――――”白い家”通路
ズズン……
「…かなり大きいわね。」
「……」
施設を揺らす爆発音が、二人の背後から響いてきた。そして、その爆発音が何を意味するのか。二人は何とはなしに勘付いていた。
「心配かい?」
「……」
「だから言ったのさ。あのガキには何もできやしないってね。」
「……」
黒装束の男は振り返る姿勢のまま、歌姫の問いに一言も返さない。
「何でもイイけど、アタシは先を急ぐよ。嫌な予感がするからね。」
連れてきたはずの黒装束を置いて、青髪の女は歩き出す。一つ、彼を試すために。
すると、2秒と経たずに彼は向き直り、彼女に倣って前へと進み始める。
「……なんだい、えらくアッサリとしてるじゃないか。大切に育ててきたんだろ?」
「俺が手を出せば、俺がアイツを護る意味がなくなる。アイツが自分の手で解決して初めて、意味がある。それだけだ。」
黒装束の声色はおおよそ平静を保っているように聞こえた。けれども歌姫には見破られていた。
感情の起伏に乏しい表情を顔に張り付けながらその実、大切なものに纏わり付く「雲」を払いたい不安で満ちていることに。
「アタシなら、アンタとは逆の行動を取るよ。」
「……」
彼は、不合格だった。
――――”白い家”コントロールルーム
「……呆気ないものだな。」
悪魔は苦虫を噛み潰したような顔でモニターを見上げていた。
彼には淡いながらも確信めいた期待があった。
それをあっさりと裏切られ、内心は怒鳴り散らしたい気持ちで溢れ返っていた。
「分かっていたのだろう?」
傍らで、落胆する悪魔の表情を眺める死に神は、それが彼の機嫌を逆撫でするものだと分かっていながら敢えて口にした。
「人間の命なぞ所詮、こんなものよ。やはり、溺れるに値するオモチャではなかったのだ。これは『悪夢』だったのだ。それに気付けた幸せに感謝すべきではないか。貴様も、儂もな。」
『悪夢』、それは悪魔自身が楽しむために、悶えるオモチャたちを眺めるために用意してきた箱庭であるはずだった。
「……まだよ。まだ終わってはおらん。」
それは「賭け事」に勝ち続けてきた強者の口癖だった。
しかし、多くの断末魔を聞き届けてきた死に神の耳にはそうは聞こえない。
「惨めだな。まるであの猿ようよ。」
……こんなモノじゃあない。ワシが造りたかったモノは――――。
「ワシが?あの能無しと?……バカを言うな。そこで黙って見ていろ。この世は全てワシの思うままだということを嫌と言うほど教えてくれるわ。」
その言葉の中には「根拠」がなく、彼が従うべき「王」がいなかった。さらには「彼らしさ」という最も重要な性格さえも欠けていた。
それは、ただただオウムのように、定型句を返しているにすぎない。
……ダメだ。完全に理性を失くしている。
興味を覚え、理解しつつあっただけに、死に神もまた悪魔のそんな姿に落胆した。
「悪いが儂は先に行かせてもらうぞ。ここを去る前に奴に挨拶ぐらいはしておかねばならんからな。」
「……」
悪魔の視線はモニターに奪われたまま動くことはなかった。
――――”白い家”通路
「……どうやら、予感的中ってとこだね。」
シャンテは眉間に皺を寄せ、歩みを速めた。
促され、辺りの気配を探ってみるが、シャンテほどの女が「危険視」する何かを感じることができなかった。
「どうした。」
「船だよ。それも戦艦クラスの大きなやつが近付いてるのさ。」
言われてもなお、俺の耳には施設の機械を動かす駆動音しか聞こえてこない。
五感で誰かに劣るのはロマリアでの訓練後、初めての経験だった。
しかし、そこまで聞けば彼女が警戒する厄介事の正体が何か予測することはできた。
「……アークか。」
「だろうね。」
現状、それが一番有力な答えだった。
軍を保有しないアルディアは「戦艦」も所有していない。この空域を航路に定める旅客機もない。
さらに、アルディアの領空を軽々しく飛び回ることのできる国はロマリアだけだ。
そのロマリア軍がここ数日の内で「領空を通過する」という報道は耳にしていない。
