息を短く吐いて私は距離を詰めようと疾駆する。いつかの日を思い出させる頭上を取られた空中戦。私が追いすがり、コーネリアが巧みに飛翔する。
風の刃が迫るのを爪で薙ぎ払い、一歩が遅れる。この繰り返しだ。距離を取られるのは不味い。彼に距離を取らせれば、空間による制圧攻撃を行われるのは知っていたからだ。
風と水の使い手。その風の流動で氷すらも操り、流麗な戦い方を見せる。思わず舌打ちしたくなる程に巧みな相手だった。流れるように手を変え、風の刃、氷の礫、水の弾丸と降り注ぐ。
「チッ!」
舌打ちを零して爪で迫った攻撃を弾き飛ばす。涼しげな微笑を浮かべたままコーネリアは指揮者のように指を振る。周囲に浮かぶのは風の珠と言うべきもの。風を纏い、回転する弾丸の大きさは様々な大きさでコーネリアの周りに滞空する。
待ちを取られた。あれに距離を詰めれば発動する追尾弾か、或いは爆弾のようなものか。判断が掴めずに攻めあぐねている間に珠の数は増えていく。このままでは埒が明かない。意を決して、両手の間に練るようにして魔力を形にしていく。
「ハァッ!!」
消滅の魔力を込めた弾丸を放つ。そのまま風の珠を砕くようにいくつも生み出してコーネリアへと向かわせる。
コーネリアは飛翔して、迫る魔力弾を風の珠を盾にするように位置を変える。魔力弾と風の珠がぶつかり合い、消滅させる。
――瞬間、思いっきり体が引っ張られた。意識が持って行かれそうな勢いに視界が真っ赤になる。
「――ッ、ァッ!?」
何が起きた、と把握する前に顎を打ち抜くような一撃が脳を揺らした。目にしたのは膝蹴りを私の顎に叩き付けたコーネリアの姿。首が折れんばかりの勢いの一撃に骨ごと再生するように首を戻す。
気が付けば、周囲を風の珠に囲まれていた。その一つが破裂する。瞬間、その風の珠があった場所へと吸い込まれるように吸引されそうになる。これは……!
「その中身、真空状態ね……!」
「御名答。それは風の殻に覆い、中身を真空状態にしたものです。こうして割れば」
ぱちん、と指を鳴らす音が聞こえる。瞬間、次々と風の珠が破裂して、周囲の気流が乱れる。身動きが取れない風の檻の中に叩き込まれ、そのまま振り回される。
空という障害物が何もない空間、ここは彼の独壇場でしかない。真空の珠が割れていく事によって阻害される中で、力を込めようとした瞬間だった。
周囲を包み込むように風が集っていた。不味い、と直感した瞬間、私は風の珠の中に閉じこめられた。僅かに漏らした息を漏らした口から、肺の中の空気が一気に奪い去られ呼吸が止まる。
念じる。この風の檻を破壊する事を。消失しろ、と強く認識して、ガラスの破砕する音にも似た破砕音が響き渡り、一気に呼吸を取り戻す。
「真空状態に閉じこめた筈なのですが、これでも倒せませんか」
「この……ッ!」
「では、趣向を変えましょう。――風よ」
ぱちん、と指を鳴らす。コーネリアの手に風が渦巻き、可視化していく。それは渦を巻いた突撃槍。それを構えながらコーネリアが迫ってくる。その飛翔の速度は速い。咄嗟に身を捩って紙一重で回避する。
すると、回避した空間から絡め取るように空気が渦を巻いて髪がぶちぶちと鈍い音を立てて引き裂かれていく。風が引き寄せて、身を抉り取ろうとするように。それを魔力で強化した爪で無理矢理掴み、尻尾でコーネリアを弾き飛ばそうとする。
呆気なく風の槍を手放し、手を振ればそこから空気が凍結するように氷の盾が生み出される。それを尻尾で砕くも、コーネリアはその盾が受け止めた衝撃を活かして跳躍して、直撃はしない。
