聖櫃に抱かれた子どもたち   作:佐伯寿和2

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魂の帰郷 その十三

「ホレ、リーザ。起きなさい。」

「ん…、おじいちゃん、私、もう…。」

「コレコレ、寝坊助(ねぼすけ)大概(たいがい)にせんと(へび)に喰われちまうぞい?」

「ん…?えっ!?」

祖父(じい)ちゃんみたいな優しい声だったから、つい…。

だけど、祖父ちゃんと違う臭いに気付いて…。

「ご、ごめんなさい!私…、あっ!パンディットは?!(いた)ッ!」

目が覚めたと思いきや、私はおじいさんそっちのけで好き勝手に(さけ)んでしまった。

 

だって、気絶(きぜつ)する前に見た光景(こうけい)(よみがえ)ってきたから…。

それに、記憶(きおく)にない痛みが頭の中に()()んできて…。

もう、訳が分からなくなって…。

「落ち着きなさい。」

おじいさんは飼い犬をあやすように私の頭を()でた。

その手つきも、お祖父(じい)ちゃんにそっくりだった。

(あつ)く、(かわ)いた手の平が、何度も同じ形で頭の上を(すべ)っていく。

同じリズムでやってくるゴツゴツした感触(かんしょく)が気持ち良い…。

 

「…え?」

ほんの少し、嫉妬(しっと)するような『声』に気付いてようやく、そこに私の弟がいることに気付いた。

弟は私の体を()やさないように私を抱きしめ、温めてくれていた。

多分、おじいさんが来るよりもずっと前からそうしてたんだと思う。

「パン、ディッ、ト…?」

私は、そこにいるはずのないものを見ている気がした。

だって、あの時確かに、大きなドラゴンがこの子を(くわ)えて…、それで……。

 

私はまた、誰かに(だま)されているような気がした。

でも――――、

 

「……パンディットっ!」

 

この温かさを、私は知ってる。

『魔女』になる(たび)にそれを(すみ)に追いやってしまう私だけど。

この匂いも。この『声』も。私、全部知ってる。

…今までずっと、私の(そば)にあったものだもの。

ずっと、私を(ささ)えてきてくれたものだもの。

 

「パンディット…。」

もう、(あやま)ることに意味なんかない。

私の一番近くにいるこの子は、私の『()(まま)』や私の『悲鳴(ひめい)』を誰よりも強く受け止めちゃう。

それを知っているのに、私は護れなかった自分が受け入れられなくて…。

その度に狂ってしまう。

この子を引きずり回しても何も感じなくなってしまう。

 

…わかってる。

私が生きてる限り、この子は望んで私の『奴隷(どれい)』になろうとするんだって。

どんなに私がこの子を「姉弟(きょうだい)」だと思っていたって、そんなの関係ない。

私の『(ちから)』はこの子を「殺す」ことしか知らないから。

だから、どんなに謝ったって――――

 

それでも私はこの子に傍にいたい。

傍に、いて欲しい。

 

リリー……

 

「……」

この子は私の命を護る『奴隷』だから。

私のことを(にく)まない。

私の無事(ぶじ)な様子を見るや、()(いき)を一つ()いてまた目を(つむ)った。

 

「そ(やつ)も自分にできるギリギリまで()()いたんじゃろう。今はソッとしてやりなさい。」

「……」

何も言えない。

おじいさんが味方になって強気になっていた矢先(やさき)、私は皆の足を()()ってしまった。

やっぱり私なんかが「戦場」に立とうなんて間違ってたんだわ。

…帰りたい。

…帰りたい。

 

細く骨ばった手が(うつむ)く私の(かた)(たた)き、指差した。

「あれをご(らん)。」

「…あれ、私がやったんですか?」

苦労を象徴(しょうちょう)するように変形したおじいさんの指の先を辿(たど)ると、そこには不自然に床から()びる(するど)い鉄の(とげ)に頭を(つらぬ)かれたドラゴンの姿があった。

