怪男子   作:変わり身
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死体が、あった。

 

闇の中、周囲を石壁で囲まれた部屋。

昼夜も分からず、目を凝らさなければ足先の様子すらも見通せない程に、暗く、深い場所。

そんな暗く、雑多な空間――彼女は、そんな部屋の中央に横たわっていた。

 

年の頃は十代の中頃。整った顔立ちに色素の薄い長髪を垂らした、一糸纏わぬ少女の肢体だ。

散らばる書物を押しのけ、強引に設置された祭壇上。身体に沿って置かれている蝋燭の炎に炙られている彼女は、言いようの無い儚げな存在感を放っていた。

 

「――――…………」

 

一つ。その傍らに傅く影がある。

それは横たわる少女に許しを請うかのように。声にならない呻き声と泣き声を上げていた。

 

――老人。

 

蝋燭に照らされるのは、小柄な身体に白衣を羽織った。年老いた男の姿だ。

禿げ上がった頭頂部に、深い憎しみと悔恨に染まった皺だらけの顔。

しわがれた両手の小指は根本から断たれており、真新しいその断面から絶え間無く流れる濁った血液が、白衣に赤黒い染みを作り出していた。

 

しかし老人は、その痛みを感じる素振りも見せてはいない。

祭壇の上に横たわる少女に愛おしそうに手を這わせ、両手から流れ出る血液と、見開かれた左目から零れ落ちる涙を肌の上に刷り込んでいた。

ありとあらゆる負の感情を落ちる雫に籠め、股に、腹に、乳房に。顔と同じく皺だらけの掌で持って雪のような肌に潤いを与えていく……。

 

「……、…………ッ!」

 

異常としか言いようの無い光景。

ゆらり、と。少女の周りに置かれている蝋燭が揺らめき、老人の顔を走る皺に生まれる影もまた、揺れる。

刹那にも満たないその一瞬。老人の表情が、慙愧に満ちたものへと変わった。

 

「――ッ……!」

 

老人の行為が、唐突に止まる。

祭壇の少女は老人の体液に塗れ、ぬらりと怪しい光沢を放つ。施された血化粧はまるで肌の赤みのようで、見る者に倒錯的な性欲を掻き立たせる事だろう。

 

「……ぉお……! ぉぉぉぉぉ……」

 

老人は呻き声を噛み潰しつつ白衣を探り、ゆっくりとある器物を引き抜いた。

それは少しくすんだ鈍いの銀。人体を切り開く為の鋭利な刃――メスだ。

これから始まるのは、正しく外道と呼ばれる所業。倫理、道徳、尊厳。人間が人間として正しく在るために必要な暗黙の了解。その外側。

 

最早後戻りの出来ない領域に、老人は辿り着いていた。

 

「フー、フー……ッ」

 

震える。過度の緊張と興奮により息が上がり、目尻から溢れる涙がその量を増していく。

彼の姿からは、これから自身が行う「作業」への好奇など欠片も伺えない。ただ、何らかの強迫観念のような物に駆られている事のみが察せられた。

 

……もし、一つ歯車が外れていれば。一つ道筋が違っていれば。少しだけ何かが違えていれば、彼は狂わずに居られたのかもしれない。

しかし、結果はこの様だ。何が間違っていたのか、何が噛み合ってしまったのか。正しき道は何処にあったか。

答えの全ては二度と戻らない過去へと棄てられ、もはや拾われる事も無い。

 

「…………――――!!」

 

狂気が、高らかに渦巻く。

 

老人は全身を震わせながら、自らの体液を撒き散らしメスを振り上げた。

 

少女は目を閉じたまま身動ぎ一つせず、穏やかな顔で。

 

食い縛られた老人の口元からは声にならない絶叫が迸り――。

 

 

 

――『怪異法録』

 

老人の足下に転がっていたその書物が、赤黒い飛沫で染まった。



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