世界において聖と邪は相反し、しかし限りなく近しく存在するものだ。
周囲を呪いが歪めていく。怨嗟の焔が景色を焼け焦がしていく。憎悪の気があらゆるものをねじ曲げていく。それは比和にして相克、同質の気がぶつかる事によって生まれる地獄、そして互いを討ち滅ぼそうとする力と力の競り合い。
『仙龍変化・覇黒』。リアスの血によって仙術のデメリットを回避した黒歌が敢えて邪気を積極的に取り込み、力を爆発的に上昇させる戦闘形態だ。それは呪いに等しく、それは有様は悪魔如し。
触れゆく者を蝕もう、阻む者は全て崩れ果てれば良い。それは災禍の権化、ある意味で言えば黒歌の力はシャルバと同質のものと言っても過言ではなかった。
「ガァァアッ!? 邪魔ヲ、スルナァ!!」
憎悪に打ち震えたシャルバが吠える。力は同質、その出力は或いはシャルバの方が上かもしれない。
黒歌はそれを冷ややかな目で見据えた後、力の流れを受け流すようにして体勢を変える。その手に纏うのは黒い、陰気を含んだ炎。白音が扱う浄化の炎とは真逆の性質。不浄を以てして相手を焼き払う怨嗟の焔。
「魂ごと燃え果てろ」
「オァァアアアアアアアアアアアアアッッ!?」
白音の浄化の炎が対象の気に反応して燃え続けるのに対して、これは黒歌が望んだ分だけ相手を焼き払う。燃えろ、燃えろ、燃えろ、と黒歌は心中で願う。
全て燃えれば良い。邪魔なものはすべて。その為に罪を背負う事など躊躇いはしない。
「私がこの姿を見せたら、死ぬか、殺すしかないんだよ」
これは黒歌にとっての必殺、そして誓いだ。罪を被るのだとしても、いつか求められるだろうと予感していた力。万難を排し、あらゆる者を駆逐する。それが例え神であろうと呪い尽くすと、黒歌は牙を剥く。
清らかに生きようとする守るべき者達がいる。その子達が正しく、真っ直ぐ、平和に生きられれば良い。それが黒歌のたった一つの望みだ。
例え、そこに自分がいなくても。魂が灼ける、意識が爛れる、存在が崩れそうになる。黒焔は自分自身をも灼こうとするように内部で疼き回る。それを気を取り込んで一気に押さえ込む。
愛深ければ、転じた時に憎しみは深く。この憎しみは愛あるからこそ。忘れるなかれ、と黒歌は言い聞かせる。どんなに自分が戻れぬ場所まで行こうとも、必ず思い出せるように。心の中心に楔を突き立てる。
「何故ダ……私ハ……正当ノ……私ハ……私ハ、私ハァァアアアアッ!!」
「シャルバ・ベルゼブブだっけ。アンタ、強いよ。多分、ずっと。でも、意味も意義もない力なんていずれ潰えるだけにゃ」
自分も一歩間違えればそちら側だと黒歌は思う。踏み外せば一瞬にして災禍を撒き散らす外道へと落ち行く。……構わない、とは言う。でも、今はまだだ。
まだ、守るべき者がこの背中にいる。自分以外が対処するには些か、災厄の度合いが過ぎる。誰かが傷を負うだろう。もしかしたら死ぬ者がいてもおかしくない。
火種が注がれる。熱く燃え上がる負の感情、想像だけで息が苦しくなる。全てを破壊し尽くして、消し去りたくなる。その一歩手前で黒歌は踏み止まり続ける。
この身は『
「あ、ぁぁああああッ!!」
吠える。心の底から感情を引き出すように。黒焔は黒歌に纏わり付き、四肢に留まって揺らめく。爪で引き裂けば灼き腐らせよう。殴打すれば触れた面から灼き溶かそう。全て、全て、この煉獄に等しい焔の中で燃え果てれば良い。
怨嗟と怨嗟がぶつかり合う。頭の隅で、ふと黒歌は考える。幾ら結界内だったとしても後で白音に浄化して貰わないと不味いなぁ、と。そんな思考が出来る自分に口の端を緩めて、黒歌は眼前のシャルバへと蹴りを叩き込んだ。