その背後には、頭を(くだ)かれた魔女と首を()かれたドラゴン…。

「そうじゃ。見事(みごと)(わし)の『力』を使(つか)(こな)してみせたじゃないか。」

「私…、それでも皆を、この子たちを苦しめてしまいました。」

私に(かか)わったばかりにあんな経験をさせてしまったっていうのに。

それでもヘモジーたちは私を(はげ)ましてくれる。

そんなことしてもまた、あの『声』が私から酸素を(うば)えば同じことを()(かえ)すって分かってるのに。

いっそのこと、「疫病神(やくびょうがみ)だ」って(ののし)ってくれた方が少しは気が楽なのに。

 

……あれ?

 

「『声』が、しない?」

私が(つぶや)くと、おじいさんはそれを待っていたかのように答えた。

「やはりアレが悪さをしとったか。じゃが、もう心配はいらん。今は(すべ)て眠っておるはずじゃ。」

おじいさんの言う通り、耳を()ませば『寝息』だけが聞こえてくる。

 

…おじいさんは何だって見抜いている。なんだって()って退()けてしまう。

まるでおじいさんがこの「世界」の全てを動かしてるみたい。あの(あお)い光で満たされた部屋のように…。

「動けるかの?」

「……」

そしてこれから、私たちの手であの子たちを殺しにいくんだ。みんな、みんな……。

 

「リーザ…、」

「…はい。」

「やめるか?」

 

……私は「化け物」だもの。どうしたって迷惑(めいわく)をかけてしまう。

だけど、このままじゃ「化け物」としてしか生きられない。

誰も護れないまま、後悔(こうかい)(おぼ)れて、(みにく)く死んでいく…。

それでいいの?。

 

…私は、「化け物」でいい。……醜くてもいい。

だけど、せめて私が想う大切な人だけでも護りたい。『悪夢』から(すく)()して、笑っていて欲しい。

この子にも、エルクにも…。

「……大丈夫です、行けます。」

初めて見る、(まった)くの無防備(むぼうび)な弟を、おじいちゃんたちみたく撫でてみる。

だけど、おじいちゃんたちほど私の手に温もりはない。

そんな感じがする……。

「そうか…。」

 

おじいさんだって私が(たたか)うことを(のぞ)んでるはずなのに。

どうしてだか、おじいさんは私の答えに不満を感じているように『聞こえた』。

「足を出しなさい。それでは歩けんだろう?」

パンディットに()まれのだという足を差し出すと、おじいさんは(ふところ)からペースト(じょう)になった緑色の何かを傷口に()った。

()ッ…」

私が(うめ)くとおじいさんは私を笑って(なだ)めた。

「すぐに良くなる。だから少しだけ我慢(がまん)しなさい。」

緑色のそれは(いく)つかの香草(こうそう)()()わせたもののようで、フンワリ(かお)る匂いだけで痛みも陰鬱(いんうつ)な気分も少しだけ(ぬぐ)ってくれた。

 

…薬の知識もあるんだ。

 

傷口が見えなくなるまで塗ると、おじいさんはゴツゴツした手の平をソッと私の足首に(かさ)ねた。

「……よし、こんなもんじゃろ。」

あの『蒼い光』が、ほんの少しおじいさんの手に宿(やど)った。それだけ。

そうして包帯(ほうたい)を巻いて治療(ちりょう)は終わった。

それだけで、ほとんど痛みを感じなくなっていた。

「本当に、ゴーゲンさんは何でもできるんですね。」

何気(なにげ)なく、言葉にしてみただけだった。

だけど、おじいさんは私が思っている以上に真剣に受け止めてしまっていた。

「あ、いや、何でもないんです。気にしないでください。(ひと)(ごと)ですから。」

それでもおじいさんは私の顔をジッと見詰(みつ)め、言葉を(えら)んでる。

「リーザ、儂はな、」

その面持(おもも)ちに、思わず私は身構(みがま)えていた。

「…はい。」

何を言い出すんだろう。

気のせいか。なんだか、怒っているような気がする。

 

すると――――、

 

