コーネリアが去った後のグレモリー邸は後始末に追われていた。リアスはショックによるものか、意識あるものの反応を示す事ない。そのまま自室で休ませ、代わりにイリナが本家への連絡を取り繋ぐ。
リアスに次いで動けなくなっていたのは黒歌だった。リアスほどではないものの、声をかけても上の空で、その様子を見かねたレイナーレが白音を押し付けて自室に叩き込んできた。
イリナが冥界に連絡を取っている間にコーネリアによって荒らされた居間を片付けるのは一誠とレイナーレだ。ほとんどダメになった家具と、まだ無事なものを選り分けたり、砕けた破片を片付けたりなどだ。
その間、一誠とレイナーレは無言だった。いや、正確に言えば会話していなかった。レイナーレはぶつぶつと怨嗟のように恨み言を呟き続け、一誠は黙々と作業を続ける。
そんな沈黙の時間を破ったのは、レイナーレの方からだった。急に作業していた一誠の頭を叩いて、自分の方へと向かせる。突然頭を叩かれた一誠は驚きながらもレイナーレに抗議する。
「な、何するんですか!?」
「一誠、休みなさい。というか、私も休むから休みなさい。もうやってらんないわ」
溜息を吐いて、なんとかまだ使えそうなソファーに寝そべってレイナーレは項垂れる。そもそも2人で片付けきれる作業量ではないのだ。
一誠は主に気を紛らせる為に作業に集中出来ていたが、その集中力が途切れた瞬間に肩にのし掛かるような疲労感が襲いかかって来る。
レイナーレが寝そべるソファーを背もたれにするように一誠も座り込み、ズタボロになった天井を見上げる。その脳裏に思い浮かべるのはこの惨状を生み出した男の顔だった。
「……私、あぁいう男、大嫌い」
「え?」
ふと、レイナーレがぽつりと呟く。振り返るようにして一誠がレイナーレへと顔を向けると、レイナーレは忌ま忌ましさを隠さない表情を浮かべていた。
「……まぁ、好きにはなれませんね」
「それでもあいつは嫌えないのよ」
一誠の相槌にレイナーレが苦みを含んだ声で呟く。それに一誠は誰の事を指し示しているのか理解して、口を閉ざす。
そうして2人が沈黙を作り出すと、扉が開く音がした。扉を開いたのはイリナであり、そしてその傍にはグレイフィアが控えていた。驚きのあまり、一誠は勢いよく立ち上がる。
「グ、グレイフィアさん!?」
「事情はイリナさんから聞きました。サーゼクス様には既にグレモリー家から連絡を入れさせています。私は直接話を聞きに来たのですが……リアス様は、やはりダメですか」
「……今は自室で休ませていますが」
「気を落ち着かせるなら、黒歌か白音ですが……」
「今はあっちの2人もダメ、というか。黒歌がダメになってるわ」
ぐったりとレイナーレがソファーに身を投げながらぼんやりと返す。その返答を受けてグレイフィアは口元に手を当てて、暫し考え込むようにしてから顔を上げる。
「では、一誠さん、イリナさん」
「は、はい」
「なんでしょうか」
「貴方達はリアス様の所へ。会話が可能であれば、相槌を返して上げてください。今、リアス様にはそれが必要でしょうから。それは私より、貴方達の方が適任でしょう。レイナーレ、貴方は私に現状の報告を」
「だって。ほら、さっさと行きなさい」
しっしっ、と追い払うような仕草をしながらレイナーレが一誠とイリナを追いやる。2人は後ろ髪を引かれるように振り返りながらも、グレイフィアの指示の通りにリアスの自室へと向かっていく。
荒れた居間、そこでグレイフィアとレイナーレが残される。ソファーに寝そべっていたレイナーレは姿勢を正してグレイフィアと向き直る。
「恐らく相手は旧魔王派。ネビロス、って聞いた事あるわよね?」
「えぇ。私は元ルキフグスですから。ネビロスと同じく、かつてはルシファーに仕えていた番外の悪魔の生まれですので」
グレイフィアは目を閉じながら答える。その瞳の裏に感情の色を隠すかのように。少しだけ驚いたようにレイナーレは目を瞬かせて、次の瞬間には何事も無かったように頷く。
「……成る程。でも、コーネリアってのは完全にあっち側って訳じゃないわ。むしろ、どちらかと言えばこちら寄り。思惑を潰そうとしていると言う意味ではね」
「でも、味方とは言えないのですね?」
