深紅のスイートピー   作:駄文書きの道化

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ACT.10

「……んー、ダメだ。さっぱり掴めん」

「難しいですか、やっぱり」

 

 一誠は悩ましげに眉を寄せながら呟く。その様子を見守っていた白音が溜息を吐く。

 『赤龍帝の籠手(ブースデッド・ギア)』を介さない魔力の操作に一誠は苦慮していた。普段、一誠が意識して魔力を使う事は希だ。無意識に自分の力を高める為に使う事はあっても、意識して自分の望むままの形にすると微妙な結果になってしまう。

 一誠の掌に野球ボールほどの球が浮かぶも、この魔力の弾を作るのにも集中力を消費してしまって、とてもではないけれど実戦などでは使えるようなものではない。ここに『赤龍帝の籠手(ブーステッド・ギア)』を使えばその限りではないと思いつつ。

 その横で白音が一瞬にして無数の魔力の弾を生み出す。お手本として見せてはいるものの、目で見てもよくわからない。白音の補佐を受けてもいまいちしっくり来ないというのが正直な所だった。

 

「でも無駄ではないですよ。最初は魔力を集めるのも無意識にやっていたのもあって、流れをコントロールするのも難儀していた頃に比べれば」

「普段、どれだけ俺が力任せだったのかわかったよ……」

「元々、一誠は『赤龍帝の籠手(ブースデッド・ギア)』でブーストさせた力をそのまま叩き付けてたようなものです。それでも並大抵の相手でしたら脅威です。出力だけで言えば上級悪魔に匹敵しますし」

「確かに力を底上げする修行はしてきたけど、その分コントロールや繊細な作業を疎かにしてたって事がわかったって事だよな」

『そうだな。相棒は『赤龍帝』として順調に成長をしてきたが、繊細という言葉が似合わんからな』

 

 会話に加わるように籠手こそ顕現する事はないものの、ドライグが会話に参加する。それに一誠は頷きながら、思いを新たにする。

 

「この先、力任せじゃ通じない相手も絶対出てくるだろうしな。身内で言えば白音だし」

「私は前衛タイプではないんですけど。一誠を相手にするなら絡め手を使うしかないですから。力で押し切られたらそれまでですが。だから今までの訓練が間違っていた訳ではないんですよ」

『コントロールを身につけるという事は、それだけ無駄を減らせるという事でもある。まだ『禁手(バランス・ブレイカー)』の持続時間が短い問題の解消にも繋がるだろう』

「そうだよなぁ……」

 

 今までは溢れ出す力をそのまま倍加させて斬り付けるだけで良かった。けれど、それだけで通じない相手はたくさんこの世界にはいる。

 今回の訓練で気付いたのは力を無駄に使いすぎているという欠点。今までも暴発しないように心がけていたけれども、そこから一歩先に進む必要があるのだと一誠は感じていた。

 

「一誠、少し休憩にしましょうか」

「あぁ、わかった」

 

 白音の提案に一誠も応じる。2人で木の陰に入って水分を補給をする。ずっと集中して力を練っていた為、疲労感が体中に巡っている。

 喉を潤す水分が染み入っていくのが熱の溜まった体に心地良い。隣では白音もちびちびと飲み物を飲んでいた。何気なしにその仕草が可愛いと一誠は思い、つい気持ちが和む。

 静かな時間だった。ここは人里離れた山奥の別荘。互いの気配と木々のざわめきや、時折聞こえる野鳥の声などが聞こえる位だ。リラックスするには良い場所だと一誠は思う。しかし、ふと胸中に不安が過る。

 

「……俺達、こんなのんびりしてて良いのかなぁ」

 

 決してサボっていたり、不真面目にしている訳ではないけれど。これも必要な修行だとはわかっていても、実感出来るものがどうにも薄い。それは達成感への不足に繋がってしまう。

 一誠がそんな事を思ったのは、自分と同じように修行を課せられているレイナーレの変化があったからだ。最初こそ死んだ目をして、声をかけてみても返事もどこか上の空。それが先日、劇的に変わったのだ。

