聖櫃に抱かれた子どもたち   作:佐伯寿和2

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紅の蓮 その二

 スメリア全土を意のままに操る塔、パレンシアタワー。その最上階にある執務室はまさにこの国の脳と言える。

それほどまでに重要な機関を担っているというのにその内装はあまりに陰湿で、そして貧相だった。

「アークに接触したそうだな」

採光できる窓は一つもなく、明かりと呼べるものは四つの台座に(とも)された青い炎だけ。炎たちは部屋の中央に設置されていながらもヤモリかクモのように室内をカサカサと這い回り、部屋の輪郭を薄っすらと浮かび上がらせる。

まさに陰謀の巣窟というようなその部屋で、二人の男が険悪な視線を絡ませていた。

「アーク?そんなどこぞの七光りなんぞに興味はないな」

二人の男、四つの炎。他に目を引くものと言えば、部屋の最奥に掛けられた豪奢な天蓋と天蓋の裏に隠された一枚の鏡くらい。逆に、執務を行うための書類もデスクも見当たらないことに異様さを覚えるかもしれない。

必要がないのだ。その「鏡」さえあれば……

「己の用を他人に押し付けるな。それとも、恐れているのか?手を出せば噛まれるのではないかと」

鏡を前にしても白髪の獅子は臆さない。むしろ構うものかと太々しく唸ってみせるほどに肝が据わっていた。

萌葱(もえぎ)色の装束を(まと)った男はその不遜な振る舞いを改めさせるべく黒い息を吐いたが、獅子の顔色は微塵も変わらない。

確かにそれは彼らに与えられた命。しかし命は常に己のものに他ならない。そんな顔をしていた。

そんな佇まいを見て萌葱色の男はほくそ笑んだ。

「なるほど。ただの人間が精霊に見初(みそ)められるだけはある。だが約束は約束だ。恩を仇で返すのはキサマの主義ではないだろう?」

「恩?仇?キサマの言う恩というのは、その手で始末した男の惰眠を妨げることか?だとするなら笑える話よ」

獅子は口元だけで笑い、目を血走らせた。そして、低く抑揚のない声で言う。

「仇、そうだ。キサマはわしの汚点だ。しかし、今ここでキサマを葬ったとてその汚点は拭えない。なんとも忌々しい話だ」

獅子は全身から溢れんばかりの殺気を漂わせたが、組んだ両腕が得物の柄に伸びることはなかった。代わりに鋭い眼光が萌葱色の男を撫で斬りにし、笑う口元から狂気染みた八重歯が覗かせた。

「わしはあの愚息とけじめをつけて欲しいと言うから話を飲んだ。それを今になってごちゃごちゃと蒸し返すというのなら、その落とし前、この場でつけてもらうことになるが?」

世界を支配しようという魔物を相手にちっぽけな獅子はまるで傲岸不遜な態度を譲らない。そんな様子に萌葱色の大臣もついには呆れてしまい「好きにしろ」と(さじ)を投げてしまった。しかし……、

「もっともキサマごとき、わしが刀を抜くまでもないようだがな」

去り際に残した白獅子の言葉は魔人、アンデル・ヴィト・スキアを僅かに興奮させた。

 

 白獅子に釘を刺したアンデルは姿の映らない鏡に向かってなにごとかを独り言を漏らすと執務室を後にし、塔の頂上で待機する船へと向かった。

血の気がなく、虚ろな目をした呪術師が一歩離れて(うやうや)しく頭を垂れ、主人の出立を見送る。

「私はこのまま殉教者の塔へ向かう。後のことはキサマに任せた」

「仰せのままに」

蒼白な人相に反して毒々しい色の装束に身を包む奇怪な呪術師の周囲をいくつもの人魂が纏わりつき、コオオ、コオオと洞窟を掻き鳴らす風なき風が飢えと渇きを訴えている。

彼らに見送られ、いざ乗り込まんとタラップへ足を掛けるとアンデルは船体を煽る低気圧に吹かれ、体勢を崩しかけて足を引っ込めた。

「……ふん」

そうしてふと思い出したかのように顎髭(あごひげ)を掻き、振り返ると、呪術師への命令を付け足した。

「ああ、そうだ。もしあの男がおかしな動きを見せたなら始末しておけ 

「……お気に入りだったのでは?」

「そうだな。悪くないオモチャだったが、使い勝手が悪い。今以上を望むほど私は忍耐強くない」

時折、今は亡き同志の狂った笑い声を思い出す。醜くも満ち足りたあの表情に少なからず惹かれ、真似事をしてみたが、しょせんは二番煎じ。あの男の猟奇的なまでの執着心と忍耐力があってこそ「M」の破壊とエルクの掛け合いに魅力が宿った。それだけのこと。人形遊びなど、(はな)から私の性には合わなかったのだ。

