深紅のスイートピー   作:駄文書きの道化

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第2部 序章
夢現なる世界


 この世は泡沫の夢、微睡みの中にあるのであれば、いつ覚める夢ともわからぬのであれば。

 せめて、精一杯胸を張って歩いて行こう。夢が覚めても、良い夢だったと振り返る為に。

 

 

 * * *

 

 

 理不尽とは、理不尽であるからこそ突然である。

 彼女の話をしよう。一言で言えばごく平凡な女子大生であった。漠然とした未来への展望を思い描きながら、学友達との楽しい日々に埋没し、日常を享受する。

 そうしていつかは大学を卒業し、大人になっていくのだろうと彼女は思っていた。だから、こんな理不尽を絵に描いたような現実は脳が理解を拒んでいた。

 それは自分の2倍の大きさもあろう巨体を誇る何かだった。人にも似た形をしているが、人はあそこまで大きくなければ、肌の色も違う。腕は丸太のように太くて、その背には蝙蝠のような翼が付いている筈もない。

 何故、こんな事になったのか。平凡な女子大生である彼女の趣味の一つにパワースポット巡りがあった。だからこそ、彼女は大学の進学の際、この地にやってきた。

 駒王町。それは知る者ならば少し名の知れた土地である。“数年前”、謎の大規模なガス爆発事故が起きた事を切っ掛けにここでは多くの都市伝説や、奇妙な噂が囁かれるようになっていた。

 曰く、例のガス爆発事故は異界とこちらの世界が繋がった為に起きたものである。

 曰く、その時に出来た穴から、異世界の住人達が現れて都市伝説や噂になっている。

 他にも、これは政府によって隠蔽された巨大な陰謀である等の憶測が飛び交い、当時は話題となった土地なのだ。そんな不思議な土地に惹かれるようにして、彼女はこの地にやってきたのだ。

 そんな趣味の一環で訪れた場所で、そう。偶然だったのか、或いは必然だったのか。彼女はこのバケモノと遭遇して、今に至ってしまった。噂が真実だったのか、や、このバケモノは何なのか、取り留めなく思考が浮かび、しかし何一つとして身を結ばずに消えていく。

 ただ、唯一わかるのは。自分の生命が失われようとしているという事実のみだ。

 

「だ、だれ、か」

 

 恐怖に引きつった喉が声を絞り出す。その声に反応して、巨体の顔が笑みに歪んだ気がする。 

 それが自分の怯える様を笑っているのだろうと悟り、それが相手の反応を更に引き出すと理解出来ないまま、女性は声を張り上げる。

 

「誰か、助けて――ッ!!」

 

 声が響く。しかし、望んだ反応が来る事は無い。足は震え、一歩も動く事は出来ない。巨体が手を伸ばす。自分を握り込むには充分な大きさの手が迫る中、恐怖の糸がぷつりと切れてしまい、何も感じなくなった。

 あぁ、ここで死ぬんだ。それからスローモーションで。自分が迎える死をぼんやりと眺める事しか出来なかった。

 

 しかし――次の瞬間、“赤”が煌めいた。

 

 迫り来る死は訪れず、代わりに目にしたのは鮮やかな“赤”だった。その左手に覆われた籠手を掲げ、迫り来る死をその手にした剣で退けた姿はまるで御伽話の“騎士”のようだった。

 死への恐怖によって途切れてしまった現実への意識が、まるで夢を見るようにその光景を認識する。背丈はまだ少年で、自分よりも幼いであろう。少年の登場に思い出したかのように風が吹き、彼女の髪を揺らす。

 

「――もう、大丈夫だ」

 

 僅かに振り返って少年は言う。チョコレートブラウンの髪を揺らして、人懐っこく笑う少年に一気に現実感が戻って来る。迫り来る死は、この少年によって払いのけられたのだという事実が胸を巡り浸透していく。

 次の瞬間、世界を震わせるような声が響き渡る。先程まで迫っていた死、その巨体が怒りに震えるかのようにして叫んでいた。巨体の手、それは斬り付けられた傷から血が溢れ出し、苦痛と傷つけられた事による怒りで吠えているようだ。

 

「チッ、浅かったか。1回分の加速じゃ、こんなもんか」

 