 昔のレイナーレを一誠は知っている。尊大な態度な皮肉屋。自分がまだ人間だった頃、たかが人間だと見下されていた時の姿を思い出してしまう程だった。

 そんなレイナーレの態度は懐かしくもあり、しかし新鮮さを覚えるものだった。正確に言えば、昔に戻ったというより自分らしさを取り戻して変わったように思える。少なくとも一誠はレイナーレから見下されているとは感じてはいない。

 だけど好意的かと言われると首を傾げる。話しかければ応じてはくれるけれども、どこか壁を隔てたような距離感がある。落ち着いたと言えばそれだけの事なのかもしれないけど、その変化に一誠は戸惑っていた。

 今まで癇癪を起こして苦しんでいたレイナーレの姿を見てきた一誠にとっては安心出来る一方で、彼女が大きく前に進んだ事実を見せ付けられたようで焦りが心の中に浮かんでしまう。それ故のレイナーレへの戸惑い、自分への疑問に繋がってしまった。

 そんな一誠の呟きに白音は暫く黙っていたけれども、彼女もまた口を開く。

 

「……正直、私もです」

「白音も?」

「勿論、教えてる事が違うっていうのは頭でわかってるんです。でも、お姉様が修行しているレイナーレはどんどん前に進んでるのに、一誠に成果を感じさせてあげられなくて……ちょっと、自信が」

「白音は悪くないだろ。俺の覚えが悪いだけだし」

「でも、お姉様だったらもっと上手に教えられるんじゃないかって。そんな事をちょっと考えちゃうんです」

 

 空を見上げるように見つめながら白音が呟く。釣られるようにして一誠も空を見上げる。

 一誠と白音にとって黒歌は底が見えない相手だ。普段は巫山戯てだらしないが、本気になった時の強さは計り知れない。少なくともわかるのは『最強の女王』とされるグレイフィアと互角に戦える実力があるという事実だけ。

 それでもまだ底が見えない。黒歌が戦う所を見た時は稽古であり、黒歌は適当な所で上手く誤魔化すなどして煙に巻いてしまうのだから。だから一誠と白音も黒歌の本気を見た事がない。

 それ故に雲の上の存在と思ってしまうのも仕方が無い。白音が自分よりも黒歌の方が、と思ってしまうのもそんな事情がある故だ。一誠も似たようなものだ。普段は家族のような感覚に近いけれど、黒歌は意図的にそういった一面を隠しているように感じてしまう。

 

「……黒歌さん、器用だしな」

「お姉様は比べる事じゃないってよく言います。私と白音は違うって。勿論、分野や担当という意味ではその通りだと思うんですけど。でも、なんか悔しくて。勝てた試しがないな、って」

「白音は黒歌さんに勝ちたいのか?」

 

 一誠の問いかけに白音は目を瞬かせる。暫しぱちぱちと瞬きをしてから、膝を抱えるように体育座りになる。

 

「……そうですね。ずっと、あの背中を見てきましたから」

「そっか」

「追いつきたいです。いつも守ってくれてます。いつも大事にしてくれてます。今は私が前に出て色んな事をさせて貰えるようになりました。でも、どこかでいつも守られてるってわかるんです。それが嫌じゃなくて、ただ、なんとなく悔しくて」

「悔しい、か。お姉さんだもんな」

「リーア様は眷属は家族のようなものだって言ってくれます。私もそう思ってます。それでも血の繋がってる姉妹は姉様だけで、それはやっぱり私の中で特別で……だから、置いていかれたくないんです。もう守られるだけなのは嫌ですから」

 

 膝を抱えたまま、少しだけ照れくさそうに白音は言う。

 守られるだけなのは嫌だと。その気持ちは一誠もよくわかる。

 

