深紅のスイートピー   作:駄文書きの道化

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ACT.05

 駒王町での挨拶回りは滞りなく終わって、私は帰路を歩いていた。

 悪魔関係者には元より便りを出していたのもあるけれど、教会側での反応があっさりとしていたのには驚き、印象に残った。

 どうやらシャルバによる襲撃事件そのものがなかった事になり、コンティーニ助祭枢機卿達の来日したという事実は隠蔽された。

 それは今の駒王町の現状、そして当時の私の状況やシャルバの出現を踏まえて事を大きくしない為の処置だったと言う。

 それには歯噛みしつつも、いずれまた機会を持ちたい、とトウジさん達から報告を受けた事で少しばかり気は晴れた。次に巡る機会の時の為に、今は一度の失敗でくよくよはしていられないと自分の頬を叩く。

 

「……やっぱり、そうなると」

 

 私の力の使い道を考えないといけない。どうにか上手くやれれば良いんだけど、と思いながら駒王町での私の拠点へと戻る。

 そこで、イリナが立ち尽くしているのを見かけて、思わず目を丸くする。

 

「イリナ?」

「……あ、リーア」

 

 声をかけると、どこか彼女らしくない反応が返ってくる。

 やはり、と違和感は消えない。喉に引っかかるような感覚を飲み込むようにして、笑みを浮かべる。

 

「上がってく?」

 

 問いかけに対しての返答は頷きで。私はイリナと一緒に家へと上がった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「暫く開けてたから、何もないけど……」

「気にしなくていいよ」

 

 賞味期限が切れていない事を確認して煎れたお茶をイリナに出しつつ、私は席についた。

 イリナは家に上がってからも特に何か言う事はなく、ぼんやりと沈みつつ日を見つめていた。儚げ、と言えば良いのだろうか。らしくない、と思いは募るばかりで私は自分用に煎れたお茶に口をつける。

 

「一誠と朱乃は?」

「2人は先に帰って……私だけ、ここに」

「そっか」

「うん」

 

 一口、お茶を啜ってから会話の切っ掛けとして当たり障り無い切り出しを。

 

「……それで」

「……リーアは」

 

 そして、次にお互いが話題を切りだそうとして被る。互いに顔を見合わせて、きょとんとするイリナに思わず笑う。

 

「どうぞ? 私、イリナが何か話したそうな気がしてたから」

「……うん」

 

 頷き、一つ。どこか視線を落としたままのイリナの言葉を待つ。

 

「……リーアは、さ」

「えぇ」

「どうして、私にお願いしたの?」

「さっきの話かしら?」

「私じゃなくても、別にいいよね」

「……まぁ、そうね」

 

 確かに。イリナの言うとおり、例のイリナへと頼んだ武器を作ってもらう事は必須ではない。出来れば、それが都合が良いという話でしかない。

 私に近しくて、私の事情を知っていて、私と友好的な関係でいる。イリナにデメリットはあれど、私が素材を提供し続けるという契約を結ぶなら、それはそれで彼女の未来にメリットはあるだろう。

 それを躊躇うのは、やはり未来に待ち受ける苦難。そもそも、この世界を知るが故に。人外が存在し、命を狙われでもしたら危険性が限りなく高い事。だからこそ、よく考えて欲しいと私はイリナに口にした訳で。

 

「嫌なら、断ってくれても……」

「どうして、私なの?」

「……イリナ?」

「わかんないよ、私。リーアが、わからない」

 

 濡れた声、と言う表現が似合うだろうか。イリナの声は震えていて、今にも泣きそうで。

 どうして、と思う。わからないのは、私もそうだ。イリナがどうしてそんな泣きそうになっているのかが解らず、思わず困惑を隠せない。

 顔を上げたイリナは、やっぱり想像の通りに涙目になっていて。どうして、という思いが私の胸を締め上げるようで。

 

「……リーアは、勝手だよ」

「……それは、ごめん」

「リーアがね、私達の事、大事に思ってくれてるのはわかってる。わかってるよ! でも! 何も言われずに押し付けられるのは嫌なの! 私が子供だから、言えない事が多いなんてわかってる! リーアは凄いもの、大人みたいだもの。だけど!」

 

 堰を切ったようにイリナの声が大きくなる。肩を揺らせながら、イリナの声と感情は膨れあがるままに、私に突き刺さる。

 