 少年が唇を尖らせるように言う。それは目の前の脅威に対して、まるで何も感じていないかのようで。

 巨体が少年へと視線を定め、その巨腕を握って少年へとその拳を叩き付けようと構えている。

 

「あ、危ない!」

「あぁ、危ないな」

 

 自分を助けてくれたのだろう少年に危機を知らせようとした女性は叫ぶ。しかし、少年は動じた様子もなく、一瞬姿がブレたような気がした。

 目の錯覚かと瞬きをすると。少年は笑みを浮かべたまま手を伸ばして、女性を抱きかかえるようにしてその場を歩いて離れる。

 

「――もう終わってるから」

 

 鮮血が舞う。悲鳴すらも無く、まるで細切れになるようにバラバラになっていく異形を見せないように、そして飛び散る血に女性を汚さないように少年はその場から離れる。

 その光景を見る事がなかった女性は、ただ呆然とするままに少年の顔を見る。少年は視線に気付けば、にっ、と笑ってこう告げた。

 

 

「――無事で良かったな! おねーさん!」

 

 

 次の日、女性は自宅で目を覚ました。あれ? と首を傾げる。昨日の夜は何をしていたのだったかと。誰かに助けられたような気もしたけれど、曖昧な記憶だ。夢でも見ていたんだろうか、と結論づけて、彼女は日常へと埋没していくのだった。

 

 

 * * *

 

 

「記憶処理は完了です。後は彼女を自宅に送り届けておしまいですね」

「ありがと、白音。運ぶのは俺がやるよ。住所とかわかるかな?」

「少し気が引けますが、荷物の中身を確認させて頂きましょうか」

「俺がやるより白音がやった方が良いだろ、頼むよ」

「はい、一誠」

 

 夜の街を歩く影が二つ。先程まで“はぐれ悪魔”に襲われていた女性を背に背負った少年、兵藤一誠は肩を並べて歩く少女、塔城 白音へと親しげに声をかける。

 応じる白音の声も柔らかく、2人の親しげな良さがわかるというもの。夜の街の外灯に照らされて、その美しい白の長い毛並みが揺れる。

 

「しかし、件数が増えたな。やっぱり」

「えぇ、仕方ありません。あの事件から世界は騒がしいですからね」

 

 女性を送り届けて、借りさせて頂いた鍵を使って女性を寝かしつけた帰り道。一誠はぼやくように白音へと呟く。一誠の呟きを耳にした白音も、少し表情を険しくしながらも頷く。

 

「今日は私の出る幕はなかったですね。いえ、いつも一誠が頑張ってくれてるので楽をさせて貰っているんですけど……」

「俺が一番足が速いからな。いいって、気にするなよ。それが俺の役割だし。あと、記憶処理とか後始末は俺じゃ無理だから白音が来てくれて助かってるよ」

「それこそ、私の仕事ですからね。……たまにはあのぐーたらな姉を働かせないといけないとは思うんですが」

 

 きっ、と視線を険しくさせる白音の表情に一誠は肩を竦める。白音が言うぐーたらな姉は一誠もよく知っている相手だ。そして、今報告の為に向かっている所なのだから。

 駒王町の住宅街にある一軒家、「塔城」と表札がかけられた家のドアを開いて一誠と白音は中へと入る。すると白音は鼻をひくつかせて、その可愛らしい眉を潜めた。

 

「またお酒飲んでる……」

「早ッ、というか黒歌さん、俺達に任せるつもりで飲んでたなチクショー」

「お説教が必要ですかね」

 

 こめかみに青筋を浮かべながら白音は居間へと続く扉を開いた。今にはラフな格好を着崩した黒髪の女性が、片手でビール缶を傾けながら居間に入ってきた2人に視線を向ける。

 