「敵よ、あれはリアスのね。それも、一番厄介な手合いよ。悪意がないもの。あと良心の呵責もない。だから目的の為の手段も選ばないわよ」
はっきりとレイナーレは断言する。コーネリアはリアスにとって致命的な相手だ。悪意がない敵。しかし戦う理由はある。だけど、そこに確固たる理屈や根拠がない。コーネリアは欲望だけで動いているのだから。
理解し合えない事。それが憎しみや恨みなら、まだ仕方ないとリアスは割り切れる。けれど、コーネリアは負の感情は持ち合わせていない。それどころかリアスを好意的に見ている伏すらある。
それでも彼は戦う事を望むだろう。その為に全てを捨てて。行いは間違いなく悪だ。けれどそこにリアスへの悪意はない。ただ己の望みを叶えたい、という純粋な欲望で向かってくる。
それはリアスにとって致命的な毒となり得る。夢現の体現、自身に向けられる感情を無視出来ないのがリアスなのだから。悪意や害意なら、まだ、と張り合える。悲鳴を上げるようにでも抵抗した筈だ。だけど、今回は悪意を叩き付けられるのとは事情が違う。
レイナーレの言葉からそこまで察したのか、グレイフィアは眉間を揉むように指を添えて溜息を吐き出す。
「……悪意がない、ね。それでも討ち果たさなければならない手合いですか。確かにそれはリーアにとって致命的ね……」
「良いの? オフにして」
「私とて疲れる時はあります」
「それは何より。私も気にしないから」
「少しは気にして欲しいのですが……」
再びソファーに寝転がるレイナーレにグレイフィアは目を細める。グレイフィアのお小言に対してレイナーレは背を向けるようにして姿勢を変える。
「私はもう誰にも縛られたくないの。貴方にだってね。リアスがそうしなさい、って言わない限りは知った事ではないわ」
「……この場にいれば言うと思いますが」
「いなければ意味がないのよ。そう、意味がないの。だから、今回はアイツを戦わせて良いのか迷ってるのよ。アイツはどれだけ落ち込んでも、泣いても、怒っても、最後には自分がやるって言い出すに決まってる。……それでいいのか、私にはわからないわよ」
レイナーレの呟きにグレイフィアも何も言わずに沈黙が流れる。
暫しの間を空けてグレイフィアは溜息を吐いて、レイナーレと同じように背を向ける。
「私は黒歌の様子を見てきますわ。あの子も、参っているでしょうし」
「私みたいに根っからのクズじゃないものね、アイツも」
「……その卑屈すぎる所を矯正したい所ではありますが、だからこその貴方なのでしょうね。レイナーレ」
「そうよ。だから私は気にせずさっさと行けば良いじゃない。身内以外の所ではしっかりしてれば良いんでしょ。アンタにだって指図は受けないわ」
「リアス様に告げ口しておきます」
「お好きにどうぞ」
ひらひらと手を振ってレイナーレはグレイフィアを見送る。最後にもう一度だけ、その背中を振り返ってからグレイフィアは黒歌の私室へと向かう。
自己嫌悪に陥ってるのはレイナーレも同じなのだろう。誰かを慰めたり、落ち着かせたりするのにレイナーレは向いていない事を自覚しているからこそ、何もしようとしない。
何もしたくない、と口にしながら、何も出来ない自分が口惜しくて自己嫌悪の連鎖に入る。難儀な性質だと、グレイフィアは吐息する。
(難儀と言えば、こちらもですが)
黒歌の自室の前へと来たグレイフィアはノックを二度する。中から聞こえてきたのは白音の声だった。
「誰?」
「私です、グレイフィアです。中に入りますよ」
返事を待つ前にグレイフィアは部屋の扉を開けた。黒歌の私室に入れば、ベッドの上に肩を並べるようにして座る姉妹の姿があった。黒歌は俯いたままで、白音は驚いたような表情を浮かべている。
2人の様子を伺いつつ、グレイフィアは改めて黒歌の私室を見る。普段の黒歌からは想像出来ない程に整頓されていて、家具という家具も少ない。本当に寝る為にあるような部屋だった。
その中でだからこそ、目を惹くものがある。たくさんの写真だった。写真立てや、コルクボードに写真が飾られている。その写真に写っているのは、彼女たちの日常の1ページだ。
これだけが、この部屋から感じ取れる黒歌の個性だ。無駄なものが何もない中にある、大切なものの象徴。
「グレイフィア様……」
「黒歌」