抉られた私の髪が風に舞う。それに怒りを覚えない訳でもないけれども、何よりも感じたのが畏怖だった。明らかに強い。コーネリアは強かった。空間を制する風の支配者、巧みに手を変える様には思わず感心してしまう程に。
……それだけに、虚しい。あまりにも虚しかった。それだけの力も、彼にとっては燃え尽きる寸前の輝きに等しい事を肌で感じ取ってしまったから。
「……才能“は”あった、とはよく言われたものでしたよ」
「……コーネリア」
「ですが、これでも超越者に数えられる程ではないでしょう。これぐらいならばレヴィアタン殿でも可能でしょうからね」
涼しげに笑うコーネリアの口の端から血が流れていた。これだけの力を練り上げるのに、代償を支払い続けている。それは彼の命自身。命をも魔力に変換して彼はこの場に立っている。
……このまま戦い続ければ間違いなく彼は死ぬ。手に取るようにわかる。この風に込められたものを嫌でも感じ取る。どこまでも澄み切った風だった。明日に向かって吹いていく、そんな風だ。
でもどこに辿り着く事もない。辿り着く事を望んでいない、ただ吹くだけの風。ただそれだけ。……うぅん、違う。それ以外、何も要らないんだ。風はただ自由に吹いて、ありたいように姿を変えていく。
「……残念です」
「何がですか?」
「強いて言うなら、私の目の節穴さですかね。もっと早くに貴方を口説いておくべきだった」
「それは嬉しいお言葉です、レディ」
「まだ踊って頂けますか? ミスタ」
「えぇ、喜んで」
そんなやりとりも自然と返してくれる。巫山戯合うような、まるで社交界のような一幕。
そんな未来だってあった筈だ。出会いが違えば、立場が違えば。そんな思いに駆られるままに私は再び疾駆した。彼に追いつく為に、彼のこれまでに届かせる為に。
コーネリアが応じる。私に真空の珠が通じないとわかるや、彼は接近戦に切り替えた。本当に巧みな相手だと舌を巻く。その両手に渦巻く風の槍を握り、私を迎撃する。
渦巻く風の渦そのものが極薄の刃だ。それを私は龍の鱗で手足を覆って防ぐ。それでも鱗が剥がされ、肉が削がれる。それでも構わないと、私は吠えながら踏み込む!
「い、けぇッ!!」
「ごほぁっ!?」
血に染まった腕で胸を叩き付けるように握りしめた拳を穿つ。その勢いのまま、コーネリアが吹っ飛んでいく。ただ、私も無傷ではなかった。風の槍を無理矢理推し退けた腕はともかく、インパクトの瞬間に風の槍を腹に刺された。
捻れ、抉り取られるようにごっそりと腹部を持って行かれた。一拍遅れて吐血する。血の味が口の中に広がるのを感じながら肉体を再生させていく。それでもじくじくと痛みは残り、涙が浮かぶ。
「……これは、熱烈なアプローチだ。貴方は、本当に変わらない」
「これでも成長したつもりなんですけど、ね」
「えぇ、それは勿論。美しくなりました。血に塗れようとも、その気高さは失われる訳ではない。……ただ」
血を吐き出して、肩で息をしながらコーネリアが微笑み、私を見据える。眩しいものを見るように視線を細められる。
「儚くなられた」
「…………」
「こうして触れ合えばわかる。貴方はどうしようもなく儚い。だが、それは決して弱さではない。それだけに尚更、溶けて消えてしまいそうです。まるで蜃気楼のように」
「……それでも、私はここにいます。貴方の前に立ちます。貴方が望むままに。貴方の敵として、私が望んだ未来を守る為に」
「は、ははっ! ははははっ!! はははははははははっ!! これは参った! 蜃気楼に例えましたが、私はまるで幻に魅せられたようだ! そこにある筈のないものを求め続けた! 形のない答えを、そう、そうですとも! 私は!!」