「俺も昔、まだ人間だった頃、リーアに別に頑張らなくていいよって言われた事あってさ」

「そんな事言われたんですか?」

「あぁ。まだ俺が弱っちぃ頃の話だよ。レイナーレさんとの稽古で、まだ『赤龍帝の籠手(ブーステッド・ギア)』を出す事も出来てない頃だ。いっつも泥まみれになって、レイナーレさんに歯が立たなくて、そんな俺を見てリーアがそんな事を言ったんだっけな」

「確かにリーア様なら言いそうですね」

「守って貰える程、思って貰えるのは嬉しいんだけどさ。俺達だって、ただ子供じゃないんだぞ、って思って貰いたいっていうかさ」

「認められたいですか?」

「結局、そんな感じかな」

 

 よっ、と一誠は木に預けていた背中を離して立ち上がる。守られてるという事はわかる。大事にされてきた事も。たくさんの庇護を受けてきた。

 恩があるからとかじゃなくて。ただ、一人前として認められたくて。何の不安もなしに彼女達に笑って欲しい。そんな思いがあるだけだ。

 

「さぁ、続けようぜ。今度はもうちょっと上手く出来る所まで進みたいな」

「はい、頑張りましょう」

 

 

 * * *

 

 

 ふと、目が覚めた。時刻は夜。悪魔にとっては本来、活動するのに好ましい時間。

 修行を目的に来た合宿も気付けば折り返しを過ぎていた。その中で私はレイナーレ達と一誠達をそれぞれ面倒を見たりしているものの、自分が特に何か修行している訳でもなければ、家事をしている訳でもないのでつい時間を持て余してしまう。

 修行を手伝えればとは思ったりするものの、黒歌はレイナーレとの修行には私をあまり近づけさせたくないみたいだし、一誠達に教えられる事があるかと言われればない。

 誰かに何かを教えるという事、自分の持つ技術を誰かに伝授する事は私にとって非常に難しい事だ。改めて考えてみても、自分にそんな誇れるものはあっただろうかと考えてしまう。

 自分の力の感覚はなかなか他人と共有し辛い。言葉で説明しようにも難しい。世界の理を視る事が出来るアジュカ様さえも私に関してはよくわからんと匙を投げているから、仕方ないと言えばそうなのかもしれないけど。

 私の力はそういうものであるし、だからといって何か悪い事が起きる訳じゃないけれど。ただ、なんとなくそんな事を思う事がある。自分は誰かに何かを教えられるようなものがあっただろうか、なんて。

 そんな事を考えてしまっていたら、寝付けなくなってしまった。我ながら悩みすぎなのかもしれない。そんな訳で気晴らしに外に出て見ようと思って足を運ぶ。

 別荘の夜の空気は少しだけ肌寒い。夏とはいえ夜、燦々と輝く日の代わりに月と星が空を彩っている。今日は雲も無くて星の光が空にまぶしたように輝いていた。

 都会よりも空気が澄んでいると空が違うように見えるというのは誰が言った事だろうか。少しだけそんな気持ちを味わえたかもしれない。

 そのまま夜の散歩を続けていると、私以外にもう1人。月夜の下で佇む誰かを見つけた。その相手、レイナーレは私に気付いたようにして視線を向ける。

 

「レイナーレ? 起きてたの?」

「えぇ。ちょっと目が冴えて」

「明日も修行なのに余裕ね」

「最近は黒歌も最初みたいにハードな事はしなくはなったし、今はイリナとの稽古の時間が多いわ」

「イリナと?」

「イリナと私の力は相反してるものだから。……っと、詳しくは黒歌からまだ口止めされてたわね。一誠との勝負の時に種明かしするって算段だから」

「あぁ、そうなの。だから私が遠ざけられてるみたいに思っちゃったのかな」

「実際遠ざけてるわよ?」

「……レイナーレは率直ね」

 

 思わず苦笑が浮かぶ。レイナーレの隣に並ぶようにして空を見上げる。レイナーレは特に文句も言う事なく、空を見上げている。

 幼くなった彼女は私よりも背丈が低くなっている。それでも腕を組んで空を見上げる様は何故か様になっている。

 

