ここに来ると無意識の内に奥歯が鳴り始める。罵られる自分を想像する。
「勇者のくせに」「無能者め」「なぜ助けてくれない」
あの時見た閃光も熱風もすべてがそんな言葉に聞こえた。村に残った「影」の声はさらに大きい。
地を這い、祈り、抱き合う彼らは口々に俺を呪っている。
そう考えるだけで喉が渇いてしまう。思い出すだけで
彼らは今でも俺を待っている。あの村で。俺にはわかる。
「でもサリュ族の人たちはまだ生きてたんでしょ?」
「……あぁ」
そういうことを言ってるんじゃない。普段ならそう言って不機嫌になる彼女がそれを口にしたことに俺は驚いた。
本当に他にかける言葉が見つからなかったのかもしれない。それだけ俺たちにとって言葉を失う出来事だった。
物語の主人公が完全無欠だと信じる俺に「間違っている」と、初めて面と向かって言われた瞬間だった。
彼らの功績は輝かしいもので満たされている訳じゃない。彼らの闇が語られないのは、それを語る人間が
俺は「主人公」に絶望した。だが代わりに「アーク」の土台を手に入れた。
俺は無敵じゃない。だが、弱い自分の背中を蹴り飛ばすことができる。彼女もそれを手伝ってくれるだから俺はここに来ることができた。
それが気遣いか否か。首飾りは彼らを水の精霊を祀る例の集落へと導かなかった。
アリバーシャの首都、エルザークは少し前までロマリアの手先と囁かれていた将軍、カサドールの統治していた町だ。
だが、スメリア王を暗殺したテロリスト集団の襲撃に遭い、将軍は死亡した。そう報道されている。
そうして体制の傾きに付け込むお決まりの役者たちが、疫病神たちが吹き込む砂に紛れて町を練り歩いていた。
「逃がすな!挟み込め!」
エルザークの民は同盟国でもない彼らがどうして自分たちの町を
「どうする?返り討ちにする?」
「ダメだ。ここで俺たちの印象を悪くすれば町中で動きにくくなる」
水の神殿の在り処は知っている。けれども首飾りがここへ導いた以上、何かしら神殿へ向かえない理由があるはずなのだ。それを探るまでは彼らに敵視されないよう立ち振る舞わなければならない。
敢えてそうしているとも知らずに、町のいたる所を徘徊するロマリア兵は警笛に惹かれて虫かネズミのように集まってくる。
町中にさえ砂漠が侵食するエルザークに「舗装」の概念はない。敷き詰められた細かい砂は砂丘のそれと同じで、やましい者たちの足を執拗に引っ張る。
「こちらへ!」
体力も逃げ道もなくなっていく中、突如、建物の陰から手を差し伸べる男の声が響いた。二人は顔を見合わせ、視線を交わすと即座に男の声に従った。
男の声にはどこか親近感があった。聞き覚えのあるなし以上に「追われている」という状況を共感する真に迫った優しさを感じた。
そんな彼らを試すかのように、声は蜃気楼のごとく常に少し先の物陰から響いた。
「早く、こちらです!」
砂漠の民特有のしゃがれた声の中に、アララトスの商人たちのような裏社会の厳しさを語る闇がある。けれども彼らとて誰に対しても「悪」でいることはない。
男の優しさは今まさにそれを語っているように聞こえた。
男は同じ言葉を繰り返し、二人を町中引きずり回した。しかしそれは兵士たちの配置を知ってのことなのだろう。回り込もうとすると二人は必ず先を行っている。そんな状況にロマリア兵らは苛立ち、次第に統率は乱れていく。
「さあ、こちらへ!早く!!」
そうして足が鉛へ変わろうかというところで声は彼らを建物の中へ誘導した。二人は声に従い、その民宿に飛び込む。するとようやく声の主が二人の前に姿を現した。
砂漠の民の旅装束をまとう男は背筋がまっすぐでガッシリとしている。砂よけのフードから覗くエメラルドの瞳は、その男が一目で真摯な人間だとわかる輝きを放っていた。
「早く、早くこちらへ!!」
男は冷静にしかし必死に二人を匿おうと奥の部屋へ促す。
やがて、民宿の石畳を踏み鳴らす革靴の集団が押し入ってきた。石材に声が吸われて会話こそ聞き取れなかったが、革靴たちの高慢な声が一言二言怒鳴り散らしたかと思いきや、やはり慌ただしい足音とともに遠ざかっていった。
殺気立つ男たちの気配が完全に遠のいてもアークは気を緩めなかった。なかなか男が姿を見せようとしなかったからだ。次第に男への疑心が
するとタイミングを見計らったかのように扉が、軋む音すらも立てまいと慎重に開かれた。
「お久しぶりです。アークさん、ククルさん」
