はなくならないよ。イッセー君も来るでしょ?」

「あぁ、かならずいくぞ!」

「じゃあ、さびしくないよ! リーアがいなくなるから、私達ががんばらないと!」

「おう! そうだな!」

 

 リアスがいなくなっても、彼女がやっていた事を引き継いでいこうと。泣いている子がいたら慰めて、喧嘩している子がいたら諫めて、なんで喧嘩してるのか聞いて、止めさせて、皆で仲良く。

 そうしたらリアスもきっと褒めてくれる、と。リアスが笑ってくれる、と。そう思ったら一誠もイリナも心が張り切る。

 

「イッセー? イリナ? お迎えが来たわよ」

 

 すると、遠くでリアスの声が聞こえた。一誠とイリナは顔を見合わせて笑った。

 今日はリアス、一誠、イリナでお泊まり会の予定なのだ。月に決まってそれぞれ兵藤家と紫藤家を交互にして行われるお泊まり会は2人にとって何よりの楽しみだった。

 

「いま行く!」

「いきまーす!」

 

 にっ、と互いに笑みを浮かべ合ってから一誠とイリナは並んでリアスの下へと駆け出すのであった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 ぱちり、と目を開ける。ゆっくりと目を開けて左右に視線を向ける。

 私の両隣には一誠とイリナがすぅすぅ、と寝息を立てている。私を間に挟んで眠っている2人が深く眠っている事を確認して、その寝顔に笑みを浮かべてしまう。あぁ、本当に可愛いなぁ。

 さて、寝顔ばかり見てたら遅れちゃう、と。私は物音を立てず、2人を起こさないように気をつけながらベッドから出て部屋を後にする。

 今日は紫藤家でのお泊まり。これは月に決められた習慣で、何よりも必要な“密会”の為のものでもある。

 リビングは電気が付いたままで、私は扉を開けて中へと入る。そこには紫藤トウジさんと、もう1人青年がいる。私は手慣れたように一礼をして挨拶をする。

 

「こんばんは、八重垣さん」

「……あぁ」

 

 私の挨拶に素っ気なく返す青年。もう2年の付き合いにもなる教会関係者の八重垣 正臣さん。長い黒髪を伸ばした人で、どこか理知的にも見える。

 トウジさんと一緒で私を監視する人の1人だ。というより、私よりも“彼女”との付き合いの方が濃いんだろうけどね……。

 

「さて、そろそろかな」

「はい。もうすぐ“転移”してきます」

 

 トウジさんが居住まいを正しながら私に確認を取る。私も応じるように頷くと、リビングの中に灰色の魔法陣が展開される。それは悪魔が召喚される為の転移魔法陣。そこから姿を見せたのはクレーリアさんと、クレーリアさんの『女王(クイーン)』の美麗さんが立っていた。

 

「お邪魔させて貰うわよ」

「来たか、ベリアル」

「ふん。来てやったわよ、八重垣」

 

 けっ、とでも言いたげな程に機嫌が悪そうにクレーリアさんが八重垣さんへと悪態を吐く。それを受ける八重垣さんもぴくり、と眉を上げるけども何も言わない。見慣れた光景に私は思わず苦笑を浮かべてしまう。

 そう、イリナとの付き合いが出来てしまってから私の監視は主にトウジさんが、そしてクレーリアさんの監視には八重垣さんが付くようになったんだけども、この2人は凄く仲が悪い。協定が無かったら喧嘩を始めてしまうんじゃないかと思ってしまう程に。

 

「それじゃあ、定例報告会を始めよう。クレーリア・ベリアル。前回の報告から、今日までの悪魔契約の推移について報告を」

「こっちが資料よ。アンタ達へのクレームも込みだけどね」

 

 美麗が差し出した資料を受け取り、トウジさんと八重垣さんが眺めていく。そこにはクレーリアさんが前回の報告会から、今日までに契約を取った悪魔契約の詳細が書かれていた。私もその詳細について目を落とす。

 

「……やはり、件数そのものは削減には繋がらない、か」

「お得意様はいつも通りね。それでも新規を取るのは教会側が始めたボランティアのお陰か、大分取りづらくはなったわ」

「良いことだ。悪魔の力を安易に頼ろうとしないで、自立する事は人間にとって望ましい」

「はんっ。それでも全ての人に救いをもたらせないのは神様の限界って奴じゃないのかしらね?」

「自ら祈りを捧げない者を救うのは難しい。けれど、信仰はいずれ人を救う」

「2年経っても曲がらない主張ねぇ」

 

