聖櫃に抱かれた子どもたち   作:佐伯寿和2

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太陽 その四

 赤く煮える体でのたうつ大地がそこにある。男はその大地から生まれた。

肌も髪も黒く焼け(ただ)れ、薄皮一枚下には同じ熱を受け継いだ血が流れている。その体にブラキアの民すべてを支える力がある。

空気中の湿気が彼の体に焼かれ、蒸気となって全身から立ち昇る。さながら道を極めたものの体から溢れ出るオーラのようでもある。

ブラキアと呼ばれる大地が産んだ一匹の怪物が、そこにいた。

「なるほど、()()()()()()()は伊達ではないな。その視線の先には常に屍の山がある。まるでそれがキサマ自身の存在証明だと言わんばかりにな」

過去、怪物に敗れた男はその無情な目を懐かしみ、荒々しい殺意に胸打たれていた。

もはやお互いにとって重要な目的である洗脳装置の完成、破壊のことなど頭にない。殺すか、殺されるか。その二言だけが交わされていた。

「そんな醜い姿で誰が誰の娘だと?笑わせるな。キサマが家族だとほざけるのは精々、我々に踏みしだかれるしか価値のないこの土塊(つちくれ)どもだろう」

黒く醜い怪物が一歩踏み出せば火口の溶けた大地がゴボゴボと(にぶ)い咆哮を上げ、一歩踏み出せば山が(かす)かに揺れた。

「くっ……!」

主張する口もなく踏み踏(にじ)られるだけだった大地が人の形を持ち、斧を手に迫ってくる。彼らに支えられなければ生きることもままならない人間ごときが、その殺意と正面から向き合って平然としていられる訳がない。直面するレイガルは額を脂汗(あぶらあせ)でべっとりと濡らした。

食い縛り、なんとか見下してやろうと虚勢を張る。

「私は……、私はもう二度と敗北しない!ロマリアの力を手に入れた私に敗北などあるはずがないっ!」

岩陰に潜んでいたミノタウロスが黒く醜い怪物に躍りかかる。しかし、ひとたび彼が大地を踏みしめれば、光り輝く古代文字(ルーン)は戦斧に走り、闘牛の太い首を紙細工のように()ね飛ばした。

 二頭、三頭……、十の首が落ち赤い噴水が辺りを濡らすと怪物は赤い蒸気を纏い、醜さを増した顔が男を威圧する。

「そ、それ以上動くな!この小娘がどうなってもいいのか!?」

「きゃあ!」

恐怖に当てられた男は半狂乱になり、早くも人質に銃口を押し当て怪物を脅すハメになってしまう。

「…お、お父さん……」

少女の顔に恐怖はなく、代わりに絶望が視界に広がっていく。期待に胸を躍らせ取り戻したこの世界(ひかり)は、次から次へと自分にウソをつく。もしかすると自分は世界に拒絶されているんじゃないか?そういう疑念が広がっていく。

 

けれど、あの人は……

 

 グルガはその可能性は十分に考慮していた。アークたちの手を借りればその可能性すら潰すことができた。だが、彼はそうしなかった。「これは世界を護る戦いなどではない。独りよがりな私闘にすぎない」と仲間たちの手出しを拒んだ。

もう一度、彼女に受け入れてもらうには自分のありのままの姿を(さら)すしかない。これはそのための戦いだと。

「レイガル、一度しか言わん。エレナから、私の娘からその汚い手を今すぐどけろ―――!?」

しかし、それが仇となった。もう一度、少女の口から父と呼ばれることを期待するあまり、グルガは戦士の勘を鈍らせてしまった。突如、足下から三体のロボットが現れたかと思いきや、彼を抱きかかえるとそのまま火口へと飛び込んだのだ!

