怪男子   作:変わり身

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3頁 開門(上)

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僕の家にはパソコンや携帯電話なんてハイカラな物は無い。

 

まぁ当たり前である。働き頭の両親を失くした僕とお婆ちゃんに、そんな高い物を買う余裕なんてあるものか。

それに何より僕自身が機械を苦手としている事もあり、授業以外では縁の無い存在であった。

……んだけれども。

 

「はぁ、面倒だなぁ、これ……」

 

賑やかさとは無縁な住宅街とは違い、常に人の声が木霊する明るい街の中心部。

そこに居を構える一書店のインターネットコーナーの一角に腰掛け、ぼやく。

ぺこぺこ、と人差し指でキーボードを叩く乾いた音が周囲に響くが、やはり好きになれない音だ。思わず舌打ちを一つ打つ。

 

「…………」

 

ちらりと尻ポケットに視線を落とせば、そこにねじ込まれているのはワインレッドの革手帳。

その独特な温度を尻肉で感じていると、昨夜の出来事が鮮やかに脳裏に蘇った。

 

 

                    *

 

 

『――本書は、持ち主の周囲に漂う不特定多数の指向性共通意識・錯覚からなる、特定地軸に宿る言霊を集積し、文章に変換、その編集を現実世界へと反映させる、特殊な法令集、であります。皮紙に持ち主の霊力を含ませた墨を用いて、霊魂を封入する事により、その言霊を再現する形で、法という条件を敷き管理する事が可能となります。本書をどう活用するかは、貴方の手に委ねられ、使用を強制される事は、ありません。持ち主たる貴方に課せられるのは、ただ一つ。本書を存在させ続ける事、それのみで――』

 

「ちょ、ちょっ、待って! 待っ……!」

 

咄嗟に、ずらずらと並べられる文字列に思わず制止の声をかけた。

余りの勢いに思わず出た言葉だったけど、手帳に懇願するとか意味不明である。

 

(何……何だ、これ)

 

混乱した頭で考える。

 

書かれた文字は動かない。そんなのは当たり前の事だ。

もし文字が人の意思を無視して勝手に浮き上がり、その形を変えるなんて事象が起こり得たならば、本屋や図書館はそれは愉快な場所になっている筈だから。

では、これは一体何なのだろう。半ば呆然としている僕を余所に、文字は一度動きを止めたかと思うと、再び踊る。それはよく見れば、僕の筆跡その物だった。

 

『疑問点がございましたら、どうぞ、お尋ねください』

 

「反応するのかよ、しかも」

 

というか、そもそも疑問点しか無いのだが。

喚きたくなる衝動を堪え、深呼吸。煮立つ気持ちを落ち着かせようと努めた。

 

「ま、まず、お前……いや、あんたは、何なんだ――じゃない、ですか……?」

 

とりあえずこのまま狼狽えていても何の進展も望めない。まず手帳に言葉が通じていると仮定して、注意深く疑問を舌に乗せる。

傍から見ればアホみたい、とは言わないお約束。

 

『本書は特定の場所に宿る言霊を文章に変換し、編集によりそれを法として現実世界へ再現、反映させる事を可能とする、特殊な法令集、であります』

 

「……は? ああいや、その、もう少し分りやすく……」

 

『本書は特定の場所に宿る言霊を文章に変換し、編集によりそれを法として現実世界へ再現、反映させる事を可能とする、特殊な法令集、であります』

 

「…………」

 

さっぱり分からん。何とも融通の効かない人格だ。

答えを理解できない僕がポンコツなのでは、という意見は埋葬しておく。優等生の僕が馬鹿な訳がないのだ。トントン、と眼鏡の弦を指で叩きつつ言葉を選ぶ。

 

「その……言霊や指向性共通意識?っていうのは?」

 

『噂、陰口、怪談、推論、記述。特定の場所や人物に向けられる人間の意識や感情と、それから生まれた霊力の込められた言葉、であります』

 

「れ、霊力……あー、現実に反映、とは?」

 