白音が不安げに声をかける中、応じる事はなくグレイフィアは黒歌へと声をかける。黒歌はゆるゆると顔を上げた。そこにはいつもの飄々とした様子も、まして険しい表情がある訳でもない。
怯え竦むような、そんな泣きそうな表情を浮かべていた。そんな黒歌の表情を見てから、グレイフィアは黒歌へと歩み寄り、その両頬を包むように触れる。
「……話は聞いたわ。辛かったわね」
「……ぁ」
「いいの。今は素の貴方でいいわ。ここには貴方の家族しかいないもの。リアスも、一誠も、イリナも、レイナーレもいないわ」
いいの、ともう一度告げながらグレイフィアは黒歌の背に手を回した。その体が小刻みに震えていた。縋るように黒歌がグレイフィアの背に手を回す。
普段からは想像がつかない程に、強く抱き締めれば折れてしまいそうで。今の黒歌はそれ程に弱々しかった。こんな黒歌を見たのはいつ振りだろうか、とグレイフィアは自問自答する。
「……すい、ません。ごめん、なさい、私、私が、また、リーアを」
「貴方がやった訳でも、貴方が悪い訳でもないわ」
「だって、また、私が、私の、せいで、また」
「怒らないわ、あの子は」
「傷つけ、ました」
「大丈夫よ。だから、泣いていいの。貴方は痛がっていいの、黒歌。自分の為に泣きなさい。誰も責めないのだから」
何度かリズムをつけて黒歌の背を叩く。手塩をかけて育てきた自慢の弟子のようなものだとグレイフィアは黒歌の事を思い、そして誇っている。だからこそ黒歌の事もよく知っている。
黒歌の内面には脆い所がある。彼女は身内の傷に耐えられない。見るのも、つけられるのも。普段は放任に見せ掛けて好きにさせているけれども、それは必要な事だといつも飲み込んでいる。
本当はいつもすぐに飛び出したい筈なのに。そういう所はリアスとそっくりだとグレイフィアは思う。だから、今回の事は堪えたのだろう。自分の両親の因縁が巡り巡って厄介な事になってしまった。
黒歌は身内を傷つける事を極端に恐れる。彼女がよく口にする、身内に『本気』を出せないのは彼女の弱さの裏返しでもある。受け止めてくれる保証がなければ、彼女はこうして泣く事も出来ない。
だからグレイフィアは自分が黒歌の所へ来る事を優先した。リアスがダメな以上、黒歌が心情を吐露出来る相手は限られるのだから。そして、今は黒歌に潰れて貰っては困ると。
「ぅ、ぁ、ぁああ、私、こんな、なんで、どう、して……!」
グレイフィアに縋り付くように力を込めながら、黒歌は苦しげに嗚咽を零す。本当に泣き方が下手な子だとグレイフィアは思う。いつだって全力で押し留めながら泣くのだ。泣きたくない、と。泣いてはいけないと、それでも零れ落ちるものを掬い取るように。
そんな姉の姿を見ていた白音も黒歌の背へと手を伸ばす。手の感触が増えた事で、白音がここにいる実感が沸いたのか。黒歌の嗚咽は大きくなり、全身を震わせるように泣き続けた。
……どれだけ泣いたのだろうか。すっかりと背中に爪痕が残されたと思いながら、泣き疲れて眠り果てた黒歌の頬を撫でる。泣く事に全力で抗いながら泣くものだから、一度吐き出させればいつもこうだった。
「……ありがとうございます、グレイフィア様」
「いいのよ。この子の泣き下手は今に始まった事じゃないわ」
「……そうでしたね。最近、見た事がなかったから忘れてました」
「この子が泣く時は、誰かを傷つけてしまうもの。その癖、1人では泣けない。……でも、今潰れてしまっては困るのよ。この子には立って貰わなきゃ」
「黒歌お姉様は、あの事を、リーア様を傷つけた事を気にしてるのですね」
遠い日の記憶。グレモリー家にやってきたばかりの頃の黒歌が起こした小さな事件。
無償で与えられる幸せに怯えて、その優しさに手を挙げた事。あれは白音にとっても記憶に残る事件だった。あれから黒歌は大きく変わり始めた。
でも、そこだけはあの時のままなのかもしれない。手が届かない姉、ずっと先にいるものだと思っていた姉が何故か振り向けばそこにいたような錯覚。まるで、あの時からずっと変わらずに。
「……ふふ、でも、良かったわ」
「? 良かった?」
「ここに白音がいても泣けたのは、貴方も認められるだけ強くなったのでしょう。縋れなくても、ここにいても大丈夫だと思えたからこそ貴方を傍に置いていた。弱みを見せたくない相手にはとことん見せないもの」
