ロマリア市街のとある民家。そこに兵士たちは群らがり、扉を激しく叩いている。住人には罪状が出ている。投降を拒めば
市民たちは知っている。そもそも初めの罪も
初めこそ温厚な彼らだが、足に乳酸が溜まるにつれて声色は厳しくなり、本性を露わにしていく。
「なにも遊び相手はお前でなくてもいいんだぞ?」
それはもはや定番ともいえる光景だ。兵士がそう吐き捨てるや否や、気配を消していた隣人たちが飛び出し、強盗まがいの手段で民家に押し入っては必死に抵抗する老人を兵士の前まで引きずり出す。
「ふん、市民風情が煩わせやがって。キサマのせいで俺たちの貴重な休憩時間が10分も無駄になったぞ?覚悟はできているんだろうな?」
「やめてくれ!やめてくれ!!―――ぐはっ!」
「黙れ。上官に見つかりでもしたら夜通し兵舎を走らなきゃならなくなる。そうなったら連帯責任でテメエのバアさんにも訓練に付き合ってもらうか?」
「や、やめてくれ!家内だけは!私は、私はなんでもする!だから家内だけは―――がはっ!」
「人の話を聞いてるのか?黙れと言ったんだ」
穏やかな目鼻立ちの老人はグリップで頬を殴られ、地面に転がり、たまらず体を丸めて呻き声を上げている。そのイモムシのような惨めな姿を見て兵士たちは人目もはばからずに笑った。
「さあ、立て。キサマが親愛なるロマリア市民だというのなら黙って俺たちの後に付いてこい」
昨日まで談笑していた隣人たちの目が途端に
齢八十になろうかという老人が兵士相手に抗う力などあるはずもなく、しかし兵士の言い分に納得もしていない。歯を食いしばり、俯きながら恨めしさで彼らを見上げ、目尻を濡らし、ただただ愛する者のために彼らの背中を追い続けた。
心の中で強く願った。神に、悪魔に。「誰でもいい!コイツらを、殺してくれっ!!」口の中が鉄の味で満たされ、彼の瞳はグラグラと揺れ、悪意と妄想にとり憑かれていく。
ロマリア市は城を中心に同心円状に民家が建てられ、敵襲の際、それらは文字通り城を守る「壁」となる。建物も、人も。その「伝統」を彼らの心に刻むかのように、建物の陰には「犠牲者」の臭いがべっとりとこびり付いている。
ドンッ!!
悲鳴と銃声が人知れず響き、新鮮な臭いが彼らの心を満たしていく。
「……」
十年以上経ってもここはまるで変わらない。いいや、以前にも増してひどくなっている。
ロマリアはアルディアに並ぶ先進国だが、彼らの顔はそれにまるで見合わない。短絡的で幼稚。憎むものと笑うものが常に見つめ合っている。まるでこれこそが「軍事国家」であると教育を受けてきたかのように。
そういう意味ではガルアーノの政策は実に良心的だったと認めざるをえない。
『どうだ、懐かしいか?』
例のごとく、紙タバコを咥えた隻眼の軍人が断りもなく俺の隣に立っている。物陰から彼らを観察する俺の隣で、俺と同じものを見ている。
「……」
『そうだな。懐かしいというのも少し違う』
男はまるでお前の考えなどお見通しだとでも言うようにこちらを
『失望。俺たちが守ってきたロマリアは今や無能と化け物どもの巣窟だ。もはや“国”ですらない」
身を隠す俺に対し、男は堂々と姿を晒している。それでも兵士たちは男に見向きもしない。男は同じ軍服に身を包む彼らにこれまでになく大きなため息を吐いた。
『次の瞬間、隣で笑っている同僚が化け物に変わっても奴らは何もできず自らのタバコで輪っかをつくるはめになるだろうな。たった今なぶり殺した老人と同じように』
男のため息もまた、白い煙に彩られ、ゆっくりと闇に溶けていく。
『くだらん』
密命、パトロール、狩り……。化け物たちに職場を奪われ、左遷された兵士たちは毎日のように名目を変え、あの手この手で自分たちの存在意義を無抵抗な市民にぶつけている。