喜悦の形相でコーネリアが迫る。今度は研ぎ澄まされた風の刃、渦巻くのではなく鋭く切り裂く事だけに特化した空気の剣。それを爪を研ぎ澄ませ、打ち払っていく。
剣戟の音にも似た音が響く。幾多にぶつかり合いながら、コーネリアは喜びに打ち震えるように叫ぶ。
「私はいつだって、何故、と! 何故と問うて来ました! 私が何故、このような生い立ちなのか! 何故! 私の努力は報われないのか! 何故、何故、何故と! 私は知りたかった、何故と問う気持ちに答えを求めた! そんな日々に貴方が現れた!!」
「ッ……!」
「何故、貴方はあのような力を得たのか! 何故、悪魔に生まれながら悪魔にあらざる力を有しているのか! 何故、貴方は龍の化身の如くなのか! 何故、貴方は! 何故と! 貴方に求める気持ちが抑えられなかった!! 憎しみ? 恨み? 妬み? 些末、全てが些末! 私は貴方が知りたい!! ただ、貴方という存在への疑問に答えが欲しかった!!」
刺突のように繰り出された風の刃に肩口が貫かれる。そのまま鎖骨を断つように刃が上へ、一気に感覚がなくなった腕の隙を突かれて胸ぐらを掴み上げられる。
そのまま頭突き。私も負けじと歯を食いしばって額をぶつけ合う。骨が軋むような、世界が歪むような衝撃に目を顰めて互いに距離を取り合う。額から血が滴り落ちていくのを感じる。
それは相手も同じだ。最早、自分の身を省みる事などしていない。それでも、コーネリアは笑っている。心底楽しいと、そう全身で表現しているように。
「貴方が超越者候補であると知ったのはいつだったのか。私も同じ位まで行けば理解出来ると考えました。結果、何もわからなかった! 超越者とは、なろうとしてなるものではないと、なるべくしてなるのだと! ならば直接確かめるしかないと。今、私は感動しているのです! リアス・グレモリー!」
「……そこまで、私に何を求めたと言うのですか! その命を捨ててまで、貴方は!」
「いいえ、いいえ。それは違うのです。リアス・グレモリー。私は、私のこの疑問は私の内にあるものです。私は私の内に貴方という存在を見た。貴方に惹かれたその答えは、私だけのものなのです」
先程まで喜悦に笑っていた表情が穏やかな微笑へと戻る。胸に手を当てながら、コーネリアは告げる。
「言葉にはならないのです。私は今、酷く満たされている。この一瞬が、貴方と刻む瞬間が何よりも宝と思える程に」
「……どうして……! どうしてそんなものに命をかけられるのですか! 私には理解出来ない!! 時間をかければ、貴方は今、この瞬間だって越えられたかもしれないじゃないですかッ!! どうして未来を見ないんですか!!」
思わず感情のままに叫んだ。惜しい、と。どうしても思ってしまう。私がもっと別の出会い方が出来れば、この力を、この才能を活かす事が出来たんじゃ無いかって。
けれど現実はそうでもないし、彼は私の夢見た未来に同意もしない。今も、ほら。首を横に振っている。
「最初に貴方が言った筈です。そう、私は力が欲しかったのではない。ただ、自由になりたかったのです。この私を取り巻く全てを、この身より湧き出る疑問を解きたかった。それが私の生涯に望む全てだと、私は今、この瞬間を以て理解出来ました!! だからこそ、貴方に聞いて欲しい!! それが自己満足の押し付けであっても!!」
コーネリアが迫る。今度は風が両手足に渦巻いて、殴り合う格好だ。私も泣きじゃくるように拳を打ち付けた。
「自己満足!? 一体、何が貴方を満足させたって言うんですか!!」
答えはない。ただ、力の限りで拳をぶつけ合った。その全てが風に阻まれる。打ち付けた拳が痛い。あぁ、でも、この打ち合いならば! 私の距離だッ!!