「おっかえりー、白音。それと一誠」

「お姉様、お仕事中でしたよね? どうしてお酒を開けてるんですか?」

「えー。今回の敵の実力は把握してるから一誠で充分だって判断したからにゃん。報告書は私が書いてあげるから、それでお相子にゃん?」

「もうちょっと領主代理としてしっかりして頂けないと、だいたいお姉様はだらしないんですよ。いいですか? この前だって……」

「あー、お説教は勘弁だにゃん。ほらほら、まぁ、良いから座った座った。一誠も今日は食べていくにゃん?」

「あー、じゃあ。それで。父さんと母さんに連絡してきます」

「うんうん。じゃ、さっと用意しちゃうから待ってるにゃん。白音、手伝ってね」

「……ご飯を用意していた事は評価しますが、仕事への態度、日常生活の改善に関しては後でゆっくりお話させて頂きますからね?」

「えー、白音はお堅すぎだにゃん」

「お姉様がふざけすぎなんです!」

 

 ぷんすか、と現すのが似合うようにぷりぷりと怒る白音に、黒歌は楽しそうに笑ってキッチンへと消えていく。その2人の姿を見て、一誠は相変わらず仲が良いと席につく。

 見慣れた天井を見上げる。塔城姉妹が住む家には頻繁にお邪魔している一誠にとって、ここは慣れ親しんだ場所でもある。黒歌と白音が料理を用意する中、一誠はぼんやりと呟いた。

 

「……あれからもう6年、か」

 

 6年という月日。それは、一誠にとって“人”として死に、“悪魔”の生が始まってから重ねた月日の長さだった。

 

 

 * * *

 

 

 一誠達が住む駒王町は、特異な街である。表では、密やかに都市伝説などの噂が囁かれ、そして裏では文字通り、特異点とも言うべき街である。

 裏、人外達が潜む世界を示す。そう、そんな人外達にとって駒王町は前述の通り、特異点と認識されているのだ。この街が特異点と呼ばれるようになった切っ掛けは、もう6年前になる事件が切っ掛けだった。

 

 ――“無限の龍神(ウロボロス・ドラゴン)”、オーフィスの出現。

 

 何の目的があってオーフィスがその街を訪れたのか。何を思ってその時、大規模なガス爆発事故として隠蔽処理しなければならない程の破壊を齎したのか。

 はっきりとわかっている者は少ない。文字通り、事実を知る者が少ないという事と、この事件の詳細を知ろうとすると、真実が深い闇の中に隠蔽されている為だ。

 故に事実として残るのは、オーフィスによって隠蔽も困難な事象が引き起こされたという爪痕だった。

 この事件を切っ掛けにオーフィスの目撃報告は多く確認されている。それも厄介な方向に事態を巻き起こしながら、だ。

 オーフィスは“蛇”をばらまいている。“蛇”とは、オーフィスの力によって作り出された“力の源”と言うべきものだ。それを与えられたものは莫大な力を得る。

 オーフィスが力を与えるのは、今の世界に不満を持つ者達だった。例えば、自分が所属する勢力のトップと方針が合わずにいた者。周囲によって虐げられ、理不尽な目に遭っている者。大凡、こういった者達がオーフィスと出会い、“蛇”を与えられているのだ。

 それによって何が起きたかと言えば、世界に存在するあらゆる勢力の内部抗争だった。オーフィスは特定の勢力に肩入れしない。対象も傾向こそはあれど、ほぼ無差別だと言っても良い。

 それによって一時期、世界は大混乱に見舞われた。勢力の中から離反し、独立しようとする勢力内闘争が各地で巻き起こり、世は乱れに乱れていった。今は大きな争いも少しずつ鎮火し、小競り合いになりつつはある。

 不幸中の幸いと言えるのが、これがほぼ同時期に各地の勢力で起きた為、余所の勢力の混乱に乗じてなどと言う真似が難しかった事だ。皮肉な話ではあるが、オーフィスが無差別だった為に起きた事であろう。

 今、世界は己の勢力を立て直す為、余所の勢力に関わる暇はないと言わんばかりに己の領域に引き籠もっている。それが裏の世界の実情であった。

 さて、話を駒王町へと戻すが。この街はオーフィスが最初に事件を起こした街として、謂わば忌避された街となっている。注目度は高いが、ここでオーフィスが何を思って暴れたのかがわからない為、近づこうとする者が少ない。

 だが、まったくも無視も出来ない。かといって、調査に向かった先で別勢力と争っている場合ではない。そうした各勢力の思惑によって、ここは全勢力の中立地帯となっており、様々な人外が跋扈する魔境と化していた。

 余談ではあるが、表に流れている都市伝説や噂は、これが火元であり、まったく根も葉もない話ではなかったりする。

 