彼らは知らない。自分たちもまた化け物たちにとって生かす価値のない
『それで?お前はここで何をするつもりだ?』
男は知っていながら俺の反応を見るためにわざと聞いた。そうして思った通りの反応が返ってくると鼻で笑い、煙で俺の視界を濁らせる。
『彼がお前の忠告を聞くとは思えんがな』
俺が男の「影」だと知りながら。
把握しておくべきことは把握した。あとはアークの突入に合わせて城まで一直線に配置された駆動式の門を遠隔操作できるよう細工するだけ。
「……」
ふと、直感に促されて視線を振った。するとそこに……
「……まさか……」
俺はそこにいるべきでない少年の後ろ姿を見つけ、思わず声を漏らしてしまった。そして一歩、踏み出していた。
『一度ほころびをみせた
俺もそんなつもりはなかった。むしろトッシュがここにいたら同じことを彼に言っただろう。
それでも俺は彼に接触した。
「ングッ!?」
巡回の目を盗み、彼の口を塞いだ。そして、違和感を覚えた。……コイツは、誰だ?そう思わずにはいられないほど、彼は落ち着き払っていた。
意表を突かれて驚きこそすれ、少年は相手を刺激しないよう、ゆっくりと両手を上げる。そこには相手の隙を窺うしたたかさもある。
俺は半信半疑のまま少年を放した。きっとよく似た他人だ。むしろそうであることを望んでいたのかもしれない。ところが彼はことごとく俺の期待を裏切った。
「……まさか、シュウ?」
乱れた赤毛がその表情を誇張した。
「いつだ?いつこっちに戻ってきたんだい?」
ダニエル・ドミトリ。半月前、アークの二次組織レジスタンスを壊滅に追いやった世間知らずの少年は、表情とは裏腹に、驚くほど冷静に俺と周囲への警戒を強めた。
「昨日だ」
「……今度こそ、やるんだね?」
ともすればエルクよりもその道の素質があるかもしれない。
「なぜここに?」
俺はそんな彼を否定したくてそう聞き返した。すると彼は嫌な笑みを浮かべ「ついておいでよ」と引き続き巡回の目を避けながら俺を地下へと誘導した。
……そこは一見して平凡なワイナリー。だが彼が酒樽の前に立ち、コックを90度ひねると、部屋の対角に置かれた棚がカチリと音を立てて床に沈んだ。
まさか……
胸がざわついた。なぜ悪夢は繰り返すのか、理解できなかった。よりにもよって、なぜ彼がその先頭に立つのか。
彼は笑い、自慢げに言う。
「ここまで再現するのに随分苦労したんだぜ?」
彼はそれのせいで死に目に遭った。二度とそんな過ちを犯さないよう、トッシュは信頼できるホームレスに彼を預けた。それなのに……
「なぜって?そりゃあもちろん、このまま終われないからに決まってるじゃないか」
彼の薄い瞳に狂気めいた輝きを見た。それは、油膜が水溜まりに見せる虹色の妖しい光に似ている。レジスタンスの参謀を務め、トッシュの暗殺すら視野に入れていた強硬派のスキンヘッドと同じだ。
「おい、ダニー。ソイツは誰だ?」
隠し扉からさらに地下へ潜ると、即射殺されても文句の言えない作業に没頭する老若男女の姿があった。
銃の清掃、組み立て。爆薬の調合。ナイフの手入れと訓練。中央のテーブルには所々にバツ印のついた市内の地図まである。
彼らはやって来た俺を見るや露骨に警戒心を顔に出し、ダニーを問いただした。
彼は以前のように、はしゃぐ子どもっぽさを微塵も見せず、淡々と、威厳たっぷりに答える。
「彼こそ、半月前にキメラ研究所を落とした人だよ」
途端に室内の温度が上がり、下水溝でコソコソとする彼らの顔に酒と肉を頬張る活気が表れた。
彼らは俺を取り囲み、歓迎した。長く苦しい戦いは終わったとでも言うように。
「……」
彼らはあの日の光景を知らない。たとえダニーの口から語られていたとしても、あの時、部屋に充満した臭い、音、色、湿度までは感じられない。疑うことを知らない子どものような眼差しがそれを物語っていた。