「アンタ、よく笑うわね」

「え?」

「最近、私を見てはニコニコしてるわよ」

 

 ジト目でレイナーレに睨まれる。思わず自分の頬を触ってみるけれども自覚らしい自覚はない。

 あぁ、でも心当たりはある。本来、私が知る世界(れきし)では彼女は死ぬ運命にあった。自業自得だったけれども、その死は様々な影響を残した。

 だから記憶にも残る相手だった。そんな彼女とこうして星を見上げて、更には自分の眷属として悪魔にまで転生しているだなんておかしな話だと思う。

 

「何がそんなに嬉しいのか知らないけど、正直気持ち悪いわよ」

「……気に障ったなら謝るわよ」

「ん。そうじゃないけど、変な奴って思われるだけよ?」

「変な自覚はあるわよ」

「そうね」

 

 きっぱり言い切られて流石に苦笑が浮かんでしまう。レイナーレは相変わらずだと思ってしまう。それでも、こうして自然体でいられるのは良い変化なのだと思いたい。

 そんな事を考えていると頬を抓られた。レイナーレは呆れたような表情を浮かべていた。すぐにパッ、と離されるも痛みが少し頬に残った。思わず痛みを散らすように手で摩る。

 

「痛いよ……」

「抓ってるんだから当然でしょ。あのさ、そんな風に他人の為にしか笑えないのどうにかしなさいよ。見てて見苦しいわよ」

「……え?」

 

 他人の為にしか笑えない、って。レイナーレは突然、何を言うんだろうか。

 確かにレイナーレの事を考えながら笑ってはいるけれど、他人の為にしか笑えないって、そんな事は……そんな、事は。

 

「そんな事ないって言い切れないんじゃないの?」

「…………」

 

 ……ない、とは思う。でも言い切れない。もしかしたら、そうかもしれない。

 言葉に詰まる私にレイナーレが大袈裟に溜息を吐く。そのまま指を私の鼻に突きつけるようにさして言葉を続ける。

 

「勘違いしないでよ? 別に悪い事じゃないし、アンタがそれでいいなら良いんじゃない? アンタが自分以外の誰かを大好き悪魔なのは嫌という程にわかったし。ただ私は気に入らないってだけ。アンタ、自分の為に笑ってるの?」

 

 レイナーレからの問いかけに、前に似たような事を誰かに言われたような記憶がある。

 その心当たりが複数いるのだから、恐らく色んな人に言われてきたのだろうと思う。そう思えばますます苦笑が深まってしまう。そして返す答えだっていつも同じだ。

 

「私はいつだって自分の為に笑ってるよ」

「そんなに誰かが大事? 自分以外の誰かが。アンタ、自分の事をどこかで置き去りにしてない?」

「そんな事はないよ。これが私の望み、私の見たかった夢だよ」

 

 それだけは嘘じゃない。胸を張って言える事だ。自分で自分である事を続けようって決めたから。だから、これは私の見ている夢。私が見たかった夢。その先に向かって歩み続けるだけの、そんな夢なんだ。

 だから笑っていられる。これが望んでいる世界だと。辛い事はたくさんあるけれど、でもそれで膝を折る事は出来ない。そうなればこの夢は全て泡沫に消えてしまう。そんな気がするから。

 

「だったら認めてやりなさいよ、自分の事を」

「……認める? 自分を?」

「アンタ、自信なさ過ぎ。そういう性質(タチ)なのかもしれないけれど。アンタは誰かの命をちゃんと助けられてるんだから。それに胸張ってなさいよ、いちいち気にしすぎなのよ。見てて苛々するわよ」

「そんな風に見えるかな……」

 

 ……自信がないのは、うん。それは否定できないから苦笑が浮かぶ。本当にレイナーレの言葉は耳に痛い事ばかりだ。

 

