怪男子   作:変わり身

6 / 25
4頁 日常

                     3

 

 

剥がした皮膚は鞣されて、潰された眼を流される。

 

 

                     *

 

 

――ねぇ、おじいちゃん。おじいちゃんはどうして私を拾ったの?

 

……小さな小さな、幼子の言葉。

その嫌味も卑屈も無い純粋な疑問に何と返したのか、よくは覚えていない。

ただ、この子がそんな事を口にするのが悲しく、切り傷に塗れた小さな手を握りこんだのは確かだ。

 

……本当に、無意識の行動だった。しかしきっと、間違っては居なかったのだろう。幼子は少しびっくりしたようにこちらを見ると、やがて柔らかく笑った。

その笑顔はとても暖かく、決してこの手を離してはならないと、そう思えた。

 

――そっか、おじいちゃんも私と一緒なのでありますね。

 

幼子の手を引いてその山を降りる途中、その子は笑みと共にそう零す。

 

何故笑う――そう聞けばその子は首を振り、二人になる事が嬉しいのだと、そう言った。

ああ、それに対する返答はよく思い出せる。

忘れる筈が無い、そこからあの穏やかな日々が始まったのだから。

 

――私もだ、と。そう、笑ったのだ。

 

 

                     ■

 

 

月曜の早朝。

 

家の外から小鳥の鳴き声が響き、雨戸の隙間から寝室に光の筋が差し込んだ。

春の朝の爽やかな空気を宿したその光は、寸分違わず僕の目元を焼き、炙り。穏やかな夢の中を揺蕩っていた意識を引き上げる。

 

「……何だ、今の夢……?」

 

どこか森のような場所で老人と幼子が触れ合う、意味不明な一幕。

夢なんてそんな物だと分かっているけど、何故がほんの少しだけ気にかかった。

 

「……暗っ。今、何時だ?」

 

時計を確認してみれば、まだ朝の五時半を回った所。

普段の僕ならば青筋を浮かべ小鳥と太陽を呪う所だったが、今日はすんなりと許す事ができた。

それどころか起こしてくれた事に感謝の念すら湧いてくる。

 

「さて、と」

 

僕は目尻の涙を払いつつ布団をたたみ、ガタつく雨戸をこじ開ける。すると雪崩込んだ光の波が、ちゃぶ台の上に鎮座する手帳を照らした。

それはやはり妙な不気味さを湛えていたけど、今の僕にはとても好ましく映る。

 

何と言っても、彼……いや、彼女かな。ともかくそれは僕の恩人ならぬ恩書であるのだから。

 

「はは、おはよう」

 

そう言って表紙を撫で上げると、中で何かを綴って居るのかカサカサと蠢く。僕はそれに笑みを零し、丁寧に胸ポケットへ仕舞いこむ。

……そういえば、さっき僕はどんな夢を見たんだっけ。考えたが、忘れた。

 

 

 

戸締りをして、登校。

閑静な住宅街といえど、朝のこの時間帯はそれなりに人通りも多く、混み合っている。

 

近隣住人と挨拶を交わしつつ、大通りへと続く曲がりくねった小路を進む。

周囲の木々も徐々にその数を増し、林となり、森となり。やがて見えてくるのは、そんな緑の中に浮かぶ閉塞感のあるブロック塀と歪んだアスファルト――山原が消えた、あの場所だ。

 

「…………」

 

歩く速度を落とし、ゆっくりと辺りを見回した。

そうして一歩一歩、緩慢に進んでいると、見えてくるのは地面に付いた二本の赤黒い線だ。

 

それらは道の半ばから突然始まり、同じく道の半ばでぷっつりと途絶えている。

これはやはり、居なくなった彼らの血液なのだろう。必死に抵抗し、爪を立て、割れた。その痕。昨夜の悲鳴を思い出し、少し笑う。

 

「ん……?」

 