どうにか突破口を見つけようとダニーを問い詰めた。けれどそれは悪手でしかなかった。
「お前を引き取ってくれた二人はどうした」
「殺されたよ。ロマリア兵にね」
二人は酒飲みで身なりは不潔だったが、気の利く優しい男たちだった。逆にそれが災いしてしまったのかもしれない。
「今すぐここにある銃をすべて埋めろ」
何を焦っているのか。ろくに言葉を選ばず、彼らの顔が凍りつかせてしまった。
そんな中でも彼だけはあらかじめそれを予想していて、冷静に返すのだ。
「シュウ、俺たちはこの国に正気を取り戻して欲しいんじゃないんだ」
その声色から俺は察した。ダニーは彼らを道連れにしようとしている。
「俺たちは、この国が嫌いなんだよ」
少年は理解したのだ。あの日、目にした光景こそがこの国の真の姿なのだと。
地面に転がる肉は「路傍の石」、響き渡る悲鳴は「そよ風」。そしてあの怪物たちこそがそれらを好きにできる「国民」なのだと。
だが、自ら進んで石になる必要がどこにある?再度警告するとダニーはまた笑った。
「今ならモーリスの気持ちがわかるよ。俺たちはこんなにもあの『ロマリア人』どもを殺したいのに、どうしてアンタたちにその権利を奪われなきゃならないんだ?」
「意味がない。それだけだ」
それでも石は国に怪物たちと同じ権利を求めた。キャタピラに潰されるだけだと知りながら、路上に立ち塞がろうとする。
もっと睨み合うことになると思ったが、ダニーは胸に溜めた不満を吐き出すとあっさりと忠告を聞き入れ、仲間たちに銃を遺棄するように命じた。
「正気か?ペペの野郎にふんだくられた上、あんな危険を冒してまで市内に運び込んだってのに?」
「なにも戦争自体を諦めろとは言ってないよ。適材適所だ。そうだろ、ハック?」
新生レジスタンスの面々はダニーがわざわざその中年を名指した理由を察して俯き、旧式のアサルトを憎々しげに睨みながら舌打ちした。
「みんな、すまない。でも誰かが冷静にならないといけないんだ」
モーリスと同じ目をしている?とんでもない誤りだ。ダニエル・ドミトリは過去のレジスタンスにいた誰よりも達観している。だからこそ、この短期間でこれだけの人望を得ることができた。彼の並外れた成長に俺は素直に驚かされた。
ダニーはおもむろに手書きの地図を広げた。
「これは、お前たちが描いたのか?」
「あぁ、だから情報操作の心配はないよ」
それはロマリア市内の
「シュウ、アンタの言う通りさ。俺たちに化け物の相手は務まらない。それに見合う代償を払わないことにはね」
堪えきれず何人かが顔を覆い、鼻をすすり始めた。
「……」
地図はペペを経由してアークに届けるように、そして彼らには俺の合図に合わせて門のスイッチを入れるよう指示した。
去り際、ダニーは俺に頭を下げた。
「ありがとう、少しでも作戦に関わらせてくれて。お陰でこれ以上アイツらに無茶をさせずにすむよ」
「……」
もしかすると彼は初めから戦うつもりがなかったのかもしれない。ただ、自分と同じように死に急ごうとする兄弟たちを見捨てることができなかった。だから彼らの先頭に立ち、舵を切っていた。被害を最小限に抑えるために。
……何がおかしい?
俺は俺の成すべきことのために再び地上に顔を出した。その間、隣の男は癇に障る声でタバコの尻尾を小刻みに振り続けていた。
『いや、あの人なら奴らを弾よけくらいには使っただろうなと思ってな』
なんのつもりか。俺は今からその男を殺しに行く。この国で愛国主義を唱えるあの狂った男を。
『そうだ。そうだとも。あの人はこの国を愛し過ぎた。だからこそこの状況が
滑稽?ロマリア人とロマリア人の殺し合いが?
