女に会う前に俺は、
約束の3時間前、店の屋根裏から忍び込み、まずは店内を一望できる位置を探した。
女はすでに店に来ていた。容姿の面でも、持ち前の独特の雰囲気でも、女は目立っていた。だが、女はそれを気にする素振りも見せず一人、グラスを傾けながら町の
その目は道行く人の顔を見ているようで実のところ、何も見てはいない。女の瞳は、目を開けながら夢でも見ているようにボンヤリと人混みの中を泳いでいた。
グラスも、頻繁に口へとはこんでいる割りには少しも減っていない。
その姿は、やって来るであろう俺たちの姿を探すというよりは、ただただ孤独を
女の
結果、罠らしい罠はないが伏兵はいた。客に
それというのも、『そいつら』の視線が雑踏にではなく、女にばかり向けられていたからだ。
女もソレに気づいているのだろう。時おり見せる女の笑みは、俺を含め、『
しかし、女の方もこれといって『強者』たらしめる要素なんてものは見つからない。
半時ほど女とその『周囲』を観察し続けたが、罠の有無以外は何の収穫も得られなかった。
「それで、どうだったの?」
俺の部屋でパンディットと待機させていたリーザは、スッカリあの女に同情的になっていた。
どんな『理由』があるのか
だから、リーザが俺に打ち明けないのは『それ』に確信がなく、俺を無駄に困惑させないようにしているからなのだろうと解釈するしかなかった。
あの女の背景を無視して考えると、マフィア連中の動きが思っていたよりも静か過ぎるのも気になった。
俺が
俺たちの居場所を押さえているのに何の動きも見せない、その意図が分からない。俺たちの集中力を削るためにわざと泳がせている
そうなると、女の言っていた「仲間はいない」という言葉が限りなく
「今もまだ
だが俺は同時に、女が雑踏へと向ける
「私は今のエルクが思ってることも間違ってないと思うの。」
その『根拠』こそ言ってはくれないが、リーザはリーザなりにできるだけ俺の手助けをしてくれようとしているようだった。
「リーザは見たことあるのか?」
俺はあの女の瞳に孤児の『影』を見た。
常に他人に不信感を抱きながらも孤独を感じやすく、感情の
それは、『
「私は見たことないけど、村の大人たちはたくさんのそういう子を見てきたわ。」
それをリーザは
「だからアイツが気になる訳か。」
その気持ちはよく分かった。
俺もまた、この仕事を通して多くの国で孤児を目にしてきた。シュウと一緒に行動していた頃、彼らに差し伸べようとする俺の腕を
「それでお前の悪夢が少しでも晴れるのか?そうでないなら止めておけ。『同情』だけで人間が救えるのならそもそも
当時、俺は12才だった。シュウが酒場のマスターと
分かったが、納得はいかなかった。
「私は『同情』だって何だって、誰かを助けられるのなら助けたい。」
俺も本音ではリーザと同じ想いだ。でも、そうした俺の
アイツらは自分のことしか考えられないし、他人の死なんかなんとも思っていない。生きるためなら何でもする。
アレはもう、屋根のある暮らしをする人間とは違う『人種』なんだ。
「私たちは?」
リーザは怒っていた。その理由も分かる。言ってる俺だって気分は悪い。記憶を失くした自分の
揺るがない事実なのに、俺はそれを手放しで受け入れられない。この問答もまた、俺の中で永遠と繰り返されるもう一つの『悪夢』だった。
けれどもリーザはそれを『力』で
「全く違う『力』を持ってる私とエルクは違う『人種』なの?ううん、違っててもいい。それでも……、私たちは助け合えないの?」
それはもはや誘導尋問だ。
まさか俺がこの問いに
「……私、
「少しな。でも俺も
「エルク、ありがとう。……でも、本当に危なくなったら逃げてね。」
俺は思わず笑ってしまった。
「言ってることがメチャクチャだぜ。」
「だって、他に言いようがないんだもの。」
「でも、少し気が楽になったよ。」
頭を
「やぁ、待ってたよ。」
女が振るグラスの中で、
「交渉の場で酒か?随分と余裕なんだな。」
