勇者の剣が独善的な王の穢れを払い、戦場を燃えるような光で満たした。光は混沌とした闇を連れて、少年の視界から消えていく。
「どうして……」
そうしてエルクは割れた大鏡の前に一人、立っていた。そこにこれ以上争うべき敵の姿はなく、しかし勝利と呼べる喜びもない。人と、人の欲望が対峙した痕跡。混沌の象徴とも呼べる王の誕生の瞬間。その爪痕だけがエルクの目に映り、赤い鉢巻を握りしめる手を震わせた。
すべての悪夢は覚めたはず。なのに辺りはいやに静かだ。鏡の額から落ちる破片も、城の石壁を溶かして燃える炎も、石壁の穴から吹き込む風も。勇者の成した偉業に黙祷を捧げ、悪夢の終わりに感嘆した。
けれども、彼らの
どうして「彼」が犠牲にならなきゃいけないのか。どうして自分は最後の最後に突き放されたのか。
勝利とも言えない勝利がエルクを深く悩ませた。
アーク……
彼はあの極限の状態で新たな聖柩をつくってみせた。荒れ狂う精霊を支配し、剣に宿すことで。彼一人では無理だったかもしれない。しかしそこには共に剣を掲げる炎がいた。目をつぶれば陰ながら彼を支えてきた女性と父の姿があった。献身的だった母や泣き虫の楽士、強がりな侍、頑なに素性を隠す魔法使い……。
もはや彼に迷いはなかった。光り輝く聖柩を王の胸に突き立て、王を新たな檻へと落とした。そして自らは王を監視する檻の錠として、あらゆる穢れを乗り越えてきた人の心を持つ精霊として人の世に別れを告げた。
「結局、アンタはずっと一人で闘ってたんじゃねえか」
散らばった鏡の破片に、またしても仲間を助けられなかったクソ野郎が映っている。ソイツの目は今にもくたばってしまいそうなほどに情けなく、弱々しい。
突然、エルクの体がふわりと宙に浮いた。
「……」
見上げればそこには幼い魔物の顔がある。魔物は純白の翼を広げ、王の熱線でできた横穴からエルクを抱えてまっすぐに飛び去った。
「お前、生きてたのかよ」
エルクの呼びかけに魔物は答えない。前方を睨み、頬を濡らしている。
悔しかった。彼があんなにも自分を鼓舞してくれたのに。結局、父から与えられた禁術を使って以降、立ち尽くしているだけだった。何もしなかった。何かできたはずなのに!
エルクは食いしばる少女の顔を見て、皮肉にも解放された気分になった。あの時の彼の遺した言葉が少し理解できた気がした。
後悔しているのは自分だけじゃない。彼はそんなこと望んではいないと。
眼下には戦争の爪痕が一面に広がり、その元凶が、黒い城がゆっくりと落ちていく。一頭の勇敢な銀のクジラを腹に抱えて。
「生きて、いくしかねえよ」
「……」
返事はない。ただ、行き場のない少女の嗚咽と、止まらない涙が嵐のようにエルクの頬をたくさん、たくさん打ちつけた。勝ち
ズズンッ
空中城が引き起こした大災害が先進国ロマリアの町を土煙で覆い、そこに、天すら支配していたはずの愚かな王が鈍い喝采とともに歓迎された。
幸いなことに、悲鳴は一つも聞こえてこない。……そういうことだ。
そこでエルクは改めて実感した。戦争は、終わったんだと。
今一度、彼の言葉を噛み締めた。
――――幸せにな
ロマリアにほど近い山から煙が昇っていることに気づき、俺たちは一言も交わすことなくその
「エルク!」
彼女は降り立つのも待てないほどに泣きじゃくり、なんとか俺を傍に引き寄せようと手を伸ばし子どものように何度も飛びはねた。その傍には仲間たちを命懸けで運んだであろう大魔法使い様が横になっていた。
「よかった、よかった……」
「……」
こんな人を残して敵と刺し違える覚悟なんて俺にはない。そう思えば思うほどあの人への感謝は果てしなく、胃液がこみ上げるほどに胸が熱くなる。
けれど、俺とリーザの再会に反して、他の連中はこれに共感することができないでいた。
瓦礫の山になったロマリアを、海に洗い流されてクラゲのように漂うロマリア人を静かに見下ろし、苦い顔をしている。
よかった?なにが?こんなにも人が死んで、世界はゴミの山になってしまったのに。好きな男一人が無事だったことがそんなに喜ばしいことか?
