怪男子   作:変わり身

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5頁 対峙(下)

                      ■

 

 

「――炎桜樹。焔の大灯ッ!」

 

力強き詠唱。

一際大きな霊力が脈動し、灯桜の持つ栞が燃え上がり。それを媒介として現れた巨大な火球が直線上にあるものを須らく焼き尽す。

 

壁も、その先にある森も。霊力で編まれたまやかしは皆蒸発し、後に残るのは焦げ跡で出来た道。

灯桜と冬樹は未だ煙を吹くそれを渡り、小瓶が示す方角へと一直線に走る。

さやまの森に霊力が散らされまともな探知が出来ない今、唯一の信用できる道標だ。

 

「えーと、次は右――いや、逆。左に変わりました、反対!」

 

灯桜は再び栞を取り出すと冬樹の指示した方角に火球を放ち、強引に道を作り出し、渡る。これの繰り返し。

 

どうやら少年が操る怪異は常に変化を続ける迷路のようなものらしい。

しかも道筋と同時に彼我の位置関係までも変化しているようで、どれ程追いかけても彼の姿を捉える事が出来ないでいた。

 

「黒幕ならどっしり構えてて欲しいもんですが。あっちこっち居場所を変えてグルグルグルグル、本当いやらしい」

 

今まさに示す方角を変えた小瓶を見ながら、冬樹はうんざりしたように愚痴を零す。

灯桜としてもその意見には全面的に同意である。

単に異界へ誘われただけならばいざ知らず、地形まで変化させこちらの妨害をし続けている辺り少年の用心深さと性根の悪さが伺える。壁の穴に周囲の霊力が集い修復されていく光景を見ながら、眉を顰めた。

 

(さて、どうする?)

 

おそらく、このまま異界を焼却し続ければ怪異は直に消滅するだろう。

どれ程少年が異界の復元を続けようと、彼の持つ霊力が極めて微量である以上、例え怪異法録の補助があろうとも必ずどこかで破綻が起きる。

重なる負担はそう遠くない内に彼の許容量を超え、やがて異界の維持すら出来なくなる。そうなれば後は容易く追いつき処理できる筈……なのだが。

 

(それはきっと向こうも分かっている筈。なのに、何故留まっている……?)

 

そう。少年が本当に逃走を主目的に置いているのならば、既に現状に見切りをつけ、この怪異を足止めに何処かへと逃げ去っているべきなのだ。

しかし、彼は異界内に留まり目立った攻撃すらしてこない。抵抗の方法が無いのか、それとも何か狙いがあるのか。疑念が加速度的に増していく。

 

「あー、何かヤな予感しますよネェ。こう、あからさまに時間稼ぎされますと」

 

「……やはり、水端さんも引っかかりますか」

 

「そりゃまぁ。絶対に逃げ切ってやる、なんて大見得を切ってこれですもの」

 

冬樹は周囲を注意深く観察しつつ、肩を竦めた。

 

(……一度、立ち止まるべきでしょうか)

 

彼も同じ疑問を抱いているとなれば、決して自分の考え過ぎという訳では無いだろう。

そう判断した灯桜は足を止めると、周囲に霊力を籠めた栞をばら撒いた。

それらは瞬時に陣を成し、悪意を弾く簡易的な結界を展開する。

 

「おや、作戦タイムですか?」

 

「はい。このままでも少年は捕らえられるでしょうが、時間稼ぎの目的が気になります。……彼の狙いについて、何か思い当たる事はありませんか?」

 

灯桜には、事あるごとにすぐ冬樹を頼る癖がある。

高位霊能力者とはいえ未だ年若い彼女にとって、経験豊富な警察官である彼の見識や技術は得難い物だ。長年の付き合いによる深い信頼もあり、彼の肩へもたれ掛かる事に遠慮は無かった。

 

「うーん、そう言われましてもネェ。経験上この手の物は私らを返り討ちにしようとしてるか、協力者との合流を図っていたってのが大抵のオチですが……」

 

「……逃げる事も攻撃する事もしていない以上、そうであるとは思い辛いのですけれど」

 

「でしょうね。となると後は怪異法録を用いたオカルト作戦の内ってのが有力ですが、灯桜さんが分からないんなら私にもお手上げですよ。お手上げ」

 