「前にも言ったでしょう。小僧相手じゃ本気になれないんだよ。それに『交渉』なんて堅苦しいのはナシにしよう。アタシはただお酒を美味しく飲みたいだけなの。」
「……そうかよ。好きにしろよ。ただ俺たちもそんなに
「……。」
女は
「そこのお嬢ちゃんのお
「できる奴ってのは、一目で人の価値ってのを見抜きやがる」ビビガのオッサンが説教
認めたくはないが、
だが、だからと言って腰を低くする訳にもいかない。対等でないと聞ける話も聞けないからだ。
「何だって構わねえさ。それより『お喋り』、してぇんだろ?」
女は俺の考えを
「まぁ、
「『時間がある』なんて
「違いない」と笑い飛ばしながら女はグラスの中味を空にすると、
「アンタたちも何か飲むかい?」
「要らねえよ。」
「私、冷たいミルクティーが欲しいわ。」
少しでも俺の
「……トマトジュース」
俺たちのやり取りを見て女は失笑した。
「それにしてもさ、アンタたちのその格好よく似合ってるよ。知り合いにスタイリストでもいるのかい?」
本当に、この女は意表を突くのが得意なようだ。
話題を
『周囲』に気を配りながらこの女の相手をするのは骨が折れそうに思えた。
「だったらそこから聞かせてもらうがよ……、昨日はあんな一瞬でどうやって俺たちだと
「詰まらない話をする男だ」とでも言いたげに女は
「私は
「そうか?
女は注文したグラスに一口つけると舌打ちをしながら「ハズレね」と
「分かってないわね。
そうだ。この女は
「だったら俺は
俺は軽い
だが、俺の『意気込み』とは裏腹に、女はそれに全く関心を示さなかった。「それで?」酒を口の中で転がしながら答えるくらいに。
「……それは認めてんのか?」
「違うよ。」
女の話すペースが複雑で、俺はまだ次の言葉を用意していない。それなのに女の
「だったら何で『変装』だと思ったんだ?『計画』なんて言葉も俺たちは言った覚えなんかないぜ?」
「それじゃあ、それは『普段着』だってのかい?」
「……違う。」
女はこれみよがしに溜め息をつくと今度は、
「記憶の中の
……確かに。瞬時に『変装』を見抜いたという点以外、女に何一つ
「だったら――――、」
追い込めば追い込むほどに、追い詰められていく気がした。
「奴らに追われてるお前が、どうしてあんな
女は再度、俺を値踏みすると「飽きた」と言わんばかりに溜め息をつき、視線を
「アンタ、結局は最初っから『同じこと』を聞き続けてるよね。」
「だったら、違うってのか?」
「だから違うって言ってんだろ?そんなにアタシを悪者にしたいのかい?……
女の言うことはいちいち正しかった。しかし、「
「……アタシはアンタの身の上話を
グラスの中味は半分も減っていないのに、女は席を立った。
「アンタがどれだけ
女を引き留める必要はなかった。
「用がなきゃ、アタシは別の店で飲み直したいんだけれどね。」
それよりも今はシュウを探す方が先決だった。それなのに―――、
「テメエの言う『情報』ってのは何なんだ?」
ここでこの女を逃がしてはいけないような気がした。敵味方以前に、俺とコイツには何か深い
女はぶっきら棒に手を突き出してきた。
「……テメエ、後払いでもイイっつってなかったか?」
「ここの酒を不味くした
「……情報の中身は何なんだよ。」
「それとさ、いい加減そっちの女の子の名前、教えてくれない?別に素性を明かせってんじゃないんだよ。気持ち悪いのよね。『名無しの
「テメエの都合なんか知るかよ。それより―――、」
「私、リーザ・フローラ・メルノって言います。今まで名乗らずにすみませんでした。」
思わず乱暴にリーザの口を
「女神像だよ。アタシの情報は。アンタたちも気になってるんでしょ?」
「……」
どいつもこいつも『女神像』か。核心に近づいている感じはするのだが、同時に
これまでの会話で、この女相手に変に
「良い
女はケチをつけていたはずのグラスの中味を一気に
「今度はお嬢ちゃんがアタシの相手をしてくれないかい?ミルクティーの美味しい店を教えてあげるよ。」