裁縫(さいほう)苦手(にがて)じゃ。」

「…え?」

脈絡(みゃくらく)がなさ()ぎて、呪文を(とな)えているのかとも思ってしまった。

けれど、いつの間にかおじいさんの表情は(くず)れてて、私はすっかり騙されてしまっているのだということに気付かされた。

「ホレ、この通りな。」

おじいさんはおどけた仕草(しぐさ)でボロボロの服を広げてみせた。

穴だらけだし、あちこち(ほつ)れしまって左右の(そで)の長さも違ってる。

それはもう何十年、何百年と着続けてる(あかし)なんだと思う。

むしろ、それだけ長く着続けられてるその服は普通のお店で買えるような代物(しろもの)ではないだろうし、だからと言って、それを補修(ほしゅう)するよりも()(なお)した方が手っ取り早いのは間違いなかった。

 

だけど、そんなことは今の私たちにとってどうでもいいことだった。

 

「…フフ、私もそんなに得意ではないですけど、戻ったら()い直してみますね。」

これが本当の「会話」なんだなって心から実感した。

 

ウソだっていい。ふざけてたっていい。

私の中の、少しの活力を見つけさせてくれる言葉だから。

私を(みと)めてくれているんだって分かる声色だから。

 

だから、気持ちに余裕(よゆう)ができる。

だから、それに「(こた)えなきゃ」って気持ちになれる。

 

「ありがとう。」

おじいさんはまた、あの手で私の頭を撫でてくれた。

 

おじいさんが私の何気ない一言にさえ言葉を選んだように。

私だって、あの時もっと『声』を()いていれば、それに『応えて』いれば、自分を苦しめることも、誰かを『傷つける』こともなかったのかもしれない。

…まだハッキリとは言い切れないけれど、それが、『言葉を()わす者』にとって大切なことなんじゃないかな。

私は、悪い面ばかりを見せられてきた『魔女』とは別の、『()()()()』になれる未来を見た気がした。

 

 

「あらかた敵は倒した。そして、この先に目的の(ろう)がある。」

「…はい。」

おじいさんに(はげ)ましてもらったばっかりなのに。

おじいさんはあたかもそこに無事な姿の皆がいる風に言うけれど、果たしてそこに私の知ってる皆がいるかどうか…。

やっぱり私には自信がない。

「お前さんがそんな弱気でどうする。ホレ、顔を上げなさい。」

「……」

「前を向きなさい。不安なのは彼らとて一緒じゃ。…大切な人を助けたいのじゃろう?」

私は黙って(うなず)いた。

「だったら、お前さんはその不安からも救わねば。そうじゃろう?」

「……」

私は撫でられるのも待てずに、ソッとおじいさんに抱きつき、おじいさんの言葉を借りて自分に言い聞かせた。

大丈夫、大丈夫、大丈夫……

 

「…大丈夫。儂を信じなさい。」

…おじいさんはどうして、こんなにも私の力になってくれるのかしら?

それは勿論(もちろん)、おじいさんたちの「本当の戦い」のためでもあるんだろうけれど、どうしてもそれ以上の温もりを感じずにはいられない。

――――『蒼い光』を見たからかな?

エルクを想う気持ちとは違う。どちらかと言えば、おじいちゃんを大事に想う気持ちに()てる。

たった二日間しか一緒にいなかったのに。

――――あの優しい手で撫でてくれたからかな?

その間に沢山(たくさん)(ひど)い目に()ったし、これからおじいさんと歩く道の先にもそれが続くんだって分かってるのに。

――――わからない。わからないけど、それでも、

いつの間にか、この人のためになら(たたか)えるって思ってる私がいる。

それは今、私がこの施設(しせつ)に乗り込んでる理由と同じなのかもしれない。

だから私は、この人も助けたい。

 

…そう想える。

 

 

 

――――フォーレス支部キメラ研究所最奥部

 