消失を纏え、私を阻む風を越え、届け。拳に消失の魔力を込めて、迫り来る拳を打ち払い。そのまま、ありったけの憤りの感情を込めて殴り飛ばそうとして――。
「――……貴方に、惜しまれた。それだけで、十分です」
拳が、止まった。
殴り飛ばす寸前で拳が止まった。コーネリアの手足がだらり、と垂れる。
……いつの間にか、彼の命は燃え尽きていた。風は吹ききった後で、何も残らない。
わかっていた。負けたくない、と願った。だから、負けなかった。でも、私は歯を噛んで、零れ落ちる涙を抑えられなかった。
「……私は、こんな事の為に力を磨いたんじゃない」
「いいえ。貴方の力は、今、この時の為にあるべきものです」
「だって、こんなにも胸が痛い! 私は、何も失いたくなくて戦ってるのに!」
「それでも、私は満足でした」
手が伸ばされる。血にまみれた手、既に見る影もないボロボロの手で涙を拭われる。
涙は拭われても、顔は血で汚れていく。それを拒めなかった。何も出来なかった。何も、私が彼に出来る事なんてない。
「……生きたく、ないですか? もっと、やり直しとか、正しかった事とか、ないって思わないんですか……?」
「貴方なら、ほんの欠片でもあれば救えてしまうのではないかと、そんな風に思えてしまいますね」
……あぁ、その返答は。暗に「後悔も未練もない」と言っているのに等しくて。
わからない、わからない。命を燃やして、何にも報われたものがないとしか思えないのに。どうしてコーネリアはこんなにも満足そうに笑っているのか理解出来ない。
「怨んでくれれば! 憎んでくれれば! 私は、私は貴方を、……貴方を……!」
言葉が続かない。わからない、私自身もわからない。彼は悪人だ。どうしようもない程に滅ぼさなければならない相手だった。そして、今、彼は滅びようとしている。その結果は導き出された。なのに、私はどうしてこんなに胸が痛いのか。
そんな私にコーネリアが苦笑する気配を感じた。仕方ないと、私が知る皆がそうするように。
「貴方は、本当に悪魔らしかぬ」
「……私は、龍です。そして、悪魔です。それが私です」
「……龍とは力の権化なり。あぁ、私はその力に惹かれたのでしょう。けれど、欲しかった訳ではなかった。寄り添いたかった訳でもなかった。私は、その存在に疑問を投げかけたかっただけだった。私の自己満足は、果たされたのです」
「……何を、何を見たって言うんですか。私に。貴方に、何もしてやれなかった私に」
「いいえ、いいえ。貴方が何もせずとも良いのです」
コーネリアが首を左右に振る。もう、その表情すらまともに見れないほどに涙が溢れてくる。
「貴方という存在が、これからの未来にいてくれる。私は、それだけで満足なのです」
「……それで、なんで救われるって言うんですか!!」
「理不尽な今を、悪魔という種のしがらみを、貴方なら根元から変えられるんじゃないかという、そんな夢です」
思わず我を忘れた。息を呑んで、コーネリアの顔を見る。顔を上げた瞬間、視界を覆っていた涙が零れ落ちた。はっきりと彼の表情が見える。
……どうしようもなく、救われていた。そうとしか思えない満足げな笑みだった。
「私は、そんな夢になりたかったのではなく……誰かに望んで欲しかった。絶対的な誰かに、今を変えられるという確かなものが欲しかった。私にはそれを己の内に見出す事が出来なかった。……今、この瞬間までは」
「……ぁ、ぁ……あぁ……!」
「貴方のような存在が、いてくれて本当に良かった。いつかの未来、私のような子が産まれても、貴方は手を伸ばし、決して届かずとも涙を流してくれる。悪魔にはそんな情などない。あるのは力という結果のみ。……私は、その束縛から解放されたかった。そして、その解放は最高の形で果たされたのです」
