聖櫃に抱かれた子どもたち   作:佐伯寿和2

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精霊の導き その五

 ラマダの山に登るのはこれで三度目になる。寺の門弟でもなければグレイシーヌ人でもない俺が。グレイシーヌの法を身につけるでもなく。

だからなのか、いまだにここの静けさには違和感を覚える。

自分たち以外に人の気配は感じられないし、鳥や獣も羽音足音が辛うじて聞こえる程度。そのせいで枝葉のこすれる音や地面を踏みしめる感触がいやにハッキリ感じられる。

そもそも「登るための道」なんてものはなく、標高の高いせいで頻繁に雲が行く手に現れる。それは蜘蛛の糸のように顔にへばりつき、不快感と視界の悪さのせいでたびたび足を滑らせてしまう。

どうにかそれを抜けてもそこには雲に入る前と同じ景色が広がっている。すると方向感覚が狂い、徒労が押し寄せてくる。

とにかく道は細く、頼りない。下を覗けば「標高」が大きな口を開けて俺たちの転落を待っている。

目に映る景色は絶景に違いない。だけどそこには常に「あの世の入り口」という()()が共存しているのだ。

実際、修行僧でない俺はここで何度も死の淵を覗いてきた。その度に死後の静寂とけたたましい心臓の鼓動が鼓膜を破らんばかりに感じられたし、手足が震えた。

こんな難所を、三歩歩けば自分の服の裾を踏んで転ぶポコが二度も登頂したなんて今でも信じられない。

「それにしても」

時間軸の違う俺たちが再会してからずっと機嫌の悪い彼女が、ふと感心の眼差しで俺を見た。

「たった一年で随分と(たくま)しくなったね」

この時の彼女はイーガにこてんぱんにやられる俺が強く印象に残っているのだろう。精霊の力を使わない俺はただの一般人、それか彼女の認識だった。

そんな俺が悪霊となった僧兵を相手に素手で渡り合ったのだから驚くのも無理はない。

「それでも()りずにイーガに挑んで虫みたいに転がされたばかりなんだけどな。トッシュが言ってたよ。そもそも俺にはケンカのセンスがまるでないんだってな」

「なにそれ、いったい何があったの?」

「……まあ、それは別の物語ってやつさ」

ほんの少し談笑を交わすだけのつもりが、つい口を滑らせてしまったのだと気づいても後の祭り。未来のことだからと言葉を濁しても彼女の顔つきが険しくなってくのを止めることはできなかった。

「あなたが私に隠し事?いい度胸じゃない」

一年後の彼女は随分と落ち着いた。裏を返せばこの時の彼女は……いいや、いつの時代だろうとククルはククルだ。躊躇いもなく胸倉を掴んでくる彼女こそが俺の惚れた女性なんだと観念するしかなかった。

 俺は僧兵たちの視線に痛い想いをしながら、心の中でイーガに謝罪の言葉を並べていた。

大僧正の偽物に騙されていたからこそ彼女は同情し、五体満足で生かしたが、今回もそうとは限らない。ククル・リル・ワイトは売られたケンカは必ず買う人だから。

 

 ラマダの最高峰、その頂き。人間兵器とも呼ばれる僧兵たちが道を極めるために到達する領域はやはりそれ以下の空気とは一線を画していた。

不自然に低い気温、不自然に高い湿度。それは氷水の中を歩いているようで、息をすれば頭の中まで冷気が染み渡り、体の震えは止まらない。そんな過酷な場所でさえ上半身裸でいる僧兵たちはラマダに護られているからだと言う。頂きの中心にはそのラマダを祀るための仰々しい祭壇がある。