「まぁ、そんなもんだから様々な人外の気に惹かれた知性のない低脳とかが暴れちゃうんだにゃあ」

 

 カシュッ、と小気味の良い音を立てながら黒歌が片手で新たにビール缶を開ける。その音に白音の頬がやや引きつったのを一誠は見逃さなかった。お酒が好きなのもあるだろうが、白音を挑発する意図でやっているのはいつもの事だ。

 黒歌は一誠にとっては、数多くいる姉貴分の1人だ。その対応も慣れたように、黒歌が作ったお酒のおつまみにも良し、ご飯のお供にも良しという食事のラインナップを楽しんでいた。

 余談だが。一誠は育ち盛り、そして黒歌と白音は健啖家。その為、この家で消費される食材の金額は山を積むかの如くかとなっている。下手に外食をするよりも自炊の方が安いと言われる程だ。それに外食に関しては、食べ放題は「塔城姉妹お断り」などの張り紙が貼られている店もある、と言えばお察し頂けるであろうか。

 さて、そんな食事の団欒を楽しんでいる3人の下にけたたましい程に連打されたチャイムの音が鳴り響く。そのチャイムの連打は、この場にいる3人には慣れた合図であり、黒歌は舌をぺろりと出して、白音はなんとも言えない表情で眉間を押さえ、一誠は苦笑を浮かべながら席を立つ。

 

「中に入れてきますね」

「はーい。白音ー、お酒の準備ー。後、隙を見てお泊まり部屋の用意ね」

「そっちは大丈夫です。はぁ、相変わらず大変ですね、あの人も」

「仕方ないにゃん。残った厄介事を押し付けられたもんだからにゃぁ」

 

 一誠が今から出て、玄関へと向かう。チャイムの音は未だに鳴り続けていて、苦笑を浮かべながら扉を開いた。

 僅かに開いた扉を勢いよくこじ開けるようにして中に入ってきたのは黒髪の女性だった。扉から一歩引くようにして下がった一誠は、苦笑を浮かべながらもその女性を迎え入れた。

 

「こんばんは、レイナーレさん」

「冗談、じゃ、ない、わよッ! また!? また出たの!? でもアンタがここにいるって事はもう片付けたのよね!?」

「お酒、用意してくれてますよ」

「飲むわ! あぁもう、どいつもこいつも私に面倒事を投げてー! ちくしょー!!」

 

 のしのし、と悪態を吐きながらリビングに入っていく女性、レイナーレの背中を見て一誠は溜息を吐く。

 幼少の頃からお世話になっている堕天使のお姉さんだが、今の立場はこの地の堕天使代表と言うべき立場だ。堕天使で動かせる幹部などが少ない中、元々ここに逗留していたレイナーレに白羽の矢が立ったのである。

 

「なぁーにが総督よ! 昔はあんなのに憧れてたのが馬鹿らしくなるわ! ブラック総督! 顎髭!  "閃光と(ブレイザー・シャイニング)暗黒の龍絶剣(・オア・ダークネス・ブレード)”!!」

「レイナーレさん、最後のだけはマジで不味い。先生がマジで傷つく奴だから、それ」

「ふんっ! アンタもいつまであんなオッサンを先生呼ばわりしてるのよ! あんなチャラいオッサンなんかー!!」

 

 うわーん! とお酒を一気飲みをした後に泣き崩れるレイナーレの姿に、3人が揃って「また始まった……」という顔を浮かべる。

 任命された当初は、アザゼルがレイナーレの肩を優しく叩いて、「お前にこの場所を任せた」と格好良く決め、憧れ補正によってなんとか踏ん張っていたレイナーレ。

 だが、レイナーレ1人でどうにかなる仕事ではない。それに各勢力との協力体勢も必須になり、更には上司、つまりアザゼルからの仕事も押し付けられる。

 堕天使の羽根の黒さもビックリなブラックな状況に叩き込まれたレイナーレは、こうして憧れを失い、やさぐれたOLのような姿を晒している訳である。

 