* * *
空が青い。
日の光は悪魔にとって身を縛る枷でしかない。忌まわしい日の光、されどこの空は美しい。
コーネリアは宙に留まりながら待っていた。ここに転移して、空を眺め続けてどれだけ経ったか。それは一瞬のようにも思えたし、長年待ち続けたような瞬間だったかもしれない。
風に靡くストロベリーブロンドの髪、七色の光を収めたプリズムの金色の瞳。雄々しい竜の翼と尾。そこに彼女が立っている。コーネリアが求め続けた、リアス・グレモリーの姿が。
「……コーネリア」
どう話を切り出せば良いのか、そんな様を見せるリアスにコーネリアは笑った。
自然と笑えた。ごく当たり前のように、そんな感情を胸に浮かぶ。しかし、その反応は知る者からすれば、やはり狂っているとかしか思えないだろう。
街では怒号と爆発音が止まらない。コーネリアの策によって誰もが戦っている。突然吹き荒れた嵐のように、全てを巻き込んで。そんな男が最優先の目標を前にして、まるで親しげに笑いかけるなどと、果たしてそれは正常と言えるのか。
「私の仕掛けた策は、どうでしたか」
「……最悪ね」
「それは私にとっての最善です」
「満足しましたか?」
「いえ。私にとっては過程の、感慨も浮かばない通過点にしか過ぎません」
「……皮肉ね」
「そんなつもりはないのですけれどね」
痛ましげに眉を潜めるリアスにコーネリアは笑みを深める。浪々と、楽しげに語るようにコーネリアの口が開き始める。
「私はただ見たかった。それだけだった。貴方ならこうするだろう、という過程を。貴方は世界を優しくしようと努めた。悪魔のみならず、堕天使や天使、それどころか数多の種族、勢力とも調和を図ろうとしていた。ああ、これはあくまで私の個人的見解という奴です。他の誰に語る訳でもない、今口にする私の本心でございます」
「……それを知りながら、その全てを崩そうとしたのですか」
「それが通過点ですから。かつて、貴方が私にそうしたように。結果を得る為には、結果を得る為の代価が必要です。それが才能であれ、研鑽であれ、何であれ。私達は常に何かを消費しながら生きている」
コーネリアの言葉にリアスが苦虫を噛み潰したように表情を崩す。拳が握りしめられ、小さく震えている。
「……そんなに、私から奪いたいの?」
「そうですね。全力で、貴方の全てを」
「それは憎しみじゃないの」
「かつてはそうだったかもしれません。でも、今は貴方に思う所などありません。むしろ、よくぞここに来てくれたと思うばかりです」
「……喜んでいるのね。ただ、望みが叶ったから」
「はい。……はい、あぁ、そう、ですね」
リアスの指摘にコーネリアは一つ頷いて、噛みしめるようにもう一度頷く。
「……叶うのですね。願えば、進めば、せめて一つぐらいは」
「…………」
「ならば、歩みを進めましょう。得る事が出来るなら、私は進み続ける事が出来る。その証明は為された」
「この先に、何を望むの?」
「ただ、流れる水のように、駆け抜ける風のように。コーネリア・フォカロルとして生きたい。その時間がどんなに一瞬でも構わないのです。何も得られぬ半生でした。掴むべきものを掴めずに終わるには、あまりにも少し寂しすぎる。ならば、私が届かなかった頂きをもう一度、目指したかった。――貴方と、殺し合いたかった」
ただ、それだけなのです。コーネリアが静かに締め括る。
ここまで重ねてきた策謀も、研鑽も、苦痛も、挫折も。何も感じる事はない。
ただ全てをこの一瞬の為に。リアス・グレモリーという、自身の決定的な破綻を示した強者と戦いたい。