「ラマダの聖域を穢す不届き者どもが……」

そこに現れる彼らの姿は逆に相応しくすら見えた。

「よくもぬけぬけと我らの前に現れたものだ」

僧兵の姿をした鬼がこの「聖域」の番人を名乗るかのように一人、また一人と岩陰から姿を現した。

生前は家族同然だった彼らの声は僧兵たちの心を変わらず乱したが、それでも彼らは歯を食いしばり、声を上げた。

「お前たちが我らを憎むのは道理だ。我らに返す言葉などあろうはずがない。だが!」

「だが!我らとてお前たちを(ないがし)ろにした覚えもない!」

「我らは今も共に学んだものを守り、国を尊び、民を護っている!」

「故に、我らは決着をつけに来た!」

「死者は死者にあるべき!その身を辱めるものにあらず!」

数十人に及ぶ僧兵たちが息を合わせ、まるで合わせ鏡を見るかのように同じ型を構え、鬼と睨み合う。

詭弁(きべん)(ろう)するな!」

「もはや死者以下であるキサマらに我らが制裁を下してくれる!」

今まで一方的に責められる側だった僧兵たちの毅然とした反抗に鬼は言い知れない怒りを覚えた。その怒りにラマダの姿はなく、それが膨れ上がるほどに僧兵たちとの力の差は開いていった。

力任せの拳は彼らに届かず、死闘であるべき戦いはまるで手応えのないまま決してしまった。

「バカな……」

「この、恥知らずどもめ……」

手にした勝利は(かえ)って彼らにしこりを与え、鬼たちに代わってそれをぶつけるべき相手を名指しした。彼らはそれを「悪」と呼ぶ。

「悪魔め、姿を見せよ!」

「ラマダがかような悪行を見逃すと思うな!」

魂の叫びは山渓に吸われ、無類の静寂が木霊する。そこには「正義」も「悪」もない。ただ心身を研ぎ澄ますためだけの空間が広がっているかのようだった。

 そんな聖なる静寂を一匹の「悪」が否定しにかかる。

「悪魔?それは私が世界を統べしロマリア王の使者と知っての言葉か?」

神聖なラマダの祭壇に異国の法師が太々しく腰掛けていた。身の丈ほどもある歪んだ樫の杖を抱きかかえ、その体もまた杖のように細く枯れている。真っ黒なボロ切れをまとい風になびかせる姿はカラスのようで、淀んだ孤高と孤独が漂っている。

そんな男が「ロマリア」の名を語っている。まるで彼らを誘導するかのように。

「それともお前たちが見殺しにしたこの憐れな男たちを指しているのかな?」

法師が杖を振ると新たな幽鬼が物陰から現れ、抑えがたい憎しみを顔から口から溢れ返らせた。僧兵たちを指して「悪」を訴え続けた。

「聞こえたか?これが現実だ。お前たちがどれほど厳格な法を着込み正義を(かた)ろうと、犠牲となった者たちはお前たちの真の姿を見抜く。死者は悪を見逃しはしない」

カラスは鬼を引き連れ不敵に笑い、穢れた羽をなびかせる。杖に付いた鈴を鳴らせば鬼は凶暴化し、人の皮を脱ぎ捨てる。そうして「本物の鬼」となった彼らは、自分たちこそが法の番人だと鍛え上げた拳を突き出すのだ。

 彼らの声だからこそ、同じ屋根の下で生活を共にした僧兵たちの心に否応なく響いてしまう。それが真実なのかもしれないと。

「キサマらの地獄はこれからだ」

カラスは歪な杖で漂う雲の糸を絡め、鬼に結びつけ、巧みに操った。

鬼は(ラマダ)を纏えない。しかし法師が杖を振れば雲は僧兵の周囲に立ち込め、五感を奪い、血流を乱し、幻覚を見せて鬼を護った。

鬼の拳は蝙蝠(こうもり)のごとく音を()ぎ、姿を殺して僧兵の体を打ち抜いた。(きゃく)(たか)のごとく急降下し、瞬きの間に僧兵の体を斬った。

それは紛れもなく外法の技。だが、鬼となった彼らはもはやそれこそが己の技と信じ、敵を追い求める。

僧兵は思う。彼らは本当に操られているのか?

