聖櫃に抱かれた子どもたち   作:佐伯寿和2

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人間の欲望 その二

 それは「混沌」の法則から魔族の王が導き出した禁術。好奇心が産み落とした滅びの(くちばし)であり、紙にも言葉にも残さなかった、王の血脈にのみ刻んだ世界の禁忌。

アクラが父の遺した言葉を読み上げれば12の空中城は赤黒く灯り、王を取り囲むとそこに小さな、しかしその数千数万倍の重力を爆発させた。

『や、め……ろ……』

滅びの嘴は口にするものを選ばず、光と闇もごくごくと飲み干し、混沌を支配したとのたまう王を容赦なく(つい)ばんだ。揺るがぬ、厳かな輝きを放っていた王冠は卵の殻のようにバリバリと割れ、体内を潤す真っ赤な穢れが滲み出る。

 

100万回、100万回だ。暗く、何もない檻の中から地球が、人間が目を覚まし、思い思いに生きる様を私はただ指をくわえ眺めてきた。ここでは冠の輝きも意味がなく、自分が何者かも不明瞭になる。

「王」という名の皮膚がゆっくりと剥がされていく。それでも奴らに受けた恥辱が私に血眼で檻の(ほころ)びを探させた。そうして辛うじて残ったこの目がついにこの方程式を見出した時、同時に、私は私が手にすべき究極の玉座を手にしたのだと確信した。

そう、私は唯一無二の「王」。支配すべき世界の上に産み落とされた、有象無象とは似て非なる存在。ならば奴らの創ったこの万能の装置もまた私に使われる武器の一つにすぎないではないか。

 

 そう、私が魔王ごときのオモチャで滅ぶはずがないのだ!

 

後に、そこに私の目には映らない混沌の術式が刻んであると知った時にはかつてない憤りも覚えた。だがこれを自らの手で御した今、それはただの負け犬の遠吠えにすぎない。

 

 そうだ、私はすべてを支配してみせたのだ!

 

あとはただ宣言するだけでいい。世界に、私が王であることを知らしめるだけで!奴らが(かた)る「勇者」などというふざけた名を踏み潰すだけで!

 

 キサマはそのための、私の武器ではないのか!?

 

 王は冠が砕けるのもかまわず混沌を掻き分け、その首根っこを捕まえた。主人の手を噛む駄犬の首を。

『よくも、王の名を汚してくれたな!』

従わない犬を捨て置くほど王の懐は広くない。犬も人間も吐いて捨てるほどいる。それがたとえこの世で最も強い犬であろうと関係ない。犬も人も、王の権威を知らしめる手段にすぎない。

王はこの世の支配者であり、彼を脅かすものなど一つとしてあってはならないのだから。

「そ、そんな……」

禁術はそれを縛る手段、それに勝る術がないからこそ表の世界から追放された存在。だのに、どういう理屈か。王はアクラが放った『消滅』を打ち消し、混沌(いぬ)の息の根を止めてしまった。首輪を担っていた12の空中城が砕け散り、行き場を失った重力が彼らを容赦なく殴りつけた。

「お父様の残した術が……これでダメならもう……」

魔王の娘として、アクラは数々の強力な魔術を内に秘めている。けれどもそのすべては父から受け継いだものであり、『消滅』はその最高傑作。娘にすぎない自分にそれを上回る術なんて編み出せるはずもない。

 

『愚者よ、思い知れ!人も魔も精霊も、すべては等しく我が慰みもの!弱者よ、(ひざまず)け!玉座の頂を仰ぎ見るがいい!そこに冠は輝き続ける!その輝きこそが私だ!』

そう豪語するは混沌に(かんむり)を剥ぎ取られた裸の王。またの名を「胎児」。

(かんむり)王冠(かんむり)たらしめていた輝きは、その内を満たしていた黄金色の羊水。

煌々とたゆたう金色(こんじき)の羊水はまさに3000年の時を越えて再誕を果たした脆弱な王の体を支え、一刻も早い即位のために絶えず穢れを口に運んでいる。

以前の王は「人の穢れ」を聖櫃という名の器から掬い、喰らっていた。しかし再誕を果たした王は「へその緒」を生やし、それを直接喰らう(すべ)を手に入れていた。

より不死へ、無二の支配者へと進化していた。

今の王は怒りをジャンクフードのように喰らい、悲しみを大麻のように啜る。そうしてさらなる戦争をもたらす。田畑に種をまく勤勉な農夫のように。

『すべては戯れ!お前たちごときに私の歩みは一歩たりとも止められはせん!』

王は羊水でもって檻の外へと続く産道を敷き、道を阻むものに容赦なく「穢れ」を見せた。3000年間壊し続けてきた無数の空中城を憂さ晴らしのように投げつけた。

 