背にする青空のように、晴れ渡るほどの清々しさでコーネリアは笑った。
――……みしり、と。何かに亀裂が入った音がした。
* * *
……何も、言えなかった。
言葉にならなかった。言葉にする事が出来なかった。その言えないものが最後のピースとなって私を埋めてしまった。
ここまでコーネリアが歩んだ道を私は知らないし、彼も必要以上に語る事はしない。それは私達の間には不要だと、彼はそう考えているから。
彼はただ望む。そこに憎しみも、恨みも、何もない。何もないから、ただどこまでも澄み切ってる。誰にも理解されない感情で、ただ彼はここに立っている。
「……貴方は、強くなりたい訳じゃなかった」
「はい、そうですね。私は、ただ上を目指したかっただけです」
「力は手段でしかなくて、貴方が、貴方が真に望んだものは……――自由である事」
私が口にした言葉に、コーネリアが目を瞬かせて、そして心底嬉しそうに笑った。
自由になりたい。家のしがらみも、何もかも捨てて、ただ無邪気に望むままに。
あぁ、それは。……それは、何よりも許して良いものではない。
これは怒りではない。憎しみでもない。ただ、私という存在がそれを許してならないと全身で拒んでいる。
「ダメだ。貴方はここで滅ぼす」
「はい」
「貴方は全てを捨てた。生まれ持った全てを、しがらみを、ただ一つの願いのために切り捨てた」
「はい」
「自由でありたい。そこに生きるも死ぬのもない。ただ、ただ……自分が望むようにあれば良いと。そこに何も感じない。感じなくなってしまった。だから、貴方は生かしておけない。貴方の自由は数多を傷つける」
――自由になりたかった、なんて。
ただ、それだけなんだ。失わせる要因はあった。それを奪ったのは間違いなく自分で、でも同時に彼もそれを拾おうとする事はなかった。
枷がない。何者も彼を縛る事は出来ない。生死の取引さえ意味もない。死すれども、ただ自由であれれば、その結果が無意味な死でも価値があるとコーネリアは願っている。
その心に触れた。触れてしまったからこそ、私の目に涙が浮かんだ。流れ落ちる前に拭い去る。泣いてる暇なんかない。
――それを、どれだけ捨て去りたかった私の前で、自由を謳うのか。
このしがらみを、このもどかしさを、この理不尽を。それでもと願い続ける私に。
ただ自由でありたいと、全てを無意味に掻き乱したこの男を。私は、絶対に許す事が出来ない。
逆恨みだと言うなら逆恨みだと笑えば良い。それでも、これは私の絶対に譲れない一線だった。
「私は、生きてるし。皆も、生きてる。願いがぶつかる事だってある。皆、夢を見るものがあるから。それは仕方ない。けど、仕方ないからって私にだって譲れないものくらいある」
「えぇ、知っていますとも。見えますか? 貴方達の愛おしいと感じる全てに牙を向ける異形の者共が! そして、その全てを為したこの私が!!」
「えぇ、認めましょう。貴方はここにいる。私が滅ぼさなければならない敵として」
怒りではない。――これは、拒絶だ。
この願いは叶えてはいけない。この望みを望ませてはいけない。
夢を願い、望み叶え、生きとし生ける全てにある権利を、私は私の意志で潰す事を決めた。
そこに正当性はない。たって、巡り巡ったとは言え、それは私が招いたもの。
私が受け止めるべきものだ。その上で、私はコーネリアの願いを否定する。
一体何の権利がある? 私の中で、私が問う。権利なんかない。ただ、そうだ。
――そうしたい。それが、私の選んだ『
「塵も残ると思うな」
「それは勇ましい」
「消えなさい、コーネリア。貴方は私の世界には要らない」