ここに来るまでに沢山の水槽(すいそう)を見せられた。

中身はもう、『声』の(ずい)まで(おか)されていて、私にはどうしようもない。

皆、今は眠っているけれど一度(ひとたび)()(はな)たれれば、私たちを、人間を(おそ)う化け物として目覚める。

それを食い止めるには、息の根を止める…しかない。

そのために、私たちはここにいる。

私に、この子たちは救えない。

 

「よくぞここまで…。いや、あの方に見初(みそ)められたのなら、これくらいのことはできて当然(とうぜん)なのだろうな。」

そこは他の部屋と空気が違っていた。

この部屋の水槽には、あのガスタンクに詰まっていた『子どもたち』を意図的(いとてき)に組み立てた、本来(ほんらい)この世に存在しない『命』で満たされていた。

 

『……』

 

黙ってたって、嫌でも感じる。

それは、おじいさんが話した「魔女伝説(むかしばなし)」の怪物にそっくり。

…ううん、そっくりなんじゃない。

()()()()()なんだ。

 

「気になるか?まあ、そうだろうな。」

たった一人、部屋の奥で私たちを待ち構えていた白衣の男は私の(たじろ)ぐ様子を見て言った。

「ここにあるサンプルは(みな)、あの方の細胞を移植(いしょく)してある。それがどういうことか分かるか?」

”あの方”……。

男は()えてその名前を口にしない。

「ここにいる化け物どもは、あの方の指先一つで動く生物兵器という訳だ。」

まるで、ここにいる私たちまでもがその『(アダム)』を中心に動いているかのように。

心の中にあの『(あくま)』を()まわせているとでも言うように。

「キサマらがそんなにも戦争を好むのもまた、『あの方』の意思ゆえか?」

そんな男の口ぶりが気に入らないのか。

おじいさんは殊更(ことさら)バカにするような口調で言った。

 

「さあな。だが今に分かる。嫌というほどな。」

「ホッホッホ、バカなことを言う。”嫌というほど”?そんな益体(やくたい)もないもののために儂らが上げた(こぶし)を止めるとでも?」

言いつつ、体重を(あず)ける老夫の三本目の(あし)が静かに鋼鉄製(こうてつせい)の床に(ひび)を走らせ、大気を波打たせた。

「耳を澄ましてみろ。キサマらの退場を()げる針がすぐそこまで(せま)っているのが聞えてこんか?」

老夫の全身が、絶対的な力の差を朗々(ろうろう)と語っていた。

アリの耳元でゾウが足を()()らすように、(あらが)いようのない(しつりょう)の差が今にも男の頭蓋(ずがい)を踏み潰そうとしていた。

 

「…やれるものならやってみるがいい。我々とてキサマの『力』に甘んじて平伏(ひれふ)すほど無能ではないということを教えてやる。」

言うや(いな)や、室内中の機器が(うな)(ごえ)を上げ、凶暴(きょうぼう)雷雲(かみなりぐも)のように放電してみせた。

放たれた(いかずち)が鋼鉄の床に()さるや、床は隆起(りゅうき)し、大理石(だいりせき)のような純白(じゅんぱく)の大岩をいくつも生成(せいせい)していく。

 

大理石は琥珀色(こはくいろ)の瞳を持ち、彼女らを睨んだ。

純白に(きら)めく全身は、銃弾はもとより『炎』や『嵐』でさえも傷つけることのできない重厚(じゅうこう)(よろい)を身に(まと)っている。

それは、鉱物(こうぶつ)肢体(したい)に血を通わせるワニだった。

 

「これが我々の研究の成果(せいか)だ。とくと味わえ。」

男もまた、全身を脱力(だつりょく)させたかと思いきや、(それ)を爆発的に肥大(ひだい)させた。

首は(うね)砲台(ほうだい)(ごと)突出(とっしゅつ)し、背中からは暴風さえも()(かえ)城壁(じょうへき)のような(つばさ)()えた。

戦車のように硬質的(こうしつてき)(うろこ)(おお)われたその身体(からだ)はまさに「兵器」と呼ぶに相応(ふさわ)しい。

「…ヒトツ、イイ、ワスレタコトガアル。」

禍々(まがまが)しいまでの怪物へと変貌(へんぼう)した男の声は(にご)り、もはや「人」であったことも忘れてしまったかのようにたどたどしい。

 