「いきなり頼られても、わかんないよ……! リーアがわかんない! 何を考えてるのか、わかんないよ……! それが、凄く嫌だよ……! 大事にされても、そんなの嫌なんだよ!」

「……それは」

「だって、私の未来を決めたくないんでしょ? 自分に本当は関わらせたくないんでしょ? 危ないってわかってるから。私が、私が……教会の神父の娘だから!! 自分が私の人生を歪めたって、本当は思ってるんでしょ!?」

 

 今までが締め付けられるような痛みだと言うのならば、それは突き刺さるような痛みだった。

 ……否定、出来ない。それはいつだって自分が抱えていたものだ。イリナと出会い、離れられなくて、一度、それで酷く傷つけた記憶が過ぎる。

 あぁ、そうか。なんとなく悟ってしまった。私は、また間違えたのだ。それも決定的に、イリナと私の間に横たわる禁句とも言える傷口を開いてしまったんだ。

 

「リーアは、勝手だよ」

「……イリナ」

「私だって、リーアを大事にしたい。頼られたらお願いを聞いてあげたい。だって、友達で、ずっと助けてきてくれて、大事にして貰って、だったら大事にしたいって思うよ、思うでしょ!? なんでさせてくれないの!? 大事にするって言いながら遠ざけようとするの!? 私が子供だから!? 私が教会の神父の娘だから!? いつもそうやって、本当に肝心な所は触らせてくれないじゃない!!」

 

 言葉が、出ない。思わず、喘ぐように息をして、しかし声にも言葉にもならずに私の息は空気に解けて消えていく。

 

「わかってる、わかってるよ! わからなくても、わかるんだよ! 私じゃ力が足りなくて、まだ子供で、守られるしかないって! リーアのしてる事はそれだけ大人にも期待されて、凄い事なんだって! その中に私達がいるのも、わかってる! でも、貴方はそれを返させてくれないじゃない!! 自分だけ傷つこうとしてるじゃない!!」

 

 イリナが肩で息をする。何度も、何度も、その胸が上下している。吐き出した感情の大きさに震えるように。その涙は伝って落ちていく。

 

「……遠いよ、リーアが。遠いよ……友達なのに、私、何もしてあげられない。私がリーアの足を引っ張ってる。だから、わかんない。どうしていきなり頼ろうなんてするの? それを、私は、信じて良いの……?」

 

 思わず叫びたかった。けれど、この口は声すら出せなかった。

 突き刺さるような痛みが続く。これは、これが私のしでかした罪だ。あぁ、本当に。

 

「……そっか。私、イリナを傷つけてたんだ。だから、様子がおかしかったんだね」

 

 漸く納得して、自分のお気楽さに反吐が出そうだった。

 それと同時に、何とも言えない感情が込み上げてくる。自分への嫌悪と同じぐらいの、イリナへの愛おしさ。

 だからこそ、そうだ。私が為さなきゃいけない事は――受け止められない自分を、ここで終わらせる事だ。

 

「認めるよ。私はイリナを遠ざけたかった。だって、それは貴方に辛い道を歩ませるかもしれなかったから。あの日と同じ間違いをした。私が、十字架の事を黙っていた時と同じように」

「……うん」

「住む世界も、歩む時間も、信じるものも、見えるものも。同じなのに全然違ってる。言わないと伝わらない事なのに、私が一方的に大事にすれば良いなんて、そんな話じゃない事はとうの昔にわかっていた癖に、またやらかしたんだね」

 

 溜息が出る。重く、重く、のしかかるような重みで。

 ……今までは、この重みに耐えないとって、思ってたけど。

 

「……イリナは、私が強いって言うけど、私は強くなんかないんだよ」

「リーア……?」

「強くなりたいから、ずっと前へと進もうとしてた。そうじゃないと怖くて仕方がなかったんだ。立ち止まってたら怖くて、足が竦みそうで、どこにも行けなくて」

 

 心を吐露するのは、自分を切り落とすかのようだった。弱みを見せるというのは、こんなにも苦しい事なのかと思う。

 今までは、そうだ。今までは、お兄様を始めとした家族、そしてアジュカ様達が導いてくれた。吐き出していいのだと、その環境を整えてくれていた。

 甘えていたんだ。ここなら大丈夫と。でも、それだけじゃ足らない。だって、イリナは他人だ。家族よりも遠くて、そして何よりも……“対等”であるべきだった。

 