 クレーリアさんが取っている悪魔契約の内容は、縮小の結果、とても些細な規模のものに落ち着いている。

 今の時代、悪魔との契約は魂程の代価は必要とはしてない。というより、求める人が減ったと言うべきか。魂ほどの対価を捧げて望むような大事はクレーリアさんは協定によって禁じている。

 もし、その傾向があれば教会に連絡を取り、予め手を打って貰う、というのがここ2年で私達、悪魔と教会関係者側で決まったやり取りだった。

 悪魔契約の内容、何故契約に至ったのか、その経緯を知る事で教会がボランティアの名目で自治体などに働きかけて改善を図り、契約に頼ろうとする人間達を矯正していく。

 それでも悪魔の契約を求める者は後を絶たない。それが些細なものでも、この現代社会での疲れを癒したい。そこで悪魔というのは知る人からすれば、魅力的なものなのだと言う事がこの2年で感じた事だ。

 このやりとりでクレーリアさんと八重垣さんが口論になるのは昔から日常茶飯事だった。本当に仲が悪かったけれども、今はお互い喧嘩する程までに踏み込まず皮肉の応酬などでやり合っている。

 けど、美麗さんが言うにはクレーリアさんは別に八重垣さんにそこまで悪感情を抱いている訳じゃないらしい。頭でっかちで、真面目が取り柄のような奴とは口にしつつも、実力者としても、人間としての人格者としては評価している、と。

 その一方で、トウジさんが言うには八重垣さんもクレーリアさんと通じて悪魔の全てが滅さなければならない悪ではないかもしれない、という事に苦悩している、と零していた。それはトウジさんも同じで、私と二人っきりで話す事もあった。

 

『私の上司が言っていた言葉を覚えてるかね? 君という悪魔と出逢いたくなかったと。その言葉を君と付き合っていると実感するよ。何が正義で、何が悪なのか。どうしても考えてしまう』

 

 ……確かに私は悪魔だけど、必要以上に誰かを苦しめたいとは思わない。むしろ、健やかに過ごして貰えるならそれで良いと思っている。人間は悪魔の生活に欠かせない存在となっているし、人間の底力は悪魔を凌駕する事だって知ってる。

 だから侮りもしないし、対等とは言えなくても互いに相互で益を得られる関係でいれたらと思う。転生悪魔の件に関しても、いつかは意識改革が出来るような立場になれたらと最近は思うようになった。

 ちなみに教会関係者と生み出した、この悪魔契約と教会関係者によるボランティアの関係は私が言い出した事である。これを一種のシステムとして運用する事が出来れば、悪魔と神側で棲み分けが出来つつ、相互の関係を築けるんじゃないかと。

 思いつき程度でお兄様に言ってみたら、クレーリアさんが極秘裏にテストケースとして試してみる事になって、クレーリアさんから恨みがましい瞳で見られたのはよく覚えている。ま、まぁ、上手く機能して平和に2年もやってこれたからいいじゃない……多分。

 悪魔が契約した内容を教会側に伝え、教会がそれに応じてボランティアを考え、契約を望む要因を少なくしていこう、と。更に信徒を増やせれば御の字、契約が減れば更に万々歳、と言う訳で。

 悪魔が不利なように思えるけど、こういった契約は案外無くならないものだ。特にこの日本でかつ現代社会においては。お兄様もそう思ったんだろうから、ゴーサインを出してくれたんだと思うけど。

 

「そういえば八重垣、アンタこの前、時田のお婆さんの荷物持ち手伝ったんだって? お礼を言いたいって言ってたわよ」

「時田さんが? ……召喚の内容は家事の手伝いか。彼女も高齢で一人暮らしだからな。体調を崩した時が心配だな」

「親戚も近くにいないみたいだし、気にかけてやって頂戴。そうすればあんたが疎む契約も減るでしょ?」

「ふん」

「何よ」

 

 互いに鼻を鳴らしながら目を背け合うクレーリアさんと八重垣さんに思わず苦笑する。喧嘩しているように見えて、実は息ぴったりなんだと美麗さんがおかしそうに語っていたのが私も印象的に覚えてる。

 きっと、こんな関係が私が望む理想なんだと思う。敵対する相手でも、こうして棲み分けながら助け合える。争うな、なんて言えないから、せめてその形を前向きに、互いに有意義に。

 その理想の体現であるこの2人にはいつまでも、こんな風に過ごして貰いたいと思うのは我が侭かな……? そんな事を思いながら私はついつい笑みを浮かべてしまうのであった。

 

 

 

 

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