「言わないって事が優しさじゃないんでしょ。かといって黒歌は素直じゃないし、あいつもあいつでどっか臆病だし。一誠達に至ってはアンタに甘いし」

「付き合いが長いからね。壊したくない関係だとは思ってる。だから言い切れない事も今までたくさんあったかな……」

「そういう所だって。アンタ、胸を張って言えないの? 彼奴等が大切だって、好きだって」

「そんな訳ないじゃない」

「だったら同じように大事にされてるアンタをアンタが誇らないで、誰かがアンタを誇った所で意味がないでしょ」

 

 ぶっきらぼうに告げられた言葉に空に向けていた視線をレイナーレへと向ける。

 本当に痛い言葉だと思う。凄く痛くて、泣いてしまいそうだ。

 

「泣きなさいよ、嫌なら嫌って言いなさいよ」

 

 そんな私を見透かしたようにレイナーレの言葉が胸に刺さる。顔に出てたかな、と思わず自分の頬を触ってみる。

 

「じゃないといつまでも、ずっとそうやって受け止め続ける事になるわよ。アンタ、私を眷属にしておいて野に放り出すつもりじゃないんでしょ?」

「そんな訳ないよ。私は、最後まで皆の面倒を見るよ」

「だったらアンタも見られなさいって話よ。本当に難儀な奴ね」

 

 溜息を吐かれた。向き合うようにレイナーレが体勢を変えて見上げてくる。私の方が背が高いから自然と見上げるような瞳は睨むような形になっている。

 けれど悪意はない。幾度となく、こんな鋭い目は見てきた。私を大切に思ってくれてる人が私に向けてくれる、私への憤りの目だ。私がどうしようもないって、そう思ってくれている時の。

 

「愛されてなさいよ。誰かを愛してはい終わりなら、じゃあアンタはいつ報われるのよ」

「報われてるよ、ずっと、今、この瞬間も」

「はん、どうだか。私はアンタの事、心底信用ならないわ」

「ごめんね、気に入らない主で」

「そうね。でも、良いわ。少なくとも“嫌い”って言える相手なのは楽だわ。アザゼル様とかには頭が上がらなかったもの。これからも、例え敵になってもこの苦手意識はついて回るのでしょうね。体は悪魔になっても、心までそうなったつもりはないもの」

 

 どこか自嘲するようにレイナーレは笑みを浮かべてから、そっと手を伸ばしてきた。レイナーレの手が私の頬に触れる。抓るのではなく撫でるようにして。

 

「アンタは私を私でいさせてくれる。まぁ、嫌だったら怒りなさい。私は咎められるまでは、アンタが嫌いな所は嫌いってハッキリ言っていくから」

「お手柔らかにして欲しいかなぁ……流石に耳に痛いわよ」

「そう。ちゃんと痛いってわかってるなら、痛いって言いなさい。……心配してるわよ、皆」

 

 痛い、痛い、かぁ。

 痛いって言えない訳じゃない。でも、それを言ってしまったら。

 思わず止めた言葉。でも、レイナーレが頬を撫でる。決して優しい手付きとは言えない。今にも抓り挙げてきそうで。

 あぁ、それは痛いだろう。痛いのは嫌だから言ってしまおう。目を閉じて、眉が下がるのを自分でも感じる。吐き出す言葉は本当に重いもので。

 

「うん。……だって、ずっと痛いからね」

「……そう」

「痛いよ、生きてるのが辛くなったりするぐらい。どうして、って思うぐらいに辛い。生まれたくなかった時だってあったわ。消えてしまいたい、なんて何度も思った」

「えぇ」

「……でも、それでも、まだ生きたい。それも本当なんだ」

 

 癒える事のない傷なんだろう。私が有り得た『歴史(せかい)』を知っているから。

 どんなに強くなろうとしても、傷が癒える事はないし、それを誇りだって思う事が出来ない。痛いものは痛くて、でも痛いって泣いてる暇なんかなくて。誰かに心配をかけたくもなくて、ただ笑っていて欲しいのに上手く行かない。