「貴方達を失うのが怖いの。だって、私の大事な人だから。でも、あまりに遠くて、壊れないように、傷つけないように、って。確かに遠ざけてた。認める。どうしようもなくそれは私の本音だった」

 

 もう、守れるだなんて思い上がりはしない。だから、その為に。

 

「イリナ、私は貴方を守りたい。一誠も、朱乃も。種族も違って、歩む道も違って、それが本当は重なる事がなくて、でも重なった出会いを無かった事にしたくないから強くなりたかった。……でも、遠ざけようとして守れるものなんて、なかったんだ」

 

 泣きながらも、真っ直ぐに見つめてくるイリナへと席を立って近づく。

 距離が近づいて、伸ばした手に少し怯えるように震えるイリナを強く抱き締める。

 暖かい、命の鼓動の音がする。私の原初の記憶が疼く。この手の中に収まっていたのは、私の焦がれていた命達の片鱗の一つだ。

 そして、私が歪めてしまった命だ。私が責任を取るべきだと思っていた人だ。それは、きっと傲慢というに相応しいと、今なら思える。

 

「ごめん、イリナ。私、凄く弱くて臆病だから。イリナがいつか、私と一緒にいる事を憎くて、怨む日が来るのが怖かったんだよ」

「……そんな日、来ないよ。馬鹿だよ、リーアは」

「知ってる。でも、知ってても私は弱いんだ。あの時と同じで、まだ変われてなかったんだ。イリナに十字架の事を黙っていた時みたいに」

「私は貴方を助けたいんだよ……この前、リーアが竜から戻ってこれなかった時も本当は泣きそうだったんでしょ?」

「うん。怖かった。死にたくなかった。守りたかった。自分が壊れてしまいそうで、でも壊れない為に強くなろうとした」

 

 頬をすり寄せ合って、言葉を重ねる。イリナの息づかいを感じる。鼓動の音が聞こえる。

 それが愛おしい。そして狂おしい程に苦しい。私が歪めてしまった、本来の彼女と懸け離れてしまったこの子が。思うよりもずっと、自分の中で大きな存在になっていた事を自覚した。

 見えていなかった。当然だ。不安に思われていた。当然だ。だって、私は彼女を見る時、いつだって“原作の彼女”を思い返さずにはいられなかったのだから。

 

「……夢を見たんだ。イリナなら、きっと天使のように可愛くて、綺麗で、誠実な子になるんだって。私がいる事で、そんな夢見た光景を奪ってしまいそうだってずっと思ってた」

「悪魔の癖に、馬鹿みたい」

「うん。でも、掛け値無しに、本当に。それがイリナの幸せだと信じてた。それを守るべきだと」

「馬鹿」

「何回も自覚してる」

「本当に、馬鹿」

 

 イリナの手が背に回される。強く、強く抱き締められる。

 

「私の命を助けてくれたのは、綺麗な天使じゃなくて、優しい悪魔だったよ」

「……うん」

「貴方に憧れたんだよ。貴方が、私にとって目指すべき場所だった」

「うん」

「だから、側に行って良い? もっと、リーアの事を知って、貴方の力になりたいの。貴方が弱い事を知ったから、それを支えたいって、そう思うのは駄目な事?」

 

 ……あぁ、本当に。

 イリナを強く抱き締める。壊してしまいそうで、でも、それでも強く抱き締められずにはいられなかった。

 こんなに思われていた。こんなに大事にされていたと。何度打ちのめされれば私は自覚出来るのだろう。うぅん、違う。受け入れる事が出来るんだろう。

 私は、大事にされている。家族以外の、守るべきだと思っていた、責任を果たさなきゃいけないと思っていたイリナから。それをずっと蔑ろにし続けて来たんだ。

 

「イリナ」

「何?」

「私、貴方が好きよ。大事にしたくて、嫌われたくなくて、壊したくなくて、それぐらい大事よ」

「……うん。知ってる」

「だから、もう前みたいな事になりたくない。強くなりたい。その為に」

 

 寄せていた頬を離す。いつの間にか、泣いていた筈のイリナは泣き止んでいて、代わりに私が泣いていて。声が震えそうになりながら、自分なりに言うべき言葉を紡ぎ出す。

 