『あの人は軍事国家を想うがあまりに仕える相手を間違えた。あのガキどもはこの国の本質を理解したがために反旗を
笑いながら、男は落胆していた。
それでも……、いいや。だからこそ俺はあの男を殺す。男の「影」である俺が。
人の血の通った市街地の中心にそびえる
だからこそ、鼓動なき威圧は眼下の小さな命たちに絶対服従を強いることができた。
市の外側の人間ほど自分たちを
ロマリア王にではなく、「ロマリア」に。
外観は11年前と変わらない。だがいまや、その悪臭はスライムひしめくアルディアの下水道よりも酷い。
なぜならまもなく「その時」がやって来るからだ。奴らはそう言っていた。
「今すぐ魔族と手を切れ」
短い警告とともに侵入者は書類を処理する壮年の将軍に大口径の銃を突きつけた。
「……ショットガン?わしの死を知らしめ、軍を混乱させるつもりか?浅はかな」
城の外観と同じく殺風景な執務室。デスクの上には決して外部に漏れてはならない機密情報の詰まった書類が並んでいる。
どうやらそれを狙っている訳でもない。魔族との関係を知っている者のようだが、今さら誰が何をしようとロマリアの歩みは止まらない。
無骨な
刺客は引き金を引かず、将軍は衛兵を呼ばない。
そのまま数分、数十分の長い沈黙が流れた。そして純白の羽が世界を混沌に落とす算段をつけ終わるとようやく重い腰を上げ、振り返り、影から現れた一匹の獣と対峙した。
ロマリア軍の頂点に立つ男の眼光には言葉の通じない獣さえも屈服させる獰猛さがある。それでも狼は頭を垂れない。代わりに引き金を少し絞って応えた。
その首輪のない殺意に覚えがあった。
「もしかして“シュウ”か?」
「……」
「なるほど。どうりで女々しい顔をしている」
「……」
「ガルアーノから聞いている。アークに肩入れしているそうだな」
「……」
「ロマリアの恥さらしめ。それとも本気で世界を救おうなどと考えているのか?分不相応にもほどがある」
死の
「左手の小指は自分で落としたな?アークはそれだけ価値のある男だったか?それともいまだ見定めている最中か?ふん、キサマなんぞに主人を選ぶ資格などない!祖国すら満足に信じることもできん卑しい影風情が!」
数々の武勲を立ててきた彼が、戦場を掌握する雄叫びで己の死を誘う。彼には「ロマリアの勝利」以外に何も見えていない。
『殺れ』
そんな純愛を、たった一発の品のない火薬が握り潰した。
「…ロマ、リアは…無敵……!」
真っ白な禿げ頭からどくどくと赤があふれ、高々と掲げた拳はひと
勝利を掴まんとする将軍然とした佇まいで、ザルバド・グルニカ・トンガスタはこの世界大戦から退場した。
『……』
今の男は影に似ていた。かける言葉はなく、落伍者への蔑みを
男が足で将軍の頭を転がすと、そこにはまだ「ロマリアのなんたるか」を弁舌する狂信的な表情が残っていた。
ロマリアは軍事力の面で見れば右に出るものはないのかもしれない。しかしそれは四将軍の企みによって生まれた怪物たちの牙と爪の
ならば傲慢の象徴たる将軍の死体が晒されれば「ロマリア」はどうなるだろうか。彼らは目を覚ますだろうか。それとも「誇り高きザルバド将軍の死」に参列するだろうか。
『期待するだけ無駄だ。国民を狩る兵士なんぞに”国”への忠誠があるわけない。ましてや国民はその犠牲者だ。その狂気を収めたければ
「……」
ザルバドの私室で騒動を聞きつけてやって来る衛兵を待っていた。しかしそれらしい足音も気配も一向に感じられない。なぜだ?
『言っただろう。奴らは力を得た暴徒どまり。今や城に在中する勤勉な奴は一人もいない。唯一、城の守護者と呼べるロイヤルガードも王だけを護る精鋭中の精鋭。奴らにとって将軍の生死など窓枠に溜まる埃と変わらんさ』
その無関心さはさすがにいき過ぎているように思えた。だがこれこそがロマリアの「最強」たる由縁なのだ。男はそう語った。
たとえそうだとしても腑に落ちない。これまでの将軍連中が凶悪な化け物だったにもかかわらず、なぜ「王」の側近たるこの男だけがこんなにも
『はっはっはっ、だと良かったんだがな。だが断言してやる。ザルバドは死んだ。次にどれだけ禿げ頭が並んで現れたとしてもそれはただの”そっくりさん”でしかない』
吐き捨てたタバコが絨毯を焦がし、ズンズンと先へ進む男からはダニーたちと同じ臭いが漂っているように感じた。
さあ、この国を滅ぼしてやろうじゃないか
甲高く鳴るブーツはロマリアを影から支えていたものの怒りを表すようにどこまでも廊下に木霊する。
『ククク。ロマリアに栄光あれ、だ』
真っ赤な足跡がどこまでも、どこまでも続いていった。
※真っ赤な足跡がどこまでも、どこまでも続いていった
幽霊の足に血が付いて足跡を残すということはない(と仮定して)。なので結局チュカチュエロ少佐(シュウを暗殺者に育てた人)の幻影はシュウによる独り芝居だったということです。
そして、少佐の意思が現れる場面におけるシュウ(肉体)は正真正銘、少佐の意思を宿した「影」であるということです。