「あー……やだ、やだ、もう各勢力の代表会議になんて出たくない……戻りたい……気ままだったあの頃に……ぐすぐす……」

「大変だにゃぁ」

「なんであんたは同じ立場なのにそんな飄々してるのよ、ムキーッ!! 可愛らしい妹さんに優秀な弟分がいて楽が出来てるからって嫌味かこんちくしょーッ!! たまには一誠を私に貸しなさいよ!! 昔馴染みでしょ!!」

「いや、貸してるにゃん? “神滅具”の調査とか、そっちで」

「私の! 仕事に! 貸しなさいって! 言ってるのよ!!」

「いや、それも仕事にゃん?」

「ちーがーうーのー! あぁ! 分身したい! 手が足りないのよー! もう嫌ーっ!!」

 

 お酒! と叫ぶレイナーレに渋々と白音が新しいお酒を出す。そう、これが黒歌の飲酒量に口を出しながらも、塔城家からお酒の備蓄が絶やす事が出来ないのは半分、いや、8割ほどレイナーレの為であったりする。

 尚、彼女は自宅も勿論あるのだが、そっちは壊滅状態な有様となっていて、定期的に白音が片付けに行っているという有様である。そして何かあれば真っ先に馴染みが深い悪魔勢力である黒歌達に泣きついてくるので、半ば同居しているような状態である。

 

「……あぁ、そうだ。今度、朱乃がこっちに顔を出すと思うわ」

「っと、朱乃が?」

「そ。連絡が来てないのは本人にはまだ伝えてないんでしょうね。暇を出すタイミングを見計らってたみたいだし。イザイヤとトスカ、アーシアも来るでしょうね」

 

 レイナーレの口から馴染みが深い名前が出た事に一誠は反応する。そこで少し落ち着いた様子を見せたのは、仕事用のスイッチを押したのだろう。

 

「そっか。じゃあ、休日は空けておかないとな。朱乃達が来るって事は、“人工神器”の開発は一段落したって事かな」

「今のは、ね。それもあって休暇みたいな感じで暇を出されたんでしょ。あの子も休み知らずで研究や任務に没頭する事が多いし」

「朱乃さん、頑張ってますからね」

 

 白音が一つ頷いて口にする。過ごした時間は短く、今は駒王の地から離れている為にこうした機会に顔を合わせる事しかないけれども、朱乃が努力家だと言う事を知っている。

 一誠は昔馴染みに思いを馳せる。朱乃が駒王の地を離れたのは、本人の強い希望だった。アザゼルに頭を下げて、半ばゴリ押しで神器の研究に携わるようになった。

 その為、本人は駒王の地を離れ、今は研究に堕天使としての仕事、その両立で忙しなく飛び回っていると噂を聞いている。

 その過程で、神器を持つ故に不遇な環境にいた子や、それを利用しようとした計画を潰すなどの大胆な事もしている。その為か、“雷光の後継者”や“瞬雷の堕天使”などの異名も囁かれるようになっているという。

 イザイヤ、トスカ、アーシアの3人は朱乃によって救い出された神器使い達だ。朱乃によって救われた恩義から本人達の強い希望で朱乃の仕事を手伝っている。その過程で一誠達も顔を合わせ、連絡を取り合う事もある。

 

「“堕ちてきた者たち(ネフィリム)”だっけ。あそこに入ると滅多に出れないらしいから、なんか美味しい店でも連れていくか?」

「そうですね、幾つかピックアップしておきましょうか」

 

 食べ歩きが趣味な白音が頷き、むん、とポーズを取る。堕天使勢力で保護された神器使いは基本的に外に出れない事を知っている為だ。イザイヤ達は朱乃に同行するから外に出る事が許可されているだけであって、普段は堕天使達が用意している領域での生活が義務づけられてるという。

 それを知っているからこその一誠の気遣いだ。それに黒歌が柔らかく微笑み、レイナーレもどことなく柔らかな表情を浮かべる。その後、スイッチがオフになったのか、駄目なお姉さんな姿を晒していたが。

 

 * * *

 

 

「――という訳で。こっちはいつも通りと言えばいつも通り。白音も一誠も元気にやってるよ」

 