けれどもそこに、想像した顔はなかった。男は二人との再会を心から喜んでいた。
そのほころび顔になってようやく、アークは男のことを思い出した。
男はあの一族の生き残りだ。そして、共にあの日を胸に焼き付ける数少ない仲間でもある。
「アラム、その顔……」
サリュ族のアラム。彼はロマリア兵に暴行を受けていた。被っていたフードは乱暴に引きちぎられ、頬に大きな青あざができている。それでも男の顔は痛みよりも喜びが優先された。
「そうです!私のことを憶えてくれていてくれたんですね!」
感動が先立って俺を義理堅い人間だと勘違いしていた。
違う。俺は「アラム」を憶えていたんじゃない。忘れられないんだ。あの日の戦慄と、その前で泣き崩れる男の顔が。
そんな俺の後ろめたさを隠すように、彼女はわざと明るい声色で返した。
「当然でしょ?だけど、どうしてここに?サリュ族はもうこの国を離れたんじゃないの?」
目元を拭い、アラムは一族の代表として責任感のある顔で答える。
「私は今、族長に願い出て神殿の守り人の任に就いているのです」
「守り人?」
「ええ。以前は爆撃でその任を預かっていた者が亡くなり、むざむざカサドールを中に入れてしまいましたが、本来は守り人の持つ鍵と呪文がなければ神殿へ立ち入ることはできません」
「神殿を守るために、たった一人ここに残ったっていうの?」
「いづれ貴方がたが再び水の精霊を訪ねる日が来るだろうと思っていましたから」
誇らしげに、けれども照れ臭そうに語るアラムはどこまでも「勇者」を信じていた。その顔と声がアークの胸を締めつける。また同じことが起こっても、その顔は変わらず自分を信じてくれるのだろうか、と。
その日は連日の旅をアラムが気遣い、彼が経営する民宿で体を休めることになった。
「ご心配なく。ここにいる限り、私には彼らの動きが手に取るようにわかりますので」
彼は地図の上に落とした砂粒が夜風に吹かれて動く様子で兵士たちの動向を監視しているらしい。
その自信とは裏腹に、その目には「孤独」という疲労が見て取れた。彼はこれからもずっとそうして生きていくつもりなのかもしれない。俺がこの物語を終わらせない限り。
アララトスでもそうだったが、俺たちは改めて砂が「物言わぬ暗殺者」と呼ばれる
「痛むか?」
「ほんの少し」
水が貴重なアリバーシャで風呂は贅沢品だ。洗面器に溜めたお湯で体を拭く。それが一般的な入浴になる。
細かい砂は地元の服ですら簡単に潜り、激しい運動をすればするほどたくさんの砂が汗を吸い、爪を立てる。付き合いの永い砂の民は肌が硬くなっているらしいが、よそ者の俺たちにとってはかなり厄介な環境だ。
俺は傷だらけになったククルの背中をできるだけ優しく拭いた。
「スメリアに帰ったら真っ先にお風呂に入らなきゃ」
「傷がしみるだろ」
「痛いのには慣れてるわよ。それより私はお湯を全身に浴びたいの。アークはそう思わないの?」
「……そうだな。早いとこサッパリして良い匂いのするベッドに入りたいな」
言いながら、すでになくなった自分の家を思い出していた。
翌日、神殿の封印を解く鍵を取りに、俺たちはあの集落へと足を踏み入れた。
「ここは、あの頃のままなんだな」
俺は一年後から来たが、ここの時間でも少なくともひと月は経っている。それでもアリバーシャはそこに墓地を作るでもなく手つかずのまま残している。
「サリュ族はアリバーシャの腫れ物としてここに永遠に取り残されるでしょう」
俺たちとの再会でさえ涙していたアラムも、この景色に流すものはないのだと言う。
「族長が祖国との闘いを放棄した以上、私もその意志に従います。ですから私も彼らのために涙することを止めたのです。涙は、憎しみの種になりかねませんから」
だからといって無感動でいられる訳もなく、かつて笑い合った友人たちの
そうして行き着いた場所には焼け残った切り株があり、アラムはその洞に手を突っ込んだ。
「さあ、神殿へ向かいましょう」
洞から抜いた彼の手には、それが鍵だと知らなければ子どもかカラスの宝物にしか思えないほどに小さく粗末なガラス玉が握られていた。
他愛ない「宝物」と見向きもされてこなかったガラス玉。それが守り人の手に握られた瞬間、この戦争に関わるすべての者が奪い合う財宝に変わった。
その変化がアークを振り返らせた。
「危ない!」
アラムの背後から、ガラス玉へと忍び寄る真紅の腕があった。ククルはアークの警告と同時にアラムを抱き寄せ、アークはそれを問答無用で斬り落とした!