エルクを連れ帰ったアクラも、少しでも「勝利」を演出しようと無理に笑い、彼らに目配せをしている。その気配りが、エルクの手の中にある赤い鉢巻が彼らにもう一つの失望を植え付けた。
すると突然、トッシュはことさら大きな声を張り上げた。
「テメエら、なんて顔してやがる!バカ野郎が二人、生きて帰ってきたんだぜ?もっと喜べよ!」
覚悟は済ませていた。わざわざ別れの挨拶までした。それなのに、この胸糞悪さはなんなんだ?!誰が納得のいく説明をしてくれるってんだ?!
「トッシュ、アークは―――」
「黙ってろ!」
トッシュはエルクに殴りかかり、押し倒し、馬乗りになって何度も、何度も顔を殴りつけた。反射的に手を出そうとするリーザを、ポコが止めた。
「ごめんね、ごめんね……」
抱きつき、胸に顔を埋めながら。
彼を泣き虫だとバカにしてきた赤毛の猿はおんおんと叫び、腫れ上がるエルクの顔をびしょびしょに濡らした。
戦争に勝った。それなのに、彼らはまるで笑わない。どうしようもない敗北感が彼らの首を締めつけ、情けない嗚咽を合唱させた。これが、彼らの求めた平和の代償。平和のための矛盾。
世界は何千年とそれを耳にしてきた。聞くに堪えない人間の嗚咽など鳥のさえずりと差して変わらない。もはや平和とは何かを語る気も起きない。矛盾?そう感じるのは当人たちだけだ。
水は正しく循環し、風は淀みを払っている。土は生と死を肥やし、火が星を温める。そして光が正義の導として
これを認めない人間の傲慢が戦争を求め、混沌の王を産み落としたというのに。
人間はまるで別世界に生きているかのように学ばず、これを繰り返す。涙を流し、拳を振り上げる。そして世界を否定するのだ。
世界はいよいよ彼らを見捨てる時が来たのかもしれない。そんな陰りを彼らに落とすと、一人の精霊が世界の前に立ちはだかった。
「……エルク、よく、帰ってきたな」
覆いかぶさるトッシュが泣きながらにエルクを抱きしめた。殴り足りない拳を開き、力の限り友の生還を喜んだ。
喉が
今こそ、立ち上がらなければならない。ほとばしる怒りを悲しみに、悲しみを小さな希望の苗に変え、植えなければならない。今もなお助けを求める人々の下へ。
「ね、ねえ、あれ」
ポコが空を指さした。見上げると、ヒュンヒュンと風切り音を立てる何かが飛んでくる。
ドスリ。彼らの目の前に、山の岩肌をもろともせず一本の剣が突き立った。
「これは……」
血が赤錆のようにボロボロの刃を包んでいる。それでも剣は白銀の力強い輝きを放っている。まるで、ここまで彼らを導いてきたあの勇者のように。
陰ることのない光。それを今一度、彼らに見せつけた。
「はっ、死んでも俺たちに命令しようってのかよ。いい度胸してんじゃねえか」
声なき剣の輝きが彼らの顔を照らし、頬を拭う。彼らは顔をしかめ、思い思いの文句を彼に返した。すると、前触れのない一陣の風が彼らの前を吹き抜けた。忘れてもらっては困ると彼女も姿を現したのだ。
遥か彼方、海を越え、スメリアの巫女装束の切れ端が彼らの前を横切り、ボロボロの刃をソッと包み込む。
「……はっ…ははっ、こりゃ参ったぜ!随分と見せつけてくれるじゃねえかよ」
風がなびいても布切れはもうどこへも飛んでいかない。長い、長いお預けをくらった彼女はこれから先、何があろうと彼の傍に寄り添い続けるのだ。
酒を浴びせかけたい衝動に襲われても手元にそんなものがあるはずもなく。トッシュは「彼ら」を睨みつけながらまた「ちくしょう、ちくしょう……」と繰り返し呟いた。
それが新たに生まれた聖柩なのだということはその場にいる全員が、なにとはなしに気づいていた。しかし不思議と、誰もそれを仰々しい神殿だとか滝壺の裏だとかに隠そうなどとは言い出さなかった。
平和のためと護られるより、ここで雨風に晒されている方がよっぽど「二人」は喜ぶだろうと。
「お前たち、何を泣いておる」
気を失っていたゴーゲンが目を覚まし、仲間たちの声を求めて呑気に問いかけた。事の次第を聞き、大魔導士は満足げに頷くとトッシュの案に力強く賛同した。
「ほれ、酒を探しに町へ下りようじゃないか。なに、明日からはまた忙しくなるんじゃから。今日くらいは泣いて、笑おうじゃないか!」
ゴーゲンは水没したロマリアを横目に、一人場違いなほどに盛り上がった。