ふと見れば、道の端に何かが落ちているのが目に付いた。

砂埃で汚れ、中身の零れたビニール袋――山原が持っていた、碌でもない粉末のパックだ。

 

「……ふん」

 

きっと、「何か」に連れて行かれた際に落としたのだ。嫌悪感を込めて思い切り踏みつければ、軽い音を立てて袋がひしゃげ、粉末が内臓のように飛び散った。

何度も、何度も、足を振り上げ踏み躙り。地面と擦りビニールをズタズタに引き裂いていく。

 

「――ざまあみろ」

 

呟き、一際激しく踏みつける。白い粉が足元に漂い、制服の裾を僅かに汚した。

 

 

                      *

 

 

山原が消えた日の翌日。日曜日の朝早くに、僕は彼の自宅へ電話をかけた。

応答したのは山原の父親、僕の父親と友人同士だったという男性だ。どこか落ち着かない様子だった彼に、僕は丁寧に問いかけた。

 

即ち――『浩史くんは居ますか?』という単純な一言を。

そして返ってきたのは否定の言葉。土曜日に出かけたきり帰ってきていないとの事だった。

 

山原が消えている。それを完全に確信した僕は、通話を断つやいなや馬鹿みたいに笑い転げた。

ゲラゲラと、ゲラゲラと。あれ程楽しい気分になれたのは、後にも先にもこれっきりだろうと思う。

 

山原父には申し訳ないが仕方ない、お婆ちゃんを冒涜するようなクズは消えるべきなのだから。

まぁ怪談には死ぬとは書いていなかった。もしかしたら今頃別の世界で勇者やら何やらファンタジーやってるかもしれないし、それはそれで良いんじゃない?

あぁ、主人公になれるなんて羨ましいなぁ。ははははは。

 

「……よーす、どうしたよ? 何か機嫌良さそうだけど」

 

「え? ああ、いや。何でもないよ」

 

登校後も幸せな気分に浸っていると、その様子を不審に思ったのか、先日僕に話しかけてきたクラスメイト、星野君が欠伸を漏らしながら近づいてきた。

そんなにも表情に表れていたのだろうか。指で口角をなぞる。

 

「さっきから鼻歌してっけど。結構上手いな、お前」

 

思わず口を抑えて周囲に視線を走らせれば、隣席の(えだなし)さんから生温かい笑顔を向けられた。ちょっと浮かれすぎじゃないか僕。

 

「ま、まぁ、ちょっと嬉しい事があってね。まだ少し余韻が残っているんだ」

 

「ふーん、そうなん? でもその割には何か怪我してね?」

 

そう言って、頬に当てているガーゼを指差す。流石に少し目立つらしい。

 

「……こんなの気にならない程嬉しかった、って事だよ。それより君こそどうしたんだい、何か眠そうだけど」

 

「あー、休み中にはしゃぎすぎたわ。ほら、クラスの男連中でカラオケ行くって話したろ?」

 

「うん、僕も用事がなかったら是非参加したかったよ」

 

「だーから今度行こうぜって。で、そん時に仲良くなった奴らとさ……」

 

少し話を逸らしてやれば、面白い様に乗ってくれる。

他人の明るい思い出話ほど下らない物は無いが、今日の僕は機嫌がいい。寛大な心で聞き流す。

 

「……それでよぉ、そん時居合わせた竜之進っつー奴がえらい器用で」

 

「へぇ、そうなんだ」

 

身振り手振りを交えたその話は、担任の若風先生が入ってくるまで続き。僕はそれに心無い相槌を打ちつつ、これから訪れる穏やかな生活に思いを馳せていた。

 

 

 

『……本当に消えたんだよな、山原のやつ』

 

『是。かの人物ならば、怪談の再現時に異界へと誘われた事を確認しています』

 