俗世を捨て、法に準じる面の下で厳しい修行に耐えてきたはずの僧兵たちは葛藤を禁じることができなかった。

 

「いいの?手を貸さなくて」

散々彼らをけしかけてきた彼女が小さな罪悪感を見せてきた。毅然とした表情そのままに、チラリと俺の顔を盗み見た。基本的に彼女の機嫌を悪くさせてしまう俺だけど、それでも何を考えてるのかはだいたいわかる。

彼女が今、どんな答えを欲しがっているのか。

「もしここで手を出したとして、彼らは俺たちを許してくれると思うか?」

「……それくらい、言われなくたってわかるわよ」

言葉以上に彼女の顔には安堵の表情が見て取れた。もしかしたら自分は薄情な人間なのかもしれないという不安の象徴が、一本また一本と消えていった。

 

 カラスの支援は、一方的だった力関係を覆し、僧兵たちを少しずつ死の淵へと追いやった。

ある者は耳を削がれ、ある者は足を折られ、ある者は胸を穿(うが)たれた。それでも彼らは耐え忍ぶ。法がそれを許さぬ限り、案山子(かかし)になることも甘んじて受け入れた。

そんな彼らをカラスは笑った。

「世界最強と(うた)われる兵団も、裏を返せばただ腕っぷしが強いだけの烏合の衆。少し足下を崩してやれば脆いものよ」

カラスは気づいていない。彼らの信じるラマダのなんたるかを。一人として退くことのない忍耐の根源を。

鬼に変化が現れて初めて何かがおかしいと気づかされるのだ。

「どういうことだ!?」

反撃こそするものの、僧兵の拳や脚が鬼を捉えることはなかった。だというのに突如、一匹の鬼に仕掛けた「糸」が断ち切られた。鬼は魂を抜かれた人間のように膝から崩れ落ち、二度とカラスの呼びかけに応じることはない。続いて一匹、また一匹と鬼は祓われていく。

「キサマは我らの法を見誤っている」

「なんだと?」

困惑し、杖を振り回す法師に僧兵は侮蔑された法を説いた。

(ラマダ)は目に見える拳にあらず。たとえこの目を封じようと、耳を削ごうと、魂が邪を捉え拳となってそれを討つ」

僧兵たちは息を整え、耳の聞こえぬ者も、足の折れた者も、響き渡る気合とともに一糸乱れぬ正拳を放つ。それは稽古でするような型そのもので、拳は空を突いた。

しかし、ラマダの拳は拳にあらず。型は型にあらず。拳は邪を斬る剣、型は己を癒やす鎧。悪はすべからくひれ伏すものなり。

「バカな……」

鬼が悲鳴も上げずに倒れていく。残された一羽のカラスは言い知れない恐怖を覚えた。

異形の面をつけ、居並ぶ数十の人影はまさに法を執行する人形のようであり、はたまたその土地に根づく守り神のように見えた。それらに睨まれれば、自分が覆せぬ「悪」であることを胸に刻まれた気がした。

「これが法か?こんなにも一方的な悪が許されるのか?」

「ラマダは正義でも悪でもない。法の執行者、秩序の番人なり」

「笑わせるな!ならばお前らの見捨てた者は、裏切りは法を守るための必要な犠牲だとでも―――?!」

僧兵の拳が法師の言葉を遮った。法の力ではなく、己の鍛え上げた腕力で法師の体を貫いた。

「これがキサマの言う必要な犠牲だ」

「オ…ノ……レ……」

法師は鬼の後を追うように崩れながら僧兵の腕にすがりついた。必死に。まるで言葉とは裏腹に法へ許しを乞うように。

「我らもそこへ赴く。先に逝け」

それは法師に向けた言葉か。それとも薄れ、消えゆく鬼たちに向けた言葉か。僧兵たちはしばしの間、地蔵のように口を(つぐ)み、合掌して弔いを捧げた。

 

 しかし彼らの親愛なる黙祷も乾かぬ内に祭壇にはもう一つの影が現れ、彼らを説教するのだった。

「お前たちという奴は、どうしてこうも私の期待を裏切ってくれるのだろうな」

卵型の、土を焼いて固めた鎧に身を包む緑色の異人。足はなく、鎧から伸びる三本の突起に支えられている。火の精霊と同様、賢者の杖を手にし、漆黒の眼球に金色(こんじき)の瞳を浮かべている。

