深紅のスイートピー   作:駄文書きの道化

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ACT.02

「よいしょ、と」

 

 ぐっ、と体に力を込めて捻って、体を解すように全身の動きを確かめた後、ベッドから起き上がる。

 長いリハビリ期間を終えて、ようやく一人で動けるようになった事を実感して、笑みが浮かぶのがわかる。

 車椅子や松葉杖が無くても自由に自分の体を動かせる。物が掴め、不自由は少なくなった。それが嬉しくて堪らない。あぁ、本当に頑張って良かったと思う程に。

 こうして実感する事で、ようやく余裕を持てた気がする。スタートラインに立った気分だ。

 

「……どうしよう」

 

 こうして自由に動けるようになると、気になるのはこの病院、更に言うなら自分の見たことのない景色だ。

 折角、“リアス・グレモリー”としての生を受けた訳で。更に言えばここは自分にとって空想の中の世界なのだ。興味を持たない方が嘘だ。将来への不安がない訳じゃないけど、それよりも身近な物への興味だってない訳じゃない。

 例えば自分が入院しているこの病院。魔界の病院も記憶にある人間の病院とそんなに変わらない印象を受ける。でも、細部も違っているし、そうなるとその違いを比べたくもなる。

 ……抜け出してみようか。そんな考えが浮かんだ。その思いつき魅了された。ようやく体が自由に動くようになったんだから、見ないと損だよね。

 そして私は病室を出た。白い廊下、窓の外には紫色の空が広がっている。お兄様が言っていたが、ここはシトリー領の大きな病院の1つだと言う。シトリーと言えばリアスの親友になるソーナ・シトリーが思い浮かぶ。

 いつか会えるんだろうか。そんな思いが過ぎりつつも病院の廊下を歩いていく。擦れ違う人が少ない気がする。時間帯なのか、そもそもの入院している患者が少ないのだろうか。そうして歩いていると話し声が聞こえて、思わず身を潜めた。こういう時に体が小さいのは便利だ。

 

「グレモリー様は本当に不憫ね……」

 

 ふと、耳に入ってきた言葉に体が強張った。息が止まりかけたのを堪え、息を殺して耳を澄ます。

 聞こえてきたのは看護師同士の会話なのだろう。足を止めて話に興じている様子だ。

 

「リアス様、リハビリも頑張ってくださって良い子なんだけど……」

「そうね……あの頑張りを見てたら、先生の話も信じたくはないのだけど」

「それにリアス様の計測結果、聞いた?」

 

 心臓がうるさい程に鳴っている。一体何の話かわからない。内容が見えてこない。けど、それは私にとって良くない話だと。そう直感した。

 後になって私は思い直す。耳を塞げば良かったのか、静かに離れるべきだったのか。それとも病室から出ないで、大人しくしていれば良かったのか。

 

 

 

「――ただでさえ変だと言われてるのに、挙げ句、魔力も観測出来ないなんてね」

 

 

 

 世界が凍り付いたようだった。世界の色彩はモノクロに変わって、何もわからなくなって。……気付いたら、自力で病室に戻っていたようだった。ふらふらとおぼつかない足取りでベッドに向かい、布団にくるまりながら考える。

 魔力が観測出来なかった。それはつまり私には魔力がない。それではまるでリアスじゃなくてサイラオーグみたいじゃないか、と頭の中にいる冷静な私が分析する。

 そう、そんな事はなかった筈だ。“リアス・グレモリー”は確かに消滅の特性を持っていた。魔力を持っていないなんて事はなかった。つまりこれはイレギュラー。私がリアス・グレモリーになっているというイレギュラーによって生じた違い。

 そもそも魔力がないなら、今後の生活はどうなるんだろう。自分はグレモリー家に居続ける事が出来るのだろうか。“リアス・グレモリー”のように振る舞う事は出来ないなら、今後は全て自分で知り、考えていかなければならない。