象の足ほどの太さを誇る真紅のそれがドサリと生々しい音を立てて地面に落ちたが出血は見られず、そういう作り物だったかのようにピクリとも動かない。
間違いなく斬り落とした。だからそれにはもう脅威などないはずなのに、腕にびっしりと刻まれた呪文が、生皮を剥いで血塗れになっているようにも見える真紅が見る者を神経質にさせた。
特に、アークはそれが顕著に表れている。本人もそれを自覚していた。
なぜなら、彼ら一味はその腕の持ち主と交戦し、全滅の危機に陥った過去があるからだ。
「殺られる前に殺れ」これほど単純で考える余地のない行動を起こさせるほどに過去は彼を恐れさせた。
「まさか、ずっと私を監視していたのでしょうか」
腕の持ち主を知らないアラムはそれへの警戒心が薄く、むしろ自分の失態を歯痒く感じている。それがアークには羨ましく思えた。
「いいや、もしもそうだとしたらアナタは俺たちと出会えてない。コイツらはそんな回りくどい真似はしない。いつだって力で解決しようとする。それだけの力があるんだ」
だからこそ沈黙し続ける腕に違和感があった。
信じられない話だが、奴らは俺たちに道案内をさせるつもりなのだ。ここで俺たちを蹴散らして鍵を奪えば済む話なのに。
アークたちは奇襲を警戒しつつ神殿へと向かったが、彼らを邪魔する者は一切現れなかった。旅人を主食にする砂嵐でさえ遠巻きに彼らを眺めるばかり。まるで「身の程」をわきまえているかのよう。
ロマリア兵の待ち伏せもなく、神殿周辺はウソのように静まり返っていた。
「開けますよ?」
「ああ、やってくれ」
神殿の存在を示す遺跡以外それらしきもののない、ただの岩壁の前に立ち、手を伸ばすとガラス玉を握るアラムの腕は岩壁の中へ波紋を立てて潜っていった。中でガラス玉を放し引き抜くと、岩壁だったものはアラムの文言に合わせて渦を巻いてガラス玉に飲まれていく。ガラス玉はポトリと地面に落ち、神殿へ続く洞窟の入り口を露わにした。
「……」
真紅の腕の主はいまだに姿を見せない。見えない真紅への恐怖か。それとも
陽射しの差し込まない洞窟内は砂漠地帯とは思えないくらい水気を帯びていて、ひりつく肌を優しく撫でつける。外の乾燥した空気との差も相まって水の中を歩いているような錯覚さえ起こしてしまう。
そんな聖域にソレは土足で上がり込む。
「アーク、精霊の下僕よ。今一度、キサマに本当の使命を思い出させてくれる」
力の余波が起こすおどろおどろしいドラムロールが洞窟内に反響し、目の前の景色に不自然な一本線が入ったかと思いきや、景色が流血するかのように真紅の悪魔は姿を現した。
「ア、アークさん。なんですか、コイツは……」
アークデーモン、またの名を「聖櫃より産まれしもの」。聖柩の名を冠したソレは聖柩を守護し、聖柩は守護者としてソレをより強い存在へと育む。そしてソレは今、人間の滅亡を望んでいた。
鋼のように頑強な皮膚。竜のように強靭な手足と翼、尻尾。そして、眼孔と口内は光さえも恐れおののく深い深い闇を
力では四将軍に劣るのかもしれない。しかしソレは聖柩から無尽蔵に産まれる。四将軍は殺せる。ソレは殺せない。王を封じるための聖柩を破壊しない限り。ゆえに凶悪。
片腕のない悪魔は羽ばたかずとも宙に浮いている。それが今、おもむろに巨大な両翼を広げてみせた。
「選べ。我らに下るか、精霊の甘言に操られるか」
それがアークたちを苦戦に追い込んだ破壊光線を放つ予備動作だと知っていたが、聖柩の力が二人の力を打ち消し、それを止められない。
「愚かな。なぜそうも正義などという言葉に固執する。キサマのその選択はこの物語の結末になんら影響を与えないというのに」
その
「そう、結末はすでに書かれている。我らがこの世に復活を果たした時点で」
闇が、アークをあの爆撃の日へと―――
『愚かなのはアンタだよ』
神殿を満たす空気が揺れた。正確には彼らを包み、撫でつける水が揺れた。
「……精霊の分際で聖柩を行使するか?笑わせる―――ぐっ!」
空気中の水が悪魔を包むと『自然の法則』を無視して無限の質量を持つ闇を一握の水滴へと圧殺した。横切る小さな羽虫を握り潰すように、無慈悲に。