朝のホームルームが終わり、一時間目の総合学習の授業中。この学校での校則を反復している担任教師の言葉に集中している振りをして、僕は手元に広げた手帳と筆談していた。

時々顔を上げて若風先生の目に視線をやっていれば、傍から見ればメモを取ってるようにしか見えない筈だ。最低限予定などの大切な情報を漏らさいないよう注意し、雑談に興じる。

 

『それはもう聞いたけど。何か……信じられないというか』

 

『本書には、しっかりと記録されています。山原浩史、及び井川という少年達は、怪談に則り異界へと誘われました』

 

何となく手帳がムッとしているように感じたが、気のせいだろうか。

 

『……あ、そうだ。あんたは何かして欲しい事ってある? お礼しなくちゃ』

 

『不要です。本書は、何一つ貴方の行動を強制する事はありません』

 

言うと思った。ある意味期待通りの返答に軽く溜息。まるで壁にボールを投げるかのような手応えの無さだが、せっかく提案したのだ。惰性のまま会話続行。

 

『いや、一応あんたが来てくれたおかげであのクズを消せたんだからさ』

 

『非。本書の目的は存在し続ける事ただ一つ。他に望むものはありません』

 

『存在し続ける、ねぇ……』

 

つまり捨てられなければそれで良い、と。

何もいらないならそれはそれで楽なのだが、何となく居心地が悪い。

僕は自他共に認める優等生なのである、恩を受けたままそれを踏み倒すのは、あまりにも不義理ではないか。

 

(ペンのインクをもっと良い物に変える……いや、それは流石に貧乏臭いか)

 

考えつつ視線を若風先生に戻せば、話題はクラス役職決めに移行していた。

委員長や図書委員等、複数の役職が黒板に書かれ、その下に名前を書く空欄が記されている。

 

……名前、名前ね。

 

『名前付けるのとか、お礼になったりする?』

 

『疑。質問は正確にお願い致します』

 

『ほら。言霊やら怪談やら、みんな個々に題があるでしょ。あんたもそのカテゴリで存在するって言うなら、何か名前があった方が良いんじゃないかな、って』

 

名は体を表すとは言うが、手帳や説明項では味気無さすぎるのではなかろうか。

自分で付けるつもりは無さそうだし、そういった意味では礼になる……のかなぁ。ふとした思いつきだが、何か押し付けな気がしなくもない。

すると手帳は沈黙し、少しの間だけ文字が止まった。何となく、ハラハラ。

 

『……仮の名を定める事により、更なる存在の定着を図るという事なら、本書の目的と合致します。呼び名の設定をお願いします』

 

『……提案しといてアレだけど、良いの? 名前なんて自分で決められるのに』

 

『構いません。説明項には、本書に対する決定権はありません。名称が設定されない場合は、これまで通り説明項と呼称します』

 

良く分からない所で納得している手帳に問いかけたが、帰ってきたのは硬い文。

そこには喜びも何も無く、僕の自己満足にしかならなさそうなのが辛い所だ。

けれど手を抜くのも不義理だろう。眼鏡を上げ、僕の優秀な頭脳を働かせる。

 

(手帳、テッチー。説明子、めいこ、明子……オカルトテッチー明子さん。いやダサいな)

 

あーでもないこーでもないと悩みつつ、思い浮かんだ名前を片っ端から書き記していく。

手帳はそのどれにも反応しないままだったが――。

 

『――めいこ』

 

「ん……?」

 

 ぴくり、と。

 

書き並べた名前の内、平仮名で書いた『めいこ』の字が僅かに動いた気がした。

 

『今、何かした?』

 

『非』

 

手帳に訪ねてみても、帰って来るのは何時にも増して無感情な一文字だけだ。短すぎて裏を読み取る事など出来る訳がない。

……どこか腑に落ちない感情を抱きつつ、その三文字を注視した。

 

「……ふむ」

 

めいこ。

特に捻りもない、何とも由緒正しい日本女性チックな響きだ。

 