「アーク共々、この塔を墓標にくれてやるといい」

そう、私はただ死を蔓延させればいい。さすれば王は眠りから覚め、太陽を握り潰してくださる。それが我らの宿願。それが我らの存在意義だ。

 得難い悪友を亡くした萌葱色の魔人は、揺らいでいた存在意義を正し、煽る風を蹴散らして船に乗り込んだ。

ただ、いくばくかの不満に後ろ髪を引かれながら。

 

 スメリアという国は王を失ったことで精霊の国としての威厳を失った。それでもなお大臣の手腕によって世界への政治的影響力は保ち続けている。それほどまでに、かの魔人による改革は世界に浸透し、殉教者が情勢を掌握する世界は築かれていた。

 間もなく殉教者たちの思想はスメリアを中心に世界に伝播し、声高らかにかの魔人を褒め(たた)えるだろう。(あまね)く命を死へと導く「神」であると。

そんな男の根城だった高塔に、一匹の獣が迷い込んだ。

「俺の首が欲しけりゃくれてやる。テメエらに俺の船賃を払う覚悟があるならな!」

激情に駆られた獣の形相は獅子のごとく獰猛(どうもう)で鬼のごとく醜悪。髪も(ツラ)も真っ赤なソレは銃も刃も恐れなかった。

獣の刀、東方の妖匠が打ったという名刀”紅蓮”は刀とは思えない斬れ味と強度でバサリ、バサリと敵をねじ伏せる。そこに人も機械も化け物もなく、すべては熟れた桃のように(もろ)く、柔らかい。

この名刀と類稀(たぐいまれ)な剣技でこれまで無数の敵を葬ってきた。だというのに獣は己を最強だと思ったことは一度もない。

すべては与えられたもの。刀の腕も、腕を補って余りある刀も。致命傷を負ってなお親の喉元に喰いつかんとする猛々しささえも。

それらすべてを(たずさ)えて獣はこの断崖絶壁を駆け上がる。崖の上から町を見下ろすもう一匹の獣の下へと。

 

 敵を蹴散らし突き進む赤獅子は、向かってくる敵の種族が次第に偏っていくことに気がづいた。それが指し示す意味にも。

「だからなんだってんだ……」

腐肉を纏い、黄泉がえりを果たした物の怪たち。人相も定かでないほどに(ただ)れたソレらは赤獅子に恩師の本性を見せつける。アレはキサマへの怨念が形となった邪鬼なのだと。

「アレがオヤジの姿をしていて、あの町に刀を向けてやがる。それだけでなにもかも間に合ってんだよ」

赤獅子は紅蓮を存分に振り回し血飛沫を浴びながら、多くを教えてくれた恩師に思いを()せた。

 ある日、散歩がてら人の寄り付かない崖の上へと連れてきた恩師は、夕焼けを背に朱く染まる眼下の町を眺めながら言った。

「俺が刀を握れなくなった時、テメエがこの町を護るんだ。いいな?」

それが二人の交わした、たった一つの約束であり、血を証明する鉄の掟。それをあの男は破った。それだけで十分だった。

 

「どうやら間に合ったみたいだな」

階層が九十を超えた辺りで、先行していたはずの赤獅子は戦友たちに追いつかれる。

「トッシュ、大丈夫!?ひどいケガだよ!!」

「うるせえな、ぴーぴー鳴くじゃねえよ。このくらい……いつものことだろうがよ」

なぜなら彼の体はとっくに限界を迎えていたからだ。

全身に穿(うが)たれた弾痕、鋭利な刃物や爪による裂傷。そこからおびただしい血が流れていた。それでも平時の彼であれば戦うことができた。それが紅蓮に宿る精霊の加護であり、恩師から学んだ気概でもあった。