心を引き裂く痛みはある。他者を切り捨てなければならない傲慢さには反吐が出る。
だけど、それがどうした。私の望みを邪魔した。自分がどうか、なんてもうどうでも良い。
正しさなんて競えない。どれだけわかり合おうとも、どこまでも相容れない。
私の『
その私の宣言にコーネリアは表情を崩して笑った。あぁ、今ならはっきり言える。
その顔は不愉快だ、と。
「我が目覚めは、泡沫の夢」
許せない。
「泡と散りて消えゆくは我が理想」
だから。
「しかし、故にこそ。この世に希なる願いを為し、罪の茨を纏おう」
これが、罪でも良い。
「其れは無形、この身は夢現。有り得ざるを有るとし、有り得るを無と化す」
どんなに矛盾してても。
「恐れよ、畏れよ。この身は龍なれば、神をも憚る禁忌となりて」
これが、私の譲れないものだ。
「あらゆる矛盾を許容し、我が悪徳をここに成し遂げよう」
ねぇ、グレートレッド。聞こえてる? 聞こえてるよね。聞いて欲しいんだ。
「我が誓いを聞け。我が身は、世界を侵すものなり!」
――力を、下さい。私が、私である為に。私が、思うだけ。ありったけの全てを。
――滅びを望むか、我が夢。
――うん。あれは悪夢だ。私が、滅ぼしたいものだ。
――あぁ、望んだな。ならば。
「『
――望むだけ、進めば良い。我が許そう。我が夢よ。
美しい、と。コーネリアは心中で零す。その姿はかつての姿よりも洗練された姿だった。真っ直ぐ伸びた竜の角に、拗くれた羊のような角を備えている。背に広がる竜翼に加えて悪魔の翼を広げた姿。
絵に描いたような悪魔の姿がそこにある。コーネリアは昂ぶるように腹の底から笑い声を上げた。リアスの表情はぴくりとも動かない。……その瞳から涙が零れ落ちた。
「その涙は憐れみですか? それとも悲しみですか? その涙は何なのですか、リアス・グレモリー!」
「……この涙は血にも等しいわ。憐れみであり、悲しみであり、虚しさであり、痛みでもある。でも、泣いたままでいい。もう傷を隠す事なんてない。誰かに見せて恥じる涙などあるもんか。私はもう泣く事を恐れないから」
涙は止まらずとも、リアスは構えを取る。その手に収束していくのは魔力だ。紅に黒が入り交じったような魔力の塊、それが周囲を削り取るように低く唸りを上げる。
きっと悲しいし、痛いし、苦しい。でも同じぐらいに許せないから、消し去るしかない。ただ自分の為に、自分が望む為に。完膚なきまでこの男を消滅させる。
「コーネリア。貴方に明日はないわ」
「えぇ、えぇ! とうの昔に、そんなもの!!」
「そうね。私が奪ったものよ。――奪われたまま、跡形もなく消してあげる」
リアスの宣言に、やはりコーネリアは笑う。やがてその笑いは狂い笑うように変わっていき、コーネリアもまた周囲の風を渦巻くようにして集めていく。
消滅と自由の象徴が、互いに爆ぜるようにして闘争を始める。世界を震わせながら、どうしようもない擦れ違いのままで向かい合うように。
* * *
リアスの戦いが始まった瞬間、その始まりと同時に反応をする者達がいた。
「……リーア?」
本陣で物資の仕分けをしていたイリナが。
アーシアから治療を受けていた白音が。
我先にと戦場を駆け抜けていた一誠が。
逃げ回りながら本陣を目指していたレイナーレが。
リアスに繋がる誰もが、一瞬だけ何かを受け取ったように顔を上げた。
そして、もう1人。
「――――」
その場所は、地獄だった。呪いによって全てが爛れている。融解さえしている。焔の残り火がぱちぱちと焼ける音を響かせていた。
黒歌は血まみれだった。同じぐらいシャルバも血まみれだ。互いの血に、返り血に。泥沼のように戦い続けていた。そんな最中、黒歌もまたその反応を感じていた。