『指向性共通意識の集う場に宿る言霊を、文章に変換し、編集。該当する場所へ、言霊を再現する【法】を敷く行為、であります』

 

「……う、うん、ぅうん……」

 

つまりオカルト的な何か、と言う事でいいのだろうか。あまりに唐突且つ胡散臭すぎて理解まで追いつかない。

 

「えー、あんたは何でポケットに入ってたんだ。拾った覚え、無いんだけど」

 

『本書における再現条件を素体となった書籍が満たしていた為、それが変化し出現したと考えられます』

 

「……? あーと、素体で出現? つまりあんたは元々居なくて、その条件とやらを僕のメモ帳が満たしたから……現れた?」

 

『是』

 

「えっ……と。ただの安いメモ帳が、革張りの高級手帳になった?」

 

『是』

 

「……、指向性ナントカが、言霊でウンタラで……怪談が……何やかんや、と」

 

『是』

 

誰か通訳連れてきて。暗号解読できる人でもいいから。

 

 

 

――曰く。指向性共通意識とは、人が抱く好奇や畏怖の総称なのだそうだ。

 

例えば未知に対する想像や思い込み。複数の人々が抱いたその感情は、人物であったり、土地であったり。人々の注目を集めている対象に宿り、不思議な力を発するようになる。

無論、人間一人の感情から発せられる力は極微量。現実に何かを起こせる程に強くは無く、大抵は気弱な者の背筋に寒気が走る程度の代物だ。

 

しかし、それが噂話や怪談といった現実感ある作り話を経ると、より強い力……つまりは言霊として現実世界に影響を及ぼすようになるらしい。

それはある種の【法】に沿った規則ある物。人々が共有し語り継ぎ、研磨された【文章】を――怪談を現実化する力。

 

この手帳は、その怪談の編集と書き換えを可能とするツールであるそうな。

そして同時に自らも怪談その物であり、僕の愛用するメモ帳が彼、或いは彼女を再現する為の【法】を満たしてしまったため、メモ帳を媒介として現実世界へと顕現したのだとか。

 

「……嘘くせー……」

 

結構な時間をかけて手帳の自己主張を噛み砕いた僕は、あまりの荒唐無稽な話に大きな溜息を吐いた。

さっきまで感じていた嫌悪感や吐き気よりも馬鹿馬鹿しさが上回り、脱力。額に手を当て項垂れる。

 

『非、全て事実であります』

 

「そう言われてもね」

 

僕は胡乱げな視線で説明文を無視してパラパラと手帳を捲る。

すると手帳は僕の視線を追いかけているらしく、捲った先のページにも全く同じ文面を浮かび上がらせて来た。

何度も、何度も。眼球が動く度、文章がまるで逃がさんと言わんばかりに視線の先に浮き上がる。怖っ。

 

「ま、まぁ、オカルトめいた存在だとは認めるけど。それでも……」

 

このような常識外の現象が存在する以上、そう言った事象が存在する事は認めてもいいだろう。

しかし僕はこれまで超常現象の類は基本的に信じていなかったのだ。

日々を実直に、現実的に生きてきた人間に対し、怪談とか霊力とか突拍子もない事をすぐに受け入れろというのは酷な話ではないだろうか。

 

『では、正しく認識されずとも、構いません。本書をどう使用するか、強制される事はないのですから。本書を存在させ続けられるのであれば、どのように認識されていても、何ら問題は、無いのです』

 

この目的自体も意味不明。ただ存在するのが目的であるのならば、怪談を編集する機能なんて必要ない筈なのだから。いっそ清々しい不明瞭加減である。

 

「…………」

 

けれど、心は惹かれてしまう。好奇心と言い換えても良い。

先程感じた感覚からして、おそらくこの手帳は善い物では無い。このまま見なかった事にして押入れの奥にでも突っ込んでおくのが賢い選択なのだろう。

 

しかしこのまま手放すには、そう、あまりにも惜しいのではないか……?