 決して綺麗な生き方じゃないとは思う。けど、それでも生きていたい。この世界で。痛くても、苦しくても、辛くても。私が変えてきた誰かが愛おしいと思うから。だから私は……。

 

「――なら大丈夫、アンタはちゃんと幸せよ。だから笑ってなさい。他人の為だけじゃなくて、自分の事を認めてやりなさいよ」

「…………レイナーレはなんだかんだで、優しいね」

「優しくしてくれた相手を嫌う奴がどうかしてるわ」

「私の事、嫌いって言うじゃない」

「“アンタの嫌な所”が嫌いで、心底気に入らないだけで。アンタ自身は嫌いじゃないわよ。だって救われちゃったんだもの。悔しいけど認めるしかないじゃない。私はアンタに生かされてるって。えぇ、依存するものがないと私、ダメだから」

 

 頬を撫でていた手を後頭部に回されて、レイナーレが額を押し付けてくる。少しだけ背を曲げるようにしてレイナーレと額を合わせる。レイナーレは瞳を閉じて言葉を続ける。

 

「アンタが死んだら私は次はもういらない。これが最後で良い」

「……レイナーレ」

「信じさせて。だから、最後までちゃんと笑ってなさい。笑って、幸せだって言って、私より長く生きて、私が救われたままいさせて。私はそれ以上はアンタに望まないから。私より先に死なないで、私の最後まで笑ってなさい。もうこれ以上、失望するなんてごめんだもの」

 

 ……あぁ、痛い。酷い痛みだ。胸が詰まるように、目の奧から涙が込み上げてくる。

 私は終われない。まだ終われない。生きていたいから。異なる歴史を知るからこそ、私が胸を張って終われなければ意味がない。だから走ってきた。ずっと、ずっと。そしてこれからもまだ走り続ける。

 皆が好き。大好きだ。自分の眷属も、家族も、友人も。全部が好きでいたくて。そんな皆が、私に終わって欲しくないって言ってくれるから。だから私も一緒に夢の続きを見たい。そう思ってる。今も、ずっと。

 だからレイナーレの夢も預からないといけない。それが、とても痛い。痛いんだよ、レイナーレ。だって私は貴方を看取らないといけない。貴方が心の底からそれを望んでいるなら。

 出来るならそれは遠い先だと良いと思う。本当は永遠に来て欲しくない。でも、はっきりとわかってしまう。私がいなくなれば彼女の先はないのだと。だって、私がいなくなった後の世界に彼女は未練がないと言うのだから。

 それはとても怖い事だ。それはとても悲しい事だ。……それなのに。認めてしまうのが怖いぐらいに、嬉しいと感じてしまう自分がいる。それを嬉しいと感じてはいけないというのに、どうしても止められない。

 

「一誠とイリナを死なせたくなくて、私も壊れる前にって大事なものを使っちゃうぐらい甘っちょろいアンタだから、多分私が死ぬなんて考えたくないんでしょ。でも先に言っておくわよ。私はアンタより長生きするつもりはないし、私は自分の命よりアンタの命を優先する」

「……それは、嫌だって言っても聞かないんだよね」

「えぇ。だってそれが“私”だもの。もう良いの。色々信じてみて、頑張ってみて、もう充分報われたわ。これからも楽しい事も、辛い事もいっぱい待ってるんでしょう。そんな未来をアンタが望むなら、自然と私もそこにるのでしょう。でも、私はアンタがいなくなった後の世界なんていらない。ここまで誰かを信奉するのは、これで最後」

「……酷いお願いだ。本当に、酷い」

「少なからずアンタを慕う奴は思ってるでしょう。アンタの為に死んでも良いって。でも、それを誰も望めない。アンタは大事にしてきた。アンタが大事にする奴等が大事にしているものが、ちゃんとその手の中に残るように。だから黒歌も、一誠も、イリナも、白音も、誰もアンタの為に死んではやれない。それを誰よりもアンタが望まないって知ってるから」