「そんな、こんな、こんなものが! 最高だなんて! 私は認めないッ!! 認めない……ッ!!」
思わず胸ぐらを掴み上げる。納得がいかなかった、そんな自分勝手で死のうとするなんて許せなかった。許せる筈がなかった。
「だって、それなら、貴方だって生きていいでしょ! 私が、今、手が届いてるのに!! 今、ここに貴方がいるのに!! 貴方が救われたいなら、今、救われるべきなのに!!」
「はい。……はい、それで、私は救われるのです」
「違う、こんなのは違う! 認めない、私は絶対に認めないッ!!」
「はい。否定し続けてください。貴方はずっと、そのままであってください。どこまでも澄んだ人、血よりも深き紅の姫君。その情は血の繋がりよりも濃い。その在り方をどうか、損なわずにいてください」
そっと手を握られる。力は無い。本当に、そっと添えられるだけの手。
「好き勝手に生きました。許されぬ事もしました。そして、それを恥じる事はこの先もあり得ないでしょう。その上で救われても良いというのならば、これ以上のものはないのです」
「…………勝手だ。貴方は、本当に勝手だ」
「はい。だから、私は死んで当然と……思ってくださいとは言えないですね。ならば、どうか。本当に貴方が聞き届けてくれるというのならば、どうか」
どうか、と。両手を握られる。祈り、請われるように。
「――いつかの未来、私のような者が生まれぬ世界を」
――“遺言”だった。
私は、受け取らずにはいられなかった。それは純粋な夢の塊だったから。例え、彼が許されざる存在でも、抱いたこの夢だけは……罪がないと、私は言いたかったから。
コーネリアはそのまま、祈るような姿勢で息絶えていた。風が潰えていく。掴む事は叶わず、手から零れていくように消え去っていった。
力が抜ける体を、思わず掴むように抱き締めようとして――目の前で、砂のように崩れていった。亡骸を残す事すら許さないというように、私の手は何も掴めずに空を握った。
「……ッ、ァ……アァ……! アァッ……アァァアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
張り裂けそうだった。そんな痛みに、私はただ天を仰いで叫ぶ事しかできなかった。
* * *
その叫びは駒王町の全てに響き渡るようだった。悲しみと憤りを込めた竜の嘶き。
一瞬、誰もが空を見上げた。本能しか残らなかった異形も、戦いに挑む全ての者も。
誰もがその響きに何かを感じるように、しかし、それも一瞬だった。思い出したように彼等は争いの渦中へと戻っていく。
「……リーアッ! くそ、邪魔だッ!!」
その中で一誠は空を睨んだ。一体、また一体と異形を斬り伏せながら。
彼女の方は決着がついたのだろう。けれど、リーアは泣いている。悲しみに暮れて、怒りに駆られて、どうしようもない感情に荒れ狂うように。
駆けつけたかった。けれど敵はまだ残っている。それがどうしようもなく怒りを呼び起こした。感情を叩き付けるようにまた1体、異形を屠る。
『――イッセー、聞こえてる?』
「ッ!? イリナか!?」
激情に駆られていた一誠の耳に聞き慣れた声が届く。会話をする為、一時的に距離を取りながら一誠は応答する。
『頼みたい事があるの。ちょっと大々的にやるから、今から言う指示の通りに動いて』
「おいおい、こっちは戦線の維持で精一杯だぞ!」
『――やれないの?』
「――やるに決まってるだろ!!」
この野郎、と思いながら一誠はイリナの指示に耳を傾けた。そうして受け取った指示に頷き、一誠は飛び跳ねるようにしてその姿を探す。
「サイラオーグさん!」
「兵藤 一誠! どうした!? 根を上げたか!?」