 

「…………っ」

 

脳内に一度は酷い目に合わせてみたい少年の姿が過ぎり。心臓が大きく跳ねる。

そうだ、上手くすれば、アイツを――。

「……そう、だね。一回くらいは、うん、信じてみても良いかもしれない……」

 

ズレかけた眼鏡の弦を押し戻し、興奮を隠す。

 

僕の言葉を受けたインクは先程と同じように文面を変えていく。やはりその光景には不気味な物があったけれど、今度は新しい文面が待ち遠しく感じてしまう。

そうしてインクをかき混ぜる気持ちの悪い音が響く中。僕は決して小さくはない期待と共に、蠢くインクを見つめ続けて――。

 

『貴方の霊力が極めて微量である為、本書の機能を使用する事ができません』

 

「……………………、はっ?」

 

その無感情且つ無慈悲な一文に、間抜けな声を上げた。

 

「……えと。あんたは怪談とかを好き勝手に編集できる手帳、なんだよね?」

 

『是』

 

「でも、その霊力? が無いから、僕はあんたを扱えないって?」

 

『是』

 

「……はぁ? いや、ちょっと待って。僕は持ち主だろ、そんな馬鹿な話が、」

 

『貴方の微量な霊力では、本書を十全に扱う事ができません、であります――』

 

期待も高揚感も泡の如く弾けて消えて。急速に膨らむのは濁りを孕んだ失望感。

何を本気になっちゃってたの、僕。

湧き上がる羞恥と怒りに身を任せ、思いっきり手帳をぶん投げた。

 

 

                     *

 

 

「……クソ、思い出したら腹立ってきた」

 

時は戻ってパソコンの前。昨日の出来事を思い出し血圧が上がった僕は、ケツ圧を上げて尻ポケットの手帳を意識的に押し潰し。強くマウスを押し鳴らす。

 

「怪談、霊力、手帳、法令、オカルト……あと指向性何とかも」

 

調べているのは勿論、尻肉の下で苦しそうに藻掻いているオカルト手帳の事だ。

胡散臭いこと極まりない役立たずではあれど、それでも不思議存在である事は確かだ。何か前例が残っているんじゃないかと休日を利用し調べに来たのである。

 

……ついでに、手帳の能力を使う方法も見つかるかもしれないしね。

 

「でもこれ、どっから手を付けていけば良いのか分かんないな……」

 

しかしまぁ、物事はそう簡単には進まないらしい。エンターキーを押し込んだ瞬間にズラズラと流れ出た検索結果に軽く目眩を感じ、辟易する。

ヒットした検索結果は五千件以上。加えてその殆どが創作小説や本の紹介などで、有力そうな情報は一目で分かる場所には無さそうだ。

 

「あー……」

 

力無く唸り、机に上半身を預けた。のっそりと手帳を電灯に掲げ観察する。

決して冷たくは無く、むしろ人肌程度には温まっている筈なのに何故か感じる寒気と怖気。暑い日に肌とズボンの間に挟んどけばかなり重宝しそうだ。

 

「……ふむ」

しばらくその感触を味わう内に、ふと思い付く。検索結果を表示させたままのパソコンに視線を戻し、それぞれの単語を1つずつ別個に検索してみる。

その殆どは先程と同じく碌な情報が出なかったが――霊力という単語に限り、その一解釈の説明ページが目を引いた。

 

「霊力とは。神通力、エネルギー、魅力、気――そして魂、ね」

 

怪しい言葉ばかり出てくるが、共通しているのは精神に依存する不可思議な力である、という事だった。

 

霊の力は目に見えず、人の計量器では測る事が出来ない神秘のパワー。

僕らが呼吸し、思考し、生きる事ができるのも全ては霊の力があればこそ。言い換えれば生命が生命たる所以であり、肉体はそれらの宿に過ぎないのだという。

他にも神が宿るとか霊能力との関係とか出てきたが、何だか宗教的な匂いが強くなってきたので読み飛ばす。

 

……しかし、その情報を踏まえると、だ。

 

「……僕の霊力が微量って事は何、精神薄弱って事?」

 

まるで僕の器が小さいと馬鹿にしているようにも感じられ、軽く苛つく。

小さい頃から型に押し嵌めていた僕の精神が、こんな胡散臭い手帳を動かせない程に微弱な物である訳がないのに。まっこと極めて遺憾である。

 