「……そう思って良いんでしょうか」
白音が手を伸ばして、黒歌の髪を撫でた。泣き腫らした痕が残る黒歌の顔を見て白音は表情を引き締める。
両親の事は、正直今まであまり聞かされていなかった。興味がなかったとも言える。気になった事はあるけれど、そこに思ったよりも思い入れがない事が自分でも驚く程だった。
両親へ感じる思いは、強いて挙げるなら呆れと怒りだ。両親の事を深く知らないからかもしれない。そして、至極どうでも良い。そんなどうでも良い自分の因縁が大切な者達を傷つけた。
「……少し、頭に来ました」
「貴方達は本当にバランスが取れてるわね。無茶をする子の為に、無茶をさせない貴方達がいる。一誠やイリナ、白音、貴方達はリーアや黒歌にとってかけがえのない存在だと思い知らされるわ」
「それは、私だって同じです。だから今回ばかりは少し怒ります」
「……私は黒歌の気持ち、少しだけわかるかもしれないわ」
「……?」
急な話題転換に白音が首を傾げる。グレイフィアは笑みを浮かべて、白音の頭を撫でる。
「私は元ルキフグス、旧ルシファーに仕えたネビロスと同じ家柄の生まれだもの。元々、旧魔王派の派閥なのよ、私」
「……そういえば、そうでしたね」
「えぇ。でも私はサーゼクスと出会えた。そしてサーゼクスとの未来に夢を見た。あの人を愛したの。だからかしらね、リーアとリーアの下に集ってくる方達を見ると懐かしくなる時があるわ」
かつて自分が救われたように、リアスもまた多くの者を救おうと手を伸ばしている。
そういう所はサーゼクスにそっくりだとグレイフィアは笑う。そして、黒歌は自分の弟子だからなのか、つい自分を当て嵌めてしまう。
「……普段と動きを変えれば相手に気付かれるでしょう。口惜しいですが、コーネリアの思惑に乗るのが良いでしょう」
「そうですね。ここで尻尾を捕まえます」
「トカゲの尾は切られるでしょうけれども、ね。そこから先は私達、大人の仕事よ」
未だリアスでは立つ事のない政治的な闘争。それは自分やサーゼクスを始めとした大人達が担うものだ。
本心で言えば、この戦いですら代われるなら代わりたいと思う気持ちはある。けれど、それは立場も許さなければ、この子達の将来にも影響するだろう、と。
「信じていますよ。白音」
「はい、お任せください」
だからこそ、信じると口にする。黒歌の手を握りながら、グレイフィアはぼんやりと天井へと視線を移す。
(リーアは、大丈夫かしらね)
* * *
意識ははっきりしている。けれど、その意識に応じて体が動く事がない。どこか夢現のまま部屋に叩き込まれて、ぼんやりとベッドの上で座りながら何をする訳でもなく時間を過ごしていた。
何かを考えなければならないと思いながらも、けれども何も形にならない。いっそ眠りについてしまえば、と思うもそれすらも出来ない。
ノックの音が聞こえた。視線を向けようとするのも億劫な内に部屋に入ってきたのは一誠とイリナだった。
「入るよ、リーア」
イリナの手にはティーセットが載せられていて、紅茶の香りが鼻を擽った。漸くそれらしい反応が出来た体に安堵しつつ、億劫ながらもイリナへと視線を向ける。ベッドに備え付けのテーブルにティーセットを載せて、私に紅茶を差し出してくるイリナ。
それを受け取って一口、紅茶を飲む。喉を通る感覚が体の実感を取り戻して、解きほぐしていくようだった。ほぅ、と息が零れた。気が抜けた瞬間、手が震えてカップが揺れそうになって慌ててソーサーへと戻す。
「だ、大丈夫?」
「大丈夫……いえ、まだちょっとかかるわね。ごめんなさい」
イリナへと一度、ティーカップとソーサーを手渡して手を握ったり開いたりする。その手はまだ震えている。力が入りきらないままで、握って震えを止めそうにも出来ない。
そんな手をイリナが握ってくれた。イリナの手が揉みほぐすように私の手に触れてくる。その感触が心地良くて目を閉じる。本当にありがたい限りだと思う。
「……あんまり無理すんなよ、リーア」
「えぇ。……今回は、ちょっと堪えたわ。でも前みたいにはならないから安心して」
「心当たりがありすぎて、本当に大丈夫なのか保証がないんだけどな」