「まったく、人の家に土足で上がってきておいて礼儀知らずなことだよ」
天井からしたたる一滴の雫が宙空で静止した。かと思いきや、次の瞬間には火薬で一杯の胃袋にマッチを放り込むかのように爆発的に膨張した。溢れ出た水は洞窟内に撒き散らし、甘く澄んだ霧で漂わせる。霧が無骨な岩肌を撫でれば美しく滑らかな像や柱に彫刻し、瞬く間に荘厳な祭壇へと造り変えてしまった。
熊ほどの巨体に落ち着いた水滴は潰した悪魔に見劣りしない不気味な笑みを浮かべながら、アークの傍らに立つ男を見つめてため息を吐いた。
「アラム、アタシはアンタが一族の下を離れ、独りここに残る選択をしたことを残念に思うよ」
水の精霊と初めて言葉を交わす感動は信者であるアラムには筆舌に尽くしがたく、主に非難されていることにすら気づかない。
その姿が精霊のため息をもう一つ誘った。
「アタシはこれ以上アンタたちの苦しむ姿を見たくないんだよ」
水滴は六つの腕を生やし、内の一本が水タバコを口元に運んでは、不気味な笑みから澄んだ煙が漏れ出た。
「アタシたちの力は無限じゃない。今みたいにひと息で護れる時もあれば、どんなに手を伸ばしても護りきれない時もある。お前はそれをよく知ってるはずだろ?」
「ですが…私は……」
「アタシが連中に利用されないか心配なんだろ?ありがたいことだけどね。それは取り越し苦労ってものだよ」
水の精霊はアラムを想い、澄み渡る煙を彼に吹きかけた。
そうして精霊の視線はアラムからアークへと移る。
「アーク、アンタはまだこの子たちのことを気にかけてやってくれているんだよね。とても感謝しているよ。だからこそアタシたちはアンタに謝らなきゃならない」
アークは静かに精霊の言葉に耳を傾けた。初めて、そういう気持ちになれた。
「アタシたちはアンタに世界を救えと叱責する立場にいる。だけど今のアタシたちにそれを支えるだけの力はない。
精霊は変わらず甘い煙をアラムに吹きかけ続けた。それが彼女の、後ろめたさを添えた答えだと。
けれどもアークはそれが気にならなかった。むしろ、今まで彼らと言葉を交わした中で一番納得できる言い訳に聞こえた。初めて、金色の瞳に好感が持てた。ようやくその黒い眼球に、悪魔とは違う光を見た気がした。
あの日の爆炎さえもソッと抱きしめる希望を。
彼はその気持ちをそのまま彼女に伝えた。
「俺たちがしていることも、貴方がしていることも何一つ違わない。皆、できることに全力を注いでいるだけだ」と。
水の精霊はただ「ありがとう」とだけ言い残すと霧と共に消え、神殿も元の無骨な洞窟に戻った。
一方で、二人は懐にしまった鏡が温かく脈打ち始めているのに気がついた。
五大精霊の力を宿した鏡。これで直面している危機を乗り切ることができる。アークは胸を撫で下ろし、ククルに別れの眼差しを向けた。ククルもまた、この旅で初めてと言ってもいい穏やかな笑みでその眼差しを返した。
二人の様子を見て自分の役目が終えたことを知った神殿の守り人も同様に、別れの言葉を投げかけた。
「まだここに残る?なぜだ?」
アラムは精霊の嘆きを聞いてもなお彼女の下を離れることを拒んだ。
「あの方の言う通り、私は余計なお節介を。いいえ、あの方を苦しめているのでしょう。……それでも私は……」
アラムの喉に砂漠の渇きではない何かが詰まり、ガラス玉を握る手がブルブルと悶えた。
「……それでも私は、あの方の傍にいたいのです」
頬を、胸を、信仰と崇拝を象徴するガラス玉が止めどなく流れ落ちていくのだった。
※アークたちを苦戦に追い込んだ破壊光線
動画で確認するまでアークデーモンの特殊能力「ダストルーイン」は目から放つ破壊光線だと思ってました。実際は羽から出るんですね(;^_^A
トレーディングカードを見ながら書いていたのでなんとなく目から出るような描写になってしましました。
※初めて、金色の瞳に好感が持てた。ようやくその黒い眼球に、悪魔とは違う光を見た気がした。
世間では「回復勇者」と呼ばれているアーク様なので、なんとなく水の精霊とは仲が良い感じにしてみました。
(水の精霊を使った特殊能力「トータルヒーリング」は回復魔法なので)