金色の獅子を纏ったサイラオーグが異形の1体を殴り飛ばす。だが、最初に比べればその闘気のオーラも小さくなっている。本陣からの支援もあったが、支援物資での回復でも追いつかずに撤退したものもいる。
その中でサイラオーグは一度も撤退する事なく残り続けていた。驚嘆に値するといっても過言ではないだろう。
「違います! これからイリナがでかいのぶっ放すので、その準備の為に俺は戦線を抜けます! 時間を稼いでください!」
「ほう、何か策があるのか。しかし、今お前が抜けるとこちらも抑えきれんぞ? 時間はどれだけ必要だ」
サイラオーグの問いかけに一誠は苦渋に唇を噛む。確かに、現状は厳しいものだ。特に一誠が抜ければ、その穴はどうしたって大きい事を一誠も理解している。その上で、自分がすべき事を考え、一誠は解答する。
「……1分、いえ、2分は……!」
「ははは、なるほどな。俺の見立てでは1分が限界といった所だな。――良かろう! 聞こえるか! これからリアスの『
戦場にサイラオーグの声が響き渡る。闘気を孕んだその一喝は空気をも震わせ、そして戦場にいる全ての者を鼓舞した。
声が挙がる。抗いの為の叫びが響き渡る。周囲を震わせた声に、一誠も体の芯から震え上がるようだった。
「――2分とか言ってないで、さっさと行きなさい」
その声が耳に届いて、一誠は驚きに振り返った。目前に広がったのは漆黒の翼。
その声の主はレイナーレだった。額から血を流し、その身もボロボロだった。それでも槍を握りしめる力に衰えは見えない。
「レイナーレさん! ……本陣には行かないんですか?」
「ぎゃーぎゃー泣き喚くのが泣き止むのならね。そうさせて貰うわ」
「じゃあ、頼んで良いですか?」
「2分以上は待たないわよ。私は本気で帰るわよ」
「女子は待たせるな、って白音が言ってました!!」
「…………さっさと行け、このアホ!!」
一誠の抜けた穴を埋めるようにレイナーレが加わる。振り抜いた槍が空気を唸らせ、断絶を生み出す。堕天使と悪魔の羽を広げ、レイナーレは勢いよく突っ込んでいく。
「私の為に死ね! 今死ね、すぐ死ね! あぁ、もう、痛いわ、血が足りないわ、煩いわ!! 消えろ! ノータイムで!! 地獄へ落ちてくたばれ!!」
「……おい、兵藤 一誠。あれでマシになった方なのか?」
「ノーコメントで!!」
ハイになったまま叫ぶレイナーレを見たサイラオーグからのツッコミに答えず、一誠は全力で走り出した。全てを走る事に意識を集中させ、戦場に蔓延る異形達に振れるように駆け巡る。
イリナからの指示は「マーキング」だ。この戦場にいる全ての敵に目印をつける。魔力で痕をつけるようにして走り続ける。その様を見ていた者は後ほど語るだろう。その様、まるで流星の如くだった、と。
『相棒、間もなく時間だぞ!』
「こいつで最後、だッ! っと、危ねぇ!!」
マーキングをするのに集中していた一誠。最後に辛うじて当たりそうになった一発を回避して、通信で繋がっているイリナに合図を送る。
「イリナ! 頼んだぜ!!」
* * *
「――神よ、御座しめすならばどうかお見咎め下さい」
空にイリナは浮かんでいた。その足下には魔法陣が描かれている。だが、魔法使いが見れば目を見張るだろう。それはどの術式にも属さない、独自の術式なのだから。
しかし、これは魔法陣にあって魔法にあらず。ただ、イリナが望むものを『創造』した形が、この魔法陣だったに過ぎない。故にそれは虚像、しかしこれより起きるものを巻き起こす為に描き紡がれたもの。
イリナは目を瞑る。その背に悪魔の翼を広げ、しかし、その両手を握り、瞳を閉じる様はまるで神に祈りを捧げるかのようだ。それは酷く矛盾した光景。しかし、それは祈りではなく、許しを請う訳でもなく、宣言の為のもの。
「我、神に倣うもの。御身が御業をここに。いと罪深きなればこそ、我が行いをご高覧あれ」