「あぁ、――」
息を吐く。震えるような息に、黒歌は毛が逆立ちそうな程の感情に揺さぶられていた。
目覚めたのだ。自分達の王が。微睡みの夢のように揺蕩っていた彼女が。幸せに目を伏せるように笑っていた彼女が。
「あぁ、あぁぁああああああああ――ッ!!」
痛い、痛い、痛い、痛い。
辛い、辛い、辛い、辛い。
悲しい、悲しい、悲しい、悲しい。
そんな思いが伝播する。眷属としての繋がりか、或いはリアスの眷属である故の繋がりか。
隠さないままに伝わる彼女の痛み、彼女の願い、彼女の気持ち。それが染み入るように黒歌の中に広がっていく。
「アンタは、眠っていて良かったんだ。あぁ、だって目を開いたら、アンタは痛いってずっと泣くから。こんなの見たくなかったって嘆くに決まってたんだから」
彼女は夢そのものだ。夢幻に繋がるからこそ、その器であるからこそ、眠るように幸せに浸っていたかった。その為に彼女は夢を守り続けてきたのに。
起きてしまった。自分で起きるという事を覚えてしまった。それはきっと黒歌が待ち望んでいたもので、でも来なければ良かったと今、痛烈に後悔しそうな程に。
「なんであの子が泣かなきゃいけない。生まれただけで、背負わされただけで、それを背負おうとして生きて。あの子は生きようとしているだけで、どうしてこんなに苦しくなるの? 幸せになって、って言ってる裏でこんな痛みを味わってるのが、私は気に食わないッ!!」
手を差しのばされた、あの感触を今でも覚えている。生きていれば苦しくなる事だってある。幸せになって欲しい相手だって勿論いる。
リアスは、それが途方もなく大きくて。そんなもの、1人で背負えなんかしないのに。今までだって、向き合おうとして、その痛みに何度も目を瞑って忌避していたのに。
踏み越えた。その実感が伝播する。もう彼女は涙を見せる事を躊躇わない。それは歓迎する事なのに、あまりにも痛い。痛すぎて、心が掻き乱される。
「あぁ、ようやくだ。この時をずっと待ってたのに……! 何も、やっぱり嬉しくなんかないなぁ!! ここからなのに、全然嬉しくないなぁ!! ねぇ、なんでだ、なんでか言ってみろぉ!!」
目の前の意志を喪失した獣ごときシャルバに叫んでも意味はないと知りながら黒歌は叫ぶ。黒焔が膨れあがる、熱く、激しく、酸素を取り入れた焔のように。
シャルバが一瞬、本能で後退るほどの火力を纏いながら、黒歌は黒焔の塊となってシャルバへと拳を叩き付けた。
* * *
「し、白音ちゃん!? まだ動いちゃ駄目だよ」
「離してください。休んでられる場合じゃなくなりましたので」
治療を受けていた白音が制止しようとするアーシアを振り解こうとする。リアスが泣いている、辛いと隠さずに伝えてくれた。その心の伝播に疲労など吹っ飛んでいた。
これがリアスの胸の内に巣くっていたものなら、これを祓うのが自分の役割。こんな所で寝ている場合ではないと、白音は外に出て行こうとする。
「待ちなさい、白音」
「……イリナ」
そんな白音を押し留めたのはイリナだった。白音の肩を掴むイリナは険しい表情で首を左右に振る。
「なんで、止めるんですか」
「貴方はここに残りなさい。ここを守るのも必要な仕事よ。消耗したままで前線に行かせられる訳ないでしょ」
「もう回復しました」
「まぁ、それも嘘じゃないと思うけど。私も受け取ったからさ。でも、ならこれは『
「イリナ!」
「必要な物資の調達は大凡済んだし、アレを受け取った以上、私も黙ってられない。貴方も分まで引き受けるから、貴方はここを守る仕事を引き受けて欲しい。ダメかしら?」