ばんじゃーい。情けない顔で両手を上げる冬樹に、しかし灯桜は眉の一つも顰めない。彼の言葉がそれで終わる筈は無いと信じているのだ。

そんな真摯な信頼に冬樹は苦笑を漏らし――上げた両手の指を曲げ、何とも決まらないポーズでとある一点を指し示す。

 

「でもまぁ、気になるものはありますよ。ホラ、そこの壁」

 

「え……?」

 

咄嗟に示された場所に視線を向ける。そこにあったのは最早見慣れた石壁と、その先に続くさやまの森。霊力で編まれた、まやかしの異界だ。

これがどうしたというのだろう。疑問に思いながらも、冬樹の言った事だと深く注視し――そして、気づいた。

 

壁の下方。雑草に隠れるようにして、「界」の文字が小さく書き記されている。

 

「……落書き、でしょうか」

 

「さぁ、詳しい事はよく分かりません。でもそれ、よくよく見れば色んな所にあるんですよ」

 

冬樹の言葉に改めて周囲を見回すと、確かに様々な場所に「界」が散らばっている。

以前にも同じ落書きは見た事がある。しかし今回はそのどれもが人目を避けるような場所にひっそりと配置されており、単なる落書きとするには些か不自然に見えた。

 

(……この、インク。森の所為で霊力が散らされて、上手く探知できないけど、もしかして小瓶の……)

 

そうして、灯桜が軽く文字に触れた――その瞬間。

 

「っ!」

 

ぱちりと、指先に衝撃が弾けた。弱く、薄い、霊力の迸りである。

 

「……成程」

 

幾ら霊力の散らされる場と言っても、直接触れれば察知は容易だ。

そしてたった今感じ取った物は、数日前に夜の歌倉女学院でこの身に感じたものと同じそれ。

灯桜の口端がうっすらと上がり、瞳が鋭く細められる。

 

「お、やっぱり何かしらありましたか。手がかり的なサムシング」

 

「ええ。彼らの目的はさておいて、手段に関しては、少し」

 

そう言って冬樹にも笑いかけ。服の袂から新たな栞を一枚摘み、霊力を込める。

和紙の繊維に染み込ませるように、深く、静かに。糸を手繰るような精密さを持って意識を研ぎ澄まし――そして。

 

「――桜火、葉脈照らし」

 

パン、と。

言葉と共に栞が弾け、現れ出たる無数の閃火が黒のインクへと殺到した。

 

 

                      ■

 

 

『――ッ、ぐ』

 

ふと、くぐもった声が背後で聞こえた。

 

「……花子さん?」

 

『い、や。何でもない、何でもないよ。それより早く文字書きな』

 

振り向き花子さんを見てみれば、彼女はニヒルに口の端を上げ作業の先を促す。

見た限りでは何も異常は無さそうであはあったが――鼻先に嘘の匂いを感じた。

何というか、既視感のある態度だ。今更花子さんを疑うような事は無いが、自然と眉間に皺が寄る。

 

「あの、本当にどうしたんですか。何か気になる事があったら言って下さいよ」

 

『はは、大丈夫、だって。ホント、何も無い……から』

 

「でも様子が……、?」

 

カサリ。途中でめいこさんが揺れた。花子さんへの追求を続けるべきか一瞬迷ったが、それは後でも出来ると手早くめいこさんに視線を落とし。

 

『たいへん、です。「異小路」に何者かの、たぶん、はなみやの干渉を、受けています。核となる花子さんが、危ないです。危険、です――!』

 

勢い良く顔を上げ、再び花子さんを見た。その顔はやはり猫のようなすまし顔だったけど、今なら分かる。

あれは、苦痛を内に押し殺した表情。昔に鏡を通してよく見た顔だ。

 

「っ、花子さん! あんたまさか、」

 

『――っぐ、うぁぁッ!』

 

――慌てて近寄ろうとした途端、彼女の二の腕から火が吹き上がる。

 

それは決して大きな炎ではなかったが、その身体を確実に焼いて行く。当然花子さんは態度を取り繕う余裕もなく、その顔を大きく苦痛に歪めていた。

 

『た、たぶん、書き残した文字を通し、直接怪談に、霊魂へ攻撃を……! ああ、だいじょうぶですか、はなこさん。はなこさん!』

 