「耳が痛い」
苦笑が出来た。少しずつではあるけれど、思考も体の実感も戻ってきた。状況は悪くない、と思う。まだ体が動くなら、頭が働くのであればどうとでも出来る。
「……聞いていいのか?」
「え?」
「……あの、コーネリアって奴の事」
一誠は視線を逸らしながら問いかけてくる。まぁ、そうなるわよね。気にならない方が嘘だもの。
少しだけ意識して呼吸を整える。……体も、思考もまだどこか鈍い。それでも意識だけははっきりと鮮明だ。この痛みには慣れている。自分を削り落としていくような痛み。後はそれを補填すれば良いだけ。
漸く息が整う。体と思考が一致していく。気付いてしまえば、後はいつものように笑えば良い。
「……あの人はね、私がここの領地を治める資格があるか、その審査の相手だったの。でも、審査といっても政治的な思惑もあってね。魔王派である私と、当時は大王派の代理戦争のようなものだったわ」
「それで戦ったのか」
「えぇ。私は夢があったから。だから早い内に駒王町の領主になりたかった。……その時よ、私が初めて誰かに向けて『龍身転生』を使ったのは。あの人を、誰かを倒してでも進みたい道があった。私はただ必死だった。だから、なんて言い訳にはしたくないけれど、それでもコーネリアがその後、どうなるのかなんて考えた事がなかった」
「それっていつ頃の話だ?」
「一誠と出会って、少し後かしら。私が幼稚園を出る少し前よ」
「……あぁ、あの頃のリーアは、うん。ちょっとおかしかったものね」
黙って聞いていたイリナも納得したように頷く。唇は尖らせるけれども、否定はしない。あの頃は私は確かに焦って、前に進む事に必死だった。それもシャルバの襲撃の一件で張り詰めた糸が切れてしまったのだけど。
そうして、少しだけ沈黙の時間が流れた。イリナが改めて紅茶を手渡してくれる。今度は手が震える事なく紅茶を喉に通す事が出来た。
「……戦うのか?」
一誠が私に問う。それは、コーネリアと戦うか、という問いなんだろう。
その問いに返す答えは決まっている。小さく頷いて、私は宣言する。
「えぇ、戦うわ。あの人は私が戦わなきゃ」
「辛いんじゃないのか」
「……えぇ、辛いわ。もしも、私が少しでもあの人に気にかけていたらこんな事にはならなかったかもしれない。そう思えば、私があの人に向き合う事がせめてもの――」
「そうやって背負って、さっきみたいになって、それをいつまでも続けるのか?」
私の言葉を遮るように一誠が言葉を重ねる。いつまで続ける、と。その問いに私は言葉を無くしてしまう。
いつまで、だろうか。一瞬、思考が止まって……けれど、答えはすぐに出た。
「きっと、いつまでもよ」
「……リーアは、馬鹿だ」
「かもしれない」
「かもしれない、じゃなくて、馬鹿なんだよ。償いとか言うつもりだったんだろ? おかしいだろ、確かにリーアが勝負に勝ったから、それは仕方ない事だったかもしれないけれど、全部救うなんて無理だってリーアがいつも言ってた事じゃないか」
「一誠……」
「どうして自分で言う癖に、自分では止めないんだよ。全部は救えないってわかってるのに、リーアは全部救おうとする。救えなかったものを自分が悪いんだって言って、いつもそうじゃないか。何から何まで背負い込んで、それが償いだって言うなら、それはいつ終わるんだよ? いつまでもって、それ本気で言ってるのか?」
「……イッセー」
イリナが少し驚いたように一誠を見ている。一誠の声には熱が篭もっていた。けれど、淡々とその感情を抑え込むように言葉を紡いでいた。だからこそ、重たい。
怒っているんだと思う。一誠が私に。背負って、続けて、繰り返して、挫けそうになって。傍目からどう思われるのか、それぐらいは想像出来てると思う。
間違っているのは、私だ。そうだ、全部は救えない。私は全てを救う事は出来ない。出来なかった。届かないものがいつだって手の上から零れていって、掴み損ねて失った。
「……俺、リーアがずっと未来に向かって、夢があって、前に進んでるんだと思ってた」
「……?」
「でも、実は違うのか? 失敗するのは仕方ないだろ、新しいものを作るのに失敗する事なんてあるのに、リーアは失敗したら駄目だって、そう思ってないか?」