「…………」

 

ふと時計を見れば、もうそろそろ二十分が過ぎようとしている事に気がついた。

この書店のパソコンは二十分の使用で百円の料金が発生する。今のまま調査を続ければ、確実に万の単位は超えそうだ。

 

(……何か、見当みたいなものが欲しいな)

 

そう呟き、静かに書店を後にする。ぶつんと、背後で電源の落ちる音がした。

 

 

 

休日のお昼時という事もあってか、街の中はいつも以上に人間で溢れていた。

様々な人達が交差し、袖を振り合わせ。春の陽気を乗せた心地のいい風が彼らの隙間を縫って吹き抜ける。街路樹の桜が桃色の雨を降らせ、より一層の春を感じさせるのだ。

 

……で、そんな爽やかな雰囲気の中、寂れた公園内で塩握りを頬張る根暗が一人。

まるで職を失ったリーマンの如く。傍から見ればさぞ侘びしい姿だろう。けっ。

 

『あんた、何で意識あんの?』

 

『意識ではなく、説明項、であります』

 

そんな僻みを紛らわせるかの様に、膝の上で開いたオカルト手帳と筆談をする。

質問と呼ぶには雑な思い付きが紙面へと吐き出され、一瞬の後に消えていく。

どうも紙面に書かれた物は、液体に限り何でも吸収してくれるようだ。

 

『あんた自身は何ていう名前なの?』

 

『受け答えさせて頂いているのは、説明項、であります。怪談としての名前は、記述されておりません』

 

『なんで』

 

『その情報は、本書に記述されておりません』

 

『……僕のところに来る前は何やってたの』

 

『その情報は、破棄されており、本書に記載されておりません』

 

一問一蹴、上手く会話が繋がらない。さっきからずっとこの繰り返しだ。

まぁまぁ不毛な事この上ないが、とりあえず暇つぶしにはなっていた。

 

『あんたって男? 女?』

 

『本書に、性別の概念はありません』

 

『なんで?』

 

『本書に、性別の概念が無いから、であります』

 

「っふ……」

 

子供かよ。不意に帰ってきた融通の効かない回答に、思わず笑みが漏れた。

何だか気が抜けた。ベンチの背もたれに体を預け、手帳を閉じて再度観察する。

……やはり何度確かめても単なる手帳だ。外から中に至るまで全て動物の皮で出来ているのは珍しいとは思うが、それだけ。特殊な装飾も文様も何も無い。

 

「……何回も聞くけど、何で僕の所に来たんだ? 持ち主として不適正でしょ」

 

『貴方の持つ書籍が、本書の再現条件を満たした物と、考えられます』

 

「だからあんたの再現条件って何なんだよ……」

 

『本書には、記述されておりません』

 

少し踏み込んだ事を聞くとすぐこれだ、ミステリアスでも気取っとんのか。

うんざりと空を仰ぐ。青い空に白い雲がたなびいていて、とても綺麗だ。

……昼食も終えてお腹も膨らんだ所為なのか、瞼が重くなってきた。眠気に押されぼんやりとした思考の中、手帳への質問が惰性で続く。

 

「……その、あれ。再現条件とやらってさ。他のやつはどうなの?」

 

『質問は具体的に、お願いします』

 

「いや、あんたは……噂やら何やらを自由に扱える設定なんだろ。だったら他の話とか、条件はどんな感じなのかな、って」

 

周りに誰も居ないとは言え、外出先でオカルトだの怪談だのと言ったトンチキを口にするのは抵抗感があったので、オブラートに包む。

まぁどうせ詳しくは語らないんだろう。なんて気楽に構えていたのだが。

 

『では、本日書店に辿り着くまでに遭遇し、集積した言霊を表示します』

 

「……え?」

 

その一文に、二回目の欠伸が途中で止まった。

 

「……、ど、どこで?」

 

『貴方の住む家よりそう離れていない、森に面した小路、であります』

 