 どうして、そんな思いが改めて胸を襲った。私じゃなければきっと魔力は普通にあって、成長して、眷属達と出会っていく原作の物語が進んでいた筈だ。不幸な事はあったのかもしれないけど、それでも誰かを魅せる人生を歩んでいた筈なのに。

 私は、どうすれば良いんだろうか。例えば、サイラオーグのように体を鍛えたりしてのし上がる事が出来たりするんだろうか。サイラオーグがどれだけ血の滲むような修行をしたのか想像しただけで心が折れそうになる。

 リアスじゃなければ良かった。せめて、こうして誰かの人生を横取りしてしまうならリアスじゃない、もっと名も知れなかった誰かになりたかった。あの美しかったリアス・グレモリーはこの世界には生まれない。生まれる事はないんだ。

 涙が浮かんできた。涙が落ちるのも、嗚咽を零すのも止まらなかった。怖い、不安で、恐ろしくて、どうしたら良いかわからない。ただ生きていくのが怖い。今後、“リアス・グレモリー”だったら上手くいっていた事がいかないのが怖い。

 失敗が怖い。取り返しのつかない事が起きてしまうかもしれない。私のせいで、私がリアス・グレモリーになってしまったせいで。例えば朱乃や子猫、祐斗やギャスパーと出会えないかもしれない、赤龍帝となる一誠にも出会えないかもしれない。世界が滅びてしまうかもしれない。

 全部、全部、私がリアスになってしまったせいで。変だと思われていた。親が私のせいで憐れまれていた。私が、本物じゃないから。そう思えば、ただ、怖かった。苦しかった。いっそ死んでしまいたかった。

 

「――リーア?」

 

 だから、気付かなかった。

 そこにお兄様がいた事に。いつの間にか扉を開けていて、布団にくるまって泣いている所を見られた。その後ろにはグレイフィア義姉様もいた。見舞いに来てくれていたのだろう。こんな私の為に、会いに来てくれたのだろう。

 部屋に入り、手を伸ばされる。頭へと伸びた手に怯えるように震えてしまう。あぁ、少し前まであんなに優しかった手に撫でられるのが怖い。今の自分には撫でられるような資格なんてないような気がして。

 

「……どうして泣いてるんだい?」

 

 問いを投げかけられても、私は首を振った。声を噛み殺して、何も答えたくないと言うように。

 だって言えない。言える筈ない。私が貴方の妹になる筈じゃなかったんです、と。もっと素敵な妹が生まれて来る筈だったんです。私じゃない私を、私が奪ってしまったんです、って。

 言って、吐き出して、謝って、いっそ断罪して貰えれば楽だったかもしれない。けど、けど、死ぬのは怖くて。軽蔑されるのが怖くて。ただ、ただ首を振る事しか出来なくて。

 

「……リーア」

 

 抱きしめられた。身を隠すように被っていた布団ごと抱きしめられて、背をぽんぽんとリズムを付けて撫でられる。

 止めて、優しくしないで。今、優しくされてしまうと甘えたくなるから。怖くて、不安で、助けて欲しくて、辛くて、悲しくて、あぁ、ダメだ。心が溢れて、零れて、吐き出して、止まらなくなってしまうのに。

 

「ごめ、ん、なさい」

「リーア……?」

「わたしじゃ、なかった、うまれて、くるべきなのは、わたしじゃ、なくて……! ごめん、なさい……! わたしが、うばって、しまった……わたしが……ごめん、なさい……!!」

 

 止まらない、言葉が、止まらない。終わった、とどこかで諦めたように笑った自分がいたような気がした。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 遂にこの時が来てしまったのか、と。

 サーゼクスは怯えて震え、涙を零しながら謝罪を繰り返すリアスの顔を見る。

 酷い顔だ。見るもの全てを恐れて、どうしたら良いかわからない迷子のようだった。まともに目を開く事も出来ずに泣きじゃくっている。

 ごめんなさい、とリアスは言った。生まれてくるべきは自分じゃなかった、とリアスは言った。それは医師から伝えられていた可能性が現実になったのだとサーゼクスは悟る。

 