たった今、一人の勇者がその身を犠牲にして世界に平和をもたらした。だというのに自分たちは酒を求めてロマリアに下りようと言うのだ。まだ助けられるかもしれない生存者を探すのではなく。
「随分と太いことを言うんだね」
シャンテの非難は当然あるべき人の心だ。けれども老人はなに一つ悪びれることなく
「人は聖柩にはなれん。これ以上悲しみを蓄えてどうする?どんなに辛くとも、わしらはどこかで吐き出さねばならん。わしらとて、誰かに支えてもらわにゃならん時がある」
間違いなく、彼らが手を貸せばより多くの命が助かるだろう。だがそれは本当に今、彼らがすべきことだろうか。老人は言った。こんな物語は繰り返すべきではない、と。
「……そんな体で酒なんか飲んだら傷にさわるんじゃないかい?」
「何を言う。これまでの歴史で酒以上に戦士を労う万能薬があったか?瀕死の傷を負おうが、不治の病にかかろうが、酒を飲み、浴びればたちまち天を仰ぎ、歌い出す。戦士とはかくも単純な生き物よ!」
老人は笑った。死力尽くした愛弟子のためにも。力一杯、喉がかれるまで。俺たちは闘い抜いたんだと。
王の所業により、世界は崩壊した。繁栄を促す精霊たちも深い傷を負い、深い眠りに就いてしまった。彼らの力で自然と回復していた海も山も
そんな環境下でも生き残った命は懸命に足掻き、少しずつ復興の兆しを見せている。
たとえ彼らの心に勇者の名が刻まれなくとも、彼らは目の前にある希望に感謝しない日はない。「村は俺が護ってみせる!」幾度となく相対する苦難や悪に立ち向かう力となった。
「エ、エルクはどうするの?」
祝勝の宴を終え、勇者一行は各々が帰るべき場所へと帰ることを決意した。そんな中、ポコはいまだ決めあぐね、エルクに意見を求めた。
「俺か?俺も一度アルディアの様子を見に行くさ。生きてるにしろ死んでるにしろ、放ったらかしにした知り合いに挨拶しに行かなきゃだしな」
宴の席に、ついぞ狼が姿を現すことはなかった。けれど彼は必ず生きている。見つけ出し、礼を言わなきゃならない。でなきゃ居心地が悪くて夜も寝付けない。エルクはそう、うそぶいた。
その既視感のある眼差しに惹かれ、ポコは遠慮がちに言う。
「ボ、ボクも一緒に行っちゃダメかな?」
その一言にリーザはハッとし、期待の眼差しで彼を見やる。けれど、生まれて初めてジョッキを空けたエルクはその視線に気づきもしない。彼は今も勇者の言葉を噛み締め、遠く彼方を見つめている。
「あ?別にかまわねえけど。俺は楽しい旅をするつもりはねえぜ?」
「ボクだってそんなつもりはないよ。ただ、もう少し頑張りたいんだ」
「……言うようになったじゃねえか」
彼の背中を見ているのは自分たちだけじゃない。ポコの言葉に感化されたエルクとトッシュは「弱虫ポコ」の首を引っつかみ、悲鳴を聞くまで酒を浴びせかけた。その隣ですっかりへそを曲げてしまったリーザを、小さなエレナがよしよしと
「フラれちゃったね」
路銀のために、ポコに歌の伴奏を頼んでいたシャンテにちょこが茶々をいれ、頭を小突かれていた。
「大丈夫。グレイシーヌもミルマーナもそんなにやわじゃないわよ」
サニアは祖国を想うイーガを励まし、酩酊するゴーゲンやチョンガラとカードを切っていた。
その晩、彼らは酒を酌み交わし、各々の人生を、未来を語り合った。この旅で一番大事な夜を噛み締め合った。
――――十年後
朝日が昇るよりも早く、荒涼とした山の頂きに一人の男が現れた。世界は名残惜しむように夜闇に
それでも男は確かに、待ち人の気配を感じていた。彼を叱咤激励する親友の声が聞こえた。
「久しぶりだね。アーク、ククル」
少しだらしない体格の、無精ひげの男は賞金稼ぎらしい目ざとい視力でもってまばらな星明りを頼りに彼を見つけた。
「はは、トッシュたちの言う通りだ。君たちは全然変わらないね。あ、もちろん良い意味でだよ」
十年前、彼は目も当てられないほどに血脂にまみれていた。すぐに錆びて折れてしまうからと。男が彼を労い、拭き取ろうとすると、赤髪の侍といかめしい顔の僧兵が止めたのだ。
「無粋な真似をするもんじゃあねえよ」
「いかにも。心配することはない。私との決闘をお主も見たであろう。この男のしぶとさは尋常ではない。何年、何十年経とうと、この男は折れず、ここから我らを見届けているだろう」