「グルガ!」

グルガの戦いっぷりに目を奪われていたアークたちもまた一歩出遅れ、みすみすそれを見逃してしまった。だが……

「まだだ……私はまだ生きているぞ、レイガル!」

グルガは三体のロボットに抱かれたまま、片腕だけで岸壁にしがみ付いていた。

「な、なんてしぶとい奴だ!…何を!?キサマ、止まれ!!」

数発の銃声が男の懐から飛び出す小さな影を追った。それは運良く外れ、足下を穿(うが)つ跳弾にも怯えず、彼の下へと駆け抜ける。

「お父さん!!」

「エレナ!?」

小さく幼い手が悪魔の大きな手にすがり付いた。黒く醜い怪物は動揺し、少女を怒鳴りつけるけれど少女がそれに耳を貸す様子はない。

「ダメだ、エレナ!手を放すんだ!」

「お父さん、ごめんなさい!私、お父さんにひどいこと言ってしまって……!」

白い頬から(しずく)がハタハタと(したた)り、赤く染まった悪魔の手を濡らした。ハタハタ、ハタハタと……

「そんなことはどうでもいい!エレナ、私の言うことを聞くんだっ!!」

「嫌だ!私はもう嫌なの!……私はもう放さな―――」

 

ドンッ!

 

「あ……」

鈍く響く轟音とともに少女の視界が反転する。力なく崩れる小さな体は悪魔と視線を交わし、彼の脇を転がっていく。刹那、悪魔はすれ違う少女の声をハッキリと聞きいた。

「…パ…パ……」

滑り落ちていく。小さな体が苦悩と後悔を抱えたまま、燃え盛るブラキアの底へと。

「エレナーーーッ!!」

悪魔は崖から手を放した。仲間も同胞も捨て、たった一人の少女に向かって一直線に。

 

 男は銃口から昇る硝煙を見て(えつ)に入っていた。茶番劇のようなラストシーンに失笑を隠せなかった。

「血の繋りもない娘を愛し、男は自らの命も惜しまず落ちていく。英雄などともてはやされた奴にはお似合いの美談じゃないか」

「……あの子は…アンタの子なんじゃないの?」

シャンテは鮮明に思い出した。自分と弟を売った時の二人の顔を。

「私の?ああ、そう言えばそうだったな」

こんなに笑ってはいなかった。だけど醜悪(しゅうあく)さではとても、とてもよく似ていた。

「だが命をかけた戦争を前に血の繋がりを優先するマヌケがどこにいる?…ああいや、それを上回るバカがたった今死んだところだったな!」

父親は腹を抱えて笑った。待ち望んだ勝利を前に、それどころではないと。

「安心しろ。もちろんこれで終わりとは言わん。きちんと後始末もするさ。そうしてこの地を名実共に私の領地とし、かの将軍殿に褒美を催促せねばな」

語る男の体が、ひとりでにグズグズと崩れていく。肉は暗褐色に変色し、放置された戦場を想起(そうき)させる腐敗臭(まと)うヘドロ状の人形に姿を変えた。漏れ出る腐敗臭(ガス)は無数の塊となって意思を持ち始める。

さらに、ヘドロ人形は人間だった時の自我を残していると言わんばかりに失笑を引きずり、アークたちを挑発する。

「何を臆していたのか。今思えば初めからこの姿で奴に挑めばよかったな」

五年前の戦争で植え付けられた劣等感を払拭し、彼は達成感に酔いしれていた。これから先、自分の未来は明るいのだと信じて疑わない声だった。

「だが、それはそれでスリルに欠けるというものか」

「……そうではない」

再び、現実が彼の前に立ちはだかるまでは。

「…そんな、バカな……」

恐る恐る振り返ると、感動のシーンを生んだばかりの火口から悪魔が顔を覗かせていた。「次はお前の番だ」と修羅の瞳が彼の喉元を締めつけた。

「キサマの中の僅かに残っていた人間の部分が、エレナにその姿を曝すことを拒んだのだ。私と同じようにな」

頭に響く声は彼の理性をかき乱した。

「な、なぜだ……」

そこは揺蕩(たゆた)う熱が肌を、噴き出すガスが肺を焼く。落ちれば人が無事で還れるような場所ではない。しかし、彼は帰ってきた。最愛の娘を胸に抱き、赤毛の天使に手を引かれて。

 

 信じられない。受け入れられるはずがない!コイツの何がそれほどまでに運命を惹き付けるというのだ?!