 ―――前世による人格の塗りつぶし。

 

 気付いてしまったのかもしれない。何が切っ掛けかわからないけれど、この妹は自分が生まれてくるべきじゃなかったと。本来は生まれてくるべき誰かがいたのだと言う。奪ってしまったのだと、涙を流しながら謝っている。

 妹は死んでしまったのだろうか。そもそも、本来の妹は生まれる前から存在していなかったのだろうか。そんな疑問がふと頭を過ぎる。しかし、サーゼクスは目を閉じ、その考えを追い出すように意識する。

 

「……リーア、まずは落ち着いて。私の話を聞いておくれ」

 

 話を聞かなければならない。けれど、その前にリアスを落ち着かせないといけない。

 リアスを抱きしめていた手を離し、肩に手を置いて向き合う。怯えの色を更に色濃くしてリアスはサーゼクスを見つめている。体は小刻みに震え、歯の根が合わずに音を鳴らしている。

 見たくなかった。妹のそんな顔は見たくなかったとサーゼクスは胸を痛める。その痛みを胸中の奧へと押し込んで、リアスから視線を外さないように言葉を投げかける。

 

「リーア、君は自分が“リアス・グレモリー”じゃないと、そう思っているんだね?」

 

 ひゅっ、と息を呑む音がした。リアスの体の震えが大きくなり、汗と涙が頬を滴り落ちていく。まだだ、まだ耐えて貰わなければ困る。伝えなければいけない事、理解してあげなきゃいけない事がたくさんあるのだ。

 サーゼクスの焦りを感じ取ったかのようにグレイフィアが歩み寄り、リアスを抱きしめた。サーゼクスと向き合わせるようにしつつも、背後からリアスを包み込むように抱きしめる。リアスの震えは止まらないが、困惑したような表情を見せている。

 

「リーア……君が、……君の中に、本来は生まれる筈がない君がいる事はなんとなくわかってた」

「……ぇ……?」

「君は変な子だった。だから、色々と調べたんだ。今まで寝ていたにしては学習能力も、知能の発達も早熟過ぎた。中身が全然子供らしくなかった。だから、君の中に“もう一人”の誰かがいても不思議じゃないって言われてたんだ」

 

 リアスの顔が凍り付いたかのように固まる。まるで、このまま凍えて彫像になってしまうのではないか、と思う程に。それに気付いたサーゼクスは強く、ただ強くリアスの手を握りしめる。

 こんな小さな手で、自分で物を掴めるように頑張っていた姿を思い出す。こんな小さな体で、必死に歩けるようになろうと頑張っていた姿を思い出す。ただ、ただ前を向いていた。

 

「なぁ、リーア。私との約束を覚えているか?」

「やく、そく……」

「そうだ。約束だ」

「……あるける、ように、なったら……いろんな、ばしょに、つれて、いって、くれる……」

 

 途切れながらもリアスは必死に言葉を紡ぐ。サーゼクスも涙がこぼれ落ちそうだった。消えていなかった。彼女は、約束を覚えている。歩こうと努力を重ねた子だ。目覚めて最初に自分を呼んでくれた、かけがえのない……―――。

 

「そうだ。約束したね、リーア。私は、私の妹と約束したんだ。連れていってあげるって。だから、生まれてくるべきじゃなかったとか言うのは止めなさい。リーア、君はね、私の妹なんだ。例え君がどこかの誰かだって、ここにいる君は私の妹だよ」

 

 どうか。

 どうか、この言葉が。

 この言葉がこの子を救ってくれますようにと、願うように。

 

「……ぅぁ」

 

 凍り付いていた表情が崩れる。涙がこぼれ落ちて、声にならない声が漏れてリアスが泣きじゃくっている。

 