「レイナーレは、それでいいの?」

「分不相応な事は求めるのは懲りたの。いいじゃない。どうせ私はあの時、死んでいたと思えばそれも。幸せなまま死ねるんだったら、無意味な死よりずっと良い」

 

 額を離されて笑う。レイナーレらしい皮肉じみた、けれどそこに暗い色はない。それで良いと心の底から思っているのだとわかってしまう。

 良いのかな。確かに一誠達は私が仮に死んでも死ねない。守るものが他にある。だから大事にして欲しかった。その大事なものが守れるように。

 でも、レイナーレにはそれが私で良いって言う。それがどうしようもなく悲しくて、どうしようもなく嬉しくて、全部がぐちゃぐちゃになって弾けてしまいそうだった。

 

「私、レイナーレの唯一でいいの?」

「くどいわね、アンタも。第一、私は『兵士(ポーン)』でしょ? 精々王様の為に尽くして先に取られるのが道理ってものでしょう。いいのよ、夢は見れたから」

 

 そう言って力を抜くようにして笑うレイナーレに言葉を失う。あぁ、何を言ってもきっと覆る事はない。わかっていても、わかってしまうからこそ、もう何も言えない。

 レイナーレに手を伸ばして抱き締めてしまう。レイナーレは不服そうな声を挙げて、でも抵抗なく私の背中に手を回してくれた。

 

「これぐらい甘えればいいのよ、何遠慮してるんだか。誰かの大切になりたくない、って本当にビックリするぐらい怯えてるのね、貴方。あぁ、気に入らないのはそうでしょうね。だって私達、真逆だもの。同じぐらい弱い癖して、求め方が全然逆」

「……そうなのかもね」

「あぁ、本当私も堕ちる所まで堕ちたものだわ。悪い気はしないけれど。ようやく終わっても良い場所が見つかったわ」

「……ずるい。本当にずるい。レイナーレはずるいよ」

 

 嫌だ、って心が叫ぶのに。いつかはこの温もりを失うのだと約束されてしまった。レイナーレは絶対に譲らないってわかってしまう。

 私の為に死んでも良いって。そんなの許せないのに、そこまで思ってくれた事が……何よりも許しを得たように感じてしまう自分が嫌になりそうになる。

 あぁ、これじゃあ、まるで……。

 

「……“(まじな)い”よ」

「……“(のろ)い”だよ、馬鹿」

「同じでしょ。じゃあ、良いじゃない。どうせ私は真っ当な生き方なんて今更出来ないわよ。それが私だもの。夢は散々見たわ。だから、これでいい。私が見たい夢だもの」

 

 ……何も言えないまま、私は暫くレイナーレを抱き締めた。強く、離さないように。

 あまり強く抱き締めていると腹にパンチされたけれども。不意打ちの一撃に思わず悶絶して片膝を地に着いてしまう。思わず笑いが込み上げてきて、そのまま寝転がるようにして両手と両足を投げ出した。

 

「ねぇ、レイナーレ」

「何よ」

「私、本格的に死ねなくなっちゃったみたい」

「そう。ざまぁ見なさい」

「私の望みは叶えるのが難しくて、死んでも果たさなきゃいけないのに難しくなっちゃった」

「それが生きるって事でしょう。押し付けて、押し付けられて。それが嫌になったら死ねばいいのよ。満足したら終わっていいって諦めればいいのよ。生きて辛い事が続いていくのが怖いって言うなら、もう1人で死ねるなんて思わない事ね」

 

 あぁ、本当に。本当に笑ってしまう。何かを置いていって、全てが良くなって、消えてしまっていいなら。そんな事、何度も考えたけれどもこれからは出来ないらしい。

 

「とんだ拾いものだわ。まさか噛みつかれるなんて思わなかった」

「はん。後悔した?」

「不思議と、全然」

「あっそ。残念だわ」

 

 寝ころぶ私の隣にレイナーレが腰を下ろす。私は寝ころんだまま、レイナーレは隣に座ったまま、互いに暫く星を眺め続けていた。

 

  

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