 勇者たちはこれまで数々の惨劇や悪夢を乗り越えてきた。王のコレクションとも言える最上級の穢れに耐えられるほどに成長していた。

それでも「敵わない」という現実を突きつけられた魔王の娘は怯え、眩いほどの威厳に当てられ数歩後退る。

「諦めるな!」

そんな彼女に勇気を、希望を思い出させるため、アークとエルクは彼女の前へと進み出た。彼女に引かぬ背中を見せた。何があろうと彼女を大切に護り続けた二人の「父」のように。

「俺たちには護らなきゃならないものがある。違うか?!」

勇者はその身を犠牲にしてまで世界のために、家族のために奔走した優し過ぎる父を忘れない。

炎の少年は今も炎を貸してくれる部族のために、数えきれないほど首を絞めてきた恋人と親友のために涙した。

 

 王の歩みはいかなる場所にも「虐殺」の爪痕を残す。それはアクラの父を奪い、アークとエルクの大切な人たちも奪っていった。それでも彼らは闘っている。戦争に魅入られた未来を救うために。

足下の羊水が勇者と少年の脳裏に貧困にあえぐ難民を映し、射殺される子どもたちを映せば刃は矛先を見失い、膝は小鹿のように震える。それても彼らは立ち上がる。歯を食いしばり一歩を踏み出す。その背中にある、まだ護れるもののために。

「頼む、一緒にこの戦いを終わらせてくれ!」

勇者の鼓舞は力強く、赤い鉢巻が軍規のようにはためく。その先にある「未来」を見つめれば青ざめた少女の瞳にも光が戻ってくるのだった。

しかし王はそれを許さない。一度でも輝きを奪おうとした魔王の娘に夢や希望を与えるはずもない。

『戦いを終わらせる?笑わせるな』

羊水を弾丸にして柔らかな胸を撃ち抜き、その清らかな心臓の奥深くに「虐殺」をねじ込んだ。少女に、勇者の象徴たる剣のへし折れる瞬間を見せつけるために。

『私は知っているぞ。命を奪うことでしか歴史を紡ぐことができず、憎しみでしか願いを叶えられないものの名を。平和を口ずさみながら、私を崇めるものの名を』

抗う勇者の膝を瓦礫となった空中城が何度も何度も撃ち抜いた。それでも勇者は父から譲り受けた剣に身を預け、王に道を譲るまいと立ち上がる。

『そう、すべては私とお前たちの自作自演。精霊の(ほどこ)しなどでは満たされない人間の欲求による戯れにすぎない。私は初めから知っていた。一方、世界はようやくそれに気づき始めたようだ』

世界の崩壊によって狂った精霊たちが王の言葉に操られるかのように、自分たちで仕立て上げたはずの勇者(へいたい)を傷つけ始めた。まんまと王を復活させ、役目を果たせなかった「アーク・エダ・リコルヌ」を心の底から罵った。

 

騙された……しょせん人間は世界を喰い潰す害獣、怪物、魔物……奴らさえ、キサマらさえこの世から消えてなくなれば……

 

岩が足を穿ち、光が目を焼く。火が剣を握りしめる手に噛みつき、風と水が方便を吐く彼の喉を干上がらせた。

『名乗る勇気がないと言うのなら代わりに言ってやろう。お前たち人間の真の名をな』

精霊たちの執拗な罵倒についにアークは膝を着いた。足の肉の半分が削げ落ち、鉢巻よりも赤い血の仮面をかぶった彼の顔は鬼のように恨めしい。血が喉につまり、終始えずきが止まらない。それでも彼はまた、立ち上がる。