『……平気、平気さ。ちょっとヤケドしただけだからさ……アタシの事はほっといて、早く文字を……』

 

「そ、そんな事出来る訳無いだろ! くそ、今すぐに怪談から外して……!」

 

作戦の事なんて頭から消えていた。僕はめいこさんに「解放」の二文字を念じ、後先を考えないまま右手を振り上げ――その手を誰かに掴まれ止まる。

焼け焦げ、ボロボロになった腕。怪談の再現に伴い実在化した花子さんの指が、手首の粘液に絡まっていた。

 

『馬鹿な事するんじゃないよ。今怪談が消えたら、アンタなんてすぐに捕まっちゃうだろうが!』

 

「で、でも、こんなになってるのに!」

 

『忘れたのかい、アタシはめいこが居れば頭ァふっ飛ばされても元に戻るの。だから、こんなもん屁でも無い――い、っぎ!』

 

「花子さんッ!」

 

言葉を遮るように、今度は背中から炎が飛び出す。

彼女の言う通り霊魂の復元能力が働いているのか、手首を掴む指が徐々に綺麗な物へと戻って行く。

 

しかし、だからと言って放っておけるものか。

僕は必死に腕を動かそうとした。だけど、万力に掴まれたかのように動かない。

 

『……アタシがこうなってるのは、怪談自体が燃やされてるからだ。書き記した「界」の文字が、片っ端から無くなってる感覚がするんだよ』

 

そして今の状態が長く続けば、やがて「界」は全て無くなり空間の入替えも出来なくなるだろう。時間稼ぎどころか、逃げる事すらままならなくなる。

……炎に巻かれながら、彼女は必死にそう伝える。

 

『い、今だって、華宮の居る付近は文字が燃えて動かせなくなってるんだ。そしたらあの娘らが追いつく前に、文字増やして備えなきゃいけないだろ!』

 

「…………」

 

『心配しないでも、これが終わったらでっかい埋め合わせは求めるさ。だから――ぐぅッ、ち、ちょっとくらい我慢しておくれよ……!』

 

「……く、そッ!」

 

今一番我慢している花子さんにそう言われてしまったら、もう何も言えないではないか。

 

僕は自分自身に対する悪態を吐き捨て、彼女の手を振り払い壁に向き直った。

背後に響く押し殺された苦痛の声は一先ず無視。これが終わったら、現状を乗り切れたら、後で土下座でも切腹でも何だってしてやる。

 

「めいこさん、今あいつらはどこに居て、どこの文字が消されてるか分かる?」

 

『え、ええと。地図に表すと、こんなかんじ、であります』

 

そうして手帳に映しだされた地図は、かなり酷いものだった。

華宮の周囲の文字がある場所には尽くバッテン印が付けられ、離れた位置の文字の多くまでもが焼滅済み。

これでは花子さんの言う通り、空間の入替えは出来そうになかった。

 

完全に怪談の絡繰がバレている。

焦燥、怒り、嘆き、憤り。溢れ出そうになる負の感情を歯を食いしばって抑え込み、地図上の華宮を強く睨みつけ。

 

「……?」

 

そうしてふと感じたのは、強烈な違和感。

気の所為だろうか。先程からずっと、華宮は一箇所に留まったまま動いていないように見える。

 

いや、現に動いていない以上、気の所為ではない。文字を消す為に何かをしている最中なのか、単に休憩しているだけか。それとも。

 

(何だ、一体何を見落としている……!)

 

とてつもない重大事に気付けていないような、そんな引っ掛かり。

僕は壁に文字を記す事も忘れ、僕達の位置を、華宮の位置を、バツ印の位置を何度も何度も確認し――。

 

「――ッッ!」

 

――印の多くが僕へ向かって一直線状に並び、今この瞬間すぐ近くに一つ増えた。

その意味に気付いた瞬間、僕は花子さんへと跳びかかっていた。

 

『っぐ、何をッ――!?』

 

 

――轟!