「わ、たし……ちがう、の……おにいさまの、いもうと、じゃなくて……でも、ここに、いて……どうして、いいか、わかんなくて……」

「お前は、私の妹でいて良いんだ。どこかの誰かなんだったとしても、これからはずっと、ずっと私の妹なんだよ、リーア」

「わたし、まりょくも、ない、できそこ、ない、なのに」

「……知ってしまったのか。でも、そんなの関係ない。関係ないんだ」

「かんけい、なく、ない! わたしは、りあす・ぐれもりー、なの、に……!」

「魔力なんて無くたって良い。私が、父上が、母上が……どれだけ、お前を待っていたと思う? お前の目覚めを、お前が私達を呼んでくれる事を待ち望んだか」

「わたしは……ちがうのに……!」

「お前が違うと言っても、私はお前をリーア……私の妹、リアス・グレモリーと呼ぶよ。だから怯えないでおくれ。否定しないでおくれ。お前は、生まれてきて良かったんだ」

 

 そうだ。例え、かつてどこかの誰かなんだったとしても。

 自分が違うと怯えて、泣いて、傷ついている。私と約束を交わして、私を呼んでくれた妹が苦しんでいる。なら、兄として私がする事は変わらない。

 

「リーア、お前は私の妹だ。例え、この先何があろうと私はお前の兄でいよう。そして、お前を護るよ。だから否定しないでくれ。傷つかないでおくれ」

 

 ……声がする。子供が泣く声だ。世界を響かす声がする。

 泣いていた。リアスは泣いていた。声をあげて、何も考えられずに泣いていた。

 そんなリアスの姿に抱きしめていたグレイフィアの目にも涙が浮かぶ。サーゼクスはグレイフィアごとリアスを抱きしめるように腕を回す。

 まるで、産声のようだ。サーゼクスは思う。そう言えば、この子は生まれた時も産声をあげなかったらしい。なら、これが本当の彼女の生まれなのかもしれない。ようやく殻を破って、この子は私の妹になるに違いないと。ならば伝える言葉は決まっている。

 

 

 

「生まれてきてくれて、ありがとう。リーア」

 

 

 

 * * *

 

 

 

 夢が、廻る。

 誰かの夢が、広がる。

 大地が水を吸うように。

 夢が、潤っていく。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 ボタンを止めて、リボンを結ぶ。リボンにズレがないか確認して、姿見の前に自分を映す。

 服装の乱れがない事を確認して、よし、と声を漏らす。そして自らの手で髪を撫でた。

 一度、短く切り直して貰った髪はどこか寂しい。3年、伸ばし続けた紅髪はわずかに肩にかかる程の短さだった。

 これから伸ばしていくつもりではあるが、心構えの切り替えとしてどうしても、とお願いした。兄様や、お義姉様には渋られたが必要な事だと我が侭を言った。

 

「私は、貴方のようになれないわ。“リアス”」

 

 原作のように輝かしくも魅力的な貴方のようにはなれない。私達は別人だから。でも、この世界に貴方はいなくて、私がリアスだから。

 サーゼクス兄様の、グレイフィアお義姉様の妹で。グレモリー家の娘。貴方と違って才能の欠片もない子になったかもしれないけど、それでも私は貴方に負けないように生きてみせると、鏡に映る自分に彼女を重ねて誓う。

 

「私は貴方のように素敵な出逢いを果たせるかわからない。それは貴方の宝物。私が得る事はないだろう宝物。でも、貴方がいてくれるから私、これから生きていくわ」

 

 貴方に負けないぐらいに。

 貴方に恥じないぐらいに。

 この世界で生きていくから。リアス・グレモリーとして。

 僅かな荷物を抱えて、病室を後にする。歩いていく、自分の足で、自分の意志で。

 そうして歩いていく先に自分と同じ紅の色を見た。兄様がいた。義姉様もいる。そして、その後ろに両親がいた。

 私は足に力を込めて、強く駆け出す。そして浮かべられるだけの笑みを浮かべて。

 

「兄様! 義姉様! 父様! 母様!」

 

 この人達と生きていこう。この頂いた人生に陰るものがないように。貴方のように輝かしくは無くとも、誇れるような生き様を。

 

 

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