でも、その単純さが中々良いかもしれない。

例えば後ろに「さん」を付けて「めいこさん」とか――余計な装飾が無い所が返って怪談的に良さげなのではなかろうか。「花子さん」とかそんな感じで。

 

『……うん、「めいこさん」はどうかな。怪談としてフラットじゃない?』

 

『構いません。本書には、本書への決定権がありませんので、ご自由にどうぞ』

 

……そう帰ってくるのは分かってたけど、自分の名前なんだから少しは何かさ。

けど、まぁ。彼女自信が構わないというのならこれで決定としておこう。

僕は「めいこさん」の文字を勢いよく丸で囲み、

 

「っ……?」

 

 ――その、刹那。紙面を走るインクが一瞬だけ火花を散らした気がした。

 

何度も瞬きを繰り返して見直してみたけど、特に変わった様子は無い。

……見間違い、かな。まぁいいや。

 

『じゃあ、今からあんたの事はそう呼ばせて貰うよ。よろしく、めいこさん』

 

『……是』

 

返答までに少し時間が空いたが、特に気にしなかった。新しく呼び名を付けた事により彼女に親近感を感じて、浮かれていたのかもしれない。

めいこさん、めいこさん。うん、僕のセンスもなかなかの物だ。

 

「――よし、じゃあまずは委員長から決めるか。誰かなりたい奴ー」

 

そうして一人悦に入っていると、若風先生が一際大きな声を張り上げてきた。どうやら一年間の生贄を募っているようだ。

横目で周囲を伺ってみれば、誰も彼もが必死になって教師から目を逸らしてる。

当たり前だ、誰が好き好んで面倒な責任を背負い込む物か。当然僕も皆に習い、静かに教師から目を逸らした……のだが。

 

(……ふむ)

 

しかし、何度も言うが今日の僕は機嫌が良かった。

考えてみれば、デメリットばかりでもない。周囲からの印象は良くなるだろうし、内申点も稼げる。優等生を自称する者としては、中々良い立場だ。

 

「居ないかー? じゃあ独断と偏見と第一印象で――……」

 

「――はい、僕で良ければやりますけど」

まぁ、山原が消えて新しい生活が始まるのだ。少し位はチャレンジ精神を持ってみるのも悪くは無いだろう。

僕はプラスの方向にそう思い直し、頷きを一つ。クラスメイトの視線を感じつつ、ゆっくりと手を上げたのだった。

 

 

                      *

 

 

学校が終わった帰り道。落ちかけた太陽が橙色の柔らかな光を放ち、未だ舞い散る桜吹雪の中をゆったりと歩く。

あれ程煩わしくて堪らなかったこの桃色の雨も、今では心地良く感じられた。憂いが一つ無くなっただけで現金なものである。

 

「――にしても、お前すげぇな。自分から委員長に立候補するなんてよぉ」

 

そんな風に浸っていると、横合いから能天気な声がかけられる。何故か一緒に帰る事になった星野君だ。

どうも未だにカラオケの件を気にしているらしく、何かにつけて絡んでくるのだ。ありがた迷惑とは正にこの事。

 

「そうかな。一年生だし、大した事はやんないと思うけど」

 

「いやいやいや、何かアレ、ツキイチの集会とか出んだろ。面倒くせぇって」

 

星野くんが首を降る度に髪が揺れ、ワックスの香りが鼻腔に張り付く。思わず山原を想起したものの、すぐに頭から放逐した。

チャラ男はチャラ男でも、アイツと違って害の無いチャラ男だ。あの有害廃棄物と比べるだけでも、相当な失礼に当たる。

 

「まぁお前メガネだし、ハマり役ではあるよな。イーンチョー」

 

「……眼鏡?」

 

「おお、だってメガネとか頭よさそ―じゃんよ。ほーら数学メガネビーム!」

 