「アノ方ノ細胞ハ魔女ノ血ニヨク馴染(なじ)ム。…グフッ、フフフ…、ドウイウ意味カ分カルカ?」

「……」

科学者として優秀(ゆうしゅう)であったろう知性や人格(じんかく)犠牲(ぎせい)にして、彼らは自分たちの叡智(えいち)を「(あが)めてきたもの」に突き付ける。

そうすることでしか、彼に認めてもらうチャンスがないのだと(さと)ってしまったから。

「コノ中ニオ前ノ大事ナ家族ガ()ジッテイルカモシレンゾ?グフフフッ、精々(せいぜい)頑張ッテ戦ッテクレヨ?ヒャッハッハッハッ!」

「…下衆(げす)め。」

それでも老夫は彼らを否定しなければならない。

(たと)え、その心情が理解できたとしても、それは同時にその身に宿(やど)自分(つみ)も許してしまうから。

 

「……」

そこに、探究者(ざいにん)たちの()()りを見守るばかりの少女はもういない。

竜に負けるとも(おと)らない、異形(いぎょう)の『力』で息を巻く女が拳を(にぎ)りしめていた。

「コイツラヲ全滅(ぜんめつ)サセタ時、フフッ、グフ…、キサマノ血ハサゾアノ方ノ(この)ム味ニナッテイルダロウヨ!」

「……」

怪物(あくま)の語る真実を()()める覚悟(かくご)が、うら若き乙女の血に少しずつ「殺意」を混ぜ込んでいく。

意思の(かよ)わない兵器などには真似(まね)のできない、血の通った「殺意」が、(のが)れられない『現実(あくむ)』と対峙(たいじ)していた。

 

 

――――お姉ちゃんっ!!

 

 

ところが、少女の『愛』を(ゆが)め続けてきた『運命』が何を思ったか。憎しみの讃歌(さんか)流れる戦場に、相反(あいはん)する天啓(ソプラノ)(ひび)かせた。

 

天から()(そそ)いだその声はまさに天使のように、(よど)んだ戦場を(きよ)めるように(りん)(ひび)(わた)った。

「リッツ?!」

リーザのいるフロアの一つ上から、鉄柵(てっさく)から身を乗り出す天使が(さけ)んでいた。

「騙されちゃダメだよ!みんな、ここにいるよ!」

「…みんな?」

「チッ、何処(どこ)ノドブネズミダ。イッタイ、ドウヤッテ(もぐ)()ンダ。……グフッ!」

竜が天使を()ろうと舞い上がると、天上から吹き降ろす暴風が空飛ぶトカゲを地面に(たた)きつけた。

幕引(まくひ)きじゃ。如何(いか)に『力』を付けたところで、所詮(しょせん)キサマのような三流役者には()ぎた舞台なのよ。」

 

魔女の耳には『(とど)いていた』。

天使の背後でさざめく、たくさんの(なつ)かしい『声』が。

天使の声に(みちび)かれ、彼らは少女との再会を果たす。

「おい…、本当にリーザなのか?」

「リーザだわ。皆、リーザよ!」

「まさか、そんな…。」

一人、二人、三人…、嬉々(きき)として彼女の名を叫ぶ者もいれば、絶望(ぜつぼう)から立ち直れず驚愕(きょうがく)の表情ばかりを浮かべる者もいる。

それでも、そこに彼女を拒絶(きょぜつ)する者は一人としていない。

全員が全員、彼女の「本当の名前」を知っていた。呪われた「化け物」の名ではなく。

「みんな…。」

同じ時を生き抜いてきた仲間たちの声が、黒く薄汚(うすよご)れてしまった少女の胸を強く、強く()(ふる)わせた。

 