 

「――私を、助けて」

 

 

 こう言うべきだったんだ。ずっと、ずっと。

 許しが欲しいなら、言わないといけなかったんだ。

 貴方の歩むべき未来を奪った事に、と。ずっと罪の意識を感じるなら。

 貴方は、それよりも幸せになって欲しい。そう思うべきだった。守るだけじゃなくて、もっと彼女の幸せに寄りそうべきだったんだと、痛感した。

 その為に私が出来る事は数少なくて、だから、言うべきだったんだ。その力を貸して欲しいと、私を……助けて、って。

 もう辿る事のない“原作(みらい)”よりも、貴方を幸せにさせて欲しいと、そう望ませて欲しいと。

 

 

「助けるよ、何度だって。貴方が、私を呼んでくれるなら」

 

 

 赦しの言葉だった。それは、何よりも、きっと誰かに言って欲しかった言葉だった。

 家族や、私を支えてくれた力ある人達ではなくて、まだこれから未来があって、それを奪ってしまった誰か達。イリナや、一誠、朱乃。未だ会えぬ人達に。

 ここにいていいよ、と。私は、強く望んでいたのだと。今、はっきり自覚した。

 

「あぁ……」

 

 私は、この世界で、生きている。

 誰よりも“原作”に近い、本来の輝かしき道筋を歩む筈だった一人にでも。

 赦しを得られた。それは、私の中で、大きく膨れあがっていく。

 生きないと、と。強くなりたい、と。越えたい、と。あの未来を、世界を!

 

「私、ここにいていい?」

「一緒にいたいよ。リーアは、私の大事な友達だから」

 

 抱き締められる。強く、ここにいると確かめてくれるように。

 何が、守るだ。守られたかったのは、保証されたかったのは私自身じゃないか。

 笑ってしまった。同時に泣いてしまう。イリナに縋るようにして、情けないと思いながら。

 でも、後悔はなかった。……何故だろう。まるで、枷が外れるような感覚がした。

 

 

 * * *

 

 

 泣いて、泣いて。泣きに泣いて。なんとか落ち着いて、もう夜が訪れていた為、イリナを家に帰してから。

 何気なしに、なるべく高い建物を選んでそこに飛び上がるようにして駒王町を一瞥してみる。

 人の営みは、きっと目新しくなくて。それはかつての自分の記憶の中にあったからなのだろう。今は遠くても、魂は記憶し続けているんだと思う。

 でも、目に見えない場所で。この世界の先でかつてにはなかった者達が存在する。悪魔や天使、妖怪などといった人外。そして、そんな人外に抗う為の力も。

 それにきっと夢を見た。そうなりたいと憧れて、切望して。あぁ、と吐息を零す。

 

「もう、“原作(みらい)”をなぞるのは止めよう」

 

 自分に言い聞かせるように。きっと、この記憶(あこがれ)は消えずとも、そこに囚われるべきではないと。

 ここに生きているのは、“リアス・グレモリー”ではないのだから。その席を奪ってしまった私なのだから。

 それでも、と。喉が声を絞り出した。そう、それでも、だ。

 

「私は、ここにいたいんだ」

 

 この世界で、生きたいんだ。

 未来が歪むのが怖い。勿論、その思いだって消えない。でも、それよりもっと大事にするべきものがあるとしたら。

 この、生きたいって思いなんだ。明日が欲しいと、皆に認められて、ここにいたいって思い続ける事なんだと、はっきり自覚したから。

 後悔してるだけでは、迷っているだけでは、何も掴めないままで。掴み損なって、それでも失わずにいる物の大きさを悟ったならば、私は、この手を伸ばし続けなきゃいけない。

 

「超越者、か」

 

 いつか、そう呼ばれるかもしれないとお兄様やアジュカ様が語った。

 ふっ、と笑って見せる。笑えてるのかはわからないけれど、夜空に浮かぶ月に手を伸ばして。

 

 

「なってやろうじゃない。超越者に。それがどんなに異端だったとしても、歪みきったものだとしても、正しくない歴史だったとしても」

 

 

 月を握り込むように、握りしめて。

 

 

「ここが、私の生きている世界だ」

 

 

 そう、言い続ける為に。私は、月を睨んだ。

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