「――――」
失敗したらいけない。その一言に虚を突かれた。新しいものを作ろうとするなら、失敗はつきものだ。新しい形を作ろうとしているんだから、それはそうだろう。最初から上手くいく筈がない。
でも、私は知ってしまっている。いつか辿り着いた世界を。問題は数多くあれど手を取り合えた未来を。それが私というイレギュラーで歪んでしまった事も。
失敗してはいけない。失敗しては、いけないんだ。ああ、その通りだ。私は失敗が怖い。存在が間違いだらけで、それでも今ここにいる以上、自分が自分であると決めた以上、より良い結果を求め続けなければならない。
失敗なんて、自分が許せない。うん、だから一誠の指摘は間違っていない。
「……私は、失敗してはいけないのよ」
「なんでだよ」
短く、鋭く、問いかけの声は耳に届く。なんで失敗を許せないのか。
私は正解を知っている。辿り着いた一つの結末を知っている。
同じ道を歩まないと決めた。私は私である為に。
だから、より良いものを。胸を張れるだけの成果を。
でなければ、ここにいる意味も、私が私である意味がない。
「リーアは、俺達が何か失敗しても、ちゃんと叱ってくれたじゃないか。なんで自分を叱らないんだよ」
「反省はしてるわ……」
「そうじゃねぇよ。……自分を許してやれないのかよ」
……行き着くのは、結局そこなのだろう。
この問いかけの行き着く争点は決まり切っている。だからこそ、私は口にする。
「――えぇ、許せないわ」
はっきりと口にした。私は私を赦すことはない。だから失敗をすれば、その失敗を許す事は出来ない。だから、せめて意味がなかった、無駄だったなんて思わないようにしたい。
絶対がないなんて事はわかってる。わかってても許す事が出来ないなら、全てに最善を尽くして、取り零さないようにって握りしめるしか出来ないから。
「勘違いしないで欲しいの。私はいつか、許せる自分になりたいから、そう生きていたいの」
「……なら、いつかは絶対に自分を許すんだな?」
「許せるかどうか、その、まだわからないけれど……」
「許す為にやらないんだったら、俺は止めろって言う。アイツとは俺が戦う」
はっきりと一誠は言葉にした。私と一誠の視線が絡み合う。一誠は真っ直ぐに私を見続けている。
一誠の言葉を受けて、目を閉じて考える。……曖昧にしてはいけない。だからこそ、返す言葉を選ぶ。
「いつか、必ず。私は私が許せる為に、その為に必要だと思った事を続ける」
「……わかった。だったら、お願いがある」
「……お願い?」
「その時は俺も一緒だ。俺がもういいんじゃないかって言うから。それに頷ける時まで、ずっと一緒だ。だから1人でやろうとしないでくれ。もっと、俺達にリーアが自分を許せるように手伝わせて欲しいんだ。それでいつか許せるようになったら、一緒に祝おう。生きてて良かったって」
手を取って握られる。一誠の言葉に、心が激しく軋んだ。それは痛みにとてもよく似ていて、けれど決して不愉快なものじゃなかった。
何度だって思い知らされる。繰り返すように、私の過ちに手を伸ばして、寄り添ってくれる。……許されても、良いんだろうか。
そんな私の内に浮かんだ弱音を見透かしたように、イリナも私の手を握る力を強める。2人に両手をしっかりと握られて、繋ぎ止められる。
「リーアが1人でやりたい、って言うなら邪魔はしない。でも、1人で抱え込むのはもうなしだ。リーアは絶対に自分を自分だけで許せないだろうし」
「同感。……もっと頼って欲しいな。こうして、話して、笑って、許し合って、一緒に取り戻すの。だって、私達は貴方の眷属で、友達なんだから」
2人の言葉に温かなものが広がっていく。同じぐらいに、切なくもなる。
いつか辿り着く。必ず、絶対。その道が険しくても、満足出来る解答を。
答えは最初からあった。それしかなかった。それでも選ぶのは苦しかった。
私は、あの人を、コーネリア・フォカロルを殺すのだろう。
なら、どうかせめて。彼との戦いを通して得る事が出来る意味があると願う事しかできない。
私は、まだ死ねない。止まれない。終われない。だから、例え何が立ち塞がろうとも、その果てにこの心がどこまで軋んだのだとしても。今は、前へ。前へと、進んでいくしか出来ないから。