「…………ズルいです」
「後で奢るわ。好きなだけ皆で何か食べに行きましょう。あの馬鹿が笑って、また微睡んでいたくなるぐらいに」
戸惑うアーシアを置き去りに、2人だけで会話を交わすイリナと白音。白音が睨むようにイリナを見ていたけれども、諦めたように肩を落とした。
そんな白音の頭を撫でて、イリナは改めてアーシアへと視線を向ける。
「ごめんなさい、アーシア。改めて白音をよろしく」
「は、はい。……イリナさんも、お気を付けて」
「大丈夫。……私は大丈夫よ」
少なくとも、私よりもずっと大丈夫じゃない奴が今も戦ってるから。イリナはそう思い、苦笑を浮かべた。
だから白音が飛び出したくなったのだってわかる。それでも止めなければならない。それが『女王』としてすべき事だと。
改めて自分が前に出る事を伝える為、イリナは作戦室にいるだろうソーナの元へと駆け出した。未だ胸を焼くような感情の高ぶりを感じながらも。
* * *
「――うっざ」
逃げ惑うように本陣へと向かっていたレイナーレは、ふとそんな呟きと共に足を止めた。
そして無造作とも言うような動作で『
その様に、今まで逃げ惑っていた獲物が思わぬ反撃をしたのか一団が足を止める。苛立ちを隠す事もなくレイナーレは槍の石突きを地に立てる。
「……人の心の中に入ってくるんじゃないわよ。うるさいわね。わかってんのよ、アンタがそうやって苦しんでるの」
煩わしいのは嫌いだ。なら、さっさと終わらせよう。この悲しみも、嘆きも、この事態も、何もかもが煩わしい。こんな所で死のうとも思えなければ、かといって逃げ惑うのも馬鹿らしくなってきた。
あぁ、本当に嫌になる、とレイナーレは心中で吐き捨てる。自分の中で何かが荒れ狂うようにして叫んでいる。まるで、その衝動に浮かされているようだった。こんなの柄でも何でも無いって言うのに。
「あぁ、頭にきた。――かかってきなさいよ、私の鬱憤晴らしに付き合え」
心に入り込んで来る感情に共感してしまう自分がいる。今更、そんなものに共感した所で何も変わらないし、変えられない自分だ。堪らなく消えたくなる。だけど、こんなもので消えてやるのが心底気に入らなかった。
「ここは私の死に場所でもなければ、アイツが眠れる場所でもないのよ。なら、いいから黙って消えなさいよ」
その存在を拒絶する。構えなおした槍が空気の存在すら拒絶するように低く唸り声を上げる。突然の反応の転換に追いつけずにいた異形は、本能のままにレイナーレへと牙を向ける。
それに臆する事無く、レイナーレは『
* * *
「おぉ、ォォオオオァアァアアアアッ!! 邪魔、だぁッ!!」
力が湧き上がる。どうしようもなく、一誠の中で熱いものが広がっていくのを感じる。その勢いのまま、異形の首を飛ばす。これで何体目かもわからないまま一誠は戦場を駆け巡る。
心の奥底から沸き上がってくる思いが倍加していくような、そんな万能感。けれどその代償は心の痛みと引き換えだ。それも自分の心じゃない。大切な主が嘆くようにして戦っているのだ。
「兵藤 一誠! 前に出すぎだぞ!!」
「俺ならやれます! 止めないでください!!」
サイラオーグの制止の声が聞こえるも、一誠は半ば確信しながら叫び前へと足を踏み出した。
速くなれ、何よりも、何よりも速く。誰よりも速く、大切なものに届くように。その思いだけが膨れあがっていく。
この力はその為に授かった力だ。『
「ドライグ! ドライグッ! 足りねぇ、足りねぇよなぁ! もっと、もっと速くならねぇと!!」