それを押し止めるものはひとえに、階層を(へだ)ててなお感じる恩師の威圧感に他ならない。

「だ、大丈夫?!」

赤獅子はとうとう壁にもたれ、ゆっくりと崩れ落ちた。

「だから叫ぶなって。頭に響く」

「……トッシュ、まさかお主、ここまで階段で上がってきたのではあるまいな」

「他になにがあるってんだ」

イーガは彼の膝が笑っているのに気づき、呆れ果てた。

「周りが見えてないにも程があるぞ」

イーガが指さした先、タワーの中心には子どもですら目に入る一階から最上階までを繋ぐ巨大なエレベーターがあった。それを目にしたトッシュは苦笑いを溢しながらもまだ皮肉で返すだけの余裕はあるのだとなおも強がってみせた。

「イーガよぉ、師範代のテメエがそんな楽をして舎弟どもに示しがつくのかよ」

「生は(かた)く死は易し。生きてこそ鍛錬も意味を成す。お主が今から対峙する相手はそんなにも温い手合いか?」

「……相変わらず冗談のわからねえ野郎だな」

「俺はそうでもないぞ」

ポコの奏でる竪琴を聞けば不思議と呼吸も血の巡りも整った。そこへ酒場の店主から預かったという徳利(とっくり)をアークは投げて寄越した。

刀よりも手に馴染むそれをしっかと受け取り、頭からかぶれば全身が(ふる)い立った。

「カッカッカッ、悪くねえ」

満身創痍(そうい)にもかかわらず、酒を浴びて不気味に笑う侍。ポコはその様子を怖がるというよりも、酒臭さに思わず顔をしかめ、鼻を押さえた。その顔を見て侍はまた思い切り笑った。

そうして気の晴れた彼は少しの沈黙を挟んで彼らに頭を下げた。

「……悪かったな。迷惑かけたと思ってる。けどよ、なにがどうなろうとあれは俺のオヤジだ。誰かが引導を渡すってんならそれは俺じゃなきゃならねえし、これ以上あの人に惨めな想いをさせたくねえんだ」

「謝るなよ。思うままにすればいい。勇者だって親子ゲンカの一つや二つもするさ。……ただ、お前のパンチはさすがに痛かったけどな」

二人は睨み合ったかと思えば次の瞬間にはまた笑い出した。ポコはその様子に勇気づけられながら、でもやっぱり殴られるのは嫌だなあと独り()ちた。

 

 一つ階層を上がると、そこはこれまでとまったく違う空気が張り詰めていた。高所がもたらす冷気とは違う、鋭利な静けさ。それを破ることが(はばか)られるおどろおどろしさ。この階層の主はそれらを支配し、格の違いを見せつけていた。

「よおやっと来たか。……本当に、本当に待ちくたびれたぞ」

男は最上階へと続く階段の前に腰掛け、一冊の本をペラペラと退屈そうに捲っている。その姿は堪らなくトッシュを苛立たせた。

「そいつを、返してくれよ」

静けさの鱗を逆撫でしないよう(つと)めて声を抑えるトッシュの様子に男もまた眉を吊り上げた。

「返せだと?女々しいこと言いやがって。欲しけりゃ奪え。わしを殺してな」

どうしても殺り合わなきゃいけねえのか?そう言いかけて言葉を飲み込んだ。目の前の男はもう、この世を去った人だ。どんなに慕っていてもその筋は曲げちゃならない。暗にそう言われているような気がした。

「こいつを、預かっててくれねえか?」

トッシュはこれまで片時も手放さなかった紅蓮をアークに預け、道すがら敵から奪ったという不慣れな刀を抜いて男の前に進み出た。

「おい、なんのつもりだ。そんな(なまく)らでわしと殺り合う気か?」

「あの刀は、紅蓮は俺にとってオヤジの形見みたいなもんだ。そんなもんであんたの首を落とすのは筋違いってもんだろ」

「はっ、どうにも今朝の挨拶はテメエにゃ刺激が強すぎたらしい。テメエがわしに手を抜いてなんになるよ。それこそ筋違いだとは思わねえのか?」

「そうかもしれねえ。でもまずは俺の成長を見てくれてもいいだろ?」

「……しゃらくさい」

男は晩年使っていた(いわ)くつきの二刀を抜き、アンデルの吐息すら寄せつけない闘気を(みなぎ)らせた。

「その生意気な鼻もろともへし折ってくれる」

かたや精霊が認めたスメリア一の大剣豪。かたやそれを譲り受ける形で勇者の肩書きを背負ったチンピラ。

とても対等な勝負とは言えない。そこにアークやイーガを並べてようやく五分といったところ。それでも彼らは傍観に徹することを約束した。たとえここが別れの場になろうとも、彼らは勇者の使命よりも友の生き様を守るだろう。