「どうして、どうしてなんだ!火器もろくに扱えない蛮族どもがロマリアの力を押しのける道理がどこにある?!」

赤毛の天使は(わし)よりも雄々しく、白鳥よりも優雅な純白の翼をはためかせ、二人をそこへ落とした泥人形を睨みつけた。親と子を引き裂く本物の悪魔をこそ闇に還さんと可憐な唇の下で奥歯を鳴らした。

「シャンテ、この子を頼みます。貴方の力なら一命を取り留められるでしょう。……アレは、私とグルガに任せてください」

「……あんた、その姿……」

舞い降りた天使はシャンテに今にも事切れてしまいそうな状態のエレナを託し、彼女の疑問に微笑んで返すと再び舞い上がり、黒い戦士へと寄り添った。彼の勝利を約束する戦乙女のように。

 

 多くの苦痛を乗り越えてきた。人間でなくなる瞬間、全身の皮を引き剥がされるような痛みを覚えた。だが、次の瞬間にはそれを越えて余りある高揚感に満たされた。あの戦争のすべてを呑み込む力を手に入れたのだと思った。

だが、運命は私の期待を無情に八つ裂きにしてみせた。現実は何一つ変わらない。理想を掲げる私が悪で、進化に関心のないクズ共が正義だと(うた)い続ける。

 潜ませたロボットを残らずけしかけ、ガスで奴らを覆った。ところが天使が胸の前で手を組み、祈りを捧げればロボットもガスも内側から溢れる闇に飲まれ、跡形もなく消え去った。

黒い男に死の吐息を吹きかけても、光がそれを寄せ付けない。

こんなにも「茶番」という言葉が似合う現実が他にあるだろうか?勝利を確信した私の笑みも含め、何もかもが仕組まれている!

「運命は、ブラキアはどこまで私をコケにすれば気が済むんだっ!」

「言ったはずだ。私とお前のこの大地を賭けた戦いはブラキアの裁定によって決している。キサマがエレナの手を放した時点で親子を賭けた戦いも決した」

「何をバカな……」

「そして、これから始まるのは私とお前の、二人だけの死闘だ」

 グルガは再び、一歩また一歩とレイガルに迫りくる。しかし三度目になる彼の憤怒は心なしか弱々しく見えた。

数百人を蹴散らした戦場の彼よりも、ミノタウロスの首を片手で刎ね飛ばした彼よりも、ひと回り小さく見えた。

 これは勝機なのか?それともまた、「ブラキアの加護」などというイカサマの前振りなのか?レイガルはグルガ自身よりも彼を取り巻く天使やアークたちに目を配った。しかし、レイガルの目には彼らが手を出してくるようには見えない。

 もしもその判断に誤りがないのなら、まだ私にも勝ち目は十分過ぎるほどにある。アークやあの天使の技は(あなど)れないが、グルガは所詮(しょせん)、力に物を言わせる狂戦士でしかない。

あの御方から与えられた『死』の力さえあれば恐るるに足りん。

 レイガルの体は無数の「死」で覆われ、触れる者の命を喰らう。接近戦において彼に勝る存在などありはしない。斧を火口に落とした蛮族などもっての(ほか)だ。

 しかし、たった一度の勝利に取り憑かれた男の執念が彼に通じることはなかった。

「なぜだ!?」

グルガの拳は確かにレイガルに触れた。返り血のように飛び散るヘドロは間違いなく彼の体に(まと)わりついた。それでも彼が「死」にひれ伏すことはない。

アララトスの遺跡で見せた光り輝く古代文字を浮かべるでもなく、彼は一方的に死の魔人を殴り続けた。

「こんな理不尽があってたまるか!」

瞬く間に魔人を護る「死」は剥がされていく。自身のソレが(あら)わになるのも時間の問題。

勝利から見放された彼にはもう何も残されていない。ならば……

「せめてキサマだけでもっ!!」

ロボットにさせたように、レイガルはグルガの体をガシリと掴み、火口へ身を投げようとした。今度は崖にしがみつく隙も与えない。天使に(つま)まれる手も封じた!