『あぁ、そうだな。そうだな、相棒。お前がそう思うならば、先を行こう。だが、わかっているな? それはかつての俺を、天を越えねばならんのだぞ?』
「星に手を伸ばせってか! なら、掴んでやるよ! じゃないと、アイツに、リーアに届かないって言うなら、俺は……俺はァッ!!」
『
『ムッ……! 相棒! これは、歴代所有者の思念が反応を……『
ドライグが焦りの声を漏らす。今、一誠はリアスの思念の影響を受けている。それによって高まった感情が、『
『
「――うるせぇ! 黙ってろ!! アンタ等がこの力に何を思って死んだか知らねぇし、興味もねぇ!!」
力を望んだ。けれど、それは自分も破滅させてまで望む力なんかじゃない。
誰かが伸ばした手を掴む為に。その為に必要な力だ。だから、自分を差し出してまで得る力なんて一誠は望まない。欲さない。覇の理など、求めるものではない。
「見ろよ、今を見ろよ、前を見ろよ! 泣いてる奴がいるなら手を差し伸べる! 泣かない奴がいる世界を作り出す! そんな世界があれば恨みなんてなくて良い! そんな世界を望む奴がいるって言うのに、俺がそうなってちゃ意味がねぇだろ!! だから邪魔すんな! 邪魔しねぇで……――“俺”について来い!! 『
一誠の中で何かが、鍵が外されたような感覚が迸った。自分の中にあった何かが溶け込むように『
『――我、目覚めるは覇の理を神より奪いし二天龍……されど』
『ここには嗤いはない。ここには憂いもない』
『覇王の冠は失われた。紅蓮の煉獄は程遠く』
『――問う。今代の赤龍帝。兵藤 一誠、汝は何者ぞ?』
響き渡るのは、声。かつてからの呼び声。その声に一誠は、胸の内に沸いた
「我、目覚めるは、天高く輝く星を目指す赤龍帝なり」
「夢幻の旅路に笑い、無限の可能性を歓び、世界を駆ける」
「我、煌めく流星となり、夢と祈りを共に纏いて!」
「汝等と共に煌めく星の道を行こう――!!」
『――“星”』
『時を経ても尚、変わらず我等を照らすもの』
『……あぁ、我等は、いつしか』
『天の名を冠しながらも』
『空を、見上げるのを忘れていたか』
万感の呟きが聞こえる。一誠は外された鍵によって開き駆けた扉に手をかけるように思いを込める。
力が流れ込む。その力の源泉を辿り、一誠は笑いたくなった。そこには『騎士』の駒があった。その駒が輝いている、そんなイメージが過る。
「――俺は、届かせる為に行くんだ。誰よりも早く、辿り着く為に」
行こうぜ、と。駒を握りしめるように手を伸ばし、自分に言い聞かせるように一誠は笑った。
そして意識は現実へと戻る。どれだけの間、そうしていたのか。一瞬だったのか、それとも長い時間だったのか。それはわからない。だが、わからなくても良い。今がどこであろうとも、自分に出来る事はたった一つ。
「『
今纏う『
そのフォルムはスマートな流線型に、そして装甲は薄く機動性を重点においた姿に。それは『騎士』である一誠の為の、『赤龍帝の籠手』がイレギュラーを取り込んだ結果に生まれたもの。
「――『
軽く地を蹴って一誠は剣を振るった。その加速は先程までの非ではない。さながら地を奔った流星の如く、異形の一体を地に伏せさせた。
『相棒! その姿は……『
「よくわかんねぇ! 追求は後にしようぜ、ドライグ! いけるよな!!」
『……ふっ、今の鎧の方がお前に馴染むようだな! 天をも越えようとする星か! 良い、良いぞ! 多少の無茶は補佐してやる! 俺に見せてくれ! お前の可能性を!!』
「言われずとも、やってやらぁッ!!」
天に向かって赤き龍は吠える。届かないものに、届かないと諦めるのではなく。届かせる為に嘶くように。