さやまの森の横辺りである。手帳の言が正しければ、自覚のないままに心霊スポットを踏み荒らしていたという事に考えが至り、一気に眠気が吹っ飛んだ。

いや、怖い訳じゃ無いさ、でも不意打ち気味に知らされるのは心臓に悪い訳で。

 

狼狽え不思議な踊りを踊っている僕を無視し、手帳は淀み無く文字を浮かべた。

 

 

【異小路】

 

『界を門として、告呂の小路の先に異界を開く。

 その住人は、足を踏み入れた者を自らの世界へと誘い、連れ去る。

 そしてこの世から跡形もなく消し去るだろう』

 

 

……界と開をかけているのだろうか。下らない洒落が脳裏を過る。

ただ息を呑み、寒気と期待感を背筋に走らせながら。僕は只管に文を見つめ続けて――しかし、それ以上文面が増える事はなかった。

 

「…………え、まさかこれだけ?」

 

『無論、周囲に伝わる形はこれより複雑な文章となりますが、本書に記載された文章は、以上であります』

 

ドキドキ様子を見ていたが、本当に何も変化せず。どうやらこれでおしまいのようだ。思いの他短い文章に拍子抜け。意味も無く止めていた息を吐き出した。

 

『この文面を霊力を含めた墨を用いて編集すれば、それが新たな【法】となり、条件を満たした場所に言霊が再現されます。環境に即した文面に編集すれば、異なる場所に言霊を再現させる事も可能となるのです』

 

「それはまた……微妙に使い勝手の悪そうな」

 

僕としては召喚魔法的な物をイメージしていたのだが、聞く限りでは相当地味な物のようだ。

 

『注意点としましては、自らの霊力だけではなく、核として他人の――』

「いい、いい。もう十分」

 

また何か小難しい事を並べ立てそうだったので、表紙を閉じて文を遮る。

もう苦労して単語を解読するのは御免だ。どうせ僕には手帳の力は使えない訳だし、急いで理解しなくたって……。

 

「……うん、うん」

 

……霊力とやらを鍛える方法があれば。一瞬そんな考えが過ぎったけれど、解脱とかそう言った方向に進みそうなので思考停止。

 

さて、この後はどうしようか。家に戻った所で勉強ぐらいしかやる事はないし、せっかく街にまで来たのに何の情報も得られず帰るのは負けたような気分になるから避けたいところだ。

いい機会だし、街中の大きな図書館にでも行ってみようか。自宅から遠かった事もあり今まで行った事は無かったけれど、僕ももう高校生だ。活動範囲を広げてみるのも悪くない。

 

「……そろそろ行くか」

 

未だカサカサ蠢く手帳を再び尻ポケットにねじ込み、公園から立ち去る。

その足取りは心なし快活な物だ。もしかしたら、物語の中にしか無いと思っていたオカルトなんて物に触れ合い、少しだけ今の状況を楽しみ始めていたのかもしれない。

 

……不謹慎、なのだろうか。この時の僕には分からなかった。

 

 

                     *

 

 

結局、図書館でも有力な手がかりを見付ける事はできなかった。

 

日本全国に昔から伝わる怪談や伝承、風説、都市伝説などを纏めた本を幾つか漁ったのだが、手帳らしき情報が載ったものは無く。

成果といえば、無駄な雑学知識と面白そうな推理小説を見つけた事くらいだ。

 

「……もう夕方か」

 

人影が減り、カラスの鳴き声が煩い街を歩く。夕陽が文字の読みすぎで疲労した眼球を炙り、痛みとも擽ったさとも付かない感覚がして瞼を閉じた。

薄らと涙の滲んだ目で時計を確認してみると、現在時刻は午後四時半。移動にかかった時間を差っ引いても、結構な時間図書館に篭っていた計算だ。そりゃ疲れる筈だと眉間を揉んだ。

そうして住宅街へ続く小路に着いた時には、陽は殆ど落ちていた。

明かりが少なくなった事で、元々狭かった道が更に閉塞感を増している錯覚を受ける。虫の鳴き声と風に揺れる木々の葉音がやたら煩く感じ、幹の隙間から覗く闇と合わせて何とも言えない雰囲気を放っている。