それが、聖柩の試練を経て得た彼らの絆なのだった。

 

今、赤と白の獅子の生死をかけた舞が始まる。

 

 オヤジの首筋まで10m強。それを一足で詰め寄り、斬りつけた。もちろんその一撃で終わらせるつもりで。

だけどオヤジはそれをあっさりと見切り、二刀で華麗にいなしてお返しに鳩尾(みぞおち)に重い一発までくれた。たまらず後ずさり、咳き込む俺を苦虫を潰したような顔で見下す。

「なんてえ太刀筋だ。ハエが止まるかと思ったぞ」

「……そう思うか?」

「ぐぬぅ!?」

居合は柄から伸びる鉄くれだけで斬るものじゃない。鞘に納めた時に刃先を包む空気こそが無類の刃。極めればテメエの間合いを見切ったと高を括ったバカに灸を据えてやれる。

俺が「飛ぶ斬撃」を覚えた時、オヤジはそう言った。

「くくく……やるじゃねえか。それでこそ化け物どもに魂を売った甲斐があるってもんだ」

初めてオヤジを斬った。バカな俺を何度もどついてきた男の胸からダラダラと生気のない血が流れ出る。紫紺(しこん)の装束に心臓よりも二周りも大きなシミをつくったが、当然今のオヤジはそんなことで足元をふらつかせたりはしない。

その様子がせめてもの慰めになった。

「ひとまずこれで今朝の借りは返したぜ」

借り物の刀はまだ折れてない。息もまだ整えられる。まだ……やれる!

「オヤジ、俺はまだ止まらねえぞ」

「ふん、四の五の言わずに見せてみろ。この一年で紅蓮から学んだテメエの剣ってやつをよ」

そこから俺とオヤジの本当の殺し合いは始まった。

 

 オヤジが振るう刀は業火のような熱風を放った。刃先の通る端から空気が水飴のような粘り気を帯びていく。刃がかち合って弾ける火花は竜の吐息のように俺の顔を焼きにかかる。

それでも俺は喰らいついた。オヤジにもらった大事な本を取り返すため、炎を切り裂いて牙を立てた。

 

 さながら威嚇しあう二匹の猛獣のごとく、鳴りやまない剣戟(けんげき)が階層の静けさをズタズタに引き裂いた。そこへ白獅子の失笑が追い打ちをかける。

「クックックッ……、カッカッカッ!!どうした!どういうことだ!太刀筋は何一つ変わっておらんというのにどうしてここまでわしを斬れる?何がテメエを変えた?!いや、そんなことはもうどうでもいい。今はただ、まったく愉快だ!愉快だぞ!トッシュ!」

興奮する白獅子の喜声と猛攻に、赤獅子は怒りの眼と一本の刀で答える。

 

どうして?そんなの、俺にだってわかんねえよ。俺はただ、今のアンタがどうしても許せねえだけだ。

 

三本の刀が斬り結び、血糊が刃先に乗って周囲に飛び散る。味気ない鉄色の部屋にひとひら、ひとひら美しくも苛烈な花弁が舞い落ちる。

「何も変わらねえ。あの時、車から降りたわしを襲った、初めて出会った頃のままよ。だが……、ああ、ああ!悪くねえ!悪くねえよ!!」

赤獅子が一つ斬る間に白獅子は三度、四度と斬りつける。

 

確かにそれはオヤジの剣で、俺には真似できねえ芸当ばかりだ。だけどどれも、弱い。

 

いつの間にか、白獅子の一刀が折れ、紫紺の毛皮はすっかり赤く染め上げられていた。もちろん赤獅子も多くの血を流している。傷の多さで言えば白獅子のそれよりも遥かに多い。

それでも眼光により濃い陰を落としているのは明らかに白獅子の方だった。

「オヤジ、もう終わりだよ」

赤に(まみ)れた白獅子はついによろよろと鉄柵に寄りかかり、若人の振り上げる刃をぼんやりと見上げた。死期を覚った獣のように穏やかな気持ちで。

 

これで終わりか……それも悪くねえ…………

 