魔法陣が広がり、光を放っていく。それは紫電を発し、力が昂ぶっていく。
周囲の魔力をかき集め、魔法陣へと練り上げていく。全ては脳裏に描いた光景を『創造』する為に。神をも畏れぬ奇跡を起こさんとする為に。
足下の魔法陣とは別に小さな魔法陣が浮かび、そこからイリナを取り囲むように魔剣の群れが整列する。それはイリナが予め作っておいたストック用の魔剣だ。それが音を立てて砕けていき、粒子化した魔剣がイリナに吸い込まれていく。
「――『
神を騙る言葉が紡がれる。イリナが開いた瞳は七色のプリズムが輝き、眼下へと視線を向ける。
その瞳には一誠がつけた痕がはっきりと目に映っている。その目標を把握し、認識していく。己の脳内で世界を形成し、イメージを深めていく。
「――これは断絶の一撃! 破砕せよ、無二は要らず、唯一はここに!」
紫電がそのまま、数多の雷球を生み出していく。それが連鎖し、轟きながら力を高まっていく。
「降り注げ――『偽典・バベルの雷』!!」
号令を下すようにイリナは叫ぶ。イリナの『想像』が『創造』となり、形を為す。
それは、かつて神に迫った人が造りし塔、それを打ち崩した神による制裁。その一撃をイメージとし、偽典による再現を図った破砕の一撃。
そのまま使えば周囲を薙ぎ払う為、一誠がつけたマーキングを避雷針として雷を落とし続ける。自分の中の魔力がごっそりと失われていく感覚に目眩がしながらも、イリナは魔法陣に魔力を叩き込み続ける。
落雷の音が幾重にも響き続ける。眼下でサイラオーグの号令の下、撤退していた者達は息を呑んでその光景を見ていた。
「……これほどとは」
「流石に最初の数にこれをやる訳にはいかなかったですけどね。じゃないとイリナが潰れるんで」
「街を捨てる覚悟ならば、無差別でも吹き飛ばせたか」
「それは俺達の敗北です」
「成る程な。まったく、リアスにもお前等にも驚かされてばかりだ」
サイラオーグに小突かれながら、一誠は苦笑を浮かべた。こちらは終わりを迎えそうだ。イリナが力尽きて、倒しきれなかったとしても数が減れば対処は出来る。
その光景を見ながら、レイナーレは座り込むようにして腰を下ろした。もう一歩も動けそうにない。限界はとっくに超えていた。感情がハイになってなければもっと早く動けなくなっていただろう、と思いつつ。
「……アイツは大丈夫でしょうね」
* * *
……ぱちぱち、と。火が焼ける音が響いていた。
黒歌はその中で佇んでいた。その黒歌の足下には崩れ落ちるシャルバの姿があった。
黒歌とて無事ではない。片腕はぶらりと垂れ下がっていて、持ち上がる気配がない。更には全身、至る所が火傷になっている。未だ、黒焔は揺らめくように黒歌の体に纏わり付き、彼女の体を焼いている。
シャルバに黒焔が纏わり付き、藻掻こうと足掻いている彼を焼き尽くそうと静かに燃え続けている。苦悶に呻きながら、シャルバは譫言のように同じ言葉を繰り返す。
「ナ、ゼ……何故……私、ガ……」
「……さぁね。来世にでも考え直しな、それがあるならね」
最後のトドメを加えるべく、黒歌は黒焔に意識を集中させる。黒歌の一押しを受けた黒焔は火柱を上げるように猛り狂い、シャルバを完全に燃やし尽くす。
それを見届けて、黒歌はふらつくように蹈鞴を踏む。周囲は辺り一面が燃えていて、熱気に包まれている。更にいえば黒歌自身の黒焔で気が淀んでいるのだ。あまり長時間いれば自分も焔に飲まれてこんがり、とぼんやりと思考する。
「……後始末、出来なきゃ落第か。はぁ、修行不足だね、私も」
白音に怒られるだろうな、と思いながら黒歌は足を引きずるようにして歩き出した。
もう、彼女の頭の中にシャルバの顔の印象すら残らなかった。全ては燃えて行き、災禍の爪痕だけを残しながら、その場を後にした。