魔人の執念はもはや「死」そのものに取り憑かれていた。

 しかしそれを感じ取ったグルガは大地が割れるほどに踏み込み、覆い被さろうとする魔人に渾身の体当たりを打ち込んだ。

「ぐうっ!!」

大砲のような彼の一撃は魔人を吹き飛ばし、煌々と燃える火口の只中(ただなか)へと放り出した。

「なぜだ、なぜキサマは勝ち続けられるのだ……」

そこに捕めるものはなく、手を差し伸べるものもいない。「なぜだ」「なぜだ」と独り憐れに問いかけるばかり。

「わ…たし……は……」

踏みしだき、蹂躙(じゅうりん)するはずだったブラキアの咢に咀嚼(そしゃく)され、「死」は溶けていく。

その様をブラキアの悪魔は見届けた。(いくさ)に取り憑かれ、苦しみ悶える姿に既視感を覚えながら……

 

 

 

――――私は夢を見た

大きな大きな怪物の口に放り込まれる私を、一匹の悪魔が身を(てい)して護ってくれる夢を。

 黒く醜いその悪魔は、一度は私の視界を遮った。私は彼に抱かれ、生きているようで生きていないような感覚の中を彷徨(さまよ)っている。

どんなに辺りを見渡してみても夜は明けない。

カモメに聞き、帰るべき場所を訪ねても迷い続けた。

ようやく迎えに来てくれた父が私に銃を突きつけた。

 

……わからない、わかりたくない……

 

そうして私は自ら怪物の口へと身を投げた。その時、何に()き動かされたのかよくわからない。

だけど、この「わからない」からはもう二度と目を放したくない気持ちで一杯だった。

 

悪魔は白い翼を生やして私を悪夢から救い出してくれた――――

 

 

 

「う…ん……、ここは?」

「エレナ、大丈夫か?!どこか痛むところはないか?!」

少女は馴染み深い声に促され、自分の胸を(さす)った。小さな杭が胸を貫いたのを憶えている。踏ん張っていた力が抜けて火口へ転がり落ちていくのを……

けれど私は生きている。傷一つなく、何事もなかったかのように。

「大声を出すんじゃないよ。完治したっていったって病み上がりに違いはないんだからね」

「エレナ、平気?元気になったの?」

歌姫も赤毛の少女も、打って変わって穏やかな表情で自分の心配をしてくれている。それが信じられなかった。まだ夢の続きを見ているような気がした。

「シャンテお姉ちゃん、ちょこちゃん……」

記憶はあっても実感は何一つない。けれど、自分が沢山の人に迷惑をかけたのだけはよくわかる。自分なんかが生きているのが申し訳ないくらいに。

けれど私は舌を噛んで死ぬこともできない弱虫で、周りの人を苦しめる自分が悪魔のように思えた。

「エレナ……」

それでもこの人は私の名前で呼んでくれる。

「…お父さん……」

こんな贅沢(ぜいたく)が許されるのかと私は神に問いただした。

「ごめんなさい……私、お父さんのこと……」

答えは返ってこない。

「それはいいんだ、エレナ。私こそ、お前を騙し続けていた。……本当にすまない」

黒い肌のお父さんも白い肌のお父さんも私にウソをついた。私は二人の戦争のために作られた道具なんじゃないかと思った。

 

――――その子は私の娘だ

 

でも、違った。私はとても頭の悪い子だったんだ。




※光り輝く古代文字は戦斧に走り
236話「巌窟姫 その三」の注釈でも入れたように、原作のグルガ専用武器「ルーンアックス」を表現したものです。

※想起(そうき)
主に「経験したことを思い出す」意味で用いられますが、この場合は「連想する」「彷彿(ほうふつ)とさせる」みたいな意味で使ってます。

※体当たり
原作でグルガが使う特殊能力「グルガタックル」のつもりです。効果として、敵を一マス吹き飛ばすことができます。
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