「?!」

子が親を蹴落とす瞬間。獅子にとって喜ばしい瞬間。もはや老獅子はそれを快く受け入れるかに思われた。しかし、老獅子は唐突にそれを拒んだ。

悪あがきをするように赤獅子の刀を払い、そのまま見苦しく後方へと退くと不敵に笑った。

「悪いな、トッシュよ。わしはもうお前の知る紋次じゃねえ。いわばこの塔にとり憑く怨霊のようなもの」

「……だったらなんなんだよ」

老獅子は二本の牙を天高く掲げる。すると、切り裂かれた「静けさ」どもが傷口から老獅子の体へと潜り込み、侍にあるまじき力が空気を、塔そのものを震わせ始めた。

老獅子は笑った。その手に最強が残らぬのなら、いっそのこと崖ごと破壊してくれる。それが「獅子として死ぬ」ための最後の選択肢なのだと。

「悪いが、一緒に死んでくれや―――!?」

その瞬間、トッシュは散歩道で二人で見上げた桜を思い出した。

しんしんと降る桃色の花は雪のように儚く、涙のような切なさを香らせた。その瞬間にしか見ることのできない美しさ。それがどうしようもなく胸を締めつけた。

あの花は本に収めることができないのだと、心から悔しい想いをした。

 

 

……散れ……

 

 

 ただただ真っ直ぐな一刀。静けささえも断ち切る一閃。鋭すぎる斬撃は見る者の知覚を麻痺させ、永遠と刹那の共存する沈黙を生んだ。

そして時の潮がゆっくりと彼らの感覚を(なら)すと、白髪の侍の首筋から血潮が()いた。

拾った刀はその一太刀に耐えられず、ついに砕けた。破片は血潮を浴びて舞い落ちる。まるで、あの日のように。

「……」

トッシュは横たわる老人に寄り添うが、すでに息はなく目は見開いている。その表情はまるで絶景を見たかのような驚きに満ちていた。

一見、マヌケにも見えるその顔に、トッシュは苦笑する。

「やっぱりこの本はオヤジに預けておくよ。こんな鉄くずばっかりの場所じゃあ酒も進まねえだろ?」

それを受け取った当時、トッシュは刀の腕を磨くためとその本の意味を理解しようとした。だが、(おもむき)は趣。刀は刀。それらを同じものとして見ることがついぞできなかった。

しかし今、それを故人に贈った瞬間、あの思い出を本に収められないのだと噛み締めた瞬間、彼は初めてそこに「自分の姿」を見た。

大事なのは本でも刀でもない。故人を(しの)ぶのも、敵を斬るのも「己」なのだと。

名残惜しそうに見開いた瞼を閉じるトッシュの肩を、親友がそっと叩く。

「いいのか?」

「……ああ」

トッシュはそれ以上言葉を残さず、老いた獅子の亡骸をそこへ置いて先へと進んだ。




※獅子毛(ししもう)
歌舞伎の演者が使用するカツラの一つ。赤、白、黒などがあり、どれも獅子の(たてがみ)を表現するとともに、その力強さや魔除けなどの意味もあるそうです。
これを用いた演目の一つ?”連獅子”には赤と白の獅子毛を用います。
この”連獅子”は「獅子は我が子を千尋の谷に落とす」の諺をモチーフにしているらしく、演目の最後は赤い獅子毛を被った子と白い獅子毛を被った親が豪快に舞って終わります。

紋次は白髪、トッシュは赤髪。しかもトッシュが掘ったという紋次の墓は町を一望できる崖の上。…これは、そういうことでいいですよね?

※採光(さいこう)
外の明かり(主に日光)を室内に取り入れること。

※萌葱色(もえぎいろ)
鮮やかな青緑色。青ネギみたいな。……青ネギ大臣。

※俺の船賃を払う覚悟
とてもわかりにくいですが、三途の川を渡る際の六文銭のことを言っています。
とてもわかりにくいですが、「俺の命が欲しけりゃくれてやる。俺と心中する覚悟があるならな」と言っています。

※腕を補って余りある刀
Ⅰ、Ⅱを通してストーリー中での出番はほんのわずかですが、トッシュには「刀の精霊」というものが憑いています(幽霊みたいな言い方(笑))。私の話ではそれはトッシュ自身にではなく、紅蓮(刀)に憑いていることにします。

※生は難く死は易し
苦しみに耐えて生きるのは難しいが、苦しさに負けて死ぬのは容易であること

※紫紺(しこん)
紫色を帯びた紺色。語感がよかったので使ってみただけです。深い意味はありません(笑)

※剣戟(けんげき)
刀で斬り合う戦い。……私は刀同士が斬り結ぶ時に鳴る音だと思っていました。今回はその用途で使っています。
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