「勝利」のために。

その様子に王はたいそう喜んだ。

そして、王は高らかに唱えた。化けの皮をかぶり、精霊たちさえも欺いてきた怪物。王の冠を輝かせる忠実な(しもべ)の名を。

『さあ、(おもて)を上げろ”戦争”よ!そして、かしずけ!私こそが戦争の王、お前たちの支配者だ!』

世界はうな垂れた。すべては王と勇者による茶番だったのだと。

 

 「勇者」を演じ、彼らに期待を抱かせたアーク・エダ・リコルヌへの制裁は苛烈さを極めていく。勇者としての要でもあった力を奪われたアークは成す術もなく、ただただ(なぶ)られるしかない。

王は満足し、見事役目を果たした彼に御手をかざし、退場を告げた。

『ガイデルのことも含め、お前たちは私のためによく働いた』

たちまち羊水は漆黒に濁り、穢れはクジラを模した巨大な咢となって卵膜(ころも)からゾロリと顔を覗かせた。シルバーノアと対照的な漆黒のクジラはアークにアリバーシャの空を見せた。救いのない阿鼻叫喚の瞬きを。

『勇者よ、戦争の揺り篭の中で安らかに眠るがいい』

クジラの咢が彼の空を覆い尽くす。

今、3000年以上続いた戦争(ちゃばん)についに幕が降りる。

 

 

 

 

――――調子に、乗ってんじゃ、ねえぞっ!!

 

 

 

 

漆黒のクジラが、今まさに血だるまの勇者を腹に収めようかというその瞬間、その巨大な顎を小さな炎の拳が横殴りにした!

『き、きさま……』

「テメエが、誰の王様だって?俺たちが、何だって!?」

(ピュルカ)が、太陽のように燃えていた。指輪が彼の呼びかけに応え、真っ赤なバンダナは勇者を真似るように力強くたなびいた。

「俺たちを甘く見るんじゃねえぞ!」

勇者と同じ仕打ちを受けながら煌々と燃えていた。

『なにを……うぐっ!』

炎の迫力に気圧された王の懐に勇者が踏み込み、血まみれの剣で王の腹を貫いた。炎が狂った精霊たちの盾となり、バンダナと鉢巻が絡み合った。

彼の体を支える炎が口の利けない彼の代わって怒りをぶちまけた。

「俺たちはアークとエルクだっ!」

「……」

出血多量で視界もぼやけている。それでも彼は胸の内で彼女の名を呟いた。

 

……アナタは私が護る……

 

突如、力が湧き上がり、血まみれの剣が白銀の輝きを取り戻した。穢れた王の腹を、へその緒を一刀両断にした!

『そ、そんなバカな……』

卵膜は破裂し、羊水が流れ出る。未発育な王は羊水の支えを失い、腹から噴き出る穢れされるがままに押し倒される。地に伏した王の頭には疑問で埋め尽くされていた。

なぜだ。なぜ抗える?これだけの穢れを浴びてなぜまだ戦えるのだ。なぜお前たちの心は壊れない?なぜお前たちは私にならない?……ひっ!

王はアークの目に彼女の姿を見た。思うままに弄び、穢し、噛み砕いたはずの少女の姿を。

 

不浄なるものへの天の裁きを!

 

戦慄した。

 

炎の嵐よ、すべてを飲み込め!

 

恐怖した。

 

それは、運命から逃れようともがく少女の心を弄び、穢した王への裁きの光。

それは、少年の村と記憶を、親友の友情と自由を焼き払った残酷な炎。

それは、戦争を憎み、自らが怪物になることを選んだ勇者の剣。

『や、やめ……』

「じゃあな、クソ野郎。今度は地獄で会おうぜ」

炎と勇者は荒れ狂う精霊をねじ伏せ、白銀の剣を高く、高く掲げた。

 

精霊よ、我が力となれ!!

 

『ぐわぁぁあああああっ!!』

剣からほとばしる光と炎が彼らもろとも、もがき続ける王を飲み込んでいく。最中、勇者はエルクを突き飛ばした。

「な?!」

突然の裏切りにエルクは呆然と彼を見やる。

振り返り、微笑む勇者の隣に、勝気な目つきの巫女の姿が見えた。二人は互いに寄り添い、勇者の眼差しで見つめ合うと、ゆっくりと光の中へと消えていく。

「ま、待てよ!お、俺も……!」

少年に、たった一言を残して――――

 

 

永い、永い戦争は終わった。世界に「平和」が訪れたのだ。

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