グレイシーヌの民が「ラマダ」と崇める異形に睨まれれば僧兵たちはただちに黙祷を解き、かしずくしかない。

「それとも、私が悠久をかけて紡いだ法はあのような邪教徒に(もてあそ)ばれるほどに幼稚だとでも言いたいのか?」

ラマダ、またの名を地の精霊。その異形の権力者はただ静かに地に伏せる愚弟たちを見下ろし、絶対的立場から延々と苦言を並べ立てるかに思われた。

「だが、そのような愚かしさもまた人の成せる『美』と呼ぶべきなのかもしれんな」

「は?」

僧兵たちは耳を疑い、顔を上げた。しかしラマダはそれを撤回しない。

「火や風が言うように、お前たち人間さえいなければ世の秩序がこうも揺らぐことはなかっただろう。こうも我らの期待を裏切り、我らに痛みや苦しみを与えることもなかっただろう。だが見方を変えたならお前たちは我らにそれらの得難い経験を教えたと言えるかもしれん。アークよ、お前はどう思う。精霊は絶対的な世界の象徴か?それとも、もはや古い悪習でしかないのか?」

「俺にその答えを求めること自体が間違いなのでは?」

法師との争いを傍観していたアークはあくまで自分は「第三者」なのだと言葉少なに返した。

「貴方たちは貴方たちの信じる生き方を貫くべきだ」

「その結果、我らが人と敵対することになったとしてもか?」

「その時は貴方たちも人間に一歩近づいたのだと誇りに思えばいい」

精霊の中で唯一、国に法を敷くことを追求した異人。彼を畏れず、皮肉を返すアークだからこそ異人は彼の言葉を信頼していた。

「笑えない冗談だが、言い得て妙でもある。我らの真の敵は人でも魔族でもない。『混沌』に他ならないと。ならばこの戦局において気を引き締めるべきは我々も同じなのかもしれんな」

緑の異人は、確かにグレイシーヌと共に生きようと努力しているようだった。

 

 しかし、おもむろに割れた鏡を取り出し、経緯(いきさつ)を知った地の精霊の反応はアークの期待を裏切ってくれた。

「そうか、ヨシュアも逝ってしまったか。あの男もまた類稀な存在だと期待していたが、残念なことだ」

期待、それが少なからず交友のあった人間の死に対して彼らの口から出る言葉。彼らの感情や思考はどうしても「支配者」のそれから離れられない。

地の精霊はアークの頼みを快く受け入れたが、それもまた彼らの「期待」の範疇だと思うとアークは言葉にできない苛立ちを覚えるしかなかった。

「アーク、ククル、知っておるかもしれんが、お前たちが今対峙しておるかの王は元は人間だったものだ」

見下す者はそんな勇者の変化にも気づかない。金色の瞳は、自身の揺るぎない立場を相手に見せつけるかのように暗い眼球の中で一際冷たく輝いていた。

「私がお前たちに求める()()は、かの王のみを指した言葉ではないということを肝に銘じていてほしい」

どれだけ歩み寄ろうと、精霊が人を理解することはない。絶対に。

それがこの世界の「法」だと言うのなら……。アークは知らず知らず奥歯を鳴らしていた。

 

 用を済ませ、山を下りようアークたちが(きびす)を返しても僧兵たちはそこを動かず、何もない地面を一心に見つめていた。

その様子がいかにも子どもの駄々のようで、見かねた地の精霊は彼らの無言の頼みを聞き入れようと溜め息を吐いた。

「安心せい。兄弟たちは私が責任をもって土に埋めておこう」

「……お頼み申します」

親愛なる兄弟の安らぎは約束された。それでも下山する彼らの足取りは弱々しく、幾度となく頂きを振り返ってしまう。

「まったく、あの女々しさは誰に似たのかしら」

「そんな言い方はないだろう」

人の死はそういうものだ。それが深い絆で結ばれた相手であればあるほど。アークはそれ以上言葉にはしなかったが、ククルの耳にその声は届いていた。

「わかってるわよ……」

彼は父を亡くしていた。心から尊敬すしていた人を。

ククルはそっと彼の背中に拳を立て、振り返る彼の瞳の中の自分を複雑な気持ちで見つめるのだった。

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