 

 

直後、極大の火炎球が僕達の居た場所を通過した。

壁を抜き、地面を焦がし、荒れ狂う灼熱の暴風を必死に耐える。

もう少し察知するのが遅れていたら一瞬でお陀仏だっただろう。

 

『……っ、早く起きな! この辺り、さっきので文字が……!』

 

「全滅だってんでしょ。分かってますよそれくらい!」

 

打ち付けた膝を擦りつつ身を起こし、痛みを堪えてひた走る。

今の一撃の余波で、付近にこしらえていた「界」は全てお釈迦だ。既に壁の穴から足音は聞こえているし、こうなれば新しく書くより文字のある場所まで走った方が早い。そう、思ったのだが。

 

「! ひ、うわああぁッ!」

 

しかし、またもや火球が壁を突き抜け足元に着弾。

堪らずバランスを崩し、無様に地面と抱き合った。

 

どうやら最後の追い込みをかけてきたらしく、その後も連続して華炎の雨が飛来する。すぐ頭上を通る無数の熱が恐怖を煽り、頭を抱えたまま動けなくなった。

 

「……っく、クソ、クソ、クソッ!」

 

いや、駄目だ。まだだ。まだ諦めない、諦めてたまるか。

這うようにして手近な壁へと縋りつき、手首を擦り付け大きく「界」の文字を引きずった。

 

『もう片方も早く! 残ってる場所とすぐに入れ替えるから!』

 

花子さんが手を引いて反対の壁に引っ張ってくれるが、返事をするのももどかしい。

僕は半ば投げられるようにして道を横断。何時かのように壁に頭を強打し、眼鏡が落ちた――そこで、時間切れだった。

 

「――見つけたッ!」

 

「!」

 

――耳朶を打つのは、鈴の転がるような澄んだ声。

 

咄嗟に視線を向けると、壁の穴から飛び出した髪飾りの少女の姿があった。

その整った顔は僕の視力ではハッキリとは分からなかったが、疼く右眼は強くそれを感じている。そう――強烈な、敵意。

 

『チッ、もうちょっとだけ迷っててくれりゃ良かったのにさァ!』

 

「――桜の火、焔の灯ッ!」

 

花子さんが大きく手を広げた途端、夜闇の中から無数の青白い腕が伸びる。

自らの世界へと連れ去り、跡形もなく消し去るという『異小路』の末文、その権化だ。

 

彼女の合図に従いそれらは鋭く空を裂き、華宮を捕らえんと殺到する。しかし同時に放たれた火球によりその尽くが焼却され、霊力の欠片へと還ってしまう。

 

(足止めにもならないのか……!)

 

その様子を音で把握しながら、僕は肉液を壁に押す。

そして、もう少し。界の介の人、その払う一角を加え「界」を完成させようとしたその瞬間、前触れ無く壁が爆ぜ「界」の一部が抉られた。

 

「なッ――!」

 

反射的に振り向けば、華宮の影から一人の男が何か黒い物を向けていた。

 

――拳銃による狙撃。

当時眼鏡を外していた僕には分かるべくもなかったが、キツネ目の男は正確にそれを成していたのである。

 

『ぐ、うあぁぁぁあぁぁぁッ!』

 

「花子さん!」

 

花子さんも押し寄せる炎を押し止められず、左半身を焼かれ崩れ落ちる。

そして、倒れた彼女の身体の向こう。そこには当然炎があった。

 

長い長い年月をかけ、幾人もの僕の前任者達を焼き殺した慈悲の熱。そしてそれは今度は僕を燃やすべく、少女の指先で踊っている。

 

 

(――死ぬのか、僕は)

 

 

命の危機を直接視覚に収めた影響か、流れる時間がとても遅い。

 

動向が収縮し、毛穴が開き。体の芯から熱い何かが吐き出されていく。

 

 

死にたくない。

 

         死にたくない。

 

                  死にたくない……!

 

 

極度の緊張、極度の恐怖。

 

僕が見ている中で、彼女は。

 

単なる的でしかない僕目がけ、炎を纏うその指を、振り下ろし――――。

 

 

 

 

「――お、おーい! 誰か居ないのかぁ……?」

 

 

 

 

「!!」

 

――この場に居る誰のものでもない、一つの声。それが響いた瞬間、二つの事が同時に起こった。

 

一つは、声に気を取られた少女が一瞬動きを鈍らせた事。

もう一つは手に持つめいこさんが僅かに震えた事。

 

そしてその余白の数秒の中で、とある一文が彼女の内に記された。即ち。

 

『――まちびと、到着。であります――』

 

 


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