 

「……そう言えば、ここだよな。集積とか何とか」

 

昼にした手帳との会話(なのだろうか)を思い出し、鼻の頭に皺が寄る。

異小路、だったっけ。一体誰が何の目的でこんな良く分からん怪談を考えたのやら。少しばかり疑問に思った僕は、例のごとく手帳を取り出し、問いかける。

 

『おそらく、森への侵入を戒める警告の類が、時を経て文章の形に変化した物と思われます』

 

「さやまの森に入っちゃいけないってやつか。確かによく注意されたっけ」

 

思い出せば、この辺りの壁の落書きの中に「界」の文字があった気がする。

単なるイタズラとしか思っていなかったが、何か関係が有るのかもしれない。

 

「……これ、元の編集される前の文面って出せないの?」

 

『過去の持ち主達の情報、言霊、行った編集記録などは全て破棄されています』

 

「リセット機能ってか。周到……っていうのかなぁ、これは」

 

どっちかといえば不親切だよな。つらつらと手帳との問答を行っていると――見つけた。

 

灰色の壁に黒い塗料で小さく殴り書きされた「界」の文字。それは電柱の影に隠れるようにして配置され、長く雨風に晒されていたせいか少々掠れていた。

これが「門」なのだろうか。擦ったり叩いたり、へっぴり腰で反応を確かめてみたのだが、何も起きず。只の不気味な落書きの域を出なかった。

 

「……な、何だよ、何も起きないじゃないか」

 

『是。その文字は条件の一つではありますが、全てではありません』

 

「え? これが『界の門』って事でしょ? なら……」

 

そこまで言って、気付く。視界の端、道を挟んだ反対側の塀にも小さく文字が刻まれていた。

近寄ってよく見てみると、それは紛れもなく「界」の文字だ。多少乱れはあれど、先ほど触っていた物と同じような乱雑さで描かれている。同一人物の筆跡だ。

 

ただ一つだけ相違点を挙げるならば、文字の一部――「界」という字の下部分、「介」の払う部分が削られた様に無くなっている所だろうか。

 

「……二つ揃って初めて門で、その片方が欠けてるから駄目と。はぁん、画竜点睛ってヤツ」

 

僕の独り言にカサカサ反応する手帳を閉じて、じっくりと観察。

おそらく石か何かで意図的に削り取ったのだろう、その部分には無数の引っ掻き傷が集まり、粉を吹いて壁面を白く染めている。

傷跡からして何度も書き足しと削り取りが繰り返されていたようで、人の意思が介在しているのは明確だ。

 

(……何が目的だったのかは分からない――けど)

 

確かに、怪談を利用していた奴が居た。

最後の一線、信じきれなかった手帳の文が急速に現実感を増していく。

 

(もし、この文字を完成させたらどうなる?)

 

怪談では無く現実に手を加え、怪談が再現されるお膳立てをするのだ。

 

……もしかすると、それなら僕でも異界を開く事が出来るんじゃないか?

諦めきれない好奇心がむくむくと湧き上がり、無意識の内に荷物を探る。

コンクリートに使うにはボールペンでは心許ない。油性ペンは無かったか。

 

僕は何かに取り憑かれたかのように、一心不乱に鞄を浚い――。

 

 

「――よーっす、何ボサっと突っ立ってんだネクラァ」

 

 

ごす、と。突然背中に強い衝撃を受け、吹き飛ばされた。

 

「あがっ……!?」

 

完全な不意打ち。警戒も何もしていなかった僕は録に反応する事も出来ないまま、荷物を投げ出し地面へと無様に叩きつけられた。一瞬、息が詰まる。

 

「ったくさぁ、電話かけても出ねーくせに、何で忘れた頃に見つかんのよ。空気読めよ馬鹿」

 

――山原浩史。

 

僕を見下ろすようにして立つ幼馴染のクズの姿が、そこにあった。

……最悪だ。

 

 

 




主人公:霊力貧弱マン。
革手帳:半ば説明回であります。

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