唐突に変な必殺技を食らった。何やってんだコイツ。

まぁおそらくは、彼なりに褒めているんだろうけど――やはり、どうも僕としては近寄りたくない類の人間である。

 

(……何というか、疲れるな)

 

チャラい外見か、軽い性格が原因なのか。多分どっちもだろう。優等生たる僕の友とするには、極めて不釣り合いだ。

 

「――っと、じゃあ俺こっちだからよ。また明日ってコトで、じゃな!」

 

「うん、また明日」

 

住宅街に繋がる細道の前に辿り着き、星野くんと別れた。どうやらあんなナリでも良いとこの坊っちゃんらしく、高級住宅街の方に住んでいるらしい。

物凄くムカついたので見送りはせず、すぐに身を翻し歩き出す。通るのは当然、件の小路――異小路だ。

 

(……まぁ、星野くんがどんな奴でも別にいいさ)

 

これから先、彼の行動が目に余るようならば。その時は、また――。

 

「……ククッ」

 

笑みを、一つ。

鬱蒼と茂るさやまの森を眺め、壁に書かれた「界」の文字をザラリと撫でた。

 

 

 

「……ん?」

 

そうして綺麗な夕陽を眺めつつ、十数分程歩いた所だっただろうか。

住宅街に辿り着き、そろそろ自宅が見えてきた頃、鉄門の横に見慣れない男性が立っている事に気が付いた。

年の頃は四十代の半ば、と言った所だろうか。如何にもサラリーマンと言った風情のその男は、落ち着きの無い様子で辺りを見回している。

 

……セールスだったら嫌だな。警戒しつつ、歩行速度を落とす。

 

「……!」

 

するとあちこちに散らしていた男の視線がこちらを捉え、目が合った。

向こうもそれが分かったのか、弾かれるように僕の下へと駆け寄って来る。

 

「やぁ、えーと……ロッ君。久しぶりだね、元気にしてたかな」

 

「……すいません、どちら様でしょうか」

 

誰だこの人。軽く息を乱しながら昔呼ばれていた渾名を呼んでくるその男に、僕は不信感を隠す事無く対応。それなりに警戒した表情を向けてやる。

 

「え? あ、そうだ。ここ五年くらい顔は合わせてなかったっけな。昨日の電話でつい会った気になってたみたいだ、悪かった」

 

男は僕の言葉に目を丸くしたが、すぐに苦笑を浮かべ後頭部をボリボリと掻く。

しかし電話とは、さて何の事だったか――と。

 

「あ」

 

「……思い出してくれたか?」

 

思わず間抜けな声が漏れ、それを聞いた男性が安堵の息を吐いた。

そうだ、僕は彼を知っていた。直接会ったのは大分前だったけれど、つい昨日も電話越しに彼の声を聞いている。

直後に笑い転げていた所為か、記憶がすっかり頭から飛んでいた。

 

「――じゃ、改めて久しぶり、浩史の父の山原藤史だ。少し聞きたい事があって待たせてもらったんだが……今、大丈夫かな?」

 

彼はにこやかにそう言って。息子のそれとは違う、欠片も嫌らしさを感じさせない愛想笑いを僕に向けた。

 

 

                      *

 

 

「悪かったね、今までおばさんにお参りできなくて」

 

何だかタイミングが合わなくてね。仏間に案内している間、藤史さんはそう言って頭を下げた。

 

僕は山原は大嫌いだったが、その父親である彼にはあまり含む物は無い。何せ外面内面共にあんな典型的不良スタイルを取っているようなクズである、家族はさぞかし苦労していたのだろうと同情の念さえ持っていた。

 

「俺も小さい時は良くお世話になってたもんだよ。憲一……君の父さんと二人して拳骨貰った事もあった」

 

「ええ、祖母から話だけは良く聞いていました。武勇伝とかも……まぁ、少し」

 

「ハハ、悪ガキ的な意味だろ。ちょっと頭が足りてなかったんだわな、俺ら」

 