 酔い潰れたレイナーレをお泊まり部屋に叩き込み、家に帰る一誠を見送った後、黒歌は自室で通信を繋いでいた。

 その通信の先にいるのは、紅の髪を持つ少女だった。美しく育ちつつある少女は開花前の蕾を思わせる。体つきはぐっと少女らしくなり、元来持つ美貌を形にしつつある。

 そうして紅の髪の少女、リアス・グレモリーは柔らかく微笑み、安堵したように息を吐いた。

 

『そう、良かった。それに朱乃も駒王町に来るのね』

「日程が合わせられるなら、と思って連絡いれたけど。どうかにゃん?」

『そうね、なんとかしてみるわ。多分、合わせられる筈だし』

「そっちはどうにゃの? 冥界での学校生活は上手く行ってるにゃん?」

『正直そっちに帰りたいわ。貴方に仕事を代行させてしまってるしね』

「眷属として当然の務めにゃ。気にする事はないにゃ」

 

 自分の“主”であるリアスを気遣うように黒歌は告げて、どいつもこいつも抱え込みすぎだにゃん、と溜息を吐く。

 6年前のあの事件から、リアスは本格的に冥界へと帰還してしまった。その為、眷属として転生を果たし、悪魔となった黒歌がこうして駒王の地の悪魔代表代理として役目を務めているのが現状だ。

 リアスは現在、冥界で学校に通っている。人間界の時の学校とは勝手が違う為、苦労しているらしい。元々、悪魔の間ではリアスの異名は囁かれてた事もあって、扱いとしては腫れ物扱いだ、とはリアスの言である。

 そんな現状を知っているからこそ、昔馴染みが顔を合わせられそうなこのタイミングを知らせる為、通信を繋いだのは黒歌の気遣いである。

 

「……で、今回はあの子は説得できそうにゃ?」

『うーん、大分和らいでるとは思うけれど……まだ決心がつかないようなら見送るわ』

「そう……ま、私からも無理は言わないにゃん。朱乃が気にしてたから、会えればと思っただけにゃん」

『通信越しでは連絡は取り合ってはいるのだけど、駒王町に行くとなると、ね』

 

 どこか歯切れの悪いリアスの返答に黒歌も頷く。そう、あれから6年が経過した。様々なものが変わり、その中で多くの者が傷ついた事だろう。リアスだって、その中に含まれる。それもあって冥界に帰還した理由の一つである事を黒歌も知っている。

 だけど、自分達の中で“最も”傷ついただろう子に思いを馳せて、黒歌は背もたれに背を預けるようにしてぼやくように呟いた。

 

 

「……大丈夫なのかねぇ、ウチの『女王』は」

 

 

 

 * * *

 

 

 

 駒王町に存在する教会の一つ。ここは教会の戦士達が昔から変わらずに逗留する場所である。

 それ故、人が入れ替わっても、その思い出や記録を残す事がある。人の世は入れ替わり、立ち替わり。時の流れは寿命の長さによって変わる。人外の世に比べれば、人の世の変化はやはり早いものだろう。

 オーフィスの事件によって、ここに残った教会の戦士も数少なくなった。無視は出来ないが、この土地は人間がいるには過酷な場所である。

 それ故、この地に残った教会の戦士の中で最大戦力であり、今はトップの立場に据えられているその男、八重垣 正臣はかつての名残を噛みしめるようにして眺めていた。

 

「……6年、か」

 

 そっと、壊れ物を扱うように正臣は一つの写真立てを手に取った。そこには、かつての自分の恩師と昔馴染みの仲間達と撮った写真が挟まれている。

 そう、これが最後の写真なのだ。“彼女”がまだ、家族と共にあり、思い出として残せたものは。これ以降、その家族が共に写真に写る事はなくなった。

 

「……紫藤さん」

 

 この地から離れた恩師の名を正臣は呟く。哀愁を漂わせながらも、祈りを捧げる正臣の姿は教会の牧師として絵になるだろう。

 そこに秘められた想いは、恩師を思う心。6年前の事件を境に引き裂かれてしまった“親子”を思う。

 ガス爆発事故として処理され、隠蔽された事件。その犠牲者の中に1人の少女の名前が記されている。その少女が、この写真の中で笑っている。

 

 

 ――“紫藤イリナ”。

 

 

 これは、誰もが望まなかった一家の離散を迎えてしまい。表向きには死んだ事となり、人間としての居場所が失われた少女の名前である。

 

 

 

  

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