ならばそれはどこの国にも属さず「戦艦」を所有し、“白い家”に目的を持つ組織を置いて他にない。そしてそんな組織は、世界広しと言えど「アーク一味」以外に存在しない。
警報が鳴らない点に疑問は残るが、まず「アーク」で間違いない。
「どうする。」
前回、彼らが女神像式典を襲った時は、広範囲に及ぶ魔法で広場一帯を焼いたにも拘わらず死傷者は一人も出さなかった。
それはアークがガルアーノ寄りの人間でないから。ガルアーノとそれ以外を区別しているからだ。
だが、ここには関係者しかいない。
彼らが手加減をする理由なんてない。むしろ、俺たちのような例外を気遣ってターゲットを逃がすことの方を怖れるだろう。
それらを踏まえて警告したつもりだったが、彼女の前に立ち開かる障害としては不十分だったらしい。
「どうもこうもしないよ。」
彼女は膠もなく答えた。
“白い家”は「ガルアーノ」というアルド大陸最大の怪物の生み出した、謂わばアレの胃袋の中。
ここでかつて受けていたであろう凄惨な「拷問」の記憶がありながら、彼女の足取りに迷いはない。
それは、「アーク」というもう一匹の怪物が加わった今も変わらない。
例え、『死なない体』を持っていたとしても、ここに立つ”勇気”は某かの“感情”を捨てた者だけにしか持ち得ない。
酒場で聞いた彼女の歌とは真逆の……、いいや、その“勇気”を持ち合わせているからこそ、あれだけの歌を歌えているのかもしれない。
彼女は、捨てなければならない“感情”を捨て、それを補填するようにあの“勇気”を手に入れたんだ。
”勇気”が、彼女の全てを支えているんだ。
俺は……、何か手に入れたか?
「チッ」
行く先に立ち塞がったのは元「黒服」と思しき化け物たち。
「アーク」という天敵に襲われることを予め知っていたのか。ここに来るまで「黒服」クラスの敵に遭遇することはなかった。
それがここに来て現れるということは標的が近いからか?
「シャンテよ、そこまでしてなぜガルアーノ様に楯――――!?」
閃光弾が通用するかどうか不安ではあったが、どうにか隙をつくり、敵の渦中に飛び込むことができた。あとはいつも通りだ。
ナイフでその場にいる全員の首を斬ってみる。手応えがないと感じた者には頭に銃弾を捻じ込む。一発では撃ち抜けなくとも同じ個所に数発撃てばどいつも問題なく撃ち抜けた。
密集した6人に5秒弱…、遅い。集中力に欠けている。
番犬での疲弊や薬の副作用もあるだろうが、小指を落とした時の失血が思った以上に体に響いているらしい。
「……さすがだね。連れてきた甲斐があったよ。」
一瞬、何か情報を引き出すかどうか迷ったが、開口一番がシャンテの足止めをしている時点で有益なものは期待できなかった。
「急ぐのだろう。」
「ハハ、頼もしいね。」
少なくとも、今の俺には時間がない。
もしも、やって来る戦艦から空襲を受け、施設が倒壊してもシャンテは生き残ることができるだろう。
さらに言えば、それで目的のデータが破壊できるかもしれないことを考えると彼女にとっては願ったり叶ったり。
一方、俺はこの喪に服すには不適切な純白の施設と運命を共にするしかない。
ここまで奥に侵入ってしまったからには助かる可能性は限りなく低い。
……だがそうなると、彼女にはなぜそんなに焦る必要がある?
そもそも、それが「データ」という形で保管されているならここ以外にコピーがあってもおかしくない。むしろ、そうでない方が「研究機関」としてどうかしている。
彼女はそれに気付いているだろうか。……いいや、気付いているはずだ。プロの情報屋と遜色のない彼女なら。
だからこれは彼女にとってただの「弔い」ではない。
ならば、「けじめ」…のようなものだろうか。いいや、違う。あれだけ”弟”に執着している彼女だ。自己愛のような目的ではないはず。
彼女はまだ何か隠している。
俺はそれを彼女に聞くことができなかった。
俺は自分の力で理解したかったんだ。彼女ほどの”勇気”があれば、俺がエルクを救ってやれるかもしれない。
そう、思ったからだ。
ミリルでもなく、リーザでもなく――――