僕の濁した皮肉に恥ずかしそうに笑って、首筋を掻く。

やたら手のかかった息子と友人の思い出話。それを話している時のお婆ちゃんは怒りつつも本当に楽しそうで、聞いているだけで嬉しい気持ちになったものだ。

そんな他愛もない話をしながら藤史さんを仏間へと招き入れ、僕自身はお茶を淹れる為にと一旦離席する。

 

おそらく、僕はこれから大きな嘘を吐く。その覚悟を済ませておきたかった。

 

「……それで、話というのは?」

 

そうしてお茶で舌を潤し、二言三言の近況報告の後。僕は徐にそう切り出した。

少し唐突だった為か、藤史さんは一瞬だけ息を詰まらせたが、すぐに再起動。

大きく溜息を吐き、ぽつぽつと話しだした。

 

「ああ、話なんだが――浩史のバカがどこ行ったか知らないか?」

 

……来た。

放たれたのは、半ば確信を持って予想していた言葉。僕は努めて冷静に無関係の振る舞いを心がけ、対応する。

 

「山……浩史君、ですか?」

 

「ああ、一昨日から家に帰ってきてないんだ」

 

眉を顰め、初耳を装った表情を作る。罪悪感が心中を苛むが、無視をした。

そう、全部山原の身から出た錆、自業自得なのだ。僕が気にする事は何も無い。

 

「すいません。金曜日に会ったのを最後に見てないです」

 

「何か……独り言みたいのでも良い、知らないか? どこどこに行くとか、そういう事を言ってたみたいな……」

 

「……すいません」

 

「……そうか。まぁ、いきなり言われても、そうだな、困るよな……」

 

一応警察には連絡してるんだがな――その言葉を最後に、重苦しい空気が漂う。

カチ、コチと壁掛け時計の音だけが室内に木霊し、やけに煩く感じた。

 

「…………」

 

……罪悪感が一秒毎に膨らんでいく。でも、やはり本当の事を言う気にはなれない。

僕はこの重圧から逃れたい一心で、無理矢理言葉を捻り出した。

 

「浩史君って……あの、こういう事、今までにあったんですか?」

 

「ん?」

 

「いえ……無断外泊の一回や二回はしてそうなイメージがあったもので」

 

父親を前に失礼だったか。後悔したが、口にしてしまった以上押し切った。

幸い藤史さんは気分を害さなかったようで、表情を苦笑に崩し、それと同時に部屋の雰囲気も僅かに払拭された。

 

「ま、あんな格好してるもんな。そういう所は俺に似たのかね」

 

過去の自分を思い出しているのか、懐かしむように目を細めた。そしてお茶を一口啜り「でもな」と前置き。

 

「正直腐ったミカンの部類ではあるが、そこら辺は意外ときっちりしてんだぜ。浅海の事があったから」

 

「浅海……浩史君のお母さん、でしたか?」

 

「そうだが……あれ? 聞いてなかったのか?」

 

不思議そうな顔を作っている僕に、意外そうに問い返してくる。

山原の事情なんてどうでも良かったし、向こうも積極的には話さなかった。

思い返せば、奴に関して知っている情報は余り多くないのかもしれない。

 

「えと……すいません、分からないです」

「……そうか、そっか……」

 

そんな僕の反応に何とも形容し難い表情を浮かべ、押し黙り。それを誤魔化すようにお茶を飲み干し、一息。言い辛そうに口元をまごつかせる。

その様子に悪い予感を覚えたが、止める理由も特に無い。

 

僕も湯呑を手に取りつつ彼をただ見ているだけで。

 

「――浩史の母親な、君の父さん母さんと一緒に居なくなってるんだわ」

 

彼は、意識して感情を廃した声で、そう言った。

 

 




めいこさん:名前貰ったであります。
山原藤史:元ツッパリヤンキー。数十年前は主人公の父とブイブイやっていた模様。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。