「……そういうことじゃねえんだけどな」
侍が言いたいことはわからなかったけれど、「いいから」と語気を荒くして言うものだから。男も「そ、そうだね。ごめんよ」と返す
けれどどうだろうか。まだ30代の男ですら近頃は食習慣を見直さなければと悩んでいるというのに、彼はそんな老いを感じさせないぼどに背筋をまっすぐにしてそこに立っている。それどころか、結び付けたスメリアの巫女装束さえも色褪せず男を迎えたのだ。男は気恥ずかしさを感じたながら二人に謝罪した。
そうして男はこの十年で自分たちがしてきたことを一つ一つ二人に語り聞かせた。
スメリアに帰ったトッシュが自分の組をつくったこと。イーガが寺を再建し、新たな王に道を説いていること。災害で故郷を失くしたサニアが彼を支えていること。シャンテ、グルガ、エレナ、ちょこが小さな酒屋を建て、町を活気づけていること。
「エルクったらおかしいんだよ。ギルドに掛け合って君にかけられた賞金を自分にかけちゃったんだ。お陰でぐっすり眠れる日はあんまりないけど、エルクはなんだか前より活き活きしてる。ね?変でしょ?」
それにチョンガラは、それにゴーゲンは……
「……僕たちはもう大丈夫だよ」
男は腰に帯びた剣の柄を握りしめ、そっと笑った。背負った荷物から自前のラッパを取り出し、夜闇の中でもひっそりと輝くベルを力強く鳴らした。
すると、どこからともなく男の演奏にピッタリ合わせるもう一本のラッパの音が聞こえてくる。
二つの音色は力強く、山間に木霊し、重厚なオーケストラのように鳴り響いた。山を越え、海を渡り、白み始めた空を駆け抜けていく。
晴れやかな音色に誘われるように水平線から朝日が黄金色の光を覗かせる。十年の雨風で血脂をすっかり洗い流した彼が陽光を背に、以前にも増して輝き出した。
「あ……」
不意に、彼の輝きが目に沁み、喉がつまった。
「はは、ごめんよ。みっともないよね」
頬を拭い強がってみて景色はどうしようもなく滲み、ラッパの音はへろへろと揺れてしまう。
「……こんなだからいつもエルクに怒られちゃうんだ」
男がラッパから口を外し、弱音を吐いてももう一本のラッパは鳴りやまない。男の背を押すように、勝ち
「でも僕たちはまだまだ頑張れるよ。だから、見ててね」
男はもう一度ラッパをくわえた。相棒に負けないよう力強く、朝日に向かって折れない勇気を響かせた。
山頂の風は冷たく吹き荒び、まもなく吹雪を呼び寄せた。
それでも剣と装束の根本に芽吹いた一対の新芽はひっそりと揺れていた。未来を夢見て。健気に。いつまでも、いつまでも――――
※勝ち鬨(かちどき)
勝利した時にあげる歓声。喜びの声。
※ホンマの……ホンマの!!あとがき
ここまで読んでくださったすべての読者様へ
まずはおおよそ10年に及ぶ連載にお付き合いいただき、誠にありがとうございます。
このまま「ポコザラッド」や「エルクザラッド」を書くのもアリかなとも思いましたが、まずは今挑戦していることに集中するべきかなと思うので、いったんここで完結ということにしようと思います。
10年ともなればそれはもう紆余曲折のオンパレードでした。自分でつくった設定を忘れたり、話の筋がズレてしまったり、投稿日を勘違いしたり(笑)
自分でも読み返していて読みにくいなと思う部分、退屈だなと思う部分も多々ありました。
それでもどうにかここまで書いてこれたのは「アークザラッド」を生んでくださいました「ジ-クラフト」様や「ソニー・コンピュータエンターテインメント」様、そしてここまで読んでくださいました「読者」様のお陰です。
本当に、感謝に絶えません。
この「聖櫃に抱かれた子どもたち」(実は『聖柩』表記が正しかったという(;^_^A)に関してはここで終わりですが、私自身はこれからも執筆活動を続けていくつもりです。(当サイトでの投稿は未定ですが)
読者さま方とはまたどこかで(できることなら書店で)お会いできるよう誠心誠意努力していきますので、お見かけになった際は「大将、やってる?」的なノリで読んでいただければ幸いです。
連載期間に比してウソのように短い挨拶にはなってしまいますが、読者さま方のこれからの増々のご多幸ご健勝を祈り申し上げ、締めくくりとさせていただきます。
皆さま、本当に今までありがとうございましたm(__)m
佐伯寿和2