そして、一際(ひときわ)(おだ)やかなのに、誰よりも『声』を震わせる一人の()いた男が、人垣(ひとがき)の中から顔を(のぞ)かせた。

「…リーザ……」

数十年、(しいた)げられてきた男の背中は醜く曲がっている。

()()に背を向けることで自分たちの命を護り続けた男の目は()(くぼ)んでしまっていた。

しかし、

「…おぉ、リーザ!」

「おじいちゃんっ!」

愛する者がそこにいると知った男は、鈍色(にびいろ)の世界に希望の光を見た。

「おぉ、おぉ……、」

「…おじいちゃん。」

 

少女の肩を、老夫は静かに叩く。

「あそこに帰りたいか?」

この世にたった一つ残された、「化け物」でありながら「化け物」と呼ばれない場所。

花を(おく)()い、抱擁(ほうよう)とキスで温め合っていた。

当たり前のように「少女」でいられた場所。

それが、この混沌(こんとん)とした時代(しけ)()()まれることもなく、彼女を待っていた。

一人苦労をかけた小さな「魔女(なかま)」を温めるために、やって来てくれた。

 

少女は、価値を見い出せなかった『自分の名』に、この世にたった一人の『リーザ・フローラ・メルノ』として生まれたことを―――産まれて初めて―――、『運命(かみ)』に感謝(かんしゃ)した。

 

「ならば行こう!愛し、愛される場所へ!(とも)()けてゆこう!」

「はいっ!!」

リーザ・フローラ・メルノは魔女としてこの世に生まれ、初めて、呪われた戦場に自らの足で踏み出した。




※大理石のような純白の大岩をいくつも生成していく→原作の「シードレイク」のことです。
※禍々しいまでの怪物→原作の「カッパードラゴン」のことです。

※そこには不自然に床から伸びる鋭い鉄の棘に頭を貫かれたドラゴンの姿があった。
原作のリーザの魔法「アースクエイク」は、地面から(とが)った岩がいくつも突き出てくる設定です。アースクエイク=地震を表現しているのかもしれません。
ですが、「私解釈」で「鉱物を操る魔法」と設定しているので、鉄も尖ります!(笑)


※あの『蒼い光』が、ほんの少しおじいさんの手に宿っただけ。そうして包帯を巻いて治療は終わった。
原作のゴーゲンに「回復魔法」はありません。
もはや私の中でゴーゲンは「魔法」と名前の付くもので使えないものはないと思ってしまっていますね(笑)

※益体(やくたい)もない
利益のない。つまらない。意味のない。役に立たない。という意味。

※ゾウの足音
その巨体から大きな足音を立てるイメージがありますが、実際はかなり静かに歩くそうです。
足の裏(主にかかと部分)に脂肪の塊があり、常に爪先立ちで歩いている感じなんだとか。
走っている時も比較的静かなんだそうです。
(重い体重で膝を痛めないようにするための構造なんだとか。…へぇ~)

※ソプラノ(少年である場合、「ボーイ・ソプラノ」ともいう)
変声期前(声変わり前)の少年は昔から、独特の声色を持った高音域を出すことと、変声期までという限られた期間に希少価値を見出されてきました。
そのため、「宗教音楽」にも多く用いられてきました。
今回の舞台「フォーレス」は私のイメージでは「欧州」、「スイス(アルプス)辺り」です。
また、フォーレス関連で主題ともいえる「魔女」を迫害するという強い宗教観念もあって、私の中では「リッツ」が「リーザ」と対をなすような感じがしていました。
なので、リッツには敢えて「ソプラノ」や「天使」といった表現を使ってみました。


※天啓(てんけい)
神様からのお告げ。導き。
ひらめき、インスピレーションの意味で使われることもありますね。

※浮き世
平安時代には「辛いことの多い世の中」という意味で「憂き世」と表記していました。
その後、仏教思想による解釈で「無常の世」(儚い世の中という意味)、「仮の世界」という意味が加わり、「浮き世」と表記されるようになりました。
江戸時代に入ると、新たに享楽的観念(何も考えず遊んで暮らそうぜ!みたいな意味)が加えられ「浮世絵」や「浮世話」などの娯楽が生まれたそうです。

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